●新しい日本の流れ(再考版)
++++++++++++++++++
古い原稿を、読み直している。
日付は、2007年となっているが、
実際には、もっと古いと思う。
記事の内容からして、2000~2001年
ごろ書いたものではないかと思う。
こうして古い原稿を読みなおしてみると、
古い原稿そのものが、私の一部になっているのが
わかる。
私は(過去)の上に立っている。
と、同時に、2つのことに気づく。
ひとつは、「その通りだ」と思う部分。
もうひとつは、「少し、おかしいぞ?」と
思う部分。
この10年の間に、世間の事情も大きく
変化した。
私自身も、変化した。
が、基本的には、私は(過去)の上に
立っている。
つっこみの甘いエッセーだが、「10年前に
は、こんなことを考えていたのか」と
思いながら、読んだ。
現状に合わない意見もあるが、それはそれとして
許してほしい。
が、その一方で、今、教育の世界が、私が予想
した通りに動きつつあるのを知るのは、
楽しい。
たとえば「学力」の見直しも進んでいる(09年)。
入試制度も、この10年のうちに、大きく
変わりつつある。
そんなことも考えながら、以下の原稿を読んで
いただければ、うれしい。
+++++++++++++++++
日本の教育は、今、知識偏重の詰めこみ教育から、議論をしながら考える教育へと、その転換期にある。
多くの学校で、今まで私たちが知らなかった試みが、なされている。
今までは、知識詰め込み式の教育でよかったが、これからは、もう、そういう教育は、通用しない。それはもう、だれの目にも、明らかである。
(しかしその亡霊は、社会や化学など、いたるところに残ってはいるが……。)
と書いても、私に、何か、具体的な方法論があるわけではない。私は、こういうとき、つまり、自分がどこか袋小路に入ったのを感じたようなときは、ネットサーフィンをしながら、あちこちで世界の賢者たちの言葉を読むことにしている。
世界の賢者たちの言葉を、あちこちから拾って、訳をつけてみた。
+++++++++++++
★The important thing is not to stop questioning. - Albert Einstein
「重要なことは、問いつづけることだ」(A・アインシュタイン)
★Those who educate children well are more to be honored than parents, for these gave
only life, those the art of living well. - Aristotle
「子どもをよく教育するものは、両親より、称えられる。なぜなら、両親は、命を与えるだけだが、子どもをよく教育するものは、生きる技術を与えるから」(アリストテレス)
★They were majoring in two subjects: physics and philosophy. Their choice amazed
everybody but me: modern thinkers considered it unnecessary to perceive reality, and
modern physicists considered it unnecessary to think. I knew better; what amazed me was that these children knew it, too. - Ayn Rand
「彼らは、物理学と哲学のふたつを専攻していた。その選択は、私をのぞいて、みなを驚かせた。しかし近代の思想家は、現実を認知することを、不必要と考えた。そして近代の物理学者は、思索することを、不必要と考えた。しかし私は、私を驚かせたことは、これらの子どもたちも、それを知っていたということを、よりよく知っていた」(A・ランド)
★"Most of all, perhaps, we need an intimate knowledge of the past. Not that the past has anything magical about it, but we cannot study the future." - C.S. Lewis
「私たちのほとんどは、たぶん、過去をよくしる必要がある。それは、過去が何か神秘的であるからということではなく、過去を知らなければ未来を学ぶことができないからである」(C・S・ルイス)
★Frederick Douglass taught that literacy is the path from slavery to freedom. There are many kinds of slavery and many kinds of freedom. But reading is still the path. - Carl Sagan
「フレドリック・ダグラスは、読み書きの能力は、奴隷を解放する道だと教えた。いろいろな種類の奴隷制度があり、いろいろな種類の自由があるが、読書は、まさにその道である」(C・サガン)
★I hear and I forget. I see and I remember. I do and I understand. - Confucius
「私は聞いて、そして忘れる。私は見て、そして覚える。私は行動して、そして理解する」(孔子)
★The true genius shudders at incompleteness - and usually prefers silence to saying
something which is not everything it should be. - Edgar Allen Poe
「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語るよりも、沈黙をふつう、好む」(E・A・ポー)
★To know what to leave out and what to put in; just where and just how, ah, THAT is to
have been educated in the knowledge of simplicity. - Frank Lloyd Wright
「どこにどのように、何を捨て、何を取り入れるか……つまりそれが、単純な知識として、教育されるべきことである」(F・L・ライト)
★You cannot teach a man anything; you can only help him find it within himself. - Galileo Galilei
「あなたは人に教えることなどできない。あなたはただ、人が彼の中にそれを見つけるのを、助けることができるだけである」(G・ガリレイ)
★What office is there which involves more responsibility, which requires more qualifications, and which ought, therefore, to be more honourable, than that of teaching? - Harriet Martineau
「教育の仕事以上に、責任があり、資格を必要とし、それゆえに、名誉ある仕事が、ほかのどこにあるだろうか」(H・Martineau)
★A child's wisdom is also wisdom - Jewish Proverb
「子どもの智慧も、これまた智慧である」(ユダヤの格言)
★The teacher, if indeed wise, does not bid you to enter the house of their wisdom, but
leads you to the threshold of your own mind. - Kahlil Gibran
「本当に賢い教師というのは、あなたを決して彼らの智慧の家に入れとは命令しないもの。しかし本当に賢い教師というのは、彼ら自身の心の入り口にあなたを導く」(K・ギブラン)
★We have to continually be jumping off cliffs and developing our wings on the way down. - Kurt Vonnegut
「私たちはいつも、崖(がけ)から飛び降りる。飛び降りながら、その途中で、翼を開発する」(K・Vonnegut)
★Just as iron rusts from disuse, even so does inaction spoil the intellect. - Leonardo Da
Vinci
「鉄がさびて使い物にならなくなるように、何もしなければ、才能をつぶす」(L・ダビンチ)
★Truth is eternal. Knowledge is changeable. It is disastrous to confuse them. - Madeleine L'Engle
「真実は永遠である。知識は、変化しうるもの。それらを混同するのは、たいへん危険なことである」(M・L'Engle)
★Never let school interfere with your education. - Mark Twain
「学校を、決して、あなたの教育に介在させてはならない」(M・トウェイン)
★Education is an admirable thing, but it is well to remember from time to time that nothing that is worth knowing can be taught. - Oscar Wilde
「教育は、賞賛されるべきものだが、しかしときには、価値ある知識は教えられないということも、よく覚えておくべきである」(O・ワイルド)
★You must train the children to their studies in a playful manner, and without any air of constraint, with the further object of discerning more readily the natural bent of their
respective characters. - Plato「あなたは子どもを、遊びを中心とした方法で指導しなければならない。強制的な雰囲気ではなく、彼らの好ましい性格の自然な適正を、さらに認める目的をもって、そうしなければならない」(プラト)
★In every man there is something wherein I may learn of him, and in that I am his pupil. - Ralph Waldo Emerson
「どんな人にも、彼らの中に、私が学ぶべき何かがある。そういう点では、私は生徒である」(R・W・エマーソン)
★We, as we read, must become Greeks, Romans, Turks, priest and king, martyr and
executioner, that is, must fasten these images to some reality in our secret experience, or we shall see nothing, learn nothing, keep nothing. - Ralph Waldo Emerson
「読書することによって、私たちは、ギリシア人にも、ローマ人にも、トルコ人にも、王にも、殉教者にも、死刑執行人にも、なることができる。つまり読書によって、こうした人たちのイメージを、私たちの密かな経験として、現実味をもたせることができる。読書をしなけば、何も見ることはないだろうし、何も学ぶことはないだろうし、何も保持することはないだろう」(R・W・エマーソン)
★Education is a sexual disease, IT makes you unsuitable for a lot of jobs and then you have the urge to pass it on. - Terry Pratchett
「教育は、性病だ。つまり教育によって、ジョークがわからなくなり、そのためそれをつぎつぎと、人にうつしてしまう」(T・プラシェ)
★I am always doing what I cannot do yet, in order to learn how to do it - Vincent Van Gogh
「私はいつも、まだ私ができないことをする。それをいかにすべきかを学ぶために」(V・V・ゴッフォ)
【考察】
●これらの教育格言の中で、とくにハッと思ったのが、エドガー・アラン・ポーの「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語るよりも、沈黙をふつう、好む」という言葉である。
わかりやすく言えば、「ものごとを知り尽くした天才は、自分の未熟さや、未完成さを熟知している。だから未熟なことや、未完成なことを人に語るよりも、沈黙を守るほうを選ぶ」と。私は天才ではないが、こうした経験は、日常的によくする。
私のばあい、親と私の間に、どうしようもない「隔たり」を感じたときには、もう何も言わない。たとえば先日も、こんなことを言ってきた母親がいた。
「先祖を粗末にする親からは、立派な子どもは生まれません。教育者としても失格です」と。
30歳そこそこの若い母親が、こういう言葉を口にするから、恐ろしい。何をどこから説明したらよいかと思い悩んでいると、そのうち私の脳の回路がショートしてしまった。火花がバチバチと飛んでいるのがわかった。だから私は、「ハア~?」と言ったまま、おし黙ってしまった。
私自身は、先祖を否定したようなことは、一度もないのだが……。(念のため。)
●つぎに「私たちはいつも、崖(がけ)から飛び降りる。飛び降りながら、その途中で、翼を開発する」と言った、K・Vonnegut。英語では、何と読むのだろうか。それはともかくも、これは私の持論でもある。以前私は、「人間の創意工夫は、絶壁に立たされて、はじめて生まれる」と書いた。
少し前だが、ある教育審議会のメンバーをしたこともあるF氏から、相談を受けた。「学校教育に蔓延(まんえん)している沈滞感は、どうしたら克服できるか」と。
それに対して私は、「教師を絶壁に立たせないと、ダメです」と。
こう書くと学校の先生は、不愉快に思うかもしれないが、ここは怒らないで聞いてほしい。
学校の先生たちは、たしかに忙しい。同じ公務員でも、給料が20%増しという理由も、そこにある。納得できる。しかしそれでも、一般世間の、つまりは民間企業に働く労働者とは、待遇や職場環境が、基本的に違う。
たとえば私立幼稚園にしても、今、少子化の波をもろにかぶり、どこも四苦八苦している。経営のボーダーラインといわれている、200人(園児数)を割っている幼稚園は、いくらでもある。
もっとも経営者自身は、それほど深刻ではない。すでにじゅうぶんすぎるほどの財力を蓄えている。悲惨なのは、そこで働く保育士の先生たちである。安い給料の上、いつリストラされるかと、ビクビクしている。中には、園児獲得のノルマを、先生たちに課している幼稚園もある。(ほとんどの幼稚園が、そうではないか?)
だから毎年、10月前後になると、先生たちは、案内書や簡単なみやげをもって、幼児のいる家を、1軒ずつ回っている。「教える」だけではなく、生徒集めにまで、神経をつかっている。しかも、その先は、まさに絶壁!
こうした危機感があるから、当然のことながら、教えることについても、ある種の緊張感が生まれる。その緊張感が、教育の質を高める。もし本当に、教育の質を高めようと思うなら、こうした緊張感を、人為的につくるしかない。
残念ながら、それから先の方法については、私もわからない。しかしこれだけは言える。学校の先生たちも、勇気を出して、崖から飛び降りてみてほしい。翼、つまり創意工夫は、飛び降りている間に生まれる。
●三つ目に、アリストテレスの、「子どもをよく教育するものは、両親より、称えられる。なぜなら、両親は、命を与えるだけだが、子どもをよく教育するものは、生きる技術を与えるから」という言葉。
この訳は正確ではないと思う。思うのは、冒頭の「Those」を、「親」と訳すべきか、「教師」と訳すべきかで、意味がまるで変わってくる。
「親」とみると、「だれでも子どもを産めば親になるが、生きる技術を与えて、親は、真の親となる」と解釈できる。
一方「教師」とみると、「生きる技術を与える教師は、親よりすばらしい」と訳せる。どちらが正しいかわからないという意味で、「この訳は正確ではないと思う」と書いた。
一般論として、欧米の教育の「柱」は、ここにある。どの人に会っても、彼らは、「教育の目標は、「子どもに生きる技術を与えること」と言う。オーストラリアの友人(M大教授)も、かつてこう教えてくれた。
「教育の目標は、私たちのもつ知恵や経験を、子どもたちがつぎの世代を、よりよく生きていくことができるように、それを教え伝えることだ」と。
つまり「実用的なのが教育」ということになっている。しかしこの日本には、むしろ実用的であってはならないという風潮すらある。日本の教育は、将来学者になるためには、すぐれた体系をもっている。しかし、だ。みながみな、学者になるわけではない。あるいは将来、学者になる子どもは、いったい何%、いるというのか。
英語にしても、数学にしても、将来、英語の文法学者や、数学者になるには、すぐれた体系をもっている。しかしそのため、おもしろくない。役にたたない。しかしこんなことは、30年前に、すでにわかっていたことではないか。最近になって、やっと「役にたつ」という言葉が聞かれるようになったが、それにしても、30年とは!
要するに、子どもを産むだけでは、親ではないということ(失礼!)。自分の生きザマを、子どもに示してこそ、親は、親になる。そしてそれが親の役目ということになる。
+++++++++++++++++++
【新しい教育】
教育を考えるときは、当然のことながら、年齢別、学年別に考えなければならないことは、言うまでもない。
その中でも、とくに幼児教育の重要性については、私は、たびたび書いてきた。
それはともかくも、今度は、子ども自身がもつ、方向性にあわせた教育を考えなければならない。
将来、すぐれた研究者になるための教育もあれば、その研究を利用した分野で活躍する人材を育てるための教育もある。どちらが正しいとか、有用とかいうのではない。どちらかの立場で、一方的に、相手に押しつけるのは、正しくないということ。
そこで登場するのが、「教育の多様性の問題」である。アメリカの小学校を例にあげて考えてみよう。
●アメリカの小学校
アメリカでもオーストラリアでも、そしてカナダでも、学校を訪れてまず驚くのが、その「楽しさ」。まるでおもちゃ箱の中にでも入ったかのような、錯覚を覚える。
たとえば、アメリカ中南部にある公立の小学校(アーカンソー州アーカデルフィア、ルイザ・E・ペリット小学校。児童数370名)。教室の中に、動物の飼育小屋があったり、遊具があったりする。
アメリカでは、教育の自由化が、予想以上に進んでいる。
まずカリキュラムだが、州政府のガイダンスに従って、学校が独自で、親と相談して決めることができる。オクイン校長に、「ガイダンスはきびしいものですか」と聞くと、「たいへんゆるやかなものです」と言って笑った。
もちろん日本でいう教科書はない。検定制度もない。たとえばこの小学校は、年長児と小学一年生だけを教える。そのほか、プレ・キンダガーテンというクラスがある。四歳児(年中児)を教えるクラスである。費用は朝食代と昼食代などで、週六〇ドルかかるが、その分、学校券(バウチャ)などによって、親は補助されている。
驚いたのは4歳児から、コンピュータの授業をしていること。また欧米では、図書室での教育を重要視している。この学校でも、図書室には専門の司書を置いて、子どもの読書指導にあたっていた。
授業は、1クラス16名前後。教師のほか、当番制で学校へやってくる母親、それに大学から派遣されたインターンの学生の3人であたっている。アメリカというと、とかく荒れた学校だけが日本で報道されがちだが、そういうのは、大都会の一部の学校とみてよい。周辺の学校もいくつか回ってみたが、どの学校も、実にきめのこまかい、ていねいな指導をしていた。
教育の自由化は、世界の流れとみてよい。たとえば欧米の先進国の中で、いまだに教科書の検定制度をもうけているのは、日本だけ。オーストラリアにも検定制度はあるが、それは民間組織によるもの。しかも検定するのは、過激な暴力的表現と性描写のみ。「歴史的事実については検定してはならない」(南豪州)ということになっている。
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古い原稿を、読み直している。
日付は、2007年となっているが、
実際には、もっと古いと思う。
記事の内容からして、2000~2001年
ごろ書いたものではないかと思う。
こうして古い原稿を読みなおしてみると、
古い原稿そのものが、私の一部になっているのが
わかる。
私は(過去)の上に立っている。
と、同時に、2つのことに気づく。
ひとつは、「その通りだ」と思う部分。
もうひとつは、「少し、おかしいぞ?」と
思う部分。
この10年の間に、世間の事情も大きく
変化した。
私自身も、変化した。
が、基本的には、私は(過去)の上に
立っている。
つっこみの甘いエッセーだが、「10年前に
は、こんなことを考えていたのか」と
思いながら、読んだ。
現状に合わない意見もあるが、それはそれとして
許してほしい。
が、その一方で、今、教育の世界が、私が予想
した通りに動きつつあるのを知るのは、
楽しい。
たとえば「学力」の見直しも進んでいる(09年)。
入試制度も、この10年のうちに、大きく
変わりつつある。
そんなことも考えながら、以下の原稿を読んで
いただければ、うれしい。
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日本の教育は、今、知識偏重の詰めこみ教育から、議論をしながら考える教育へと、その転換期にある。
多くの学校で、今まで私たちが知らなかった試みが、なされている。
今までは、知識詰め込み式の教育でよかったが、これからは、もう、そういう教育は、通用しない。それはもう、だれの目にも、明らかである。
(しかしその亡霊は、社会や化学など、いたるところに残ってはいるが……。)
と書いても、私に、何か、具体的な方法論があるわけではない。私は、こういうとき、つまり、自分がどこか袋小路に入ったのを感じたようなときは、ネットサーフィンをしながら、あちこちで世界の賢者たちの言葉を読むことにしている。
世界の賢者たちの言葉を、あちこちから拾って、訳をつけてみた。
+++++++++++++
★The important thing is not to stop questioning. - Albert Einstein
「重要なことは、問いつづけることだ」(A・アインシュタイン)
★Those who educate children well are more to be honored than parents, for these gave
only life, those the art of living well. - Aristotle
「子どもをよく教育するものは、両親より、称えられる。なぜなら、両親は、命を与えるだけだが、子どもをよく教育するものは、生きる技術を与えるから」(アリストテレス)
★They were majoring in two subjects: physics and philosophy. Their choice amazed
everybody but me: modern thinkers considered it unnecessary to perceive reality, and
modern physicists considered it unnecessary to think. I knew better; what amazed me was that these children knew it, too. - Ayn Rand
「彼らは、物理学と哲学のふたつを専攻していた。その選択は、私をのぞいて、みなを驚かせた。しかし近代の思想家は、現実を認知することを、不必要と考えた。そして近代の物理学者は、思索することを、不必要と考えた。しかし私は、私を驚かせたことは、これらの子どもたちも、それを知っていたということを、よりよく知っていた」(A・ランド)
★"Most of all, perhaps, we need an intimate knowledge of the past. Not that the past has anything magical about it, but we cannot study the future." - C.S. Lewis
「私たちのほとんどは、たぶん、過去をよくしる必要がある。それは、過去が何か神秘的であるからということではなく、過去を知らなければ未来を学ぶことができないからである」(C・S・ルイス)
★Frederick Douglass taught that literacy is the path from slavery to freedom. There are many kinds of slavery and many kinds of freedom. But reading is still the path. - Carl Sagan
「フレドリック・ダグラスは、読み書きの能力は、奴隷を解放する道だと教えた。いろいろな種類の奴隷制度があり、いろいろな種類の自由があるが、読書は、まさにその道である」(C・サガン)
★I hear and I forget. I see and I remember. I do and I understand. - Confucius
「私は聞いて、そして忘れる。私は見て、そして覚える。私は行動して、そして理解する」(孔子)
★The true genius shudders at incompleteness - and usually prefers silence to saying
something which is not everything it should be. - Edgar Allen Poe
「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語るよりも、沈黙をふつう、好む」(E・A・ポー)
★To know what to leave out and what to put in; just where and just how, ah, THAT is to
have been educated in the knowledge of simplicity. - Frank Lloyd Wright
「どこにどのように、何を捨て、何を取り入れるか……つまりそれが、単純な知識として、教育されるべきことである」(F・L・ライト)
★You cannot teach a man anything; you can only help him find it within himself. - Galileo Galilei
「あなたは人に教えることなどできない。あなたはただ、人が彼の中にそれを見つけるのを、助けることができるだけである」(G・ガリレイ)
★What office is there which involves more responsibility, which requires more qualifications, and which ought, therefore, to be more honourable, than that of teaching? - Harriet Martineau
「教育の仕事以上に、責任があり、資格を必要とし、それゆえに、名誉ある仕事が、ほかのどこにあるだろうか」(H・Martineau)
★A child's wisdom is also wisdom - Jewish Proverb
「子どもの智慧も、これまた智慧である」(ユダヤの格言)
★The teacher, if indeed wise, does not bid you to enter the house of their wisdom, but
leads you to the threshold of your own mind. - Kahlil Gibran
「本当に賢い教師というのは、あなたを決して彼らの智慧の家に入れとは命令しないもの。しかし本当に賢い教師というのは、彼ら自身の心の入り口にあなたを導く」(K・ギブラン)
★We have to continually be jumping off cliffs and developing our wings on the way down. - Kurt Vonnegut
「私たちはいつも、崖(がけ)から飛び降りる。飛び降りながら、その途中で、翼を開発する」(K・Vonnegut)
★Just as iron rusts from disuse, even so does inaction spoil the intellect. - Leonardo Da
Vinci
「鉄がさびて使い物にならなくなるように、何もしなければ、才能をつぶす」(L・ダビンチ)
★Truth is eternal. Knowledge is changeable. It is disastrous to confuse them. - Madeleine L'Engle
「真実は永遠である。知識は、変化しうるもの。それらを混同するのは、たいへん危険なことである」(M・L'Engle)
★Never let school interfere with your education. - Mark Twain
「学校を、決して、あなたの教育に介在させてはならない」(M・トウェイン)
★Education is an admirable thing, but it is well to remember from time to time that nothing that is worth knowing can be taught. - Oscar Wilde
「教育は、賞賛されるべきものだが、しかしときには、価値ある知識は教えられないということも、よく覚えておくべきである」(O・ワイルド)
★You must train the children to their studies in a playful manner, and without any air of constraint, with the further object of discerning more readily the natural bent of their
respective characters. - Plato「あなたは子どもを、遊びを中心とした方法で指導しなければならない。強制的な雰囲気ではなく、彼らの好ましい性格の自然な適正を、さらに認める目的をもって、そうしなければならない」(プラト)
★In every man there is something wherein I may learn of him, and in that I am his pupil. - Ralph Waldo Emerson
「どんな人にも、彼らの中に、私が学ぶべき何かがある。そういう点では、私は生徒である」(R・W・エマーソン)
★We, as we read, must become Greeks, Romans, Turks, priest and king, martyr and
executioner, that is, must fasten these images to some reality in our secret experience, or we shall see nothing, learn nothing, keep nothing. - Ralph Waldo Emerson
「読書することによって、私たちは、ギリシア人にも、ローマ人にも、トルコ人にも、王にも、殉教者にも、死刑執行人にも、なることができる。つまり読書によって、こうした人たちのイメージを、私たちの密かな経験として、現実味をもたせることができる。読書をしなけば、何も見ることはないだろうし、何も学ぶことはないだろうし、何も保持することはないだろう」(R・W・エマーソン)
★Education is a sexual disease, IT makes you unsuitable for a lot of jobs and then you have the urge to pass it on. - Terry Pratchett
「教育は、性病だ。つまり教育によって、ジョークがわからなくなり、そのためそれをつぎつぎと、人にうつしてしまう」(T・プラシェ)
★I am always doing what I cannot do yet, in order to learn how to do it - Vincent Van Gogh
「私はいつも、まだ私ができないことをする。それをいかにすべきかを学ぶために」(V・V・ゴッフォ)
【考察】
●これらの教育格言の中で、とくにハッと思ったのが、エドガー・アラン・ポーの「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語るよりも、沈黙をふつう、好む」という言葉である。
わかりやすく言えば、「ものごとを知り尽くした天才は、自分の未熟さや、未完成さを熟知している。だから未熟なことや、未完成なことを人に語るよりも、沈黙を守るほうを選ぶ」と。私は天才ではないが、こうした経験は、日常的によくする。
私のばあい、親と私の間に、どうしようもない「隔たり」を感じたときには、もう何も言わない。たとえば先日も、こんなことを言ってきた母親がいた。
「先祖を粗末にする親からは、立派な子どもは生まれません。教育者としても失格です」と。
30歳そこそこの若い母親が、こういう言葉を口にするから、恐ろしい。何をどこから説明したらよいかと思い悩んでいると、そのうち私の脳の回路がショートしてしまった。火花がバチバチと飛んでいるのがわかった。だから私は、「ハア~?」と言ったまま、おし黙ってしまった。
私自身は、先祖を否定したようなことは、一度もないのだが……。(念のため。)
●つぎに「私たちはいつも、崖(がけ)から飛び降りる。飛び降りながら、その途中で、翼を開発する」と言った、K・Vonnegut。英語では、何と読むのだろうか。それはともかくも、これは私の持論でもある。以前私は、「人間の創意工夫は、絶壁に立たされて、はじめて生まれる」と書いた。
少し前だが、ある教育審議会のメンバーをしたこともあるF氏から、相談を受けた。「学校教育に蔓延(まんえん)している沈滞感は、どうしたら克服できるか」と。
それに対して私は、「教師を絶壁に立たせないと、ダメです」と。
こう書くと学校の先生は、不愉快に思うかもしれないが、ここは怒らないで聞いてほしい。
学校の先生たちは、たしかに忙しい。同じ公務員でも、給料が20%増しという理由も、そこにある。納得できる。しかしそれでも、一般世間の、つまりは民間企業に働く労働者とは、待遇や職場環境が、基本的に違う。
たとえば私立幼稚園にしても、今、少子化の波をもろにかぶり、どこも四苦八苦している。経営のボーダーラインといわれている、200人(園児数)を割っている幼稚園は、いくらでもある。
もっとも経営者自身は、それほど深刻ではない。すでにじゅうぶんすぎるほどの財力を蓄えている。悲惨なのは、そこで働く保育士の先生たちである。安い給料の上、いつリストラされるかと、ビクビクしている。中には、園児獲得のノルマを、先生たちに課している幼稚園もある。(ほとんどの幼稚園が、そうではないか?)
だから毎年、10月前後になると、先生たちは、案内書や簡単なみやげをもって、幼児のいる家を、1軒ずつ回っている。「教える」だけではなく、生徒集めにまで、神経をつかっている。しかも、その先は、まさに絶壁!
こうした危機感があるから、当然のことながら、教えることについても、ある種の緊張感が生まれる。その緊張感が、教育の質を高める。もし本当に、教育の質を高めようと思うなら、こうした緊張感を、人為的につくるしかない。
残念ながら、それから先の方法については、私もわからない。しかしこれだけは言える。学校の先生たちも、勇気を出して、崖から飛び降りてみてほしい。翼、つまり創意工夫は、飛び降りている間に生まれる。
●三つ目に、アリストテレスの、「子どもをよく教育するものは、両親より、称えられる。なぜなら、両親は、命を与えるだけだが、子どもをよく教育するものは、生きる技術を与えるから」という言葉。
この訳は正確ではないと思う。思うのは、冒頭の「Those」を、「親」と訳すべきか、「教師」と訳すべきかで、意味がまるで変わってくる。
「親」とみると、「だれでも子どもを産めば親になるが、生きる技術を与えて、親は、真の親となる」と解釈できる。
一方「教師」とみると、「生きる技術を与える教師は、親よりすばらしい」と訳せる。どちらが正しいかわからないという意味で、「この訳は正確ではないと思う」と書いた。
一般論として、欧米の教育の「柱」は、ここにある。どの人に会っても、彼らは、「教育の目標は、「子どもに生きる技術を与えること」と言う。オーストラリアの友人(M大教授)も、かつてこう教えてくれた。
「教育の目標は、私たちのもつ知恵や経験を、子どもたちがつぎの世代を、よりよく生きていくことができるように、それを教え伝えることだ」と。
つまり「実用的なのが教育」ということになっている。しかしこの日本には、むしろ実用的であってはならないという風潮すらある。日本の教育は、将来学者になるためには、すぐれた体系をもっている。しかし、だ。みながみな、学者になるわけではない。あるいは将来、学者になる子どもは、いったい何%、いるというのか。
英語にしても、数学にしても、将来、英語の文法学者や、数学者になるには、すぐれた体系をもっている。しかしそのため、おもしろくない。役にたたない。しかしこんなことは、30年前に、すでにわかっていたことではないか。最近になって、やっと「役にたつ」という言葉が聞かれるようになったが、それにしても、30年とは!
要するに、子どもを産むだけでは、親ではないということ(失礼!)。自分の生きザマを、子どもに示してこそ、親は、親になる。そしてそれが親の役目ということになる。
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【新しい教育】
教育を考えるときは、当然のことながら、年齢別、学年別に考えなければならないことは、言うまでもない。
その中でも、とくに幼児教育の重要性については、私は、たびたび書いてきた。
それはともかくも、今度は、子ども自身がもつ、方向性にあわせた教育を考えなければならない。
将来、すぐれた研究者になるための教育もあれば、その研究を利用した分野で活躍する人材を育てるための教育もある。どちらが正しいとか、有用とかいうのではない。どちらかの立場で、一方的に、相手に押しつけるのは、正しくないということ。
そこで登場するのが、「教育の多様性の問題」である。アメリカの小学校を例にあげて考えてみよう。
●アメリカの小学校
アメリカでもオーストラリアでも、そしてカナダでも、学校を訪れてまず驚くのが、その「楽しさ」。まるでおもちゃ箱の中にでも入ったかのような、錯覚を覚える。
たとえば、アメリカ中南部にある公立の小学校(アーカンソー州アーカデルフィア、ルイザ・E・ペリット小学校。児童数370名)。教室の中に、動物の飼育小屋があったり、遊具があったりする。
アメリカでは、教育の自由化が、予想以上に進んでいる。
まずカリキュラムだが、州政府のガイダンスに従って、学校が独自で、親と相談して決めることができる。オクイン校長に、「ガイダンスはきびしいものですか」と聞くと、「たいへんゆるやかなものです」と言って笑った。
もちろん日本でいう教科書はない。検定制度もない。たとえばこの小学校は、年長児と小学一年生だけを教える。そのほか、プレ・キンダガーテンというクラスがある。四歳児(年中児)を教えるクラスである。費用は朝食代と昼食代などで、週六〇ドルかかるが、その分、学校券(バウチャ)などによって、親は補助されている。
驚いたのは4歳児から、コンピュータの授業をしていること。また欧米では、図書室での教育を重要視している。この学校でも、図書室には専門の司書を置いて、子どもの読書指導にあたっていた。
授業は、1クラス16名前後。教師のほか、当番制で学校へやってくる母親、それに大学から派遣されたインターンの学生の3人であたっている。アメリカというと、とかく荒れた学校だけが日本で報道されがちだが、そういうのは、大都会の一部の学校とみてよい。周辺の学校もいくつか回ってみたが、どの学校も、実にきめのこまかい、ていねいな指導をしていた。
教育の自由化は、世界の流れとみてよい。たとえば欧米の先進国の中で、いまだに教科書の検定制度をもうけているのは、日本だけ。オーストラリアにも検定制度はあるが、それは民間組織によるもの。しかも検定するのは、過激な暴力的表現と性描写のみ。「歴史的事実については検定してはならない」(南豪州)ということになっている。