最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●BW子どもクラブbyはやし浩司Hamamatsu Japan

2010-07-31 20:54:26 | 日記
●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司

【BW子どもクラブ】
(年少児・年中児)
「長さの勉強」
●楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ
(Happy Learners learn Best!)

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(検索用)

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(1)日本人の依存性

2010-07-30 08:06:44 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2010年 7月 30日
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●保護と依存(基本的依存関係)

+++++++++++++++++++++

「基本的信頼関係」という言葉がある。
これに対して、「基本的不信関係」という
言葉がある。
「基底不安」という言葉もある。
しかし「基本的依存関係」という言葉はない。
この言葉は、私が考えた。

+++++++++++++++++++++

●基本的依存関係

 一度、両者の間で、(保護)(依存)の関係ができると、それを是正する
のは、容易なことではない。
そのままの状態で、一生つづくことも、珍しくない。
保護する側は、常に保護する。
依存する側は、常に依存する。
母子の間では、とくにそうである。
それが基本となって、あらゆる人間関係に影響する。
だから「基本的依存関係」。

 そこで父親の役目。
父親は、母子の間に割って入り、保護と依存の関係を是正する。
イギリスでは、『子どもを産んで育てるのは母親の役目だが、狩の仕方を
教えるのは、父親の役目』と教える。
子どもを自立させ、たくましくするのは、父親の役目というわけである。

●母親の問題

 が、依存性の強い子どこというのは、いる。
その年齢にふさわしい核(コア)形成が遅れ、何かにつけ依存的で、
たくましさがない。
柔和で穏やか。
やさしくて、ひ弱。

 そういう子どもを見て、母親は、「どうすれば・・・?」と言う。
しかしそれは子どもの問題というよりは、家庭の問題。
家庭の問題と言うよりは、育児姿勢の問題。
なかんずく母親の問題。

 依存性の強い子どもは、たいてい依存性の強い母親のもとで育っている。
母親自身が自立できていない。
このため子どもの依存性に気づかない。
気づかないまま、子どもを、甘い環境で包んでしまう。
自分が甘いことにすら、気づかない。
その結果として、子どもは、依存性の強い子どもになる。

 してもらうのが、当然、と。

●D君のケース

 印象に残っている子どもに、D君(年長児)という子どもがいた。
そのD君、自分からは、何もしようとしない。
「鉛筆を出してね」と声をかけても、母親のほうを、じっと見ているだけ。
「プリントをしまって、帰るしたくをしようね」と声をかけても、
ただボーッと立っているだけ。

 で、そういうときは、その子どもが行動に移るまで、待つ。
根気よく待つ。
何度も同じことを繰り返して言う。
が、D君はそのうち、メソメソと泣き出してしまった。
たぶん家では、そうすれば、みなが飛んできて、D君のめんどうをみるの
だろう。
が、私は無視した。
が、これが参観していた母親を怒らせた。
突然、こう言って叫んだ。

「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。

●保護と依存

 子どもの世界だけではない。
おとなの世界でも、一度、(保護)と(依存)の関係ができると、それが
ひとつの人間関係として、固定化してしまう。
してもらうほうは、常にしてもらうことを、当然と考える。
してやるほうは、常にしてやることを、当然と考える。
が、それだけではない。

 依存性が強くなると、依存していることすら、忘れてしまう。
忘れた上で、今度は、それを請求してくるようになる。
「どうして助けてくれないのか?」と。

●意識の問題

 私も息子たちの関係において、それを経験している。
たとえば息子たちにかぎらず、今の若い人たちに、戦後の苦労話を
しても、意味はない。
たとえば私は、子どものころ、「貧乏」がこわかった。
貧乏の恐ろしさを、身をもって体験している。
近所でも、夜逃げした人は多い。
だから私は、社会へ出ると、懸命に働いた。
息子たちにだけは、貧乏を経験させたくなかった。
が、それについて、息子たちはこう言う。
「パパは、仕事ばかりしていて、ぼくたちのことを構ってくれなかった」と。

●自業自得?

 それだけではない。
20代、30代のころ、私には休日がなかった。
月に1日だけという月が、ずっとつづいた。
私は私なりに、がんばった。
しかしその(がんばった)という部分が、今の若い人たちには、理解できない。
・・・理解してもらえない。

 いつだったか、私が戦後の日本はそうだったと話したことがある。
それについて、息子の1人は、こう反論した。

「そんなのは、戦争を起こしたパパたちの責任だろ。自業自得」と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。

さらに言えば、今に見る飽食の時代にしても、日本は明治の昔から
そうだったと思い込んでいる。
で、息子たちに、「ぼくたちは、食べていくだけで精一杯だった」
と言っても、息子たちには、それが理解できない。

 保護と依存の問題は、意識の問題。
その意識そのものがズレると、こういう現象が起きる。

●裏目

 今、私たちがしてきた子育てが、裏目、裏目に出始めている。
たとえば私たちは、いつも腹をすかせていた。
よく覚えているのは、学校の給食が、ごちそうだったこと。
毎日、家では見たことがないような料理が並んだ。
クリームシチューにしても、スパゲッティにしても、さらにはハンバーグにしても、
珍しかった。
(牛肉のステーキなどというものは、めったに食べられなかったぞ!)

 だから息子たちとレストランへ入り、みなでステーキを食べるたびに、
こう思った。
「よかった」と。
が、そんな思いは、子どもたちには通じない。
通じないばかりか、それを口にしたとたん、「パパは昔の話ばかりする」と、
はねのけられてしまう。
私がどんな言い方をしても、息子たちには、グチに聞こえるらしい。
あるいは「恩着せ?」。

●がむしゃらに生きてきた
 
 しかしその一方で、バカらしさを覚えるのも、これまた如何(いかん)とも
しがたい。
「私たちは、何を求めて、何のためにがんばってきたのか」と。
知人の中には、会社人間として、会社のために家族を犠牲にした人も多い。
かつてそれを知ったオーストラリアの友人は、こう言った。
「家族をバラバラにされて、何が仕事か?」と。
彼は、単身赴任を批判して、そう言った。
私がオーストラリアへ渡った、40年前のことである。

 もっともその結果として、今の日本がある。
一時は、世界第二の経済大国として、世界に君臨した。
が、基本的依存関係というのは、恐ろしい。
依存する側は、それを「当たり前」という前提で、考える。
失うことの恐ろしさを知らない。
失ったあとの、貧しい世界を知らない。
そればかりか、今度は反対に、老人たちを、じゃま扱いするように
なってきている。
 
 私たちは、今のような日本をつくるためにがんばってきたのか?
・・・というのは、言いすぎ。
本当のところ、私たちは、ただひたすら、がむしゃらに生きてきただけ。
今の中国や韓国の人たちのように、がむしゃらに生きてきただけ。
今の日本は、あくまでもその結果でしかない。

●頭をさげさせる

 総じて言えば、日本人は、保護と依存の関係に、甘い。
親をさして、「保護者」と呼ぶところにも、それが表れている。
が、それを是正する時期は、近い。

 たまたまおとといも、ある幼稚園で講演をさせてもらった。
その席でも、私はこう言った。

「子どもに、勉強しろと言ってはいけませんよ。
言えば、その責任を取らされますよ」と。

 今、親に感謝しながら高校へ通っている子どもは、皆無。
大学生でも、いない。
「行くのが当然」「親が学費を出すのは当然」と考えている。
「責任を取らされる」というのは、そういうことを言う。
だから講演では、つづけてこう言った。

 「1度は、子どもに頭をさげさせること。
2度でも、3度でもいい。
『お父さん、お母さん、勉強したいから、大学へ行かせてください』と」と。
それがなかったら、学費は、自分自身の老後のために蓄えておいたほうがよい。

●ありがた迷惑

 こうした基本的依存関係は、代々、親から子へと伝えられる。
そして親は、子どもが生まれたときから、基本的依存関係を作ってしまう。
子どもが望みもしないうちから、「そら、ピアノ教室」「そら、水泳教室」と。
親によっては、子どもに楽をさせること。
楽しい思いをさせること。
それを親の務めと考えている。

 そうそうこんな会話を、数日前、電車の中で聞いた。
ある若い母親が、別の若い母親にこう言っていった。

「あのね、うちの親ったらね、毎週のように、いろいろなものを
送ってくれるのよ。
実家が寿司屋でしょ。
だから高級魚ばかり。
そのせいで、うちの子ったら、安い魚は食べないのよ」と。

 どこか、ありがた迷惑といった感じだった。
私はそれを横で聞きながら、自分の心を支えていたつっかい棒が、
ガクリとはずれるのを感じた。
実は私も、孫たちに対して、同じことをしている。

●では、どうするか?

 私たちは私たちで、生きる。
甘い幻想や期待は、もたない。
若い世代が、「自業自得」という言葉を使うなら、この先、日本が衰退
しても、それもまた自業自得。
今の日本は、私たちの世代が作った。
同じようにこれからの未来は、今の若い世代が作っていく。

 ・・・と考えるのは、あまりにもさみしい。
そこで私は、私たちの世代に向かって、こう提言したい。

もっと若い人たちの世界に、切り込んでいこうではないか、と。
もっと存在感をアピールしていこうではないか、と。
体力や気力を使う分野では勝ち目はない。
しかしそれ以外の分野なら、まだまだ負けない。
つまりは自立した老人として、若い人たちに向かって、果敢なく
挑戦していく。

 そう、今こそ、私たちは、保護・依存の関係をぶち壊し、自立した
老人として、前に向かって進む。
堂々と、独居老人になってやろうではないか。
堂々と、孤独死を、なしとげてやろうではないか。
つまりそういう形で、私たちの生き様を、若い人たちに見せつけて
やろうではないか。

●基本的依存関係

 「基本的依存関係」という言葉を先に考えた。
が、書いているうちに、老人論になってしまった。
読んでくれた人には、申し訳ない。
つまりは、土居健郎の「甘えの構造」の焼き直し版というところか。

 つまり私が書きたいのは、日本人というのは、総じてみれば、「依存型民族」である
ということ。
そしてその原因は、親から子へと代々とつながる、育児観にあるということ。
子どもを依存型に育てながら、依存型に育てているという意識そのものが薄い。
ここでいう「基本的依存関係」というのは、そういう言葉として、理解してもらえば、
うれしい。

 それについて書いた原稿をさがしてみる。

+++++++++++++++++

今から7年近くも前に書いた原稿である。

+++++++++++++++++

【日本人の依存性】

●孫から学んだこと(What I learnt from my G-son)

孫の誠司と接して、学んだことは多い。
たとえば、誠司は、こう言う。

(のどが渇いたとき)……「何か、飲み物をもっているか?」
(風呂に入るとき)……「足がやけどする」
(おなかがすいたとき)……「グレープフルーツを食べたい」と。

同じような場面のとき、日本の子どもなら、(だから、何とかしてくれ言葉)を使う。

たとえば、

(のどが渇いたとき)……「のどがかわいたア! (だから何とかしてくれ)」
(風呂に入るとき)……「熱い! (だから何とかしてくれ)」
(おなかがすいたとき)……「腹、減ったア! (だから何とかしてくれ)」と。

こうした日本人独特の依存性は、おとなになってからも、消えない。

私の叔母のひとりは、50代のころから、いつもこう言っていた。
電話で、話を始めるたびに、
「おばちゃん(=叔母自身)も、歳を取ったからねエ~。(だから、何とかしてくれ)」と。

何も叔母を責めているのではない。
その地方では、そういう言い方が、ごくふつうの言い方となっている。
が、ときとして、イヤミに聞こえることもある。

たとえばしばらく実家に帰っていないでいたりすると、
「浩司君の家の横に、ゴミがたまっていたぞ。(だから何とかせよ)」、
「J君(=私の実兄)が、猛スピードで、坂を、自転車で走っていたぞ。(だから何とかせ
よ)」と。

「浩司君の夢を見たから」とか何とか、おかしな理由をつけて、電話をかけてくる。

一方、私が住んでいるこの浜松では、そうした言い方は、あまりしない。
とくにワイフの家族は、しない。
みな、独立心が旺盛で、それぞれが高次元な立場で、尊敬しあっている。

そんな私でも、誠司の言葉には、そのつど、驚く。
誠司は、日本語をほとんど話せない。
日本人というよりは、アメリカ人である。

いつもYES・NOをはっきりと言う。
会話は、そこから始まる。
だから何かほしいものがあったりすると、直接、「~~がほしい」などと言う。
わずか10日間ほどのつきあいだったが、そのつど、私は、こう思った。

「こんな5歳の子どもでも、日本人とは、ちがうなア~」と。

その日本人の依存性については、たびたび書いてきた。
つぎの原稿は、5年前(03年)に書いた原稿である。

++++++++++++++

●拉致(らち)問題

 昨日の記者会見で、官房長官のF氏は、さかんにこう言っていた。「日本の立場は、アメ
リカも韓国も、よくわかっていてくれるはずです」「日本の立場は、じゅうぶん説明してあ
るので、わかってくれているはずです」と。

 まさに日本という国家そのものが、依存国家とみてよい。こういう会話は、依存性の強
い人ほど、好む。

 少し前だが、こんな子ども(小五女児)がいた。「明日の遠足を休む」と言うので、「担
任の先生に連絡したのか?」と聞くと、「先生は、わかっていてくれるはず」と。

 「どうして?」と私。
 「だって、今日、おなかが痛いと、言ったから」と、子ども。
 「しかし休むなら休むで、しっかりと先生に言ったほうがいいのでは?」
 「いいの。先生は、わかっていてくれるはずだから」と。

 日本語には、「だから、何とかしてくれ言葉」というのがある。たとえばのどがかわいて
も、「水がほしい」とは言わない。「のどがかわいたア~」と言う。子どもだけではない。
ある女性(五〇歳)は、子どもや親類に電話をかけるたびに、「私も年をとったからネー」
を口ぐせにしていた。つまり、「だから、何とか、せよ」と。

 しかし国の「長」ともあろうF氏まで、そういう言い方をするとは! 「ハズ論」で動
かないのが、国際社会。少なくともアメリカ人には、通用しない。そう言えば、五、六年
前、ときの外務大臣のK氏が、あの北朝鮮に、百数十万トンもの米を援助したことがある。
そのときも、K氏は、そう言っていた。「日本も、これだけのことをしてあげたのだから、
北朝鮮も、何か答えてくれるはず」と。

 が、結果は、ゼロ。K氏は、「これで北朝鮮が何もしてくれないなら、私は責任をとる」
とまで言い切ったが、その責任をとった形跡は、どこにもない。

 こうした依存性は、親子の間にもある。

 「これだけのことをしてあげたのだから、うちの子どもは、私に感謝しているはず」「親
子の絆(パイプ)は、太くなったはず」と。つまり日本の親たちは、まず子どもに、いい
思いをさせる。ついで親としての優越性を、子どもに見せつける。「私に従えば、いいこと
がある」「私には、これだけの力がある」と。

 つまり外堀を埋めるような形で、子どもの周辺を、少しずつ、しばりあげていく。そし
て結果として、子どもに依存心をもたせ、ついで、自分も、子どもに依存していく。

 ついでに拉致問題について。

 本来なら、日本の軍隊が突入し、被害者を救出しても、おかしくない事件である。しか
しこの日本には、おかしな平和主義がはびこっている。「ことなかれ主義」を、平和主義と
誤解している人もいる。平和主義もよいが、相手が、日本を攻めてきたときには、どうす
るのか? あるいはそんなときでも、日本は、「アメリカが何とかしてくれるはず」「世界
が黙っていないはず」とでも、主張するつもりなのだろうか。

 日本政府の考え方は、甘い。本当に、甘い。「大国」としての誇りも、自覚もない。現に
今、北朝鮮のあの金XXは、核兵器の開発をしている。もちろんターゲットは、日本。韓
国やアメリカではない。この日本。本来なら、アメリカや韓国の先に立って、この問題を
解決しなければならない。しかし「ハズ論」だけで、みなのうしろをついていく?

 しかしそれにしても、北朝鮮の小さいこと、小さいこと。小細工ばかりしている。先週
も、拉致被害者の子どもたちに、手紙まで書かせている。そんな些細なことにまで、気を
配っている。あきれるより先に、ゾッとする。

私が金XXなら、拉致被害者の子どもたちを、すぐ日本へ返す。恥ずかしいか、恥ずか
しくないかということになれば、つぎからつぎへと脱北者が出ることのほうが、よほど、
恥ずかしい。金XXよ、恥を知れ!

 で、近く、六か国協議が始まる。しかしそれを望むわけではないが、この協議は、失敗
する。理由は簡単。北朝鮮は、核査察など、絶対にさせない。そんなことをすれば、金X
Xの悪行の数々が、白日のもとにさらされてしまう。一説によると、あの金XXは、すで
に数十万人以上の人を、殺害しているという。

 つぎにアメリカにしても、(安保理決議)→(経済制裁)→(金XX体制の崩壊)という
図式を、すでに描いている。中国やロシアを参加させるのは、「やれるだけのことはやって
みなさい。どうせダメだから」ということを、証明するためのものでしかない。

 日本にしても、あの金XX体制を経済援助するということは、隣の暴力団に、資金を手
渡すようなもの。そう簡単には、できない。してはならない。

 問題は中国とロシアだが、彼らにしても、日本のマネーがほしいだけ。日本に金を出さ
せ、その金で、中国やロシアのものを買わせる。あるいは今までの借金を、返済させる。
ただこの力が強ければ、皮肉なことに、六か国協議は、成功する可能性はある。しかしそ
のときは、日本は、屋台骨を数本、抜くぐらいの覚悟はしなければならない。「東京で、核
兵器が爆発するよりは、いいだろう」と。

 さらに中国人や韓国人の、反日感情には、ものすごいものがある。仲よくなりかけると、
アホな政治家が、S国神社を参拝したり、「南京虐殺はウソ」などと言っては、相手を怒ら
せている。S国神社を参拝するのに反対しているのではない。「何も、こういう時期に、あ
えてしなくてもいい」ということだ。

 どちらにせよ、今度の六か国協議は、日本にとっては、戦後、最大の山場になる。決裂
すれば、この秋には、米朝戦争が始まるかもしれない。もしそうなれば、日本も未曾有の
大惨事に巻き込まれる。日本だけが無事ということは、絶対にありえない。

 六か国協議で日本がどのような主張をするか。また世界は、どのような反応を示すか。
拉致問題もあって、目が離せない。
(030805)

(2)日本人の依存性

2010-07-30 08:06:13 | 日記


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もう1作、同じような内容の原稿です。
これは4年前(04年)に書いたものです。

+++++++++++++++++++

●「年だから……」という言い方

7月のはじめ、豪雨が、新潟県から福井県を襲った。

今は、その雨もやっと一息つき、各地で復旧作業が始まった。連日、その模様を、テレ
ビが、ニュースとして伝えている。

 その模様を見ていたときのこと。一つ、気になったことがあった。

 何人かの老人が出てきたが、たまたまどの老人も、こう言った。

 「私ら、年ですから……」
 「年ですからね……」
 「私も、この年ですから……」と。

 つまり老齢だから、こうした復旧作業は、きびしい、と。

 実は、無意識だったが、私も、ときどき、同じ言葉を使うようになってしまった。ワイ
フに向って、「オレも、年だからなあ」とか、息子たちに向って、「パパも、年だからな」
とか。

 つまりは、私はそう言いながら、ワイフや息子たちに、依存しようとしている。甘えよ
うとしている。自分でそう言いながら、ハッと我にかえって、「いやな言い方だ」と思って
しまう。

 もちろん復旧作業にあたっている老人たちには、きびしい作業だろう。やりなれた仕事
ならまだしも、こうした仕事は、使う筋肉もちがう。何よりもたいへんなのは、「ゴロリと
横になって、体を休める場所がない」(ある老人の言葉)ということだそうだ。

 だからそういう老人たちが、つい、「年だから……」と言いたくなる気持は、よく理解で
きる。しかし……。

 この言葉は、どこか(だから何とかしてくれ言葉)に似ている?

 よく依存性の強い子どもは、「のどがかわいたア!」「おなかがすいたア!」「退屈ウ!」
と言う。その子どもは、そう言いながら、親に向って、「だから何とかしてほしい」と言っ
ている。

 同じように、「年だから……」という言葉の裏で、こうした老人たちは、「だから、何と
かしてほしい」と言っている? 私にはそう聞こえる。

 昔、私の伯母にも、そういう人がいた。電話をかけてくるたびに、「オバチャンも、年だ
からねエ……」と。

 今から逆算してみると、そのときその伯母は、まだ、50歳になったばかり。今の私の
年齢より、若い。

 そこで私は、気がついた。人はともかくも、私は、死ぬまで、その言葉を使わないぞ、
と。自信はないが、そう心に決めた。

 このマガジンを書くときも、ときどき、似たような弱音を吐くことがある。しかし弱音
は、弱音。「もう、使わないぞ」と。

 年なんか、関係ない。体が弱くなり、頭の活動はにぶるかもしれない。しかしそれは当
然のことではないか。年のせいにしてはいけない。人間には、年はない。そんな数字にふ
りまわされて、自分をごまかしては、いけない。他人をあざむいては、いけない。

 なまけた心、たるんだ体……、それは年のせいではない。

 ……ということで、今日の教訓。私の辞書から、「年だから……」という、あのどこかず
るい、どこか甘えた言い方を、消す。

 そう言えば、私のワイフなどは、そういう言葉を使ったことがない。どうしてだろう。
あとで、その理由を聞いてみよう。

【ワイフの言葉】

 「私やね、年だなんて、思っていない」と、一言。ワイフの言うことは、いつも、単純、
明快。

 今でも、20歳の娘のようなつもりでいる。……らしい。おもしろい心理だと思う。

 「それにもう一つは、だれかに何かしてほしいとか、してもらいたいとか、そういう気
持ちにはならない。自分のことは自分で何とかしようと、いつも、それしか考えていない
から」と。

 ナルホド!

 「お前はいいダンナをもったな」と私が言うと、ワイフはヘラヘラと笑った。

 「そうじゃないか。オレが、苦労を全部、引き受けているからな」と私。

 ああ、これも依存性の変形か? ともかくも、私は、「年だから……」という言葉を使わ
ないことを、心に決めた。自信はないが……。

【追記】

 山荘の近くに、Kさんという男性がいる。いわゆる老人である。老人と書くのは、失礼
な言い方だが、年齢からすれば、老人ということになる。そのKさん。今年は、78歳に
なるが、今でも、現役で、山の中で仕事をしている。

 畑もあちこちにもっている。会うたびに、ヒョイヒョイと、体を動かして、農作業をし
ている。

 一方、50歳になったばかりというのに、太った体をもてあまし、ハーハーと、息も苦
しそうに歩いている人もいる。Sさんという男性である。聞くと、毎日、1、2本のビー
ルを飲み、ヒマさえあれば、ソファの上で、ゴロ寝をしているという。

 趣味は、テレビでプロ野球をみることだそうだ。

 この二人を頭の中で、単純に比較しても、やはり人間には、年はないということ。たし
かにKさんは、この10年の間に、かなりの畑を減らした。ミカン栽培もやめた。しかし
いつも、できる範囲で、仕事をしているといった感じ。決して、「年だから……」という弱
音を吐かない。

 一方、Sさんは、いつも、「年には勝てないよ」とか、「オレも、年をとってしまったよ」
と言っている。どこか生きザマが、うしろ向き。しかしそういうSさんにしたのは、Sさ
ん自身ではないのか……と、考えて、この話はここまで。

 しばらくこのテーマについて、考えてみたい。
(040723)

+++++++++++++++++++++

こうした日本人の依存性を鋭く追及したのが、
土居健郎「甘えの構造」である。

5年前(03年)に、こんな原稿を書いた。

+++++++++++++++++++++

●依存心

 依存心の強い子どもは、独特の話し方をする。おなかがすいても、「○○を食べたい」と
は言わない。「おなかが、すいたア~」と言う。言外に、(だから何とかしろ)と、相手に
要求する。

 おとなでも、依存心の強い人はいくらでもいる。ある女性(67歳)は、だれかに電話
をするたびに、「私も、年をとったからネエ~」を口グセにしている。このばあいも、言外
に、(だから何とかしろ)と、相手に要求していることになる。

 依存性の強い人は、いつも心のどこかで、だれかに何かをしてもらうのを、待っている。
そういう生きざまが、すべての面に渡っているので、独特の考え方をするようになる。つ
い先日も、ある女性(60歳)と、北朝鮮について話しあったが、その女性は、こう言っ
た。「そのときになったら、アメリカが何とかしてくれますよ」と。

 自立した人間どうしが、助けあうのは、「助けあい」という。しかし依存心の強い人間ど
うしが、助けあうのは、「助けあい」とは言わない。「なぐさめあい」という。

一見、なごやかな世界に見えるかもしれないが、おたがいに心の弱さを、なぐさめあっ
ているだけ。

総じて言えば、日本人がもつ、独特の「邑(むら)意識」や「邑社会」というのは、そ
の依存性が結集したものとみてよい。「長いものには巻かれろ」「みんなで渡ればこわく
ない」「ほかの人と違ったことをしていると嫌われる」「世間体が悪い」「世間が笑う」な
ど。こうした世界では、好んで使われる言葉である。

 こうした依存性の強い人を見分けるのは、それほどむずかしいことではない。

●してもらうのが、当然……「してもらうのが当然」「助けてもらうのが当然」と考える。
あるいは相手を、そういう方向に誘導していく。よい人ぶったり、それを演じたり、あ
るいは同情を買ったりする。「~~してあげたから、~~してくれるハズ」「~~してあ
げたから、感謝しているハズ」と、「ハズ論」で行動することが多い。

●自分では何もしない……自分から、積極的に何かをしていくというよりは、相手が何か
をしてくれるのを、待つ。あるいは自分にとって、居心地のよい世界を好んで求める。
それ以外の世界には、同化できない。人間関係も、敵をつくらないことだけを考える。
ものごとを、ナーナーですまそうとする。

●子育てに反映される……依存性の強い人は、子どもが自分に対して依存性をもつことに、
どうしても甘くなる。そして依存性が強く、ベタベタと親に甘える子どもを、かわいい
子イコール、できのよい子と位置づける。

●親孝行を必要以上に美化する……このタイプの人は、自分の依存性(あるいはマザコン
性、ファザコン性)を正当化するため、必要以上に、親孝行を美化する。親に対して犠
牲的であればあるほど、美徳と考える。しかし脳のCPUがズレているため、自分でそ
れに気づくことは、まずない。だれかが親の批判でもしようものなら、猛烈にそれに反
発したりする。

依存性の強い社会は、ある意味で、温もりのある居心地のよい世界かもしれない。しか
し今、日本人に一番欠けている部分は何かと言われれば、「個の確立」。個人が個人とし
て確立していない。

あるいは個性的な生き方をすることを、許さない。いまだに戦前、あるいは封建時代の
全体主義的な要素を、あちこちで引きずっている。そしてこうした国民性が、外の世界
からみて、日本や日本人を、実にわかりにくいものにしている。つまりいつまでたって
も、日本人が国際人の仲間に入れない本当の理由は、ここにある。
(03-1-2)

●人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛る。義理人情が支配的なモラル
である日本の社会は、かくして甘えの弥慢化した世界であった。(土居健郎「甘えの構造」
の一節)

+++++著作権BYはやし浩司++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++ 
  
●日本人の依存性

 日本人が本来的にもつ依存心は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、日本人が
それに気づくには、自らを一度、日本の外に置かねばならない。それはちょうどキアヌ・
リーブズが主演した映画『マトリックス』の世界に似ている。

その世界にどっぷりと住んでいるから、自分が仮想現実の世界に住んでいることにすら
気づかない……。

 子どもでもおなかがすいて、何か食べたいときでも、「食べたい」とは言わない。「おな
かがすいたア、(だから何とかしてくれ)」と言う。子どもだけではない。私の叔母などは、
もう50歳代のときから私に、「おばちゃん(自分)も、歳をとったでナ。(だから何とか
してくれ)」と言っていた。

 こうした依存性は国民的なもので、この日本では、おとなも子どもも、男も女も、社会
も国民も、それぞれが相互に依存しあっている。

こうした構造的な国民性を、「甘えの構造」と呼んだ人もいる(土居健郎)。たとえば海
外へ移住した日本人は、すぐリトル東京をつくって、相互に依存しあう。そしてそこで
生まれた子ども(二世)や孫(三世)は、いつまでたっても、自らを「日系人」と呼ん
でいる。依存性が強い分だけ、新しい社会に同化できない。

 もちろん親子関係もそうだ。この日本では親にベタベタと甘える子どもイコール、かわ
いい子とし、そのかわいい子イコール、よい子とする。

反対に独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、親不孝者とか、鬼っ子と言って
嫌う。そしてそれと同時進行の形で、親は子どもに対して、「産んでやった」「育ててや
った」と依存し、子どもは子どもで「産んでもらった」「育ててもらった」と依存する。

こうした日本人独特の国民性が、いつどのようにしてできたかについては、また別のと
ころで話すとして、しかし今、その依存性が大きく音をたてて崩れ始めている。

イタリアにいる友人が、こんなメールを送ってくれた。いわく、「ローマにやってくる日
本人は、大きく二つに分けることができる。旗を先頭にゾロゾロとやってくる日本人。
年配の人が多い。もう一つは小さなグループで好き勝手に動き回る日本人。茶髪の若者
が多い」と。

 今、この日本は、旧態の価値観から、よりグローバル化した新しい価値観への移行期に
あるとみてよい。フランス革命のような派手な革命ではないが、しかし革命というにふさ
わしいほどの転換期とみてよい。それがよいのか悪いのか、あるいはどういう社会がつぎ
にやってくるのかは別にして、今という時代は、そういう視点でみないと理解できない時
代であることも事実のようだ。

あなたの親子関係を考える一つのヒントとして、この問題を考えてみてほしい。

(はやし浩司 依存性 依存心 甘えの構造 日本人の依存性 依存 だから何とかして
くれ言葉 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て は
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の依存性 土居 甘えの構造 だから何とかしてくれ言葉 何とかしてくれ言葉 なんと
かしてくれ言葉 はやし浩司)

(3)日本人の依存性

2010-07-30 08:05:41 | 日記



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●6月29日(2010)

++++++++++++++++++

昨日は、10キロを走った。
「走った」と言っても、断続的に駆け足を
したり、早足で歩いたりした。

ほかに夜、7キロを自転車で走った。
こちらは、本気で走った。

ほかにウォーキングマシンで、計40分。
プラス乗馬マシンで、計10分。

今朝も、起きるとすぐ、ウォーキングマシンの
上で、20分、歩いた。
が、気分は……、まだ眠い!

++++++++++++++++++

●睡眠時間

 最近は、早寝、遅起きに心がけている。
10時間前後の睡眠時間をとるように、心がけている。
が、どういうわけか、かえってそのほうが、眠気が残る。
今も、ときどき大きなあくびを繰り返す。
よく眠ったはずなのに……。
これはどういう理由によるものなのか?

●減量(ダイエット)

 4、5日前に体重計に乗ったら、64キロ台。
ゾーッ!
で、おとといから、ダイエット。
運動を重ねて、食事の量を減らした。
で、今朝、計ってみると、61キロ台。
よかった!

 明日は、どこかの旅館で会食。
あわび料理が出るとか。
またまた食欲との闘い。
今日は、それに備えて、食事の量を減らす。

●夢

 ところで私は、夢をよく見る。
とくに起きがけの夢は、楽しい。
何かの映画を観ているよう。
で、目が覚めたあと、よく夢の内容を、ワイフに話してやる。

 で、私の夢のおもしろいところは、奇想天外なところ。
ふだんなら、思いもつかないような内容の夢を見る。
めったに、同じ夢を見ない。
脳みその広さに、我ながら、感心する。

 今朝の夢は、太陽に、地球規模の惑星が衝突するというもの。
みなが、それぞれ飛行機を作り、地球の裏側(夜側)に逃げるという夢。
衝突によって起こる太陽風から、身を守るためである。

 ちょうど夕刻時で、太陽から猛烈なフレアが立ち上るのが見えた。
地球に到達するまでに、10分前後。
私は木製のグライダーのような飛行機に乗って、太陽とは反対側に旋回して
いくところだった。
見ると、大小さまざまな形の飛行機が、並んで飛んでいた。

 恐ろしい夢ということになるが、先にも書いたように、私にとっては、
映画のようなもの。
映画といっても、私自身が、その映画の中に入っている。

 ……やがてそんな映画ができるようになるかもしれない。
「そんな映画」というのは、映画の中で、実体験をするような映画をいう。
つまり自分自身が、主人公となって、映画の中で動き回る。

●総選挙

 総選挙が近づいてきた。
浮動票層(無党派層)の私としては、「もう一度、民主党に入れてみるか」という
気持ちになりつつある。
しかし小沢一郎が、カーテンの間から、あの不気味な顔を出すたびに、その気持ちが
引っ込んでしまう。

 「反小沢」の旗印は、ひょっとしたら、仮面?
選挙用のカモフラージュ?
どうも、よくわからない。
選挙に勝ったとたん、また小沢一郎が、したり顔で表に出てくる?
そんな心配があるから、ここは慎重にならざるをえない。

 ……数日前も駅前で、民主党の党員たちが、選挙運動をしていた。
1人の女性の応援をしていた。
で、私は運動員の1人に、「この方は、小沢派? それとも反小沢派?」と聞いた。
運動員は、「民主党には、そういう派閥はありません」と。

 その女性は、それで小沢派とわかった。
中央から、小沢一郎によって送り込まれた刺客(?)。
歩きながらワイフが、「あの人(候補者)は、小沢派よ。知らなかったの?」と。

●消費税vs公務員の給料

 このままでは日本経済は、確実に破綻する。
時間の問題。
そのために消費税のアップは避けられないものであるということは、よくわかる。
しかしそれには、条件がある。

 公務員の給料カットである。
現状では、20~25%前後のカットは、やむをえない。
給料のカットそのものに抵抗があるというのなら、諸手当のカット。
諸手当の費用が、バカにならない。
「総人件費」の抑制に、まず手をつけるべき。
その上での、消費税アップ。
そうであるなら、私たちも納得する。
そうでなければ、納得しない!

●今夜はサッカー

 今夜はサッカー、W杯。
相手は、パラグアイ。
私は、超能力とは、無縁。
予言力はない。
だからどちらが勝か、わからない。
予想はできるが、あくまでも予想。
その予想によれば、日本は当初、パラグアイの野獣的な攻撃にたじろぐが、
やがて攻勢に出て、2-1で勝つ。

 しかし11時という時間帯に問題がある。
観るべきか、観ざるべきか。
今、迷っている。
(6-29記)


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●五十肩

+++++++++++++++++

近くの友人が、五十肩になったという。
症状は、かなり重いという。
夜なども、痛くて寝返りが打てない、と。
そのため睡眠不足になり、日中も、
眠さが残る、と。

+++++++++++++++++

●義姉

 ワイフの話によれば、義姉(つまりワイフの姉)も、10年ほど前、五十肩に
なったという。
で、5~6年ほど、それに苦しんだという。
が、治るときは、知らぬ間に、治ってしまうという。
それで「五十肩」という(?)。

 友人と私はそれほど年齢がちがわない。
「明日は我が身」と、そういう話を聞くたびに、気が重くなる。
若いときなら、「自分でなくてよかった」と思ったかもしれない。
が、今は、順番の問題。
五十肩でなくても、何があるかわからない。
「病気は背中から、ある日、突然、やってくる」(O氏の言葉)。

●6月30日

 昨夜は、サッカーW杯、日本対パラグアイ戦を、観た。
0-0の同点のまま、延長線。
さらにPK戦。
見終わってから、どういうわけか、涙が出てきた。
すばらしい試合だった。
感動した。
負けたのは残念だが、その残念感が、あまりない。
「よくやった!」と。

 床に就いたのは、午前2時過ぎ。
ふとんの中で、ワイフとしばらく音楽を聴いた。
聴いているうちに、眠ってしまった。

●新しいソフト

 パソコン用の新しいソフトがいくつか、手に入った。
非現実的な世界を創るソフトと、写真をキュービックに加工するソフト。
あとで試してみたい。

 そう言えば、数か月前、モーフィングを試してみた。
ひとつの顔から、別の顔に、少しずつ変化していくというもの。
しかしこれは失敗。
データが重すぎて、ホームページに載せられなかった。
ひとつのモーフィングをするのに、50~100枚の写真を並べる。
写真のサイズにもよるが、1つだけで、30MBを超えてしまった。
だからあえなく、ボツ。

 そのあとマンガをいくつか作ってみた。
が、これは10作ほど作ったところで、あきてしまった。
(そう言えば、このところ、何かにつけて、あきっぽい。
これも脳の老化現象によるものか?)

●独居老人→孤独死

++++++++++++++++++++

この先、私たち老人は、60%が独居老人と
なり、孤独死を迎える。
発見までの平均日数は、7日とか。

これらの数字が仮に事実であるとしても、
こと私に関して言うなら、「私はそれでも構わない」。
今は、そういう心境になりつつある。

「独居」であるとしても、それを「不幸」と決めつけて
はいけない。
「孤独死」をしたからといって、それを「不幸」と
決めつけてはいけない。
大切なのは、それまでの人生。
人生の中身。

+++++++++++++++++++++

●反省

 私は「独居老人」や「孤独死」について、「あってはならないこと」と、
決めつけて考えていた。
そしてそこに「私」を置き、それを「不幸な末路」と、決めつけて
考えていた。

 しかしこの考え方は、まちがっていた。
「60%」(この数字は、何かの雑誌で知った数字だが)の老人が
そうなるというのなら、「それがふつうの死に方」ということになる。
またそういう前提で考えれば、老後の過ごし方も、ぐんと気が楽になる。

●孤独死イコール、不幸?

・・・となると、「独居老人」イコール、「孤独」と決めつけて考える
のは、まちがっている。
若い人でも、孤独な人は、いくらでもいる。
独りで住んでいる老人でも、心豊かな人は、いくらでもいる。

 さらに「孤独死」といっても、孤独な世界で煩悶(はんもん)しながら、
死ぬとはかぎらない。
「孤独」という言葉をつけるから、話がおかしくなる。
中には、独り静かに、眠るように、かつ満足しながら死ぬ人だっているはず。
また死後、すぐ発見されないからといって、嘆くことはない。
それが古今東西、ふつうの人の、ふつうの死に方だった。

●天下老人

 だから言葉を変えればよい。
「独居老人」を、「天下老人」。
「孤独死」を、「自然死」と。

 孤独か孤独でないかということになれば、死ぬときは、みな、孤独。
「家族に見守れて・・・」というのは、そのほうがベターというだけで、
そうでなければならないということではない。
またそうであったからといって、孤独が癒されるというものでもない。
こんな話がある。

 A氏(84歳)が、臨終を迎えた。
連絡を受けて、親戚中が集まった。
総勢、30人あまり。
が、その直後、A氏は、昏睡状態から覚め、再び元気になってしまった。
で、そのあとも、(臨終)→(回復)を、数度繰り返した。
そうなると、家人も、親戚に連絡するのも、おっくうになる。
親戚も、「またか・・・!」となる。

 で、結局、最後は、A氏は、真夜中にだれにも看取られないまま、独り静かに
他界した。
これは私のワイフの伯父の話である。

●孤独感

 老人の感ずる孤独は、「孤独死」とは、切り離して考える。
孤独イコール、孤独死、孤独死イコール、孤独と考えるから、
話がおかしくなる。

 もっと平たく言えば、「死ぬ」のは、一瞬のできごと。
が、孤独、それから生ずる孤独感は、老後になってから、綿々とつづく。
途切れることはない。
今、私たちが問題とすべきは、むしろそちらのほうということになる。
もっともこれについては、「バカになって、忘れる」という方法もないわけ
ではない。
趣味三昧、旅行三昧、ぜいたく三昧・・・。
しかしこの方法は、邪道。
かえって虚しさが、増すだけ。

●生きがい

 老後を考えるということは、どの方向から考えても、行き着く目的は
ただひとつ。
「生きがい」の問題ということになる。
どう生きがいを構築するか?
その是非によって、老後の姿そのものが、変わってくる。

 それについては、「統合性」という言葉がある。
(すべきこと)を、(現実にする)。
両者が一致した状態を、統合性が確立した状態という。

 が、それには条件がある。
無私、無欲。
打算、功利が入ったとたん、統合性は、霧散する。
それに「老後になりました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」
というわけにはいかない。
統合性を確立するためには、その基礎づくりが必要。
20年とか30年とかいう、時間をかけた基礎づくりが必要。
エリクソンは、人生の正午と呼ばれる40歳くらいから、始めろというようなことを
教えている。
しかし40歳でも、遅い。

●夢と希望、そして目的

 自分が老人の入り口に立ってみて、気づいたことがある。
つまり老後になっても、夢と希望を失ってはいけないということ。
夢と希望があれば、何とか、生きていかれる。
夢と希望があれば、その先に目標が生まれる。
その目標が、老後に、光を灯(とも)してくれる。

 言い替えると、いかにして夢と希望をもちつづけるか。
それが重要ということになる。
たとえば今度、(まだ本決まりではないが……)、中央の大きな会場で
講演をすることになった。
そういう目標が生まれると、体力作りに心がけるようになる。
もちろん脳みその健康にも、注意を払うようになる。

 今でも講演がある日には、その数日前から、運動量を、2~3倍にふやす。
新しい情報を手に入れて、古い情報と置き換える。
そのために本を読む。
文章を書く。
こうして点つなぎのようにして、自分の人生を未来へとつないでいく。

 「そんなことをして、何になるのだろう」とか、そういう迷いはないとは言わない。
しかし迷っていても、しかたない。
ここは無私、無欲。
結果は、いつもあとからついてくる。
ついてこなくても、構わない。

 今は、そういう心境に変わりつつある。


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●今日で、6月は、おしまい

 2010年6月30日。
6月も、今日でおしまい。
が、過去を振り返っているヒマはない。
7月は、忙しい。
このままだと、バタバタと過ぎていくだろう。

 がんばるしかない。

 では、また


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●受験競争でつぶれる子どもの心(1)

2010-07-29 12:10:54 | 日記
【金権教からの脱出】(Is Money Everything?)

++++++++++++++++

教育と営利行為は共存しうるか。
医療と営利行為は共存しうるか。
芸術と営利行為は共存しうるか。
宗教と営利行為は共存しうるか。

答は、どれも「NO!」のはず。
強欲さの追求と、「心」の追求は
両立しえない。
営利行為を捨て去ったところに、
教育、医療、宗教は存在する。
が、現代社会では、それが奇妙に
共存している。
つまり矛盾が矛盾とわからないまま、
共存している。

営利行為でなくてもよい。
名声、名誉、地位、肩書き……。
本来、共存しえないものが、共存
している。

まずそのおかしさに気づく。
それが私やあなたの「心」を守る、
第一歩!
「心の豊かさ」を守る、第一歩。

++++++++++++++++

●つぶれる心

受験競争を経験させると、子どもの心は確実につぶれる。
ものの考え方が、功利的、打算的になり、ドライになる。
心の余裕をなくす。
もっと平たく言えば、人間が本来もっている温もりをなくす。
割り切り方がすばやくなり、一度割り切ると、そのまま心は、氷のように冷たくなる。

理由は簡単。

 子どもは親の「心」を、そのまま受け継ぐ。
親自身が、受験競争というものはそういうものと、考えている。
その底流では、ドロドロとした醜い欲得が、渦を巻いている。
それがそのまま親の心となり、子どもの心となる。
つまり親が子どもの心をつぶす。
つぶしながら、つぶしているという意識さえない。
ほとんどの親は、「子どものため」と考えている。
一方、子どもは、やりたくもない受験競争を強いられる。
被害者意識をもつ。

 受験競争でうまくいく子どもは、全体の何割もいない。
大半は、その過程で傷つき、脱落していく。

●親の不安や心配につけこんだ、金儲け

だからいくら親ががんばっても、子どもは、感謝などしない。
ぜったいにしない。
仮に目的の(?)学校へ進学できたとしても、感謝などしない。
「お父さん、お母さんが励ましてくれたから、合格できた」などとは、ぜったいに
思わない。
親にもしないが、ついでに、進学塾にもしない。
進学塾の講師にもしない。
当然と言えば、当然。

 「教育」とは名ばかり。
親の不安や心配につけこんだ、金儲け。
それが進学塾の実態。
そんなことは、小学生にだってわかる。

●「二度としたくない」

ある進学塾の講師は、こう言った。
その道、35年のベテランである。
「私など、ただの一度も元生徒の結婚式に呼ばれたことはありません」と。
苦笑いしながら、「苦労に苦労を重ねた生徒ですら、去るときは、ハイ、サヨナラです」と。

また別の男性は、45歳くらいまで予備校の講師をしていた。
45歳のとき、ベンチャー企業を興し、その経営者になった。
その男性も、その直後、こう言っていた。
「予備校の講師など、二度としたくないね」と。
道に唾(つば)を吐きかけんばかりの言い方だった。

で、私の話になる。

●進学塾の講師

私も予備校や補習塾で、講師をした経験がある。
20代から30代のはじめにかけてのころのことである。
幼稚園での仕事が終わると、夜遅くまで、講師として働いた。

ひとつの予備校の経営者は、いつもこう言っていた。
「親を信じてはいけない」と。
つまり割り切って仕事をしろ、と。
それが口癖だった。

そのときはその意味が、よくわからなかった。
が、今は、よくわかる。
この世界、お人好しは、通用しない。
善意も通用しない。
ただいつも一方的に裏切られるだけ。
たとえばX補習塾で働いていたころ、こんなことがあった。

●A子さん(中2)の例

 その補習塾では、とくにがんばった子どもや、経済的な理由のある子どものばあい、
月謝を、程度に応じて免除していた。
(当時は、月謝という形で、毎月現金で受領していた。)

 A子さん(中2女子)も、そんな生徒の1人だった。
塾長のはからいで、その生徒の月謝は、4分の1になっていた。
そのA子さんが、ある日、どこかの進学塾の宿題をもってきた。
私が「それは何?」と聞くと、「Y塾の宿題!」と。

 私は驚いた。
A子さんの親には、とてもそんな余裕はないはず。
そこで少し遠回りな言い方で、話を聞いてみた。
A子さんは、こう言った。
「ここでの月謝が浮いた分で、Y塾にも通えるようになった」と。

●塾経営

 塾が自動販売機にたとえられる時代があった。
今は、ファースト・フード店にたとえられる。
大規模になり、チェーン化した。
送迎時のあいさつの仕方、三者面談の内容、仕方、
話の進め方など、すべてがマニュアル化されている。
「塾は掃除!」と説く塾長もいる。
「塾は清潔で明るくしろ」と。

 外観が美しい分だけ、中身は醜いということか。
それとも中身の醜さをごまかすため、外観を美しくするのか。
どうであれこんな世界で、思春期前夜、思春期を過ごす子どもたちこそ、あわれ。
悲劇。
プラス残酷!

受験競争を通して、人生の骨格を組みあげてしまう。
冒頭に書いたように心をつぶされながらも、それを意識することもない。 
たとえばこの時期、親の希望には際限がない。
よい例が不登校。

●際限のない親の希望

 子どもがやっとのことで、午前中だけ学校に通えるようになったとする。
しかもほんの1、2時間。
しかしそこまで子どもをもってくるのが、たいへん。
長い時間がかかる。
が、すぐ親は、こう言い出す。
「何とか給食だけでも・・・」と。
あるいは「午後の勉強も・・・」と。

 進学校にしてもそうだ。
何とかC中学に入れそうになると、親は、「せめてB中学に・・・」と言い出す。
そのB中学が射程圏に入ってくると、今度は「何とかA中学に・・・」となる。

 それに塾教師が振り回される。
が、ひとつだけ忘れてはいけない。
「子どもこそ、被害者」と。
それに振り回される子どもこそ、被害者。

 子どもの心は無視。
子どもの希望も無視。
親はそれを正しいことと信じて、子どもに押しつける。
「学歴信仰」というのは、立派なカルト。
学校神話に基づく、立派なカルト。
子どもは子どもで、それを客観的に判断する経験もない。
抵抗する力もない。
だまって親に従う。
従いながら、心をつぶす。

●心と近代化

 「人の心」と「近代化」は、反比例の関係にある。
それとも人の心が、そこまで金(マネー)に毒されてしまったと考えるべきなのか。
さらに言えば、経済は発展した。
経済学も発展した。
しかし経済と「人の心」の関係について、それを論じた人はいない。
(私は論じているぞ!)
いないばかりか、経済を論ずる人ですら、毒されてしまっている。
脳のCPU(中央演算装置)の問題。

・・・話が大きく脱線した。
しかしこうした変化は、子どもたちを成長段階を追いながら観察してみるとよくわかる。
小学校の低学年のときは、心のやさしかった子どもでも、受験競争を経験したとたん、
人が変わる。
夏休みの間の特訓教室のようなものに通っただけで、大きく変化する子どももいる。
親は「やっと自覚ができたようです」と喜ぶ。
しかしその一方で、もっと大切なものを子どもは失う。
親は、それに気づかない。
それもそのはず。
親自身も、子どものころ、その大切なものを失っている。

●日本のビジネスマン

もう少しわかりやすい例をあげよう。
こんなことがあった。

 オーストラリアで学生だったときのこと。
私はことあるごとに、日本へ帰ったら商社マンとして働くことを自慢していた。
それしか自慢するものがなかった。
が、ある日のこと。
仲がよくなり始めていたオーストラリア人の友人が、私にこう言った。
「ヒロシ、そんなこと、自慢するのをよせ」と。
理由を聞くと、「君は知らないかもしれないが、日本の商社マン(ビジネスマン)は、
オーストラリアでは軽蔑されている」と。

 はっきりと「despised(軽蔑されている)」という言葉を使った。
この言葉は、かなりきつい響きをもつ。
で、理由を聞くと、こう話してくれた。

●何でも「金(マネー)」

 ある日、日本の商社マンがその友人の家に招かれて、やってきたときのこと。
オーストラリアでは少し親しくなると、たがいに食事に招待しあうという習慣がある。
(欧米では、どこでもそうだが……。)
その食事が終わったとき。
商社マンはおもむろにカバンの中から、何かを取り出して、「これを買わないか?」と、
言い出した。
そのものは忘れたが、繊維製品か何かだった。
が、その友人の父親はそれには興味を示さなかった。
そこで「NO!」と答えると、商社マンは今度はべつのものを取り出したという。
今度はカメラか何かだった。
が、それが何であるかどうかは、この際、どうでもよい。
それを買わないかと、言い出したという。

 友人の父親はすっかり不愉快になった。
ひとつのものをいらないと言うと、別のものを出す。
それもいらないと言うと、さらに別のものを出す。
そういう日本の商社マンの態度が許せなかった。

 が、私はこの話を聞いたとき、「どうして?」と思ってしまった。
日本の商社マンとして、その商社マンは当然のことをしただけ。
日本からわざわざ50万円近い旅費をかけて、やってきた。
当時の水準からすると、大卒の初任給の10か月分の給料である。
「ごちそうさま」で帰るわけにはいかない。

 私がその商社マンだったら、同じことをしただろう。
だから「どうして?」と。
そのときは、ごく自然に、私はそう考えた。

●それから30年後

 それから30年あまり。
今度は私が逆の体験をすることになった。

 ある日のこと。
高校時代の友人から、突然、電話がかかってきた。
「ぜひ、一度、会いたい」と。
高校時代には、それほど親しくはなかった。
しかし私には高校時代の友人に、「友人」と呼べるような友人は、ほかにいない。
そのこともあって、ていねいにその友人を招いた。

 が、1夜、私の家に泊まった朝のこと。
居間にいるとその友人は、かばんから、10個くらいの瓶を取り出した。
サプリメント商品、つまり健康食品の入った瓶だった。
「これを買わないか?」「仲間に入らないか?」と。
話を聞くと、ネズミ講方式で利益がふえるという。
私はそれを聞いて、心底がっかりした。
がっかりして、「君は、最初からこれが目的で、ぼくに近づいてきたのか」と聞いた。
彼は強くそれを否定した。
しかし彼の意図は見え見えだった。

●無数の意識

 私はそのとき、オーストラリアの友人の父親の気持ちが、はじめて理解できた。
なぜあのとき、友人の父親は不愉快になったか。
それが理解できた。
つまりそれが「意識の差」ということになる。

 お金に毒されているときは、脳そのものが毒されているから、それに気づくことはない。
しかし一歩退いて、別の世界からそれをのぞいてみると、それに気づくことができる。

 これはほんの一例だが、こうした無数のこまかい「意識」が集合して、「毒される」
という状態になる。
が、何度も書くが、毒された人は、それに気づくことはない。
脳のCPU(中央演算装置)そのものが毒されている。

 よい例が、C国製品。

●目覚まし時計

 ところで私は最近、小型ビデオカメラ付きの目覚まし時計を買った。
あのC国製。
パソコン雑誌に紹介されていたので、信用して買った。
しかしこれがとんでもない粗悪品。

SDカードを挿入することになっているが、それがうまく入らない。
セットがむずかしい。
うまくいかない。
電源を入れなおすたびに、時刻が初期設定に戻ってしまう。
おまけに説明書の日本語が、めちゃめちゃ。

 が、外から見た「形」だけは、それらしくできている。
どこかの国でできた目覚まし時計のデザインを、そのまま使っている?
私はその目覚まし時計を見ながら、こう考えた。
「C国の人たちは、こんな製品を輸出して、自分たちに恥じないのだろうか」と。
もっとも国全体がそうなっているから、それに気づくことはない。
もちろん恥じることもない。
「無数のこまかい意識が集合されている」というのは、そういうことをいう。
 
●日本の俳優

 もうひとつ話が少し脱線する。

 私とワイフはよく映画を観に行く。
「東宝シネマ」という映画館で、洋画と邦画を、半々くらいの割合で上映している。
邦画はほとんど見ないが、予告編はよく見る。
その邦画。
ひとつの特徴がある。

 邦画に出てくる若い俳優たちが、どの人も、頭はキレるが、人間的な深みがない。
またそういう演技をするのが、「映画」とでも思っているかのようでもある。
自然ぽさがないのはしかたないとしても、日本の俳優たちがもつあの独特の(冷たさ)は、
いったい、どこから来るのか?

 もちろん『送り人』のような、すばらしい映画もある。
が、その『送り人』にしても、私はどこかにあの独特の(冷たさ)を感ずる。
田舎の人たちの温もりを描いているはずなのに、スクリーンのすぐ向こうに、受験生的な、
あの独特の(冷たさ)を感ずる。

 おそらく俳優自身はそれに気づいていないだろう。
ここでいう「受験生的」というのは、「他人をかき分けて競争に勝ち抜いた」という意味。そう解釈してもらってよい。

●子どもの世界でも

 子どもの世界では、それがもっとはっきりと表われる。

 同じ小学6年生でも、心の温かさを感ずる子どももいれば、そうでない子どももいる。
冷たい子どもは、どこまでも冷たい。
ぞっとするほど、冷たい。
頭の中は受験勉強だけ。
あるいは何かの検定試験のことだけ。
バッグの中は、その種の参考書と問題集だけ。
余計なことは、いっさいしない。
もちろんそれなりに勉強はできるが、その先がない。

 簡単に説明すれば、親の温かい愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、心が温かく
なる。
そうでない子どもは、そうでない。
つまり子どもの心の温もりは、親の育て方……というよりは、世代連鎖。
親から子へと伝えられる。
それによって決まる。
ふつう心の冷たい子どもの親は、心が冷たい。
心の温かい子どもの親は、心が温かい。

 だから心の冷たい子どもを見つけ、その親に向かって、「あなたの子どもは心が冷たい
ですよ」と忠告しても意味はない。
親自身が、それを理解できない。
また言ったところで、どうにもならない。
思春期を過ぎて、心の冷たい人間がその後、温かくなるということは、ありえない。
さらに言えば、一度つぶれた心は、元には戻らない。

●幻想

 この日本では、親たちは、「勉強しろ」「勉強しろ」と子どもを追い立てる。
それはそれでしかたのないことかもしれない。
日本人には日本人独特の身分意識がある。
現在は、それが学歴意識に置き換わった。

 が、これだけはよく覚えておくとよい。
それを言えば言うほど、今度は、親がその責任を取らされる。
子どもたちは「高校へ行くのは当たり前」「大学へ行くのは当たり前」と考えるようになる。
中には、「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言う子どもさえいる。
(これは本当の話だぞ!)

 その結果どうなるか?
親は親で、淡い期待をもつかもしれない。
「いつか親に感謝し、よい親子関係を築くことができるはず」と。
中には「老後のめんどうをみてもらえるかもしれない」と思う人だっているかもしれない。
しかしそれはまったくの幻想。

●月謝袋を詰め先で……

 あえて統計をとるまでもない。
この世界の常識として、「一度、都会の大学を出た子どもは、親のところには戻らない」。
戻らないばかりか、その多くは子どものほうから、親子の絆を断ち切ってしまう。
それもそのはず。
親は子どものためと思って、(本当は自分の不安や心配を子どもにぶつけているだけなの
だが)、「勉強しろ」と言う。
が、言われたほうの子どもは、それによって追いつめられる。
少なくとも「親は自分のことを心配して、そう言ってくれる」などとは、思わない。
進学塾の講師にしても、そうだ。

 へたに「君の将来のためだ」と言っても、子どもは、その先を読んでしまう。
「金儲けのためだろ?」と。
私も実際、そう言われたことがある。
月謝袋を爪先でポンとはじき、「あんたのほしいのは、これだろ!」と私に言った、高校生
がいた。

 皮肉なことに、心のつぶれた学生ほど、成績がよい。
そのままよい(?)大学に進学していく。
社会のリーダーとなっていく。
そして一方で、ドロドロしたおとなの世界の裏を、そのまま見抜く。

●幼児から高校3年生まで

 ずいぶんと否定的なことばかり書いてきた。
読者の方にインパクトを与えるため、やや過激な言い方で書いてきた。
しかし私はこの原稿を、警告の念をこめて書いた。
というのも私は、幼児(年少児)から高校3年生までの子どもを、1日というサイクル
の中で教えている。
40年来、そうしている。
幼児から高校3年生といえば、15年間である。

 そういうサイクルの中で、子どもたちの心の変化を、毎日のように見ている。
が、その「変化」というのは、心理学でいうところの変化とは、少し違ったものである。
たとえばここに書いた(冷たさ)というのは、思春期の反抗期とは異質のものである。
「心がつぶれる」と言っても、その診断方法もなければ、基準もない。
もちろん病名もない。

また心が冷たいからといって、それが何かの障害につながるということでもない。
むしろこの世界は、そういう心が冷たい人たちにとって、住みやすい世界になっている。
そういう人たちほど、社会のリーダーとなり、裕福な生活を送っている。

●最後に……

 最後になるが、今、私はこんなふうに考える。
近代社会は、はたして人間の心を豊かにしたか、と。
「近代社会」というのは言い過ぎかもしれない。
私が書いているのは、受験競争の弊害のひとつにすぎないのかもしれない。
さらに「競争」は不可欠というのなら、方法論の問題ということになる。
つまり子どもの教育法がおかしい。
あるいは日本人がもつ意識が、おかしい。

 どうであれ、このままではこの日本はますます狂っていく。
言うまでなくその国や社会の熟成度は、いかに弱者にやさしいかで決まる。
が、この日本は、それに逆行しているばかりか、さらに「格差」を広げつつある。
入り口で受験競争に勝ち抜いた子どもは、その後、安泰した裕福な生活を送ることが
できる。
そうでない子どもは、そうでない。

 心のつぶれた、冷たい子どもたちが、社会のリーダーとなっていく。
そんな社会を、私たちはけっして目指してはいけない。

 ……ということで、あなたも一度でよいから、自分の身の回りを見渡してみてほしい。
経済的に豊かな人も、またそうでない人も。
そして一度でよいから、こう考えてみてほしい。
「これでいいのか?」と。
たったそれだけのことだが、それが種となって、いつかやがてあなたの心にも、(人間
らしい心)が戻ってくる。
子どもの見方も変わってくる。
けっして貪欲さの奴隷になっていはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 心のつぶれた子 金権教 つぶれる心 冷たい心 心の冷たい子ども 受験競争の弊害)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2008年の3月に書いた原稿を
添付します。
これもかなり過激な原稿です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司