最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

(2)

2009-12-11 06:50:17 | 日記


Hi Hiroshi,
ヒロシへ、

I will find out about camping trips in the local schools and ask Andrew
& Elizabeth what they did at their school (Pembroke) in Adelaide.
キャンプについては、息子と娘に、何をしたかをたずねてみる。

I think it is unlikely a camping trip would be compulsory just before
year 11 & 12 exams and almost certainly not a requirement for University
entrance.
11学年と12学年以前に、キャンピングが義務教育ということは、ありえない。
大学の入試のために必要ということは、まったくありえない。

However camping is likely to be in the curriculum in most years after
years 5 or 6 as part of the broad life-skills education.
しかし5歳とか6歳以後は、生活力教育という意味において、カリキュラムになっている
ということはありえる。

Camping trips are most likely to occur in our spring which is towards
the end of our school year.
キャンピングは、学年末の春になされることが多いようだ。

+++++++++++++++

Hi Hiroshi,
(ヒロシへ)

I had a talk to both the state Primary school headmistress & the
recently retired state High school headmaster about camping.
最近小学校の校長と、州立高校の校長をしていた人と、キャンピングについて
話した。

Basically there is, in the curricula, Physical Education, Outdoor
Education and year camps.
基本的には、体育、野外活動、そして年度末のキャンプのカリキュラムはある。

These are all different things but do overlap a bit. Camping starts at
year 4. Usually for a week. They are not compulsory & not a
pre-condition for university entrance.
これらはみな、別個のものだが、少し重なる部分もある。
キャンプは、小学4年のときに始まる。
それらは義務教育でもないし、大学入試のための前提条件でもない。

Search around in http://www.decs.sa.gov.au/portal/learning.asp for the
South Australian policies & curricula.
オーストラリアの政策とカリキュラムについては、このサイトをさがして
みたらよい。

I can find out a bit more from the people involved in outdoor ed etc at
both schools if you can give me specific questions to ask.
何か特別な質問があれば、野外活動教育に携わった人から、もっと情報を
手に入れることができる。

Cheers,

B

Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

Dear B,

How are you these days?

By the way I’d like to write this mail to know or to make sure whether it is correct or
not about the education in Melbourne now.

When I was in Melbourne around 1970’s, some of the students told me that all the
high school students in leaving year were compulsory to go camping before they receive
the so-called national certification examinations to enter the universities, and with the
results of the examinations students could choose the university.

This is the point which I’d like to make sure, if it is the same now, I mean that if the
students should go camping for a week or so before the examinations and if it is the
same that students choose the universities to which they should enroll themselves
according to the results of the examinations.

As you may know, the education systems are so much different between two
countries.
I am keenly interested in this matter now.
Or is “Camping” still a compulsory subject for students of grammar schools in
Melbourne?
That is what I heard over the phone from a staff of a grammar school in Melbourne
almost about ten years ago.
We in Japan don’t have such and such subject for students and of course it is not
compulsory.
(Pupils or Jr. High school students go camping or so in a training centers just for a
different purpose in Japan.)

So again here I summarize the points.

(1)Do students go camping just before the examinations?
(2)Is the subject “Camping” compulsory still now?

Thank you for your kind advice about this matter.

It is now winter time here in Japan.
It is sometimes cold, but most often, it is much warmer than usual years.
I hope you and your daughter with new baby are all well and we wish you a very Merry
Christmas time this year.

Hiroshi Hayashi

Hamamastu-city, Japan

++++++++++++++++++

(以下、手紙の要約)

B君へ

1970年ごろ、ぼくは、センター試験を受ける高校生たちが、その試験の前、
1週間ほど、キャンプに行くという話を聞いたことがあります。
今でもそうなのかどうか、教えてほしい。
またメルボルンのグラマースクールでは、キャンピングという科目が、必須科目
だと10年ほど前に聞きました。
今でもそうなのかどうか、教えてほしい。

はやし浩司

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中国の「立派な国民」教育について書いた原稿です。
(中日新聞にて発表済み)

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●急速に崩壊する「出世主義」

  「立派な社会人になれ」「社会で役立つ人になれ」と。日本では出世主義が、教育の柱
になっている。しかし殴米では違う。アメリカでもフランスでも、先生は、「よき家庭人に
なれ」と子どもに教える。「よき市民になれ」と言うときもある。先日、ニュージーランド
の友人に確かめたが、ニュージーランドでも、そういう。オーストラリアでも、そういう。
私は、日本の出世主義に対して彼らのそれを勝手に、家族主義と呼んでいる。もちろん彼
らにそういう主義があるわけではない。彼らにしてみれば、それが常識なのだ。

 日本人はこの出世主義のもと、仕事を第一と考える。子どもでも、「勉強している」と言
えば、家事の手伝いはすべてに免除される。五十代、六十代の夫で、家事や炊事を手伝っ
ている男性は、まずいない。仕事がすべてに優先される。よい例が、単身赴任。かつて私
のオーストラリアの友人は、こう言った。「家族がバラバラにされて、何が仕事か」と。も
う三十年も前のことである。

こうした日本の特異性は、日本に住んでいると分からない。いや、お隣の中国を見れば分
かる。今、中国では、「立派な国民」教育のもと、徹底した出世主義を子どもたちに植えつ
けている。先日も北京からきた中学教師の講演を聞いたが、わずか一時間前後の話の中に、
この「立派な国民」という言葉が、十回以上も出てきた。子どもたちの大多数が、「将来は
科学者になって出世したい」と考えているという。

 が、この出世主義は、今、急速に音をたてて崩れ始めている。旧来型の権威や権力が、
それだけの威力をもたなくなってきている。一つの例が成人式だ。自治体の長がいくら力
んでも、若者たちは見向きもしない。ワイワイと騒いでいる。ほんの三十年前には、考え
られなかった光景だ。私たちが二十歳のときには、市長が壇上にいるだけで、直立不動の
姿勢になったものだ。

が、こうした現象と反比例するかのように、家族を大切にするという人が増えている。一
九九九年の春、文部省がした調査でも、四〇%の日本人が、もっとも大切にすべきものと
して、「家族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、四五%。一年足ら
ずの間に、五ポイントも増えたことになる。もっとも、こうした傾向を嘆く人も、多い。
出世主義を信奉し、人生の大半を、そのために費やしてきた人たちだ。あるいはそういう
流れを理解できず、退職したあとも、過去の肩書や地位にこだわっている人だ。

こういう人たちにとっては、出世主義を否定することは、自らの人生を否定することに等
しい。だから抵抗する。狂ったように抵抗する。ある元教授はメールで、こう言ってきた。
「暇つぶしにもならないが」と前置きしたあと、「田舎のおばちゃんなら、君の意見をあり
がたがるだろう。しかし私は君の家族主義を笑う」と。しかしこれは笑うとか笑わないと
かいう問題ではない。それが日本の「流れ」、なのだ。

 今でも日本異質論が叫ばれている。日本脅威論も残っている。その理由の第一が、日本
人がもつ価値観そのものが、欧米のそれとは異質であることによる。言い換えると、日本
が旧来の日本である限り、日本が欧米に迎え入れられることはない。少なくとも出世主義
型の教育観は、これからの世界では、通用しない。

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つづいて、『世にも不思議な留学記』に書いた原稿を
紹介します。(中日新聞にて発表済み)

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イソロクはアジアの英雄だった【2】

●自由とは「自らに由る」こと

 オ-ストラリアには本物の自由があった。自由とは、「自らに由(よ)る」という意味だ。
こんなことがあった。

 夏の暑い日のことだった。ハウスの連中が水合戦をしようということになった。で、一
人、二、三ドルずつ集めた。消防用の水栓をあけると、二〇ドルの罰金ということになっ
ていた。で、私たちがそのお金を、ハウスの受け付けへもっていくと、窓口の女性は、笑
いながら、黙ってそれを受け取ってくれた。

 消防用の水の水圧は、水道の比ではない。まともにくらうと学生でも、体が数メ-トル
は吹っ飛ぶ。私たちはその水合戦を、消防自動車が飛んで来るまで楽しんだ。またこんな
こともあった。

 一応ハウスは、女性禁制だった。が、誰もそんなことなど守らない。友人のロスもその
朝、ガ-ルフレンドと一緒だった。そこで私たちは、窓とドアから一斉に彼の部屋に飛び
込み、ベッドごと二人を運び出した。運びだして、ハウスの裏にある公園のまん中まで運
んだ。公園といっても、地平線がはるかかなたに見えるほど、広い。

 ロスたちはベッドの上でワーワー叫んでいたが、私たちは無視した。あとで振りかえる
と、二人は互いの体をシーツでくるんで、公園を走っていた。それを見て、私たちは笑っ
た。公園にいた人たちも笑った。そしてロスたちも笑った。風に舞うシーツが、やたらと
白かった。

●「外交官はブタの仕事」

 そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。
許可をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が「お
めでとう」と言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブタの仕
事だ。アメリカやイギリスなら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。彼は「ブ
タ」という言葉を使った。

 あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれとはま
ったくちがっていた。同じ公務の仕事というなら、オーストラリア国内のほうがよい、と
考えていたようだ。また別の日。

フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊に入るのか」
と。「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の、
伝統ある軍隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権
下。軍人になることイコ-ル、出世を意味していた。

 マニラ郊外にマカティと呼ばれる特別居住区があった。軍人の場合、下から二階級昇進
するだけで、そのマカティに、家つき、運転手つきの車があてがわれた。またイソロクは、
「白人と対等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間では英雄だった。
これには驚いたが、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各国の植民地になっ
たという暗い歴史がある。

 そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もうそ
んなこと言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はことあ
るごとに、日本へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言ってい
た。ほかに自慢するものがなかった。が、国変われば、当然、価値観もちがう。

 私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を
選んだ。それが学生として、最良の道だと信じていた。しかしそういう価値観とて、国策
の中でつくられたものだった。私は、それを思い知らされた。

 時、まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

(3)

2009-12-11 06:49:52 | 日記


(補記)

 キャンピングに力を入れているということは、学校のカリキュラムを見てもわかる。
たとえば、Darley Primary School の第4学期のカリキュラムにはつぎのようにある。

(第4学期)

Safety in Adventure
& Teamwork
(野外活動における安全性とチームワークについて)

Health & P.E. + Interpersonal Learning
(保健と体育+人間関係の学習)

•Students develop their skills and strategies for getting to know and understand each
other within increasingly complex situations.
•In teams, students work towards the
achievement of agreed goals within a set time frame.
•They develop awareness of their role and responsibilities
in various situations and interact accordingly. Students begin to be aware that different
points of view may be valid.
•They begin to selfevaluate and reflect on the effectiveness of the teams in which they
participate.
•Students follow safety principles in games and activities.
•They identify basic safety skills and strategies, and describe methods for recognising
and avoiding harmful situations.

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 出世主義 家族主義 独立 子どもの自立 はやし浩司 camp
camping 野外活動)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●思慮深さ(The Value of Silence)

+++++++++++++++++

何かを話すと、すかさず返事が返ってくる。
しかしその中身は、たいていいいかげん。
脳に飛来した情報を、音声に置き換えて
いるだけ。
これを「音声化」(はやし浩司)という。

子どもの世界でも、よくこんな現象が観察される。

たとえば鉛筆を床に落としたとする。
そのとき、こんなことを口にする。

「アッ、鉛筆がおちたア」
「ぼく、拾う」
「鉛筆は、どこかな」
「あったア~」と。

意味のない言葉を、ひとり言のように言う。
私はこのタイプの子どもを、勝手に、
「音声化児」と呼んでいる。
脳の表層部分に飛来する情報を、やはり、
音声に置き換えているだけ。
だから「音声化児」と呼んでいる。

このタイプの子どもは、よくしゃべるという
点で、一見、利発に見える。
しかし中身が薄っぺらい。
思考力も浅い。
4、5歳児に多く、やがて少なくなっていく。

++++++++++++++++++

●反すう能力

 「思慮深さ」は、反すう能力で決まる。
「能力」というより、「習慣」の問題。

(1)相手の言ったことを、まず聞く。
(2)脳の中で、それを吟味する。
(3)それを何度も繰り返す。
(4)その上で、自分の意見を添える。

 ところがおもしろいことに、当の本人は、即座に反応することを、よいことだと
誤解している。
中には、それを「頭のいいことの証(あかし)」と誤解している人もいる。
つまり自分が、頭のよい人と思われたいがため、無理に、即座に反応しようとする。
だからどうしても、言っていることが、浅くなる。
ペラペラとよくしゃべる割には、中身がない。
口はうまいが、心が伴わない。

●沈黙の価値

 『沈黙は金なり』という。
英語国では、『沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな』という。

 ここでいう「沈黙」というのは、「反すう能力」をいう。
この反すう能力のある・なしで、思慮深さが決まる。
反すう能力のある人を、思慮深い人といい、そうでない人を、そうでないという。
もっとわかりやすく言えば、反すう能力のある人を、「賢い人」といい、
そうでない人を、「愚かな人(fool)」という。

 たとえばこんな会話をする。

A「女も、25を過ぎると、結婚できなくなるよ。25だなア~」
私「今は、そういう時代じゃ、ないと思うんですが……」
A「いやいや、世の中には、常識というものがあるからね」
私「それぞれの人には、それぞれの思い方や考え方があると思うんですが……」
A「やはり、常識には従ったほうが、いいよ。何と言っても、常識だよ」
私「……?」と。

 ここに書いたA氏は、常識論を説きながらも、自分では何も考えていないのがわかる。
考えようともしていない。
子どもの世界でも、いつも軽口をペラペラとしゃべっている子どもがいる。
反応も早い。
「ドヒャー、何、これ? ハハハ、これ、動く? ギャー、動いたア!」と。
その一方で、私が何かを話しかけたりすると、ジーッとこちらをにらみ、そのまま
視線が沈む子どももいる。

 どちらがよいかということは、一概には言えない。
時と場合による。
しかし「反すう能力」のある子どもは、後者のような反応を、よく見せる。

●加齢とともに

 これは現在の私の実感だが、加齢とともに、反すう能力がより優れていく人と、
反対に劣っていく人がいるのがわかる。
イギリスのある賢人は、こう言った。
『40歳のとき愚かな人(fool)は、生涯、愚かな人である』と。
どうやらその分かれ道は、40歳くらいのときにやってくる。
そのころまでに、反すう能力を身につけた人は、長い時間をかけて、賢い人になっていく。
そうでない人は、そうでない。

 さらに深刻な問題として、そこへ認知症が加わると、この反すう能力が、極端に低下
する。
言ってよいことと悪いことの区別も、つかなくなる。
認知症でなくても、人は加齢とともに、脳みその底に穴が開いたような状態になる。
だからますます軽口が多くなる。
考えが浅くなる。
つまり反すう能力が、衰えてくる。
これは私たちの年代の者にとっては、深刻な問題と考えてよい。

●思慮深くなるために

 先にも書いたように、思慮深さは、能力の問題ではない。
習慣の問題。
その習慣がある・なしで、決まる。
そこで重要なのは、(1)まず相手の話を聞く、ということ。
つぎに(2)それを頭の中で、何度も吟味するということ。
その上で、(3)それを言葉として言う。

 子どもの世界で言うなら、年長児になっても、無意味な音声化が残っているようなら、
こまめに、「口を閉じなさい」と指示して、それを抑える。
が、この時期を逃すと、今度はそれがクセとして、子どもの中に定着してしまう。
なおすとしたら、まだ親の目がしっかりと届く、年長児ごろまでに、ということになる。

 が、これは何も子どもだけの問題ではない。
私たち自身の問題でもある。

 そのことは、電車やバスに乗ってみると、よくわかる。
たいてい1組や2組、騒々しいグループが乗り込んでいる。
あたり構わず、大声でしゃべりあっている。
ペチャペチャ、クチャクチャ……と。

 試しにそういう会話に耳を傾けてみるとよい。
つぎのことがわかる。

(1)中身が浅い。
(2)どんどんと、内容が変わっていく。
(3)一方的にたがいに話すだけで、会話がかみあっていない、など。
そういう状態で、片時も休むことなく、おしゃべりがつづく。

 先日も、地元の観光バスに乗ったら、乗ったときから、降りるまで、合計すれば
8時間近く、おしゃべりをつづけていた女性がいた。
「疲れないのかな?」と思い、観察してみると、口先だけで話しているのがわかった。
口もほとんど、動かない。
言葉にも抑揚がない。
プラス、脳みそを、ほとんど使わない。
だから、疲れない。

 もっともこれには、AD・HDの問題もからんでくる。
女児のばあい、多動、集中力の欠如に併せて、多弁性が現れてくる。
で、多動性、集中力の欠如は、小学3年生前後を境にして、外からはわかりにくくなる。
本人の自己管理能力が発達してくると、自分で自分をコントロールするようになる。
が、ほとんどのばあい、おとなになってからも、多弁性だけは、残る。
バスの中のその女性のばあい、そちらのタイプだったかもしれない。

●11月9日(月曜日)

 話がそれたが、「思慮深さは、反すう能力で決まる」。
要するに「考える力」ということになる。
日ごろから、その習慣があるか、ないかということ。
それで決まる。

 そうでなくても、加齢とともに、思慮深さは減退してくる。
……とまあ、話が繰り返しになってきたので、この話はここまで。
今日から、11月の第2週目。
相手が子どもでも、しっかりと耳を傾けてやろう。
そう心に誓って、今日も始まった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 思慮深さ 沈黙は金 沈黙の価値 思考の反すう 反芻 反芻能力)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

★Don't speak unless you can improve upon the silence
 「それが沈黙から進歩したものでなければ、話すな」(スペインの格言)。

In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of our
friends.
(Martin Luther King Jr.)
「最後には、あなたは敵の言葉ではなく、友の沈黙のほうを覚えているだろう」(マーティ
ンルーサー・キング・Jr)。

★The true genius shudders at incompleteness - and usually prefers silence to saying
something which is not everything it should be. - Edgar Allen Poe
「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを
語るよりも、沈黙をふつう、好む」(E・A・ポー)。

●これらの教育格言の中で、とくにハッと思ったのが、エドガー・アラン・ポーの「真の
天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語るよ
りも、沈黙をふつう、好む」という言葉である。

 わかりやすく言えば、「ものごとを知り尽くした天才は、自分の未熟さや、未完成さを熟
知している。だから未熟なことや、未完成なことを人に語るよりも、沈黙を守るほうを選
ぶ」と。私は天才ではないが、こうした経験は、日常的によくする。

 私のばあい、親と私の間に、どうしようもない「隔たり」を感じたときには、もう何も
言わない。たとえば先日も、こんなことを言ってきた母親がいた。

 「先祖を粗末にする親からは、立派な子どもは生まれません。教育者としても失格です」
と。

 30歳そこそこの若い母親が、こういう言葉を口にするから、恐ろしい。何をどこから
説明したらよいかと思い悩んでいると、そのうち私の脳の回路がショートしてしまった。
火花がバチバチと飛んだ。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●11月11日

++++++++++++++++++

やっと調子が戻ってきた。
頭の中のモヤモヤを、吐き出せるように
なった。
よかった!

おとといの夜などは、「ぼくもこれで
ボケしまったのか」と、本気で、
心配した。

が、今日は、ちがった。
朝から、(怒り)を覚えた。
その(怒り)が、起爆剤になった。
一気に、『沈まぬ太陽』論を書いた。
山崎豊子氏が言う「義憤」を覚えた。
それがよかった。
午前中だけで、30枚分(40x36行)。
マガジン1回分の原稿を書いた。
そこで新発見。

怒りは、脳を活性化させるということ。
怒りを覚えないと、文というのは
書けない。
そう言い切ってもよい。
平和で、ゴムが伸びきったような
生活からは、何も生まれない。
緊張感そのものがない。
だから書けない。

++++++++++++++++++

●モヤモヤ

 ワイフがこう聞いた。
「毎日、毎日、よくもまあ、そんなに書くことがあるわね」と。
それについて、私はこう答えた。
「あるよ」と。

 何かの話を聞く。
あるいは何かの本を読む。
そのときは、「そうだな」と思う。
(そういう意味では、私は割と、すなおなところがある。)
しかししばらくすると、頭の中がモヤモヤしてくる。
「そうかなあ?」と思ってみたり、「そうでもないのではないぞ」と
思ってみたりする。
するとやがて、頭の中がモヤモヤしてくる。
何だかよくわからないが、モヤモヤしてくる。
そこで私はおもむろにパソコンに向かって、キーボードを叩き始める。

するとたちまち、ちょうど氷が四方八方に割れるかのように、バリバリと
あちこちに火花が飛ぶ。
同時に中心に、「核」のようなものが見えてくる。

 あとは、それを叩き出すだけ。
文として、まとめるだけ。
調子のよいときは、ピアノの演奏家が鍵盤を叩くように文が、画面に出てくる。
調子の悪いときは、何度も書き直す。
こうしてひとつのエッセーが生まれる。

 が、ここで注意したいことがある。
偉そうなことは言えないが、たとえボツと思っても、けっしてあきらめては
いけないということ。
モヤモヤを感じた以上、そこにはかならず何かがある。
その何かを吐き出すまで、推敲に推敲を重ねる。
モヤモヤが、重ければ重いほど、推敲を重ねる。
するとやがてモヤモヤが、ひとつの塊(かたまり)になってくる。

 こうして私は、自分の原稿を書く。
ボツにしたことは、めったにない。
ボツにするということは、時間を浪費したことになる。
だからどんなことをしても、まとめる。
その根性がないと、エッセーは書けない。

 これは称して、「私のエッセー論」ということになる。
もちろん、私は私。
人それぞれ。
その人の思うところは、みな、ちがう。
そういうわけで私のエッセー論は、あくまでも私のもの。
何かの参考になればうれしい。

 そうそう大切なことを言い忘れた。
そのモヤモヤを叩き出したときの爽快感は、なにものにも
換えがたい。
それがあるから、私は文を書く。
文を書いているときは、本当に楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●ニヒリズム

 このところ何を考えても、「どうでもいいや」という心が、ふと頭を出す。
新聞を読んでも、雑誌を読んでも、ふと頭を出す。
今日の昼も、黄海の南北境界線あたりで、韓国とK国が銃撃戦を交わしたという
ニュースが報道された(09-11-10)。
韓国軍側には死傷者は出なかったというが、K国側の警備艇は半壊の状態で、
K国側に逃げ帰ったという。

 その記事を読んだときも、「どうでもいいや」と思った。
銃撃戦を交わしている一方で、韓国は食糧援助をしている。
開場という工業団地では、K国の従業員を雇い、K国政府に現金を、直接渡している。
K国自体も、そういう韓国を見透かして、核兵器を作るための核開発を進めている。
何が、境界線だ!
何が、銃撃戦だ!

 「国」というのが、バラバラになって、そのバラバラになった国の断片が、それぞれ
別のことをしている。
つまり一貫性がない。
私には、どうしても理解できない……というよりは、考えれば考えるほど、頭の中が、
同じようにバラバラになってしまう。

●一貫性

 たとえば私は、一度でも、その人を批判したり、中傷したことがある人とは、
つきあわない。
相手についても、そうで、私のことを批判したり、中傷している人とは、つきあわない。
こうして毎日、何かの文章を書いているが、その中ででも、そうだ。
(その人)と意識して、批判したり、中傷したようなばあい、いくらその人とわからない
ように書いたとしても、つきあわない。

 中には、陰で、私の悪口を言いふらしながら、年始には年賀状を送ってくれる
人がいる。
が、私には、そういう器用な芸当はできない。
できないから、無視する。
「一貫性」というほど、大げさなものではないかもしれない。
しかしそんなことをしていたら、私自身がバラバラになってしまう。


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