最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

Mystery of Aliens' Foothold (異星人の拠点の謎)

2012-09-29 12:41:32 | 日記
(50)Mystery of Atacama Giant(アタカマ巨人の謎)

There is a largest line picture in Atacama and it is called "Atakcama Giant". This video is about the Giant and it is just a directuion sign which shows the way to go. I show this fact with evidence and you will know it. Thus the Atacama Giant, UFO Launch Pad , Nazca and Tiwanacu are closely connected with Lines.

「アタカマの巨人」と言われる地上絵があります。
その地上絵についての謎解きです。
で謎は簡単に解けましたが、さらなる謎は、どうしてこんなところに隣接して、2つの地上絵(方向指示)があるかということです。
それについて考えてみます。称して「異星人の故郷探し」。
このあたりにきわめて重要な拠点があることまでは、わかりました。
もちろん遺跡とかそういうものではありません。
人間には知られたくない拠点です。
さらに点と線をつないでいけば、その正体もやがて明らかになることでしょう。
どうか、お楽しみに!

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http://youtu.be/rImQQ5Dp8Kw

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(Atacama Giant Tiwanacu Nazca UFO Launch Pad Cerro Chajra Orkho Bolivia Chille Peruアタカマの巨人 謎のアタカマ巨人 アタカマの巨人の謎 UFOの発射台 ティワナク ナスカ 謎の地上絵 謎の点と線 古代文明 古代文明をつなぐ謎の点と線 Mystery of Ancient Civilizations 古代文明の謎 異星人の拠点 エイリアンの住みか 神々の故郷 Mystery of Line Pictures 謎の地上絵 はやし浩司 浜松  ティワナク アタカマの地上絵)2012/09/29記

Where do Gods live on this earth? (Gods' Homeland)

2012-09-28 12:18:19 | 日記
(49)異星人の残した道路標識
A road sign drawn by aliens and its proof.
Sep. 28th 2012 by Hiroshi Hayashi

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http://youtu.be/KpNuw1761M0


(This is a story about a mystery of a Road Sign in the mountains, not on the beach, not in the ruins. The sign is in the far remoted place in the mountai. First when I found this sign in the mountains, I thought it was a kind of a graffiti, drawn by someoen for fu. But I was wrong. The road sign shows a very important place on the earth for THEM.
The Road Sign is highly-calculated by SOMEONE mathemetically. This is the story about it and at the end of this video I am sure that you are also convinced of the fact. An I at last have found THEIR home land. There should be something around here. Hiroshi Hayashi Japan.

別の場所を調べているとき、偶然にもこの道路標識を発見しました。
私は最初、それを何かの落書きと思いました。しかしそれは間違いでした。
たいへん高度に、数学的に計算された標識だったのです。
で、謎は、どうしてそんな標識を山の中に作ったかですね。
で、その中に、二重で囲まれた人を見つけました。
その絵の中に、重大なヒントが隠されているように思いました。
このビデオは、その謎についてのものです。はやし浩司

転作、転用、盗作、流用は厳禁です。どうかお守りください。
よろしくお願いします。

All ideas belong solely to Hiroshi Hayashi, Japan. No one is allowed to use my ideas in this video, for which I need your cooperations. Thank you.


(Mystery of Road Sign in the mountains. Aliens' homeland Base 異星人の故郷 神々の故郷 Mysteries of Ancient Civilizations by Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan 古代文明の謎 謎の古代文明 異星人の謎 はやし浩司 謎の異星人 神々の基地 異星人の基地 Aliens' Base on the earth UFO Launch Pad in Bolivia Chille Nazca Peru Mystery of Nazca 浜松 はやし浩司)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 28日
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【今週のBW教室より】2012/07/26

●年長児のお話作り

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/wq9gsatBTc4" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●小2児に棒グラフを教える

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/Y_Wkt1YZquQ" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●Pippi(ぼたんインコ)のしつけ

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Pippiが、このところ、ものを鋭くかむようになった。
とくに私たちの肩にやってきて、耳たぶをかむ。
これがかなり痛い。
(中には、耳たぶを食いちぎるぼたんインコもいるとか。)

危険度があがった……ということで、ワイフも息子も、Pippiが、肩にあがったとたん、耳たぶをかまれないように、警戒態勢。
注意するようになった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●無駄な行為

 ぼたんインコもそうだし、また乳幼児期の子どもも、そうである。
この時期のインコも子どもも、無駄なことはしない。
何かをするときには、かならず、理由がある。
あるいは、そういう行為をするには、そこに至るプロセスがある。

 その理由やプロセスを無視し、いきなり叱っても意味はない。
ないばかりか、かえって症状を悪化させる。

 たとえばPippiは、書斎と廊下の間を、何度も行ったり来たりする。
そのとき、ときどき私の手元に戻ってきては、いきなり指を強くかむ。
ギリギリと強くかむ。
これは欲求不満によるもの。

廊下の窓からは、外の景色がよく見える。
そこからはスズメや、ハトが庭で遊んでいる様子が、よく見える。
それを見ると、Pippiは、かなり興奮状態になる。
私の指を強くかむのは、そのとき。

●耳たぶ

 耳たぶをかむという行為にしてもそうだ。
私たちは耳たぶをかまれると、痛いという不快感が先にくる。
冷静に考える余裕はない。
が、よくよく観察すると、Pippiは、それを遊びのつもりでしているのがわかる。
私たちが痛がっているということが、理解できない。
「痛い、痛い」と手でPippiを肩からおろす。
すかさずPippiは肩までやってきて、また耳たぶをかむ。

 つまり耳たぶをかむのは、「遊んでほしい」という意思表示。
そのために、耳たぶをかむ。

 また私たちが「痛い!」と言って反応するのを、Pippiは、遊んでもらっていると誤解する……ようだ。

 だからそういうときは、根気よく、叱るしかない。
強く息を吹きかけながら、「痛いだろ」と強く、にらみつける。
体罰は、もちろんタブー。
体罰を加えても、それが何を意味するのか、Pippiには、理解できない。
(=理解できるはずもない。)

 体罰を加えれば、かえって人間を恐れるようになる。
で、それでも耳たぶをかじるようであれば、そのまま鳥かごの中に入れる。
「禁錮、3時間!」とか、何とか私は言う。

 で、3時間くらいしたところで、鳥かごから出してやる。
たいていおだやかで、やさしいPippiに、戻っている。

●人間の子ども

 人間の子どもも、同じ。
子どもに何かの症状が出たら、その理由、原因、プロセスをさぐる。
先にも書いたように、「何もない」ということは、こと幼児に関して言えば、ない!
かならず、ある!

 そうした理由、原因、プロセスを無視して、(しつけ)なるものをしても意味はない。
たとえばこんな例で考えてみよう。

●「がまんしてください」

 X君(年中児・4歳)という子どもがいた。
知的な遅れが目立った。
レッスンの間も、焦点の定まらない目つきで、ボーッとしていた。
先生との応答も、かみ合わなかった。
数の問題を出しても、思いついた数字を口にするだけ。
あとはゲラゲラとわらいこけていた。

 そういうX君を母親は見ながら、かなり気をもんだらしい。
が、先生は、こう言った。
「がまんしてください」と。

 というのも、この時期、発達曲線は、みな同じではない。
早熟的に発達する子どももいれば、そうでない子どももいる。
大切なことは、その子どもを楽しませること。
「楽しい」という思いが、好奇心を伸す。
学習意欲を育てる。

●LD児

 で、何とか小学校入学前には、それが目立たない子どもになった。
そのままだったら、LD児と診断されたかもしれない。
が、ここからが、よくあるケース。

 何か問題のある子どもが、(ふつう)になっても、親は、「よくなった」とは思わない。
それが当たり前と考える。
あるいは中には、「何も効果がなかった」と言う親さえいる。
「2年間、通いましたが、効果がありませでした」と。

 数値で表現するのは、適切ではないかもしれない。
が、数値で表現してみると、こうなる。

 X君は、平均児を(5)とすると、(3)前後の力しかなかった。
それが入学前に(5ー)になった。
ほかの子どもたちは(6)(7)の能力を示すようになった。

が、親はそれを喜ぶ前に、「うちの子は、やればできるはず」と思うようになった。
とたん、塾づけ。
週に3か所、4時間も通うようになった。
とたん、オーバーヒート。

 目をまばたきするチックが現れた。
食後、ときどき嘔吐することもあった。
で、眼科へ連れていくと、「過負担(塾)が原因です」と。
X君が、小学3年生になったときのことだった。

●徐々に減らす

 こういうケースのばあい、おけいこ塾にしても、負担にしても、少しずつ減らすのがよい。
……というケースは、私は何十例も経験している。
いきなりゼロにすると、あとあと立ち直れなくなる。
「また何かをさせよう」としても、子どもは、拒絶反応に似た症状を示すようになる。

 が、X君の母親は、すべてを、や・め・た!

 で、しばらくは、穏やかな日々がつづいた。
チックの症状は残ったが、ほかの神経症的な症状は軽くなった。
母親は、喜んだ。
が、同時に、X君は、まったく勉強をしなくなってしまった。
宿題すら、手をつけようとしなくなってしまった。
3年になってから買ったワークブックは、そのままほこりをかぶるようになった。

 とたん、母親に今度は、あせりが始まった。
「このままでは、うちの子は、遅れてしまう!」と。

 ……ついでに言うと、こうしたケースでは、徐々に、少しずつ負担をふやすのがよい。
が、X君の母親には、それを理解するだけの知的能力がなかった。
過干渉的で、すべてをその母親が取り仕切っていた。

●学校恐怖症

 ジョンソンの学校恐怖症を、この日本で最初に紹介したのは、この私である。
こんなことを自慢しても、どうしようもないが、最近では、不登校イコール、学校恐怖症と考える人が多くなった。
「恐怖症」に準じて考える。

 学校恐怖症については、たびたび書いてきた。
原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【子どもが恐怖症になるとき】

●まさに九死に一生

 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。
九死に一生とは、まさにあのこと。
今、こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。
が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。
夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じた。
私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、
『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。
そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。
あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがある。
その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続出した。
これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。
それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふつう、次の三つに分けて考える。

(1)対人(集団)恐怖症……子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。
知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所でも、わがもの顔で騒いだりする。
が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れる。
さらに症状がこじれると、外出できない、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。

(2)場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。
エレベーターに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。
これはある子ども(小一男児)のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。
親から相談があったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということがわかった。
その子どもは閉所恐怖症だった。
実は私も子どものころ、暗いトイレでは、こわくて用を足すことができなかった。
それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

(3)そのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわがる、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。
動物のお面をかぶって見せただけで、ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。
ただ子どものばあい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原因がわからないことが多い。
また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。
これも私のことだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。
そのためそれ以来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。
何とか飛行機には乗ることはできるが、いつも現地ではひどい不眠症になってしまう。「
生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原因になる。
また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れる。
高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。
脳の中にそういう思考回路ができるためと考えるとわかりやすい。
私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症になり、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。

●忘れるのが一番

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。
そのため説教したり、叱っても意味がない。
一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほど、逆効果。
ますます子どもはものごとをこわがるようになる。
いわば心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。
症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。
私のばあいも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。
「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。
が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言いきかせることで、克服することができた。
いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、夜中でも興奮状態になってしまう。
恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。
そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。

(付記)

●不登校と怠学

不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別する。
この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。
うつ病の一つと考える学者もいる。
不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりやすい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの不登校を防ぐ法(前兆を見落とすな!)

子どもが学校恐怖症になるとき

●四つの段階論

 同じ不登校といっても、症状や様子はさまざま(※)。
私の二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。
が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」(A・M・ジョンソン)、行為障害に近い不登校を「怠学(truancy)」といって区別している。
これらの不登校は、症状と経過から、次の三つの段階に分けて考える(長崎大・中根允文氏)。
心気的時期、登校時パニック時期、自閉的時期。
もう少しわかりやすくすると、
次のようになる。

(1)前兆期……登校時刻の前になると、腹痛、頭痛、脚痛、倦怠感、吐き気、気分の悪さを訴える。
症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行く」などと、明るい声で答えたりする。
これを症状の日内変動という。
理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。
そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言い出したりする。
理由となる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。

(2)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。
親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂ったように暴れ、それに抵抗する。
が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言ったりすると、一転、症状が消滅する。
ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。

(3)自閉期……自分のカラにこもる。
特定の仲間とは遊んだりするが、心の中はいつも緊張状態にあり、ささいなことで激怒したり、暴れたりする(感情障害)。
この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。こうした状態が、数か月から数年続く。

④回復期……断続的に外の世界と接触をもつようになり、登校できるようになる。
週に一日~二日、月に一週~二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。
(なおこの「回復期」は、私が付け足した。)

●前兆をいかにとらえるか

 要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。
たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。
この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。
この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。
一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。
なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。 

(付記)
※……不登校の態様は、一般に、この日本では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えられている。

 またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日本教育新聞社」まとめ)。

●学校恐怖症は対人障害の一つ 

 こうした恐怖症ははやい子どもで、満四~五歳から表れる。
乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。
集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。

(参考)

●ジョンソンの「学校恐怖症」

「登校拒否」という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一九三二年に最初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始まる。
ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。
私はそれをさらに四期に分け、次のようにした。

症状は、

第一期・不調期登校時刻になると、身体的不調を訴える。
頭痛や腹痛、脚痛、吐き気、気分の悪さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。
午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になると静かに収まってくる。
床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」と答えたりする。
この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」とか言ったりする。
そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。
ターゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。

第二期・パニック期登校時刻になるとパニック状態になり、はげしく抵抗したり、泣き叫んだりする。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。
しかしいったん学校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏やかな表情を見せる。
あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。

第三期・自閉期親が学校へ行かせるのをあきらめ、子どももそれに慣れてくると、子どもは自分の世界に閉じこもるようになる。
暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。
ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある。
気を許した友人とは、限られた場所では遊ぶものの、その範囲や遊びは限定される。
この状態で症状は数か月から数年という単位で、一進一退を繰り返す。

第四期・回復期少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。

●学校恐怖症の対処のしかた

 第一期で注意しなければならないのは、本文の中でも書いたが、たいていの親はこの段階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。
あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの(心の問題)を見落としてしまう。
しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。
ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずした。
そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。
その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り続けた。
が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しがつかないほど大きなキズを残す。
もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくてすむかもしれない。

 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。
なおそうと思わないこと。
私がある母親に、「三か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさせなさい」と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間もたたないうちに電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱりダメでした」と。

親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。
気持ちはわかるが、こういうことを繰り返しているうちに、症状はますますこじれる。

 第三期に入ったら、(1)学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜けること。
(2)前にも書いたように、今の状態をより悪くしなことだけを考えて、子どもの様子をみる。
(3)最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあまし、身をもてあますまで、何も言わない、何もしないこと。
(4)生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしないこと。特に子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。

よく子どもが部屋にいない間に、子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。

 要は子どものリズムで考えるということ。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えること。
そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早くする。

●不登校は不利なことばかりではない

 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされている。
文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で不登校児だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割もいる」という(不登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答えた人、二四%)。

そして学校へ行かなくなった理由として、

友人関係     ……四五%
教師との関係   ……二一%
クラブ・部活動  ……一七%
転向などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 この診断表を見てもわかるように、X君は第一期にあった。
つぎのパニック期(第二期)を経て、不登校状態(第三期)になるのは、時間の問題だった。
事実、そのあと、X君は第三期に入り、そのまま不登校児になってしまった。
が、母親は、今でもこう言っている。
「幼児期に無理な学習をさせたのが、原因です」と。

 ……というようなケースは、多い。
本当に多い。
言い換えると、教える側の私たちは、そういうことも予想した上で、子どもを指導する。
親を指導する。
で、たいていの親はそれを理解し、何をすべきか、何をしてはいけないかを、判断する。
が、中には、それが判断できない親(母親)もいる。

 もしX君の母親が早い段階で、X君の能力を的確に判断していたら……。
X君の母親が、あるところで、満足していたら……。
X君の母親が「やればできるはず」と、X君を追い立てなかったら……。
X君の母親が、少しずつ、子どもの気持ちを確かめながら負担を減らしていたら……。
X君の母親がもう少し知的能力の高い人であったら……。
X君は、不登校児にならなくて、すんだはず。

(こう書くからといって、不登校児がみな、そうであるということではない。
不登校児になるには、様々な原因や理由がある。
もちろん心の病気がからんでいることも多い。
ここで書いているのは、そのうちのひとつに過ぎない。どうか、誤解のないように!)

●不登校

 X君の母親が、再びX君を私のところへ連れてきたのは、その数か月のことだった。
それについて書いた原稿も、どこかにあるはず。
なお内容は、少し変えてある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の心 

 子どもの心に何か問題が起きたとする。
するとたいていの親は、それをなおそうとする。
「まだ何とかなる」「そんなはずはない」と考える。が、原因が自分にあると考える親は、まずいない。
しかも心の問題は外からは見えないため、これまたほんとどの親は、「気のせいだ」「心は気のもちようだ」と軽く考える。
しかしこうした誤解が、やがて悪循環を招き、少しずつだが時間をかけて、にっちもさっちもいかなくなる。

 S君(年長児)の症状は、軽いチックではじまった。
そこで母親はそれを何度となくうるさく注意した。が、チックはやがて階段をのぼるようにトントンと悪化した。症状も大きくなり、複数のチックを同時に併発するようになった。
母親はますます子どもを叱った。しかしこれがまずかった。
S君は真夜中に、はげしいけいれん状のチックを繰り返すようになった。一度は救急車まで呼んだ。
しかし親は、自分に原因があるとは決して思わなかった。
R君の母親は、見るからに神経質そうな母親だった。話し方もせっかちで、人の話をまったく聞こうとしなかった。

 やがてS君と母親はお決まりの病院めぐり。
あちこちで検査を受けては落胆したり、一抹の希望をもったりした。
S君が幼稚園へ行きたくないと言い出すと、それはますますエスカレートした。が、病院めぐりをすればするほど、S君の症状は悪化した。

母親はあとになってこう言った。
「あのまま不登校児になったらどうしようと、そればかりが心配でした」と。が、結局S君はそのまま不登校児になった。
1年生のときも、2年生のときも、ほとんど学校へは行かなかった。
私にも相談があったので、「3か月は何も言ってはいけません。S君の好きなようにさせなさい」と言ったが、母親にしてみれば、一か月だって長い。
そのつど学校へS君をひっぱっていった。
さらに病院めぐりをするようになると、もう私のアドバイスなど聞かなかった。

こうなると、私としては指導の方法はない。
さらに病院で処方される「わけのわからない薬」を飲むようになると、S君の症状は一時的には快方に向かったが、しかしそれはあくまでも一時的。そのあと薬の反作用で、症状はますますわけのわからないものになっていった。

 ……というような話はいくらでもある。
親というのは、結局は行き着くところまで自分で行くしかない。
冷たい言い方だが、これは子育てにまつわる宿命のようなもの。その途中で私のようなものがいくらアドバイスしても、意味がない。指導する側にしてみれば、そういうむなしさがいつもついて回る。これもやはり宿命のようなもの。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「無知は罪悪である」

 こと子育てに関して言うなら、「無知は罪悪である」。
「知らなかった」では、すまされない。
とは書きつつも、みな、どんな親でも最初は「無知」の状態から始める。
それはそれでしかたのないこと。

 そこで「勉強」ということになる。
が、構える必要はない。
風通しのよい家庭環境にし、ほかの父母との情報交換ができるようにすればよい。
とくに1~2年、年上の子どもをもつ親たちと親しくなるのがよい。
けっして、殻やカプセルにこもってはいけない。

 ……ということで、またまた同じことを書き始めたので、今日はここまで。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の無知 罪悪論 風通しのよい子育て はやし浩司 不登校児 はやし浩司 ジョンソン 学校恐怖症 はやし浩司 恐怖症 神経症的な症状)2012/07/26


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【人来たりて、また去る……ジャン・ダルジー】

●年長児(長さの勉強)

 今日は自分の制作したビデオを見ながら、
こんなふうふに感じました。

「人、来たりて、また去る」(ジャン・ダルジー)と。

そんな私の気持ちを、このビデオを通して、みなさんに
お伝えできれば、うれしいです。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/CmCq4bP21OY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

はやし浩司

2012/07/27

●31年ぶりの約束

 ちょうど三十一年前の卒業アルバムに、私はこう書いた。「二〇〇一年一月二日、午後一時二分に、(金沢の)石川門の前で君を待つ」と。それを書いたとき、私は半ば冗談のつもりだった。当時の私は二十二歳。ちょうどアーサー・クラーク原作の「二〇〇一年宇宙の旅」という映画が話題になっていたころでもある。私にとっては、三十一年後の自分というのは、宇宙の旅と同じくらい、「ありえない未来」だった。

 しかし、その三十一年が過ぎた。一月一日に金沢駅におりたつと、体を突き刺すような冷たい雨が降っていた。「冬の金沢はいつもこうだ」と言うと、女房が体を震わせた。とたん、無数の思い出がどっと頭の中を襲った。話したいことはいっぱいあるはずなのに、言葉にならない。細い路地をいくつか抜けて、やがて近江町市場のアーケード通りに出た。いつもなら海産物を売るおやじの声で、にぎやかなところだ。が、その日は休み。「初売りは五日から」という張り紙が、うらめしい。カニの臭いだけが、強く鼻をついた。

 自分の書いたメモが、気になり始めたのは数年前からだった。それまで、アルバムを見ることも、ほとんどなかった。研究室の本棚の前で、精一杯の虚勢をはって、学者然として写真におさまっている自分が、どこかいやだった。しかし二〇〇一年が近づくにつれて、その日が私の心に重くのしかかるようになった。アルバムにメモを書いた日が「入り口」とするなら、その日は「出口」ということか。しかし振り返ってみると、その入り口と出口が、一つのドアでしかない。その間に無数の思い出があるはずなのに、それがない。人生という部屋に入ってみたら、そこがそのまま出口だった。そんな感じで三十一年が過ぎてしまった。

 「どうしてあなたは金沢へ来たの?」と女房が聞いた。「…自分に対する責任のようなものだ」と私。あのメモを書いたとき、心のどこかで、「二〇〇一年まで私は生きているだろうか」と思ったのを覚えている。が、その私が生きている。生きてきた。時の流れは、時に美しく、そして時に物悲しい。フランスの詩人、ジャン・ダルジーは、かつてこう歌った。「♪人来たりて、また去る…」と。部分的にしか覚えていないが、続く一節はこうだった。「♪かくして私の、あなたの、彼の、彼女の、そして彼らの人生が流れる。あたかも何ごともなかったかのように…」と。何かをしたようで、結局は、私は何もできなかった。時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。つかむこともできない。握ったと思っても、そのまま指の間から漏れていく。

 翌一月二日も、朝からみぞれまじりの激しい雨が降っていた。私たちは兼六園の通りにある茶屋で昼食をとり、そして一時少し前にそこを出た。が、茶屋を出ると、雨がやんでいた。そこから石川門までは、歩いて数分もない。歩いて、私たちは石川門の下に立った。「今、何時だ」と聞くと、女房が時計を見ながら「一時よ…」と。私はもう一度石川門の下で足をふんばってみた。「ここに立っている」という実感がほしかった。学生時代、四年間通り抜けた石川門だ。と、そのとき、橋の中ほどから二人の男が笑いながらやってくるのに気がついた。同時にうしろから声をかける男がいた。それにもう一人…! そのとたん、私の目から、とめどもなく涙があふれ出した。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジャン・ダルジー)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【大物タイプvs小粒タイプ】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

高校2年生のクラス。
4人+1人の生徒が、来ている。
4人は、高校2年生。
残りの1人は、中学3年生。
中学3年生の子ども(女子)は、言うなれば見習い。
高校生の間に座らせることによって、(勉強癖)を、見習う。
もらう。
勉強癖のない子どもには、この方法がもっとも効果的。
『子どもの先生は子ども』
子育てを考える、大鉄則。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●小銭を稼いで、大志を捨てる

その4人の高校生のうち、1人(男子)の様子が、少し変化してきた。
近くのファーストフード店で、アルバイトをするようになってからのこと。
教室の月謝を、自分が受け取る(時間給)で割るようになった。
ときどき、ふと、「もったいない」という言葉を使うようになった。
こういう現象を、『小銭を稼いで、大志を捨てる』という。
高校生の間で、よく見られる現象である。

●弱化の原理

 原因は、弱化の原理。
脳の奥深くで、自分を(負の方向)に引く……そんな力が働いている。
たいていは、何か大きなつまずきがあったことなどが原因で、そうなる。
小学校の入試、あるいは中学校の入試で失敗した、など。
それがトラウマとなり、心の奥に潜む。
そのつど顔を出し、その子どもを(負の方向)に引っ張る。
平たく言えば、一度、自信をなくした子どもに、自信を取り戻すのは、容易なことではない。

 その子ども(A君とする)のばあいは、何が原因なのかは、私にはわからない。
恐らく本人にも、わかっていない。
それだけに、その子どもから、原因を取り除くのは、むずかしい。
不可能とさえ断言してよい。

●前向きに進む子ども

 4人のうち、その生徒をのぞいて、3人、医師をめざしている。
うち2人は、父親も医師。
もう1人(男子)は、残りの2人の影響を大きく受けた。
くわえてその男子は、スポーツマン。
1年のときから、正選手として活躍している。
インターハイへの出場を、もくろんでいる。

 「君も医者になったら?」と言うと、いつも「ぼくは、科学者のほうがいい」と。
が、内心では、医師をめざしている。

●大志

 小銭で、大志を捨てる子どももいれば、大志を大志と意識しないまま、大志に向かって進む子どももいる。
(医師にはることが、大志と、私は書いているのではない。誤解のないように!)
自ら小さくなっていく子どももいれば、自ら大きくなっていく子どももいる。

 まずいのは、小銭の計算に振り回されること。
だからといって、小銭を粗末にしてよいと書いているのではない。
小銭にうるさいということは、万事に、ケチで、ため込み屋。
小さな世界で、こじんまりと生きる。
無難で安易な道を選ぶ。
総じてみれば、長男、長女に多い。
生活態度が、防衛的。
「小銭を大切にする」というのは、そういう意味。

●おとなの世界

 おとなの世界は、そういった子どもたちの(結果)ということになる。
さらに50代、60代の人たちは、その(結果)ということになる。
私がいちばん嫌うのは、自分では何もしなかった人が、他人を笑うこと。
他人の失敗を、ことさら大げさに、取りあげる。
「だからあいつは、ダメなんだよ」とか。

 昔は、そういう人を「小市民」と呼んだ。
私の知人にもいる。
いつだったか、私にこう言った。
「はやし君、50歳を過ぎたら、生活をコンパクトにしなさいよ」と。

 コンパクト?

 どうしてこの私がコンパクトに生きなければ、ならないのか?
死ぬまでが人生。
少なくとも、死ぬまで、私たちは生きている。
(……とは書きつつも、「そうかなア?」と迷う部分もないわけではないが……。)

 その知人が、何かをした人なら、私も納得する。
しかしその知人は、大きな楽器工場で、生涯、社員として過ごした。
(社員が小市民というわけではない。そうでない人も多い。誤解のないように!)
そんな人が、そう言う。

●親の生き様

 大きな子どもにするかどうか。
それを決めるのは、親の生き様による。
学校でもないし、教育でもないし、教師でもない。
ただひとつ気になることはある。

 大志を隠しもっている子どもは、同時に広く、世界に目を向けている。
先に書いたインターハイをめざしている子どもは、世界で活躍するスポーツ選手に詳しい。
先日も、こう言った。
「野茂(ピッチャー)は、日本の球団をやめ、アメリカへ渡ったんだよ。
年俸も10分の1になったんだよ。
野茂が、つまりプロ野球の世界に、新しい道を作った」と。

 そうでない子どもは、そうでない。
世界が小さい。
話すことといえば、ゲームのことだけ。
「ゲームがなかったら、ぼくは1日で、気が狂う」などと、平気で言ったりする。
そこにあるものを、自分の世界に引き込むだけ。
自分で作ろうとしない。

音楽にしても、聞くだけ。
スポーツにしても、見るだけ。
本にしても、読むだけ。
ゲームにしても、楽しむだけ。

 「ゲーム言語を覚えて、自分でゲームで作ってみたら?」と聞いても、「むずかしそうだから、いやだ」と。
万事、自分が安易にできる範囲で、できることとしかしない。
が、これでは、外の世界を見ることができない。

●損をする人生

 つづきとして書きたいことは、山のようにある。
またそれについては、たびたび書いてきた。
が、結論として言えることは、『ケチは人を小さくする』。

 が、誤解してはいけない。
(ケチ)と(質素)は、別。
ここでいう(ケチ)というのは、たとえば小銭を惜しんで、自分に投資しない人のことをいう。

●2つのタイプ

 この時期に、子どもたちは、大きく2つの道に分かれていく。
より大きくなっていく子ども。
より小さくなっていく子ども。

 特徴としては、より大きくなっていく子どもは・・・、

(1)失敗を楽しむ
(2)挑戦的
(3)多芸多才
(4)情報に敏感で、即応していく
(5)おおらかで、スケールが大きい
(6)受験勉強を肯定的にとらえる

反対に小さくなっていく子どもは・・・

(1)他人の失敗を笑う
(2)保守的
(3)趣味が単一化している
(4)思考回路が固定化している
(5)ケチ
(6)社会的に通用しない価値観をもつ

●私たちの問題

 結果は・・・と書くまでもない。
こうした生きざまは、40代ごろになると、結果として現れてくる。
50代になると、さらにはっきりしてくる。
で、それはそのまま人生の密度として、はね返ってくる。

 ・・・もっとも、人生の密度というのは、その人にはわからない。
10年1律に生きている人でも、「私は濃い人生を送っている」と言う人がいる。
反対に、きわめて密度の濃い人生を送りながら、「さらに・・・」と考えている人もいる。
さらに言えば、人というのは、自分にとって都合の悪い情報を遠ざけようとする傾向がある。

 たとえば人生の密度の薄い人は、濃い人を避ける。
自分の人生の(薄さ)を知ることは、不愉快なことでもある。
敗北感が、自己否定につながることもある。
だから避ける。
つまり小さく生きている人は、小さく生きているどうしで集まり、細々と自分をなぐさめあって生きている。
今の私がそうかもしれないし、あなたもそうかもしれない。

 どうであれ、その分かれ道は、中学から高校にかけて、やってくる。 
言いかえると、そのころ、それまでの(育て方)の(結果)がやってくる。

●A君

 あるとき、A君は、こう言った。
見習いに入ってきた、中学3年生の女子について、「先生、月謝の無駄だよ」と。

 その女子は、ほとんど勉強らしい勉強をしなかった。
それでそのクラスに入れた。

私「どうして?」
A「たった1問を解くのに、30分もかかっている・・・」
私「それがその子の力なんだから、しかたないよ」
A「1問で、エエ~と、1500円かア」と。

 月謝を時間割にして計算した。

私「あのね、もし、君が自分のことで同じように考えているなら、ぼくの教室をやめてもいいよ」
A「どうして?」
私「ものを習うというのは、何も、知識を得るためだけではない」
A「・・・」
私「あの女の子は、君たちから勉強癖をもらうために、この教室にいるんだよ」
A「勉強なんて、自分ですればいい。ただだから・・・」
私「・・・そうかな? 本当にそうかな?」と。

 「A君は、近く私の教室をやめていくだろうな」と感じた。
が、それはA君には言わなかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 大きく伸びる子ども 小さくなる子ども ケチな子ども)


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Aliens' Footprints in Peru by Hiroshi Hayashi

2012-09-27 12:06:55 | 日記
【謎の地上絵+三叉の大燭台】Mystery of Strange Line Pictures and Grand Candlesticks

●謎の地上絵

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/N_cMASnHle4" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

謎の地上絵には、ちゃんとした意味がありました。
しかも異星人によって描かれていました。
その説明と証拠を提示します。

I found very strange Line Pictures in Chili while I was examining the Spot ,called "UFO's Launch Pad in Bolivia. This is the video about the strange pictures on the ground. I thought that they were Line Pictures drawn by people of that district for fu, but I wasu wrong. Soon I found that they were drawn by very intellectual people, or Aliens. Here is an evidence that proves what I am saying here to be true.

ボリビアの「UFOの発射台」を調べているとき、群前チリで、奇妙な地上絵を発見しました。世界でもほとんど知られていない地上絵です。最初、私はそれをだれかの落書きと思いましたが、それがとんでもないまちがいであることに気がつきました。確実に、きわめて高度な知的能力をもった人たち、つまり異星人によって描かれたことがわかりました。その証拠をここに提示します。

img802

img801

img800

(異星人の描いた絵 チリの謎の絵 三叉の大燭台 Grand Candlesticks in Peru Great Mystery of Line pictures Chili Mysteries Ancient Civilizations 古代文明 謎の古代文明 ナスカ UFOの発射台 はやし浩司 Hiroshi Hayashi UFO Launch Pad Bolivia 謎の地上絵 地上絵の謎 Hamamatsu Japan Sep 26th 2012 Evidence Aliens line 異星人の証拠 異星人の足跡)


(47)UFO Launch Pad in Bolivia

2012-09-26 08:38:12 | 日記
(47)ボリビアの「UFO発射台」(UFO Launch Pad in Bolivia)

UFO Launch Pad in Bolivia.(ボリビアのUFO発射台)。
There is a very strange rock, called "Launch Pad for UFO's". This is the short story about it. And I find some Line Pictures, about 660km away from that place.

ボリビアに「UFOの発射台」と呼ばれる奇妙な岩がある。それについて調べてみた。
古代文明をつなぐ謎の点と線。今回は、「お遊び」。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/66l1JaBGQHI" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

http://youtu.be/66l1JaBGQHI

(UFOの発射台 ボリビア UFO Launch Pad Bolivia 古代文明 謎の点と線 はやし浩司 Hiroshi Hayashi 謎の地上絵 Launch Pad for UFO UFO 発射台 ボリビア 謎の岩 ミステリー)2012/09/26記


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司




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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 26日
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【年長児にお話作りを教える】

 7月23日は、年長児を対象に、「お話しづくり」を学習しました。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/rcRZdgXQ1qI" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【夏休み&いじめ対策】

●あなたの子どもは、だいじょうぶ?

(安心度・チェックテスト)

(1)部活、クラブ活動などに、出かけるときの様子
      明るい声で元気よく行く・・・3点
      いつも同じように出かけて行く・・・2点
      どこか暗い雰囲気・・・1点
      時間ギリギリまで行こうとしない・・・0点

(2)友だちについての話題をもちかけたとき
      あれこれと友だちの様子を楽しそうに話してくれる・・・3点
      聞いたことについては、あれこれと話してくれる・・・2点
      「うん」「まあまあ」というような、あいまいな返事が多い・・・1点
      話したがらないし、聞いても何も答えない・・・0点

(3)夢と希望、それに目的について話題にしたとき
      「あれをしたい」「これをしたい」と明確に言う・・・3点
      夢や希望はあるようだが、形がはっきりしない・・・2点
      毎日が惰性で動いているよう・・・1点
      否定的な返事が多く、何をしても自信がなさそう・・・0点

(4)心や体の変調はみられませんか
      健康で、ハツラツとし、とくに何もないよう・・・3点
      ときどき体の不調を訴えることはある・・・2点
      慢性的に、不眠、けん怠感、食欲不振、腹痛を訴える・・・1点
      このところ急速に落ち込んできたような印象をもつ・・・0点

(5)「死」「死ぬ」という言葉にどのように反応しますか
      そういった言葉を口にしても、笑い飛ばす・・・3点
      「死」というものを、自分と切り離して考えている・・・2点
      「死」を身近で考えているような雰囲気がある・・・1点
      表情が暗くなったり、何を考えているかわからない・・・0点

 このテストでは、平均点を10点前後(中学生)に想定しました。
10点以上であれば、あなたの子どもは、それなりに学生生活を前向きにとらえていると考えてください。
 なお点数が低いからといって、いじめられているということにはなりません。
思春期というのは、まさに怒涛のごとく(思い)が子どもを襲います。
その中で、子どもは思い、悩み、自分の進むべき道をさがします。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(家庭の安心度)

(1)あなたの子どもには、家庭の中に逃げ場がありますか
      決まった逃げ場があり、いつもそこで心を休めている・・・3点
      とくに決まった逃げ場はないが、ひとりになることが多い・・・2点
      友だちの家に出かけたり、家の外で気晴らしをする・・・1点
      夜遊び、外泊をする。あるいは部屋に引きこもる・・・0点

(2)外から返ってきたとき、あなたの子どもは・・・
      あなた(親)のいる前でも大きな態度で自分勝手なことをする・・・3点
      あなたを見ると、どこかうるさそうな顔をする・・・2点
      あなたの姿を見ると、そそくさと、その場を離れる・・・1点
      家族との接触をいやがり、話しかけても何も答えない・・・0点

(3)あなたの子どもは、キレやすく、興奮しやすいですか
      いつもなごやかな雰囲気で、性格は穏やか・・・3点
      生活は平凡で、なにごともなく過ぎていくよう・・・2点
      あなた(親)の言葉に敏感に反応し、怒ったりする・・・1点
      突発的にキレたり、ときに大声を出し錯乱状態になる・・・0点

(4)子どもの目で見て、あなたの家庭は、どのようですか
      静かで落ち着いた家庭・・・3点
      不安なことも多いが、自分では平均的と思う・・・2点
      よく騒動も起きる。夫婦仲もあまりよくない・・・1点
      はげしい夫婦喧嘩やがつづく。家族の心はバラバラ・・・0点

(5)家族旅行などを提案してみたときの様子
      子どもの方から、あれこれ希望を出したりする・・・3点
      親が行けば、付いてくるといったふう・・・2点
      行きたがらない。会話に乗ってこない・・・1点
      そういった提案を持ち出す雰囲気さえない・・・0点

 小学3年生(ちょうど親離れを始めるじき)を過ぎたら、「家庭は癒しの場」と心得えてください。
子どもはその家庭の中で、羽を伸ばし、疲れた心を癒します。
なお情緒不安というのは、「心の緊張感が取れない状態」を言います。
家庭はその緊張感を緩める場所ということになります。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【いじめを知る、5つの方法】

 いじめられている子どもでも、それを親に伝えるケースは、10%もないと言われています。
ほとんどの子どもは、いじめられてもそれを自分の心の中にしまってしまいます。
いじめの問題のむずかしさは、ここにあります。

(1)子どものことは、子どもの友だちに聞く

 あなたの子どもを積極的に家に呼び、いっしょに遊ぶ機会をふやしてみてください。
あるいはほかの親と親しくなり、自分の子どもについて聞くのもよいでしょう。
大切なことは、風通しのよい人間関係をつくること。
情報は、そういったところから、あなたの耳に入ってきます。

(2)先生に対して、聞き上手になること

 先生にとっていちばん話しにくいのは、すぐカリカリする母親です。
先生「最近、顔色がよくわりませんが」
母親「うちではふつうです」
先生「成績がさがってきたようですが」
母親「塾では、いい成績を取っています」と。

 こういうときは、自分の子どもでも他人の子どもと思い、一歩引き下がる。
自分の子どもを、客観的に見るようにする。
「己の子どもを知るは賢い父親だ」(「ベニスの商人」)と言ったのはシェークスピアですが、それくらい自分の子どものことを知るのは、むずかしい。
「子どものことは私がいちばんよく知っている」と言う親ほど、自分の子どものことを知らないものです。

(3)いちばん近くにいる友だち(?)を疑う

 いじめる側の子どもは、急速にあなたの子どもに接近してきます。
「このところA君からの電話が多くなった」とか、「Bさんが、やたらと遊びにくるようになった」というときは、要注意。
接近しながら、こちらの動きをさぐろうとします。
その友だちが家に来たとき、あなたの子どもがうれしそうに振る舞えば、それでよし。
そうでなければ、相手の子どもの動向に注意します。

(4)心が悪魔的になる

 抑圧感が慢性的につづくと、子どもの心は悪魔的になります。
イギリスの教育格言にも、『抑圧は悪魔をつくる』というのがあります。
たとえばガイコツや戦争の絵を好んで描くようになったり、「血」「死」「殺」といった言葉に鋭く反応するようになったりします。
 この時期、子どもの心は全体的に悪魔的になります。
受験競争が影響していることは言うまでもありません。
が、それ以上に悪魔的になってきたら、何が子どもの心を抑圧しているか、さぐってみてください。

(5)こまかい配慮(相談)が消える

 いじめを受けるようになると、その子どもにとっては、それが(すべて)になります。
学校での勉強や成績、宿題、家庭内での問題などは、その子どもにとっては、どうでもよくなってしまうというわけです。
万事に投げやり的になり、抑圧的な症状(急にふさぎ込んだり、ものごとにこだわったり、ふとしたきっかけで暗く沈むなど)があれば、要注意。
この段階になると、神経症的な症状も出てきます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【いじめっ子の4タイプ】

 いじめっ子には、4タイプがあります。
それぞれの子どもに応じて対処しましょう。

(1)親分タイプ

 いじめの中心的な存在で、たいてい親分・子分関係を作ります。
その親分となるタイプです。
暴力的で威圧的な子どもばかりとはかぎりません。
表ではよい子ぶり、勉強や運動面で、よい成績を示す子どもも少なくありません。
知的ないじめ、集団による組織的ないじめが特徴です。
仮面をかぶり、先生の前ではいい子ぶったりします。
「無視」「仲間はずれ」「いじわる」などを主にします。

(2)子分タイプ

 このタイプの子どもは、いじめられるのがこわく、いじめのグループに入ることによって、身の安全をはかります。
いじめられていやな思いをした子どもほど、そうなりますが、親分になって友だちをいじめる度胸はありません。
命令に従い、こそこそと隠れていじめを繰り返すという特徴があります。

(3)攻撃型タイプ

 このタイプの子どもは、ほかの子どもに恐れられるのが、「自分の顔」と考えます。
いじめ方が暴力的、攻撃的になるのが特徴です。
肩をいからせて歩く、言動が粗放になるなど、ツッパリ症状が出てきます。
存在感が大きく、おおっぴらに、相手に罵声を浴びせかけたり、暴力を振るったりします。

(4)陰湿タイプ

 たいていは単独。
女子に多いタイプ。
嫉妬が原因で、相手をいじめます。
もの隠し、悪口など。
「モマシ」という手法もよく使います。
たいていその子どもの近くにいて、陰湿ないじめを執拗に繰り返します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●もしあなたの子どもに、いじめの心配ができたら……

 あなたの子どもが、どうもいじめをするような悪いグループに入っていると感じたら、鉄則はひとつ。
『友を責めるな、行為を責めろ』(イギリスの教育格言)、です。

 子どもに、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と言うのは、子どもに、「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。
子ども自身も相手の子どもから、ますます逃れられなくなってしまいます。
またそのとき、あなたの子どもがあなたを取ればよし。
しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになります。

 友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのものだからです。
友を捨てろというのは、子どもの人格を否定することに等しい。
たとえいじめっ子でも、です。
あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子どもは窮地に立たされることになります。。
そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい、ですね。
ではどうするか。

 こういうケースでは、行為を責める。
またその範囲でおさめる。
「友だちからお金を取ることは悪い」「弱い子どもに暴力を振るうのはよくない」「陰に隠れてずるいことをするのは、悪い」とか、など。

 コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。
子ども自身に判断させるようにしむける。
そしてあとは時を待つ。……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまいます。
そこで私はもう一歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作りました。
『行為を責めて、友をほめろ』と。

 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。
そういう子どもの性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。
「あなたの友だちのB君、あの子はユーモアがあっておもしろい子ね」とか。
「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっていってあげてね」とか。
そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。
そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自分を演ずるようになる。

 つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわけですが、これは子育ての中でも高等技術に属します。
ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいます。
しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。
祭で酒を飲んで補導された中学生がいました。
親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケースは、よくあります。

 自分の子どもを疑うのはつらいことですが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。
だからよけいに、友を責めても意味がないということになります。
何でもない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言ですね。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●あなたの子どもがいじめを受けていると感じたら

(参考)

【滋賀県大津市での、中2男子の自殺問題について考える】

●強力な負のエネルギー

 自殺するには、それなりの強力な負のエネルギーが必要。
「必要」という言い方も変だが、簡単にはできない。
言い換えると、その中学生は、かなり追い込まれていた。
繰り返し襲い来る絶望感の中で、負のエネルギーを増大させていった。
つまりその中学生は、それほどまでに悩み、苦しんでいた。
その結果として、不幸にも、「自殺」という方法を選んだ。
その子どもの、そのときの気持ちを思いやるに、心の痛まない人はいない。

●大津市での事件

 で、テレビやネット、新聞などの報道を読みながら、最初に私はこう思った。
「これはいじめではなく、犯罪行為だ」と。
つまり当初から、教育レベルの問題ではなく、警察レベルの問題である、と。
事実、こうした問題が起きたばあい、アメリカやオーストラリア、それに欧米では、即、警察が介入してくる。
教育制度のちがいも、大きい。
さらに言えば、教育に対する親たちの意識も、ちがう。

●家出も学校の責任?

 たとえば子どもが家出をしたとする。
小学生でも中学生でもよい。
そういうとき、この日本では、親たちはまず学校に連絡する。
担任の電話番号がわかっていれば、担任の教師に電話をする。

 一方、欧米では、即、警察に電話する。
学校ではない。
警察である。
欧米の学校では、教師たちは、教室内の事件(学校内ではなく、教室内!)については、その教室の教師が、全責任を負う。
が、生徒が一歩、教室を出れば、教師には、いっさい責任はない。

大病院の医療制度を思い浮かべればよい。
医師は、診察室での行為、治療、助言については、すべての責任を負う。
しかし患者が一歩、診察室の外に出れば、医師は、いっさい関係ない。
患者がどこで何をしようが、関係ない。
欧米、とくにカナダの学校は、そういうシステムになっている。

 いわんや学校外での事件については、学校側には、いっさいの責任はない。
何か事件が起きても、責任を問われることはない。
が、この日本では、子どもが家出をしただけでも、親たちは、まず学校に連絡する。
なぜか?
この意識のちがいは、大きい。

●学校は絶対

 その中2の男子は、日常的に、いじめを受けていたという。
親たちも、自分の子どもがいじめを受けているのを知っていたという。
子どもも、ときどき「学校へ行きたくない」と漏らしていたという。
学校に対して、何らかの対策を取るよう、相談もしていたという。
 
 が、私はここで最初の疑問にぶつかる。
ただこう書くからといって、けっして、その親を責めているのではない。
が、欧米なら、(少なくともアメリカやオーストラリアなら)、そういう話を親が知ったら、まず子どもをして、学校を休ませる。
もとから「学校とは行かねばならないところ」という意識が薄い。

 が、この日本では、事情がかなり異なる。
最近も、こんなことがあった。

●拒食症

 ある子ども(小1女児)が、学校で給食を食べなくなってしまった。
病院へ連れて行くと、「拒食症」と診断された。
神経症的な症状のひとつである。

ジョンソンの学校恐怖症の診断基準に照らし合わせるなら、第1段階。
つまりこうした症状が重なり、それが限界に達したとき、第2段階の「パニック期」に突入する。
たいていそのまま第3期、つまり不登校期に入る。

 こういうケースのばあい、原因探しをしても、意味はない。
ともかくも、そのあと医師が出した結論は、こうだった。
「すべてのおけいこごとを、やめなさい」と。
医師は、おけいこごとからくる過負担が、拒食症の原因と考えた。
あるいはそれによって、過負担を少しでも減らし、子どもの心の緊張感をやわらげようとした。

 その話を聞いたとき、私は即、こう考えた。
話がアベコベ、と。
「こういうばあい、オーストラリア人の友人ならどうするだろうか」と。
あるいは「息子(アメリカ在住)なら、どうするだろうか」と。

 学校という場で、拒食症になったら、原因は学校にある。
おけいこごとは遠因かもしれないが、直接的な原因ではない。
オーストラリアの友人や、私の息子なら、学校を休ませる。
学校に相談するとしても、そのあと。
(PTAが、教師の人事権をもつ国(学校)も多い。)

 が、日本人は、「学校とは行かねばならないところ」という大前提で、ものを考える。
子どもに何か神経症的な症状が出ても、「原因は学校にあるはずがない」という大前提で、ものを考える。
(医師のような高学歴者ほど、そのように考える傾向が強い。)

 が、中には、この私のように、集団が苦手な子どもだっているはず。
回避性障害や対人恐怖症の子どもだって、いるはず。
そういうことをいっさい無視して、「おけいこごとはすべてやめなさい」は、ない。
実際、その子どもは、そのあと、おけいこごとをすべてやめてしまった。

●事なかれ主義?

 滋賀県大津市での事件を追いかけてみていると、親のみならず、マスコミにも、似たような意識を感ずる。
みな、「学校とは行かねばならないところ」と考えている。
それを大前提に、今回の自殺問題を考えている。
ある新聞は、こう書いている。
「学校側の事なかれ主義ばかりが目立つ」と。

 本当にそうか?
そう考えてよいのか?
「事なかれ」とは言うが、学校の教師の多忙さは、想像を絶する。
体力の消耗もふつうではない。
活発盛りの子どもを、30~35人も相手にすれば、ふつうの人でも1~2時間でヘトヘトになる。

●重労働

 繰り返す。
 学校、とくに小中学校の教師の忙しさは、ふつうではない。
空き時間にしても、文科省のカリキュラム通りに指導していたら、週に2~3時間もない。
(週に、だぞ!)
だからどこの中学校でも、今では授業中は、職員室に教師はほとんどいない。

 一方、相手は育ち盛りの中学生。
まさに発情期の子どもたち。
そういう子どもたちを相手に、授業をする。
1人や2人ではない。
30~35人!
それがいかに重労働であるかは、外の世界の人には、理解できない。
たとえば女性教師のばあい、50歳を過ぎると、たいてい退職していく。
体力的な限界が、理由と考えてよい。
ある小学校の校長は、こう話してくれた。

「たとえば水泳指導がひとつのきっかけになることが多いですね」と。
つまり水泳指導ができなくなったとき、退職していく、と。

●いじめ

 さらに言えば、学校の教師が子どもたちのいじめを把握するのは、現実には不可能。
教師の前でいじめをする子どもはいない。
教師のいないところで、する。
「指導不足」とか、「監督不行届」という言葉も見える。

その上、(いじめ)と(ふざけ)、さらに(遊び)の境界は、きわめてあいまい。
ベテランの教師でも、見分けるのは、不可能。
今回の事件でも、(いじめ)がつぎつぎと発覚しているが、それはあとになってはじめて、わかること。
「そう言えば、いじめがあった」と。

 さらに教師が現場へかけつけたとしても、いじめられた子どもが、「いじめられています」などとは、ぜったいに言わない。
仕返しを恐れる。
今回の事件でも、一度は、教師が現場へかけつけている。
そのときの様子について、TBS-iは、こんな記事も載せている。

『……滋賀県大津市で男子生徒が自殺した問題で、自殺の6日前、学校側が別の生徒から「男子生徒がいじめられている」と報告を受けたものの、「けんか」と判断していたことが分かりました。

 大津市教育委員会によりますと、男子生徒が自殺した6日前、担任の教師が、「トイレで男子生徒がいじめられている」と別の生徒から連絡を受けました。
教師がトイレにかけつけ男子生徒から話を聞いたところ、男子生徒は「大丈夫」と答えたということです。
学校側はその後、教員らで対応を話し合いましたが、男子生徒と同級生による「けんか」と結論づけたということです。

 「いじめであるという認識は持っていなかった。
通報者はそういった形(いじめ)で言ってきたが、当事者に聞いていくなかで、けんかだと判断した」(男子生徒が通っていた中学校の校長)

 校長は、「私どもの対応は不十分であったと認めざるを得ない」と述べました』(以上、TBS-iより、2012年7月15日)と。

●犯罪行為

 ……こう書くからといって、いじめた子どもを擁護しているのではない。
いじめは、避けられないと書いているのでもない。
先ほども書いたように、今回の事件は、(いじめ)ではなく、(いじめ)の範囲を超えた、(犯罪)。
「犯罪的な行為」ではなく、「犯罪」。
犯罪そのもの。
責められるべきは、いじめを繰り返した子どもたち。
その監督責任のある、親たち。
刑事罰を受けてもおかしくない。
それをさておいて、「学校は何をしていた!」は、ない。

 率直に言えば、学校の責任を追及するにも、限度があるということ。
さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、現在の(学校制度)そのものがもつ、制度的疲労がある。
仮にこうした(いじめ)まで学校側の責任となると、現在の制度と人員では、対処は不可能。
さらにそこまで子どもたちを管理してよいかという問題もある。

●アメリカでは……

 アメリカでは、(ニュージーランドもそうだが)、子どもたちは、1時間ごとに、教室を移動する。
たとえば生物の時間には、生物の教室に、地理の時間には、地理の教室に。
日本でいう担任制度というのは、ない。

 その移動時間。
5分しかない。
たったの5分。
だからアメリカでは、終業ベルなると、廊下は、戦場のようなあわただしさになる。
で、私がなぜ「たったの5分しかないのか?」と聞くと、ニュージーランドから来た留学生(当時、大学生)は、こう教えてくれた。
「生徒どうしの接触時間をなくすため」と。

 そして子どもたちは、学校の門をくぐったとたん、学校との関係をすべて切る。
門から出たら、親の責任になる。
どんな事故が起きても、親の責任になる。
学校ではなく、親の責任。

 これに対して、この日本では、子どもが「行ってきます!」と言って、家を出た瞬間から、学校の責任になる。
法律上は、そうなっている。
たとえば帰校時に、子どもどうしで何かのトラブルがあったとする。
喧嘩なら、喧嘩でもよい。
で、子どもがケガをしたりすると、親は、即、学校に電話する。
中には校長室へ駆け込む親もいる。
「ちゃんと指導してほしい」と。
つまり、ここに無理がある。

●いじめ

 繰り返す。
陰湿ないじめを繰り返し、別の子どもを自殺に追い込んだ子どもは、それなりの刑事罰を受けるべきである。
(もちろんそれを判断するのは、学校ではなく、警察。)
もちろんこの年代の子ども(=18歳未満の子ども)は、少年法の適応を受ける。
収監ではなく保護、刑罰ではなく更正教育。
それが少年法の骨子だが、それを逸脱したばあいには、刑事罰の領域に入る。

(少年法は、量刑の軽減を規定しているが、刑事罰までは否定していない。
たとえば、「死刑をもって処断すべき場合は無期刑にしなければならないとする」など。)

 今回の事件が、それに相当するかどうかは、今の段階ではわからない。
過去の事例をみると、少年院送致程度で終わる可能性は高い。
しかしそれでは、被害者の親はもちろん、世間一般は、納得しないだろう。

●法的合理性

 ともあれ、すべての責任を学校に求めるのは、現実問題として、合理性に欠ける。
「法的合理性」という言葉を使ってもよい。
学校の教師が、直接的にいじめに加担したとか、教唆したというのであれば、話は別。
さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、抑圧された子どもたちの(ゆがんだ心理状態)がある。

 たとえば子どもは受験期にさしかかると、(ちょうどそのころ発情期に重なるのは、まことにもって悲劇的でもあるが)、心が別人のように殺伐としてくる。
加害者と呼ばれる子どもたちにしても、ひょっとしたらそういう社会的環境の犠牲者かもしれない。
(だからといって、こうしたいじめを正当化することはできないが……。)

 要するに私が言いたいことは、つぎのこと。

 日本人も、もうそろそろ、学校絶対主義、学校万能主義という幻想から、目を覚ますべきときに来ているのではないかということ。
学校といっても、中身は、教師というサラリーマン(サラリーマンが悪いというのではない。誤解のないように!)。
その教師に、神に近い監督義務、指導責任を求めるのは、もとから無理がある。
つまりこれが私が先に書いた、「制度的疲労」ということになる。

●学校以外の選択肢

 さらに言えば、現在のように、学校を離れて道はなく、学校以外に子どもたちの進むべき道に選択肢がないというのは、どう考えてもおかしい。
文科省が、すべての子どもを管理している。
そのほうが異常であることに、親も、マスコミも、そして医療関係者、警察も気づくべきときに来ているのではないのか。

 ドイツ(中学校)では、子どもたちはたいてい午前中で授業を終え、あとはそれぞれがクラブに通っている。
サイクリングクラブ、水泳クラブ、各種語学クラブ、科学クラブ、テニスクラブ……などなど。
フランスでも、イタリアでも、そうである。
最近聞いた話では、オランダでも、そうである。

仮に学校で子どもが拒食症になったとしても、「クラブをすべてやめなさい」と言う、アホな医師は、少なくともドイツにはいない。
「学校を休みなさい」とは言うだろうが、「クラブをすべてやめなさい」とは言わない。

 もちろん学内での犯罪行為も多いが、あればあったで、即、パトカーが突入してくる。
子ども自身が、学校内部から、警察を呼ぶことも多い。

 言うまでもなく、学校は、「教育」をするところ。
病院が病気を治すように、教育をするところ。
それを生活指導から道徳、はては親の教育まで受けもつから、話がおかしくなる。
だから学校の教師は、そのつど責任を問われる。
「何をしていたんだ!」と。

●方法

 何とも言えないやりきれなさを覚えるのは、私だけだろうか。
まず第一に、学校の教師たちも、すべてを背負い込まないで、こう叫んだらどうだろうか。

「すべてを管理することは不可能です」と。
「私たちにもできることと、できないことがあります」と。

 第二に、その一方で、親やマスコミも、学校万能主義をそろそろ捨てるべきときにきている。
「何でもかんでも、学校」という考え方には、無理がある。
とくに今回のような犯罪が起きたばあいは、そうである。
監督や対応、指導が不十分と、学校を責めるのは簡単。
しかし現実問題として、そこまで監督、対応、指導するのは、不可能。
そもそもそれだけの「時間」がない。
が、もしそこまで監督、対応、指導せよというのなら、教育権の強化しかない。
専門の担当教師を増員するしかない。
警察官による巡回も、許すしかない。
ほかにたとえば小中学校でも、「自宅待機処分」「登校停止処分」「警察への通報」。
さらには「退学、転校処分」を可能にする、とか。
そういう権限を、学校側に与える。

●校長の自殺

 ……たまたま昨日も、どこかの校長が、自殺した。
理由はまだはっきりしていないが、いじめ問題がからんでいる可能性が高いという。
その一方で、S市では、いじめを苦にして、1人の中学生が飛び降り自殺(?)を試みたというニュースも伝わってきている。

 Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。

『 S県S市の中学校で、いじめを受けていた男子生徒が校舎から飛び降りて大けがをした問題で、学校側は21日に緊急の保護者会を開きました。

 被害生徒が通う中学校の校長は、つぎのように述べている。
「これまでの私たちのいろいろな教育活動が不十分であることから、こういう問題になっている。足元から見つめ直していきたい」

 中学校によりますと、保護者会には約400人が出席し、「校長の認識が甘い」などといった批判も相次いだということです。
 出席した保護者は、「(学校側は)いじめかどうか、まだはっきりと分かっていなかった感じ」「まだ納得していない保護者もいた」と。

 保護者会に出席した被害生徒の母親は、「学校側は事実をすべて話してくれなかった」と不信感をあらわにしています』(以上、Yahoo・Newsより)と。

 なおアメリカでは、ホームスクーラーが100万人を超え、今では200万人を超えている。
そうした子どもたちのために、州政府は、ホームスクール児ために教師まで派遣している。
「いいじゃないの、学校なんて。行きたくなければ行かなければ。その分、自分で勉強しなさいね」と。
日本も、そうした制度を考えるべき時期に来ているのでは?
つまりそういう意識を、親や教師がもたないかぎり、こうした不幸な事件は、いつまでもつづく。

●(補記)

 たまたま先週のこと。
ある中学生(中1女子)が、こう言った。

「うちのクラスのM君ね、毎日、コンちゃん(=コンドーム)を学校へもってくるよ。今日はね、ラブホテルのポイントカードをもってきて、みんなに見せていた」と。

 高校生がコンドームをもっているというのは、よく聞く話。
放課後の部室は、ラブホテルのようと、みな言っている。
しかしそれが今では、さらに低年齢化した。
中学1年生!

 私はその翌日、その学校に通報した。
生活指導の教師と、10分ほど、話した。
もちろん学校側の指導を責めたのではない。
責めても、意味はない。
ただこうした生徒が1人でもいると、1~2年後には、多くの子どもたちがその影響を受けることになる。

 たとえば市内のX中学校では、毎年、2~3人の女子中学生が、中絶手術を受けているという(X中学生活指導担当教師弁)。
が、この数とて、まさに氷山の一角。
今、この段階で、そのM君(発達心理学の世界では、「アジテーター」(扇動者)と呼ぶ)を、適切に指導することにより、そうした被害者を、少なくすることができる。

 ほかにも生徒の家出、外泊、万引きなどなど……。
学校の教師がかかえる問題は、山のようにある。
いじめ問題は、その中のひとつにすぎない。

 なお教育評論家のO氏は、今回の滋賀県大津市での中学生の自殺問題に触れ、H大学での講演会で、つぎのように述べたという。

「教育委員会に責任がある」「教師がもっと自由に教育できるようにすべき」(報道)と。
そういう意見もあるだろう。
が、私には、的をはずれているようにしか思えない。
もっとはっきり言えば、トンチンカン。

 以上、どこか学校側を擁護するようなエッセーを書いた。
あまりにも学校側ばかりを責める報道ばかりがつづく。
自殺した子どもの立場で考えると、どうしてもそうなる。
その心情は、冒頭にも書いたように、よく理解できる。
が、学校側を責めるだけでは、こうした問題は解決しない。
それを伝えたくて、このエッセーを書いた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中学生の自殺 いじめ問題 はやし浩司 いじめによる自殺 学校側の対応 はやし浩司 制度的疲労)
2012/07/22

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●神経症的な症状について

(M様へ)

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html

 神経症については、このページをご覧下さい。
なお現在は「神経症」という言葉は使わないで、「神経症的な症状」という言葉を使います。

どうかお気をつけください。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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Mystery of Japan(Izumo-Taisha)

2012-09-25 11:00:46 | 日記
【謎の出雲大社、出雲大社の謎】byはやし浩司(46号+44号)
【Mystery of Izumo-Taisha、Japan】

http://youtu.be/GDqKoua8p14

Mystery of Izumo-Taisha.

In Japan we have two major Shrines, one is Izumo Major Shrine and another one is Ise Major Shrine. This is a video about the both, which are connected to each other closely and intellectually. I hereby in this video they are so with evidence. And moreover, Gods and Buddhism are also closely connected with other ancient civilizations of the world. This is a very important story and then I made this video very preciseky with the at most care.

出雲大社に関する謎です。
出雲大社は、伊勢神宮と密接につながっていました。
そればかりか、出雲大社は、世界の謎の点と線と、密接につながっていました。前回44号につづいて、46号を送ります。
まったく予想外の展開に、驚いています。私自身も、こんな結果になるとは、思っていませんでした。これを「偶然」と片付けるには、無理があります。
どうかご覧の上、ご自身で確認してみてください。
なお転作、盗作、流用は、禁止です。ご理解の上、ご協力ください。

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Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司