最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●さようなら、腐った政治

2009-08-31 08:46:26 | 日記
●日本の総選挙(General Election of Japan, Farewell to the Rotten Politics of Japan!)

We feel something has been changing rapidly and dynamically. We hope this would be the end of rotten politicsof Japan.

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昨夜は、眠い眼(まなこ)をこすりながら、
夜遅くまで、選挙報道をテレビで見ていた。
結果は、みなさんご存知の通り。

民主党が、最終的に308議席。
自民党が、119議席。
民主党の完全圧勝で終わった。

これからは、30代を中心とした若い人たちが、
政治の中心を担うことになる。
すばらしいことである。

言い換えると、今までの自民党政治は、あまりにも
ドロドロしかった。
薄汚かった。
カネと権力。
言うなれば、腐敗したゴミの山。
それがその底流で、渦を巻いていた。

今回の総選挙は、一応、それを一掃してくれた。
これから先のことはわからないが、民主党政権の
これからに、強く期待したい。

がんばれ、民主党!

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●AS首相

 それにしても醜いのが、AS首相。
この場に及んでも、自分の責任を認めるどころか、安倍首相、福田首相の辞任劇を、
敗因の理由にあげている。
自分だって、国民の審判を受けて総裁になり、総理大臣になったわけではない。
そのAS首相が、そう言う。
そのおかしさ。

今回の敗因の理由の第一は、もちろん、AS首相、彼自身にある。
それを棚に上げて、テレビ画面に向かって、さかんに「自民党の3分の2の支持を得て、
総裁になった」と主張していた。
「私には責任はない」と言わんばかりの口調である。
自己矛盾もはなはだしい。

 本来は、選挙までの暫定内閣として発足したAS内閣。
そのAS内閣のAS首相は、そのつどああでもない、こうでもないという理由を
こじつけて、政権の座に居座った。
その見苦しさ。
つまりその結果が、今回の総選挙ということになる。

 本来なら自民党内部でさえ、袋だたたきにあってもしかたない立場。
ところがその袋叩きする人すら、今の自民党には、いない。
AS首相は記者の質問に答えて、「政治は大きなうねりの中で、よいときもあれば、
悪いときもある」というようなことを言っていた。
が、それはどうか?
へたをすれば、自民党は、このままバラバラになってしまうだろう。
もともと主義主張、つまり正義が(柱)にある党ではない。
金(マネー)と権力。
この2つだけで、これから先、どうやって自民党をひとつにまとめていくつもりなのか。

 先ほどざっと世界の報道記事に目を通してみた。
世界中が、速報の形で、日本の総選挙の結果を伝えていた。
「日本は今、大きな転換期を迎えた」というのが、おおかたの見方である。
そう、今、日本は、大きく変わりつつある。
この流れは、もうだれにも止められない!

(8月31日記)

●8月31日(1)

2009-08-31 07:39:45 | 日記
彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   31日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【特集】

「HOP STEP 子育てジャンプ」(600作)を、HPに収録しました。
興味のある方は、どうか、見てください。

http://kosodatejump.ninja-web.net/

一部を紹介します。

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ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(571)

●ほかの子どもとじょうずにつきあう法

 子どもの社会性は、同年齢の子どもとの接触の中で、鍛(きた)えられる。たとえば双
子の子どもがいる。一般論として、双子は、いつももう一人の兄弟(姉妹)との間で鍛え
られるので、その社会性があることが知られている。わかりやすく言えば、ほかの子ども
とも、じょうずにつきあう技術にたけている。

 その社会性は、つぎのようにして判断する。

 たとえばブランコを横取りされたようなとき、社会性のある子どもは、その相手に向か
って、「どうして取るのよ! 私、今、使っているでしょ!」と、やり返すことができる。
そうでない子どもは、たとえば柔和な笑みを浮かべて、ブランコを明け渡してしまったり
する。

 社会性のある子どもには、つぎのような特徴がある。(1)他人に対して押すときは押
し(自己主張し)、引くときは引く(遠慮する)という行動が明確で、わかりやすい。ワ
ーワーと自己主張しても、まちがっているとわかると、「そうね」などといって、自分の
非をすなおに認める。人格の「核」が明確で、教える側からすると、「この子はこういう
子」という「つかみどころ」が、はっきりしている。

だれに対しても、心を開くことができ、性格のゆがみ(ひねくれ、いじけ、つっぱり、ひ
がみなど)がない。心を開いている子どもは、親切にしてあげたり、やさしくしてあげる
と、その親切ややさしさが、そのままスーッと心の中にしみこんでいくのがわかる。子ど
もらしく、うれしそうな顔をして、それにこたえる。

 (以前、嫌われる子どもについて、調べたことがある。その結果、不潔で臭い子ども。
陰湿で性格が暗く、静かな子ども。性格が悪い子ども、ということがわかった(小四児、
三〇名について調査)。このタイプの子どもは、嫌われるだけではなく、いじめの対象と
もなるから注意する。

 子どもの社会性をつくるためには、乳幼児期から、心静かで、愛情豊かな環境で、同年
齢の子どもと一緒に遊ばせるのがよい。子どもの世界というのは、いわば動物の世界のよ
うなもの。キズつけたり、キズつけられたりしながら、互いに成長する。

親としてはつらいところだが、そうした環境が、子どもをたくましくする。まずいのは、
親子だけのマンツーマンだけの環境で育てること。「ものわかりのよい世界」は、それだ
け居心地がよい世界かもしれないが、それは子どもにとって、決して好ましい世界ではな
い。

 こうした社会性は、年長児(満六歳)前後には決まる。この時期、社会性のある子ども
は、その先もずっと社会性のある子どもになる。そうでない子どもはそうでない。それ以
後は、どちらにせよ、そういう子どもだと認めたうえで、対処するしかない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(572)

●「あの子は臭い!」・嫌われっ子、親の責任

 「どんな子が嫌われるか」を調査してみた。その結果、(1)不潔で臭い子ども。(2)
陰湿で性格が暗く、静かな子ども。(3)性格が悪い子ども、ということがわかった(小
四児、三〇名について調査)。

 不潔で臭いというのは、「通りすぎたとき、プンとヘンなにおいがする」「口が臭い」
「髪の毛が汚い」「首にアカがたまっている」「服装が汚い」「服装の趣味が悪い」「鼻
クソばかりほじっている」「鼻水がいつも出ている」「髪の毛がネバネバしている」「全
体が不潔っぽい」など。子どもというのは、おとなより、においに敏感なようだ。

 陰湿で性格が暗いというのは、「いじけやすい」「おもしろくない」「ひがみやすい」
「何もしゃべらない」など。「静か」というのもあった。私が「誰にも迷惑をかけるわけ
ではないので、いいではないか」と聞くと、「何を考えているかわからないから、不気味
だ」と。

 またここでいう性格が悪いというのは、「上級生にへつらう」「先生の前でいい子ぶる」
「自慢話ばかりする」「意地悪」「わがままで自分勝手」「すぐいやみを言う」「目立ち
たがり屋」など。一人、「顔がヘンなのも嫌われる」と言った子どももいた。

 ここにあげた理由をみてわかることは、親が少し注意すれば、防げるものも多いという
こと。特に(1)の「不潔で臭い子ども」については、そうだ。このことから私は、『嫌
われっ子、親の責任』という格言を考えた。たとえばこんなことがあった。

 A君(中一)は、学校でいじめにあっていた。仲間からも嫌われていた。A君も母親も
それに悩んでいたが、そのA君、とにかく臭い。彼が体を動かすたびに、体臭とも腐敗臭
とも言えない、何とも言えない不快なにおいが、あたりを漂った。風呂での体の洗い方に
問題があるようだが、本人はそれに気づいていない。

そこである日、私は思いあまって、A君にこう言った。「風呂では、体をよく洗うのだぞ」
と。が、この一言が、彼を激怒させた。彼にしても、一番気にしていることを言われたと
いう思いがあった。彼は「ちゃんと洗っている!」と言いはなって、そのまま教室から出
ていってしまった。

 幼児でも、臭い子どもは臭い。病臭のようなにおいがする。私は子どもの頭をよくなで
るが、中には、ヌルッとした髪の毛の子どももいる。A君(年中児)がそうだった。そこ
で忠告しようと思ってA君の母親に会うと、その母親も同じにおいがした……!

 子どもの世界とはいえ、そこは密室の世界。しかも過密。さまざまな人間関係が、複雑
にからみあっている。ありとあらゆる問題が、日常的に渦巻いている。つまりおとなたち
が考えているほど、その世界は単純ではないし、また表に現れる問題は、ほんの一部でし
かない。ここにあげる「嫌われっ子」にしても、だからといってこのタイプの子どもが、
いつも嫌われているということにはならない。しかし無視してよいほど、軽い問題でもな
い。

いじめの問題についても、ともすれば私たちは、表面的な現象だけを見て、子どもの世界
を論ずる傾向がある。が、それだけでは足りない。それをわかってほしかったから、ここ
であえて、嫌われっ子の問題を取りあげてみた。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(573)

●子どものわがまま(1)

●「どうして泣かすのですか!」 

 年中児でも、あと片づけのできない子どもは、一〇人のうち、二、三人はいる。皆が道
具をバッグの中にしまうときでも、ただ立っているだけ。あるいはプリントでも力まかせ
に、バッグの中に押し込むだけ。しかも恐ろしく時間がかかる。「しまう」という言葉の
意味すら理解できない。そういうとき私がすべきことはただ一つ。片づけが終わるまで、
ただひたすら、じっと待つ。

S君もそうだった。私が身振り手振りでそれを促していると、そのうちメソメソと泣き出
してしまった。こういうとき、子どもの涙にだまされてはいけない。このタイプの子ども
は泣くことによって、その場から逃げようとする。誰かに助けてもらおうとする。しかし
その日は運の悪いことに、たまたまS君の母親が教室の外で待っていた。母親は泣き声を
聞きつけると部屋の中へ飛び込んできて、こう言った。「どうしてうちの子を泣かすので
すか!」と。ていねいな言い方だったが、すご味のある声だった。

●親が先生に指導のポイント

 原因は手のかけすぎ。S君のケースでは、祖父母と、それに母親の三人が、S君の世話
をしていた。裕福な家庭で、しかも一人っ子。ミルクをこぼしても、誰かが横からサッと
ふいてくれるような環境だった。しかしこのタイプの母親に、手のかけすぎを指摘しても、
意味がない。第一に、その意識がない。

「私は子どもにとって、必要なことをしているだけ」と考えている。あるいは子どもに楽
をさせるのが、親の愛だと誤解している。手をかけることが、親の生きがいになっている
ケースもある。中には子どもが小学校に入学したとき、先生に「指導のポイント」を書い
て渡した母親すらいた。(親が先生に、だ!)「うちの子は、こうこうこういう子ですか
ら、こういうときには、こう指導してください」と。

●泣き明かした母親

 あるいは息子(小六)が修学旅行に行った夜、泣き明かした母親もいた。私が「どうし
てですか」と聞くと、「うちの子はああいう子どもだから、皆にいじめられているのでは
ないかと、心配で心配で……」と。それだけではない。私のような指導をする教師を、「乱
暴だ」「不親切だ」と、反対に遠ざけてしまう。

S君のケースでは、片づけを手伝ってやらなかった私に、かえって不満をもったらしい。
そのあと母親は私には目もくれず、子どもの手を引いて教室から出ていってしまった。こ
ういうケースは今、本当に多い。そうそう先日も埼玉県のある私立幼稚園で講演をしたと
きのこと。そこの園長が、こんなことを話してくれた。「今では、給食もレストラン感覚
で用意してあげないと、親は満足しないのですよ」と。こんなこともあった。


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つづきは、どうか、HPの中で……


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある夫婦の問題】

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東北のある県にお住まいの、TRさん(男性)より、
夫婦の問題についての相談がありました。

それについて、考えてみたいと思います。

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【TRさんより、はやし浩司へ】

お忙しいところ申し訳ございません。

今家の中は妻と娘の問題で騒然、混沌としておりどう解決していけばいいかわからない状
態です。先生のお知恵をいただき何とか解決の糸口を見つる事が出来ればと思っています。
宜しくお願いします。

妻とは職場結婚し20年経ちます。私は整形外科医師で、妻は元看護師です(結婚と同時
に退職)。結婚当初から気に入らないことがあると、1週間でも口を利かなくなり私を無視
するところがありました。離婚を匂わせる発言も数回ありました。私はどちらかと言うと
家族の絆・連帯を重んじたいほうで、家内にはそれも重荷になっていたようです。

1年3か月前ちょっとしたことで家内が激高し、それ以来寝室は別で、家庭内別居の状態
が続いています。元々お互いにセックスレスだったこともあり、今は家内に触れただけで
大声を上げて嫌がるようになってしまいました。

激高したちょっとしたことについて少し書きます

・・・早めに病院に行かねばならず、・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・車庫内で家内は興奮し近所に聞こえるような大声で泣きながら怒り始めたの
で、平謝りに謝った。翌日自動車会社に私から電話謝罪し、「たいした傷ではないので大丈
夫ですよ」と言ってもらった。

その日以来、寝室は別になった・・・

対外的に妻は非常に良い人で、幼稚園や小学校でお母さん連中に慕われています。私の両
親にも献身的で、祖父母が存命だった時は、病院への送り迎えや母が仙台で手術を受けた
ときなどは家族のために、ウィークリーマンションを借りたり、下準備を全て行ってくれ、
至れり尽くせりで、家族は感謝していました。

また私の父が2年3か月前に亡くなり、F市で暮らしていた母と統合失調症の弟が2人残
されたので、3か月ほど前I市の我が家から500メートルはなれたところのマンション
を借りるのにも尽力してくれました。

でも私には家庭内別居になってから「おはよう」「おやすみ」「おかえり」などの基本的な
挨拶さえも全くありません。

12歳になる長女は、3歳頃から、「どうして、どうして」といいながら2~3時間は泣く
ことがしばしばありました。家が微妙な状態になった頃突然受験すると言って、中学受験
を決意しました。私が殆どマンツーマンで勉強を見ました(家庭教師もつきましたが)。今
は片道1時間半かかるM町までバスと電車を乗り継いで通学しています。

しかし今だ1週間に1回くらいは、「自分だけどうして、どうして」と、2~3時間大声で
幼児返りのようにして泣き続けます。私立中学入学当初は「一番になる」と豪語していま
したが、最近は反抗期も重なり、イライラが強く腰を据えて勉強できなくなってきていま
す。中間テストの2週間前は椅子に座ったと思ったら、数秒で立ち上がることを繰り返し、
下の子供が寝ると歯磨きをし始める有様に成りました。

もちろん成績も200人中180位くらいでした。「こうやって自分は落ちこぼれていくん
だ」と、自分に言い聞かせているようにつぶやきます。今は下の子と帰ってきてから2~
3時間遊んで(と言うより遊んでもらって)、下の子が寝る9頃から1時間かけて、10分
くらい宿題をして寝てしまいます。

制服も帰ってきてからどんなに注意しても脱いだままにしています。「勉強したほうがいい
のでは」などというと、「今しようと思っていたところなのに、言われたからやらない!」
と拒絶します(言わなかったら殆どしません)。

下の子には思いっきり意地悪をすることが多く、家内は娘を怒ります。娘はここぞとばか
り、「下の子ばかりかばってどうして自分だけ怒られなければならないの、下の子の方が悪
いのに」と言ってまた泣きます。

家内にダッコを求めますが、家内は仁王のように腕組みして立ちはだかり、私に対するの
と同じように、「触られたくない」と、拒絶します。弟との差を感じてますます娘は泣きま
す。

長男は今のところ明るい社交的な子に育っており、母の愛情も充分受けています。でも家
庭内のギクシャクのためか、切れやすくなってきています。

私の対応としては、出来るだけ家庭内で明るく振舞い家内が嫌な (しつこくする)ことを
出来るだけ避けるようにしています。でも家内は冷たい・・・

離婚相談のA先生に、円満になれるように相談し始めたところです(家内に内緒で)。家内
に第三者に入ってもらって相談することで建設的になれればと話を持ちかけましたが、「そ
れは修復したいと思っている人のすることで、私はこの家にも子供にも未練がない。親権
もくれてやる。あなたにしても、子供にしても帰ってくるのが苦痛だ。私を早く一人にさ
せて。」と言います。

全てが本心でないのでしょうけど、私に対することは本心と思われます。「子供には両親が
必要だし、下の子が20歳になるまでは我々の責任だ」と説得していますが、最近は内心
そこまで持たないのではと思います。

家内の精神面がかなり荒廃していると思われ、精神科の先生にも相談し安定剤を処方した
ことがありますが、「私は精神病なんかではない!」と言い、1回内服してくれただけで拒
絶されました。それからは何か相談しても、(娘のことに関しては会話がかろうじて出来ま
す)、「精神病の人に聞かないで」と言われてしまいます。

出来るだけ家内を解放し、実家のT市に少しでも帰るよう仕向けていますが、外へ向けて
の完ぺき主義の家内は、夏祭りの準備などで殆ど帰れないようにがんじがらめになってい
ます。

今まで家族のためにと思って頑張って働いていたのに、私も死にたい気持ちになったりし
ています。ただこのまま私が死んでしまったら子供たちがかわいそうで、母と妹も引っ越
してきてどうしようもないし、私が弱ったらだめと言い聞かせています。

わたしの精神もかなり磨り減っており、本を片っ端から本を読んだり、Y先生の「悟りの
子育て」などを読み漁っています。

とに角怒らずに子供を過保護かもしれないけど、抱きしめるようにしています。
ダブルベットで上の子と私は一緒に寝ています。下の子のベットで家内は寝ていますが、
私の部屋が涼しいので、下の子もダブルベットに来るようになり、3人で川の字に寝るこ
とが多くなりました。

このままでは子供の精神が壊れてしまうのではないかということと、家内も相当壊れてき
ているのではないかと言うことが心配でなりません。最近は、(家内にだけ秘密)、両方の
家族に実情を説明し、サポートを期待しています。

あと私に出来ることは何でしょうか?
このまま現状維持で子供は大丈夫でしょうか?
やはり子供が巣立ってから離婚になるのでしょうか、子供のために今離婚したほうが良い
のでしょうか?

無理難題の質問してしまい申し訳ありません。
何卒ご回答宜しくお願いします。

【はやし浩司より、TRさんへ】

●運命論

 こうした問題は、離婚問題にかぎらず、やがて流れるところに流れ、そこで解決します。
その(流れ)を感じたら、身を任すこと。
離婚問題、子どもの問題も、その結果として、自然に解決していきます。

(流れ)、……それを私は「運命」と呼んでいますが、この運命というのは、それに
逆らえば、キバをむいて、あなたに襲いかかってきます。
しかしそれを受け入れてしまえば、向うからシッポを巻いて逃げていきます。
(現在は、きばをむいて、あなたに襲いかかっている状態です。)

今のあなたは、(離婚する決意もできず)、同時に(関係を修復する決意もできず)、その
はざまで、悶々と苦しんでいます。
つまり「このままではいけない」という気持ちと、「何とかしたい」という気持ちの中で、
はげしく葛藤しています。
「何かをしなければならない」という気持ちと、「何をしたらいいのだ」という気持ちの
中で、です。

 こうした心の状態は、心理学でいう、『フリップ・フロップ理論』で、説明されます。
つまりどちらにころぶこともできず、フラフラの状態ということです。
もともとは、無神論の人が有神論に、有神論の人が無神論になるときの心理状態を
説明したものです。(日本では、この理論を知っているのは、私だけかと思います。)

 が、こうした状態に、人は、それほど長くは耐えられません。
はげしい葛藤がしばらくつづいたあと、コロリとどちらかに倒れます。
だから私は勝手に、『コロリ理論』と訳しています。

 そうそう私が言う「運命論」というのは、今はやりの、スピリチュアル(霊的)な
ものではありません。
私たちには、それぞれ無数の目に見えない糸がからんでいます。
家族の糸、社会の糸、環境の糸、生い立ちの糸などなど。
その(糸)がときとして、私たちの進む方向を、勝手に決めてしまいます。
で、振り返ってみると、そこに(道)ができているのを知ります。
私はそれを「運命」と呼んでいます。

●離婚
 
 順に考えていきます。

 まず離婚ですが、離婚そのものが、子どもの心に影響を与えるということは、あり
ません。
子どもはそのつど状況を受け入れ、それに適応していきます。
が、離婚に至る、家庭騒動は、子どもに大きな影響を与えます。
はげしい夫婦喧嘩、対立、騒動、言い争い、いがみあい、など。
(子どもというのは、環境的な変化には、すばらしい適応能力を示します。
が、愛情の変化には、たいへんもろいということです。)

子どもが乳幼児であれば、基本的不信関係、基底不安の原因となることもあります。
心の開けない子どもになったり、慢性的な不安感をいつも覚える子どもになったりします。
最近の研究によれば、おとなになってからうつ病になる人のほとんどは、乳幼児期の
親子関係(とくに母子関係)に起因するというところまでわかってきました(九州大学)。

 だから家庭騒動は、最小限に。
離婚するにしても、「明るく、さわやかに」(某タレント談)が、鉄則です。

●8月31日(2)

2009-08-31 07:39:18 | 日記


●潔癖症 

 で、奥さんの潔癖症が、気になります。
神経症のひとつということになっていますが、こだわりが強い分だけ、やはり心の病を
もっておられるように感じます。
病識があればよいのですが、いただいたメールによれば、その病識がないようですね。
こういうケースのばあい、奥さんが平常なとき、「それが本来の姿」と、奥さんに
気づかせるのがよいわけです。
が、家族(=夫のあなた)では無理です。
 
 たとえばTRさんが、その話題をもちだせば、とたんに烈火のごとく、奥さんは、
それに反発してしまうでしょう。
だからカウンセリング……ということになります。
どなたか間に入って、奥さんと冷静に話せる人がいらっしゃるとよいのですが……。
(あるいは奥さん自身は、すでにそれに気づいておられるのかもしれません。
自分でもどうしようもなく、自己否定から自暴自棄になっておられる可能性もあります。)

 私は、こだわりの強さと、心の緊張状態から、奥さんのうつ病を疑っていますが、
そのあたりのことは、一度専門医に相談なさってみられたらどうでしょうか。
(奥さんも、そういう点では、表面的にはともかくも、不幸にして不幸な家庭環境に
育った女性とみてよいのでは(?)。
とくに奥さんと、奥さんの母親との関係が、乳幼児期に、不全だったように感じます。)

●子どもの進学

 つぎに12歳の長女の進学問題についてです。
この際、子どもの進学問題については、あきらめなさい。
つまりTRさんの手に負えるような問題ではないということです。
が、鉄則があります。

(1)「なるようになれ!」と、自分の心から進学問題を切り離すこと。
(2)「許して、忘れる」を貫くこと。
(3)「暖かい無視」を忘れないこと。
(4)「求めてきたときが、与えどき」と心得て、すかさず、必要なことはしてやること。

 これが「あきらめる」の意味です。
「捨てろ」とか、「育児放棄しろ」とか、そういう意味ではありません。
もちろんお嬢さんを切り離せということではありません。
切り離すのは、「進学問題」だけです。
どんなに成績が悪くても、「友」として、子どもの横に立つということです。

 で、その上で、私は、『あきらめは、悟りの境地』という格言を考えました。
そこは実におおらかで、すばらしい世界です。
子育ての極致のようなものです。
あなたも勇気を出して、あきらめてみてください。
気が楽になりますよ。
「お前の分は、オレががんばってやるからな」と宣言すればよいのです。

 あとは娘さんが、自分で自分の道をさがし、求めていくでしょう。
親としてはつらくも、さみしいときかもしれませんが、TRさんのできることにも
限界があるということです。
で、しばらくは迷い、悩んだりしますが、その分だけ、お嬢さんは、たくましく
育っていきます。
私たち親ができることと言えば、子どもをうしろから見守るくらいなことだけです。
子どもが巣立つときというのは、そういうものです。

●自分を追い込まないこと

 はげしく葛藤しているということは、この時点においては、結論を出さないこと。
そのほうが、賢明かと思われます。
『迷っているときは、結論を急がない』『悩んでいるときは、結論に向かわない』が、
原則です。

 重要なのは、とくに奥さんに対して、未練を残さないように、(あるいは反対に深い愛情
を感ずるまで)、心の整理をしておくことではないでしょうか。
「別れれば、まったくの他人」、あるいは反対に、「死ぬときは、いっしょ」と、心の覚悟
をどちらかに決めること。
また決まるまで、自分の心を見つめること。

 その覚悟ができるまで、「急がない」が、原則です。

 私も事情は異なりますが、同じような立場になったことが、数回、あります。
で、こういうときはジタバタしない。
(流れ)を感じたら、その(流れ)に身を任す。
コロリとどちらかに倒れるまで、待つ。
結論はそのあと、自ずと出てきます。
そしてそのとき、きわめて自然な形で、離婚もでき、また子どもの問題も解決します。
「何だ、こんなことだったのか!」とです。

 今、TRさんは、「子どもが20歳になるまで」とか、「娘の進学が心配」とか、
いろいろと自分を追い込んでいます。
心理学的には、TRさんは、自責型人間ということになります。
(奥さんは、それに対して、他責型?)
あまりそういうふうに、考えない方がよいです。
こうした問題は、なるようにしかならないし、またなるようになっていくものです。
もう少し肩の力を抜いて、無責任になるところは、なる。
ズボラになるところは、ズボラになる。
あるいは、仕事に没頭する……。
幸いにもすばらしいご職業をおもちなのですから、それこそ好き勝手なことができるはず。

 私たち夫婦も、月例行事のように夫婦喧嘩をしています。
しかしそういうときは、(こんなことを、おおっぴらに書くと、叱られそうですが)、
「女など、本気で、相手にしない」です。
(結構、男尊女卑思想に染まった部分もありますので……。)

 私など、一年中、「母親」という女性の世界で生きていることもあって、いつもそう
感じています。
「女など、本気で、相手にしない」です。
(私のワイフはワイフで、「男など、本気で、相手にしない」と考えていますよ。)

 それに離婚と言っても、いまどき、何でもないことです。
日本人も、20数%の人が、離婚を経験しています。
アメリカの離婚率より、やや低いかな……というところです。
5組に1組、あるいは5人に1人ということです。
あまりおおげさに考える必要はありません。

●もし、できれば……

 もし、できれば、負けを認めるという方法もあります。
プライドはみな、捨てて、こう言うのです。
「お前を愛している。お前なしでは生きていかれない。もう一度、ゼロからやりなしたい。
協力してほしい」と。

 奥さんの前で、心を丸裸にしてみるのです。
心底、心から、そう叫んでみるのです。
離婚するにしても、またしないにしても、一度は、その関門を通りくぐらなければなり
ません。
「やるだけのことはした」という思いが、仮に、それが奥さんに通じなくても、あなたの
心をさわやかにします。

このとき、子どもを理由(ダシ)にしてはいけません。
「修復しよう」という下心も捨てます。
ありのままに、ありのままのあなたの心を語ります。
TRさんは、TRさんだけのことを考えて、行動すればよいのです。
またそれが(すべて)です。

 あなたの真心が伝われば、奥さんの心もそれで溶けるはず。
が、溶けなければ、それまで。
あとは(流れ)に静かに身を任せます。
運命を受け入れ、それに身を委ねます。

●私のこと

 話は変わりますが、私も、最近、「故郷」とは縁を切る覚悟をしました。
言うなれば、故郷との離縁です。
(簡単なようで、これは実際には、たいへんなことですよ!)
今度、法事をすませたら、それでおしまい。
親戚づきあいも、なし。
ご愛想も、体裁もなし。
ついでにxxとも、お別れ。
自然のなりゆきで、そうなりました。
が、実にさわやかな気分です。

 家族自我群(呪縛感)の中で、もがき苦しんでいるときは、ほんとうにたいへんでした。
運命をのろい、運命にさからっていたからです。
が、まず最初に、(いい子)ぶるのをやめました。
誤解を解く努力も、やめました。
どうせその程度の人たちなのですから、言いたいように言わせておけばいい。
いろいろ口は出しても、何もしてくれないことがわかったからです。
1人、2人ではない。
全体として、縁を切る。
そういうふうに考えて、運命を受け入れました。

 それ以上に大切なことは、残りの人生を、楽しく有意義に生きることです。
私はすでにやるべきことはした。
じゅうぶん、した。
だからだれにも、うしろ指をささせない!
そういう思いが、私を、今、支えてくれます。
「逃げる」のではなく、「過去の亡霊を断ち切って、前に進むのです」。
どうか、参考にしてみてください。

 (いただきましたメールの転載許可に、感謝します。)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●7月31日

+++++++++++++++++++++

今日で、2009年7月は、終わり。
その7月を、総括してみる。

が、大きな動きはなかった。
日々、平穏にして、無事。
生活にも、これといって、変化はなかった。
今日は6月30日と、だれかが言っても、
「そうだろうな」と思う。

この1か月は、そんな1か月だった。

+++++++++++++++++++++

●日々の記録

 ダイエットは、そろそろ終盤。
現在、(今朝、起きたとき)、体重は、60・7キロ。
体脂肪率も、21~22%に低下。
あとは、この体重を維持するだけ。

 運動は、よくした。
昨夜も、9時過ぎに、全速で40分近く、自転車で走った。
日中にも、5キロほどウォーキングしたから、合計で2単位、運動したことになる。
今日も、同じくらい、運動をするつもり。

 それから今月から、近くの温泉に通い始めた。
料金は、1人、1300円+消費税。
いつも入浴後、2階にあるレストランで食事をしている。
それが楽しみ。
 しばらく、週に1度、曜日を決めて通うつもり。
(平日は、ガラガラで、のんびりできる。)

 映画は、3~4本、観た。
これはボケ防止用。
ボケ防止用だから、劇場で観なければ意味がない。
家の居間で観ていると、ワイフは、いつもそのまま眠ってしまう。

 文化的なことは、あまりしなかった。
本は、単行本を、4~5冊、雑誌も、4~5冊、買った。
それだけ。


●持病

 健康といっても、私の年齢になると、(今の状態)を維持するだけでもたいへん。
それができれば、御(おん)の字。
で、ひとつ気をつけていることがあるとすれば、持病をつくらないこと。
このことは、母を介護しているときに学んだ。

 60歳を過ぎると、持病のあるなしで、その人の健康は、大きく影響を受ける。
持病が急速に拡大するのも、このころ。
私が知るかぎりでの話だが、ひざ関節、腰などを傷(いた)める人が多い。
もちろん内臓疾患、成人病もある。
50歳くらいまでは、体力と気力で、カバーすることができる。
しかし60歳を過ぎると、体力と気力が急速に衰えてくる。
とたん内側に隠れていた持病が、どんと表に出てくる。

 80歳を過ぎても健康な人というのは、その持病がない。
だから持病を作らない。
体の不調を感じたら、すみやかに治す。
(今の状態)を保つ。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●足跡

私のBLOGや掲示板、それにYOU・TUBEのほうに、いろいろと
書きこみをしてくる人がいる。
たいていは好意的なものだが、中には、批評を通り越して、非難、さらには、口汚く
ののしるものもある。
先日も、私のYOU・TUBEの動画について、こう書いてきた人がいた。
「こんなひどいレッスンを受ける子どもたちが、かわいそう。即刻、教室を閉鎖すべし」
と。

しかしYOU・TUBEのばあい、「足跡」がそのまま残るしくみになっている。
コメントを書いた人を逆追跡すると、その人が制作、アプロードした動画を、そのまま
見ることができる。
つまりその動画から、その人を特定することができる。
その人は、そんなことも知らず、私の動画にコメントを書きこんだらしい。

それにしても、ほんの一部だけを見て、「閉鎖すべし」はない。
何が気に食わなかったのか……?
……というより、私はその女性をよく知っている。
10年ほど前、私の教室に怒鳴りこんできた女性である。
「あなたは、先祖を否定している。そういう人間は教師としてふさわしくない!」と。
(Rデザインの、Kさんですね!)

 どこかの宗教団体に属しているらしい。
が、そのときは、私は訳もわからず、しばらくしてからその女性に電話すると、
夫にあたる男性が出た。
その男性は、「すみません」「すみません」だけを繰り返した。
妻の行状に、かなり困っているといった様子だった。

 ついでに言うと、私は一度だって、「先祖」なるものを否定したことはない。
人、それぞれ。
ただ言えることは、私自身も、つぎの世代の人たちにとっては、その「先祖」に
なる、ということ。
私は、私。
つぎの世代の人たちは、つぎの世代の人たち。
だからつぎの世代の人たちに、恩を着せるようなことだけは、したくない。
つぎの世代の人たちは、つぎの世代で、勝手に生きていけばよい。
私という「先祖」に遠慮する必要はない。

 そういう思いが私にはあるから、私は「先祖」という言葉を口にしたことはない。
そういう私の生き様を、その女性は、「否定した」ととらえた。……らしい。

 話は脱線したが、BLOGにせよ、HPにせよ、何かの書きこみをするときは、
じゅうぶん注意したほうがよい。
何らかの足跡が残る。
その足跡から、その気になれば、あなたが書いたということが、わかってしまう。
こんな例が、ある。

 2年ほど前だが、同じように、同じようなことを書いてきた女性がいた。
が、文章に、独特の特徴があった。
(今回も、「即刻」「閉鎖すべし」という2語に特徴があった。)
そこでその文章から、いくつかの言葉を抜き出し、ヤフーの検索エンジンにかけてみた。
するとズバリ、同じような文章が、いくつか検索できた。

 よほど文章を書きなれた人は別として、そうでない人は、同じような文句を使って、
同じような文章を書く。
その女性は、別のBLOGに、別のコメントを書いていた。
そして「Yxxxx」というハンドル・ネームを残していることまでわかった。

 そこで今度は、「Yxxxx」というハンドル・ネームを検索してみた。
すると、同じ名前を、メールアドレスの一部に使っていることもわかった。

……ということで、私はその女性が、神奈川県のC市周辺に住む、YYという
女性であることまで知ることができた。

 だから私はそのコメントの返事に、こう書いた。

「神奈川県C市のYYさん、かなりきびしいコメントですね。
たいへん参考になりました」と。

 みなさんも、コメントを書きこむときは、くれぐれも、注意したほうがよい。
もしそれが犯罪につながるような内容であれば、そのまま警察に通報される
ことにもなる。
そうなれば、「ただの書きこみです」では、すまなくなる。


Hiroshi

●8月31日(3)

2009-08-31 07:38:38 | 日記
Hayashi++++++++JULY・09++++++++++はやし浩司

●パソコンは、ほしいときが華(はな)。

 パソコンは、高価な買い物であることにはちがいない。
10~20万円といっても、命が短い分だけ、高価。
長く使っても、せいぜい2年。
それに合わせて、周辺機器を買いそろえたりすると、かなりの金額になる。

 そのパソコンについて、最近こんなことを考える。
「買ったら、損なのか、それとも買わなければ、損なのか」と。

 で、私の得た結論は、こうだ。
「買わなければ、損」。
それには理由がある。

 少し前、何かのことで、ひどく落ち込んだときがある。
何をするにも、おっくうになった。
もちろんパソコンに向かうのも、いやになった。
もちろん頭の中は、からっぽ。
休眠状態。
文章を書こうにも、アイディアそのものが浮かんでこない……。

 言うなれば、私は認知症の疑似体験をしたということになる。
(あるいは、本当に認知症になりつつあるのかもしれない……。)
が、もし本当に認知症になってしまったら、それこそパソコンどころではなくなって
しまう。
文章が書けなくなってしまう。
考えることもできなくなってしまう。

 だからそのあとワイフに私は、こう言った。
「新しいパソコンがほしいと思っているうちが、華(はな)だね」と。
つまり「パソコンなんか、いらない」と私が言い出したら、私は、お・し・ま・い。
それを思ったら、新しいパソコンを買うことなど、何でもない。
それにあえて付け加えるなら、パソコンは、現代の必需品。
「生きるための道具」と言い換えても、けっして、過言ではない。

 で、話は変わるが、今、我が家には、ひとつだけ「家宝」と言えるようなものがある。
古九谷焼きの布袋様(ほてい様)の置き物である。
江戸時代のものだと思うが、年代はわからない。
しかし精緻な作りは、ほかにはない。
恐らくその道の職人が、何か月以上もかけて作り上げたものにちがいない。
値段をつければ、数百万円以下ということはないだろう。
昔、私の祖父が、「浩司、これひとつで、家が一軒、建つ」と言っていたのを覚えている。

 その置き物を見ながら、ときどき「パソコンと置き物とどちらが価値があるか」と
考える。
布袋様の置き物のほうは、これから先も、何代もその価値を保ちつづけるだろう。
一方、パソコンのほうは、それこそ2年ごと、長くて5年ごとに、その寿命を終える。
大切に磨いて使っても、意味はない。
で、これについても、私の結論は、こうだ。

 布袋様の置き物のほうは、売ってはじめて、その価値が出る。
それまでは、ただの置き物。
見た人が、「ほほう、これはすばらしいですね」と言って、それで終わってしまう。
で、その布袋様を売ったとする。
数百万円なら数百万円でよい。
問題は、そのお金を、どう使うか、だ。
どう、有効に使うか、だ。

 一方、パソコンのほうは、今を生きる私を側面から支えてくれる。
その道具としての、パソコンがある。
だからやはり最新のものが、ほしい。

 たとえば今、原稿ファイルを読み出そうとすると、読み出すだけで、10分ほど
時間がかかる。
そのファイルは、約3万ページもある。
それを書き換えたあと、保存をかけると、今度は、20分ほど時間がかかる。
HPについては、保存をかけるだけでも、ちょうど2時間10分ほど時間がかかる。
こうした問題が解決できるなら、10~20万円は、安い。

私「もしぼくが、新しいパソコンに興味を示さなくなったら、ぼくはおしまいだね」
ワ「そうね。新しいパソコンがほしいと言っているうちが、華(はな)よね」
私「そうだね。ぼくもそう思う。そういう気持ちが消えないように、がんばるよ」と。

 だから、今、「買う」といっても、心のどこかで、「買わなければならない」
という、おかしな意思が働く。

(布袋様は、写真に撮って、近々、マガジンHTML版のほうに載せておきます。)

 
Hiroshi Hayashi++++++++JULY・09++++++++++はやし浩司

●二男のラジオ番組

 前から話には聞いていたが、二男が、ときどきラジオのトーク番組に出るように
なった。
今朝も、それを聴いた人がいて、その話をしてくれた。
「息子さんが出てましたよ」と。

昨年までは、ときどき、「これからラジオで話すよ」という連絡が届いたりしたが、
最近は、ない。
ないから、それを聴いた人から、連絡を受けて知る。

 息子の活躍を耳にするのは、うれしい。
何というか、手にしたバトンを、もうひとりの「私」に手渡すような気分である。
もう少し大げさに言えば、「分身を残した」感じ。
「これでぼくも、死ねるなア」と。

 ラジオの中では、今、本を書いているようなことを言っていたとか。
二男は子どものころから、独特の感性をもっている。
数年前も、一時帰国した折、地元の中学校で講演をした。
そのときのこと。
二男は、破れたTシャツを着て、講演をした。
ギターを弾きながらの講演だったという。
私にはそういうマネはできない。
言い換えると、二男という息子は、そういう息子である。

 本名は、「林宗市(はやし・そういち)」。
どこかでその名前を耳にしたら、どうか、よろしく。
現在は、アメリカのインディアナ州立大学で、スパコン(スーパーコンピュータ)の
技師をしている。
世界中のスパコンをつないで、ひとつにするという、とんでもない仕事を手がけている。

 先に「うれしい」と書いたが、ソラ恐ろしい感じすらする。


Hiroshi Hayashi++++++++JULY・09++++++++++はやし浩司

【意思論】

++++++++++++++++++

脳細胞というのは、それぞれひとつずつは、
ON/OFFのスイッチにすぎない。
そのスイッチが無数に集合化されると、
そこに「意思」が生まれる。

私たち人間が、その一例ということになる。

もちろん脳を解剖しても、そんな意思は、
どこにもない。
そこに見えるのは、神経細胞(ニューロン)と、
それから延びる神経突起だけ。
神経突起のつなぎ目(シナプス)だけ。

たとえば私の名前は、「はやし浩司」だが、
脳のどこかに、「はやし浩司」という文字が
書きこまれているわけではない。
こと脳ということになれば、偉大な哲学者の
脳も、そこらのオジサンの脳も、見た目には
同じ。
電子顕微鏡でいくらのぞいても、(ちがい)すら、
ぜったいにわからないだろう。

++++++++++++++++++

●一寸の虫にも……

 「一寸の虫」という言葉は、よく耳にする。
しかしあのハチ(蜂)ほど、頭のよい虫はいない。
しっかりとした意思も、もっている。

 ときどき首をかしげて、何かを考えている様子を
見せることがある。
その姿は、人間のそれ、そっくり。
あまりにもそっくりなので、ときに思わず、笑ってしまう。

 が、本当に驚くべきことは、あんな小さな脳の中で、
そうした思考力や、意思をもっているという事実。
さらに最近、こんなことにも、驚いた。

●たったの66MB!

 私は原稿を書きながら、一定の分量になると、「総集編」
というファイルに、それを追加していく。
その「総集編」が、現在、約3万ページになった。
1ページが、約1600文字である。

 私にとっては、この10年の、「命」そのものということになる。
つまりこの10年分の原稿が、3万ページ。

 で、それをパソコンの中のハードディスクだけではなく、
外付けのハードディスクなどにも、分散して保存している。
つい先日は、USBメモリーの中にも、保存した。
たまたま4GBのメモリーを、1000円前後で売っていた。
それでそれを買い、3万ページの原稿を、保存してみた。

 が、驚いたのは、そのあとのこと。
それでそのメモリーは、私の原稿で、さぞかしいっぱいになった
だろうと思い、プロパティを開いて調べてみた。
ところが、使用したのは、たったの66MB!

 4GBのメモリーに保存すれば、4000分の66!
全体の1・7%!
この分で計算すると、4GBのメモリーをいっぱいに
するには、この先、約580年もかかることになる!

 私はそのUSBメモリーを指先でクルクルといじりながら、
「ぼくの命は、こんなものか」と、がくぜんとした。

●USBメモリーに「意思」はあるか

 脳は、構造的には、ON/OFFのスイッチのかたまり。
USBメモリーも、基本的には、その脳と同じ。
ということは、USBメモリーに、人間、あるいはハチと
同じような(意思)があると考えても、おかしくない。
 
 ハチと比べても、きわめて希薄な意思かもしれないが、
電流が流れたとたん、USBメモリーは、そこに蓄えられた
情報とは別のことを、考える。

 たとえば私が総集編の原稿を、そのUSBメモリーから
呼びだしたとする。
そのときUSBメモリーは、「めんどうだな」とか、
「今日は疲れている」くらいのことは、考えるかも
しれない。

 ON/OFFだけのスイッチだから、そんなことは
考えないだろうと、あなたは思うかもしれない。
しかし私たちの脳だって、基本的には、USBメモリー
と、その構造において、どこもちがわない。

●水からの伝言(水伝)

 少し前、『水からの伝言(略して、「水伝」ともいう)』という、
これまた奇想天外な説を主張した学者(?)がいた。
エセ科学もよいところ。
科学性、ゼロ。
再現性、ゼロ。
デタラメ、インチキ!

 が、驚いたのは、このことではない。
地方によっては、教育委員会レベルで、この説を信奉し、
各学校で、それをもとに、「美しい言葉」運動が始まったこと。
(この静岡県でも、始まった!)

 が、その「水」に、本当に意思がないかということになると、
私はそうは思わない。
理屈で考えれば、構造的に、ON/OFFになっている物質には、
すべて(意思)があるということになる。
「水」とて例外ではない。

 しかし私がいう「水」というのは、太平洋全体規模の「水」をいう。
が、それとてきわめて希薄なもので、「美しい氷の結晶を作るか、
作らないか」ということまで決めるほどの意思ではない。
ひょっとしたら、太平洋全体の水の意思を統合しても、一匹のハチが
もつ程度の意思かもしれない。
(が、それとて、宇宙的規模になると、ものすごいことになるが……。)

●意思論

 そこで最後に、もう一度、「意思」について考えてみる。
つまり私が言いたいことは、(生物)だけが、意思をもっていると
考えるのは、正しくないのではないかということ。

 現に、コンピュータは無生物だし、USBメモリーにいたっては、
ただの(物)。
しかしその中には、「私」が、ぎっしりと詰まっている。
もしこのUSBメモリーが、たとえば人工知能のようなソフトと
結合すれば、そこに別の「私」、つまり(意思)をもった「私」が、
生まれるかもしれない。

 「今、何をしてほしいですか?」と問いかけると、コンピュータが、
「暑いから、換気をしてほしい」とか、答えたりする。
もちろん「どうすれば、意思として認識できるようにすることができるか」
という問題もある。
コンピュータでいうなら、(解読ソフト)のようなものが、必要。
最低限、マイクやスピーカも、取り付けなければならない。
が、それはともかくも、こう考えていくと、ありとあらゆるものに、
意思があるということになる。

 海にも、地球にも、太陽にも、宇宙にも……、と。
ただ誤解してはいけないことは、仮にあったとしても、その意思は、
人間がもつ意思、(あるいはハチでもよいが)、そうした意思とは、
きわめてかけ離れた意思であるだろうということ。

 仮に人間との間の疎通装置のようなものができたとしても、人間には
理解できないものと考えるのが正しい。
逆に言うと、宇宙的規模からこの地球をながめると、人間とハチの
誤差など、問題にならない。
似ているというより、まったく同じ。
つまり海や、地球や、太陽や、宇宙がもっている意思(?)は、
それくらい人間の意思とは、かけ離れているということ。

 ……とまあ、話がかなりオカルト的になってきたので、この
話は、ここまで。
しかしこれだけは言える。

 私やあなたには、たしかに(意思)がある。
しかしその(意思)はどこから、どのようにして生まれてくるのか、
そのメカニズムは今もなお、深い謎の奥にあるということ。
言いかえると、「私」を知るということは、それほどまでに
むずかしいこと、ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 意思論 意思とは はやし浩司 水からの伝言 水伝
意思について)


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●熟年離婚

2009-08-30 18:10:52 | 日記
【熟年離婚】(17% of old couples have been divorced now in Japan)

●ふえる熟年離婚

厚生省大臣官房統計情報・人口動態統計課の「人口動態調査」によると、昭和25年から平成7年までの間に、離婚率は、4・6倍になったという。

 その中でも、結婚生活20年以上の熟年夫婦の離婚率は、3・5%から、16・9%にまで上昇しているという。17%といえば、ほぼ5組に1組ということになる!

 実は、私の知人の中にも、今、離婚の危機に立たされている人が、何人かいる。しかしそういう人たちと会って話をしてみると、どこまでが冗談で、どこから先が、真剣なのか、わからなくなってしまう。そのわからなさこそが、この熟年離婚の特徴の一つかもしれない。

知人「もう、5年も、セックスレスだよ」
私「本当かあ!」
知人「寝室も別々だよ」
私「本当かあ!」

知人「だからさ、オレにも、愛人がいてさ」
私「本当かあ!」
知人「家内も、今ごろは、どこかの大学生と、飲み歩いているよ」
私「本当かあ!」と。

 そんな調子で、会話がかみあわなくなってしまう。が、それでいて、その奥さんからは、こまめに礼状が届いたり、電話がかかってきたりする。離婚の雰囲気など、どこにも感じさせない(?)。

 で、それを話題にする私のほうも、疲れた。私の実感では、「離婚する」「離婚する」と、騒ぐ人ほど、離婚しない。本当に離婚する人は、静かに、だれにも悟られずに、離婚する……ということか。

 その熟年離婚には、大きな特徴がある。今までの経験をまとめてみると、こうなる。

(1)夫の知らないところで、妻側が、先に離婚の決意をかためてしまう。
(2)それまでは表面的には、従順で、家庭的な妻であることが多い。
(3)夫の職業は、ほとんどが会社勤めのサラリーマン。会社人間であることが多い。
(4)夫は、まじめタイプ。むしろ、家庭思い。家族思い。家庭サービスもしている。
(5)共通の趣味や、目的がない。休日などは、バラバラの行動をすることが多い。
(6)妻側から離婚を申し出られると、夫は、「どうして?」と、ろうばいしてしまう。
(7)子どもの結婚など、子育てが終わったときなどに、離婚しやすい。

 ほかにもいろいろあるが、実は、私たち夫婦も、あぶない。しかし私のように、「あぶない」「あぶない」と思っている夫婦は、離婚しない。それを知っているから、「多分、だいじょうぶだろう」と、自分では、そう思っている。

 そこでこうした熟年離婚を防ぐには、どうしたらよいかということになる。が、それとて、つまり、「防ぐ」という発想とて、一方的に、夫側の勝手にすぎない。夫としては、離婚されたら困るかもしれない。しかし一方の当事者である、妻側は困らない。離婚を望んでいる。

 だから「防ぐ」という発想そのものが、夫側のものでしかない。妻側にすれば、「どうすれば、離婚できるか」。さらには、「どうすれば、夫の束縛から解放されて、自分らしい人生を、もう一度、生きることができるか」ということが、問題なのだ。

 事実、熟年離婚する妻たちは、こう言っている。「残りの人生だけでも、私らしい生き方を、してみたい」と。だから、「防ぐ」という発想そのものが、そぐわない。そういう妻たちにとっては、かえって迷惑になる。

 そこで、これはあくまでも夫側の立場の意見だが、熟年離婚を防ぐためには、とにかく『協同意識』をもつしかないのではないかということ。共通の目的が無理なら、趣味でもよい。たがいに、たがいの心の補完をしあうような活動をしなければいけない。土日になると、夫は、ひとりで魚釣り。妻は、テニス仲間と旅行……というのでは、あぶないということ。

 で、私たち夫婦も、その熟年離婚の予備軍のようなものだから、偉そうなことは言えない。しかし最近、私は、こう思う。

 夫は、夫で、妻の生きがいを、いっしょにさがし、育ててやる。それが熟年離婚を防ぐ、最大の方法ではないか、と。「私は夫だ。お前らを食わせてやっている」という発想では、熟年離婚されても、文句は言えない。

 そう言えば、離婚の危機にある(?)と思われている、冒頭にあげた知人たちは、どの人も、どこか権威主義的。夫意識が強すぎるのでは? 「男は仕事だけしていれば、一人前」「それでじゅうぶん」「妻は家庭に入って、家事をすればよい」と、日常的に、そんなふうに考えているような感じがする。つまり、そういう発想をする夫ほど、あぶないのでは?

 今夜もワイフに、「おい、今じゃあ、5組に1組が熟年離婚する時代だそうだよ。20年間も結婚生活をしていてね……」と話すと、ワイフは、どこか感慨深げ。「じゃあ、私たちも……」と言いそうな雰囲気だった。うちも、あぶないなア~。

【補記】

 どうせ17%も、熟年離婚するなら、そういう熟年離婚を、積極的に考えなおしてみたら、どうだろうか。夫婦も、いつまでも「結婚」というワクにとらわれないで、自由に、自分たちの時間を楽しむとか……。そういう発想で、たがいの関係を、もう一度、つくりなおす。

 もっと言えば、「結婚」という概念を、一度解体した上で、つくりなおす。こういう時代になったのだから、いつまでも、旧態依然の結婚観にしがみついているほうが、おかしいのかも?

Hiroshi Hayashi++++はやし浩司

●疑似・熟年離婚

++++++++++++++++++

9月x日、私は故郷のM町と、絶縁する。
言うなれば、「熟年・離縁」。
故郷と言いながら、私にとっては、腐れ縁。
思いも枯れた。
未練も枯れた。
言い残すことは、何もない。
いろいろ言いたいことはある。
あるが、今さら言いたくもない。
言ったところで、何も変わらない。
説明しても、どうせわからないだろう。
どうにもならない。
いや、それ以上に、私の人生も、秒読み段階に入った。
だからきれいさっぱり、自分の心の中から消す。
だから「熟年・離縁」。

++++++++++++++++++

●熟年離婚

 人は時として、ひとつの人生を生きながら、別の人生を経験する。
ひとつの例が、「熟年離婚」と「熟年・離縁」。
まったくちがうようで、中身は同じ。
心の動きは同じ。
今、私は熟年・離縁を経験しながら、他方で、熟年離婚を経験しつつある。
が、どうか心配しないでほしい。
私とワイフが離婚するわけではない。
そのつもりもない。
あくまでも「熟年・離縁」。

つまり人の心は複雑なようで、ときに、定型化することができる。
似たような例を経験しながら、それをもとに別の経験を定型化することができる。
わかりやすく言えば、私は今、熟年・離縁を経験しながら、「熟年離婚もこんな
ものだろうな」と、想像することができる。

●なぜ離縁?

 いつかゆっくりと、それについて書くときがやってくるだろう。
今はまだ、そのときではない。
話せば長くなる。

 要するに、失望の連続。
裏切られることはあっても、何もよいことはなかった。
が、「それでも……」と思って、故郷にしがみついてきた。
私なりに(縁)を大切にしてきた。
つまりそれも限界に来たということ。
だから離縁!

 もっとも私は故郷を離れて、40年以上になる。
正確には44年!
いまだに故郷にしばられるほうがおかしい。
おかしいが、しばられた。
ずっとしばられた。
その呪縛感には、相当なものがあった。
だから今の気持ちは、「もう、たくさん!」

●香典抜き

 もちろんきっかけは、ある。
私はずっと絶壁のフチに立っていた。
その私を背中から、どんと押すような事件があった。
「事件」というのも、大げさに聞こえるかもしれないが、事件は、事件。
ワイフは、「あの男のやりそうなことね」と言った。
わかってはいるが、私の背中を押すには、じゅうぶんなパワーがあった。

 何と、私の肉親の葬儀のとき、間に立って、香典抜きをしていた親類がいた。
ほかの親類から預かった香典を、自分の懐(ふところ)に入れていた。

それは「浩司君、ところで……」という話から、始まった。
「こんなこと聞きにくいのだけど、ぼくが出した香典、君に届いているだろうか?」と。

 私が「届いていない」と答えると、声にもならないような声を出して、その人は
「ハア~」と言って、驚いた。
そのまま黙ってしまった。

 こうした香典抜きが、いかに親戚関係を破壊するものか、葬儀を経験したことのある人
なら、わかるはず。
私はその親戚づき合いが、つくづくいやになった。
愛想(あいそ)も尽きた。

「あのNS氏というのは、そういう男ですよ。私も、さんざんだまされた。
しかしそこまでやるとはねエ……!」と私。

●熟年離婚

 つまらない話を書いたが、そういう意味では、(貧乏)というのは、恐ろしい。
金銭的な貧乏が、時として、その人の心まで貧しくする。

私「まあ、私は無視します。あんな男、相手にしたくありません。定職ももたず、かわ
いそうな男です」
相「しかし、ぞっとするような話です……」
私「だから葬儀のあと、あなたのところに電話を入れていたのですね」
相「そうだったのか。そうだったんだ。浩司君とぼくが、連絡を取り合っていないか、
それを確かめるために、ね」
私「ハハハ、そこまでやるとはねエ……」と。

 で、そのとき私は、理解できた。
熟年離婚を申し出る、妻の気持ちが、である。
グググッと怒りが増幅し、それが頂点に達したとき、突然、急に、心の中がすっきりする。
許したのではない。
受け入れたのでもない。
「もうどうでもいいや」というニヒリズムが、心を満たす。
そのとたん、ス~ッと、心がすっきりする。

●熟年離婚に至るまで

 そこで自分なりに心の中を整理してみる。
そして自分が熟年・離縁に至った過程を、熟年離婚のそれに当てはめて考えてみる。
つぎのが、それである。

(1) 疑問期…「これでいいのか」という疑問をもち始める。
(2) 反復期…疑問と否定を繰り返す。
(3) 確認期…「これでいい」という確信をもちはじめる。
(4) 決断前夜…身辺の整理を始める。
(5) 決断期…未練をふっきり、決別を決断する。

 最大の問題は、「悪人としての顔を、どう吹っ切るか」ということ。
私を悪く思っている人を、心の中で、どう処理するかということ。
イギリスの格言に、『2人の人によい顔はできない』というがある。
どちらか一方の人によい顔を見せることはできても、もう一方の人にまで
よい顔を見せるのはむずかしい。
どちらかに好かれれば、どちらかに嫌われる。
嫌われることを恐れていたら、ときとして、真の友を失うこともある。
熟年離婚についていえば、自分の最後の時間を失うことになる。

 内容について考えてみよう。
ただしこれは、先にも書いたように、私の(熟年・離縁)をもとにして
書いたものであり、(熟年離婚)には、そのまま当てはまらないかもしれない。
「似ている?」という点で、私自身が経験した(熟年・離縁)をもとに、
熟年離婚を考えてみた。

(1) 疑問期…「これでいいのか」という疑問をもち始める。

 現状への不信感がつのる。(夫への不信感がつのる。)
重苦しい日々がつづく。(悶々たる日々がつづく。)
やがてその原因や理由に気づくようになる。(なぜ、そうなるか、それを考える。)
現状を打開しようとする。(空漠とした日々に耐えられなくなる。)

(2) 反復期…疑問と否定を繰り返す。

 「これでいいいのか」という疑問。(「夫婦というのは、どういうものか」と悩む。)
「これでいい」「しかたない」という否定。(自分を納得させる。)
(怒り)と(絶望感)でもよい。(妥協と衝突を繰り返す。)
その2つが、交互に心の中に現れては消える。
家族、親類、社会……もろもろの「糸」にからまれる。(とくに子どもの問題。)
もがく。
苦しむ。

(3) 確認期…「これでいい」という確信をもちはじめる。

 苦しんだ分だけ、心が研ぎ澄まされてくる。(ものごとを割り切るようになる。)
拾い出すものと、棄てるものを、選び分ける。(みなによい顔ができないことを知る。)
それらを天秤にかけながら、取捨選択を繰り返す。(居直る。)
「みなにいい顔はできない」ことを知る。

(4) 決断前夜…身辺の整理を始める。

 身辺の整理を始め、同時進行の形で、心の準備を整える。(覚悟を決める。)
未練の燃焼。(思い残すことがないよう、準備する。)
後悔しないことの確認。
前に向かって進む勇気の確認、(うしろを見ない。振り返らない。)など。

(5) 決断期…未練をふっきり、決別を決断する。

 過去を消し、未来だけを前に置く。
行動として、それを表現する。(離婚を申し出る。)

●2人の人によい顔はできない

 どんな形であるにせよ、また人知れずそれをしたところにせよ、
それをよしとしない人は、かならず現れる。
そういった人にとっては、理由など、何でもよい。
(自分たちから去っていくこと)自体が、悪であり、まちがっているという
ことになる。

 似たような現象は、カルト教団でもよく見られる。
カルト教団にしてみれば、去っていくこと自体、まちがっているということに
なる。
理由があるとしても、あとから理由、つまりこじつけすぎない。

「あいつは親の面倒すら、ロクに見なかった」
「親の一周忌すら、簡単にすませた」
「私への借りを踏み倒した」などなど。

 いろいろ理由をこじつけて、あなたを非難する。
自分から去っていく人間を肯定することは、そのまま自己否定につながる。
だから(去られる側)は、周囲を巻き込んで、援軍を求める。

 熟年・離縁を覚悟する人は、そうした人たちすべてとも縁を切る。
誤解を解くという方法も残されているが、それには相当のエネルギーが必要。
また残された時間は、それほどない。
だから、「思いたければ、勝手に思え」という方法で、居直る。
居直るしかない。
「すべてを断ち切る」という覚悟をもつしかない。

●悪役一筋

 たとえば私は、親類の中では、悪役だった。
遠くに住むことをよいことに、母は、私を悪役に仕立てた。
何かつごうの悪いことがあると、すべて私の責任にした。
その中でも、最大の問題が、祖父が残し遺産の相続問題。

 祖父が他界し、数年後に父が他界した。
祖父は3筆の土地を残した。
その土地を自分名義のものするため、母は、私を悪役に仕立てた。
「私は遺産などいらないが、息子の浩司がうるさいから、判を押してくれ」と。
親戚中に泣きついた。
つまり私がうるさくて困っているから、遺産相続放棄の書類に判を押してくれ、と。

 が、私はそういうことを母がしているとは、まったく知らなかった。
また遺産相続について、私が口を出したことは、一度もない。

 結局母は、自分の思い通りに、ことを運んだ。
同時に、私は、悪者になった。

 誤解と言えば誤解だが、私自身も、最終的には利益を享受するという点で、
それ以上のことは、何も言えなかった。
また当時の私にしてみれば、いくら誤解を解くためとはいえ、親の悪口を言うことは
許されないことだった。
私は沈黙を守った。
叔父の1人に顔面を数発殴られたこともあるが、それでも沈黙を守った。

●熟年・離縁

 しかしこれも人生。
私の人生。
世の中には、もっと複雑で、不愉快な運命を背負って生きている人がいる。
またそういう人の方が、多い。

 みな、それぞれが、それぞれの運命を背負いながら、懸命に生きている。
私もそうだし、あなたもそうである。
その(懸命さ)こそに、生きる意味がある。
無数のドラマも、そこから生まれる。

 私の母にしても、一時は、私は母を恨んだ。
心の水が枯れるまで、恨んだ。
しかし今はちがう。
「母は母で、あの時代を懸命に生きた」という思いの方が優勢である。
かく言う私だって、たいした人生を送っているわけではない。
偉そうなことを言える立場ではない。
もし私が母と同じ立場に置かれたら、私もやはり母と同じことをしていただろう。
それを考えると、どうも自信がもてない。

 で、9月X日。
私は故郷のM町と、縁を切る。
怒っているからでも、また不愉快に思っているからでもない。
人生には、結末というものがある。
その準備として、縁を切る。

 私の故郷は、ここ浜松市である。
それをさらに確固たるものにするため、縁を切る。
だから今、さばさばとした気持ちで、
本当にさばさばとした気持ちで、こんな歌を歌う。

「♪さらば、ふるさと、さらば、ふるさと、ふるさと、さらばあ~」と。
(ただし歌のような涙は、一滴も出ない!※)

 恐らく熟年離婚をして夫のもとを去っていく妻も、似たような気持ではないか。
夫には、理解できないかもしれないが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 熟年離婚 熟年離縁 熟年・離縁)

(注※:補記)

♪『故郷を離るる歌』(ドイツ民謡)

 園の小百合、撫子、垣根の千草、
 今日は汝(なれ)を眺むる最終(おわり)の日なり。
 おもえば涙、膝をひたす、さらば故郷(ふるさと)。
 さらばふるさと、さらばふるさと、故郷さらば。