Hi Hiroshi,
ヒロシへ、
I will find out about camping trips in the local schools and ask Andrew
& Elizabeth what they did at their school (Pembroke) in Adelaide.
キャンプについては、息子と娘に、何をしたかをたずねてみる。
I think it is unlikely a camping trip would be compulsory just before
year 11 & 12 exams and almost certainly not a requirement for University
entrance.
11学年と12学年以前に、キャンピングが義務教育ということは、ありえない。
大学の入試のために必要ということは、まったくありえない。
However camping is likely to be in the curriculum in most years after
years 5 or 6 as part of the broad life-skills education.
しかし5歳とか6歳以後は、生活力教育という意味において、カリキュラムになっている
ということはありえる。
Camping trips are most likely to occur in our spring which is towards
the end of our school year.
キャンピングは、学年末の春になされることが多いようだ。
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Hi Hiroshi,
(ヒロシへ)
I had a talk to both the state Primary school headmistress & the
recently retired state High school headmaster about camping.
最近小学校の校長と、州立高校の校長をしていた人と、キャンピングについて
話した。
Basically there is, in the curricula, Physical Education, Outdoor
Education and year camps.
基本的には、体育、野外活動、そして年度末のキャンプのカリキュラムはある。
These are all different things but do overlap a bit. Camping starts at
year 4. Usually for a week. They are not compulsory & not a
pre-condition for university entrance.
これらはみな、別個のものだが、少し重なる部分もある。
キャンプは、小学4年のときに始まる。
それらは義務教育でもないし、大学入試のための前提条件でもない。
Search around in http://www.decs.sa.gov.au/portal/learning.asp for the
South Australian policies & curricula.
オーストラリアの政策とカリキュラムについては、このサイトをさがして
みたらよい。
I can find out a bit more from the people involved in outdoor ed etc at
both schools if you can give me specific questions to ask.
何か特別な質問があれば、野外活動教育に携わった人から、もっと情報を
手に入れることができる。
Cheers,
B
Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司
Dear B,
How are you these days?
By the way I’d like to write this mail to know or to make sure whether it is correct or
not about the education in Melbourne now.
When I was in Melbourne around 1970’s, some of the students told me that all the
high school students in leaving year were compulsory to go camping before they receive
the so-called national certification examinations to enter the universities, and with the
results of the examinations students could choose the university.
This is the point which I’d like to make sure, if it is the same now, I mean that if the
students should go camping for a week or so before the examinations and if it is the
same that students choose the universities to which they should enroll themselves
according to the results of the examinations.
As you may know, the education systems are so much different between two
countries.
I am keenly interested in this matter now.
Or is “Camping” still a compulsory subject for students of grammar schools in
Melbourne?
That is what I heard over the phone from a staff of a grammar school in Melbourne
almost about ten years ago.
We in Japan don’t have such and such subject for students and of course it is not
compulsory.
(Pupils or Jr. High school students go camping or so in a training centers just for a
different purpose in Japan.)
So again here I summarize the points.
(1)Do students go camping just before the examinations?
(2)Is the subject “Camping” compulsory still now?
Thank you for your kind advice about this matter.
It is now winter time here in Japan.
It is sometimes cold, but most often, it is much warmer than usual years.
I hope you and your daughter with new baby are all well and we wish you a very Merry
Christmas time this year.
Hiroshi Hayashi
Hamamastu-city, Japan
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(以下、手紙の要約)
B君へ
1970年ごろ、ぼくは、センター試験を受ける高校生たちが、その試験の前、
1週間ほど、キャンプに行くという話を聞いたことがあります。
今でもそうなのかどうか、教えてほしい。
またメルボルンのグラマースクールでは、キャンピングという科目が、必須科目
だと10年ほど前に聞きました。
今でもそうなのかどうか、教えてほしい。
はやし浩司
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中国の「立派な国民」教育について書いた原稿です。
(中日新聞にて発表済み)
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●急速に崩壊する「出世主義」
「立派な社会人になれ」「社会で役立つ人になれ」と。日本では出世主義が、教育の柱
になっている。しかし殴米では違う。アメリカでもフランスでも、先生は、「よき家庭人に
なれ」と子どもに教える。「よき市民になれ」と言うときもある。先日、ニュージーランド
の友人に確かめたが、ニュージーランドでも、そういう。オーストラリアでも、そういう。
私は、日本の出世主義に対して彼らのそれを勝手に、家族主義と呼んでいる。もちろん彼
らにそういう主義があるわけではない。彼らにしてみれば、それが常識なのだ。
日本人はこの出世主義のもと、仕事を第一と考える。子どもでも、「勉強している」と言
えば、家事の手伝いはすべてに免除される。五十代、六十代の夫で、家事や炊事を手伝っ
ている男性は、まずいない。仕事がすべてに優先される。よい例が、単身赴任。かつて私
のオーストラリアの友人は、こう言った。「家族がバラバラにされて、何が仕事か」と。も
う三十年も前のことである。
こうした日本の特異性は、日本に住んでいると分からない。いや、お隣の中国を見れば分
かる。今、中国では、「立派な国民」教育のもと、徹底した出世主義を子どもたちに植えつ
けている。先日も北京からきた中学教師の講演を聞いたが、わずか一時間前後の話の中に、
この「立派な国民」という言葉が、十回以上も出てきた。子どもたちの大多数が、「将来は
科学者になって出世したい」と考えているという。
が、この出世主義は、今、急速に音をたてて崩れ始めている。旧来型の権威や権力が、
それだけの威力をもたなくなってきている。一つの例が成人式だ。自治体の長がいくら力
んでも、若者たちは見向きもしない。ワイワイと騒いでいる。ほんの三十年前には、考え
られなかった光景だ。私たちが二十歳のときには、市長が壇上にいるだけで、直立不動の
姿勢になったものだ。
が、こうした現象と反比例するかのように、家族を大切にするという人が増えている。一
九九九年の春、文部省がした調査でも、四〇%の日本人が、もっとも大切にすべきものと
して、「家族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、四五%。一年足ら
ずの間に、五ポイントも増えたことになる。もっとも、こうした傾向を嘆く人も、多い。
出世主義を信奉し、人生の大半を、そのために費やしてきた人たちだ。あるいはそういう
流れを理解できず、退職したあとも、過去の肩書や地位にこだわっている人だ。
こういう人たちにとっては、出世主義を否定することは、自らの人生を否定することに等
しい。だから抵抗する。狂ったように抵抗する。ある元教授はメールで、こう言ってきた。
「暇つぶしにもならないが」と前置きしたあと、「田舎のおばちゃんなら、君の意見をあり
がたがるだろう。しかし私は君の家族主義を笑う」と。しかしこれは笑うとか笑わないと
かいう問題ではない。それが日本の「流れ」、なのだ。
今でも日本異質論が叫ばれている。日本脅威論も残っている。その理由の第一が、日本
人がもつ価値観そのものが、欧米のそれとは異質であることによる。言い換えると、日本
が旧来の日本である限り、日本が欧米に迎え入れられることはない。少なくとも出世主義
型の教育観は、これからの世界では、通用しない。
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つづいて、『世にも不思議な留学記』に書いた原稿を
紹介します。(中日新聞にて発表済み)
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イソロクはアジアの英雄だった【2】
●自由とは「自らに由る」こと
オ-ストラリアには本物の自由があった。自由とは、「自らに由(よ)る」という意味だ。
こんなことがあった。
夏の暑い日のことだった。ハウスの連中が水合戦をしようということになった。で、一
人、二、三ドルずつ集めた。消防用の水栓をあけると、二〇ドルの罰金ということになっ
ていた。で、私たちがそのお金を、ハウスの受け付けへもっていくと、窓口の女性は、笑
いながら、黙ってそれを受け取ってくれた。
消防用の水の水圧は、水道の比ではない。まともにくらうと学生でも、体が数メ-トル
は吹っ飛ぶ。私たちはその水合戦を、消防自動車が飛んで来るまで楽しんだ。またこんな
こともあった。
一応ハウスは、女性禁制だった。が、誰もそんなことなど守らない。友人のロスもその
朝、ガ-ルフレンドと一緒だった。そこで私たちは、窓とドアから一斉に彼の部屋に飛び
込み、ベッドごと二人を運び出した。運びだして、ハウスの裏にある公園のまん中まで運
んだ。公園といっても、地平線がはるかかなたに見えるほど、広い。
ロスたちはベッドの上でワーワー叫んでいたが、私たちは無視した。あとで振りかえる
と、二人は互いの体をシーツでくるんで、公園を走っていた。それを見て、私たちは笑っ
た。公園にいた人たちも笑った。そしてロスたちも笑った。風に舞うシーツが、やたらと
白かった。
●「外交官はブタの仕事」
そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。
許可をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が「お
めでとう」と言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブタの仕
事だ。アメリカやイギリスなら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。彼は「ブ
タ」という言葉を使った。
あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれとはま
ったくちがっていた。同じ公務の仕事というなら、オーストラリア国内のほうがよい、と
考えていたようだ。また別の日。
フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊に入るのか」
と。「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の、
伝統ある軍隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権
下。軍人になることイコ-ル、出世を意味していた。
マニラ郊外にマカティと呼ばれる特別居住区があった。軍人の場合、下から二階級昇進
するだけで、そのマカティに、家つき、運転手つきの車があてがわれた。またイソロクは、
「白人と対等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間では英雄だった。
これには驚いたが、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各国の植民地になっ
たという暗い歴史がある。
そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もうそ
んなこと言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はことあ
るごとに、日本へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言ってい
た。ほかに自慢するものがなかった。が、国変われば、当然、価値観もちがう。
私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を
選んだ。それが学生として、最良の道だと信じていた。しかしそういう価値観とて、国策
の中でつくられたものだった。私は、それを思い知らされた。
時、まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。
Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司