最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●GDホテルにて

2010-11-30 09:33:27 | 日記
●浜松・GDホテルに一泊

++++++++++++++++++++++++

今夜は、浜松・GDホテルに一泊。
12階のスカイラウジで書き始める。

窓が大きく開け、その向こうにはアクト・タワー。
眼下はもちろん、浜松市街。
すばらしい。
無数の星々が、漆黒の絨毯(じゅうたん)に撒き散らされたかのよう。
それが地上でまばたきもせず、銀色に光っている。
都会的な、きらびやかさ。
静寂と孤独。
それらが、みごとに溶け合わさっている。
まるで無数の宝石のよう。
その美しさに、しばし見とれる。

たった今、ピアノの弾き語りが終わったところ。
女性がいくつかのクリスマスソングを歌った。
ピアノの白いふたを音もなく閉じ、ゆっくりとした
足取りで、ラウンジを出て行った。

うしろの席で、7、8人の客が、会話ごとに
ゲラゲラ、ガハハハと笑っている。
その笑い声が、何と場違いなことよ。

++++++++++++++++++++++++

●気分転換

 このホテルへ来る前に、義兄の家に立ち寄った。
途中の店で買ったケーキを、義兄たちと4人で分けて食べた。
「今夜はGDホテルに泊まります」と言うと、「いいねえ」と。

浜松市内でも1、2を争う高級ホテル。……だった。
が、朝食付きのみなら、1人1泊5000円前後で泊まれる。
朝食なしなら、4000円前後(じゃらん経由)。
気分転換には、もってこい。
それに今日は、ささやかだが、雑誌社から原稿料が入った。
それでその気になった。

 ジジイの私がこう言うのもへんだが、……本当にへんだが、
久々に、おとなのムードを味わった。

●偏頭痛
 
 で、昨夜は最悪だった。
真夜中に、偏頭痛。
寝る前に食べたぜんざいが、悪かった(?)。
1時間ほど四転八転したあと、Z(偏頭痛薬)を2つに割ってのむ。
ワイフがふとんの下に、座布団を2枚重ねてくれた。
頭を高くしてくれた。
それがよかった。
30分もすると、痛みがスーッと消えていった。

 こういう見分け方が正しいのかどうか、知らない。
しかし風邪による頭痛は、眠っている間は忘れる。
偏頭痛は、眠っていても痛い。
それに偏頭痛をがまんして眠っていると、悪夢の連続。
悪夢といっても、不気味な悪夢。
昨夜は、目のない女性が、顔から青い血を流しながら、そこに立っていた。
今、思い出しても、ゾッとする。
 
●沽券(こけん)

 そんなわけで今日は、一日、家の中でのんびりしているつもりだった。
言うなれば病後。
11月28日、日曜日。
午前中に、電子マガジンの12月号を完成させる。
(結構、たいへんな作業だったぞ!)
午後は、軽い昼寝。
3時過ぎになって、運動もかねてワイフと2人で、大通りから佐鳴湖、
佐鳴湖から大平台団地と、ぐるりとこのあたりを一周した。
そのときワイフが、こう言った。
「今夜は、どこかへ行かない?」と。

 こういうときワイフの提案を断ると、あとがこわい。
……というか、私にも夫としての沽券(こけん)がある。
言うなれば、メンツ。
ケチなことを言うと、嫌われる。
若いころから、そういう点では気をつかう。
「どこか、ホテルに泊まろうか」と。
そう答えると、ワイフはうれしそうに笑った。

●浜松GDホテル

 浜松GDホテルには、大浴場はない。
もちろん温泉もない。
そういう楽しみはない。

若いころはよく来た。
何かにつけ、よく来た。
「GDホテルで……」と、名前を口にするだけで、ステータス。
気分がよかった。

 で、そのころは、TDさんという人が、このホテルを経営していた。
2人のお嬢さんがいたが、私の教え子ということもあった。
が、一度、倒産。
理由はよく知らないが、改築費でつまずいたと、だれかから聞いた。
そのあと、このホテルは、別の経営者の手に渡った。

 そういうこともあって、このホテルに、星をつけることはできない。
あまりにも、おこがましい。

●縁

 40年以上も住んでいると、人の世の浮き沈みがよくわかる。
「おごれる者、久しからず」とも言う。
が、その一方で、大成した人もいる。
入れ替わり立ち替わり……というか、そういう人が出てきては、また消える。
人口60万人とも、80万人ともいわれる浜松だが、たいていの人とは、
どこかでつながっている。
縁がある。
「あの人がねえ」という会話が、このところ多くなった。

 たとえば目の前には、TKというホテルもある。
そのホテルの子どもたち(兄と妹)も、私の教え子。
親たちも、よく知っている。
私が浜松へ来たころには、小さな旅館風のホテルだった。
GDホテルの陰に隠れて、目立たなかった。
が、今は、全国にチェーン・ホテルを展開している。

●浮き沈み

 こうして振り返ってみると、「歴史」とは何か、
そこまで考えてしまう。
たとえば江戸時代。
あの時代にも、浮き沈みはあったはず。
今よりは、スローテンポだったかもしれない。
今は、10~20年単位で、ものごとが変化する。
江戸時代には、それが100年単位だったかもしれない。
どうであるにせよ、そうした(変化)は、私たちに何を残したのか。
だからといって、そうした変化が無駄というのではない。
その逆。
その結果として、今の私たちがいる。
それを歴史という。

●万年倦怠期

 ところで先に、「沽券(こけん)」という言葉を使った。
「値打ち、品位、体面」という意味である。
が、60歳を過ぎた夫婦には、もうひとつ別の意味が生まれる。
過ごし方をまちがえると、「万年倦怠(けんたい)期」。
人生そのものが、どんよりとした鉛色のモヤに包まれてしまう。
だからあえて、こうして機会を見つけて、外に出る。
雰囲気を変える。

 夫婦の倦怠をどう防ぐか。
これも老後のひとつのテーマということになる。

●気力

 それに健康というのは、気力の問題。
病気に遠慮していると、ますます病気ぽくなってしまう。
そこで多少の不調程度なら、無視して行動に出る。
体を動かす。
今朝の私がそうだった。

 朝は偏頭痛に苦しんだ。
静養するかどうかは、そのときの判断。
「もうだいじょうぶ」と判断したら、あとは思い切って外へ飛び出す。
気力が病気を治してくれる。

●離婚

 オーストラリアの友人の息子が、先週、離婚した。
結婚してまだ数年。
子ども(孫)ができたばかりだった。
つい先日のメールでは、孫の写真を送ってくれた。
理由はいろいろ書いてあった。
それについては、ここには書けない。
が、これも「浮き沈み」のひとつ。
(離婚したからといって、沈んだことにはならないが……。)

 つまり、生きていく過程では、いろいろある。
私たち夫婦も、何度か離婚の危機にさらされた。
とくに今年の夏には、あぶなかった。
が、基本的には、私はワイフなしでは生きていかれない。
ワイフも、私なしでは生きていかれない。
そのつど、たがいにあきらめ、よりを戻す。

 が、若い夫婦のばあい、たがいの密着度がそれほど強くない。
積み重ねられた思い出も少ない。
そのため「あきらめる」という力が働かない。
だから簡単に離婚する。

●ホテル、旅館業界

 ところでホテル、旅館業界は、大不況のまっただ中。
そのため料金のダンピングが、はげしい。
利用者である私たちにとっては、うれしい。
が、その分、このところサービスの低下が、目立ってきた。
とくに料理が悪くなってきた。

 先週泊まった、焼津のSKホテルも、そのひとつ。
目玉はカニ一杯。
それだけ。
あとはスーパーで売っているような刺身と天ぷら。
それらをそれらしく並べて、それでおしまい。
料理らしい料理は、何もなかった。

 つまり「安かろう、悪かろう」が目立ってきた。
つまりホテル、旅館業界は今、底なしの悪循環の世界に入りつつある。
このままでは良質のホテルや旅館まで、つぶれてしまう。

●加齢臭

 部屋に戻ってから、風呂に入った。
私にとっては、2日ぶりの風呂。
このところ鼻水が出た。
「風邪かもしれない?」と思っているうちに、2日が過ぎた。
それで2日ぶり。

 一説によると、55歳前後から、加齢臭が始まるという。
この加齢臭のこわいところは、自分ではわからないこと。
そのため55歳を過ぎたら、毎晩、風呂に入るのがよい。
60歳を過ぎたら、なおさら。

 よく子ども(生徒)たちは、私にこう言う。
「先生は、ジジ臭い」と。
ヘアートニックなどの匂いを言うこともあるが、本当にジジ臭いのかも。
風呂の中でタオルをゆすぐと、体の垢(あか)が、プラプカと湯面に上ってきた。

●北朝鮮

 こうして何でもない一日は終わった。
ワイフは、ベッドからテレビのニュースを観ている。
心配なのは(?)、朝鮮半島。
しかしあの金xxは、戦争など、しない。
その度胸もない。
ありもしない外国の脅威を作りあげ、それでもって
国内を引き締めているだけ。
そのためにアメリカや韓国が利用されているだけ。

 で、今日の午後5時半。
中国が重大発表(?)なるものを行った。
内容は「12月はじめに、6か国協議を開く」というもの。

 バ~カ!

 日米韓は、即座に反応。
「何を今さら」と。
これで中国のメンツは丸つぶれ。
が、問題はなぜ、それがわかっていながら、中国はあえて重大発表
という形で、そんな提案をしたか、だ。
それに先だって、中国政府は各国の高官と協議を重ねていた。
それを通して、その雰囲気がわかっていたはず。

 が、テレビに出てきた北朝鮮専門家(?)と言われる人たちは、
トンチンカンな解説を繰り返しすのみ。
「北朝鮮は、本気のようです」
「これ以上、追い詰めない方がいい」と。

 つまり中国は、北朝鮮にせがまれて、そういう提案をしてみただけ。
中国は北朝鮮を失うこと、つまり南北が、韓国とアメリカ主導で統一
されることを、何よりも恐れている。
そんな中国を、6か国協議の議長国にしたのが、そもそものまちがい。
泥棒に、泥棒の管理をかませたようなもの。

 午後11時15分。
ニュースは終わった。
私も寝る。
おやすみ。

●翌朝(11月29日)

 このところ温泉でも、朝風呂は避けている。
どういうわけか、朝風呂に入ると、体力の消耗がはげしい。
ばあいによっては、そのあと、立ちくらみや、めまいがすることがある。

 起きて身支度を整える。
朝食は6時半からという。
時計を見ると、7時半。
そのまま2階の食堂へ。

 が、並べられた料理を見て、がっかり。
割引料金で、1500円弱。
GDホテルには悪いが、こんな朝食で、1500円は高い。
やる気ゼロ、本気ゼロという中身だった。

 私は近くに陳列してある、S社の超大型船外機(たぶん、模型?)を
ながめながら、不満感をなぐさめた。

食堂を出るとき、ワイフはこう言った。
「私たち、目が肥えているから……」と。

 先に書いた、KTホテル(ビジネスホテル)のばあい、1泊3500円前後。
朝食は無料。
品数は少ないが、それでもGDホテルの朝食よりは、よい。

 ……とまあ、悪口を書いてしまった。
しかしホテルにせよ、旅館にせよ、評価は本気度で決まる。
先月泊まった、西浦温泉の竜宮ホテルは、見栄えは質素だったが、
廊下ごとに、茶の香が立ててあった。
そういうのを見て、私たちは「本気度」を知る。

 とても残念なことだが、GDホテルでは、その本気度を
感ずることができなかった。
建物だけは、立派だが……。

●補記

 「今度は、アクトタワーに泊まってみたい」とワイフは言っている。
私も、泊まってみたい。
で、こういうのを「冥土のみやげ」という。
先日、「朝食のみ付き」で、一泊8500円前後という宣伝が新聞に
載っていた。
会員制の大浴場にも、無料で入れるという。
地元にいながら、地元のホテルや旅館のことは、あまり知らない。
死ぬまでに、一度は、堪能(たんのう)しておきたい。


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

1/2 11-29

2010-11-29 09:13:19 | 日記
●前号からのつづきです。








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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2010年 11月 29日
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【息子の初フライト】(特集)第2回□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【息子の初フライト】JAL搭乗機

●羽田へ向かう

 これから羽田に向かう。
新幹線に乗って、品川まで。
品川で一泊。
朝イチで、羽田へ。
903便。
午前8時10分離陸
息子の初飛行。
副機長になっての初飛行。
機種はB777-300。
500人乗り。

が、あいにくの悪天候。
目下、台風14号が、沖縄を直撃中。
言い忘れたが、初飛行は、羽田から那覇(沖縄)まで。
明日は「欠航」になるはず。
それでも私たちは、羽田に向かう。
ワイフが、こう言った。
「沖縄へ行けなくてもいいから……」と。
ワイフにはワイフの思いがある。
息子のにおいをかぎたいらしい。
「E(息子)に会えなくてもいいから……」とも。
私はすなおに、同意した。

・・・いつだったか、私は息子に約束した。
「初飛行のときは、飛行機に乗るよ」と。
その約束を、明日実行する。

●搭乗券

 息子が、JALの無料搭乗券を送ってきた。
が、その券では飛行機の予約はできない。
私とワイフは、割高の席を予約した。
往復で、14万円。
ファーストクラス。
(このLCCの時代に、14万円!)
LCC、つまりロー・コスト・キャリアー。
欧米では、ばあいによっては、300~500円で飛行機に乗れるという。
そういう時代に、14万円!

 「高い」と思う前に、私のばあい、
「無事に帰ってこられたら、安い」と考える。
何を隠そう、私は飛行機恐怖症。
一度、飛行機事故に遭ってから、そうなってしまった。
今の今も、欠航になればよいと思う。
同時に、約束は守らねばならないという義務感。
その両者が、心の中で交互に現れては消える。

 本音を言えば、どちらでもよい。
飛行機は好きだが、今年(2010)になってからというもの、一度も空を
見あげていない。
いろいろあった。
加えて飛行機事故のニュースを聞くたびに、ヒャッとする。
そうした状態がこの先、一生、つづく。

もし欠航になったら、羽田見物をする。
羽田でも、国際線が発着するようになったという。
それを見て、明日は、そのまま帰ってくる。

●息子の初飛行

 2010年、10月xx日。
JALに入社した息子が、副機長として、初飛行をする。
羽田から那覇まで。
パイロットの世界では、「初~~」というのは、
そのつど特別な意味をもつ。

 先週、その知らせを受け取るとすぐ、飛行機の予約を入れた。
長い手紙と、10枚近い写真が、それに添えてあった。
訓練につづく訓練で、忙しかったらしい。

●初飛行

 先にも書いたが、2010年の正月以来、ほぼ11か月。
私とワイフは、一度も空を見上げたことがない。
飛行機の話もやめた。
それまでは毎日のように空を見上げていたが・・・。

 正月に事件があった。
どんな事件かは、ここには書きたくない。
一度ハガキを書いたが、返事はなかった。
無視された。
手紙ではなく、ハガキにしたのは、家族の間で秘密を作りたくなかったから。
ともかくも、その事件以来、私は苦しんだ。
ワイフも苦しんだ。

『許して忘れる』という言葉がある。
この言葉は自分以外の人には有効でも、自分に対しては、そうでない。
自分を許して、忘れることはできない。
自己嫌悪と絶望感。
……いろいろあった。

●ケリ

 そんな私がなぜ初飛行に?、と思う人がいるかもしれない。
それにはいろいろ理由がある。
ひとつには、自分の気持ちにケリをつけたかった。

息子が横浜国大を中退して、パイロットになりたいと言ったときのこと。
私は息子に夢を託した。
私も学生時代、パイロットにあこがれた。
仲がよかった先輩が、航空大学へ入学したこともある。

 が、息子が、航空大学に入学し、その夢がかなった。
息子が単独飛行で、浜松上空を横切ったときは、ワイフと二人で、
毛布を2枚つないだほどの大きな旗を作った。
黄色い旗だった。
それをワイフと2人で、空に向かって、振った。
JALに入社して、さらにその夢がかなった。
が、私の夢は、そこまで。

●私の夢

 私たちがその飛行機に乗ることは、昨日になってはじめて連絡した。
同じようにハガキで書いた。
たがいの連絡が途絶えて、10か月以上になる。
が、内緒で乗るというような、卑屈な気持ちはみじんもない。
私には私の夢があった。

息子の操縦する飛行機で、旅をする。
私の代理として、息子が操縦桿を握る。
その夢に終止符を打つために、飛行機に乗る。

私は私で夢をかなえ、あとは静かに、引き下がる。

●子離れ

 が、どうか誤解しないでほしい。
だからといって、息子との関係が壊れているとか、断絶しているとか、
そういうことではない。
(連絡は途絶えているが……。)
ワイフはいつも、こう言っている。
「自然体で考えましょう」と。

 その自然体で考えると、「どうでもよくなってしまった」。
「めんどう」という言い方のほうが、正しい。
親子の関係にも、燃え尽き症候群というのがあるのかもしれない。
その事件をきっかけに、私は燃え尽きてしまった。

 もちろん苦しんだ。
心臓に異変を感ずるほど、心を痛めた。
家にいる長男は、E(息子)を怒鳴りつけてやると暴れた。
私は私で、体中が熱くなり、眠られぬ夜が、何日もつづいた。
しかしそれも一巡すると、ここに書いたように、どうでもよくなってしまった。
もし修復するという気持ちが息子にあったとしたら、11か月というのは、
あまりにも長すぎた。
遅すぎた。

 これも子離れ。

●呪縛

 「今ね、息子や嫁さんに会っても、以前のようにすなおな気持ちで、
いらっしゃいとは言えないよ」と。
ワイフも同じような気持ちらしい。
仮に言えたとしても、そのときはそのときで、終わってしまうだろう。
長つづきしない。
やがて今のような状態に、もどる。

 悲しいというよりは、ワイフの言葉を借りるなら、「そのほうがいい」と。
「息子たちは息子たちで、私たちに構わず、幸福になればいいのよ」と。

 私は逆に、若いころから、濃密すぎるほどの親子関係、親戚関係で苦しんだ。
2年前、実兄と実母をつづいてなくし、やっとその呪縛から解放された。
そんな重圧感は、私たちの世代だけで、終わりにしたい。
もうたくさん。
こりごり。

●だれかがしなければならない仕事?

 息子から長い手紙がきたとき、チケットの予約はした。
メールはたびたび出したが、返事はなかった。
それで今回は、メールを出さなかった。
たぶん、アドレスを変えたせいではないか。
いろいろな文章が頭の中を横切ったが、手紙にはならなかった。
今さら、何をどう書けばよいのか。

 繰り返しになるが、今までもそうだったが、これからも飛行機事故の
ニュースを聞くたびに、心臓が縮むような思いをしなければならない。
危険な職業であることには、ちがいない。
が、私にこう言った人がいた。

「だれかがしなければならい仕事でしょ」と。

 そんな酷な言葉があるだろうか。
もし自分の息子だったら、そんな言葉は出てこないだろう。
たとえば自分の息子が戦場へ行ったとする。
そしてだれかに、「心配だ」と告げたとする。
で、そのだれかが、「だれかがしなければならない仕事でしょ」と。

●夢?

 夢をかなえた?

・・・今にして思えば、やはりあのとき、私は反対すべきだった。
学費の援助を止めるべきだった。
空を飛びたいという気持ちは、よくわかる。
しかし多かれ少なかれ、だれしも一度は、パイロットにあこがれる。
が、空の飛び方は、必ずしもひとつではない。
客となって、空を飛びまわるという方法もある。
またその夢がかなわなかったからといって、負け犬ということでもない。

 たとえばあの毛利氏(宇宙飛行士)は、浜松市で講演をしたとき、こう言った。
「みなさん、夢をもってください」「実現してください」と。
子ども相手の講演会だった。
「みなさん」というのは、子どもたちをさす。

 しかし自分の子どもを宇宙飛行士にしたいと願う親はいない。
もし、あなたの息子が「パイロットになりたい」と言ったら、あなたはどう思うだろうか。
「なりなさい」と言うだろうか。
「危険な仕事」というのは、それをいう。

 今回も、何人かの知人に、「息子が初飛行します」と告げた。
みな「おめでとう」とは言ってくれたが、そこまで。
それ以上のことは言わなかった。
みな、口を閉じてしまった。

●運命

 ともかくも今夜は、品川で一泊する。
早朝便で、羽田から那覇へ飛ぶ。
しかし台風。
台風14号。
このままでは明日、台風は沖縄を直撃する。
私の予想では、当時のフライトは、欠航になるはず。
大型台風のまっ只中へ、着陸を強行するパイロットは、いない。

 そう、何ごとも中途半端はいけない。
直撃なら、直撃でよい。
そのほうが、あきらめがつく。

 しかしこれも運命。
私たちはいつも無数の糸にからまれている。
今は「天候」という糸にからまれている。

●S氏

 ときどきふと、こう考える。
長生きするのも、考えもの、と。
数年前までよく仕事を手伝ってくれた、S氏という男性が亡くなった。
病院で腎透析を受けている最中に、眠るように亡くなったという。
私より、5歳も若かった。

 もし私も5年前に死んでいたら、私の周辺はもっと平和だったかもしれない。
息子たちにも、「いい親父だった」と言われているかもしれない。
それにこの先のことを考えると、私はみなに迷惑をかけることはあっても、
喜ばれることはない。
さみしい人生だが、これも運命。
無数の糸にからまれて作られた、運命。

●ケリ

 先ほど「ケリ」という言葉を使った。
この数年、私はこの言葉をよく使う。
ケリ。
いろいろなケリがある。
とくに人間関係。

 それまでモヤモヤしていたものを清算する。
きれいさっぱりにする。
それがケリ。

 最初にケリをつけたのは、山林。
30年ほど前、1人のオジが、私に山林を売りつけた。
「山師」というのは、イカサマ師の代名詞にもなっている。
オジはその山師だった。
当時としても、相場の6倍以上もの値段で売りつけた。
私はだまされているとはみじんも疑わず、その山林を買った。
間で母が仲介したこともある。

 その山林を昨年、買ったときの値段の10分の1程度で売却した。
株取引の世界でいう、「損切り」。
損をして、フンギリをつける。
いつまでも悶々としているのは、精神にも悪い。
そうでなくても、私の人生は1年ごとに短くなっていく。
 
●人間関係

 つぎに人間関係。
私はいくつかの人間関係にも、ケリをつけた。
まず「一生、つきあうことはない」という思いを、心の中で確認する。
そういう人たちから順に、ケリをつけていく。

 妥協しながら、適当につきあうという方法もないわけではない。
しかしそんな人間関係に、どれほどの意味があるというのか。
というか、私は自分の人生の中で、妥協ばかりして生きてきた。
言いたいことも言わず、したいこともしなかった。
みなによい顔だけを見せて生きてきた。
子どものころから、ずっとそうしてきた。
若いときは、働いてばかりいた。
そんな自分にケリをつける。
そのために人間関係にも、ケリをつける。

 この先、刻一刻と自分の人生は短くなっていく。
無駄にできる時間はない。
それでも私のことを悪く思うようなら、「林浩司(=私)は死んだ」と、
そう思いなおして、あきらめてほしい。

●選択
 
 もうひとつ、ここに書いておきたい。
それが「選択」。
何かの映画に出てきたセリフである。
「私の人生はいつも、選択だった」と。

 いくら私は私と叫んでも、毎日が、その選択。
「私」など、どこにもない。
Aの道へ行くにも、Bの道へ行くにも、選択。
選択を強いられる。
そこでその映画の主人公は、こう叫ぶ。
「もう選択するのは、いやだア!」と。

 この言葉を反対側から解釈すると、「私は私でいたい」という意味になる。
つまり先に書いた、「ケリ」と同じ。
私が言う「運命論」は、その「選択論」に通ずる。
私たちは大きな運命の中で、こまかい選択をしながら生きている。
その選択をするのも、疲れた。

●孤独

 たまたま今朝も書いたが、この先、独居老人ならぬ「無縁老人」が、どんどんと
ふえるという。
私もその1人。

 しかし誤解しないでほしい。
無縁は、たしかに孤独。
しかし「有縁」だからといって、孤独が癒されるということではない。
世界の賢者は、口をそろえてこう言う。
老齢期に入ったら、相手を選び、深く、濃密につきあえ、と。
あるいはこう教えてくれた友人(私と同年齢)もいた。

 「林さん(=私)、酒を飲むと孤独が癒されるといいますがね、あれはウソですよ。
そのときは孤独であることを忘れますがね、そのあと、ドカッとその数倍もの
孤独感が襲ってきますよ」と。

 人間関係も同じ。
心の通じない人と、無駄な交際をいくら重ねても、効果は一時的。
そのときは孤独であることを、忘れることはできる。
しかしそのあと、その数倍もの孤独感がまとめて襲ってくる。
私も、そういう経験を、すでに何度かしている。

●親子関係

 そこで問題。
よき親子関係には、孤独を癒す力があるか否か。
答は当然、「YES」ということになる。
人は、その親子関係を作るために、子育てをする。
が、このことには二面性がある。

 私は私の親に対して、よい息子(娘)であったかどうかという一面。
もうひとつは、私という親は、息子(娘)に対して、よい親であったかという一面。
私を中心に、前に親がいて、うしろに子どもがいる。
実際には、よき親子関係を築いている親子など、さがさなければならないほど、少ない。
が、今、子育てに夢中になっている親には、それがわからない。

 「私だけはだいじょうぶ」
「うちの子にかぎって……」と。
幻想に幻想を塗り重ねて、その幻想にしがみついて生きている。
が、子どもが思春期を迎えるあたりから、親子の間に亀裂が入るようになる。
それがそのまま、たいていのばあい、断絶へとつながっていく。

 それともあなたは自分の親とよい人間関係を築いているだろうか。
「私はそうだ」と思う人もいるかもしれない。
が、ひょっとしたら、そう思っているのは、あなただけかもしれない。

●品川のホテルで

 ホテルへ着くと、私はすぐ睡眠導入剤を口に入れた。
睡眠薬ともちがう。
ドクターは、「熟睡剤」と言う。
朝方に効く薬らしい。
早朝覚醒を防ぐ薬という。
それをのむと、明け方までぐっすりと眠られる。
が、午前5時前に目が覚めてしまった。

 ……このつづきは、またあとで。

●宿命的な欠陥

 話はそれる。

 これは現代社会が宿命的にもつ欠陥なのかもしれない。
私たちは古い着物を脱ぎ捨て、ジーンズをはくようになった。
便利で合理的な社会にはなったが、そのかわり、日本人が昔からもっていた温もりを
失ってしまった。

 こんな例が適切かどうかはわからない。
が、こんな例で考えてみる。

 私が子どものころは、町の祭りにしても、旅行会にしても、個々の商店主がそれを
主導した。
どこの町にも、そうした商店街が並んでいた。
近所どうしが、濃密なコミュニティーをつくり、助けあっていた。

 が、今は、大型ショッピングセンターができ、街の商店街を、駆逐してしまった。
こうこうと光り輝く、ショッピングセンター。
山のように積まれたモノ、モノ、モノ。
そこを歩く華やかな人々。
ファッショナブルな商品。 

 しかしそういう世界からは、温もりは生まれない。
わたしはそれを、現代社会が宿命的にもつ「欠陥」と考える。
当然のことながら、親子関係も、大きく変わった。

●私の時代

 何度も書くが、私は結婚する前から、収入の約半分を実家へ、送っていた。
ワイフと結婚するときも、それを条件とした。
当時の若者としては、けっして珍しいことではなかった。
集団就職という言葉も、まだ残っていた。

が、今の若い人たちに、こんな話をしても、だれも信じない。
私の息子たちですら、信じない。
そんなことを口にしようものなら、反対に、「パパは、ぼくたちにも同じことを
しろと言っているのか」と、やり返される。

 実際に、そんなことを言ったことはないが、返事は容易に想像できる。
だから言わない。
言っても、無駄。

 が、今はそれが逆転している。
親が子どものめんどうをみる時代になった。
なったというよりは、私たちが、そういう時代にしてしまった。
飽食と少子化。
ぜいたくと繁栄。
それが拍車をかけた。

2/2

2010-11-29 09:12:48 | 日記

●翌、10月29日

 チケットを購入し、今、11番ゲートの出発ロビーにいる。
昨夜のんだ、頭痛薬のせいと思う。
今朝から軽い吐き気。
私はミネラルウォーターを飲む。
ワイフは横でサンドイッチを食べている。

 どうやら飛行機は、定刻どおり離陸するらしい。
うしろ側にモニターがあって、飛行機の発着状況を知らせている。
今のところ「欠航」という文字は見えない。
だいじょうぶかな?
台風14号は、どうなっているのかな?

 B777は、大型飛行機。
その中でもB777-300。
日本では、最大級の飛行機。
ジャンボと呼ばれた747よりも、実際には大きいという。
風にも強いとか。

 しかしこわいものは、こわい。
この体のこわばりが、それを示している。
恐怖症による、こわばり。
体が固まっている!

●ラウンジで

 ワイフが席にもどってきた。
あれこれしゃべったあと、また席を立った。
もどると、私のシャツのシミを拭き始めた。
「白いシャツだと、目立つから……」と。

 「搭乗手続き中」の表示が出た。
那覇行き、903便。
だいじょうぶかなあ……?

●離陸

 飛行機がスポット(駐機場)を離れたとき、熱い涙が何度も、頬を流れた。
同時に息子の子ども時代の姿が、あれこれ脳裏をかすめた。
「走馬灯のように」という言い方もあるが、走馬灯とはちがう。
断片的な様子が、つぎつぎと現れては消えた。

 最初は、息子が私のひざに抱かれて笑っている姿。
生まれたときは、標準体重よりかなり小さな赤ん坊だった。
だから私は息子を、「チビ」とか、「チビ助」とか呼んでいた。
それがそのあと、「ミニ公」となり、「メミ公」というニックネームになった。

 つぎに大きなおむつをつけて、かがんでいる姿。
どこかの田舎のあぜ道で、道端を流れる水をながめている。
オタマジャクシか何かを見つけたのだろう。
息子はその中を、じっと見つめていた。

 そのメミ公が、私の身長を超えたのは、中学生になるころ。
今では180センチを超える大男になった。

 ……先ほど通路を通るとき、私たちを見つけたらしい。
左の席にいた機長が何度も、頭をさげてくれた。
私は思わず、親指を立て、OKサインを出した。

 私は、飛行機が空にあがると、息子が航空大学時代に送ってくれた学生帽を
かぶりなおした。
金糸で、それには「Hiroshi Hayashi」と縫いこんであった。

●白い雲海

 シートベルト着用のサインが消えた。
電子機器の使用が許可された。
私はパソコンを取り出した。
息子は今日から飛行時間を重ね、つぎは機長職をめざす。
いや、息子のことだから、それまでおとなしくしているとは思わない。
何かをするだろう。

 どうであれ、おそらく私はそれまでは生きていないかもしれない。
窓の外には白い雲海が広がっていた。
まぶしいほどの雲海。
台風14号の影響か、見渡す限り、雲海また雲海。
息子は毎日、こんな世界を見ながら仕事をするのだろうか。

●B777-300

 だれだったか、こう言った。
「これからは飛行機のパイロットも、バスの運転手も同じだよ」と。
しかしB777-300に乗ったら、そういう考えは吹き飛ぶ。
風格そのものがちがう。
飛行機は飛行機だが、B777-300は、さすがに大きい。
新幹線の1車両(普通車)は、90人(5人がけx18列)。
その約5~6倍の大きさということになる。
それだけの大きさの飛行機が、機長と副機長という2人の技術だけで飛ぶ。

 国際線は何10回も利用させてもらったが、そんな目で見たことは、今回が
はじめて。
それに、ここまでくるのに、つまり航空大学校に入学してから、5年半。
ANAに入社した大学の同期は、すでに1~2年前から、副機長として
飛んでいるという。

 パイロットという仕事は、そこまでの段階がたいへん。
またそのつど、感動がある。

 はじめてフライトしたとき。
はじめて単独飛行をしたとき。
はじめて双発機を飛ばしたとき。
はじめて計器飛行をしたとき。
はじめて夜間飛行をしたとき。
いつも「はじめて……」がつく。
今回は、副機長。
はじめての副機長。

●JAL

 飛行機に乗るなら、JALがよい。
けっしてひいきで書いているのではない。
訓練のきびしさそのものが、ちがう。
先ほど航空大学校の話を書いたが、卒業生でもJALに入社できたのは、3名だけ。
ANAも3名だけ。
そのあと、カルフォルニアのNAPA、下地島(しもじしま)での訓練とつづいた。

 外国のパイロットは、そこまでの訓練はしない。
退役した空軍パイロットが、そのまま民間航空機のパイロットになったりする。
会社自体は現在、ガタガタの状態。
しかしパイロットだけは、ちがう。
あるいはパイロットは全世界、同じと考えたら、大きなまちがい。
息子の訓練ぶりの話を聞きながら、私は幾度となく、そう確信した。

 みなさん、飛行機はJALにしなさい!
多少、料金が割高でも、JALにしなさい!
命は、料金で計算してはいけない。
たとえば中国の航空会社は、少しの悪天候でも、つぎつぎと欠航する。
夜間飛行(=計器飛行)もロクのできないようなパイロットが、国際線を
操縦している。
数年前、韓国の釜山で墜落した飛行機もそうだった。
パイロットには夜間飛行の経験がなかったという。
だからそうなる。

●アナウンス

 先ほど、息子がフライトの案内をした。
早口で、ややオーストラリア英語なまり(単語の末尾をカットするような英語)でも
話した。

 この原稿は息子にあとで送るため、気がついた点を書いてみたい。

(1)もう少し、低い声で、ゆっくりと話したらよい。
(2)「タービュランス(乱気流)」という単語が、聞きづらかった。
(3)こうした案内は、「Ladies & Gentlemen」ではじめ、必ず終わりに、「Thank you」
でしめくくる。

 早口だと、乗客が不安になる?
静かで落ち着いた口調だと、もっと安心する。
とくに今日は、台風14号の上空を飛ぶ。

●沖縄

 いつもそうだが、飛行機恐怖症といっても、飛行機に乗っている間は、だいじょうぶ。
離陸前、着陸時に緊張する。
それに先方の出先で不眠症になってしまう。
今回も、おとといの夜くらいから不眠症に悩まされた。

 今夜は沖縄でも、ハイクラスのホテルに泊まる。
ワイフが料金を心配していたが、私はこう言った。
「14万円もかけていくんだぞ。ビジネスホテルには泊まれない」と。

 1泊2日の旅行(?)だが、行きたいところは決まっている。
数か月前、沖縄に行ってきた義兄が、「こことここは行ってこい」と、あれこれ
教えてくれた。
そのひとつが、水族館。
ほかにショーを見せながら夕食を食べさせてくれるところがあるそうだ。
ワイフは、そこへ行きたいと言っている。

●オーストラリア

 飛行機に乗る前は、「家族もろとも、あの世行き」と考えていた。
しかしまだまだ死ねない。
やりたいことが山のようにある。
それにまだ若い。 
ハハハ。
まだ若い。

 ……今、ふと、オーストラリアに向かって旅だったときのことを思い出した。
離陸するとすぐ、BGMが流れ始めた。
その曲が、「♪アラウンド・ザ・ワールド」だった。
私はその曲を耳にしたとき、誇らしくて、胸が張り裂けそうになった。
1970年の3月。
大阪万博の始まる直前。
その日、私はオーストラリアのメルボルンへと旅立った。

 ……しかしどうしてそんなことを思い出したのだろう。
あのときもJALだった。
機種はDC-8。
香港、マニラと、2度も給油を重ねた。
つばさの赤い日の丸を見ながら、私は心底、日本人であることを誇らしく思った。

●台風

 再び息子が案内した。
「台風の上を通過するから、シートベルトを10分ほど着用するように」と。
とたん、飛行機が揺れ始めた。

 息子は英語で、「about ten minutes」と言ったが、こういうときオーストラリア
人なら、「approximately ten minutes言うのになあ」と思った。
どうでもよいことだが……。

息子はアデレードのフリンダース大学で、8か月を過ごしている。
オーストラリアなまりでは、「about」も、「アビャウツ」というような発音をする。
どうでもよいことだが、息子の英語は、どこか日本語英語臭い。
いつだったか、そんな英語で管制官に通ずるのかと聞いたことがある。
それに答えて、息子はこう言った。
「へたに外国なまりの英語を話すと、かえって通じないよ」と。

 そう言えば、こんな笑い話がある。

 たまたま息子が単独飛行を成功させたときのこと。
録音テープが送られてきた。
息子と管制官とのやり取りが録音されていた。
そのときたまたま二男の嫁(アメリカ人)と妹(アメリカ人)が私の家にいた。
そのテープを2人が何度も聴いてくれた。
が、そのあとこう言った。
「何を言っているか、まったくわからない」と。

 私には、よくわかる英語だったが……。

 息子も、こうした機内では、思い切って、オーストラリアなまりでもよいから、
外国調の英語を話したほうがよい。
そのほうが外人の乗客たちは安心する。

 ……こういう飛行機の中では、いろいろな思いがつぎからつぎへと出てきては消える。
やっと少し、気持ちが落ち着いてきた。
イヤフォンを取り出して、音楽を聴く。

●思い出

 あれから40年。
またそんなことを考え始めた。
羽田からシドニーまで。
往復の料金が、42、3万円の時代だった。
大卒の初任給がやっと5万円を超えた時代である。

 このところいつもそうだが、こうして過去のある時点を思い浮かべると、
その間の記憶がカットされてしまう。
あのときが「入り口」なら、今は「出口」。
部屋に入ったと思ったとたん、出口。
過去のできごとを思い出すたびに、そうなる。

 「これが私の人生だった」と、またまたジジ臭いことを考えてしまう。
白い雲海をながめていると、人生の終着点が近いことを知る。
ワイフには話さなかったが、今朝も、起きたとき足がもつれた。
自分の足なのに、その足に自信がもてなくなった。
40年前には、考えもしなかったことだ。

●機内で

 右横にワイフ。
いろいろあったが、機内で「死ぬときもいっしょだね」と言うと、うれしそうに、
「そうね」と言ってくれた。
がんこで、カタブツで、男勝りのワイフだが、はじめてそう言った。

 が、総合点をつけるなら、ほどほどの合格点。
何よりも健康で、ここまでやってこられた。
たいしたぜいたくはできなかったが、いくつかの夢は実現できた。
山荘をもったのも、そのひとつ。
やり残したことがあるとすれば、……というか、後悔しているのは、何人かの友と、
生き別れたこと。
とくにオーストラリア人のP君。
一度、謝罪の長い手紙を書いたが、返事はなかった。
そのままになってしまった。

 P君は生きているだろうか。
元気だろうか。

 ……どうして今、そんなことを考えるのだろう?
白い雲海が、どこまでもつづく白い雲海が、私をして天国にいるような気分にさせる。

●息子へ 

 私は約束を果たした。
同時に私のかわりに、私の夢をかなえてくれた、お前に感謝する。
長い年月だった。
あの山本さんと夢を語りあってから、43年。
山本さんは、JALの副機長として、ニューデリー沖の墜落事故で帰らぬ人となった。
いつか、お前も、インドへ飛ぶことがあるだろう。
そのときは、そこで最高の着陸をしてみてほしい。
最高の着陸だ。

 いつかお前が言ったように、そよ風に乗るように、着地音もなく静かに着陸。
逆噴射が止まったとき、飛行機は滑るようにランウェイを走り始める。
そんな着陸だ。
楽しみにしている。

●気流

 やはり気流がかなり悪いようだ。
下を向いてパソコンにキーボードを叩いていると、目が回るような感じになる。
飛行機はガタガタと小刻みに揺れている。
先ほどのアナウンスによれば、ちょうど今ごろ、台風の真上を通過中とのこと。
体では感じないが、かなり上下にも揺れているらしい。

 もうすぐ飛行機は那覇空港に到着。
電子機器の使用は禁止になった。
では、またあとで……。

●10月30日、那覇空港出発ロビー

 昨日は、那覇空港を出ると、そのまま沖縄観光に回った。
タクシーの運転手と、交渉。
貸し切りにして、1時間3000円見当という。
私は首里城。
ワイフはひめゆりの塔を希望した。

 ひめゆりの塔を先に回った。
それに気をよくしたのか、タクシーの運転手は、あちこちの戦争記念館を回り始めた。
旧海軍司令部壕、沖縄平和祈念資料館などなど。
かなりの反戦運動家とみた。
アメリカ軍の残虐行為、横暴さを、あれこれ話した。
「自粛なんてとんでもない。大規模なデモをしたりすると、その直後から、アメリカは
わざと大型の戦闘機を地上スレスレに飛ばすんだよ」と。

 沖縄の現状は、沖縄へ来てみないとわからない。
いかに沖縄が、日本人(ヤマトンチュー)の犠牲になっているか、それがよくわかる。
……というか、4時間近く運転手の話を聞いているうちに、私はすっかり洗脳されて
しまったようだ。

 「沖縄戦は悲惨なものだったかもしれませんが、問題は、ではなぜそこまで悲惨なもの
になったか、です。ぼくは、そこまでアメリカ軍を追い込んだ日本軍にも責任があると
思います」と。
運転手はさらに気をよくして、「そうだ、そうだ」と言った。
沖縄では、「反日」という言葉を使えない。
「反米」という。
しかしその実態は、「反日」と考えてよい。

 中国人や韓国人が内にかかえる、反日感情とどこか似ている。
「私たちは日本人」という意識が、本土の日本人より、はるかに希薄。
1人のタクシーの運転手だけの話で、そう決めてしまうのは危険なことかもしれない。
が、私は、そう感じた。


(次号へつづく)


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●朝鮮日報紙にみる反日記事

2010-11-28 17:22:18 | 日記
【朝鮮日報・ソウル本社編集部御中】조선 일보 편집부 귀중

●韓国・朝鮮日報・東京=辛貞録(シン・ジョンロク)氏へ

●勝手に日本人の心を翻訳しないでほしい!

조선 일보 편집부 귀중

일본인의 마음을, 여하튼 마음대로 번역하지 원한다.

++++++++++++++++++++

朝鮮日報・11月28日付けの記事を読んで、
またまた驚いた。
見出しには、こうある。
『北朝鮮砲撃:「韓国軍は意外と弱い」』と。
あたかも産経新聞がそう報じたかのように、
(というより、産経新聞がそう報じたと)、
書いてある。

しかし産経新聞のどこを読んでも、そんな
ことは一行も書いてない。
念のため、産経新聞がどう報じたか、朝鮮
日報の記事の中から、そのまま拾ってみる。
みなさんも注意深く、読んでみてほしい。

조선 일보 11 월 28 일자 기사를 읽고, 또 다시 놀랐다.
제목은 이렇게이다.
'북한 포격 : "한국군은 의외로 약한"'와 마치 산케이 신문이
이렇게 보도했다 것처럼 (라기보다, 산케이 신문이 이렇게 보도했다고)
써있다.

그러나 산케이 신문의 어디를 읽어도, 그런 것은 일행도 백지.
그냥, 산케이 신문이 어떻게 보도했는지, 조선 일보의 기사 중에서
그대로 주워 본다.
여러분도 주의깊게 읽어 보면 좋겠다.

++++++++++++++++++++

+++++++以下、朝鮮日報の記事より+++++++++

 産経新聞は26日付で、「韓国、自走砲の半数故障」「最前線弱体化、国防相が引責」という内容の記事を掲載した。

 産経新聞ソウル支局の黒田勝弘支局長はこの記事で、「北朝鮮軍はロケット砲まで動員したが、韓国軍の長距離砲は半分が故障などの理由で十分な反撃ができなかった」「周辺の海岸一帯に軍団規模の兵力数万人を配備している北朝鮮に対し、韓国軍は海兵隊約5000人など旅団規模で、しかも縮小計画が進められていた」などと、現地の状況について紹介した。

 黒田氏は、「南北間で衝突が繰り返されてきた最前線であるにもかかわらず、韓国軍の戦力低下が明らかになった」という趣旨の指摘も行った。

 さらに、「韓国軍の最大の問題点は、今回の砲撃が(哨戒艦『天安』が沈没した)最前線で起こったにもかかわらず、相手の攻撃に対する備えが改善されていなかった点」と前置きした上で、このように最近になって韓国軍の戦力が低下していることについて、韓国国内では、「太陽政策を行った金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)両政権の10年間に急速に(戦力低下が)進んだ」との見方が支配的と話している。

 一方、毎日新聞は砲撃が行われた23日の平壌の様子について、現地に滞在していたある在日朝鮮人の発言を引用して紹介した。北京発のこの記事で同紙は、「先制攻撃を受けたため、それに厳しく反撃し、大勝利を得た、と(北朝鮮では)誰もが口にしている」と報じている。
東京=辛貞録(シン・ジョンロク)特派員

+++++++以上、朝鮮日報の記事より+++++++++

●敵意のねつ造

 産経新聞の記事を読んでもらえただろうか。
「韓国軍は意外と弱い」などという、どこか蔑視的な表現はどこにもない。
「韓国軍は意外と弱い」と感じているのは、特派員自身ということになる。

 自分自身(=特派員自身)が意外と弱いと思っているので、「相手(=日本)も、
そう思っているにちがいない」と思い込む。
思い込んだ上で、「日本人は、韓国軍は意外と弱いと思っている」という記事を書く。

こういうのを心理学の世界では、「投影」という言葉を使って説明する。
たとえばあなたがAさんならAさんを嫌っているとする。
そういうとき自分を正当化するために、Aさんが私を嫌っていると先に思い込む。
思い込んだ上で、「私がAさんを嫌いなのは、Aさんが私を嫌っているから」と
決めつける。

 先月(2010年10月)は、「日本各紙は打倒韓国をめざし、云々」という
記事が載った。
そこで調べてみたが、産経新聞も経済新聞も、そのほかの大新聞も、「打倒韓国」などと
いう言葉はどこにも使っていないことがわかった。
筆者自身(=私自身)が、しっかりと調べたから、まちがいない。

 このときも記者個人の被害妄想が、「打倒韓国」という言葉を生みだした。
が、韓国国内の読者には、それがわからない。
「日本人は、韓国は意外と弱いと思っている」とか、あるいは、「打倒韓国をめざして
韓国に挑戦してきている」とか思う。
思った上で、「日本人め!」と、なる。
これは一特派員の妄想では、すまない話である。

●2007年の11月に書いた原稿より

+++++++++++++++++++

こうした妄想による日本人の心のねつ造は
今に始まったことではない。
2007年の11月に書いた原稿を、そのまま
再掲載する。

+++++++++++++++++++

●日韓関係(Japan and Korea)

Even in the small column in a newspaper we can feel their hostility against Japan. According to the Chuo-N, the leading Korean Newspaper, Japanese companies have united together to fight agaist Korea but all of them is false, written with persecution mania. You will know what it is if you read this:

 この原稿がマガジンで配信されるころには、韓国では、新大統領が誕生しているはず。現在の予想では、ハンナラ党の、I氏が最有力候補だが、何が起こるかわからないのが韓国。先の金大中前大統領も、現在のN大統領も、ハプニング的に、大統領になった。

 が、ハンナラ党のI氏だから、日韓関係が改善すると考えるのは、早計である。韓国人の対日感情には、常に、2面性がある。(あこがれ)と(憎しみ)、この2つが同時にウズを巻いている。そのつど、このどちらかが、表に顔を出す。

 たとえばつぎのコラムを読んでみてほしい。これは韓国の中央N報(12月11日版)に載った記事である。経済記事だが、中央N報という、韓国第一の新聞社でも、こうした記事を堂々と掲載している。

++++++++++以下、転載

日本経済産業新聞は、最近、日本の半導体メーカーのある幹部の発言を引用、「機密費波紋でS星が“経営空白”危機に陥った」と報道した。この新聞はまた、他の半導体市場分析家の話を引用し「新製品の買い替え時期が早い半導体特性上、投資延期は致命的損失はもちろん、国際競争から追い出される原因となる」と分析した。

同新聞は今回の事態を通じて日本の半導体メーカーが起死回生するチャンスに期待していると報道した。日本の半導体メーカーのある関係者は「(S星を除いた)主要半導体会社が大幅の赤字に苦しんでいるが、S星の投資が延期になればDRAM半導体需給が一時的に支障を来たし、価格上昇の要因となることがある」と述べた。

S星追い討ちのための連合戦線を形成した日本半導体メーカーが「相手の不幸は私の幸せ」という本音を表したのだ。

米国調査会社であるアイサプライによるとDRAMはS星電子が今年の7~9月、世界市場シェア27・7%で1位となった。現在DRAMは供給過剰状態で、一部主力製品は1個当たり0・8~0・9ドルで6年ぶりに1ドルを下回っている。

日本で「S星叩き」はあちこちで目撃されている。日本のoh my newsは「S星が揺れるだけで終わるのか、それとも完全に崩れるのか。日本でも注目してみる価値は十分ありそうだ。」と報道した。

産経新聞は先月、S星電子が日本家電製品市場から一部撤収すると「安物というイメージから脱することができなかった」と報道している。

S星に対する虚偽の主張が書かれた本も出回っており「S星電子は国内で営業利益の87・2%をあげ、国外は12・8%にすぎない」と主張した。国外市場で安く売りながら国内市場で利益を搾取しているという、事実とは正反対に歪曲した内容を記している。

++++++++++以上、転載

 私は、この記事を読んだあと、「日本経済産業新聞」の中で、ほんとうにそんなことを書いているのか、たしかめてみた。

 まず、「日本経済産業新聞」というのは、「日経産業新聞」のことであることがわかった。しかしここ数日分の記事にざっと目を通してみたが、私が読んだ範囲では、その記事は、見あたらなかった。

 それはそれとして、この記事を、もう一度、整理してみよう。

(1) 機密費波紋でS星が“経営空白”危機に陥った」と報道した。
(2) この新聞はまた、他の半導体市場分析家の話を引用し「新製品の買い替え時期が早い半導体特性上、投資延期は致命的損失はもちろん、国際競争から追い出される原因となる」と分析した。

 朝鮮N報という大新聞社が、S星という一会社の、そのまた一商品について、ここまで肩入れした記事を書くということのおかしさ、最初に、それに気づいてほしい。

 その上で、この記事を読みなおしてみる。が、この日本側の記事は、当然のことを、客観的に書いただけで、どこにも反韓的なニュアンスは、ない。

 が、つづくつぎの部分では、「同新聞は今回の事態を通じて日本の半導体メーカーが起死回生するチャンスに期待していると報道した」とある。やや反韓的かな思えなくもないが、「決死回生」は、オーバー。ここ数年、シェアこそ、韓国製、台湾製に押されているが、死んでいるわけではない。

 むしろ、(3)。「(S星を除いた)主要半導体会社が大幅の赤字に苦しんでいるが、S星の投資が延期になればDRAM半導体需給が一時的に支障を来たし、価格上昇の要因となることがある」と、価格上昇を心配していると、韓国側にむしろ好意的な意見を述べている。さらに言えば、日本側は、価格の高騰を心配しているのであって、それを喜んでいるのではない。

 が、ここから先、例によって例のごとく、韓国独特の(ひがみ節)が始まる。ウソと被害妄想、それらがごちゃまぜになる。

(4)S星追い討ちのための連合戦線を形成した日本半導体メーカーが「相手の不幸は私の幸せ」という本音を表したのだ、と。

 「相手の不幸は、私の幸せ」とは、日本側は、だれも言っていない。(そう思う人はいるかもしれないが……。)「本音」というのは、そのまま、彼ら自身の「妄想」と考えてよい。

 そしてその妄想を、「S星たたき」と結びつける。いわく、

(5) 日本で「S星叩き」はあちこちで目撃されている。日本のoh my newsは「S星が揺れるだけで終わるのか、それとも完全に崩れるのか。日本でも注目してみる価値は十分ありそうだ。」と報道した。

 「ohmynews」の記事を読んでも、みなさんもわかるように、どこにも、「S星叩き」のニュアンスはない。どうしてこの記事が、S星叩きになるのか? 「ohmynews」は、ただ「S星が揺れるだけで終わるのか、それとも完全に崩れるのか。日本でも注目してみる価値は十分ありそうだ」と書いているだけである。

 が、さらに、こうつづける。

(6) 産経新聞は先月、S星電子が日本家電製品市場から一部撤収すると、「安物というイメージから脱することができなかった」と報道している。 

 この部分については、私はこの記事を読んだ記憶がある。しかしこれについても、何も日本の消費者が、韓国製品を閉め出したというわけではない。この記事で気になるのは、「一部撤収すると」という部分。勝手に、「一部」という文言を、加筆している。

 私が読んだ記事では、「家電製品市場から全面撤退」とあった。それが「一部撤収すると」となる。この記事を読んだ韓国の一般市民たちは、あたかも日本人が、撤収したのを喜んでいるかのような印象を受けるだろう。つまり、それこそが、朝鮮N報のねらいということになる。

 が、最大のウソは、つぎの部分。

(7) S星追い討ちのための連合戦線を形成した日本半導体メーカー

 自意識も、ここまで過剰になると、「?」。とてもついていけない。日本が、「 S星追い討ちのための連合戦線を形成した」だと!

 悲しいかな、韓国の製造器機のほとんどは、(一説によれば、携帯電話にしても、80%)、日本製である。つまり韓国は、この日本から製造器機を輸入し、それでもって、いろいろな製品を製造している。輸出している。半導体にしても、日本は、現在は、台湾やマレーシアに生産拠点を移し、そこで生産している。

 いつ日本は、「 S星追い討ちのための連合戦線を形成した」のか? 記事の根拠は、どこにあるのか。それこそまさに、カルテル。事実なら、大事件!

仮にそうであっても、そんなことを口にする人はいない。被害妄想も、ここにきわまれりといった感じすらもつ。繰りかえすが、韓国の一会社の、一製品を、追い討ちするために、連合戦線を形成しなければならないほど、日本の企業連合は、まだ落ちぶれていない。さらに、まだある。

(8)S星に対する虚偽の主張が書かれた本も出回っており「S星電子は国内で営業利益の87.2%をあげ、国外は12.8%にすぎない」と主張した。国外市場で安く売りながら国内市場で利益を搾取しているという、事実とは正反対に歪曲した内容を記している。

 この「87・2%」「12・8%」という数字は、朝鮮N報(05年、5月18日付)に出ていた数字で、ウソでも何でもない。「事実とは正反対に歪曲した内容を記している」というくらいなら、朝鮮N報のほうへ、抗議でも何でもしたらよい。

 つまり韓国の国策企業は、韓国内で高く売り、利益をあげている。一方、外国では安く売り、シェアを伸ばしている。

 たとえば自動車にしても、現在、韓国製の自動車は、アメリカなどでは、ダンピング価格で売られている。一方、韓国国内では、ここにあげた数字程度の利益幅を見込んで売られている。たとえば韓国の「グレンジャー」(現代自動車)は、韓国内では、480万円前後で売られている。同じ車が、アメリカでは、300万円前後。価格差は、全体的に、100~150万円程度となっている。

 こういう記事を分析してみると、韓国の人たちが日本人の私たちのもつ憎悪の念には、相当なものがあるということがわかる。この憎悪の念は、私が韓国に渡った1967年以来、ほとんど変わっていない。

 だから仮にハンナラ党のI氏が大統領になったところで、彼らの反日姿勢がすぐに変化するとは、とても思われない。現在のN大統領ほどではないにしても、日本人の私たちとしては、警戒したらよい。

 がんばれ、日本! 負けるな、日本! しばらく新大統領が、どのような行動に出るか、様子を見て、このつづきを書いてみたい。

●東京=辛貞録(シン・ジョンロク)特派員へ

 どうか「事実」を韓国へ報道してほしい。
貴君たちが日本を嫌い、日本に、はげしいライバル心をもっているのは、よく理解できる。
が、だからといって、日本人の私たちが、貴君たちに同じような感情をもっているという
前提で、このようなウソ記事を、捏造しないでほしい。

 被害者意識と妄想。
嫉妬と羨望。
こういったものが、貴君たちの心をかなりゆがめている。
そのひとつが、貴君の母国が打ち上げた、気象衛星。
それを報道するとき、貴君たちは、自社の新聞に何と書いた?
覚えているか?
『これで日本の世話にならなくてすむ』と。

 今までさんざん世話になっておきながら、こんな書き方はない。
日本流に言えば、「一言、礼があってもおかしくない」。
どうして貴君たちは、すなおな気持ちで、「今まで、日本のみなさん、ありがとう」
と書けないのか。
その(書けない)部分、つまりなぜ書けないかを、もう少していねいに、分析して
みてほしい。
貴君たちのゆがんだ精神構造が、そこに浮かびあがってくるのがわかるはず。

 今回の記事もまた同じ。
産経新聞の記者も、また私たち日本人のだれも、「韓国軍は意外と弱い」などとは、
思っていない。
不意打ちをくらえば、どこの国の軍隊だって、同じような結果を出すだろう。
そのことは産経新聞の記事の中でも、説明しているではないか。
むしろ客観的に、戦局の分析を行いながら、「しかたのないこと」というニュアンスで
記事を書いている。
「周辺の海岸一帯に軍団規模の兵力数万人を配備している北朝鮮に対し、韓国軍は
海兵隊約5000人など旅団規模で、しかも縮小計画が進められていた」と。

 貴君のような特派員がこの日本にいて、韓国の人たちの反日感情をかきたてて
いることを、たいへん残念に思う。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov.2010+++++++++はやし浩司

2/2 昼神温泉にて

2010-11-28 11:16:54 | 日記
●模擬体験

 あなたならどうするだろうか。
あと3か月の命と宣告されたら……。
病院のベッドで静かにしていれば、3か月。
しかし無理をすれば、1か月。

 「命」をこうして茶化すのはよくない。
「死」を茶化すのは、さらによくない。
しかし多くの賢人は、異口同音にみな、こう言う。
「無益に100年生きるよりも、有益に1年を生きたほうがよい」と。

 その視点に立つなら、たとえ寿命が短くなっても、無理をして
生きたほうがよい。
「無理」というのは、やるべきことをやるという意味。
人には、寿命を縮めても、やるべきことがある。
長生きすれば、それでよいというものでもない。
人生の価値は、時計では計れない。

 ……というのは考えすぎか。
それにしても、この緊張感が楽しい(?)。
今朝見た、あの悪夢にどこか似ている。
心のどこかでハラハラしている。
しかしこんな気分では、よい文章など書けない。
が、これも実験。
心の実験。
はたして私は、どんな文章を書くのだろう。

●ハラハラドキドキ

 考えてみれば、私がもっているトラウマ、つまり強迫観念は、
今の心の状態に似ている。
どんどん減っていくバッテリー。
ハラハラドキドキ。
電車に乗り遅れるとき、降り遅れるとき、そんなときも、
ハラハラドキドキ。

 こうなったら、自分の強迫観念を解剖してみてやる。
私はなぜ、毎朝、悪夢に悩まされるのか。

●強迫観念

 具体的な記憶としては残っていない。
しかし私が強迫観念をもつようになったのには、母の育児方法に
原因があった。
それを10年ほど前に知った。

 晩年、母は手乗り文鳥を飼っていた。
そのときのこと。
母は手乗り文鳥を手なづけるために、わざと文鳥に不安にしていた。
「ホラホラ、行っちゃうよ」と。
そう言いながら母は、戸の向こうに隠れる。

 そのとき文鳥は、悲しそうな声で、ピーッ、ピーッと鳴く。
それを聞き届けて、母はおもむろに戸の陰から顔を出す。
「ホラホラ……」と。
文鳥はうれしそうに、母のほうに向かって飛んでいく……。

 それを見たとき、私は遠い記憶の中で、いつも、つまり日常的に
母にそうされていたのを思い出した。
「ホラホラ……」という言葉が、鮮明に記憶の中に残っている。
つまり母は、そういう形で、一度私を不安にさせ、手なづけていた。

 幼児教育ではぜったいにしてはならない手法である。
こんなことを繰り返していたら、親子の信頼関係は、粉々に崩れる。
そればかりか、私のような強迫観念をもつようになる。

 そう言えば、どこかのバカ教授が、こんなことを書いていた。
「親子の絆(きずな)を深めるためには、遊園地などで、子どもを
わざと迷子にさせてみるとよい」と。

 この話は本当の話である。
100万部を超えるベストセラーを書いた、TKという教授である。
私はその幼児教育論を読んだとき、体中がカッと熱くなるのを覚えた。

●仲よくつきあう

 こうした強迫観念は、一度もつと、それから解放されるということは、
まずない。
今の私が、そのサンプルということになる。
私はいつも、何かに追い立てられている。
そんな観念から抜けきることができない。
だから休みが1週間もつづいたりすると、かえって気が変になってしまう。

 そういう私をワイフは、「貧乏性」という。
しかし何もお金(マネー)だけの問題ではない。
今は、「時間」。
時間がほしい。
時間が足りない。
そして今は、バッテリーが足りない。

 だから今は、あきらめ、仲よくつきあうことにしている。
強迫観念にせよ、貧乏性にせよ、なおそうと思う必要はない。
仲よくつきあう。
それが「私」と居直って生きる。

 が、今朝もワイフにこう言った。
「一度くらい、安らかに目を覚ましてみたい」と。

●バッテリー

 夕食まで、あと30分。
バッテリーは、省電力設定にしたこともあり、残り3時間15分。
夕食後は、読書。
残りの2時間45分は、明日のために残しておく。
(実際にはバッテリーの残量が10%以下になると、パソコンは勝手に
シャットダウンしてしまう。)

●夕食

 夕食は可もなく不可もなく……といったもの。
ほどよい食材で、ほどよく仕上げたという印象をもった。
(私は料理には詳しくない。
それなりにおいしければ、満足する。)
星は3つの、★★★。
あとは予算。
つまり料金で決まる。
私たちは1泊、1万5000円のコースを選んだ。

 それを食べながら、ワイフがはじめて、こう言った。
「こういう料理を食べられるなんて、感謝しているわ」と。

私「お前がそんなことを言うとは。はじめて聞いた」
ワ「そんなことないわよ。いつも感謝しているわ」
私「酔っぱらったからではないのか」
ワ「酔っぱらってないわよ」と。

 が、私はうれしかった。
最後に、梨のジュースで作ったアイスクリームを食べて、おしまい。
おいしかった。

●UFO

 どこかのバラエティ番組で、UFOの目撃番組を流していた。
中国や日本で、最近、目撃情報が相次いでいる。
その中のいくつかを紹介していた(テレビ信州「不可思議探偵団」)。

 誤解してはいけない。
UFOは現象ではなく、科学である。
霊とか魂とか、そういう類のものではなく、もっと科学的な見地から
まじめに検証すべきテーマである。
今夜紹介されたUFOは、どれも信憑(しんぴょう)性の高いものばかり。
「そういうものは存在しない」という前提ではなく、まず虚心坦懐に心を
開き、こうしたビデオの分析をしてほしい。

 私とワイフも、ある夜、巨大なUFOを目撃している。
あれを飛行機というのなら、私は自分の文筆生命をかけて、その言葉と闘う。
あれはぜったいに、飛行機ではなかった。

 ……できれば死ぬまでに、あれは何だったのか、本当のことを知りたい。

●静かな夜
  
 各部屋が広いせいか、この旅館は静か。
エアコンのかすかな風音をのぞけば、物音ひとつしない。
ワイフは、すでに横になって目を閉じている。
私は電気を消し、床の間の明かりで、パソコンを叩いている。

 満腹になったせいか、脳みその働きが鈍くなった。
そんな感じがする。
いつもならつぎつぎと書きたいテーマが浮かんでくる。
が、今はそれがない。
ぼんやりと床の間に目をやる。
銅の置物と、和紙を使ったランタンが目にとまる。
それなりに価値のあるものらしい。
気温は25度。
エアコンの設定温度である。

 ふと、明日のことを考える。
朝市は朝6時から、とか。
風呂は24時間入れる、とか。
朝食は、朝8時に設定してもらった、などなど。

 たった今、精神安定剤のSを半分に割ってのんだところ。
睡眠薬がわりにのんでいる。
そのうち眠くなるだろう。

●感謝

 こういう旅館に泊まれる。
おいしい料理が食べられる。
考えてみれば、こんな幸運なことはない。
そんな私が、不平不満ばかり、口にしている。
どうしてだろう。

 振り返っても、私は幸運だった。
健康にも恵まれた。
仕事も順調だった。
いつだったか田丸謙二先生が、こう言った。
「日本はいい国じゃ、ありませんか」と。
この年齢になって、はじめて、その意味がわかった。
日本はよい国だった。
今もよい国だ。
私は戦争を経験することもなく、今まで生きてこられた。
たいしたぜいたくはできなかったが、お金に困ったこともなかった。
私のような人間が感謝しなくて、だれが感謝する。

 「感謝」というのは、充足感をかみしめ、それに満足すること。
が、それだけでは足りない。
その満足感を、別のだれかに還元していく。
その気持ちをもって、はじめて「感謝」となる。

●就寝

 さて眠る時刻になった。
午後9時10分。
二男はアメリカで元気にやっているだろうか。
三男は東京で元気にやっているだろうか。
年々、疎遠になっていくばかり。
つまり私たちは、こうしてあの世へ行く準備を重ねる。
いつ死んでも、息子たちを悲しませることがないよう、息子たちの
脳の中から、私の記憶を消していく。
それが「準備」。
「パパは死んだよ」「ああ、そう」と。
それでよい。

 何となくセンチメンタルな話になってしまった。
こういう文章は、私らしくない。
これもこうした旅館に泊まっているせいかもしれない。
静かな夜は、心も静かになる。
同時に見えないものまで、見えてくる。

 穏やかな心。
やすらいだ心。
ザワザワとした雑音も消え、そこはまさに静寂の世界。
昔なら、山奥の、そのまた山奥の温泉卿。
その温泉のひとつで、私は今日という一日を過ごした。

 みなさん、ありがとう。
そしておやすみ。
(はやし浩司 2010-11-15)

●午前2時46分

 昨夜遅く、ワイフが食べたものを吐いてしまった。
「ビールを飲みすぎた」と。
若いころは、私よりずっと酒に強かった。
そのワイフが吐いてしまった。

 しばらくトイレの中で、うずくまっていた。
が、出てくると、「もうだいじょうぶ」と。
そう言いながら、気がつくと、もうふとんをかぶって眠っていた。
ワイフがものを吐いたのは、何年ぶりのことか。
たった今、ワイフが体を動かしたので、声をかけた。
やはり「もう、だいじょうぶ」と言った。

 時計を見ると、午前2時46分だった。

●18%

 1秒も休んでおられない。
バッテリーは、18%、1時間8分を切った。
このTOSHIBAのMXは、バッテリーを満タンにすれば、
10時間以上はもつ。
おかげで何とか今まで、こうして文章を書くことができた。
しかしもう長くは、もたない。
あと1時間。
その1時間で、何を書くか。
無駄なことは書きたくない。

●寿命

 もしあなたの命は、あと1時間しかないと言われたら、あなたは
何を書くだろうか。
あと1時間で、船が沈む。
あるいは宇宙船が爆発する。
そんなとき、何を書くだろうか。

 内容はどうしても遺書めいたものになるだろう。
みんな、ありがとうとか、さようならとか。
しかし何を書き残すかととなると、話は別。
頭の中が混乱していて、どうも考えがまとまらない。

 が、何も今の状況で、うしろ向きになることはない。
前向きに考えればよい。
これからの抱負でもよい。
そう、抱負がよい。

 夢や希望がないわけではない。
たとえば昨日、ヤフーで、「“はやし浩司”」を検索してみた。
「“」「”」ではさむと、「はやし浩司」のみを検索できる。
はさまないと、「はやし」でも、「浩司」でも、さらに「浩」
だけでも検索されてしまう。

 で、「“はやし浩司”」で検索してみたら、20万件を超えていた。
(「はやし浩司」だけで検索すると、50万件近くもあった。)
つまりそれだけ多くの人たちが、何らかの形で、私の文章に
興味をもってくれているということ。
もちろんみながみな、好意的な人とはかぎらない。
中には、興味本位、あるいは悪印象をもっている人も多いはず。
このところ辛辣(しんらつ)な批評も、届くようになった。

 そう、私はあえて肩書きを捨てて生きてきた。
ネットの世界では、肩書きをもっていると、検索数が多くなる。
しかし私は丸裸。
あえて丸裸。
若いころから、肩書きには背を向けて生きてきた。
今は、さらに興味がない。

 肩書きを取り去ったとき、その人はその人になる。

 先日もワイフがこう言った。
「あなたは人生のはじめに、それを知ったから、損をしたのよ」と。

●田丸謙二先生

 田丸謙二先生に学生時代に会うことができたのは、私は生涯の幸運と確信して
いる。
その田丸謙二先生はすでにそのとき、いくつかの肩書き(地位、名誉)をもって
いた。
それを知ったとき、「この先生には、かなわない」「だったら、ぼくは一生、肩書き
なしで生きてやろう」と。
そう自分に誓った。
その結果が今。

「むしろ自ら、たいへんな道を選んでしまったのよ」と、ワイフはよく言う。
そうかもしれない。
しかし今にしてみると、丸裸でよかった。
私を飾るものは、何もない。
私を飾るのは、どこまでいっても、私のみ。

 地位や名誉などといったものは、順送りにバトンタッチされる。
あなたがいなければ、べつのだれかが「あなた」になる。
肩書きについては、さらにそうだ。
私は私の人生を生きることができた。
言い換えると、私に命令できる人は、だれもいない。
たとえば今の仕事(?)にしても、私を解雇できる人は、だれもいない。
不安定で、おぼつかない人生だったが、航海にたとえるなら、大海原を
小さなヨットで横切ったようなもの。

 航跡は細くて小さいが、それはまぎれもなく私の航跡ということになる。
それに今さらそうした人生を変えることはできない。
このまま、私は死ぬまで、生きていく。
結果は気にしない。
おそらく死ぬと同時に、私はこの世界から消える。
今、こうして書いている文章にしても、死後1年はもたないだろう。
この世界は、「金の切れ目は縁の切れ目」。
プロバイダーへの送金が止まれば、HPも廃止される。
無料のHPサービスにしても、「3か月以上~~」という条件を
つけているところが多い。
電子マガジンにしても、「3か月以上発行していないときは、廃刊する」と
ある(規約)。

 が、だからといって、「本」という書籍がよいというのではない。
これからは電子書籍の時代。
何らかの形で、死後も文章として生き残る方法はないものか。

●墓石

 ひとつの希望は、二男にその一部を依頼すること。
二男はコンピューター・プログラマーをしている。
コンピューターのプロ。
現在はアメリカのIU(インディアナ大学)で、コンピューター
技師をしている。
自分で個人のプロバイダーを運営していたこともある。
二男に頼めば、道が開けるかもしれない。
あとでこの原稿を送ってみる。

 つまりそれが私の墓石ということになる。
死んだあと、息子たちに残す、墓石ということになる。

●13%、59分

 バッテリーがいよいよ13%を切った。
人生をこのパソコンにたとえるなら、平均寿命を80歳として、
63歳という年齢は、63÷80で、約0・8=80%ということになる。
つまり私はすでに80%の人生を終えた。
残り20%。

 が、実際には最後の10%は、病魔との闘い。
だから13%というのは、私の残りの健康寿命と同じ。
ハラハラドキドキ。
そのうちこのパソコンはこう表示するはず。
「バッテリーの残量が10%を切りました。
ファイルを保存して、シャットアウトしてください」と。

 年齢にたとえると、72歳くらいか。
「人生の総まとめをして、死への準備をしてください」と。
「13%」という数字は、そういう数字。

 が、意外と同年齢の友人たちは、のんびりと構えている。
そういう切迫性を感じさせない。
「バッテリーが13%を切った」と聞けば、だれだってあせる。
が、「人生が13%を切った」と聞いて、あせる人はいない。
どうしてだろう?

●あの世

 何度も書くが、あの世などというものは、存在しない。
釈迦だって、一言もそんなことを言っていない(法句経)。
それを言い出したのは、つまり当時それを主張していたのは、
バラモン教の連中。
仏教はやがてヒンズー教の中に組み入れられていく。
輪廻転生思想は、まさにヒンズー教のそれ。

 その上さらに、中国、日本へと伝わるうちに、偽経典が積み重ねられた。
盆供養にしても、もとはと言えば、アフガニスタンの「ウラバン」という
祭りに由来する。
それが中国に入り、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」となった。

 日本でも偽経典が作られた。
私たちが現在、「法事」と呼んでいるものは、そのほとんどが
偽経をもとに作られた。
もちろん寺の経営的な収入をふやすために、である。
(とうとう今、表示された。「残り10%」と。)

 話はそれたが、あの世はない。
あるとも、ないとも断言できないが、少なくとも私は「ない」という
前提で生きている。
死んでみて、あればもうけもの。
宝くじと同じ。
当たるかもしれない。
しかし当たらない確立のほうが、はるかに高い。
その宝くじが当たるのを前提に、土地を買ったり、家を
建てたりする人はいない。

 同じようにあるかないかわからないものをアテにして、今を
生きる人はいない。
それにもしあの世があるなら、この世で生きている意味を失う。
だから私はよく生徒たちに冗談ぽく、こう言う。

 「あの世があるなら、ぼくは早く行きたいよ。
あの世では働かなくてもいいし、それに食事もしなくていい。
空を自由に舞うことだってできる」と。

●「もうこりごり」

 そんなわけで、人生は一回ぽっきりの、一回勝負。
二度目はない。
この先、どうなるかわからない。
しかし一回で、じゅうぶん。
一回で、たくさん。
「こりごり」とまでは言わないが、それに近い。
「同じ人生を2度生きろ」と言われても、私にはできない。

 たとえば定年退職をした人に、こう聞いてみるとよい。
「あなたはもう一度、会社に入って、出世してみたいと思いますか」と。
ほとんどの人は、「NO!」と答えるはず。
あるいは、「会社人間はもうこりごり」と言うかもしれない。

●別れ

 たださみしいのは、今のワイフと別れること。
息子たちと別れること。
友人たちと別れること。
ひとりぼっちになること。
 
 そのうち足腰も弱り、満足に歩けなくなるかもしれない。
そうなったら、私はどう生きていけばよいのか。
それを支えるだけの気力は、たぶん、私にはない。
だったら今、生きて生きて、生き抜く。
今の私には、それしかない。

 さあ、もうすぐこのパソコンの寿命は切れる。
何度もコントロールキーと「S」キーを押す。
文章を保存する。
いよいよ晩年になったら、私は同じようなことをするだろう。
ていねいに保存を繰り返しながら、やがて「死」を迎える。

(今、電源メーターをのぞいたら、「8%、45分」と表示された。)

 あと45分!

●シャットダウン

 楽しい(?)旅行記を書くつもりだった。
が、電源コードを忘れてしまった。
今までの旅行の中でも、最高のドジ。
またまたウィンドウが現れ、「もうすぐシャットダウンします」と
表示された。

 死を迎えるときも、こんな気分か。
数分後か。
40分も、ほんとうにもつのか。
何もわからないまま、生きている。

 もっとも、電源が切れたら、朝風呂に入ってくる。
この温泉は、24時間営業。
言うなれば、そこが私の極楽浄土。

 私は善人ではない。
しかし悪人でもない。
死んだら、地獄へ行くことはないだろう。
だったら、極楽?

 親戚の連中の中には、私が三回忌をきちんとしていないから、
「浩司は地獄へ落ちる」と騒いでいるのがいる。
しかし本当のバカはどちらか。
仏教徒のくせに、経典を読んだことすらない。
儀式だけしていれば、それでよいと考えている。
少しは自分の脳みそで、ものを考えろ!

 どちらにせよ、電源が切れたら、私は温泉につかってくる。
そのあと、8時まで再び眠る。
朝市もあるということだが、今の体調では無理。
なお朝食は、いちばん遅い、8時からにしてもらった。
これは正解だった。
またチェックアウトは、10時。
バスの発車時刻は、午後2時30分。
浜松まで直行する。

 ……これで書きたいことはすべて書いた。
あとはバッテリーが切れるのを待つだけ。
寿命が尽きるのを待つだけ。

 ここの旅館は、ほんとうによい旅館だ。
料金にもよるが、この昼神温泉では、イチオシ。
なお「昼神」というのは、もともと「ヒル(虫のヒル)に
かまれた場所」ということで、「ヒル・カミ」となったそうだ。
が、それでは、どうもネーミングが悪い。
それで「昼神」になったとか。
部屋にある由来書には、そう書いてある。

 「ヒルにかまれたから、ヒル・ガミ」。
だったら、思い切って、「死神」にしてはどうか。
そのほうが今の若い人たちには受けるかもしれない。
が、これは冗談。

 まだ天気の様子はわからないが、今日は、すばらしい紅葉を
見られるはず。
カメラの用意はできている。
電子マガジンの読者のみなさんは、どうかお楽しみに。
(すでにこのことは、前にも書いた。)

●まだ……?

 どこまで書けるか。
こうなると、最後の闘い。
どこまで生き延びることができるか。
ベッドの上で、点滴を受けながら、死を待つ心境。
(おおげさかな?)

 もうすぐ電源が切れるはず。
一文書いては、保存をかける。
一文書いては、保存をかける。
この繰り返し。
何だか、悪夢を見ているような感じ。
またあのいやな気分がもどってきた。
ハラハラドキドキ。
悪夢を見ているような気分。

 考えてみれば、私の人生は、そのハラハラドキドキの連続だった。
その象徴が、今朝の今の気分。
ワイフは、「あなたは平均的な人の何倍も生きたわ」と言う。
もちろん私にはその実感はない。
あるわけがない。
私の人生は、私の人生。
そうではなく、反対に、時間が足りない。
時間がほしい。

 しかし今、ここで電源アダプターが手にはいったら、どうなる。
この緊張感が

●後記(家に帰ってから)

 先のところで画面が消えた。
今、そのつづきを、家で書く。

 ……この緊張感が、人生を濃密にする。
あの世があるということになると、その緊張感が消える。
つまり「死という限界」があるから、私たちはがんばる。

 ……ということを書きたかった。

 ほかにもいろいろ書きたいことがあるが、それはまたの機会に!
みなさん、おやすみなさい。
今日は疲れました。

 11月16日、夜、8時ごろ、長野県昼神温泉郷から帰る。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 長野県 中信 昼神温泉郷 阿智川ホテル 湯本ホテル阿智川にて
はやし浩司 2010-11ー16 日誌)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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