最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

ナスカの謎の十字架(テオティワカン、ナスカ、アンコールワットは、一直線につながっていた!)

2012-07-31 11:41:49 | 日記
【Mystery of Grand Cross in Nazca
    地球の文明は、宇宙からの人たちによって、開かれた】
    (その証拠と考察)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

これらの事実は、私、はやし浩司が、自分で調べて知り得たことです。
無断転載、無断流用は、固くお断りします。

まずつぎのビデオからご覧ください(ガイダンス用)。

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はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ナスカのGrand Cross(古代文明の謎、PART2)

Grand Cross in Nazca
【ナスカ平原に残る地上絵。その中でもひときわ目立つ十字架。この十字架の延長線上に、北は、メキシコのテオティワカン(太陽のピラミッド)があり、南は、カンボジアのアンコールワットに残るピラミッドがある。つまり(テオティワカン)ー(ナスカの十字架)ー(アンコールワット)は、真直線でつながる。この原稿では、それを証明する。
なおこの原稿中、(エジプトのギザのピラミッド)ー(ナスカの地上絵)-(イースター島)が一直線に並ぶというのは、既存の事実であり、私が発見したものではない。】
 

●ナスカの地上絵(世界遺産)

 インターネットで、「ナスカ 地上絵」で検索する。
55万件ほど、該当項目をヒットすることができる(2012年7月現在)。
その冒頭にある、「ウィキペディア百科事典」をクリックすると、最初に、つぎの写真を手に入れることができる。
「世界遺産、ナスカとフマナ平原の地上絵』というのが、それ。

Nazca Line Picture
(ウィキペディア百科事典より、世界遺産、ナスカとフマナ平原の地上絵)

 かなり上空から撮影しているため、この写真では、直線しか認識することができない。
が、その中でも、ひと際目立った直線が2本、ある。
それが、中央部やや右上に見られる「十字架」である。
(ここで、私は2本のクロスした直線を、「ナスカの十字架(Grand Cross in Bazca)」と呼ぶ。
この呼び方は、独特のもので、私のほかにそのように呼んでいる人を知らない。)

 なおこの直線は、幅200メートル前後もあり、現地で見ても、それが線であると気づくことはないという。

●ナスカの十字架

 ほかにも無数の線を見ることができるが、この2本の線は、ここにも書いたように、際立っている。
つまりかなり上空からでも、このナスカの十字架を見ることができる。

 そこでこの十字架の縦の線を、(A線、斜め左上から右下への線、長さ10キロ)とする。
横の線を(B線、斜め右上から左下への線、長さ9・2キロ)とする。
このナスカの十字架は、グーグル・アースを使っても、見ることができる。
グーグル・アースのほうでも、同じように、A線は、ほぼ北から南へ、B線は、ほぼ西から東に向かって走っているのがわかる(上を北極にしたばあい)。

P1000584
(写真1)

●A線

 ナスカの十字架のA線に沿って、1本の線を描いてみる。
方法は簡単で、A線の長さを測定する要領で、A線の下から、上に向かって1本の線を描き込めばよい。

P1000585
(写真2)

 この直線を、正確に描き入れると、即座に、「機首方位、324・74」という数字が示される。
「機首方位」というのは、この直線が向かっている方向を示す。

 そこでこの「324・74」を維持しながら、この直線をそのまま延長してみる。

P1000587
(写真3)

P1000588
(写真4)

●テオティワカン遺跡(メキシコ)

 その方向には、メキシコのテオティワカン遺跡があることがわかる。
(詳しくは、後述)

275px-View_from_Pyramide_de_la_luna
(テオティワカン遺跡。左奥方向に、ピラミッドが見える。)

P1000589
(写真5)

 直線が、やや左寄りにズレているのは、最初に線を引いたときの誤差と考えられる。
そこで今度は逆に、逆に、(ナスカの十字架のクロス部)と(テオティワカンのピラミッドの頂点)を、線で結んでみる。

P1000590
(写真6)

P1000570

P1000569
(写真7)

 こうすると、機首方位……325・25度
地図上の距離……4602・22キロメートルという数字を手に入れることができる。
この「325・25」という数字は、ナスカの十字架を出発したときに得た「機首方位、324・74」と、その差は、0・51度と、ほぼ一致する。

 つまりこの直線は、一般に言われているように、「滑走路」を示すものではなく、「標識」として、別のピラミッドの位置を示すものであることがわかる。

 A線は、きわめて正確に、メキシコに残る、テオティワカン遺跡のピラミッドの位置を示している。

●B線

 では、同じように今度は、B線の先をたどってみる。

 B線の西方向には、イースター島がある。
はたしてB線の先には、イースター島があるのか。
もう一度、それをここで確認してみる。

 B線の右から左へ、直線をあててみる。
機首方位は、「248・77度」と示される。
つぎに今度は、(ナスカの十字架のクロス部)と、(イースター島の中心部)を、直線で結んでみる。

 すると機首方位……243・09度
地図上の距離……3795・72キロメートルという数字を手に入れることができる。

P1000557 
(写真8)

 248度と243度。
その差は、5度。
これは誤差の範囲を超える。
かなりずれている。

 ということは、ナスカの十字架の横線(B線)は、イースター島の方向を示しているのではないということがわかる。

●アンコールワット

 では、今度は、反対に、B線を、右方向(東方向)にたどってみる。
B線の左から右に直線をあててみると、「機首方位……68・63」という数字を手に入れることができる。

 が、この方向は、エジプトのピラミッドの方向ではない。
そこで今度は、「機首方位……68・63」という方向を保ちながら、直線を延長してみる。

P1000591

P1000593
(写真10)

 実際には、「68・63」という数字を維持するのは、容易なことではない。
ほんのわずか手元が動いただけで、大きく数字が変化する。
慎重に、B線を東に向かって延長してみる。

P1000594
(写真11)

 ところが、である。
このB線はインド半島を横断し、インドシナ半島へ入るころから、急にクルクルと上下に動き始める。
距離が、2万キロメートルに近づいたためである。

 ご存知のように、地球の円周は、4万キロメートルと定められている。
地球は球体だから、2万キロメートルの場所には、機首方位は無数に存在する。

 そこでその一歩手前で直線を止め、目測でその先に何があるかを知る。

P1000595
(写真12)

 写真では、直線方向とはややずれているが、右下にカンボジアの、アンコールワット遺跡があることがわかる。
アンコールワットにも、ピラミッドがある。
そのピラミッドの中心部に、B線の端を置いてみる。

P1000596

 地図上の距離……1万9838・38キロメートル
 地上の距離 ……1万9839・15キロメートルという数字を手に入れることができる。

 ほぼ、2万キロ!
念のため、どのあたりで2万キロになるか、B線の右端をそのあたりで動かしてみる。
結果、タイとカンボジアの国境付近、ややタイ側に入ったところで、2万0022キロメートルという数字が出てきた。

 地球の円周は、赤道部分で、より長くなっていることが知られている。
これは地球の自転により、遠心力が働くためである。

 ともかくも、以上のことから、(ナスカの十字架)と、(カンボジアのアンコールワットにあるピラミッド)は、相互に「極関係」にあることがわかる。

 ちなみにナスカの十字架は、西経75度10分、南緯14度42分、
アンコールワットのピラミッドの頂点は、東経103度51分、北緯13度25分。
これらの数字からも、「極関係」、つまり、地球の中心部を通る正反対の位置にあることがわかる。

 B線の右方向(東)は、正確に、カンボジアのアンコールワット遺跡にある、ピラミッドをとらえている。

 以上のことから、ナスカの十字架は、北方向には、メキシコのテオティワカンのピラミッド、東方向には、カンボジアのアンコールワットのピラミッドを指しているのがわかる。

●さらなる謎

 が、これで驚いてはいけない。

 ここでナスカの十字架と、カンボジアのアンコールワットは、極関係にあると書いた。
が、厳密には、ややズレている。
その距離は、ピタリ、2万0000キロメートルではない。

 しかしつぎの事実を知ったら、あなたも驚くだろう。
「これはもう偶然の一致とは言えない!」と。

●ナスカの十字架の南

 A線(縦線)は、北方へ延長すると、メキシコのテオティワカンにつながる。
B線(横線)は、東方へ延長すると、カンボジアのアンコールワットにつながる。
しかし、である。

 A線(縦線)をそのまままっすぐ下(つまり南方)へ延長すると、今度は、南極を近くを通過し、そのままやはりカンボジアのアンコールワットにつながる。
(ナスカの十字架から、機種角144・20度で、南に直線を引いてみるとよい。)

P1000605

P1000604

P1000606
(ナスカの十字架から機種角145・00度の位置には、アンコールワットのピラミッドがある。)

つまりA線(縦線)の北方には、テオティワカン、南方には、アンコールワットがあることになる。

 (テオティワカン)ー(ナスカ)ー(アンコールワット)は、一本の直線でつながる。
ナスカの十字架(Grannd Cross in Nazca)は、テオティワカンとアンコールワットのピラミッドの位置を示す、標識ということになる。

 ちなみに、テオティワカンの太陽のピラミッドから、ナスカの十字架までの起首角……144・2±0・1度

ナスカの十字架からカンボジアのアンコールワットまでに機首方位……144・2±0・1度。

 ぴったし一致する。

●テオティワカンvsアンコールワット

 ナスカの十字架が、同時に、テオティワカンのピラミッド、アンコールワットのピラミッドをとらえている。
とするなら、これら2つのピラミッドには、共通点はあるのか。
それともないのか。
(そもそも、文明が相互にまったく隔離された世界のあちこちで、ピラミッドが発見されていること自体、不思議なことである。)

(1)テオティワカンの「太陽のピラミッド」(ウィキペディア百科事典)
テオティワカン(太陽のピラミッド)

(2)テオティワカンの「月のピラミッド」(ウィキペディア百科事典)
テオティワカン 月のピラミッド

(3)アンコールワットのピラミッド(観光案内)
アンコールワットのピラミッド

 共通点は、ともに巨大であるということ。
ピラミッドに登る人間の大きさから、それがわかる。
あとは主観的な判断ということになる。

●仮説

 そこで前回取りあげた(事実)を、もう一度、ここで確認してみる。

 イースター島と、エジプトのギザのピラミッドを直線でつなぐ。
その直線は、ズバリ、ナスカの地上絵、とくにナスカの十字架の上を通る。
これは動かしがたい事実である。
(これを疑う人は、グーグル・アースを使って自分で確認してみるとよい。
その正確さに、私は驚いた。)

 となると、イースター島の役割は何か。
仮説として考えられるのは、第一の中継地であったのではないかということ(仮説1)。
その中継地から、ナスカの地上図をめざし、そこから各地のピラミッドへ飛行した(仮説2)。
となると、イースター島に立つモアイ(像)は、その標識ということになる(仮説3)。

 これらの仮説を証明するためには、(1)正確なモアイの位置と、(2)モアイが示している方向を知らなければならない。

●イースター島

 謎を解くため、イースター島にある、モアイについての情報を集めなければならない。
が、残念なことに、たいへん残念なことに、モアイのほとんどは発見当時、みな、倒れていたという。
それではいけないということで、日本の建設会社が重機をもちこみ、立てなおしたという。
なおその重機は今でも、現地に残っていて、現地の人たちに感謝されているという。

 感謝されている?

 日本の建設会社は、とんでもないバカなことをしたと考えてよい。
ナスカの地上絵を、整地し、消し去った。
それと同じような行為としたと考えてよい。

 仮説(1)(2)(3)が、永遠に証明されることはない。

 なお定説に従えば、モアイのふもとから多くの人骨が発見されていることから、モアイは墓であったということになっている。
が、逆にも考えられる。
現地の人たちは、その後、墓として利用するようになった、と。

 なおモアイにしても、あれほどまでの巨石を、どうやって切り出し、加工し、運搬し、その場所に立てたかについては、「まったくの謎」ということになっている。

 たいへん残念なことである。
が、ゆいいつ、そのモアイ像から、かつて、それを利用した人たちの容姿を想像することができる。

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(つづきはまたの機会に書いてみたい)

(補記1)

 メキシコのテオティワカンのピラミッド(月のピラミッド)と、アンコールワットのピラミッドを比較する。
左が、テオティワカンのピラミッド(月のピラミッド)
右がアンコールワットのピラミッドである。

 メキシコとカンボジア……遠く離れた場所で、これほどまでに類似したピラミッドが建設されたのは、本当に偶然と言えるのだろうか。
自分の目で判断してほしい。

比較1

比較2

比較3

(補記2)

●(メキシコのテオティワカン)-(ギザのピラミッド)-(シュメール文明)-(西安)

 何度か、確認してみたが、地球儀上(グーグル・アース上)では、一直線には、つながらなかった。

P1000563
(グーグル・アースの上では、ギザ→シュメール→西安は、一直線上に並ばない。)

そこで一般によく使われている、メルカトール図法による地図の上で、メキシコのテオティワカン、ギザのピラミッド、シュメール文明、西安の4か所を正確に特定してみた。

 が、結果は、ご覧の通り。
この4か所は、ほとんど狂いがなく、一直線に並んでいることがわかった。

350px-Mercator-projection
(メルカトール図法風の世界)

img622
(メルカトール地図の上では、4つの古代遺跡が一直線に並んでいるのがわかる。
左から、テオティワカン(黄)、ギザ(緑)、シュメール(青)、西安(ヤンシャオ)(赤))

●なぜ西安が西安なのか?

 私が最初に疑問をもったのは、なぜ西安が西安なのかという疑問。
ヤンシャオ(仰韶)文明は、西安の郊外で発掘されている。
半坡(はんぱ)遺跡というのが、それである。

 エジプトのギザについても、同じ疑問をもった。
言い伝えによると、そこで使われた石材は、800キロも遠く離れた採石場から運ばれたという。
常識で考えれば、ピラミッドを建てるにしても、これほど非ロジカルな話はない。
採石場の近くで建てれば、その分だけ、人力の無駄を省くことができた。
が、なぜか、ピラミッドの建造者は、ギザにこだわった。
なぜか?

 さらに言えば、ナスカの地上絵についても、言える。
地上からは見ることさえできない絵を、なぜ描いたか。

 が、こうしてそれぞれが一直線に並んでいるのを知ると、その理由が浮かびあがってくる。

●さらなる事実

 以上は、『ピラミッド』を見た、私の感想ということになる。
が、ここで終わったのでは、ただの受け売り。
そこで私なりに、さらに調べてみた。

 で、「驚くべきことに」というほどの言葉はつけられないが、奇妙なことに気づいた。
これがわかったのも、グーグル・アースという最新のサービスがあったからである。
10年前だったら、これだけ調べるだけでも1日仕事。
図書館で悪戦苦闘しただろう。
が、今では、グーグル・アースを使えば、それが瞬時にわかる。

 以下、その距離に注目してほしい。

(1)ギザ→イースター島   ・・・1万6168キロメートル
(2)ギザ→ナスカ(地上絵) ・・・1万2365キロメートル
(3)ギザ→ウル(シュメール)・・・  1615キロメートル
(4)ギザ→西安       ・・・  7183キロメートル
(5)ギザ→テオティワカン   ・・・1万2342キロメートル

img623
(そのほかの距離)

(2)のナスカまでの距離と、(5)のテオティワカンまでの距離は、ほぼ同じ。
また(3)のギザ→ウルの距離を10倍すると、ギザ→イースター島までの距離になる。

 ただ西安までの距離だけが、どういうわけか、ほかの距離と関連性がないように思われる。

 が、以上が、私の発見によるものである。
わかりやすく言えば、少なくとも、ギザを中心にして、ナスカとテオティワカンは、同心円上にある。
こうした事実を、「偶然」と片づけるには、無理がある。
つまりこうした古代文明は、宇宙から地球を見て、それが一直線であるとわかる人たちによって、作られた。

どうもそう考える方が、自然のようである。

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Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

一直線に並ぶ、古代文明の謎(改)

2012-07-29 20:34:16 | 日記
 【古代文明の謎】(改・V2)
(一直線でつながる古代文明)

三大ピラミッド
(エジプトのピラミッド、以下、「ギザ」とのみ記録)

Nazca Line Picture
(ナスカ平原の地上絵)

P1000553
(イースター島)

イースター島
(イースター島2)

P1000555
(イースター島→ナスカの地上絵→ギザのピラミッドは、一直線上に並んでいる)

P1000556
(写真2)

P1000557
(写真3)

P1000558
(写真4、以上グーグル・アースより)

img622
(さらに、メルカトール地図の上では、つぎの4つの古代遺跡が一直線に並んでいるのがわかる。
左から、テオティワカン(黄)、ギザ(緑)、シュメール(青)、西安(ヤンシャオ)(赤))

●午前5時

 今朝は、午前5時起き。
トイレに起きたら、ちょうどヒグラシが鳴き始めた。
あたりは、まだ薄暗い。
トイレから出たあと、カバンから、3種類のカメラを取り出した。

 SONYのビデオカメラ。
PANAの一眼レフカメラ。
それにインターバル撮影ができる、レコロ。

 ワイフのじゃまにならないよう、抜き足、差し足で、外に出る。
まずビデオカメラで、風景+ヒグラシの声を撮影。
そのまま15分ほど、ベンチに座って、時を過ごす。

 ……山の生活を知らない人には、信じられないような話かもしれないが、事実は事実。
この山荘では、真夏でも、クーラーは、無用。
昨日(28日)は、浜松市内でも、35度Cを超えた。
日中は、それなりに暑いが、日が山の端に沈んだとたん、乾いた冷気が谷底からサーッと吹いてくる。
その風を扇風機で、体に当てる。

 で、今もそうだ。
数メートル離れたところに扇風機が置いてある。
「弱」になっているが、それでも寒いほど。
その冷気を感じていると、再び睡魔が襲ってくる。

 ……眠い。
ぼんやりと、あれこれ考える。
というか、思考の焦点が定まらない。

 ……たった今は、こう思った。
家(市内)に戻ったら、動画を編集し、このページにその動画を挿入しよう、と。
どうか、お楽しみに!

●『ピラミッド』(5000年の嘘)

 昨夜、『ピラミッド(5000年の嘘)』というDVDを借りてきた。
数学的事実に基づいた、ドキュメンタリー映画。
「数学的」というのは、あのピラミッドは、まさに数学のかたまり。
それを数学的に証明している。

 おもしろいというより、驚く。
驚きの連続。
人によっては、世界観が変わるかも……という映画。

 で、その映画の中に、西安が出てきたのには、驚いた。
中国の西安である。
その西安には、無数のピラミッドがあるという。
中国政府が許可していないので、調査はできないということらしいが、その西安には、もうひとつ、大きな謎の文明がある。……あった。

 仰韶(ヤンシャオ)文明という文明である。
黄河に沿って発達したので、黄河文明とも呼ばれている。
このヤンシャオには、……というか、この話を書き始めたら、キリがない。
「謎の文明」とだけ、ここに書いておく。
シュメール文明との共通点(たとえば彩色土器)も、多い。
が、何と言っても私が興味をもったのは、「黄帝内経」という書物。

●黄帝内経

 中国では、そして世界では、黄帝内経を医学書と考えている人が多い。
しかしただの医学書ではない。
天文学に関する書物である。
それを後の学者たちが、勝手に医学書に書き改めてしまった。

 黄帝内経が、本当に「黄帝」の時代から伝わっている書物であるとするなら、西安もまた、特筆すべき都市ということになる。

 DVDを見終わったあと、ワイフとこう約束した。
「来年には、西安へ行ってみよう」と。

P1000562
(ヤンシャオ文明は、現在の西安の当方部で誕生した。「黄河文明」と言われている)

 その黄帝内経について書いた原稿を探してみる。
10年ほど前、埼玉県所沢市に、全国から東洋医学の研究者らが集まった
その場で、基調講演をさせてもらった(国立身体障害者リハビリセンターにて)。
間に30分の休憩をもらったが、4時間以上もの長講演だった。
その一部を紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●神々の言葉

 私はどういうわけか、黄帝内経(こうていだいけい)という書物に興味をもっている。
漢方(東洋医学)のバイブルと言われている本である。
東洋医学のすべてがこの本にあるとは言わないが、しかしこの本がその原点にあることはまちがいない。

 その黄帝内経を読むと、最初に気づくのは、バイブルとは言いながら、聖書の記述方法と逆であること。
黄帝内経は、黄帝という聖王と、岐伯(ぎはく)という学者の問答形式で書かれているが、黄帝はもっぱら聞き役に回っているということ。
そしてその疑問や質問、さらには矛盾につぎつぎと答えているのは、岐伯のほうであるということ。

 一方聖書(新約聖書)のほうは、弟子たちが、「主、イエスキリストは、このように言った」という形式で書かれている。
つまり弟子たちが聞き役であり、キリストから聞いた話をその中に書いている。

 そこでなぜ、黄帝内経では、このような記述方法を使ったかということ。
もし絶対的な権威ということになるなら、「黄帝はこう言った」と書いたほうがよい。
(そういう部分もあるが……。)
岐伯の言葉ではなく、黄帝の言葉として、だ。
しかしこれには二つの理由がある。

●もともと、医学書ではなかった

 黄帝内経という書物は、医学書として分類されている。
前一世紀の図書目録である、漢書「藝文志」に医書として分類されていることによる。
ここで医書として分類されたことが、正しいかったかどうかということについては、疑問がある。
さらに「医書」という言葉を使っているが、現代流に、だからといって「科学、化学、医学」というふうに厳密に分類されていたかどうかということについては、疑問がある。

が、それはさておき、仮に医書であるとしても、それは今で言う、科学の一分野でしかない。
科学である以上、絶対的な権威を、それにもたせるのは、きわめて危険なことでもある。
その科学に矛盾が生じたときのことを考えればよい。
矛盾があれば、黄帝という聖王の無謬性(一点のまちがいもない)にキズがつくことになる。
ここが宗教という哲学と大きく違う点である。
つまり黄帝内経の中では、岐伯の言葉として語らせることによって、「含み」をもたせた。

 もうひとつの理由は、仮に医書なら医書でもよいが、体系化できなかったという事情がある。
黄帝内経は、いわば、健康医学についての、断片的な随筆集という感じがする。
しかし断片的な随筆を書くのと、その分野で体系的な書物を書くのは、まったく別のことである。

たとえばこの私は、こうして子育てについての随筆をたくさん書いているが、いまだに「教育論」なるものは、書いていない。
これから先も、多分、書けないだろうと思う。
もう少しわかりやすい例で言えば、日々の随筆は書くことはできても、人生論を書くことはできない。
できないというより、たいへん困難なことである。
つまり黄帝内経は医学書(科学書でもよいが)といいながら、体系化できるほどまでに完成されていない。
これは実は聖書についても同じことが言えるが……。

●黄帝内経(こうていだいけい)の謎

 私が黄帝内経(こうていだいけい)という書物に、最初に興味をもったのは、その中につぎのような記述があることを知ったときのことだ。

 黄帝が岐伯(ぎはく)に、「この宇宙はどうなっているか」と聞いたときのこと。

岐伯は、「岐伯曰地為人之下太虚之中者也」(「五運行大論篇」)と答えている。

これを訳すと、「地は人の下にあります。しかも宇宙の真中に位置します」(小曾戸丈夫氏訳)、あるいは「地は人の下にあり、虚空の中央にあるものです」(薮内清氏訳)となる。

しかしもう少し、漢文に厳密に翻訳すると、こうなる。
「地は、人の下にあって、太虚の中にある」と。
「地が、人の下にある」というには、常識だが、(またなぜこうした常識をあえて付け加えたかというのも、おもしろいが)、「太虚の中にある」というのは、当時の常識と考えてよいのか。
漢書「藝文志」という図書目録が編纂されたのは、前1世紀ということになると、少なくとも、それ以前の常識、あるいはこの部分が仮に唐代の王冰(おうひょう)の増さんによるものだとしても、西暦752年の常識ではなかったはずである。
ここでいう「太虚」というのは、「虚」の状態よりも何もない状態をいう。
小曾戸氏も薮内氏も、「太虚」の訳をあいまいにしているが、太虚というのは、空気という「気」もない状態と考えるのが正しい。
「空気」というのは、読んで字のごとく、「カラの気」という意味。
気のひとつである。
その気がない状態を、虚。
さらに何もない状態を太虚という。
今風に言えば、まさに真空の状態ということになる。

●当時の常識

 もしここで王冰の増さんによるとするなら、なぜ王冰が、当時の常識的な天文学の知識に沿って、この部分を書かなかったかという疑問も残る。
当時の中国は、漢の時代に始まった、蓋天(がいてん)説、こん天説、さらには宣夜説が、激論を戦わせていた時代である。
恐らく事実は逆で、あまりにも当時の常識とはかけ離れていたため、王冰は、この部分の増さんには苦心したのではなかろうか。
(あくまでも王冰の増さん説にのっとるならの話だが……。)

 その証拠に、その部分の前後には、木に竹をつぐような記述が随所に見られる。
つまりわざと医学書らしく無理をして改ざんしたと思われるようなところがある。
さらに百歩譲って、もしこの部分が、大気の流れをいうものであるとするなら、こんなことをこんなところに書く必要はない。
この文につづくつぎのところでは、気象の変化について述べているのである。
王冰としても、散逸した黄帝内経を改ざんしながらも、改ざんしきれなかった。
またそう読むことによってのみ、この部分を理解できる。

 話はそれたが、私はこの一文を読んだとき、電撃に打たれるような衝撃を受けた。
当時の私は、「黄帝」を、司馬遷の「史記」の第一頁目をかざる、黄帝(「五帝本紀第一」)の黄帝ととらえた。
その黄帝との問答であるとするなら、その時代は、推定でも、紀元前3500年。
今から5500年前ということになる。
(だからといって、黄帝内経がそのころの書物というのは、正しくないが……。)
少なくとも、この一文が、私が漢方にのめりこむきっかけになったことには、まちがいない。

●黄帝内経(こうていだいけい)は改ざんされたか

 黄帝内経(こうていだいけい)は、時代によって、そして写本化されるたびに、改ざんされた。
それぞれの研究家や医家たちが、自分たちにつごうがよいように、古い文句を削り、新しい文句を付け加えた。
これは動かしがたい事実である。

 たとえば「五運行大論篇」においても、天地の動静を岐伯(ぎはく)が説明したあと、薮内氏の訳した本のほうでは、「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右から三六五日余でまたもとの位置にもどる」とあるが、王冰が編さんとしたとされる黄帝内経を訳した、小曾戸氏のほうでは、「歳運は五年で交替するのに六気は六年で交替するのですから、運と気のめぐり方には一年のずれを生じます……」とある。

薮内氏のほうは、中国本土にも残っていない黄帝内経(京都の仁和寺所蔵)を翻訳したものと思われる。
つまり、より原書に近いとみてよい。
一方、王冰の黄帝内経は、無理に医書に位置づけようとした痕跡が随所に見られる。
この部分もそうだが、さらにこれはとても残念なことだが、翻訳した小曾戸氏の翻訳にも、その傾向が見られる。
たとえば小曾戸氏は、随所に、「気」という言葉を補って翻訳している。たとえば……

 「上者右行」を、「司天の気は右にめぐり」と訳すなど。(原文には「気」などという言葉はどこにもない!)

 こうした改ざんは、意味不明で、難解な文章を何とか理解しようしたために改ざんされたともとれる。
が、もうひとつは当時の常識に当てはめようとしたためになされたとも考えられる。
中国には、地球説はおろか、地動説すらなかったという常識に従ったとも考えられる。
そういう時代に、地球説を唱え、地動説を唱えたらどうなるか。
ヨーロッパでそれをしたため、弾圧された人すらいた。
コペルニクスが、その人である(1543年「天球の回転について」)。
宇宙創造に関する記述は、それ自体が宗教と密接に結びついている。
さらに中国では、中国式権威主義がはびこり、その権威からはずれた学説は、容赦なく排斥された。
そういう時代的背景を忘れてはいけない。

●地動説

 が、それでも地動説の片りんが残った! 
私たちが黄帝内経を科学書として着目しなければならない点は、まさにこの一点にある。
そして今、私が黄帝内経の中の地動説を唱えるについて、多くの人は、「解釈の曲解だ」「なるほどそういうふうに考えれば考えられないこともない」というように反論する。
しかしこの視点はおかしい。
もしこの部分が、あからさまに地球説をいい、地動説をいっていたとしたら、まっ先に削除されたであろうということ。
それにゆえにあいまいに改ざんされたともとれるし、あいまいであるがゆえに、今に残ったというふうに考えられる。
今、あいまいだからといって、さらにその内容を負(マイナス)の方向に引くことは許されない。

 私たちが今すべきことは、そのあいまいな部分を、よりプラスの方向に引きつけて、その向こうにある事実を見ることなのである。
「そういうふうにも解釈できる」という言いかたではなく、「改ざんしてもしきれなかった」という言いかたにすべきでなのである。

●365日余で、もとに戻るものは何か

 黄帝内経(こうていだいけい)には、黄帝が、天地の動静はどうかと聞いたことに対して、「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右から三六五日余でまたもとの位置にもどる」とある。
ここで考えることは、「何が、戻るか」である。

 今、高校生に、「天地の動きの中で、三六五日余でもどるものは、何か」と聞けば、彼らは迷わずこう答える。
「地球」と。
そう、地球の公転である。
地球は、太陽のまわりを、365日余で一周し、またもとの位置に戻ってくる。
こんなことは常識。

 しかし黄帝内経読むときは、あえてこの常識は否定される。
第一、私たちは黄帝内経は、医学書であって、科学の本ではないという前提で読む。
第二、私たちは黄帝内経の時代に、そんな常識はなかったという前提で読む。
しかしもう一度、この部分を、すなおに読んでほしい。
こうある。

 「黄帝は問う。天地の動静はどうかと」。
この部分をすなおに読めば、黄帝は地球の動きについて聞いたものだということがわかる。
季節の移り変わりを聞いたものではない。
いわんや大気の変化を聞いたものではない。
そういうふうに思わせるように改ざんされただけ、と考えるほうが正しい。
その理由はいくつかある。

 もし季節の変化や大気の変化を述べるためになら、この文章を地球説、地動説のあとに書く必要はない。
関連性がまったくなくなってしまう。

 つぎにもし季節の変化大気の変化を述べているとしても、そんなことは当時の常識で、改めて書くまでもないことである。
仮に季節の移り変わりを書いたものであるとするなら、それこそまさに木に竹をつぐような文章になってしまう!

●回転する

 ただ翻訳自体もわかりにくくなっている。
これを訳した薮内氏自身も、「中国には地球説はおろか、地動説すらなかった」(「中国の科学」)と述べている。
薮内氏自身も、そういう前提で訳している。
だからあえて、わかりにくく訳した。
とくに私の頭を悩ましたのは、「左右から」という部分である。
何が、左右から、なのか。あるいは薮内氏は、「……から」と訳したが、本当にそれは正しいのか。
「左右に」もしくは、「左右に(回って)」と訳したらいけないのか。
もし「左右に(回って)」と訳すと、意味がすっきりする。

 「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右に回って三六五日余でまたもとの位置にもどる」と。

 地球の公転するさまを、南の位置(上の司天)からみると、時計回りに回っている。
つまり右転している。
北の位置(下の在泉)からみると、時計とは反対回りに回っている。
つまり左転している。
こうして右転、左転しながら、回る、と。
黄帝内経のこの部分は、まさにそれをいったものである。
 
注※…コペルニクス

 (ラテンNicolaus Ccpernicus ニコラウスー)本名はコペルニク。ポーランドの天文学者で、ローマカトリック教会の聖職者。ギリシア思想の影響を受け、肉眼による天体観測に基づいて地動説を提唱。著書「天球の回転について」は、教会との摩擦を避けて死の直前に刊行された。(1473~1543)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●西安

 若いときは、そこにある謎を食いさすようにして、人は生きていく。
未来という時間が、永遠にあるように感ずる。
が、私の年齢になると、その先に感ずるのは、いつも袋小路。
だからこう思う。

「結論を出したい」と。

 もう少しわかりやすい言葉で言えば、「決着」でもよい。
「決着をつけておきたい」と。

 黄帝内経もそのひとつ。
その謎を解く鍵が、西安にある。
ヤンシャオ(仰韶)文明にある。
当時の中国といえば、新石器時代の後期。
火を使うことを知らない部族もいたという。
そのため疫病が絶えなかったという。
そういう時代に、突如として、ヤンシャオ文明が誕生した。
恐るべき知識と技術をもった文明である。

 黄帝内経なる書物が、本当にその時代に書かれたものかどうかは別として、(というのも、文字の発明は、ずっとそのあとということになっているので)、西安には、底知れぬ謎が隠されているのは事実。
(実際には、ヤンシャオ文明が生まれたのは、西安の東方部。
現在、西安には、ヤンシャオ文明を知る博物館などがあるという。
最近になって、西安の遺跡から、文字らしきものも発掘されている。)

 が、黄帝の時代に、黄帝内経が書かれたのではないと断言することもできない。
当時は、知識は、口頭伝承といって、特別に選ばれた人(多くは子ども)が、言葉を暗記し、それでもって、後世へ伝えていくという方法がとられた。

 エジプトのピラミッドと、その西安がつながっている!
……というようなことを、DVD『ピラミッド』は、教えてくれた。

●謎の一直線

 DVD『ピラミッド』は、話せば長くなるので、その一部だけを紹介する。
この話を疑う人は、地球儀をもってきて、自分で確かめてみたらよい。
驚くべき事実である。

(1)(ギザのピラミッド)-(ナズカの地上絵)-(イースター島)は、一直線でつながっている。
しかもその直線は、赤道に対して、正確に30度の角度を保っている。

(2)(メキシコのテオティワカン※)-(ギザのピラミッド)-(西安)は、一直線でつながっている。

275px-LocMap_of_WH_Teotihuacan
テオティワカンの遺跡(地図)

275px-View_from_Pyramide_de_la_luna
テオティワカンの遺跡(写真)

 これらの文明の跡には、共通した石造物が多いことがよく知られている。
そればかりかその直線下には、数多くの古代文明が並んでいる。
たとえば天空都市と呼ばれるマチュ・ピチュ(クスコ近郊)がある。
ギザとイースター島を結ぶ直線は、このマチュ・ピチュとクスコの間を縦断している。
またマチュピチュは、その直線から17キロしか離れていない(グーグル・アース上で測定)。

P1000564
(マチュ・ピチュの遺跡・天空都市)

P1000566
(下部、右中央部から、左下に斜めに走る黄色い線が、ギザとイースター島を結ぶ線。
ラインより、17キロ北方に、マチュ・ピチュの天空都市があることがわかる)

 なおDVD『ピラミッド』は、もうひとつ重要な事実を見落としている。
それを付け足しておく。

 ここで、(2)(メキシコのテオティワカン※)-(ギザのピラミッド)-(西安)は、一直線でつながっていると書いた。
これはDVDの説明を書きとめたものである。
しかしその一直線上に、もうひとつきわめて重要な文明が、存在する。
「シュメール文明(シュメル文明)※」である。
旧約聖書の母体となった文明と考えるとわかりやすい。
(これは私の発見!)

シュメール文化
(シュメール文明は、現在のペルシャ湾北部で誕生した)


(メキシコのテオティワカン※)-(ギザのピラミッド)-(シュメール文明)-(西安)と並ぶのは、はたして偶然なのか?

(注※)……テオティワカン (Teotihuacan)とは、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり紀元前2世紀から6世紀まで存在した巨大な宗教都市遺跡。
当時のアメリカ大陸では最大規模を誇っていた。
テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で、太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり、各施設が配置されている。(以上、ウィキペディア百科事典より)

(注※)……シュメール(Sumer, Shumer, Sumeria, Shinar)は、メソポタミア(現在のイラク・クウェート)南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古である都市文明。
初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた。
シュメールの名は、シュメール人が文明を築いてから、アッカドやバビロニアの支配を受けてシュメール人が姿を消し、さらにバビロニアがペルシャ帝国に併合されるまで続いた。
(以上、ウィキペディア百科事典より)(はやし浩司 2012-07-29記)

●検証

 が、鵜呑みは何ごとにつけ、よくない。
そこで私なりに検証してみた。
結果、驚くべきことがわかった。

【1】(ギザのピラミッド)-(ナズカの地上絵)-(イースター島)

 これについては、今では、グーグル・アースを使えば、瞬時に確認できる。
私は(1)まずエジプトの三大ピラミッドのひとつである、ギザのピラミッドの頂点に、画びょう(ポイントマーク)をつけた。

(2)つぎにイースター島の中央(イースター島は、三角形になっているので、その中央部)に、画びょう(ポイントマーク)をつけた。

(3)(1)の画びょうと、(2)の画びょう間の、距離を測定する要領で、線を引いた。
で、結果を見て、即、ギョッとした。

P1000561
(ギザとイースター島を結ぶ直線の直下に、ナスカの地上絵がある)

 グーグルアースでは、観光地として、「ナスカ(Nazca)の地上絵」の位置を、そのまま紹介している。
その「ナスカの地上絵」の部分(ペルー、ナスカ郊外)には、あらかじめポイントマークがついている。
そのポイントマークの上を、まさにズバリ、通過した!

 100メートルとか、200メートルの誤差もない。
10メートルの誤差もない。
まったくそのまま、数メートル単位の幅で、通過した!

 (ギザのピラミッド)-(ナズカの地上絵)-(イースター島)が、地球儀上では、一直線でつながっている。
これはだれも疑うことができない事実である。
(これを疑う人は、グーグル・アース上で、自分で確認してみるとよい。)

【2】(メキシコのテオティワカン)-(ギザのピラミッド)-(シュメール文明)-(西安)

 何度か、確認してみたが、地球儀上(グーグル・アース上)では、一直線には、つながらなかった。

P1000563
(グーグル・アースの上では、ギザ→シュメール→西安は、一直線上に並ばなかった)

そこで一般によく使われている、メルカトール図法による地図の上で、メキシコのテオティワカン、ギザのピラミッド、シュメール文明、西安の4か所を正確に特定してみた。

 が、結果は、ご覧の通り。
この4か所は、ほとんど狂いがなく、一直線に並んでいることがわかった。

350px-Mercator-projection
(メルカトール図法風の世界)

img622
(メルカトール地図の上では、4つの古代遺跡が一直線に並んでいるのがわかる。
左から、テオティワカン(黄)、ギザ(緑)、シュメール(青)、西安(ヤンシャオ)(赤))

●なぜ西安が西安なのか?

 私が最初に疑問をもったのは、なぜ西安が西安なのかという疑問。
ヤンシャオ(仰韶)文明は、西安の郊外で発掘されている。
半坡(はんぱ)遺跡というのが、それである。

 エジプトのギザについても、同じ疑問をもった。
言い伝えによると、そこで使われた石材は、800キロも遠く離れた採石場から運ばれたという。
常識で考えれば、ピラミッドを建てるにしても、これほど非ロジカルな話はない。
採石場の近くで建てれば、その分だけ、人力の無駄を省くことができた。
が、なぜか、ピラミッドの建造者は、ギザにこだわった。
なぜか?

 さらに言えば、ナスカの地上絵についても、言える。
地上からは見ることさえできない絵を、なぜ描いたか。

 が、こうしてそれぞれが一直線に並んでいるのを知ると、その理由が浮かびあがってくる。

●さらなる事実

 以上は、『ピラミッド』を見た、私の感想ということになる。
が、ここで終わったのでは、ただの受け売り。
そこで私なりに、さらに調べてみた。

 で、「驚くべきことに」というほどの言葉はつけられないが、奇妙なことに気づいた。
これがわかったのも、グーグル・アースという最新のサービスがあったからである。
10年前だったら、これだけ調べるだけでも1日仕事。
図書館で悪戦苦闘しただろう。
が、今では、グーグル・アースを使えば、それが瞬時にわかる。

 以下、その距離に注目してほしい。

(1)ギザ→イースター島   ・・・1万6168キロメートル
(2)ギザ→ナスカ(地上絵) ・・・1万2365キロメートル
(3)ギザ→ウル(シュメール)・・・  1615キロメートル
(4)ギザ→西安       ・・・  7183キロメートル
(5)ギザ→テオティワカン   ・・・1万2342キロメートル

(2)のナスカまでの距離と、(5)のテオティワカンまでの距離は、ほぼ同じ。
また(3)のギザ→ウルの距離を10倍すると、ギザ→イースター島までの距離になる。

 ただ西安までの距離だけが、どういうわけか、ほかの距離と関連性がないように思われる。

 が、以上が、私の発見によるものである。
わかりやすく言えば、少なくとも、ギザを中心にして、ナスカとテオティワカンは、同心円上にある。
こうした事実を、「偶然」と片づけるには、無理がある。
・・・というのが、『ピラミッド』に主題にもなっている。

 『ピラミッド』の中で、ナレーターはこう述べている。
「ピラミッドを建設したのは、歴代のエジプトの王と考えること自体、無理がある。
歴代のエジプトの王たちは、すでにあったピラミッドを自分の墓として、利用しただけ」(記憶による)と。

 つまりそれが副題にもなっている。
「5000年の嘘」と。

 私も、現在のエジプトから推察するまでもなく、あれほどまでの大工事を、エジプト人(アラブ人)がしたとは、どうしても考えられない。
(エジプトでは、そういう話はタブー。
エジプトの人たちは、そういう話をすると、激怒するが・・・。)

 こうした古代文明は、宇宙から地球を見て、それが一直線であるとわかる人たちによって、作られた。
どうもそう考える方が、自然のようである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ピラミッドの謎 謎のピラミッド 一直線に並ぶ古代文明 ナスカ はやし浩司 イースター島 西安 仰韶 ヤンシャオ 半坡遺跡 はやし浩司 ウル シュメール文化 はやし浩司 黄帝内経(こうていだいけい)の謎)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

テオティワカン、ギザ、シュメール、ヤンシャオは、一直線に並んだ!

2012-07-29 17:37:33 | 日記
【古代文明の謎】
(一直線でつながる古代文明)

三大ピラミッド
(エジプトのピラミッド、以下、「ギザ」とのみ記録)

Nazca Line Picture
(ナスカ平原の地上絵)

P1000553
(イースター島)

イースター島
(イースター島2)

P1000555
(イースター島→ナスカの地上絵→ギザのピラミッドは、一直線上に並んでいる)

P1000556
(写真2)

P1000557
(写真3)

P1000558
(写真4、以上グーグル・アースより)

img622
(さらに、メルカトール地図の上では、つぎの4つの古代遺跡が一直線に並んでいるのがわかる。
左から、テオティワカン(黄)、ギザ(緑)、シュメール(青)、西安(ヤンシャオ)(赤))

●午前5時

 今朝は、午前5時起き。
トイレに起きたら、ちょうどヒグラシが鳴き始めた。
あたりは、まだ薄暗い。
トイレから出たあと、カバンから、3種類のカメラを取り出した。

 SONYのビデオカメラ。
PANAの一眼レフカメラ。
それにインターバル撮影ができる、レコロ。

 ワイフのじゃまにならないよう、抜き足、差し足で、外に出る。
まずビデオカメラで、風景+ヒグラシの声を撮影。
そのまま15分ほど、ベンチに座って、時を過ごす。

 ……山の生活を知らない人には、信じられないような話かもしれないが、事実は事実。
この山荘では、真夏でも、クーラーは、無用。
昨日(28日)は、浜松市内でも、35度Cを超えた。
日中は、それなりに暑いが、日が山の端に沈んだとたん、乾いた冷気が谷底からサーッと吹いてくる。
その風を扇風機で、体に当てる。

 で、今もそうだ。
数メートル離れたところに扇風機が置いてある。
「弱」になっているが、それでも寒いほど。
その冷気を感じていると、再び睡魔が襲ってくる。

 ……眠い。
ぼんやりと、あれこれ考える。
というか、思考の焦点が定まらない。

 ……たった今は、こう思った。
家(市内)に戻ったら、動画を編集し、このページにその動画を挿入しよう、と。
どうか、お楽しみに!

●『ピラミッド』(5000年の嘘)

 昨夜、『ピラミッド(5000年の嘘)』というDVDを借りてきた。
数学的事実に基づいた、ドキュメンタリー映画。
「数学的」というのは、あのピラミッドは、まさに数学のかたまり。
それを数学的に証明している。

 おもしろいというより、驚く。
驚きの連続。
人によっては、世界観が変わるかも……という映画。

 で、その映画の中に、西安が出てきたのには、驚いた。
中国の西安である。
その西安には、無数のピラミッドがあるという。
中国政府が許可していないので、調査はできないということらしいが、その西安には、もうひとつ、大きな謎の文明がある。……あった。

 仰韶(ヤンシャオ)文明という文明である。
黄河に沿って発達したので、黄河文明とも呼ばれている。
このヤンシャオには、……というか、この話を書き始めたら、キリがない。
「謎の文明」とだけ、ここに書いておく。
シュメール文明との共通点(たとえば彩色土器)も、多い。
が、何と言っても私が興味をもったのは、「黄帝内経」という書物。

●黄帝内経

 中国では、そして世界では、黄帝内経を医学書と考えている人が多い。
しかしただの医学書ではない。
天文学に関する書物である。
それを後の学者たちが、勝手に医学書に書き改めてしまった。

 黄帝内経が、本当に「黄帝」の時代から伝わっている書物であるとするなら、西安もまた、特筆すべき都市ということになる。

 DVDを見終わったあと、ワイフとこう約束した。
「来年には、西安へ行ってみよう」と。

P1000562
(ヤンシャオ文明は、現在の西安の当方部で誕生した。「黄河文明」と言われている)

 その黄帝内経について書いた原稿を探してみる。
10年ほど前、埼玉県所沢市に、全国から東洋医学の研究者らが集まった
その場で、基調講演をさせてもらった(国立身体障害者リハビリセンターにて)。
間に30分の休憩をもらったが、4時間以上もの長講演だった。
その一部を紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●神々の言葉

 私はどういうわけか、黄帝内経(こうていだいけい)という書物に興味をもっている。
漢方(東洋医学)のバイブルと言われている本である。
東洋医学のすべてがこの本にあるとは言わないが、しかしこの本がその原点にあることはまちがいない。

 その黄帝内経を読むと、最初に気づくのは、バイブルとは言いながら、聖書の記述方法と逆であること。
黄帝内経は、黄帝という聖王と、岐伯(ぎはく)という学者の問答形式で書かれているが、黄帝はもっぱら聞き役に回っているということ。
そしてその疑問や質問、さらには矛盾につぎつぎと答えているのは、岐伯のほうであるということ。

 一方聖書(新約聖書)のほうは、弟子たちが、「主、イエスキリストは、このように言った」という形式で書かれている。
つまり弟子たちが聞き役であり、キリストから聞いた話をその中に書いている。

 そこでなぜ、黄帝内経では、このような記述方法を使ったかということ。
もし絶対的な権威ということになるなら、「黄帝はこう言った」と書いたほうがよい。
(そういう部分もあるが……。)
岐伯の言葉ではなく、黄帝の言葉として、だ。
しかしこれには二つの理由がある。

●もともと、医学書ではなかった

 黄帝内経という書物は、医学書として分類されている。
前一世紀の図書目録である、漢書「藝文志」に医書として分類されていることによる。
ここで医書として分類されたことが、正しいかったかどうかということについては、疑問がある。
さらに「医書」という言葉を使っているが、現代流に、だからといって「科学、化学、医学」というふうに厳密に分類されていたかどうかということについては、疑問がある。

が、それはさておき、仮に医書であるとしても、それは今で言う、科学の一分野でしかない。
科学である以上、絶対的な権威を、それにもたせるのは、きわめて危険なことでもある。
その科学に矛盾が生じたときのことを考えればよい。
矛盾があれば、黄帝という聖王の無謬性(一点のまちがいもない)にキズがつくことになる。
ここが宗教という哲学と大きく違う点である。
つまり黄帝内経の中では、岐伯の言葉として語らせることによって、「含み」をもたせた。

 もうひとつの理由は、仮に医書なら医書でもよいが、体系化できなかったという事情がある。
黄帝内経は、いわば、健康医学についての、断片的な随筆集という感じがする。
しかし断片的な随筆を書くのと、その分野で体系的な書物を書くのは、まったく別のことである。

たとえばこの私は、こうして子育てについての随筆をたくさん書いているが、いまだに「教育論」なるものは、書いていない。
これから先も、多分、書けないだろうと思う。
もう少しわかりやすい例で言えば、日々の随筆は書くことはできても、人生論を書くことはできない。
できないというより、たいへん困難なことである。
つまり黄帝内経は医学書(科学書でもよいが)といいながら、体系化できるほどまでに完成されていない。
これは実は聖書についても同じことが言えるが……。

●黄帝内経(こうていだいけい)の謎

 私が黄帝内経(こうていだいけい)という書物に、最初に興味をもったのは、その中につぎのような記述があることを知ったときのことだ。

 黄帝が岐伯(ぎはく)に、「この宇宙はどうなっているか」と聞いたときのこと。

岐伯は、「岐伯曰地為人之下太虚之中者也」(「五運行大論篇」)と答えている。

これを訳すと、「地は人の下にあります。しかも宇宙の真中に位置します」(小曾戸丈夫氏訳)、あるいは「地は人の下にあり、虚空の中央にあるものです」(薮内清氏訳)となる。

しかしもう少し、漢文に厳密に翻訳すると、こうなる。
「地は、人の下にあって、太虚の中にある」と。
「地が、人の下にある」というには、常識だが、(またなぜこうした常識をあえて付け加えたかというのも、おもしろいが)、「太虚の中にある」というのは、当時の常識と考えてよいのか。
漢書「藝文志」という図書目録が編纂されたのは、前1世紀ということになると、少なくとも、それ以前の常識、あるいはこの部分が仮に唐代の王冰(おうひょう)の増さんによるものだとしても、西暦752年の常識ではなかったはずである。
ここでいう「太虚」というのは、「虚」の状態よりも何もない状態をいう。
小曾戸氏も薮内氏も、「太虚」の訳をあいまいにしているが、太虚というのは、空気という「気」もない状態と考えるのが正しい。
「空気」というのは、読んで字のごとく、「カラの気」という意味。
気のひとつである。
その気がない状態を、虚。
さらに何もない状態を太虚という。
今風に言えば、まさに真空の状態ということになる。

●当時の常識

 もしここで王冰の増さんによるとするなら、なぜ王冰が、当時の常識的な天文学の知識に沿って、この部分を書かなかったかという疑問も残る。
当時の中国は、漢の時代に始まった、蓋天(がいてん)説、こん天説、さらには宣夜説が、激論を戦わせていた時代である。
恐らく事実は逆で、あまりにも当時の常識とはかけ離れていたため、王冰は、この部分の増さんには苦心したのではなかろうか。
(あくまでも王冰の増さん説にのっとるならの話だが……。)

 その証拠に、その部分の前後には、木に竹をつぐような記述が随所に見られる。
つまりわざと医学書らしく無理をして改ざんしたと思われるようなところがある。
さらに百歩譲って、もしこの部分が、大気の流れをいうものであるとするなら、こんなことをこんなところに書く必要はない。
この文につづくつぎのところでは、気象の変化について述べているのである。
王冰としても、散逸した黄帝内経を改ざんしながらも、改ざんしきれなかった。
またそう読むことによってのみ、この部分を理解できる。

 話はそれたが、私はこの一文を読んだとき、電撃に打たれるような衝撃を受けた。
当時の私は、「黄帝」を、司馬遷の「史記」の第一頁目をかざる、黄帝(「五帝本紀第一」)の黄帝ととらえた。
その黄帝との問答であるとするなら、その時代は、推定でも、紀元前3500年。
今から5500年前ということになる。
(だからといって、黄帝内経がそのころの書物というのは、正しくないが……。)
少なくとも、この一文が、私が漢方にのめりこむきっかけになったことには、まちがいない。

●黄帝内経(こうていだいけい)は改ざんされたか

 黄帝内経(こうていだいけい)は、時代によって、そして写本化されるたびに、改ざんされた。
それぞれの研究家や医家たちが、自分たちにつごうがよいように、古い文句を削り、新しい文句を付け加えた。
これは動かしがたい事実である。

 たとえば「五運行大論篇」においても、天地の動静を岐伯(ぎはく)が説明したあと、薮内氏の訳した本のほうでは、「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右から三六五日余でまたもとの位置にもどる」とあるが、王冰が編さんとしたとされる黄帝内経を訳した、小曾戸氏のほうでは、「歳運は五年で交替するのに六気は六年で交替するのですから、運と気のめぐり方には一年のずれを生じます……」とある。

薮内氏のほうは、中国本土にも残っていない黄帝内経(京都の仁和寺所蔵)を翻訳したものと思われる。
つまり、より原書に近いとみてよい。
一方、王冰の黄帝内経は、無理に医書に位置づけようとした痕跡が随所に見られる。
この部分もそうだが、さらにこれはとても残念なことだが、翻訳した小曾戸氏の翻訳にも、その傾向が見られる。
たとえば小曾戸氏は、随所に、「気」という言葉を補って翻訳している。たとえば……

 「上者右行」を、「司天の気は右にめぐり」と訳すなど。(原文には「気」などという言葉はどこにもない!)

 こうした改ざんは、意味不明で、難解な文章を何とか理解しようしたために改ざんされたともとれる。
が、もうひとつは当時の常識に当てはめようとしたためになされたとも考えられる。
中国には、地球説はおろか、地動説すらなかったという常識に従ったとも考えられる。
そういう時代に、地球説を唱え、地動説を唱えたらどうなるか。
ヨーロッパでそれをしたため、弾圧された人すらいた。
コペルニクスが、その人である(1543年「天球の回転について」)。
宇宙創造に関する記述は、それ自体が宗教と密接に結びついている。
さらに中国では、中国式権威主義がはびこり、その権威からはずれた学説は、容赦なく排斥された。
そういう時代的背景を忘れてはいけない。

●地動説

 が、それでも地動説の片りんが残った! 
私たちが黄帝内経を科学書として着目しなければならない点は、まさにこの一点にある。
そして今、私が黄帝内経の中の地動説を唱えるについて、多くの人は、「解釈の曲解だ」「なるほどそういうふうに考えれば考えられないこともない」というように反論する。
しかしこの視点はおかしい。
もしこの部分が、あからさまに地球説をいい、地動説をいっていたとしたら、まっ先に削除されたであろうということ。
それにゆえにあいまいに改ざんされたともとれるし、あいまいであるがゆえに、今に残ったというふうに考えられる。
今、あいまいだからといって、さらにその内容を負(マイナス)の方向に引くことは許されない。

 私たちが今すべきことは、そのあいまいな部分を、よりプラスの方向に引きつけて、その向こうにある事実を見ることなのである。
「そういうふうにも解釈できる」という言いかたではなく、「改ざんしてもしきれなかった」という言いかたにすべきでなのである。

●365日余で、もとに戻るものは何か

 黄帝内経(こうていだいけい)には、黄帝が、天地の動静はどうかと聞いたことに対して、「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右から三六五日余でまたもとの位置にもどる」とある。
ここで考えることは、「何が、戻るか」である。

 今、高校生に、「天地の動きの中で、三六五日余でもどるものは、何か」と聞けば、彼らは迷わずこう答える。
「地球」と。
そう、地球の公転である。
地球は、太陽のまわりを、365日余で一周し、またもとの位置に戻ってくる。
こんなことは常識。

 しかし黄帝内経読むときは、あえてこの常識は否定される。
第一、私たちは黄帝内経は、医学書であって、科学の本ではないという前提で読む。
第二、私たちは黄帝内経の時代に、そんな常識はなかったという前提で読む。
しかしもう一度、この部分を、すなおに読んでほしい。
こうある。

 「黄帝は問う。天地の動静はどうかと」。
この部分をすなおに読めば、黄帝は地球の動きについて聞いたものだということがわかる。
季節の移り変わりを聞いたものではない。
いわんや大気の変化を聞いたものではない。
そういうふうに思わせるように改ざんされただけ、と考えるほうが正しい。
その理由はいくつかある。

 もし季節の変化や大気の変化を述べるためになら、この文章を地球説、地動説のあとに書く必要はない。
関連性がまったくなくなってしまう。

 つぎにもし季節の変化大気の変化を述べているとしても、そんなことは当時の常識で、改めて書くまでもないことである。
仮に季節の移り変わりを書いたものであるとするなら、それこそまさに木に竹をつぐような文章になってしまう!

●回転する

 ただ翻訳自体もわかりにくくなっている。
これを訳した薮内氏自身も、「中国には地球説はおろか、地動説すらなかった」(「中国の科学」)と述べている。
薮内氏自身も、そういう前提で訳している。
だからあえて、わかりにくく訳した。
とくに私の頭を悩ましたのは、「左右から」という部分である。
何が、左右から、なのか。あるいは薮内氏は、「……から」と訳したが、本当にそれは正しいのか。
「左右に」もしくは、「左右に(回って)」と訳したらいけないのか。
もし「左右に(回って)」と訳すと、意味がすっきりする。

 「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右に回って三六五日余でまたもとの位置にもどる」と。

 地球の公転するさまを、南の位置(上の司天)からみると、時計回りに回っている。
つまり右転している。
北の位置(下の在泉)からみると、時計とは反対回りに回っている。
つまり左転している。
こうして右転、左転しながら、回る、と。
黄帝内経のこの部分は、まさにそれをいったものである。
 
注※…コペルニクス

 (ラテンNicolaus Ccpernicus ニコラウスー)本名はコペルニク。ポーランドの天文学者で、ローマカトリック教会の聖職者。ギリシア思想の影響を受け、肉眼による天体観測に基づいて地動説を提唱。著書「天球の回転について」は、教会との摩擦を避けて死の直前に刊行された。(1473~1543)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●西安

 若いときは、そこにある謎を食いさすようにして、人は生きていく。
未来という時間が、永遠にあるように感ずる。
が、私の年齢になると、その先に感ずるのは、いつも袋小路。
だからこう思う。

「結論を出したい」と。

 もう少しわかりやすい言葉で言えば、「決着」でもよい。
「決着をつけておきたい」と。

 黄帝内経もそのひとつ。
その謎を解く鍵が、西安にある。
ヤンシャオ(仰韶)文明にある。
当時の中国といえば、新石器時代の後期。
火を使うことを知らない部族もいたという。
そのため疫病が絶えなかったという。
そういう時代に、突如として、ヤンシャオ文明が誕生した。
恐るべき知識と技術をもった文明である。

 黄帝内経なる書物が、本当にその時代に書かれたものかどうかは別として、(というのも、文字の発明は、ずっとそのあとということになっているので)、西安には、底知れぬ謎が隠されているのは事実。
(実際には、ヤンシャオ文明が生まれたのは、西安の東方部。
現在、西安には、ヤンシャオ文明を知る博物館などがあるという。
最近になって、西安の遺跡から、文字らしきものも発掘されている。)

 が、黄帝の時代に、黄帝内経が書かれたのではないと断言することもできない。
当時は、知識は、口頭伝承といって、特別に選ばれた人(多くは子ども)が、言葉を暗記し、それでもって、後世へ伝えていくという方法がとられた。

 エジプトのピラミッドと、その西安がつながっている!
……というようなことを、DVD『ピラミッド』は、教えてくれた。

●謎の一直線

 DVD『ピラミッド』は、話せば長くなるので、その一部だけを紹介する。
この話を疑う人は、地球儀をもってきて、自分で確かめてみたらよい。
驚くべき事実である。

(1)(ギザのピラミッド)-(ナズカの地上絵)-(イースター島)は、一直線でつながっている。
しかもその直線は、赤道に対して、正確に30度の角度を保っている。

(2)(メキシコのテオティワカン※)-(ギザのピラミッド)-(西安)は、一直線でつながっている。

275px-LocMap_of_WH_Teotihuacan
テオティワカンの遺跡(地図)

275px-View_from_Pyramide_de_la_luna
テオティワカンの遺跡(写真)

 これらの文明の跡は、石造物で共通で多いのみならず、その直線下には、数多くの古代文明が並んでいる。
まずはこのあたりから、ピラミッドの謎に迫ってみたらおもしろい。

 なおDVD『ピラミッド』は、もうひとつ重要な事実を見落としている。
それを付け足しておく。

 ここで、(2)(メキシコのテオティワカン※)-(ギザのピラミッド)-(西安)は、一直線でつながっていると書いた。
これはDVDの説明を書きとめたものである。
しかしその一直線上に、もうひとつきわめて重要な文明が、存在する。
「シュメール文明(シュメル文明)※」である。
(これは私の発見!)

シュメール文化
(シュメール文明は、現在のペルシャ湾北部で誕生した)


(メキシコのテオティワカン※)-(ギザのピラミッド)-(シュメール文明)-(西安)と並ぶのは、はたして偶然なのか?

(注※)……テオティワカン (Teotihuacan)とは、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり紀元前2世紀から6世紀まで存在した巨大な宗教都市遺跡。
当時のアメリカ大陸では最大規模を誇っていた。
テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で、太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり、各施設が配置されている。(以上、ウィキペディア百科事典より)

(注※)……シュメール(Sumer, Shumer, Sumeria, Shinar)は、メソポタミア(現在のイラク・クウェート)南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古である都市文明。
初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた。
シュメールの名は、シュメール人が文明を築いてから、アッカドやバビロニアの支配を受けてシュメール人が姿を消し、さらにバビロニアがペルシャ帝国に併合されるまで続いた。
(以上、ウィキペディア百科事典より)(はやし浩司 2012-07-29記)

●検証

 が、鵜呑みは何ごとにつけ、よくない。
そこで私なりに検証してみた。
結果、驚くべきことがわかった。

【1】(ギザのピラミッド)-(ナズカの地上絵)-(イースター島)

 これについては、今では、グーグル・アースを使えば、瞬時に確認できる。
私は(1)まずエジプトの三大ピラミッドのひとつである、ギザのピラミッドの頂点に、画びょう(ポイントマーク)をつけた。

(2)つぎにイースター島の中央(イースター島は、三角形になっているので、その中央部)に、画びょう(ポイントマーク)をつけた。

(3)(1)の画びょうと、(2)の画びょう間の、距離を測定する要領で、線を引いた。
で、結果を見て、即、ギョッとした。

P1000561
(ギザとイースター島を結ぶ直線の直下に、ナスカの地上絵がある)

 グーグルアースでは、観光地として、「ナスカ(Nazca)の地上絵」の位置を、そのまま紹介している。
その「ナスカの地上絵」の部分(ペルー、ナスカ郊外)には、あらかじめポイントマークがついている。
そのポイントマークの上を、まさにズバリ、通過した!

 100メートルとか、200メートルの誤差もない。
10メートルの誤差もない。
まったくそのまま、数メートル単位の幅で、通過した!

 (ギザのピラミッド)-(ナズカの地上絵)-(イースター島)が、地球儀上では、一直線でつながっている。
これはだれも疑うことができない事実である。
(これを疑う人は、グーグル・アース上で、自分で確認してみるとよい。)

【2】(メキシコのテオティワカン)-(ギザのピラミッド)-(シュメール文明)-(西安)

 何度か、確認してみたが、地球儀上(グーグル・アース上)では、一直線には、つながらなかった。

P1000563
(グーグル・アースの上では、ギザ→シュメール→西安は、一直線上に並ばなかった)

そこで一般によく使われている、メルカトール図法による地図の上で、メキシコのテオティワカン、ギザのピラミッド、シュメール文明、西安の4か所を正確に特定してみた。

 が、結果は、ご覧の通り。
この4か所は、ほとんど狂いがなく、一直線に並んでいることがわかった。

350px-Mercator-projection
(メルカトール図法風の世界)

img622
(メルカトール地図の上では、4つの古代遺跡が一直線に並んでいるのがわかる。
左から、テオティワカン(黄)、ギザ(緑)、シュメール(青)、西安(ヤンシャオ)(赤))

●なぜ西安が西安なのか?

 私が最初に疑問をもったのは、なぜ西安が西安なのかという疑問。
ヤンシャオ(仰韶)文明は、西安の郊外で発掘されている。
半坡(はんぱ)遺跡というのが、それである。

 エジプトのギザについても、同じ疑問をもった。
言い伝えによると、そこで使われた石材は、800キロも遠く離れた採石場から運ばれたという。
常識で考えれば、ピラミッドを建てるにしても、これほど非ロジカルな話はない。
採石場の近くで建てれば、その分だけ、人力の消耗を防ぐことができた。
が、なぜか、ピラミッドの建造者は、ギザにこだわった。

 さらに言えば、ナスカの地上絵についても、言える。
地上からは見ることさえできない絵を、なぜ描いたか。

 が、こうしてそれぞれが一直線に並んでいるのを知ると、その理由が浮かびあがってくる。

●さらなる事実

 以上は、『ピラミッド』を見た、私の感想ということになる。
が、ここで終わったのでは、ただの受け売り。
そこで私なりに、さらに調べてみた。

 で、「驚くべきことに」というほどの言葉はつけられないが、奇妙なことに気づいた。
これがわかったのも、グーグル・アースという最新のサービスがあったからである。
10年前だったら、これだけ調べるだけでも1日仕事。
図書館で悪戦苦闘しただろう。
が、今では、グーグル・アースを使えば、それが瞬時にわかる。

 以下、その距離に注目してほしい。

(1)ギザ→イースター島   ・・・1万6168キロメートル
(2)ギザ→ナスカ(地上絵) ・・・1万2365キロメートル
(3)ギザ→ウル(シュメール)・・・  1615キロメートル
(4)ギザ→西安       ・・・  7183キロメートル
(5)ギザ→テオティカン   ・・・1万2342キロメートル

(2)のナスカまでの距離と、(5)のテオティカンまでの距離は、ほぼ同じ。
また(3)のギザ→ウルの距離を10倍すると、ギザ→イースター島までの距離になる。

 ただ西安までの距離だけが、どういうわけか、ほかの距離と関連性がないように思われる。

 が、以上が、私の発見によるものである。
わかりやすく言えば、少なくとも、ギザを中心にして、ナスカとテオティカンは、同心円上にある。
こうした事実を、「偶然」と片づけるには、無理がある。
・・・というのが、『ピラミッド』に主題にもなっている。

 『ピラミッド』の中で、ナレーターはこう述べている。
「ピラミッドを建設したのは、歴代のエジプトの王と考えること自体、無理がある。
歴代のエジプトの王たちは、すでにあったピラミッドを自分の墓として、利用しただけ」(記憶による)と。

 つまりそれが副題にもなっている。
「5000年の嘘」と。

 私も、現在のエジプトから推察するまでもなく、あれほどまでの大工事を、エジプト人(アラブ人)がしたとは、どうしても考えられない。
(エジプトの人たちは、そういう話をすると、激怒するが・・・。)

 こうした古代文明は、宇宙から地球を見て、それが一直線であるとわかる人たちによって、作られた。
どうもそう考える方が、自然のようである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ピラミッドの謎 謎のピラミッド 一直線に並ぶ古代文明 ナスカ はやし浩司 イースター島 西安 仰韶 ヤンシャオ 半坡遺跡 はやし浩司 ウル シュメール文化 はやし浩司 黄帝内経(こうていだいけい)の謎)


Hiroshi Hayashi+++++July.2012+++++はやし浩司


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

宝島社「最新、日本のタブー」

2012-07-28 17:36:10 | 日記
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【立ち学習】

●時には、こうして立ったまま(=立たせたまま)学習します。

 この方法のよいところは、緊張感が持続できること。
 発表力、表現力を養うには、効果的であること。
 中・高校生だと、居眠りをしなくなること、など。

 子どもはこうした変化が、大好き・・・ということで、今日は「立ち勉強」をしてみました。

【年長児・Summer Lesson】

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Hiroshi Hayashi+++++July.2012+++++はやし浩司

【宝島・最新日本のタブー】(2012年8月25日発行)を読む

Hiroshi Hayashi++++++++++++はやし浩司

昨日(7月27日)、宝島09月号を買う。
「最新・日本のタブー」(580円)。
最近になく衝撃的な雑誌・・・の一言に尽きる。
すごい!
読む込めば読み込むほど、(矛盾)が、怒涛のごとく押し寄せてくる。
日本の社会全体に深く蔓延する、巨大な矛盾。
一読者の立場でいうなら、どこからどう判断したらよいのか、それすら、わからない。

ひとつずつを、テーマとして取り上げていたら、1年はかかる。
消化するのに、1年はかかる。
それが「最新、日本のタブー」。
一読し、ゾッとしない人はいないだろう。

Hiroshi Hayashi++++++++++++はやし浩司

●福島産のコメ

 「やはりそうだったのか」というのが、私の感想。
『・・・最近の例では、福島県産のコメです。
放射能によって汚染されたというイメージがついたため、そのままでは売れません。
が、外食産業には流通しています。
このばあい、放射能検査をされても高い数値が出ないように、他県産のコメと混ぜて卸されていることが多いですね。
また水産物では、異型のものを専門に扱っている業者もある。
たとえば背骨が曲がったり、網ずれによって、傷がついてしまった魚などです』(P035)と。

 ここに「外食産業」とあるが、私が調べた範囲でも、大手のホテル、旅館では、多くが「東北産のコメ」を使っていることがわかっている(静岡県)。

●福島県の汚染度

 その福島県の汚染度についても、言及している。

 東北地方を中心に、がん保険加入者がふえているという。
それに触れながら、『原因とされるのは、もちろん、福島原発から漏れつづける放射能だ。
福島県内では、7月(2012年)に入っても、毎時35マイクロシーベルトと、1日の平常値から約500倍もの放射線量を観測中。
この高放射線量が将来的ながんの発症リスクを・・・』(024P)と。

 ちなみに、この浜松市内で、私が測定している範囲では、晴天日には、0・05~0・06マイクロシーベルト。
降雨時には、0・1~0・15マイクロ・シーベルト前後。

 福島原発の放射能汚染は、今の、今もつづいている。
が、それを伝えるマスコミの姿勢にも、鋭い追跡がつづく。

●10万人のデモ

 この日本で、デモが起きること自体、珍しい。
「モノ言わぬ従順な民」。
それが日本人。

 高校生でも、事実上、政治活動は、「禁止」されている。
生徒会どうしのつながり、連絡、共闘すら、許されていない。
そういう中で生まれ育った、現在の30~50代の人たちが、立ち上がった。

 それが「総理官邸前デモ」。
が、マスコミ各社(とくにテレビ局)は、そのデモについて、ほとんど報道しなかった。
こうある。

『総理官邸前で3月29日から始まった原発再稼働反対の抗議活動は、1万人を突破した6月22日まで、ほとんど報道されることはなかった。
それはいったい、なぜなのか?』(P009)と。

 知らなかった。
この私でさえ、デモがあったのは、1~2日程度と思っていた。
実際には、3月29日から始まっていた。

 「最新、日本のタブー」は、4~5枚の写真を紹介している。
で、それを見ただけでも、「10万人」という数字は、けっして大げさな数字でないことがわかる。
もっと多いかもしれない。

●特殊タブー

 産業界とマスコミ・・・。
電力業界とマスコミにしても、その底辺で深く結びついている。
・・・ということが、「最新、日本のタブー」を読んでもよくわかる。
しかし今では、こんなことは常識。

 私がそれを最初に感じたのは、35歳くらいのときのこと。
私はある雑誌社(育児雑誌)から原稿依頼を受けた。
その中で、一部、「紙おむつ」の弊害を書いた。
(あくまでも一部。)
当時、幼稚園を中心として、ふつうでは理解できない現象が起きつつあった。
排尿感覚がないまま、漏らしてしまう子どもがいた。
あるいは正常に、排尿できない。
が、紙おむつを当ててあげると、排尿ができる、など。

 が、その原稿は、編集部のほうで、カットされてしまった。
理由は、出版後にわかった。
なんとその雑誌の後半部には、紙おむつ会社の大きなコマーシャルが載っていた。

 また、こんなこともあった。
ある宗教団体の告発本を出したことがある。
が、その本は、初版本を、わずか2~3週間で売り切ったにもかかわらず、増刷がかからなかった。
理由はわからなかった。
わからなかったが、そのちょうど半年後、その出版社は、その宗教団体の「長」の本を出版した。

 新聞社とて、無罪ではない。
その宗教団体にしても、全国で、各地の新聞社の印刷機を借りて、自前の機関紙を発行している。
印刷機を貸している新聞社は、当然のことながら、その宗教団体への批判を避ける。

 ・・・というようなことが、この日本では、常識化し、体質化している。
原子力行政についても、同じ。
「最新、日本のタブー」の中にも、こうある。

『(週刊新潮が)、原発事故後に、集中砲火を浴びつづける東京電力を、奇妙なほどに叩かないのも、話題になっている』(P027)と。

 その一方で、逆に東京電力を徹底的に擁護したのが、週刊ポスト誌。
こうある。
『原発危険を煽(あお)る、メディアの嘘を報じつづけ、部数を落としたとされる、週刊ポスト・・・』(P027)と。

 裏で何かあったのか。
それとも何もなかったのか。
しかしあの時点で、そして現在の今でも、「原発の危険」を「煽り」と説くのには、無理がある。
なぜ週刊ポスト誌だけは、「メディアの嘘」を書きつづけ、結果として、原発事故を守った(?)のか。

●国会議員

 国会議員ですら、アテにならない。
こんな記述も見られる。

『「私の地域では、医師会主導で児童の甲状腺への影響を調べました。
しかし、実施に際し、一部議員が猛抗議。
議員が住民の健康調査に反対するなんて、不思議に思うかもしれませんが、彼らの支持母体がJA(農業協同組合)だったのです」。
 つまり検査により、放射能の影響がハッキリすれば、農・畜産物の出荷販売ができなくなります。
農家が大打撃を受ける。
そうでなくても、検査の実施自体が風評被害を呼ぶことをJAは懸念し、足場が揺らぐことを恐れた議員もまた、それに乗ったのだ』(P026)と。

 あのね・・・被害が、実際に出てくるのは、2013年3年以後~。
あのチェルノブイリでも、被害が出始めたのが、2年後。
10年後にピークを迎え、30年近くたった今でも、世代を超えて、その後遺症に苦しんでいる。

 まだ1年ちょっとしかたっていない今の段階で、「安全宣言」を出す方がおかしい。
狂っている。
数日前も、福島県産のモモを、野田総理大臣が、鼻の下を長くしながら、ほおばっていた。
「おいしいです」と。
両横には、ピンク色の着物を着た女性が2人、立っていた。

●風評被害?

 私たちは、マスコミによって、明らかに洗脳されている。
で、そのマスコミを裏から操り、私たちをロボット化しているのが、「金権」という魔物。言いかえると、マスコミ自体も、「利潤を追求する、企業集団」に過ぎない。
正義や道徳を期待するほうが、おかしい。
無理。

 ならば私たちは少ない情報をもとに、自ら防衛するしかない。
身を守る。
その第一の力が、「思考力」ということになる。

 が、今は、時代が変わった。
こうして私のように、地方に住む、1市民ですら、情報を発信し、それに自分の意見を乗せることができるようになった。
より多くの人たちが、こうした形で立ちあがれば、この日本に潜む(矛盾)を、解決できる。
そのヒントをくれた、「最新、日本のタブー」には、感謝したい。
久々に、頭の中がスッキリした。
一読を勧める。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 宝島 最新、日本のタブー 風評被害 福島県産 農産物)2012/07/28記


Hiroshi Hayashi+++++July.2012+++++はやし浩司

ケチ+ためこみ屋

2012-07-28 07:59:11 | 日記
【大物タイプvs小粒タイプ】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

高校2年生のクラス。
4人+1人の生徒が、来ている。
4人は、高校2年生。
残りの1人は、中学3年生。
中学3年生の子ども(女子)は、言うなれば見習い。
高校生の間に座らせることによって、(勉強癖)を、見習う。
もらう。
勉強癖のない子どもには、この方法がもっとも効果的。
『子どもの先生は子ども』
子育てを考える、大鉄則。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●小銭を稼いで、大志を捨てる

その4人の高校生のうち、1人(男子)の様子が、少し変化してきた。
近くのファーストフード店で、アルバイトをするようになってからのこと。
教室の月謝を、自分が受け取る(時間給)で割るようになった。
ときどき、ふと、「もったいない」という言葉を使うようになった。
こういう現象を、『小銭を稼いで、大志を捨てる』という。
高校生の間で、よく見られる現象である。

●弱化の原理

 原因は、弱化の原理。
脳の奥深くで、自分を(負の方向)に引く……そんな力が働いている。
たいていは、何か大きなつまずきがあったことなどが原因で、そうなる。
小学校の入試、あるいは中学校の入試で失敗した、など。
それがトラウマとなり、心の奥に潜む。
そのつど顔を出し、その子どもを(負の方向)に引っ張る。
平たく言えば、一度、自信をなくした子どもに、自信を取り戻すのは、容易なことではない。

 その子ども(A君とする)のばあいは、何が原因なのかは、私にはわからない。
恐らく本人にも、わかっていない。
それだけに、その子どもから、原因を取り除くのは、むずかしい。
不可能とさえ断言してよい。

●前向きに進む子ども

 4人のうち、その生徒をのぞいて、3人、医師をめざしている。
うち2人は、父親も医師。
もう1人(男子)は、残りの2人の影響を大きく受けた。
くわえてその男子は、スポーツマン。
1年のときから、正選手として活躍している。
インターハイへの出場を、もくろんでいる。

 「君も医者になったら?」と言うと、いつも「ぼくは、科学者のほうがいい」と。
が、内心では、医師をめざしている。

●大志

 小銭で、大志を捨てる子どももいれば、大志を大志と意識しないまま、大志に向かって進む子どももいる。
(医師にはることが、大志と、私は書いているのではない。誤解のないように!)
自ら小さくなっていく子どももいれば、自ら大きくなっていく子どももいる。

 まずいのは、小銭の計算に振り回されること。
だからといって、小銭を粗末にしてよいと書いているのではない。
小銭にうるさいということは、万事に、ケチで、ため込み屋。
小さな世界で、こじんまりと生きる。
無難で安易な道を選ぶ。
総じてみれば、長男、長女に多い。
生活態度が、防衛的。
「小銭を大切にする」というのは、そういう意味。

●おとなの世界

 おとなの世界は、そういった子どもたちの(結果)ということになる。
さらに50代、60代の人たちは、その(結果)ということになる。
私がいちばん嫌うのは、自分では何もしなかった人が、他人を笑うこと。
他人の失敗を、ことさら大げさに、取りあげる。
「だからあいつは、ダメなんだよ」とか。

 昔は、そういう人を「小市民」と呼んだ。
私の知人にもいる。
いつだったか、私にこう言った。
「はやし君、50歳を過ぎたら、生活をコンパクトにしなさいよ」と。

 コンパクト?

 どうしてこの私がコンパクトに生きなければ、ならないのか?
死ぬまでが人生。
少なくとも、死ぬまで、私たちは生きている。
(……とは書きつつも、「そうかなア?」と迷う部分もないわけではないが……。)

 その知人が、何かをした人なら、私も納得する。
しかしその知人は、大きな楽器工場で、生涯、社員として過ごした。
(社員が小市民というわけではない。そうでない人も多い。誤解のないように!)
そんな人が、そう言う。

●親の生き様

 大きな子どもにするかどうか。
それを決めるのは、親の生き様による。
学校でもないし、教育でもないし、教師でもない。
ただひとつ気になることはある。

 大志を隠しもっている子どもは、同時に広く、世界に目を向けている。
先に書いたインターハイをめざしている子どもは、世界で活躍するスポーツ選手に詳しい。
先日も、こう言った。
「野茂(ピッチャー)は、日本の球団をやめ、アメリカへ渡ったんだよ。
年俸も10分の1になったんだよ。
野茂が、つまりプロ野球の世界に、新しい道を作った」と。

 そうでない子どもは、そうでない。
世界が小さい。
話すことといえば、ゲームのことだけ。
「ゲームがなかったら、ぼくは1日で、気が狂う」などと、平気で言ったりする。
そこにあるものを、自分の世界に引き込むだけ。
自分で作ろうとしない。

音楽にしても、聞くだけ。
スポーツにしても、見るだけ。
本にしても、読むだけ。
ゲームにしても、楽しむだけ。

 「ゲーム言語を覚えて、自分でゲームで作ってみたら?」と聞いても、「むずかしそうだから、いやだ」と。
万事、自分が安易にできる範囲で、できることとしかしない。
が、これでは、外の世界を見ることができない。

●損をする人生

 つづきとして書きたいことは、山のようにある。
またそれについては、たびたび書いてきた。
が、結論として言えることは、『ケチは人を小さくする』。

 が、誤解してはいけない。
(ケチ)と(質素)は、別。
ここでいう(ケチ)というのは、たとえば小銭を惜しんで、自分に投資しない人のことをいう。

●2つのタイプ

 この時期に、子どもたちは、大きく2つの道に分かれていく。
より大きくなっていく子ども。
より小さくなっていく子ども。

 特徴としては、より大きくなっていく子どもは・・・、

(1)失敗を楽しむ
(2)挑戦的
(3)多芸多才
(4)情報に敏感で、即応していく
(5)おおらかで、スケールが大きい
(6)受験勉強を肯定的にとらえる

反対に小さくなっていく子どもは・・・

(1)他人の失敗を笑う
(2)保守的
(3)趣味が単一化している
(4)思考回路が固定化している
(5)ケチ
(6)社会的に通用しない価値観をもつ

●私たちの問題

 結果は・・・と書くまでもない。
こうした生きざまは、40代ごろになると、結果として現れてくる。
50代になると、さらにはっきりしてくる。
で、それはそのまま人生の密度として、はね返ってくる。

 ・・・もっとも、人生の密度というのは、その人にはわからない。
10年1律に生きている人でも、「私は濃い人生を送っている」と言う人がいる。
反対に、きわめて密度の濃い人生を送りながら、「さらに・・・」と考えている人もいる。
さらに言えば、人というのは、自分にとって都合の悪い情報を遠ざけようとする傾向がある。

 たとえば人生の密度の薄い人は、濃い人を避ける。
自分の人生の(薄さ)を知ることは、不愉快なことでもある。
敗北感が、自己否定につながることもある。
だから避ける。
つまり小さく生きている人は、小さく生きているどうしで集まり、細々と自分をなぐさめあって生きている。
今の私がそうかもしれないし、あなたもそうかもしれない。

 どうであれ、その分かれ道は、中学から高校にかけて、やってくる。 
言いかえると、そのころ、それまでの(育て方)の(結果)がやってくる。

●A君

 あるとき、A君は、こう言った。
見習いに入ってきた、中学3年生の女子について、「先生、月謝の無駄だよ」と。

 その女子は、ほとんど勉強らしい勉強をしなかった。
それでそのクラスに入れた。

私「どうして?」
A「たった1問を解くのに、30分もかかっている・・・」
私「それがその子の力なんだから、しかたないよ」
A「1問で、エエ~と、1500円かア」と。

 月謝を時間割にして計算した。

私「あのね、もし、君が自分のことで同じように考えているなら、ぼくの教室をやめてもいいよ」
A「どうして?」
私「ものを習うというのは、何も、知識を得るためだけではない」
A「・・・」
私「あの女の子は、君たちから勉強癖をもらうために、この教室にいるんだよ」
A「勉強なんて、自分ですればいい。ただだから・・・」
私「・・・そうかな? 本当にそうかな?」と。

 「A君は、近く私の教室をやめていくだろうな」と感じた。
が、それはA君には言わなかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 大きく伸びる子ども 小さくなる子ども ケチな子ども)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●ためこみ屋(ケチ)2009年3月に書いた原稿より



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数日前、「ためこみ屋」と呼ばれる人について書いた。

どんどんと、自分の身のまわりに、ものをためこむ人をいう。

「ためこみ屋」というのは、私が考えた言葉ではない。

心理学の本にも出ている。

ちゃんとした言葉(?)である。

時に家中を、ものだらけにしてしまう。

ひどくなると、家の中や外を、ごみの山にしてしまう。



一般的に、ためこみ屋は、ケチである。

ためこみ屋、イコール、ケチ、ケチ、イコール、ためこみ屋と考えてよい。

が、一方的にケチかというと、そうでもない。

ときに突発的に寛大になることがある。

雰囲気にのまれて、大金を無駄にはたいたりする。

こうした現象は、排便論で説明される。



フロイト学説によれば、2~4歳の肛門期に、何かの問題があって、

そうなるという。

つまり乳幼児にとっては、便は(財産)。

その便をためるという行為が、ものをためるという行為につながる。

しかし同時に、排便の快感も味わう。

それが(突発的に寛大になる)という行為につながる。



もう少し詳しく説明すると、こうなる。

肛門期に、(1)親にきびしい排便のしつけがされた、(2)排便にたいして適切な

指導を受けなかった、(3)排便について、何らかのトラウマができた。

排便だけではない。



とくに注意したいのが、愛情問題。

たとえば下の子どもが生まれたりして、上の子どもが、愛情飢餓状態に

なることがある。

親は「平等にかわいがっています」と言うが、上の子どもにしてみれば、

それまであった(愛情)が、半分に減ったことが不満なのだ。

赤ちゃん返りは、こうして起きる。



そういう経験をした子ども(人)は、生活態度が、防衛的になる。

長男、長女がケチになりやすいという現象は、こうして説明される。



が、こうした現象を知ることによって、私たちは私の中の(私)を

知る手がかりを得ることができる。

あるいはそのヒントを得ることができるようになる。

ここでは、それについて考えてみたい。



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●私の知人



私は基本的には、ケチではない。

自分で自分をケチと思ったことはない。

しかしそんな私でも、ときどき落ち込んでいるようなとき、パッと

ものを衝動買いすることがある。

とたん、気分がスカッとする。

反対に、ものを衝動買いすることによって、ストレスを発散させることもある。

これも言うなれば、肛門期の名残(なごり)ということになる。



が、それが病的な状態にまで進んでしまうことがある。

だれがみても、(ふつうでないという状態)になることがある。

それがここでいう「ためこみ屋」ということになる。



私の知人に、こんな人(50歳くらい)がいる。

ケチの上に、「超」がつくような人である。

娘が結婚したが、その引き出物として、100円ショップで買ってきた

家庭用品を5~6個ずつ、箱に入れて渡していた。

(100円ジョップの商品だぞ!)



もちろん小銭に、うるさかった。

小さな菓子屋を経営していたが、妻などは、家政婦くらいにしか

考えていなかった。

すべての行為が、(金儲け)につながっていた。

またそういう目的のために、結婚したようなもの。

妻を使ったというより、こき使った。

そのため妻はやがて、うつ病になり、自殺未遂まで起こしている。



が、悲しいかな、それでその知人が、自分の愚かさに気づいたというわけではない。

妻は1か月ほど入院したのだが、入院費がもったいないという理由で、その知人は、

無理に退院させてしまった。



そのあとのことは知らないが、人づてに聞いたところでは、その知人はケチはケチだが、

ためこみ屋ではないとのこと。

家の中も、それなりに整頓されているとのこと。

しかしそれには、妻の努力があったようだ。

妻が、きれい好きだったということか。

加えてケチが転じて、その知人は、守銭奴になった。

何しろ子どもの学費すら、「もったいない」と言って、ケチったという。



これはあくまでも一般論だが、ためこみ屋の人は、ものを失うことに、強迫観念を

もっていると考えられる。

あるいは時間に対して、異常なまでに執着し、そのため生活そのものが時刻表的

になることが多い。

これは乳幼児期における、神経質な排便指導が原因と言われている。



●人は人



もっともそれでその知人がそれでよいというのなら、それでよい。

私のような他人が、とやかく言ってはならない。

またそんなことをすれば、それこそ、内政干渉。

しかしその知人は、私たちに大切な教訓を与えている。

つまり(私の中の私)である。



ためしにその知人に、こう言ってみたらどうだろうか。

「あなたはあなたですか? 

あなたはあなたの中の、あなたでない部分に

操られているとは思いませんか?」と。



その知人は、まちがいなく、その質問に猛反発するにちがいない。

「私は私だ。私のことは、私がいちばんよく知っている」と。



しかしそうでないことは、ここまで読んでくれた人にはわかるはず。

その知人もまた、(私であって私でない部分)に操られているだけ。

原因はわからないが、いろいろ考えられる。



その知人は、4人いる兄弟姉妹の長男。

昔からの菓子屋。

父親は、道楽三昧(ざんまい)の遊び人だった。

母親は、近所でも有名なほど、勝気な人だった。

そのため長男のしつけには、ことさらきびしかったようだ。

そういう家庭環境の中で、その知人は、その知人のようになった。



言い換えると、自分を知ることは、それほどまでに難しいということ。

しかし知ろうと思えば、知ることは、けっして不可能ではないということ。



●そこで(私)



もしこの文章を読んでいる(あなた)が、ここでいう「ためこみ屋」で、

ケチであるなら、(つまりそういう症状が出ているなら)、一度、自分の心の中を

のぞいてみるとよい。



あなたも、(私であって私でない部分)に気がつくはず。



そして……。



こうして(私)の中から、(私であって私でない部分)を、どんどんと取り除いて

いく。

ちょうどたまねぎの皮をむくように、だ。

そして最後に残った部分が、(私)ということになる。



ただそのとき、恐らくあなたは、(私)がほとんどないことを知るかもしれない。

(私)というのは、たまねぎにたとえるなら、たまねぎの中心部にある、細くて

糸のようなもの。

あるいはもっと小さいかもしれない。

つまりそれくらい、(私)というのは、頼りない。



●スズメはスズメ



だから、さらに……。

ためしに、庭に遊ぶスズメを見てみたらよい。

スズメたちは、恐らく、「私は私」と思って行動しているつもりかもしれない。

しかし北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメ。

どこかで連携しているというわけでもないのに、まったく同じような行動パターンで、

同じように行動している。

もちろんどこかで共通の教育を受けたということでもない。

が、同じ。

私たち人間から見れば、同じ。

つまり(私)というものが、どこにもない。



同じように、アメリカ人も日本人も、人間は人間。

それぞれ「私は私」と思って行動しているが、視点を変えれば、まったく同じような

行動パターンで、同じように行動している。



スズメの中に(私)がないように、実は、私の中にも、(私)というのは、ほとんどない。

「まったくない」とは思わないが、ほとんど、ない。



●ある生徒



たとえばケチな人は、ケチであるということに気がつくか、どうか?

少し話はそれるが、私の生徒のことで、こんな経験をしたことがある。



ある生徒(高2男子)が、私にこう言った。

「生徒会の仕事をするようなヤツは、バカだ」と。

そこで私が理由をたずねると、こう言った。

「そんなことをしていたら、受験勉強ができなくなる」と。



私はその言葉を聞いて、しばらく考え込んでしまった。

たしかにその生徒の言っていることは正しい。

有名大学への進学を考えるなら、1時間でも、時間は惜しい。

生徒会の仕事をしていたら、勉強の時間が犠牲になる。

それはわかる。

しかしその生徒は、受験勉強という、もっと言えば、受験制度の中で、

踊らされているだけ。

もちろんその生徒は、それには気づいていない。

「私は私」と思って、自分で考え、自分で行動している。



さらに言えば、ではその生徒は、何のために勉強しているのか。

何のために高校へ通っているのか。

そういうことまで考えてしまう。



つまりこうした疑問は、そっくりそのままケチな人についても言える。

その知人は、何のためにお金をためているのか。

何のために生きているのか。

そういうことまで考えてしまう。



●私を知る



ではどうすれば、その知人は、どうして自分がそうであることを知ることができるか。

その方法はあるのか。

その知人のことを心配して、こう書いているのではない。

その知人は、その知人でよい。

しかしそれを考えることによって、私たちは自分を知る手がかりを得ることができる。

そのために、その方法を考える。



まず、その知人は、自分がケチであることを知らねばならない。

これが第一の関門。

しかし実際には、そういう人にかぎって、自分がケチとは思っていない。

「自分は堅実な人物」とか、「他人は浪費家」と思っている。

人生観、さらには哲学まで、その上に、作りあげてしまう。

さらに『類は友を呼ぶ』の諺(ことわざ)どおり、そういう人たちはそういう人たちで、

ひとつのグループを作ってしまう。



だからますます「私」がわからなくなってしまう。



言い換えると、私たち自身も、実は同じことをしているのに気がつく。

(私であって私でない部分)が中心にあって、そのまわりを、たまねぎの皮のような

ものが、つぎつぎと重なっている。

そしてつきあう相手も、自分にとって居心地のよい人を選ぶ。

たとえば冒頭に書いたように、私自身はケチではないから、ケチな人間が好きではない。

ケチケチした人のそばにいるだけで、息苦しさを覚えることもある。



しかしそれは本当の(私)なのか?



ケチに気づくことも難しいが、自分がケチでないことに気づくのも難しい。

どちらであるにせよ、どちらがよいということにもならない。

先の高校生について言うなら、現代という社会は、そのほうが、生きやすい。

たしかに「生徒会などをしているヤツは、バカだ」ということになる。



●作られる(私)



で、そういう自分であることに気がついたとする。

つぎに私たちは、いつ、どこで、どのようにしてそういう(私)ができたか、

それを知る。

これが第二の関門。



私はそのためには、精進(しょうじん)あるのみ、と考える。

昨日の私より、今日の私を賢くすることしか、方法はない。

人は、より賢くなって、それまでの自分が愚かだったことを知る。



専門家に相談するという方法もあるかもしれないが、そのレベルまで到達した

専門家をさがすのは、たいへん難しい。

へたをすれば、どこかのカルト教団の餌食(えじき)になるだけ。

占いや、占星術、さらにはスピリチュアルなどというわけのわからないものを、

押しつけられるだけ。



そこで精進。

つねに勉強し、つねに視野を広める。

手っ取り早い方法としては、心理学や哲学を学ぶという方法もある。

が、何よりも大切なことは、自分で考えるということ。

考える習慣を身につけること。

その習慣が、やがて(私)の発見へとつながっていく。



●(私)を知るメリット



もっとも(私)を知ったところで、それがどうした?、と考える人もいるかも

しれない。

(私)を知ったところで、直接、何らかの利益につながるというわけではない。

しかし(私)を知ることによって、私たちは、そこに生きる意味を見出すことができる。

それがわからなければ、反対に、もう一度、庭に遊ぶスズメたちを思い浮かべて

みればよい。



スズメはスズメ。

同じように、人間は人間。

もしそうなら、私たちはスズメと、どこもちがわないということになってしまう。

言い換えると、私たちは(私)を知ることによってのみ、生きる意味そのものを

知ることができる。

そこに生きる意味を見出すことができる。

(私)があって、私たちははじめて、生きることになる。

その実感を手に入れることになる。

そしてそれがわかれば、まさに『朝に知れば、夕べに死すも可なり』ということになる。

「朝に真理を発見できれば、夕方に死んでも悔いはない」という意味である。

もっと言えば、無益に100年生きるより、有益に1日を生きたほうが、よいという

意味である。



(私)を知るということは、そういうことをいう。



●再び、「ためこみ屋」



「ためこみ屋」の人にしても、「ケチ」と周囲の人にうわさされるほどの人にしても、

何らかの心のキズをもった人と考えてよい。

またそう考えることによってのみ、そういう人たちを理解することができる。

(あえて理解してやる必要はないのかもしれないが……。)



しかし先にも書いたように、あなたや私にしても、みな、何らかのキズをもっている。

キズをもっていない人は、いない。

ぜったいに、いない。



大切なことは、まずそのキズに気がつくこと。

そうでないと、あなたにしても、私にしても、いつまでもそのキズに振り回される

ことになる。

同じことを繰り返しながら、繰り返しているという意識すらない。

ないまま、また同じことを繰り返す。



しかしそれこそ、貴重な人生、なかんずく(命)を無駄にしていることになる。



(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 ためこみ屋 ケチ
ケチ論 肛門期 フロイト はやし浩司 私論 私を知る)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司