最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●大阪・『シティライフ』誌よりbyはやし浩司

2011-08-31 21:51:44 | 日記
『シティライフ』誌(大阪府・北摂・高槻・茨木・摂津版)

●巻頭特集の記事より

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【シティライフ編集部のみなさんへ】

 記事を掲載してくださり、ありがとうございました。

シティライフ……アクセスは
http://kurasi.citylife-new.com/e12121.html


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司


●もうすぐ64歳

2011-08-31 12:52:06 | 日記
●もうすぐ64歳(8月30日の夜に)「今日のできごと、あれこれ」

●タレントのS

 タレントのSが、マスコミでボロクソに叩かれている。
同情の余地はない。
もともと・・・というか、見るからにその程度の男。
「国民の宝」と、どこかのバカ知事はもちあげたが、国民の宝?

 「つながりがあった」というより、準構成員そのもの。
が、問題は、マスコミそのもの。
ああいう人間を無批判に、もちあげてきた。
その責任は、どうなるのか。

 が、まだSはよい。
暴力団とのつながりがあったというだけで、社会にそれほど大きな影響を与えたというわけではない。
陰に隠れて、コソコソ、行動していた。

 で、そのタレントSを見ながら、こう思う。
もしSが悪いというなら、あのBTはどうなのか?、と。
ワイフが、昨夜、そう言った。
見るからに、その程度の男。
映画監督もしているが、作るのは暴力映画ばかり。
暴力団そのものを題材にした映画も多い。
その男が、今、タレントの王者として、日本のマスコミの上に君臨している。

 日本人や日本の若者たちに与えた影響となると、計り知れない。
もちろん悪い影響である。
そんな男が、東京都から、「都を代表する文化人」として表彰されている。
フランス政府からは、「日本を代表する文化人」として表彰されている。

 Sというタレントがおかしいのではない。
マスコミ全体が、狂っている。
日本人全体が、狂っている。

●日債銀の破綻処理、4・8兆円!

 最高裁判所は、「シロ」と判断した。
いわく「貸出金が多少でも回収できれば、
支援に合理性が認められるとの判断を示し、
決算に粉飾はなかった」と。

 わかりやすく言えば、日債銀がした
もろもろの融資は、「回収の見込みがなかったとは
評価できない」※と。

実にあやしげな融資だった。
にもかかわらず、「回収の見込みがなかったとは言えない」と。

 が、本当の問題は、そのことではない。
こんな一銀行のために、4・8兆円もの公的資金が使われたということ。

4・8兆円を数字で表してみる。

4800000000000円!

 もし預金者保護ということなら、
預金者だけを保護すればよかった。
その保護だけにとどめ、銀行を解体すればよかった。
何も、銀行がかかえた債務まで、国が負担することはなかった。

 が、日債銀は、事実上、救済された。
日債銀というより、行員たちが救済された。
当時の日債銀の行員は、約2000人。
4・8兆円を2000人で割ると、
1人当たり、24億円。

 つまり国は、行員1人当たり、24億円もの
公的資金(=税金)を投入し、日債銀なるものを
救済した。

以後、日債銀の行員たちは、だれひとり責任を
問われることもなく、満額の退職金(=企業年金)
を受け取り、それぞれ子会社(主に独立系ノンバンク)
へと散った。

 もちろん1人当たり、24億円の現金を手にしたわけではない。
しかしふつうなら、会社の倒産と同じように、行員は全員解雇、
無一文で、野に放り出されてもおかしくなかった。

が、ここからがまたおかしい。

 検察庁は、「乱脈融資に直接かかわったわけでもない、
国税庁長官のK氏のみを訴追」(Yahoo・ニュース)した。
結果、乱脈融資そのものを、うやむやにしてしまった。

が、もう一度、4・8兆円という数字をよく見てほしい。
日本人の人口を、1億2000万人とすると、国民1人当たり、4万円!
それだけのお金が、闇から闇へと消えたことになる。
つまりだれかが、その一方で、儲けた!

 百貨店のそごう倒産劇のときも、債務(=借金)の付け替えが、
頻繁に行われていた。
日債銀の経営破綻劇の裏でも、同じことが行われていた。

それが無罪!
シロ!

 こんなバカなことが、この日本では堂々と行われている。
捜査といっても、「国策捜査」(同・ニュース)。
はじめから結果は、わかっていた。
つまり茶番劇。

 日本が民主主義国家と思っているのは、そこらのオジチャン、オバチャンたちだけ。
日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
世界に名だたる官僚主義国家。
その官僚たちが、政治、経済、さらには裁判まで、自分たちの
思い通りに動かしている。

今度の判決を見て、私はそう感じた。

(注※)
 数学の問題でも、解答のある問題を解くのは簡単。
しかし「この問題は解けません」ということを証明するのは、むずかしい。
同じように、回収の見込みについて、なかったことを証明するのは、むずかしい。
要するに、詐欺であったかどうかということ。
が、「回収の見込みがなかったとは評価できない」ということで、詐欺ではないということになった。
回りくどい言い方だが、こんな論法がまかり通るなら、どんな詐欺でも、無罪になって
しまう。
今、問題になっている「○X牧場」の和牛預託商法にしても、そうだ。
「(資金の)回収の見込みがなかったとは評価できない。よって無罪」と。

●どこかの川で……

 どこかの川で、28歳の男性が、橋から川に飛び込んで、死んだ。
私はその川も、橋も、よく知っている。
私はその川のほとりで、生まれ育った。

 死因はまだ報道されていないが、心臓麻痺か何かではなかったか。
あの川の恐ろしいところは、(どこの川でもそうだが)、山の清水が、いたるところで川の中でわき出ていること。
川に沿って泳いでいると、それがよくわかる。
ときどき、氷のように冷たい清水を、帯のように感ずる。
そういう清水の中に入ると、かなり泳ぎ慣れた人でも、キーンと心臓が縮むのがわかる。

 今は、温暖化も進んだ。
しかし私が子どものころは、8月15日の盆を過ぎたら、あの川には入らなかった。
寒くて、入れなかった。
そんな川に、8月末の今ごろ、橋から飛び込むなどというのは、正気の沙汰ではない。

 28歳といえば、若い。
残念な事件である。

●生き埋め

 もうひとつの事件は、若い夫婦が生き埋めになったというもの。
どういういきさつでそうなったかは知らないが、運が悪かっただけではすまされない。
何か、やりきれない。

 どこかの若い妻が、夫を驚かそうと、砂浜に穴を掘った。
落とし穴を作った。
「誕生日を祝うためだった」というから、さらに「?」。
そに落とし穴に、夫婦ともども落ちて、2人とも窒息して死んだ。

 穴の深さも、常識をはずれている。
2・5メートル!
ほんの少しでも思考力があれば、こんな危険な遊びはしなかったはず。

 が、私の年齢になると、どうしても親の心のほうを先に考えてしまう。
「さぞかし、やりきれないだろうな」と。

 川に飛び込んで死んだ若者にも、砂浜で窒息して死んだ若者にも、親がいるはず。
そういう息子や娘をもった親は、どうか。
悲しいというより、やりきれない思いでいっぱいだろう。
無念というか、何というか……。

 人というのは、他人のことなら、「許して忘れる」ことができる。
しかし自分のこととなると、それができない。
それが親の気持ちということになる。

 だから今は、こう思う。

 若者たちよ、無謀なことをするのは、君たちの勝手。
しかしときには、親の気持ちも少しは考えて行動せよ。
君たちの命はもちろん、幸福にせよ、結婚にせよ、それは君たちだけのものではない。
君たちの背中には、君たちを、苦労に苦労を重ねて育ててきた、父親がいる。
母親がいる。
ときには、回れ右をし、背中の側にいる人間を見てほしい。

●民主党

 野田首相が生まれた。
その話をしながら、昨夜も参観に来ていた父親と、こんな話をした。
「どうして管さん(=管直人首相)では、だめなんですかねエ?」と。
するとすかさずその父親も、こう言った。
「私も、そう思います」と。

 わかりやすく言えば、みなが寄ってたかって、管直人前首相の足を引っ張った。
官僚、ゼネコン、そして同族の一派。

この日本では、行政改革(=脱官僚政治)を訴えただけで、その政治家は干される。
ゼネコン(=原発建設業者)を叩いただけで、経済界からはじき飛ばされる。
民主党といっても、中身は、派閥政治。
「数」がものをいう、派閥政治。
野党時代は、あれほど自民党の派閥政治を批判していたにもかかわらず、政権与党になったとたん、この体たらく。

 もちろんその原点は、忠臣蔵。
私たちが若いころは、毎年12月になるたびに、忠臣蔵がテレビで放映されていた。
恒例番組にもなっていた。
それがそのまま日本人の精神的バックボーンになっている。
政治の世界でも、そうだ。

 ・・・というのは、考えすぎかもしれない。
しかし今の民主党、とくに小沢一派の議員の動きを見ていると、忠臣蔵そのもの。
称して「平成の忠臣蔵」。
権力を背負っているだけに、暴力団より始末が悪い。
日本人は、あの封建時代の遺物を、いまだに色濃く引きずっている。

●武士道

 ・・・もし江戸時代の武士道なるものが、どういうものかを知りたかったら、現在の「ヤクザ(暴力団ではない)の世界」を見ればよい。
皮肉なことに、ヤクザの世界は、封建時代における武士の世界そのものといってよい。
忠実に過去を踏襲している。

いまだにその武士道なるものを礼賛する人は多い。
「武士道こそ、日本が世界に誇るべき精神的バックボーン」と説く学者もいる。
しかし封建時代がもつ「負の遺産」に目を当てることもなく、一方的に礼賛するのもどうか?

 5%にも満たない武士が日本の社会を牛耳り、95%の日本人が、その暴政に苦しんだ。
江戸時代という時代にしても、世界に類を見ないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代だった。
が、何よりも忘れていけないことは、私たちの先祖は、その95%の農民であったということ。
(工人、商人は、数がぐんと少なかった。)

 もしあのまま今でも封建時代がつづいていたら、私たちはまちがいなく、農民だった。
その農民が、武士のまねごとを説いて、どうなる?
どうする?

●迷ったら・・・

 先ほど、ワイフがこう言った。
「明日は、どうする?」と。

 水曜日は、温泉に行くことにしている。
回数券で買うと、1回分800円で入浴できる。
それに映画も観たい。
が、あまりよいのがない。
見るとすれば、『ピラニア』。
昔の『ジョーズ』に似た映画と思う。
サメが、ピラニアに変わった。

 もうひとつは、温水器のパイプに穴があいた。
その修理。
「明日は、どうする?」と再びワイフが聞いたので、私はこう答えた。
「ぜんぶ、する」と。

 このところ「迷ったら、すべてする」が、私のモットーになっている。

●スピリチュアル(霊感商法)

 数日前、「?」はチラシが新聞に入っていた。
「スピリチュアル講演会」という。
見ると、もろもろの悩みを解消します、とある。
ついでにもろもろの予知、予言もします、とある。

 当日券は3500円とか。(前売り券は3000円。)

 気になったのは、小中学生の入場料金も書いてあったこと。
もしそれがカルト教団なら、(カルト教団と断言してよいが)、これは見過ごせない。
フランスでもベルギーでも、未成年者への勧誘は、法律によりきびしく禁止されている。
甘いのは、この日本だけ。
政治活動も野放し。(アメリカでは禁止。)
営利活動も野放し。(世界的に禁止。)
もちろん子どもの勧誘も、野放し。

 憲法で保障されている「信仰の自由」が、カルト教団のよいように拡大解釈されている。
その結果が、今。
だいたいにおいて、「スピリチュアル」とは何か。
訳せば「霊」ということになる。

 あのホーキング博士は、「天国などというものは、死を恐れる人のおとぎ話」と言い切った。
が、人間は、それほど強くない。
ウソでもよいから、天国を信じたい人もいる。
そういう人たちの思いは思いとして、そっとしておいてやる。
「あなたはまちがっている!」と言って、ハシゴをはずすのは簡単なこと。
はずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してやる。
それができないなら、そっとしておいてやる。

 が、あえてウソを広めてはいけない。
お金を取り、人を集め、インチキ説法まではしていけない。
その先にあるのが、霊感商法。
こういうのを野放しにするから、被害者が後を絶たない。

 もし、ここに私が書いたことがまちがっているというのなら、ヤ~イ、インチキ教団の連中どもよ、今すぐ、私にバチを当ててみろ。
そのスピリチュアル何とかというパワーを使って、私にバチを当ててみろ!

 大地震が予言できるくらいなら、はやし浩司1人くらい、つぶすのは、わけないはず。

●勇気

 今年は平成23年だから、ちょうど23年前。
私はあるカルト教団を攻撃した本を、5冊、書いた。
それがあって、私のところへ、毎週のように、10~20人の信者たちが押しかけてきた。
みな、口々に、こう言った。
「今に、お前は地獄へ落ちる」「5年後に結果が出る」「楽しみにしている」と。

 が、5年たっても、10年たっても、20年たっても、私は地獄へ落ちなかった。
今の今も、そこそこに元気で暮らしている。

 愚かな連中だ。
「信じたものだけが救われる」とか、「悪口を書いたら、地獄へ落ちる」とか言う。
私が神や仏なら、いちいちそんなことは気にしない。
神や仏に甘えるわけではないが、心が無料無辺に広いから、神といい、仏という。

 が、正直に告白するが、当初は怖かった。
仲のよい友人でさえも、「殺されないように注意してください」と忠告してくれた。
そう言えば、こんなことを言った信者もいた。
「夜道を歩くときは、注意したほうがいいですよ」と。

 が、今は、反対に、こわいものがなくなった。
小心で臆病だった私が、平気でものを書けるようになった。
あの一連の事件を通して、私は「勇気」を手に入れた。
今にして思うと、それがよくわかる。

●もうすぐ64歳

 もうすぐ64歳。
平均余命から逆算すると、運がよくても、私の
寿命は、残り15年。
15年。
たったの15年。

 で、反対にこんな計算をしてみる。
現在の年齢から15年を引いてみると、49歳。
49歳から64歳。・・・15年
64歳から79歳。・・・15年
49歳のときから、現在までの年数がたつと、
私もあの世行き。

 そこで考える。
49歳のとき、私は何をしていたか、と。
よく覚えているのは、中日新聞で、連載が始まったこと。
『子どもの世界、こんな問題』というコラムだった。
それから15年。
あっという間の15年。
同じように、これからの15年も、あっという間に過ぎていく。
あるいは、もっと早いかもしれない。

 が、それとて、先に書いたように、「運がよければ」の話。
平均余命から10年を引いた年齢を、健康年齢という。
晩年の10年は、病魔との闘い。
徐々に病魔に侵されながら、人は、やがて死を迎える。
その健康年齢まで、あと4年。
たったの4年。

 長生きはしたいが、私のような国民年金族(=無年金族)は、
長生きをすればするほど、みなに、迷惑をかける。
迷惑をかけてまで、長生きはしたくない。
また長生きしたところで、どういう意味があるのか。
できれば、ピンコロ。
無縁死でも孤独死でもよい。
できれば、ピンコロ。

 ・・・かなり悲観的な考え方だが、私が書きたいのは、その逆。
それだけに、このところ、生きていることに、いとおしさを覚える。

美しい空。
白い雲。
深い緑の木々。
死ねば、この世もろとも、私は消える。
その切なさ。
そのなごり惜しさ。

 今夜もワイフとドライブをしながら、そんなことを考えた。
暗い夜空だったが、淡い雲が幾重にも重なって見えた。
その下に、黒いシルエットとなった山々。
そして明かりを灯す、民家。
その切なさ。
そのなごり惜しさ。

 今や一瞬一秒が、砂時計の砂のように、過ぎていく。
無駄にできる「命」は、もうない。
回り道をしている時間もない。
迷っている暇もない。
結果がどうであれ、その結果を気にしている余裕もない。

 ただ前に進むこと。
ただひたすら前に向かって生きていくこと。
正しくても、またまちがっていても、これが私の人生。
私の選んだ人生。
今さら過去を悔やんだところで、どうにもならない。
軌道修正することもできない。
だから前に進む。

 世の中に、私のようなバカが1人くらい、いてもよい。
言うなれば、バカの実験台。
もし私の生き方がまちがっていると思うなら、それはそれで結構。
あとにつづく人たちは、別の道を進めばよい。
もし私の生き方にも、価値があると思うなら、それはそれで結構。
あとにつづく人たちは、私を乗り越えて進めばよい。

 今夜の私は、ワイフの深い愛を感ずる。
息子の深い愛を感ずる。
それ以上、私は何を望むというのか。
仮に今、ピンコロということになっても、今の私なら、今を信ずる。
信じて、そのまま静かに死ぬことができる。
やすらかに。
穏やかに。

今夜の私は、いつもになく、満ち足りている。
人を憎まず。
人を恨まず。
平和な心で、満たされている。

 ・・・このまま静かに眠ろう。
すでにワイフは、奥の寝室で寝息をたてている。
先ほどまで横で話していた息子も、寝室へ入った。

では、みなさん、おやすみ。
日付は変わって、2011年8月31日。

引佐町・山荘にて。

Hiroshi Hayashi++++++++Aug 2011+++++++++はやし浩司

【楽しく学ぶ子は、よく学ぶ】

●1年生に、センチとミリを教える

(1)
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(2)
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Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●突発的に衝動的な行動を繰り返す子ども

2011-08-30 08:54:24 | 日記
●子ども、あれこれ(突発的に衝動的な行動を繰り返す子ども)

++++++++++++++++++++

 親の過干渉が日常化すると、子どもは、
自分で考えるということができなくなる。
とくに善悪の判断に疎くなる。
いろいろなケースがある。

++++++++++++++++++++

(N君、小2男児)

 私の教室には、いくつかの模型飛行機が飾ってある。
ダイキャスト製の、大きさが15センチ前後の飛行機である。
その飛行機の、プロペラや脚が折られるという事件がつづいた。
模型のアンテナが折られたのもある。

が、だれが折るのか、当初はわからなかった。
私も、それほど注意していたわけではない。
気がついたときには、模型飛行機のほとんどが、壊されていた。

 が、ある日、レッスンが終わり参観にやってきた母親と話しているとき、ふとそちらのほうを見ると、N君(小2男児)がその前に立っていた。
模型飛行機をじっと見ているといったふうだった。
が、つぎの瞬間、N君は、さっと手を伸ばすと、指先でプロペラを折った。
ものすごい早業(はやわざ)だった。
それが終わると、再びN君は、こちらの様子を警戒するといったふうでもなく、じっと模型飛行機に見入っていた。

 ほかにコンセントに粘土を詰めていた子ども(幼稚園男児)や、色水を溶かして、2階のベランダから、下の子どもに向かって、それをかけていた子ども(幼稚園男児)などがいた。

●特徴

 こうした子どもの話をすると、頭の良し悪しと結びつけて考える人は多い。
しかし頭の良し悪しとは、関係ない。
先にあげたN君にしても、学校のクラスでも、1、2を争うほど、算数が得意だった。
つまり頭が良い子どもでも、善悪の判断に疎い子どもは、いくらでもいる。
他方、頭が悪いからといって、善悪の判断が疎いということにもならない。

 それはちょうど、男子だから、料理や洗濯がへたとか、反対に女子だから、料理や洗濯がじょうずと決めつけて考えるようなもの。
料理や洗濯のじょうず、へたに、男子も女子も、ない。
同じように、「頭が悪いから、善悪の判断に疎い」と考えてはいけない。
(もちろん、頭の悪い子どもで、善悪の判断に疎い子どももいるが……。)

 前提として、善悪の判断能力と、頭の良し悪しは、関係ない。

●突発性

 このタイプの子どもの特徴としては、突発性があげられる。
日ごろから、行動が突発的で、静かな落ち着きに欠ける。
その瞬間に、「とんでもない行動」を引き起こす。
少し前も、私のうしろから、私の後頭部を、いきなり発泡スチロールの棒で叩いてきた子ども(小6男児)がいた。

 発泡スチロールとはいえ、6年生の腕力である。
しかも水平に、右耳をめがけて叩いてきた。
幸いにも、ほんの少しだけ位置がずれていたからよかった。
もしまともに右耳に当たっていたら、私の鼓膜は吹き飛んでいたはず。
(それでも、そのあと4、5日間、耳がポーンとしたままだったが……。)

 この子どもも、頭の良い子どもだった。
が、時として発作的に、衝動的行動に走る。
で、叱ると、その場ではシュンとうなだれ、いかにも反省していますといった様子をしてみせる。

●原因

 年齢的には、満4・5歳前までの幼児期前期における、子育ての失敗とみる。
この時期を「自律期」と呼ぶ(エリクソン)。
この時期を通して、子どもは、善悪の感覚を身につける。
先生や親の指導を忠実に守ろうとする。

 たとえば母親が、幼稚園の先生の指導と違ったことをしたりすると、すかさず、「幼稚園の先生がねえ……」と言い返し、母親をたしなめたりする。

 あるいは部屋の様子がいつもとちがっていただけでも、敏感にそれを発見する。
元に戻そうとする。
たとえば花瓶の位置がずれていただけでも、元通りにする、など。

 この時期までに、子どもの基本的な習慣づけが決まると断言してよい。
が、反対に、この時期を、「だらしなく」過ごすと、子どもは、「だらしない子ども」になる。
生活態度がだらしなくなり、ものを散らかすなど。
服装や、身だしなみに無頓着になることもある。

原因は言うまでもなく、親の溺愛(甘やかし)、過干渉(親がガミガミ、コマゴマと言う)など。
それが日常化すると、子どもは自分で考え、自分で行動するということができなくなる。

 しかしそれがすべてよいというわけではない。
反対にそれが度を越したりすると、子どもは、いわゆる融通の利かない、頭の固い子どもになる。
たとえばユーモア、冗談が通じなくなる、など。
たとえばアスペルガー児のばあい、相手の言葉を忠実にとらえすぎるあまり、柔軟な行動がとれないことがよく知られている。

 満4・5歳を過ぎたら、「融通性(ユーモア)の指導」も、家庭教育におけるひとつのテーマと考えてよい。
 
●善悪判断

 言い換えると、年長児(5~6歳児)をていねいに観察すると、善悪の判断能力(=常識的な判断能力)が、正しく身についているかどうかが、わかる。
善悪の判断能力が正しく身についている子どもは、的確にそれを判断することができる。
衝動的、突発的な行動は、見られない。

 一方、そうでない子どもは、そうでない。
ひどくなると、「何をしでかすか、予想が立たない子ども」になる。
ほんの少し目を離したすきに、「とんでもないこと」をする。
しかも本人には、悪いことをしているという意識は、ほとんどない。
笑いながら、あるいはおもしろ半分に、それをする。

 私の目に、シャープペンシルを突き刺した子ども(中3・男子)、同じようにシャープペンシルの先で、私の目を突き刺そうとした子ども(小4・男児)などがいた※。
ともに頭のキレる子どもで、とくに数学においては、並外れた才能を光らせていた。

(注※)この子どもは、私が振り向くのを待ち、シャーペンシルを手で握り、私に声をかけた。
「先生、先生」と。
私はそのとき反対の方向を向いていたが、そのまま顔を、その子どものほうに向けていたら、シャーペンシルの先は、確実に私の目を突き刺していた。
たまたまその直前、別の子どもが、「先生!」と声をかけてくれたから、私は難を逃れることができた。

●どうするか

 先にも書いたように、年長児(6歳、幼児期後期)になると、その子どもの方向性が決まってくる。
親は、こうした症状を子どもの中に見つけると、はげしく叱ったりする。
が、これが悪循環となり、子どもはますます「常識外れな行動」を繰り返すようになる。

 「子どもは家族の代表」と考え、原因は家庭環境、とくに母親の育児姿勢にあると考え、猛省する。
静かな語りかけ、話し合いが、重要。
しかし実際には、親自身が情緒的な不安定さ、精神的な欠陥をかかえているケースが多く、指導はむずかしい。

●過干渉児

 よく誤解されるが、口うるさいのは、過干渉ではない。
過干渉が過干渉になるためには、親側の情緒的な不安定があるばあいである。
親の機嫌、あるいはそのときの気分によって、子どもへの接し方が大きく変化する。
ギャーと興奮して子どもを叱ったり、反対に、妙に穏やかに接したりするなど。
つまり子どもの側から見て、とらえどころのない親の「心」が原因となり、子どもは、いわゆる過干渉児になる。

 私の経験では、小学3~4年生以後、こうした行動が見られるようになったら、指導による改善はほぼ不可能とみる。
言うべきことは言いながらも、本人の現実を検証する能力と、自己を管理する能力が育つのを待つしかない。
言い換えると、おとなでも、こうした衝動的、かつ突発的な、「非常識な行動」を繰り返す人は少なくない。
どういう人がそういう人であるかは、あなたの周辺にも、1人や2人はいるはず。
観察してみるとよい。
出現率としては、子ども(小学高学年児)のばあい、7~8人に1人とみる(はやし浩司)。

●AD・HD児とのちがい

 それなりの集中力と、その場に応じた静かさ(たとえばテスト中などは、静かに学習できる)があるという点で、AD・HD児とは区別される。

●過剰行動児とのちがい

 行動に目的性があるという点で、突発的に錯乱状態になる過剰行動児とは区別される。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 突飛もない行動を繰り返す子ども 何をしでかすか、わからない子ども 衝動的 子どもの衝動性 子どもの突飛性)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【幼稚園児に「形」を教えてみる】

●新入会のMG君がいましたので、ガイダンス的に、「形」の学習をしてみました。
「楽しく学ぶ子は、よく学ぶ」ですね。

(1)
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(2)
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(3)
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(4)
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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 年中児の知育教育 知能教育 BW教室 BW子どもクラブ BWbyはやし浩司 形の学習 形の勉強 刺激教育 才能教育)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

1/2 マガジン8-29

2011-08-29 07:38:54 | 日記




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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     8月 29日号
 ================================  
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『ツリー・オブ・ライフ』(The Tree of the Life)

●夏休み(8月12日)

 私も明日から、夏休み。
10日間の夏休み。
自由、気ままな夏休み。

 ……と、子どもの書くような文を書く。
何歳になっても、休みは、うれしいもの。
ワイフも、今朝、こう言った。
「思う存分、遊びましょう」と。

 やりたいことがあったら、その場で決定。
迷わない。
行きたいところがあったら、その場で決定。
すぐ行く。

 が、明日まで待てない。
今夜は、仕事が終わったら、深夜劇場へ。
今日から公開の、「ツリー・オブ・ライフ」。
それを観る。
チケットは、すでに購入済み。

 明日は、ビスタ・パソコンのアップグレード。
夕方は、Mさん家族と会食。
山荘へ招待する。
明後日は……。

 こういうことはあまり詳しく書かないほうがよい。
空き巣に、おいでくださいと言っているようなもの。
以前、そういう忠告を、ある人から受けた。
「家を空けるという話は書かない方がいい」と。
以来、HPでもBLOGでも、予定については、書かないようにしている。

●浜松で35度!

 昨日は暑かった。
しかし今日は、もっと暑い。
昼寝をしていたが、ドカッとした熱気で目が覚めた。
起きて居間へ行くと、ワイフが、「34度よ」と。
家の中で、34度!

 が、私は自転車に乗って、教室へ向かった。
運動は欠かせない。
が、それにしても暑かった。
途中、飲み水としてもってきた水を、頭からかける。
地面から、乾いた熱気が、容赦なく伝わってくる。
白い日差しが、まぶしい。

 ……おかげで軽い熱中症に。
吐き気と頭痛。
クーラーの前に立ち、扇風機をかける。
頭を水で冷やす。

 今日のレッスンは、年長児。
「形」の学習。

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(つづきは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/のほうで……。please!)

●したいこと

 新しいパソコン。
高性能であればあるほど、よい。
まず、それがほしい。

 つぎにそのパソコンをもって、どこかへ行きたい。
温泉がよい。
静かで、人がいないところがよい。
そこで一日中、本を読んだり、キーボードを叩いて過ごしたい。

 ……というか、今夜から、思う存分、徹夜ができる。
眠くなって、どうしようもなくなったら、床に就く。
それまでパソコンに向かって、文を書く。
それが私の休みの過ごし方。

●麦わら帽子

 夏休みと言えば、麦わら帽子。
そんなイメージが脳に焼き付いている。
ワイフと私は、そんな季節に出会った。
1972年の夏。

 その直後、知り合った直後、私は弁天島にあった友人の別荘を借り、パーティを開いた。
7~8人が集まってくれた。
その中に、「とべ・ひろし」(漢字名は忘れた)というフォークシンガーもいた。
そのとべ君が、吉田拓郎の『♪夏休み』を歌ってくれた。

 そう言えば、仲間に「なぎら・けんいち」というフォークシンガーもいた。
が、その夜は、どこかのビアガーデンで弾き語りをするということで、来なかった。
当時は「なぎら健一」と書いていたと記憶している。
今は「なぎら健壱」と書く。

 「♪……あんたがた死ねねえだろう。葬式費用もないからね……」というような歌を歌
っていた。

 遠い遠い昔の話。
あのころのワイフは、美しかった。
今でも、「♪麦わら帽子は、もう消えた……」と口ずさむたびに、それを歌ってくれた、と
べ君を思い出す。
ワイフを思い出す。
親友だった、今井修さんを思い出す。

 今井修さんは、今の市立図書館の前あたりで、小さなデザイン事務所を開いていた。
イベント事業も手がけていた。
その関係で、とべ君やなぎら健壱を、紹介してくれた。
もちろんそのパーティに、今井修さんも来ていた。
ワイフも、その夜のことを、よく覚えている。
ワイフと私は、パーティが終わると、海のそばの堤防に座り、夜遅くまであれこれ話した。

 夏休み……私にとっては、麦わら帽子の夏休み。

(映画を観て、夜、12時ごろ帰宅)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『ツリー・オブ・ライフ(The Tree of the Life)』

 映画、『ツリー・オブ・ライフ(生命の樹)』を観てきた。
美しい画像と美しい音楽。
そのものすごさに、圧倒された。
ストーリーの運び方にも、独創性があった。
よかった。
よかったが、そこまで。
何か、釈然としない。

 冒頭のところで、こう言う。

「キリスト教を信ずる者は、愛に包まれ、時間を長く生きる。
そうでない人は、利得に毒され、つまらない人生を生きる」(記憶)と。

 つまりこの映画は、最初から最後まで、キリスト教のプロパガンダ映画。
キリスト教の信者の人(=大多数のアメリカ人)が観れば、涙を流して感激するだろう。
しかし残念ながら、私はその信者ではない。

 つまり最初の段階で、「そうかなあ?」という疑問をもってしまった。
その疑問が、最後の最後までつづいた。

 で、なぜ「ツリー(木)」なのか?

 映画の中では、大宇宙と、地球の歴史を交互にからませ、やがて人間世界に、「神の意志」
を投影させていく。
二男を19歳で失った父親と母親の悲しみを、その上に料理のトッピングのように載せて
いく……。
「生命というのは、人間の悲しみや苦しみを超えたところで、大宇宙や地球の歴史と、大
きな木のようになってつながっている」と。

しかし、それが大げさ。
深い(?)宗教哲学を織り込んだのはよいが、かえってそれが映画自体をわかりにくいも
のにしている。
「これがキリスト教だ」と言わんばかりの、高慢な製作姿勢。
観ていて、私は疲れた。
肩が凝った。
少なくとも、娯楽映画ではない。
辛らつな言い方をすれば、キリスト教の洗脳映画を見せつけられたような感じ。

 2000円(シルバー料金、2人分)も出して観に行ったのだから、もう少し楽しませ
てほしかった。

 映画館を出たあと、私はワイフに、こんな会話をした。
「日本では、大震災で、2万5000人もの人たちが、亡くなった。
1人ひとりについてみれば、それも神の意志だったのだろうか」と。

 なおブラッド・ピットが演ずる父親について一言。

 アメリカにも、ああいう権威主義で、代償的過保護(子どもを自分の支配下において、
自分の思い通りにしたいと思う、身勝手な過保護)な親はいる。……いたと思う。
1910年代~は、そうだっただろう。
その親が、映画の中では、一方的に、「悪人」に仕立てられていた。
その反動として(?)、母親はマリア様のように仕立てられていた。

 たしかに子ども側(=3人の息子)の視点から捕えれば、そうだろう。
しかし同時に、父親には、「家族を支えていかねばならない」という重圧感もある。
ものすごい重圧感である。
最近の若い人たちは、その重圧感の経験もないまま、「そんなのは親の義務」と、簡単に片
づけてしまう。
私はむしろそちらのほうに反発を覚える。
もちろんブラッド・ピットが演ずる父親には、問題がないわけではない。
が、しかし映画を観ているうちに、私はむしろ父親のほうに同情してしまった。
「偉そうなことを言うなら、自分で家族をもち、自分で支えてみなさい」と。

 さらに付け加えるなら、私の知る範囲でも、映画に出てくるブラッド・ピット以上に、
年がら年中、ガミガミ言っている母親だっているぞ!

 星は、もし私がキリスト教信者であれば、文句なしの5つの、★★★★★。
が、私は信者ではないから、かえって疎外感を覚えてしまった。
2度目は観たくないという意味で、星は2つの、★★。

 キリスト教国のアメリカでは、当然、アカデミー賞を受賞するだろう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『ツリー・オブ・ライフ』(The Tree of the Life)(補足的意見)

(注:この原稿は、今朝書いた原稿の補足部分です。)2011/08/13

●善と悪、進化論

++++++++++++++++++++++++

映画『ツリー・オブ・ライフ』の中で、
善と悪について、あれこれ述べている。
キリスト教信者は、絶対的な善人であり、
そうでない人は、善人にはなりえない(記憶)と。
この映画の主題と言ってもよい。

これについて日ごろの私の考えを記録しておきたい。

++++++++++++++++++++++++

●進化論の否定

 アメリカには、いまだに進化論を信じていない人が、70~80%前後もいるという。
熱心なキリスト教信者ほど、そうらしい。
が、もし私が、「善と悪」も、進化論の過程で生まれたと言ったら、どうだろう。
キリスト教の信者の人たちは、顔を真っ赤にして、怒るにちがいない。
「善と悪」を、進化論にからめて考えること自体、神への冒涜ということになる。
が、怒る前に、私の意見に、ほんの少しだけ、耳を傾けてほしい。

●仮定

 よくこんな仮定が、話題になる。
「もし蚊が、ハチの大きさだったら……」という仮定である。
もし蚊がハチの大きさだったが、蚊そのものが、絶滅していたはず。

蚊のもつ毒は、きわめて強力。
もし蚊がハチほどの大きさだったとすると、蚊の一刺しで、人間はもちろん、かなり大き
な動物(牛や馬)も、ショック状態になる。

ハチ(スズメバチ)は、約40ミリ。
蚊は、約5ミリ。
体積比でみると、8の3乗。
つまりハチは、蚊の512倍。
毒の量も512倍。

 毒の量が2倍になれば、抗原抗体反応は、4倍~10倍になる。
500倍ともなれば、一刺しで、人間だったら、体中が真っ赤に膨れ上がり、死んでしま
うかもしれない。
そんな蚊が人間を襲う。
集団で襲う。
ばあいによっては、人間は、絶滅。
(ハチも襲うが、それは自衛のため。)

 が、ここで蚊にとっても、深刻な問題が起きる。
もし刺す相手が絶滅し、いなくなってしまえば、自分も死ぬことになる。
血を吸う、相手がいなくなる。
そこで自然界では、絶妙なバランスが働く。

 蚊はほどよい大きさを保ち、刺した相手が絶滅するまでの毒は注射しない。
つまり同じことが、善と悪についても言える。

●絶妙なバランス

 もし人間がその進化の始まりで、絶対的な善人だったとする。
20万年前でもよいし、10万年前でもよい。
人類の歴史は、20万年と言われている。

 もしそうなら、人間は、とっくの昔に絶滅していたことになる。
たとえば自分の妻や子どもたちが、別の動物に襲われたとする。
が、絶対的な善人である人間は、やり返すということをしない。
つまり無抵抗のまま、つぎに我が身を差し出す。
「どうか、私も食べてください」と。

 一方、人間が、絶対的な悪人だったとする。
それこそ腹が減れば、平気で自分の妻や子どもですらも、肉にして食べてしまう。
それを見ても、周りの人間も何も言わない。
スキさえあれば、今度は、自分たちも、そうする。
このばあいも、人間は、とっくの昔に絶滅していたことになる。

 つまりここで善と悪の間に、絶妙なバランス感覚が生まれる。
絶対的な善人であっても、また絶対的な悪人であっても、人間は、とっくの昔に絶滅して
いたことになる。
だから人間は、適当に善人であり、適当に悪人であるということになる。

 自分の妻や子どもが襲われれば、反撃もする。
ばあいによっては、復讐もする。
相手を襲う。

 人間だけではない。
この地球上に住む、ありとあらゆる生物が、その絶妙なバランスの上で、成り立っている。
生きている。
長い進化の過程で、そういうバランスが生まれ、定着した。

●善と悪

 先にあげた例は、話をわかりやすくするため、極端な内容にした。
しかしこのことは、実生活の中で考えてみれば、よくわかる。
私たちは常に、善人と悪人の間を、行ったりきたりしながら、生きている。

 商売にしてもそうだ。
より大型店を作れば、小さな商店は閉店に追い込まれる。
大型店で、ものを安く売れば、貧しい人たちは、助かる。
この時点では、大型店を作った人は、善人ということになる。
しかし小さな商店の経営者にとっては、そうでない。
悪人ということになる。

 こんな話を、商売を経験したことのない人に話しても、無駄かもしれない。
ジワジワと斜陽の道をたどり、やがて閉店に追い込まれる商店主の気持ちは、理解できな
いだろう。
が、私は経験している。

私が中学生ののころ、近くに大きなショッピングセンターができた。
そこで自転車を安売りを始めたとき、心底、そのショッピングセンターを恨んだ。
この恨んだ部分が、「悪」ということになる。

 で、つぎに私がこう考えたとする。
「ようし、私はさらに大きな店を作り、あのショッピングセンターを叩きつぶしてやる」
と。
つまり、仕返しということになる。
これも「悪」ということになる。

 が、こうした心の作用を「悪」と決めつけてはいけない。
それがあるからこそ、人間は、今までこうして生き延びることができた。
今の、あなたにしてもそうだ。
今まで、こうして生き延びることができた。
「お人好しだけでは、生きていかれない」(映画の中のセリフ)。

●進化論

 善と悪は、絶妙なバランスの上で成り立っている。
つまり絶対的な善というのは、存在しない。
絶対的な悪というのも、存在しない。

 同じように、絶対的な善人というのも存在しない。
絶対的な悪人というのも存在しない。
どちらであるにせよ、もしそうなら、人類はとっくの昔に絶滅していたということになる。
逆に言うと、今、ここに存在するということは、私たちはそのバランスの上で生きてきた
ということになる。

 もちろん善人、悪人といっても、程度の問題もある。
割合の問題といったほうが、よいかもしれない。
善と悪の割合が、70:30の人もいれば、反対に30:70の人もいる。
人は努力によって、善の割合をふやすことはできる。
しかし100%……というわけにはいかない。
100%になったとたん、その人は、社会から、はじき飛ばされてしまう。

 で、もしそれが本来の人間の姿であるとするなら、善と悪を峻別し、たとえば善を「神」
と結びつけ、悪を「悪魔」と結びつけることは、あまりにも短絡的な考え方ということに
なる。

●私たちの心

 私は若いころ、『4割の善と4割の悪』という第で、エッセーを書いたことがある。
中日新聞にも発表させてもらった。
それをそのまま、ここに掲載する。
少しちがった視点から書いたエッセーである。
そこは許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●4割の善と、4割の悪(中日新聞掲載済み)

 社会に4割の善があり、4割の悪があるなら、子どもの世界にも、4割の善があり、4
割の悪がある。
子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。
おとなの世界をなおさないで、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。
子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする
(「クレヨンしんちゃん」V1)。
つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。

 ただし一言。
悪があることが悪いと言っているのではない。
人間の世界が、ほかの動物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいな
いというような世界になってしまったら、何とつまらないことか。
言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおもしろいものにしている。
無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすく
らいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。
神はこう答えている。
「希望を与えるため」と。
もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望
をなくしてしまう。
つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間にな
ることもできる。
旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。
それがわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子ども
の世界だけをどうこうしようとしても意味がない。
たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。
問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。
そうでないというのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいるこ
とについて、あなたはどれほどそれと闘っているだろうか。

私の知人の中には50歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校生
の娘もいる。
そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていたら、君
は許せるか」と。
するとその男は笑いながら、こう言った。
「うちの娘は、そういうことはしないよ。
うちの娘はまともだからね」と。
私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性
が悪い」と。
こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。
子どもの世界をゆがめる。それが問題なのだ。

 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけで
もない。悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社
会を見る目は、大きく変わる。
子どもの世界も変わる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●悪の否定

 要するに、悪は悪として存在する。
それを否定しても、意味はない。
大切なことは、悪と戦うのではない。
悪とどうやってうまく、つきあっていくかということ。

 相手が人間でも、そうである。
悪人は、いつの世界にも存在する。
どこにでもいる。
大切なことは、そういう悪人と戦うことではない。
悪人とどうやってうまく、つきあっていくかということ。

 もちろん反社会的な行為を繰り返すような悪人は、別。
しかし今、この文章を読んでいるあなたにしても、「私は善人」と言い切ることができる人
は、いったい、どれだけいるだろうか。

 私にしてもそうだ。
私は、自分を善人と思ったことは、一度もない。
ものの考え方は、たしかにゆがんでいる。
嫉妬深く、いつも心の底流では、恨みや、つらみが渦を巻いている。
それに自己中心的。
だからもしだれかに、「あなたは善人か」と聞かれたら、私はこう答える。
「ハハハ、ありえない」と。

 が、こうした善と悪のハバが、人間社会を、おもしろく豊かなものにしている。
もし人間がすべて天使になってしまったら、この世の中、ほんとうにつまらなくなる。
……というか、そのほうが、不気味。

私たちがなぜ、今、ここに生きているかといえば、そこにドラマを残すため。
そのドラマに生きる価値がある。
そのドラマの中に、生きる意味がある。

●神とは

 映画『ツリー・オブ・ライフ』の中では、得体の知れない、何やらモヤモヤしたものが、
「神」として描かれていた。
日本のどこかのカルト教団も、同じようなことを言っている。

 私はもちろん、神がどんなものであるか、知らない。
しかし今、昨夜見た映画を思い出してみると、どう考えても、あの映画は、どこかのキリ
スト教団体の、プロパガンダ(情宣)映画にしか思えない。
つまり洗脳映画。
(映画『ベン・ハー』を、洗脳に利用しているカルト教団もあるぞ!
勧誘してやってきた人たちに、まずあの映画を見せているそうだ。)

 あの映画の中で述べていることを本気でとらえてしまうと、そのままキリスト教に入信
してしまうかもしれない。
随所で、「入信してよかった」「新しい世界が開けた」と述べるセリフもあった(記憶)。

 その点、私たち日本人は、一歩退いたところからあの映画を観ることができる。
形だけかもしれないが、一応、仏教徒。
しかし油断は禁物。
そんな警戒心をもっても、おかしくない映画ということになる。

 最後に、試しにアメリカ人にこう聞いてみるとよい。
「あなたがたの国は、キリスト教国か?」と。
ほとんどのアメリカ人は、きっぱりとこう言う。
「No!」と。

 ドル札すべての裏に、「We trust in God(私たちは神の存在を信ずる)」と刷り込んでい
ても、「No!」という。
そのおかしさ。
映画『ツリ-・オブ・ライフ』は、そういう国の、そういう人たちによって作られた映画
である。

 インパクトが強烈な映画だけに、要注意!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ツリーオブライフ 
ツリー・オブ・ライフ The Tree of the Life 善と悪の進化論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●8月13日

 明けて今朝は、8月13日。
土曜日。
昨日のサイクリングがたたって、今でも筋肉痛がひどい。
が、負けてはいけない。
今朝は、起きるとすぐ、30分のウォーキング。
全身に、ビッショリと汗をかいた。

 が、痛さは、そのまま。
水を1リットルほど飲んで、そのまま書斎へ。
今が、そのとき。

 これから近くのショッピングセンターへ行き、買い物。
友人を、山荘に招待している。
その食材さがし。

 また午後イチバンに、WINDOW7のUPGRADEソフトが届くはず。
サブで使っている、ビスタマシンを、それを使ってUPGRADEしなければならない。
簡単な作業のように見えるが、時間はかかる。

 ……今日も猛暑日という。
パソコンがそれに耐えられるだろうか。
少し心配になってきた。

 では、これから買い物。
みなさん、おはようございます。

はやし浩司 2011-08-13


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2/2 マガジン8-29

2011-08-29 07:38:19 | 日記


●子育て相談(2件)2011/08/14

【掲示板より】

こんにちは。そして初めまして。子育てについて色々検索していた所、はやし浩司さんの
HPに辿り着きました。どうかよろしくお願いします。

 小3の娘が、近所の小2の女の子と娘と同じクラスの女の子(その二人はとても仲良し)
に意地悪をされます。娘は本当は気が強いと思うのですが、外では割と大人しくお友達と
軽いおしゃべりが出来るタイプではありません。そのせいか馬鹿にされやすいようで、ま
だヒドイいじめまではなっていませんが、コソコソばかにしたり、走って逃げたり嫌な顔
で娘を見たり・・・。 本人も私もとても辛い気持ちでいます。

 そこで、ある方に相談したところ、「娘さんを守る為にその子達の母親に話した方が良
い!」とおっしゃるのですが、娘と同じく臆病な私はでもな~・・・と悩んでおります。
やはりここは私が勇気を出してちゃんと話した方が良いのでしょうか?
もし他に良い方法があったら教えて頂けないでしょうか?
どうかどうか宜しくお願いします。

【はやし浩司よりクック様へ】

●YOUTUBEのほうで、私の考えを述べておきます。
 下をクリックしてみてください。

 なおYOUTUBEを、ご覧いただけないかたは、(はやし浩司のメインサイト)→(子育
てQ&A)へとお進みください。

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/CE-fkuUn_1c?hl=ja&amp;fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●学校の先生の指導の仕方に問題があるが……

 直接、相談いただきました。
私の考えを、YOUTUBEのほうで、述べさせていただきます。

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/ceswg7awKqA?hl=ja&amp;fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

2011/08/14
Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●宇宙とトカゲ(人間は、どちらに近いか?)

+++++++++++++++++

このところ毎晩眠る前に、床の中で、
1冊の小冊子を読んでいる。
「ニュートン」(雑誌)の付録についてきた小冊子である。
その冊子を読んでいると、宇宙の広大さに、
ときとして気が遠くなる。

私たちが住んでいるこの宇宙は、広い。
どう広いかは、改めて、ここに書くまでもない。

が、その一方で、こんな話もある。
私の家に住む、トカゲの話。

+++++++++++++++++

●小便用の穴

 私の家の居間の前には、70~80坪前後の広さの庭がある。
庭といっても、「ガーデン」ではない。
英語でいう、「バック・ヤード」。
その一角に、10坪ほどの畑があり、その手前に、アロエなどが植えてある。
ほかにも数種類の木が立っている。
そのアロエの横に、小さな穴が掘ってある。
驚かないでほしい。
つまり私の小便用の穴。
その「穴」の話。

●穴

 深さは、50センチほど。
下のほうに砂を敷き、上は、庭木を切ったときに出た太い枝をかぶせてある。
が、数年もすると、枝は腐る。
腐って、穴につまる。
そこで数年ごとに、小便用の穴を掘りかえす。
太い枝で、その上をかぶせる。

 こんな話を書けば、みなこう思うにちがいない。
「行儀の悪い話だ」と。

たしかに行儀が悪い。
庭で立ち小便!
私も何度か、それをやめようと思った。

●水気

 夏場はまだよい。
畑も近くにあって、水気がある。
しかし冬場になると、庭の草も枯れ果てる。
もちろん畑も、枯れ果てる。
庭の前に、小さな森があり、それが日陰を作る。
畑は、その日陰にかかってしまう。

 ところが、である。
10年ほど前だったか、夏の暑い日のこと。
ふと見ると、小さなトカゲの子どもがいるではないか。
穴にかぶせた、半ば腐った枝の間から、チョロッと顔を出して、サッと身を隠す。
大きさは、1~2センチほど。
ときどき大きなトカゲを見かけることもある。
それは親のトカゲということになる。

●トカゲの世界

 つまりトカゲの親子は、その穴を自分たちの世界として、生きていた。
冬場だと、ほかに水気のあるところはない。
春先や秋の終わりにもない。
そこで私は努めて、そこで立ち小便をするようになった。
もし私がそこでそれをするのをやめたら、トカゲの親子は、そのまま飢え死にしてしまう。
深い穴だから、適度な湿気もあるのだろう。
私は、そう考えた。

 以来、小便用の穴は、そこに残った。
小便が足りないと感じたときは、そこに水をまいた。

●誤差の範囲

 トカゲは、小さな穴の中に住んでいる。
庭といっても、まわりは2段のブロック塀で囲まれている。
外に出ることはできないはず。
親のトカゲは別としても、小さな子どものトカゲには、それを乗り越えることはできない。
つまり彼らの住む世界は、この、せいぜい70~80坪の庭だけ。

 その向こうに広大な陸地が広がっていることなど、知るよしもない。
いわんや海があり、地球が丸いなどということも、知るよしもない。
(知ったところで、どうしようもないが……。)
しかも彼らは、私という人間が排出する小便で生き延びている!
もし私がほんの少しでも自分に恥じ、立ち小便をすることをやめてしまったら、どうなる
か?
もちろんトカゲたちは、そんな私の迷いなど、知らない。
知ったら、不安で、とてもそんなところには、暮らせないだろう。
しかしそんなトカゲたちを、私たちは、笑うことはできない。

●小さな世界

 私たちだって、その小さな世界に住んでいる。
どうしようもないほど、小さな世界である。
もしあなたが人間は大きな世界に住み、トカゲは小さな世界に住んでいると思っているな
ら、それこそ、傲慢というもの。

 冒頭にあげた宇宙の大きさから見れば、人間の住む世界も、トカゲの住む世界も、誤差
の範囲。
子どもたちに向かって、「紙の表と裏とでは、どちらが東京に近いか?」と聞くようなもの。
子どもたちは「紙の表のほうが、東京に近い」と答えるかもしれない。
表が東京側にあれば、そう答える。
しかしどちらも、同じ。

●ダークマター&ダークエネルギー

 この宇宙には、ダークマターと呼ばれる、目に見えない「マター(物質?)」が、ぎっし
りと詰まっているという。
まだ発見されるには至ってはいないが、「ある」のは、確実だそうだ。

 同じように、「ダークエネルギー」というのもの、あるそうだ。
宇宙は膨張しているが、いわゆる等速運動ではない。
加速度的に膨張している。
その「加速」させている力が、また発見されていない「エネルギー」ということになる。
考えれば考えるほど、不思議な世界だが、仮にそれが発見されたとしても、さらにその向
こうには未知の世界が、広大に広がっている。

●私の空想

 私は子どものころ、こう考えた。

 宇宙が無限ということはありえない。
いつか大きな壁にぶつかるはず。
しかしその壁に穴をあけ、さらに先に進んだら、どうなるか。
壁にもハバ(厚さ)があるはず。
その壁を突き抜けたら、どうなるか。
さらにその向こうには、別の世界があるのか、と。

 が、その宇宙が、今の今も、膨張しつづけているという。
しかもそれが137億年も前から!

 となると、またあの子どものころの疑問が、わいてくる。
反対に137億年前でもよい。
一説によると、ビッグバンによって現在の大宇宙が始まる前には、この宇宙の大きさは、
1立方メートルほどだったという。
1立法メートルなら、1立方メートルでよい。
問題は、その外はどうなっていたかということ。

 が、科学者たちは、みな、こう言う。
「無の世界だった」と。
「ヒモのような世界だった」と説く科学者もいる。
理屈づめで考えていくと、そうなるのだそうだ。

●人間とトカゲ

 私はトカゲを見ながら、いつもこう思う。
人間とトカゲ。
大きくちがうようで、どこもちがわない、と。
知恵や知識にしても、そうだ。
人間は利口で、トカゲは、そうでないと考えたいが、これも宇宙的規模で考えるなら、誤
差の範囲。
トカゲとチョウ、どちらが利口かと聞くのと同じくらい、ナンセンス。

 最近になって、つまりごく最近になって、月は地球の衛星ということがわかった。
しかしそれ以前はというと、私たち人間ですら、月は見るだけのものだった。
星々にしても、そうだ。
が、そんな程度のことなら、トカゲだってしているかもしれない。

●人間だけが特別ではない

 もちろんだからといって、私は科学を否定する者ではない。
科学は科学。
が、こう考えることは、とても重要なこと。
つまりいかなるばあいも、人間だけが特別な存在と考えてはいけない。
たとえばトカゲは小さな世界に住み、人間は広い世界に住んでいる。
トカゲには知恵や知識はないが、人間には、それがある、と。
人間も動物の一種であるし、その範囲では、上下関係はない。

●宇宙を知る

 飛躍した結論に聞こえるかもしれないが、宇宙を知るということは、そういうことでは
ないか。
解釈の仕方は、それぞれの人によって、ちがうだろう。
ダークマターにしても、ダークエネルギーにしても、「はい、それがあります」で終わって
しまったら、宇宙学も、何とつまらないものになることだろう。
宇宙学によって、反対に遠い宇宙から、私たち人間を見る。
それが宇宙学では、ないか。

 ニュートンの付録を読みながら、このところ毎晩、同じことを考える。


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●「The Australians」に載った、日本非難の記事(偏見と事実誤認)

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要旨:南米(ブラジル)からの出稼ぎ労働者に対して、日本政府は
「3年以内の再入国禁止」政策を打ち出している。
このため恋人や家族と別れ離れになってしまった人たちも多い。
新聞は、「Yuriさん」のケースをあげ、日本を非難している。
これはきわめて非人道的な政策である、と。

オーストラリアの代表的新聞である「ジ・オーストラリアン」は、
いくつかの例をあげて、日本を批判している。
が、大きな誤解が2つある。

ひとつは、この制度は、浜松市全体が不況に見舞われた、数年前からある。
3・11大地震(2011)とは、直接には関係ない。
それに自費でブラジルへ帰国した人については、「3年間、入国禁止」の措置は
とられていない。

当初、この制度は、「仕事先で解雇されたが、帰国費用がない」と訴える
人たちを救済するために設けられた制度である。
もし「3年」という期限を設けなければ、それを利用して、自由に行ったり
来たりする人が出てくる。
帰国費用があっても、その制度を利用し、無料で帰国する人も多い。

ゆっくりと原文を読みたい人は、一度、自分で読んでみるとよい。
いかにいいかげんな記事であるかは、「出稼ぎ」を「degasegi(デガセギ)」と
誤読しているところからもわかる。

+++++++++++++++++++++++++++

THE huge Japanese earthquake and the contrasting fortunes of the Japanese and
Brazilian economies have sent many BrazilianーJapanese back to Brazil.


But Japanese with roots in Latin America are finding that despite the economic boom in
Brazil, wealth and jobs are yet to trickle down to the poor.
And the unpleasant existence they endured in Japan ー discriminated against and
ostracised ーis often no better in Brazil.
日本へやってきた(日系)移民たちにとって、日本はブラジルより、よい国ではなかった。

Academic and documentaryーmaker Kimihiro Tsumura has made a film on these
people,
trapped between two radically different societies.

As Japan's economy sinks while Latin America's rises, such people are questioning
where their future lies.
日本の経済が沈下し、ブラジルの経済が上昇したとき、これらの人々は、どちらに自分た
ちの未来があるかを問うた。
The Japanese government has offered to pay for their tickets out of the country ー
provided they don't return.
日本政府は、もし彼らが戻らないなら、旅費を出すと申し出た。

For Professor Tsumura, this policy is unfair. "Morally, it's against human rights," he
said. "For the families who choose to take the grant, they can't come back to Japan for
three years, if at all. It's just so opportunistic."
ツムラ氏は、(こうした施策を)人間性に反すると言った。
その申し出を受け入れると、3年間、日本には戻れないからである。

The degasegi, as they are known, are usually employed on threeーmonth contracts and
are the first fired whenthere's a downturn. The children are allowed ー and in the case
of some families, expected ー to work in factories from the age of 15.
こうした労働者は、ふつう3か月契約で働く。
子どもたちは15歳から、工場で働くことができる。

Several hundred thousand people in Japan have roots in Latin America. They come
from a 2.5 millionーstrong Japanese diaspora based mainly in Brazil. Their life can be
a dispiriting process of bouncing between two worlds as the economic circumstances
and immigration laws change.
ラテンアメリカには数十万人の日系人がいる。

The March 11 earthquake and tsunami, coming after the 2008 economic crisis, has
meant more Latin American Japanese workers thrown out of work in the auto and
electronics plants. Families are torn apart as different generations choose different
paths.
2008年の経済危機と3・11震災のあと、これらの労働者は、職場を追われた。
家族はばらばらになった。

The Japanese diaspora in South America was established in the first half of last century
by impoverished farm workers who fled overcrowding and economic hardship for a
better life abroad.
日系人たちは貧しい農夫として働いた。

Fast forward to the 1980s, and Japan, at the height of its a bubble economy and
desperate for workers, began encouraging these Latin American Japanese back to work
in the factories.
1980年代、バブル経済のとき、日本政府は、これらの人々を日本の工場で働くよう奨
励した。

Professor Tsumura, who teaches English at Hamamatsu Gakuin University, noticed the
alienation of degasegi youth when he was posted to the industrial city south of Tokyo
as Japan's economy began its decline in the 1990s.
しかし1990年に入ると、日本経済は下降した。

The parents were less visible ー either working in the factories or tucked up in bed. But
he noticed the kids out on the street letting off steam in a way that often jarred with
the conformity of Japanese life.
両親たちは、子どもたちがどんな世界にいるかを知らなかった。

Often the way these youths carry themselves stamps them as foreigners, although
they might be ethnically Japanese. Many of the young men have tattoos or wear
chunky chains and rings, and rap or hipーhop style clothing.
子どもたちは、自らを「外国人」と位置づけた。
多くの若者はイレズミを入れ、ホップスタイルの衣服を身につけた。

Janete da Silva Oliveira, a Brazilian friend of Professor Tsumura's who helped with the
documentary, called Lonely Swallows, said many degasegi felt caught between two
worlds. "Here they are foreigners and don't know quite how to act, and they can't get
proper jobs," she said. "In Brazil they're foreigners too."
外国人であるという相互の意識のため、適切な仕事に就くことができなかった。

In Hamamatsu's degasegi community, which comprises about 15,000 of the town's
800,000 people, the divorce rate is high and family breakdown common. The local
government is sympathetic and runs programs to help them survive and plan a future.

Still, many have been lured back to South America in the belief their savings will help
them buy a business.
人口80万人の浜松市に1万5000人のブラジル人がいたが、高い離婚率、家庭崩壊を
多くが経験している。

Others have been tempted by Brazil's economic miracle. But those who know Brazil
beyond the economic statistics say ordinary Brazilians are still battling violence,
unemployment and corruption.
ブラジルの高い経済成長は魅力的だが、ふつうのブラジル人にとっては、ブラジルという
のは、闘争と失業、それに崩壊の国である。

In the Tsumura film, the problems of staying and going are illustrated through the story
of Yuri, 19, a former gang leader who finds Brazil no pushover, and Paula, a young girl
fighting to build a life.
Yuri says he has been abandoned by his parents and girlfriend after he was busted for
stealing a car navigation system.
ユリ(19歳)は、ギャングのリーダーだった。
彼はカーナビを盗んだとき、彼の両親とガールフレンドに見捨てられた。

His parents return to Brazil, leaving him alone in Japan with a changing group of
friends who drift from town to town picking up factory work. Yuri moves to Brazil to
reconcile with his father but can't get work.
両親はブラジルへ帰り、ユリは、ひとり、日本に残された。

When his girlfriend falls pregnant, they go back to Japan. Paula, 15, is forced to bid her
boyfriend goodbye when her parents decide to leave for Brazil.
彼のガールフレンドは妊娠したが、両親がブラジルへ帰るとき、ユリに別れを告げなけれ
ばならなかった。

"He sometimes cries, saying 'You're going back'," she says. "I want to stay here, but my
parents have decided and once I go to Brazil, I can't come back here."
ユリは、「もどってきてほしい」と泣く。
が、ガールフレンドはこう言う。
一度、ブラジルに戻ったら、ここへは来ることはできない、と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●3年再入国禁止措置

 私もこの政策が打ち出されたとき、当初は、「3年再入国禁止措置」に、反対した。
しかしそのあと実情を調べるにつれ、「仕方ない」という方向に、徐々に傾いていった。
もしそういう措置をとらなければ、日本政府は、往復費用の半分を負担することになる。
(このため、たいていの先進国では、帰国用の飛行機のチケットがないばあいには、入国
を認めないという措置をとっている。)
入国前、入国時についても、日本政府はかなりの優遇策を講じている。

 つまり南米からのほとんどの労働者たちは、片道切符だけで、日本に入国している。
が、ここにそもそもの問題点が隠されていた。
もともと貧しい日系人、日系人の子孫である。
そういう人たちであるということがわかっていたから、なおさら、南米からの労働者に甘
かったということもある。
そして一時は、この浜松市にも、3万人近い、南米からの労働者があふれるようになった。

●問題

 いちばん大きな問題は、教育の問題である。
日本とブラジルとでは、教育制度が大きくちがう。
「教育」に対する考え方もちがう。

 だから当時は、つまり南米からの労働者がピークを迎えたころには、どこの学校も、学
級崩壊に苦しんだ。
教育そのものが、成り立たなくなってしまった学校も多い。
近くの菊川市では、小学校の児童の、5人に1人が、日本語のまったく話せない南米から
の労働者の子どもたちになってしまったこともある。
しかしそういう子どもたちのための、専門の講師もいなければ、カリキュラムもなかった。
もちろん特別な予算もなかった(K小学校校長談)。
しかたないので、どこでも、そういった子どもたちを、普通学級へと編入させていった。

 が、こうなると、授業そのものが、成り立たない。
それが学級崩壊へとつながっていった。
もちろんこれは彼らの責任ではない。
先のことをよく考えないまま、無分別にブラジルからの労働者を受け入れた国の責任であ
る。
彼らもまた人間である。
単なる「労働力」としか考えなかったところに、失敗の原因がある。

●The Australiansへの反論

 私は、即、The Australiansへ反論を送った。
以下、その反論。

「This article is wrong in some points and misleads your readers.
この原稿は、いくつかの点でまちがっている。読者に誤解を与えている。

Hamamatsu Government pays the fares by planes back to Brazil . (Whole
fare back to Brazil from Hamamatsu)
浜松市は、ブラジルへの航空運賃を支払っている。(浜松からの全額航空運賃である。)

Because Many Brazilians complain that they have no money to go back to Brazil after
they have lost their jobs. And they try to stay in Japan as illegal immigrants.
なぜなら、仕事を失ったとき、彼らは、帰国の費用がないと不満をもらし、不法移民のま
ま日本に滞在しようとしたからである。
In this case they can not come back to Japan for three years.
この場合は、彼らは3年間、日本へ戻ってくることはできない。
This is true.
これは事実である。
Otherwise they can go and come back between Japan and Brazil free of
charge anytime.
そうでなければ、彼らは日本とブラジルの間を、航空運賃が無料のまま行き来できること
になる。
As a matter of fact there are also many cunning Brazilians to utilize this systm.
事実、この施策を利用する多くのずるいブラジル人もいる。
Some are very too poor to pay the fare but some are very rich of course.
もちろん中には、運賃も払えないような貧しいブラジル人もいる。
が、金持ちのブラジル人もいる。
They can pay the fare but they pretends to be poor.
運賃を払えるにもかかわらず、貧しいフリをする。
They receive the fare from Hamamatsu-city government an go back free of charge.
But no one can check it.)
彼らは浜松市から料金を受け取り、無料で帰る。
しかしだれもそれをチェックできない。
But when they go back to Brazil by temselves , paying the fare by themselves,
it is no problem to re-enter Japan anytime as they like even next week or next month.
しかしもし自費でブラジルへ帰国すれば、日本への再入国には、問題はない。
来週でも、来月でも、入国できる。
The writer of this article does not know such these facts or did not investigate the fact
deep enough.
この原稿を書いた記者は、これらの事実を知らないか、じゅうぶん深く調査をしていない。
It is also true, however, that the citizens of Hamamatsu did not try to welcome these
people from Brazil warm-enough, or rather we looked at the just foreigners than
use-to-be Japanese one two or three generations ago.
しかし浜松市民が、これらの人々を、じゅうぶん温かく迎えなかったのは事実であり、私
たちは彼らを日系人というよりは、外国人として見た。
I am sure that for them Japan was such a contry too fifferent from their own cultures.
私は彼らにしてみれば、自分たちのもつ文化とはあまりにも違った国であったということ
は確信している。
On reflection we cannot say that we have been kind enough for these people.
反省してみると、私たちはかれらにじゅうぶん親切だったとは言えない。

Hiroshi Hayashi, Hamamatsu, Japan
浜松・はやし浩司
 


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