最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●心のクッション

2009-12-03 09:51:09 | 日記
【心のクッション】

●人はなぜ怒るか

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(怒り)にもいろいろある。
その中でも、ちょっと変わった怒りもある。
「変わった」というよりは、「極端な」といったほうが、
正しいかもしれない。
実際の例をいくつかあげながら
怒りについて、考えてみたい。

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(例1)

 Hさんは、その少し前から認知症の疑いがあった。
今年65歳、女性。
もの忘れがひどくなりつつあった。
そんなある日、クラブのメンバー(友)と、電話でこんなやり取りをしたという。

H「今度の会合は、AA台にあるBBというレストランでしましょう」
友「わかりました、AA台のBBですね」と。

 で、しばらくほかの話をしたあと、終わり際に、友人が
「じゃあ、AA台のBBで……」と言ったときのこと。
突然、Hさんは、パニック状態になってしまった。

「私、BBなんて言っていません。CCです!」

友「だって、あなた先ほど、BBって、言いましたよ」
H「言っていません。どうしてそんなウソをつくのですかア!」と。

 ふつうの激怒ではない。
ギャーギャーと泣き叫ぶようにして、そう言ったという。

【例2】

 同じく、そのHさんのこと。
親類(Hさんの従兄)の1人も、そうした異変に、薄々気がつき始めた。
それでその親類が、Hさんの夫に、それとなくそれを伝えようとしたときのこと。
親類は、Hさんのことを心配して、それを伝えようとした。
こうした病気は、早期に発見し、治療を始めれば、進行を遅らせることができる。
が、Hさんの夫は、逆に怒ってしまったという。

「Hは、思い込みがはげしいところはあるが、頭は何ともない!
頭はいい!」と。

 あまりの剣幕に、従兄のほうが、たじたじになってしまったという。

【例3】

 内容は同じような話だが、Xさん(45歳、女性)も、このところ様子が
おかしい。
ガスコンロの火を消し忘れたり、風呂の湯を止め忘れたりする、など。
あるいは3~4日も、気分が悪いといっては、床に伏したままになることもあった。
そこで夫が、Xさんを、心療内科へ連れていこうとした。

 が、これにXさんが、猛反発。
逆上というか、まるで狂人のようになって暴れて、抵抗したという。

【例4】

 つぎの話は、以上の話を、私の友人に話したとき、その友人から聞いた話である。

 その家には、90歳を過ぎた母親がいた。
そのときすでに、要介護度3前後の認定を受けていた(旧認定基準)。
そこでその友人が、いろいろ考えた末、特別養護老人ホームへ入居の手続きを
しようとした。
それを聞いた、友人の妹たち2人が、友人の家にやってきて、これまた大激怒!
「親を、施設に入れるな!」と。

●怒り

 これらの怒りに共通するのは、「心のクッション」がないこと。
心に余裕がない。
心は緊張状態にあり、そこへ何らかの刺激が加わると、一気にそれを
解消しようとして、精神状態が不安定になる。

 ふつうなら、こういうとき、理性が感情の暴走にブレーキをかける。
が、そのブレーキが働かない。
このことから、こういうケースのばあい、(怒り)は、つぎの二段階を経て、
(怒り)になることがわかる。

(1) 心が緊張状態にあって、不安や心配が入り込むと、それを一気に解消
しようとして、不安定になる。
(2) 感情が暴走し、理性によるブレーキが働かなくなる。

●では、どうするか

 (怒り)は、(心のクッション)と、大きく関係している。
(心のクッション)が、大きい人は、相手の心を、暖かく包み込むことができる。
そうでない人は、そうでない。
そのまま相手の心を、冷たくはね返してしまう。

 私の印象では、(あくまでもそう思うだけだが)、認知症か何かになると、この
心のクッションが、たいへん薄っぺらくなる。
心の余裕そのものがなくなり、ささいなことで、激怒しやすくなる。
 
 お金にたとえるのも不謹慎なことかもしれない。
しかしたとえば懐(ふところ)に、何百万円ももっている人は、寿司屋でも、好きな
寿司を注文することができる。
しかし小銭しかないと、ハラハラしながら食べなければならない。

 同じように、心の中に(大きなもの)をもっている人は、ささいなことでは、動じない。
そうでない人はそうでない。

 たとえばそれが(思い込み)であるにせよ、何かの信仰をもっている人は、外部の人に
対して、おおらか。
いつも満足そうな笑顔を浮かべている。
科学者にしても、思想家にしてもそうだ。
「宇宙だ」「哲学だ」「真理だ」と言っている人は、それだけ、ささいなことでは、動じな
い。

 言い換えると、このタイプの(怒り)と闘うためには、(怒り)そのものと闘うというよ
りは、それによって動じない(大きなもの)を、もつこと、ということになる。
大きければ大きいほど、よい。
それがそのまま(心のクッション)となる。

 先にあげた4つの例では、つまりは加齢や認知症の進行とともに、(大きなもの)が心から消えたことが理由と考えてよい。
思考能力そのものが低下するから、自分の住む世界そのものが、小さくなってしまう。

 「AA台のBB」であろうが、「AA台のCC」であろうが、心に余裕のある人だったら、
「あら、まちがえました。ごめんなさい、ホホホ」で済んだ話である。
つまりこれが結論ということになる。

(1) 常に、大きな世界で生きよう。
(2) 常に、大きなテーマをもち、それについて考えよう。
(3) 常に、新しいことに興味をもち、それにチャレンジしよう。
(4) 常に、自分の文化性(絵画、音楽などの芸術性)を高めよう。
(5) 常に、生きることを原点に、真・善・美の追求をしよう。

 その結果として、私たちは、自分の(心のクッション)を大きくすることができる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 心のクッション 怒り 怒りの対処法 心の余裕)

●キレる子供(補足)

2009-12-03 09:06:26 | 日記
●「抑圧」の恐ろしさ(Another Room in the Mind)
(キレる子どもの補足)

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よく兵士、あるいは元兵士の残忍行為が問題になる。
最近でも、アメリカの収容所で、アメリカ兵が
イラク軍捕虜に対して暴力、暴行を繰り返したという事件が
問題になった。


こう書くからといって、アメリカ兵を擁護するわけではない。
が、こうした問題は、常に戦争について回る。
戦時中には、日本軍もした。
ドイツ軍もした。


その多くはPTSDに苦しみ、さらには心そのものを
病んでしまう兵士も珍しくない。
昨年見た映画の、『アナザー・カントリー』も、そうした兵士を
題材にした映画だった。
が、こうした問題も、心理学でいう「抑圧」を当てはめてみると、
理解できる。


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●抑圧


 自分にとって都合が悪い記憶があると、人はそれは心の別室を用意し、そこへそれを
押し込めてしまう。
そうすることで、自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。
こうした現象を、心理学の世界では、「抑圧」という。


「隠ぺい記憶」と言う人もいる。
 もともとは乳幼児期の不快な思い出や記憶について起こる現象を説明したものだが、
もちろんおとなになってからも、ある。
何かのことで失敗したり、いやなことがあったりすると、それをできるだけ早く
忘れようと、心の別室を用意し、その中に押し込んでしまう。


●上書きされない


 ふつう記憶というのは、どんどんと上書きされていく。
たとえば不愉快なことがあっても、そのあと楽しいことがつづくと、過去の記憶を
忘れてしまう。
 が、心の別室に入った記憶には、その(上書き)という操作が働かない。
別室に入ったまま閉じ込められているから、修正されるということもない。
だから何かの拍子に表に出てくる。
たとえば高校生になった子どもが、5年前、あるいは10年前にあったことを持ち出し、
「あのとき、テメエは!」と言って、親に対してどなり散らすことがある。


 また最近聞いた話では、ともに70歳前後の夫婦なのだが、喧嘩するたびに、30年前、
40年前の話を持ち出して、たがいに責めあうという。
それを横で聞いていた娘(50歳くらい)は、こう言った。
「どうしてそんな昔の話をして、喧嘩するのでしょう。
頭がボケてきたのでしょうか」と。


 もちろん頭はボケていない。
(あるいはボケとは関係ない。)
抑圧された記憶というのは、そういうもの。


●子どもの世界でも


 「いい子ほど心配」とは、教育の世界では、よく言う。
先生や親の言うことに従順で、すなお。
ハイハイと指示や命令に従う……。
しかしこのタイプの子どもほど、あとあと心をゆがめやすい。
(あるいはその過程で、すでに心をゆがめている。)
思春期前夜、あるいは思春期になると、突然変化することも珍しくない。
はげしい家庭内暴力や、引きこもりにつながることもある。
何かのことで突発的に爆発して、こう叫んだりする。
「こんなオレにしたのは、テメエだろう!」と。


 心の別室には、キャパシティ(容量)というものがある。
そのキャパシティを超えると、隠ぺいされた記憶が、そこから突然、飛び出す。
本人ですらも、コントロールできなくなる。


 そんなわけで、子どもを指導するとき大切なことは、子どもに、
心の別室を作らせないこと。
まず言いたいことを言わせる。
したいことをさせる。
常に心を開放させる。
それが子どもの心をゆがめないコツということになる。


●兵士のばあい


 話を戻す。
もちろん私には戦争の経験はない。
ないが、おおよその見当はつく。
つまり兵士たちは、戦場では、慢性的に恐怖感にさらされる。
そのとき兵士は、その恐怖感を、心に別室を作り、そこへ押し込めようとする。
その上で、勇敢な兵士を演じたりする。


 が、これが心をゆがめる。


何かのきっかけ、たとえば相手が捕虜であっても、敵の顔を見たとたん、隠ぺい
された記憶が暴走し始める。
それは「記憶の暴走」と言うような、簡単なものではないかもしれない。
暴走させることによって、心の別室にたまった、恐怖感を解消しようとするの
かもしれない。
それが捕虜への、暴力や暴行へとつながっていく。


●教授の殺害事件


 今年(09)に入ってから、ある大学で、ある大学の教授が、元学生に殺害
されるという事件が起きた。
動機はまだはっきりしていないが、その学生は教授に対して、かなりの恨みを
もっていたらしい。


 この事件も、「抑圧」という言葉を当てはめてみると、説明できる。
というのも、その元学生のばあいも、元学生とはいっても、大学を卒業してから、
すでに10年近くもたっている。
ふつうなら、いろいろな思い出が上書きされ、過去の思い出は消えていてもおかしく
ない。


が、先にも書いたように、一度心の別室に入った記憶は、上書きされるということは
ない。
いつまでも、そのまま心の中に残る。
そこで時間を止める。


●心の別室


 ところで「心の別室」という言葉は、私が考えた。
心理学の正式な用語ではない。
しかし「抑圧」を考えるときは、「心の別室」という概念を頭に描かないと、どうも
それをうまく説明できない。
さらに「心の別室」という概念を頭に描くことによって、たとえば多重人格性などの
現象もそれで説明ができるようになる。


 人は何らかの強烈なショックを受けると、そのショックを自分の力では処理することが
できず、心の別室を用意して、そこへ自分を押し込めようとする。
「いやなことは早く忘れよう」とする。
しかし実際には、「忘れる」のではない。
(その記憶が衝撃的なものであればあるほど、忘れることはできない。)
だから心の中に、別室を作る。
そこへその記憶を閉じ込める。

●では、どうするか


 すでに心の別室を作ってしまった人は、多いと思う。
程度の差の問題で、ほとんどの人に、心の別室はある。
暗くてジメジメした大倉庫のような別室をもっている人もいる。
あるいは物置小屋のような、小さな別室程度の人もいる。


 別室が悪いと決めつけてはいけない。
私たちは心の別室を用意することによって、先にも書いたように、
自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。


 が、その別室の中の自分が、外へ飛び出し、勝手に暴れるのは、よくない。
その瞬間、私は「私」でなくなってしまう。


ふつう心の別室に住んでいる「私」は陰湿で、邪悪な「私」である。
ユングが説いた「シャドウ」も、同じように考えてよい。
あるいはトラウマ(心的外傷)も、同じように考えてよい。
そこで大切なことは、まず自分自身の中にある、心の別室に気がつくこと。
そしてその中に、どんな「私」がいるかに気がつくこと。


 シャドウにしても、トラウマにしても、一生、その人の心の中に残る。
消そうとして消えるものではない。
だったら、あとは、それとうまく付きあう。
うまく付きあうしかない。
まずいのは、そういう自分に気がつかないまま、つまり心の別室にきがつかない
まま、さらにはその中にどんな「私」がいるかに気がつかないまま、その「私」に
振り回されること。
同じ失敗を、何度も繰り返すこと。


 たとえば夫婦喧嘩にしてもそうだ。
(私たち夫婦も、そうだが……。)
もうとっくの昔に忘れてしまってよいはずの昔の(こだわり)を持ち出して、
周期的に、同じような喧嘩を繰り返す。
「あのときお前は!」「あなただってエ!」と。


 もしそうなら、それこそ「愚か」というもの。
が、もし心の別室に気がつき、その中にどんな「私」がいるかを知れば、あとは
時間が解決してくれる。
5年とか、10年はかかるかもしれないが、(あるいは程度の問題もあるが)、
時間が解決してくれる。


 あとは心の別室を静かに閉じておく。
その問題には触れないようにする。
心の別室のドアは、開かないようにする。
対処の仕方は、シャドウ、もしくはトラウマに対するものと同じように考えてよい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BWきょうしつ 心の別室 はやし浩司 抑圧 抑圧と
心の別室 シャドウ はやし浩司 トラウマ)


(付記)
 心の別室といっても、けっしてひとつではない。


そのつど人は、様々な大きさの別室を、作る。
作って、自分の心を救済しようとする。
 ……と考えていくと、心の別室というのは、脳の問題というよりは、習慣の問題
ということになる。
心の別室を作りやすい人と、そうでない人がいるということ。
何かあるたびに、心の別室を作り、そこへ自分を閉じ込めようとする人もいれば、
そのつど自分を発散させ、心の別室を作らない人もいる。
だから「習慣の問題」ということになる。


 もちろんできれば、心の別室など、作らないほうがよい。
そのつど自分を発散させたほうがよい。


(追記)


 同じような原稿を、この3月にも書いた。
あわせて読んでほしい。


●「抑圧」(pressure)


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昨日、「抑圧」について書いた。
強烈な欲求不満がつづくと、人(子ども)は、
その欲求不満を、心の中の別室に押し込んで、
それから逃れようとする。


が、それでその欲求不満が解消されるわけではない。
10年とか、20年とか、さらには40年とか、
50年たっても、それが何らかのきっかけで、
爆発することがある。
「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。


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が、こうした「抑圧」は、形こそちがえ、また
大小のちがいもあるが、だれにでもある。
あなたにもある。
私にもある。
だから、何かのことで不満を感じたら、そのつど、
外に向かって吐き出すのがよい。
けっして、心の中にためこまない。


徒然草の中にも、『もの言わぬは、腹ふくるるわざなれ』※
とある。
「言いたいことも言わないでいると、腹の中がふくれてくる」
という意味である。
が、その程度ですめばよい。


ひどいばあいには、心に別室ができてしまう。
本来なら楽しい思い出が上書きされ、不愉快な思い出は消える。
しかし別室に入っているため、上書きされるということがない。
そのまま、それこそ一生、そこに残る。
そして折につけ、爆発する。


「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。
そして10年前、20年前の話を持ち出して、相手を責める。
こうした抑圧された感情を解消するためには、2つの
方法がある。


ひとつは、一度、大爆発をして、すべて吐き出す。
もうひとつは、原因となった、相手が消える。
私のばあいも、親に対していろいろな抑圧があるにはあった。
しかし父は、私が30代のはじめに。
母は、昨年、他界した。


とたん、父や母へのこだわりが消えた。
同時に、私は抑圧から解放された。
親が死んだことを喜んでいるのではない。
しかしほっとしたのは、事実。
それまでに、いろいろあった。
ありすぎてここには書ききれないが、それから解放された。


母は母で、私たちに心配をかけまいとしていたのかもしれない。
しかしどんな生き方をしたところで、私たちは、それですまなかった。
「では、お母さんは、お母さんで、勝手に生きてください。
死んでください」とは、とても言えなかった。


人によっては、「朝、見に行ったら死んでいたという状態でも
しかたないのでは」と言った。


が、それは他人のことだから、そう言える。
自分の親のこととなると、そうは言えない。
いくらいろいろあったにせよ、家族は家族。
いっしょに生きてきたという(部分)まで、消すことはできない。
話が脱線したが、抑圧は、その人の心までゆがめる。
そういう例は、ゴマンとある。


大切なことは、心の別室を作るほどまで、抑圧をためこまないこと。
言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、
すでにそのとき、その人との人間関係は終わっていると考えてよい』。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 心の別室 隠ぺい記憶 隠蔽記憶 トラウマ 抑圧 はやし浩司 抑圧心理 思春期の爆発 キレる)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司