最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●人生、夢の如し

2010-05-31 08:28:32 | 日記
【新・胡蝶の夢】(人生、夢のごとし)
Life is but an empty dream.

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時として、現実が夢なのか、
それとも、夢が現実なのか、
それがわからなくなる。

そこに(現実)があるはずなのに、
日々はまるで夢のように過ぎていく。
そこに(過去)があるはずなのに、
どれも色あせて、つかみどころがない。

「人生、夢のごとし」とだれかに言われても、
今の私は、「そうだな」と、
すなおにそれに従うことができる。

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●マイ・S

 医院で、(マイ・S)という睡眠薬を、処方してもらっている。
睡眠薬にもいろいろあって、(マイ・S)というのは、言うなれば朝方に効く、睡眠持続剤のようなもの。……らしい。
「朝早く目が覚めてしまう」と訴えたら、医師は、それを処方してくれた。
 
 以来、もう10年以上になる。
といっても、毎晩のむわけではない。
週に1、2度、それも4分の1から8分の1に割ってのむ。
1錠ものんだら、気がへんになってしまう。
朝方、現実と区別のつかない、幻覚作用が起こる。
一度、そういうことがあって、こわくなった。
だからそのときの状態に応じて、割ってのむ。
そのことを医師に告げると、「それでは効かない」というようなことを言った。
しかし私には、それでじゅうぶん。
多くて4分の1。
たいていは8分の1。
舌の下で溶かしながら、のむ。

●幻覚

 (マイ・S)をのむと、それでも、朝方、幻覚作用が起きることがある。
超リアルな夢であったり、夢の中で、それが夢とわかったりする。
数日前の朝も、そうだった。
私はどこかの駅のプラットフォームに立っていた。
そこで一度ローカル線に乗り、近くの大きな駅で長距離列車に乗り換えるつもりだった。

 その前に少し、海岸沿いの細い道を歩いていたように思う。
舗装のない、茶色の道だった。
眼下に豊かな森が見え、その向こうに海が見えた。
たぶんそんなわけで、その駅までは、バスか何かでやってきたのだと思う。
私は長距離列車に乗って、自宅のある浜松市まで帰るつもりでいた。

●床屋

 駅の前には坂道があった。
以前、見覚えのある坂道だった。
……というより、別の道から、坂の上にある、みやげ屋まで来たことがある。
そのときは、つまり反対コースを、下から見たことになる。
急な坂道で、歩いては登れるが、車では無理。
そう思いながら、私は坂道を登った。
駅のことは、忘れていた。
たぶんローカル線に乗り遅れて、つぎの電車を待っていたのだと思う。
坂道の途中には、いくつかの店があった。
民宿、菓子屋、それに床屋。

 私は床屋へ入った。
大正時代にできたような木造の古い家だった。

●2人の男

 そのころだったと思う。
私は「ああ、これは夢だな」と気がついた。
ふつうなら、そう思ったとたん、目が覚める。
が、目は覚めなかった。
私は夢を見つづけた。

 床屋には、2人の人がいた。
1人は男で、年齢は50歳くらい。
もう1人は女で、年齢は40歳くらい。
ひまそうに客を待ちながら、テレビを見あげていた。
私は声をかけた。
男が返事をした。
女も返事をした。
しかしそこはもう床屋ではなかった。
旅館だった。
古い、木造の旅館だった。
長い板間の廊下が、奥へとつづいていた。

●幻覚

 男が言った。
「奥の部屋があいています」「温泉は、12時までです」と。
女が部屋へ案内してくれた。
私はワイフの姿が見えなくなって、かなり不安になっていた。
電車で先に行ってしまったのかもしれない。
もしそうなら、つぎの駅で私を待っているはず。 
……と思った瞬間、私はみやげ屋の中にいて、そこから駅をながめていた。

 「これは夢だ」と、私はまた思った。
「私は今、夢を見ている」と。

 こんなにクルクルと場面が変わることは、おかしい。
おかしいから、「夢だ」と。

●男

 先ほどの男が、話しかけてきた。
「あなたは、どこから来たのか」と。
私は、「旅行中だ」と答えた。

男「どこへ行くのか」
私「電車に乗って、家に帰る」
男「家は、どこだ?」
私「なぜ、そんなことを聞くのか?」
男「なぜって、それはあなたが、この世の人間とは思えないからだ」
私「この世? ハハハ、ここはぼくの夢の中の世界だよ」と。

 男は一瞬驚いた顔をしてみせたが、今度は怒ったような声で言った。
「バカなことを言うな。ここがあなたの夢の中の世界なら、私は何だ?」と。

私「……あなたは、ぼくが勝手に創りあげた人間だ」
男「あなたが、ぼくを創ったって? とんでもないこと言うね、あなたは」
私「だって、これはぼくが見ている夢なんだから、しかたないだろ」と。

●やり取り

 男の顔はよく覚えていない。
が、夢の中では、その場にいる人のように、輪郭がはっきりしていた。
印象としては、陰険な顔つきをしていた。
暗い表情で、私をにらみつけていた。

男「あなたの頭は、おかしい。見ろ、あそこに海が見えるだろ。あなたはあの海まで、自分で創ったというのか?」
私「創ったわけではないが、この世界では、ぼくが想像した通りの世界になる」
男「だったら、あなたはこの世界の神か?」
私「少なくとも、あなたに関しては、そうだ。ぼくが目を覚ましたら、あなたは消える」
男「……消える! とんでもないことを言うな。君は。ぼくは消えない。夢だかなんだか知らないが、あなたが目をさましても、ぼくは、ここにいる。この世界に、だ」と。

 かなりはげしいやり取りだった。
私もその男も、同じように興奮状態になっていた。

●荘子の『胡蝶の夢』

 荘子と言えば、『胡蝶の夢』。
荘子の思想を表す逸話に、こんな話がある。

 ある日荘子は夢を見る。
荘子が蝶になり、あちこちを舞ったあと、そこで目が覚める。
そこで荘子はこう考える。
「荘子が夢を見て蝶になったのか。それとも蝶が夢を見て荘子になったのか」と。

 もちろん夢の中で、私が荘子のことを思い出したわけではない。
ただその男というのが、はたして夢の中に出てきた男なのか、それとも私自身だったのか、今、こうして夢の中の私を思い出しながら書いていると、それがよくわからない。
会話をしているのは、私と1人の男。
しかし私がその1人の男になったり、その男が、私になったりする。
あるいは夢の中で、私は、もう1人の「私」と対話をしていたのかもしれない。
「私が夢を見て、その男と話したのか。それとも、私がその男となって、私と話したのか」と。

●目を覚ます

 ……このあたりで、夢が覚め始めた。
というより、思い切って目を開いた。
とたん、目の前にいた、その男は消えた。
どこか生意気そうな男だった。
目を覚ます前、かなり強い反感を私は覚えていた。
だからふと、「ザマーミロ!」と思った。
その男が消えたことが、楽しかった。

 「あの男は今ごろ、自分が消されて、悔しい思いをしているかもしれないな」と。
しかしすぐ私は現実に戻った。
横を見ると、ワイフが朝の薄日の中で、軽いいびきをかいて眠っていた。
私はそれまで見ていた夢のことを、しばらく考えた。
時刻は午前5時を過ぎていた。
遠くで、スズメが鳴いたような気がした。

●夢判断

 私は夢を見た。
私が見た夢だから、自分の姿は見えなかった。
が、男の顔や姿は、よく見えた。
しかしその男が、私でなかったとは、とても思えない。
私が見た夢なら、私自身ということになる。
私の一部が、その男となって、夢の中に出てきた。
不愉快そうな顔をしていた。

 その男は、私が、「あなたは、ぼくが勝手に創りあげた人間だ」と言ったとき、本気になって怒った。
それがおかしかった。
私は、自分の夢の中では、神以上の神だった。
すべての創造主。
その気になれば、(もちろん夢と気づいているときの間だけだが)、自分の思い通りの世界を創ることができる。
別の夢で、「これは夢」とわかったようなとき、私はわざと高い山から飛び降りて、空を飛ぶこともある。
そういう神業(わざ)的なことも、可能。
つまり何でもできる。

●逆転

 が、ここでおもしろいことに気づく。
もし、仮に今、この世界が、だれかの夢の中の世界だったとしたら……ということ。
そこに1人の男が立っていて、「ここは私の夢の中の世界だ。あなたは私によって創られた人間だ」と言ったとしたら……。

 つまり夢の中の「私」が、ちょうど反対の立場になったとする。
するとこの世界の見方が、一変する。
私はその男に向かって、こう言い返すだろう。

私「あなたの頭は、おかしい。見ろ、あそこに海が見えるだろ。あなたはあの海まで、自分で創ったというのか?」
男「創ったわけではないが、ぼくが想像した通りの世界になる」
私「だったら、あなたはこの世の神か?」
男「少なくとも、あなたに関しては、そうだ。ぼくが目を覚ましたら、あなたは消える」
私「……消えるだと! とんでもないことを言うね、君は。ぼくは消えないよ。夢だかなんだか知らないが、あなたが目をさましても、ぼくは、ここにいる。この世界に、ね」と。

●現実

 実のところ、私は今、私が生きているこの世界そのものが、よくわからない。
そこに見えるのは、光と分子の織りなす世界。
それを見て、(もちろん音も聞いて)、そこにモノがあることを知る。
しかし目を閉じれば、一瞬にして、それらのモノは、視界から消える。
そこにモノが見えるのは、たまたまそれが見えるように目ができているからにほかならない。

 たとえば暗い闇の世界を泳ぐイルカは、音波探知機のような機能を鼻先にもっていて、それでモノがあることを知るという。
一方、土の中に生きるミミズは、目が退化してしまっていて、モノを見ることができない。
(現実)といっても、それは人間にとっての現実であり、その(現実)は、動物によってみなちがう。

 で、死ねば、どうなるか?
モノを見る「私」自身が消えるわけだから、モノを見ることはもうない。
その時点で、私たちが「現実」と呼んでいるものすべてが、消える。
この大宇宙もろとも、消える。

●すべてが夢の中

 もちろん(現実)は(現実)。
(夢)は(夢)。
しかし私の年齢になると、どちらがどちらでも、もう構わないという心境になる。
「夢の中の方が現実」とだれかが言っても、「そうだな」と思う。
「現実は夢のようなもの」とまただれかが言っても、「そうだな」と思う。
自分の過去を振り返っても、それが(現実)というよりは、すべてが(夢)の中のできごとだったような気がする。
少なくとも「今」という時点から振り返ると、数日前に見た夢も、50年前に経験したことも、同じように見える。
夢の中で見た床屋も、どこか知らない土地で見かけた床屋も、同じように見える。
頭の中で区別するのが、むずかしい。

 だから荘子のように……というふうに考えるのは危険なことかもしれないが、この世の中のモノすべてが、ナッシング(Nothing)のように思えてくる。
もっとわかりやすく言えば、私たちは、だれかが見ている夢の中で、それがそのだれかの夢とも気づかず、踊らされているだけ(?)。
そのだれかが目を覚ませば、私もろとも、この世の中のモノすべてが、消える。

●現実主義者

 ……といっても、私は現実主義者。
今までもずっとそうだった。
これからも、死ぬまでそうだろう。
霊的な世界の存在を信じていない。
が、冷酷な現実主義者ではない。
ちょうど子どもがサンタクロースの存在を信ずるように、「この世は、ひょっとしたら夢のようなものかもしれない」と思うことはある。
やがて私もあの世へ行くわけだが、その程度、つまりサンタクロース程度には死後の世界を信じている。

 ……とまあ、自分でも何を書いているか、よくわからなくなってきた。
ただ私がここに書きたいことは、現実だけがけっしてすべてではないということ。
現実にとらわれすぎると、かえって自分を見失ってしまうこともある。
ときには、そこに見える(現実)を疑ってみる必要もある。
そこにある世界がけっしてすべてではない。
同時に、そこにないからといって、別の世界を否定してはいけない。

 窓の外から注ぎ込む白い光を見ながら、私はそんなことを考えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 夢と現実 現実と夢 荘子 胡蝶の夢 荘周 新胡蝶の夢 夢論)

(補記)

 私自身の過去を振り返っても、すべて夢の中のできごとだったように思うことは、よくある。
ただ(過去)といっても、それぞれの人や場所と、つながりがある。
そういった人に出会うと、それが現実だったことを知る。
しかしもしそういう人もいなくなってしまったら……。
そういう場所もなくなってしまったとしたら……。
そのとき私は、現実と夢を区別できるだろうか。
加齢とともに、だんだんとその自信が薄らいできた。

人生は夢のように短くはかないものである(李白「春夜宴従弟桃李園序」)。


Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司

●緊急警告

2010-05-30 10:10:24 | 日記
【緊急・警告】Emergent Warning

(韓国に迎合しすぎるな!)
(Keep 20% Nihilism)

Concerning the patrol ship bombing
the Korean peninsula is now under
hairtrigger condition.

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哨戒艦爆破事件に関し、朝鮮半島が一触即発
の状態になった。
魚雷で爆破したのは、紛れもなく北朝鮮。
その北朝鮮は、最期の悪あがきを繰り返している。

が、それはそれ。
一方、日本は日本。

日本の鳩山首相は、韓国まで出かけて行って、
つぎのように述べている。
「許し難い行為」と。

ヤフーNEWSの記事をそのまま紹介させて
もらう。

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*************以下、ヤフーNEW**************

……鳩山由紀夫首相は29日、韓国・済州島内のホテルで、李明博大統領と会談した。首相は、北朝鮮による韓国哨戒艦沈没事件を「許し難い行為」と非難し、韓国支持の立場を強調。大統領は、北朝鮮に対する日本の独自の追加制裁措置に謝意を伝えた。また、大統領は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題に関する日米合意についても高く評価した。

 哨戒艦事件について、大統領は「北朝鮮に対して日本が単独の(制裁)措置を迅速に講じたことは今後、国際社会で協力を図っていく中で、非常に大きな意義があった」と評価。首相は「日本は国際社会とともに北朝鮮を強く非難しており、韓国を強く支持している」と応じた。

*************以上、ヤフーNEW**************

 このままの状況で進めば、現時点では、戦争は必死!

(韓国:心理戦のための拡声器設置)→(北朝鮮:拡声器撃破とケソン工業団地への交通路遮断)→(北朝鮮:韓国人労働者の帰国阻止)→(韓国:人質救出作戦のための武力行使)→……、と。

●日本の工作員

 かねてから北朝鮮は、繰り返し、日本攻撃を公言している。
相手が日本なら、北朝鮮にしても、大義名分が立つ。
その日本が、韓国と北朝鮮が交戦状態になったとき、無事ですむはずがない。
これは憶測でも何でもない。
韓国のある軍事評論家は、「つぎの攻撃は、(反撃能力をもたない)日本」と言明している。
が、北朝鮮だって、そこまでバカではない。
「攻撃」イコール、テロ活動ということになる。

 忘れていけないのは、この日本にはすでに、100人以上の工作員が侵入していること(公安当局)。
実際の数は、その10倍以上とも言われている。
こうした工作員が、朝鮮半島の動乱に乗じて、日本国内で後方かく乱戦術に出ることは、目に見えている。
「確実」と断言してもよい。
新幹線の爆破、航空機の爆破程度では、すまないだろう。

●姑息な小細工

 ゆいいつの救いは、北朝鮮の指導者に、そこまでの度胸がないこと。
韓国へ亡命した、ファン氏もそう述べている。
今の今も、姑息な小細工を繰り返している。
が、油断は禁物。
追い詰めすぎると、何をするかわからない。
『窮鼠、猫をもかむ』とかいう。

 そのとき、日本があぶない!
わかるか?
日本があぶない!

 この場に及んで日本は韓国に急接近しているが、いい子ぶるのはやめよう。
お人好しはやめよう。
韓国は今も昔も、そして将来も韓国。
たまたま今は、北朝鮮という共通の大問題をかかえているから、こうして会談を繰り返す。
しかしそれが終われば、韓国は、またもとの韓国に戻る。

●20%のニヒリズム

 10%では少ないかもしれない。
50%では、無責任と呼ばれる。
だから20%!

 日本は、日本のために、20%のニヒリズムをしっかりともつ。
韓国はたいへんな状態に置かれている。
それはよくわかる。
しかしその「種」を蒔いたのは、韓国。
韓国の前政権。
さんざん日本をカヤの外に置きながら、好き勝手なことをした。
わかりやすく言えば、今の北朝鮮を、大増上慢にしたのは、ほかならぬ韓国である。
はっきり言えば、朝鮮半島の動乱について、日本がそこまで肩入れしなければならない理由はない。

●最悪の反日国家

 敗戦まではともあれ、戦後、日本は一貫して、韓国を援助してきた。
「屋台骨を1本も、2本も抜くような」(某外交官)援助をしてきた。
が、それで韓国は変わったわけではない。

 一方、北朝鮮にしても、そうだ。
当時のK外務大臣は、「これで北朝鮮が動かなければ、私が責任を取る」などと、大見得を切って、何と120万トンもの米を無償で与えた。
が、北朝鮮は、何も動かなかった。
K外務大臣は、何も責任を取らなかった。

 で、韓国の政権は、その後も、竹島問題を見てもわかるように、きわめて反日的な政策を繰り返した。
日本にとっては、「許し難い行為」(鳩山首相)である。
韓国最大の揚陸艦の名前は、ズバリ『独島(たけしま)』。
ほんの1年前まで、韓国は、日本にとって「最悪の反日国家」と位置づけられていた(某誌)。
こうした流れが、この先、大きく変わるとは思わない。
つまり結局は裏切られ、またまた傷つくのは、この日本!

●丸裸

 日本は日本の国益と安全、それに平和を最優先に考える。
理由がある。
つまり日本は、丸裸!
まったくの丸裸!

 都市部においてですら、シェルターひとつ用意されていない。
核シェルターなど、さらに、ない。
国民の大半は、銃の扱い方すら、知らない。
こんな状態で、仮にノドン一発でも、東京都に撃ち込まれたら、この日本は、どうなる?
(もちろんそれで北朝鮮も最期を迎えるが……。)
化学兵器にせよ、生物兵器にせよ、1発で20万人の死傷者が出ると言われている。
その準備さえ、していない。

●アメリカは甘くない

 またまた日本は、戦後最大の危機を迎えつつある。
が、このノー天気ぶりは、いったい、どうしたものか?
どこから来るのか?
みな、何ごともないかのように、平然としている?
朝鮮半島の動乱だからと決めつけすぎている?
それともアメリカが何とかしてくれると、過信しすぎている?

 残念ながら、答は「ノー」。

 北朝鮮の思考回路は、私たち日本人の常識を、はるかに逸脱している。
またアメリカにしても、そんな甘い国ではない。
先の第一次イラク湾岸戦争のときだけでも、日本は、1兆円もの戦費を負担している。
現金で、だ。
今度戦争が起きたら、1兆円ではすまない。
10~20兆円は、ふっかけてくる。

●私なら……

 日本よ、テロ活動に対する準備は始めているのか?
私が首相なら、緊急対策本部を設置し、今すぐその準備に取りかかる。
日本中に、韓国並みの厳戒態勢を敷く。
また今は、それをして当然の時期である。

 私は日本の鳩山首相が何を考えているか、さっぱり理解できない。
向こうが頭をさげて日本に来るのなら、まだ話もわかる。
が、何もこちらから頭をさげて行って話すような内容ではない。
まず、日本を守る。
それが日本の首相の使命ではないのか。

 ……ではどうするか?

 私たちの命は、私たち自身で守るしかない。
朝鮮半島で動乱が勃発したら、私たちは、私たちの命は、私たち自身で守るしかない。
テロリストたちは、今の今も、この瞬間において、すでにその準備活動に入っている。
そのための工作員である。
どこがどう狙われるかは、金xxの思考回路に自分を置いてみれば、わかるはず。

 私なら、その日は、新幹線には乗らない。
飛行機にも乗らない。
人の集まるところには、いかない。
もちろん米軍基地には、近寄らない。
(2010年5月30日記)


Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司

●研修会

2010-05-30 07:29:32 | 日記
●空の巣症候群

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60歳という年齢は、男性にとっても、
女性にとっても、たいへんな節目である。
この年齢前後に、多くの男性は仕事を離れ、
家庭に入る。
仕事をつづける人もいるが、現役時代の
ようなわけにはいかない。
量的にも、時間的にも、ぐんと減少する。
当然、収入も減少する。

一方、この年齢前後に、子どもたちは、
親の手を離れ、巣立っていく。
それまで「お父さん、お母さん……」と
近くにいた子どもが、そのままどこかへ
行ってしまう。
結婚すれば、なおさら。
家の中……というより、心の中に、ポッカリと
穴があく。

無気力感と脱力感。
それに空虚感。
中には、それが高じて絶望感すら覚える人もいる。
仕事一筋で生きてきた人ほど、その症状は重い。
子育て一筋で生きてきた人ほど、その症状は重い。

そうした症状を総称して、「空の巣症候群」という。

ある男性は、こう言った。
「退職と同時に、何もやる気が起きなくなってしまった」と。
またある女性は、こう言った。
「私の人生は、何だったの!」と。

男性が家庭に戻ったとき、歓迎されるとはかぎらない。
そのまま粗大ゴミとなるケースも少なくない。
それまで家庭を守ってきた(?)女が、外へ出る
ケースも少なくない。
「うちのダンナな家の中で、ゴロゴロしているだけ。
いっしょにいると、息が詰まる」と。

また子どもが巣立ちが原因となって、それが夫婦の関係が
ギクシャクすることもある。
間に、キレツが走ることもある。
ある男性はこう言った。
「息子が出て行ったとき、それまで夫婦をつないでいた
絆(きずな)が切れたような感じがしました」と。

『子はかすがい』とは、よく言う。
子どもが、夫婦の接着剤となっているケースは多い。
ほとんどが、そうではないか。
その子ども、つまり接着剤がなくなれば、当然、
夫婦の間に、すきま風が吹くようになる。

砂をかむような味気ない日々。
目標を見失って、フラフラと漂うような日々。
そこにいつものような時間があるはずなのに、
どれも色あせて見える。
輝きもない。

『空の巣症候群』がこじれて、離婚問題に発展する
ケースも少なくない。
男性にとっても、女性にとっても、この節目で人生の
一大転機を迎える。

が、転機といっても、先のある転機ではない。
その先に見えるのは、先細りの、暗いトンネル。
さんさんと輝く未来など、どこをさがしてもない。
が、それでも自分の体にムチを打って、仕事に行く。
「仕事」と言えるような仕事ではない。
「サラリーマン生活など、もうこりごり」と。
しかし、それしかすることがない。
……それしか、できない。
大きなビルの裏手に立って、車の交通整理をする。
ビルやマンションの管理人になったりする。

遊ぶといっても、余分なお金など、どこにもない。
仲間を連れ立って、安いバス旅行に行く。
それが精一杯。
ワイワイ騒いで、うっぷんを張らす。
しかし家に帰ってみても、そこにはだれもいない。
電気をつけて、冷めたご飯に、お茶をかけて口に運ぶ。

中には……ほどんどの男性と女性が、そうかもしれないが、
「それでも……」と思って、歯を食いしばる。
歯を食いしばって、立ち上がる。
かきむしるようにして、草の中から、小さな夢と
希望をさがす。
しがみつく。
『空の巣症候群』という症候群は、そうした一連の
症状を総称したもの。
言葉では理解できるかもしれない。
しかしその中身は、空の巣の中に身を落としたもの
でないと、わからない。

++++++++++++++++++++

●ではどうするか

 60歳なら60歳でよい。
多少の前後はあるかもしれない。
しかしその年齢を、第二の転機とするなら、その準備は、50歳のときから始めたらよい。
40歳でも早すぎるということは、ない。
そのころ収入にしてもピークを迎え、以後、下り坂へと向かう。
準備もなしに60歳を迎えると、ほとんどの人はまちがいなく、空の巣症候群に陥る。
この問題は、「どうすればいいか」ではなく、「どう予防したらいいか」、
そういう問題である。

 で、もしあなたが50歳なら、(40歳でもよいが)、自分が(すべきこと)の基礎を作る。
(したいこと)ではない。
(すべきこと)である。
それを発見するだけでもよい。
あとは、それを少しずつ、育てていく。

●子育ての「限界」

 この時期、子育てに埋没する人もいる。
子育てに生きがいを見出し、「子育てこそ、私のすべて」と言う人もいる。
が、子育ては、けっして(生きがい)にはならない。
またしてはいけない。
そこに100%、自分を注入してはいけない。
100%、注入すればするほど、やがていつか子どもは、それを負担に思うようになる。
あるいはあなた自身が、子どもの望まない行動に出ることもある。
それが親子の間を、かえって遠ざけてしまう。

 今、若い人たちは、ささいなことを理由にし、またそれにこじつけて、親を見捨てていく。
ある男(=父親)は、自分の父母が、自分の子どもの運動会に来なかったという理由だけで、「親子の縁」(?)を切っている。
それまでに、いろいろあったのかもしれない。
そのときそれが爆発したのかもしれない。
どうであるにせよ、その結果、一方的に傷つくのは、いつも親の方ということになる。

●子離れの完成

 親は親で、できるだけ早い時期に子離れを完成させる。
わかりやすく言えば、子どもへの依存心を捨て去る。
子どもへの甘い期待と決別する。
そしてここが重要だが、「限度」(バートランド・ラッセル)をしっかりとわきまえる。
その時期には、個人差があり、家庭の状況によってもちがうだろう。
しかし早ければ、子どもが中学生になること。
遅くとも大学生になるころ。
そのころまでの完成させる。

 バートランド・ラッセルは、こう書き残している。

『私たちは子どもに対して、必要なことはする。
しかし限度を超えてはいけない。
その限度をわきまえている親子のみが、真の家族の喜びを与えられる』と。

●老後

 あとは自分の人生を考える。
自分の(命)を考える。
さらに具体的には、自分の老後を考える。
が、若い父親や母親には、それがわからない。
目が(下=子ども)のほうばかり向いている。
下ばかり向いているから、自分の顔にシワがふえ、体がたるんでいくことに気がつかない。

 しかし……。
子どもが巣立ったその瞬間、そこにドカッと待っているのは、老後。
そんなことは簡単な足し算をしてみれば、だれにでもわかること。
現在のあなたの年齢に、子どもが巣立つまでの年齢を足してみればよい。
それが現実ということになる。

●統合性

 話を戻す。

 何度も書いてきたが、老後の生きがいは、「統合性」によって決まる。
(すべきこと)と(現実にしていること)を一致させる。
それが「統合性」。

 いろいろな条件が、ある。
(すべきこと)は、無私、無欲でなければならない。
功利、打算が入ったとたん、統合性は霧散する。

 ある男性は、無料の植物観察会を開いていた。
毎月1回の観察会である。
参加者の数は、その日によってちがう。
雨の日になると、ときにゼロになることもある。
しかしその男性は、その場に行って、参加者が集まるのを待つ。
で、しばらく待って、だれもこないとわかると、そのまま帰っていく。

 その男性というのは、元理科教師。
年齢は80歳くらいと聞いた。
それを「統合性」という。

++++++++++++++++++

空の巣症候群と統合性について書いた
原稿を、さがしてみる。
日付は、2009年の11月となっている。

++++++++++++++++++

●ヒマ(暇)論

++++++++++++++++++

「どうやって1日を 過ごそうか?」
……それを考えるのも、苦痛。
ヒマなときというのは、そういうもの。
もちろんヒマであることも、苦痛。

こういうのを ぜいたくな 悩みという。
しかし 世の中には、そういう
恵まれた人(?)も いる。

「毎日、ヒマでヒマで、どうしようもない」と。

++++++++++++++++++

●「ヒマでヒマで……」

 M氏は、今年65歳になる。
息子と娘がいたが、今は 2人とも、遠くに住んでいる。
私はどこか知らないが、M氏は、そう言った。

 公務員を退職し、つい数か月前まで、郊外の公共施設で 働いていた。
週3日だけの 勤務だった。
が、そこも退職。
今は、悠々自適の隠居生活。
親の代からの 財産も ある。
そのM氏が、こう言った。

 「毎日、ヒマでヒマで、どうしようもない」と。
「朝起きて考えること言えば、今日、1日を どうやって 過ごそうかということです」と。

●気がヘンになる

 M氏は、こう言った。
「日中は まだ何とかなります。
草を買ったり、バイクを直したりします。
問題は、夕食後です。
昨夜も、2時間も 音楽を聴いて、ぼんやりとしていました」と。

 で、私にこう聞いた。
「林さんは、どうしていますか?」と。

 たまたまその前日、私は友人への クリスマス・カードを 作っていた。
今年は、手作りカードに 挑戦している。
色紙に 写真や絵を張りつけ、それを 本のように仕立てる。

「ぼくもねエ、ヒマだと気がヘンになってしまいます。
だからいつも 何かをしています」と。

●生きがい

 M氏には話さなかったが、私のヒマつぶしといえば、インターネット。
ヒマなときは、まずパソコンに 電源を入れる。
とたん、したいこと、すべきことが、ドカッと、目の前に広がる。
趣味でもある。
道楽でもある。
が、それ以上に、今は、それが生きがいになっている。

 文章を書くために、本や雑誌を読んだりする。
マガジンを発行するために、写真を撮ったりする。
HPの更新も、そのつど しなければならない。

 やりたいこと、やるべきことが、あまりにも多い。
ヒマだとか、そんなことを言っている ヒマもない。
が、時として、ヒマになることがある。

●貧乏症

 私のばあいは、軽いパニック障害がある。
少し前までは、「不安神経症」と言った。
簡単に言えば、「貧乏症」。
いつも何かに 追い立てられているような感じがする。
乳幼児期の 不全な家庭環境が、原因と考えている。

 だからヒマであること自体が、苦痛。
何かをしていないと、気がすまない。
いつも、何かを している。

 そういう私の反対側にいるのが、無気力な人。
燃え尽き症候群とか、荷降ろし症候群とかいう。
私の年代には、「空の巣症候群」というのも ある。
子育ても終わり、子どもたちが巣立ってしまうと、とたんに 無気力状態になる。

 が、M氏のばあいは、少しちがうようだ。
「やりたいことは あるはずなのに、それが わからない」と。

●自己の統合性

 青年期には、「自己の同一性」という問題がある。
同じように、退職後には、「自己の統合性」という問題がある。
(やるべきこと)をもち、現実に、(それをする)。
これを「統合性」という。

 この構築に失敗すると、老後は、あわれで みじめなものになる。
M氏が そうだというのではない。
M氏はMしなりに、今のような老後を 夢見ながら、がんばって生きてきた。
しかし実際、それを手にすると、「何をしてよいか、わからない」、となる。

 孤独であるのも いやなこと。
老後になっても、息子や娘のことで、心配の種が尽きない人もいる。
それも いやなこと。
そういう人たちから見ると、M氏の置かれた立場は、うらやましいとなる。
先に「ぜいたくな悩み」と書いたのは、そういう意味。

●「だから、それが どうしたの?」

 そこでM氏が 見せてくれたのは、「太平洋一周、船の旅」という、パンフレット。
1人、150万円前後で、太平洋一周の旅ができるという。
行程は、日本→ハワイ→サンフランシスコ→ニュージーランド→オーストラリア
→東南アジア→中国→日本。

40日間の旅だという。

 「で、それに参加しようかどうかで、迷っている」と。

 私もときどき そうした旅行を考える。
が、そのまま シャボン玉のアワのように消えてしまう。

私のばあい、そういう旅行が、こわくて できない。
帰ってきたときの 虚しさを 想像するだけで、ゾッとする。
かえって虚脱感に襲われる……と思う。

 つまりそうした旅行には、「だから、それが どうしたの」と、そのあとに
つづくものがない。
たとえばそれぞれの国の 教育事情を調べるとか、そういうことなら楽しい。
あるいは私自身が 子どもたちを連れて、何かの指導をするというのでもよい。

 しかし帰ってきたとき、「ただいま!」だけでは、あまりにも さみしい。
一時的に ヒマをつぶすことは できても、そのあと、もっと大きなヒマが 
襲ってくる。
それに耐える自信が、私には、ない。

●老人観察

 老後には いろいろな問題がある。
しかし「ヒマ(暇)」について 考えたことはない。
M氏の話を聞きながら、「そういう問題もあったのか」と、驚いた。

 で、さっそく、あちこちの 老人観察を始めた。
「みんな、どうして いるのだろう?」と。

 もちろん 旅行を繰り返している人も いる。
趣味ざんまいの人も いる。
スポーツをしたり、孫の世話をしている人もいる。
人によって、みなちがう。

 が、こういうことは 言える。
人間というのは 勝手なもの。
忙しいときには、休みが来るのを、何よりも楽しみにする。
が、休みになったとたん、何をしてよいかわからず、ヒマをもてあます。
人生を「曜日」にたとえるなら、月曜日から土曜日までが、仕事。
日曜日が、つまり退職後ということになる。

 毎日が日曜日!

 しかし、これも考えもの。

●私のばあい

 で、私のばあいは、1、2年前に、ひとつの結論を すでに出した。
「私は 死ぬまで、現役で働く」と。
「過去は振り返らない。
前だけを見て、働く」と。

 わかりやすく言えば、身のまわりに、「ヒマ」を作らない。
そういう私の人生を 横から見ながら、「かわいそうなヤツ」と思う人もいる
かもしれない。
自分でも、それがよくわかっている。

 しかし いまだに(やるべきこと)が、何であるか、それがよくわからない。
統合性の確立があやふやなまま、今の仕事をやめてしまったら、それこそ 
たいへんなことになる。

 そのままボケ老人に向かって、まっしぐら!

 ただ幸いなことに、先にも書いたように、私にはまだ、やりたいことが
山のようにある。
どこから手をつけてよいのか、わからなくなることもある。

 で、今は、とりあえずは、新しいパソコンがほしい。
超高性能の、WINDOW7搭載の64ビット・マシン。
今夜も、ワイフに、それをねだったばかり。

 誤解がないように言っておくが、パソコンというのは、電気製品ではない。
買ったあとも、実際、使えるようになるまでに、いろいろな作業がつづく。
その作業が、楽しい。
だから買うとしても、長い休暇の前。

 ……ということで、改めて、究極の選択。

(1) 一生、ヒマで遊んで暮らす。
(2) 一生、仕事で、死ぬ寸前まで働く。

 どちらかを選べと言われたら、私は、迷わず、後者の(2)を選ぶ。
(すでに選んでいるが……。)

 M氏の話を聞いて、ますます強く、そう思うようになった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 空の巣症候群 荷下ろし症候群 老後の統合性 統合性の確立 老後の生きがい)


Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司

●研修会

2010-05-30 07:27:24 | 日記
【K市家庭教育学級研修会での講話】
2010年5月29日 (はやし浩司)

●K市で、研修会で話しました。
「子どもの見方、考え方」という題で話しました。
そのときの様子を、自分のビデオカメラで撮影してみました。

(1)前半(総論)
(2)後半(各論)……過干渉、過保護、溺愛、です。

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 子育て自由論 過干渉 過保護 溺愛 湖西市 講演会 研修会)


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●メタ認知能力(1)(マガジン5月30日号より)

2010-05-29 07:17:23 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2010年 5月 31日
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【特集】学習指導困難児


【自己管理能力】


++++++++++++++++++++++++++++++++


湖西市の、恩師、NG先生から、講演の依頼が
届いた。


『……小生達子ども教室スタッフが直面しているのは
集団活動が苦手であったり、与えられた活動に取り組めず他の児童に迷惑をかけたりする
場合、どう対応したらいいかということです。ことに障害の存在を感じるような子どもの
場合、自分の子育て以外の教育にはかかわって来なかったスタッフには大きな課題となっ
ています。


実際、高所に登ってしまうような危険な行動をとる子や多動で追いかけるのに苦労するよ
うな子、思うようにならない(その活動が自分ではできない)といじけてしまい、どう声
掛けをしても気分が戻らない子、乱暴になって他児に迷惑をかける子などが見られます。
このような子どもにはスタッフが付き添って他児の活動への影響を最小限に食い止めるよ
う努力していますが、そうした場合の声の掛け方や高揚した気持ちの鎮め方にも苦慮して
います。


少し状況に変化がありまして、我々スタッフのほかに、よい機会だから先生のお話を是非
伺いたいという市内小学校の家庭教育学級の学級生(各学校数人ずつ)も参加させていた
だくことになりました。この学級生にとっての関心事はわが子の子育てでしょうから、子
ども教室スタッフの思いとは少し異なります。


このようにわがままな事を申し上げて恐縮なのですが、御講演の演題を先生のお考えで決
めてお知らせいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。


御講演をご承諾いただいたことを市教委に伝えました。講演料なしでお越しいただけると
いうことも伝えたところ、それではあまりにも申し訳ないと検討を始め、わずかですが旅
費程度をお支払いできるようになったということです。いずれ、御講演の依頼や口座振替
にかかる書類などが届くと思います。よろしく御取り計らいください。


会場は湖西市民会館です。お分かりになるでしょうか。お迎えが必要なようならおっしゃ
ってください。


御講演後、時間が許すのであれば昼食をごいっしょしたいと思います。どうしてももう少
し先生とお話したいという人もいますので、ご迷惑でなければ同席させていただければ幸
いです。


では演題の件、お手間をとらせてしまいますがよろしくお願いします』。


++++++++++++++++++++++++++++++


●学習指導困難児


++++++++++++++++++


学習指導が困難な子どもというのは、いる。
AD・HD児、自閉症児、粗放児(この言葉は、
筆者がつけたもの。家庭崩壊などにより、精神的に
凶暴性をもった子どもをいう)など。


さらにLD児、かん黙児などなど。


恩師のNG先生は、こうした子どもの指導員を
指導している。
「で、どう考え、どう対処したらいいか?」と。


それが今回の講演のテーマということになる。


ポイントは、3つある。


(1)子どもの自己管理能力(メタ認知能力)の育成
(2)「現在の症状を、こじらせない」
(3)薬物療法は、慎重に。


++++++++++++++++++++++++

【自己管理能力】


●人格の完成


+++++++++++++++++


人格の完成度は、どこをどう見て、
判断すべきなのか。


そのヒントとなるのが、「人格論」
である。


+++++++++++++++++


 人格の完成度は、(1)共鳴性、(2)自己管理能力、(3)社会性の三つをみる(EQ論)。
これは常識だが、これら3つには、同時進行性がある。


 共鳴性、つまりいかに利己から脱して、利他になるか。自己管理能力、つまりいかに欲
望と戦い、それをコントロールするか。さらに社会性、つまり、いかに他者と、良好な人
間関係を築くか。


 これら3つが、できる人は、自然な形で、それができる。そうでない人は、そうでない。


 自己中心的な人は、それだけ自己管理能力が弱く、他者と、良好な人間関係を、築くこ
とができない。あるいは自己管理能力の弱い人は、長い時間をかけて、ものの考え方が自
己中心的になり、そのため、他人から、孤立しやすい。さらに社会性が欠落してくると、
自分勝手でわがままになる、など。


 これら3つは、相互に、からんでいる。そして全体として、その人の人格の完成度を、
決定する。


 が、やはり、キーワードは、「自己中心性」である。


 その人の人格の完成度を知りたかったら、その人の自己中心性をみればわかる。もしそ
の人が、自分のことしかしない。自分だけよければ、それでよいと考えているなら、その
人の人格の完成度は、きわめて低いとみてよい。


 これには、老若男女は関係ない。地位や名誉、職業には、関係ない。まったく、関係な
い。


 つぎに自己管理能力。わかりやすく言えば、ここにも書いたように、それには、欲望の
管理が含まれる。性欲、食欲、所有欲など。


 こうした欲望に溺れても、よいことは何もない。もちろん心の病気が原因で、溺れる人
もいる。セックス依存症の人にしても、節食障害の人にしても、それぞれ、やむにやまれ
ぬ精神的事情が、その背景にあって、そうなる。


 だから肥満の人が、即、自己管理能力のない人ということにはならない。(一般社会では、
そう見る向きもあるが……。)


 3つ目に、社会性。
 

 人間は、他者とのかかわりをもってはじめて、その人らしさを、つくる。その(その人
らしさ)が、良好であること。それが人格の完成度の、3つ目の要件ということになる。


 いくら高邁でも、他者とのかかわりを否定して生きているようでは、そもそも、人格の
完成度は、問題にならない。

 たとえば小さな部屋にひきこもり、毎日絵ばかり描いている画家がいたとする。すばら
しい才能をもち、すばらしい絵を描いている。が、個展を開いて、それを発表することも
ない。同業の人との、交流もない。


で、そういう人を、人格の完成度の高い人かというと、そうではない。EQ論では、そ
ういう人を、評価しない。(もちろんその人の芸術性の評価は、別問題である。)


 言いかえると、私たちは日々の生活の中で、これら3つを、いかにして鍛錬していくか
ということが、重要だということ。


 いかにすれば、自分の中の自己中心性と戦い、欲望をコントロールし、そして他者と、
良好な人間関係を築いていくか。つまりは、そこに、私たちが、日々に務めるべき、努力
目標がある。


 がんばりましょう! がんばるしかない!


【メタ認知能力】


●メタ認知能力(Metacognitive Ability)とは、何か


++++++++++++++++++++++






+++++++++++++++++++++


●メタ認知能力(Metacognitive Ability)


 私は「メタ認知能力」なるものについては、すでに10年ほど前から、原稿を書いて
きた。
が、ここ数年、この言葉をあちこちで聞くようになった。
しかし本当のところ、メタ認知能力とは何か、私もよくわかっていない。


 そこでまず私がとった手段は、メタ認知能力、つまりMetacognitive Abilityについて、
できるだけ原文に近い文献をさがすことだった。
最初は、直接アメリカの文献(英文)から調べようとしたが、先に、ひとつの文献を
さがしだすことに成功した。


ここに紹介した川島真一郎氏の修士学位論文が、それである。
わかりやすく書いてあるので、そのまま引用させてもらった。
 つまり私は、(メタ認知能力)とは何か知るために、つまりその壁を打開するため、
今までの経験を総動員して、(おおげさかな?)、あちこちを調べた。
その結果が、先にあげた論文の一部ということになる。


●メタ認知能力


 が、これだけをさっと読んだだけでは、意味がよくわからない。
内容を、もう少し整理してみる。


メタ認知


(1) メタ認知的知識(meta-cognitive knowledge)
メタ認知の中の知識成分を指す。
(1) 人間の認知特性についての知識、
(2) 課題についての知識、
(3) 課題解決の方略についての知識の、33つに分けて考えることができる。

(2) メタ認知的活動(metacognitive activity)
メタ認知的活動とは、メタ認知の中の活動成分を指す。メタ認知的活動は、
(1) メタ認知的モニタリング、
(2) メタ認知的コントロールの2つに分かれる。
 これでだいぶ頭の中がすっきりしてきた。
 さらに、
(1) メタ認知的モニタリングとは、認知状態をモニタすることである。
認知についての気づき(awareness)、認知についての感覚(feeling)、認知についての予
想(prediction)、認知の点検(checking)などが含まれる。
(2) メタ認知的コントロールとは、認知状態をコントロールすることである。
認知の目標設定(goal setting)、認知の計画(planning)、認知の修正(revision)など
が含まれる、と。


●実益


 先にメタ認知能力の実益について、引用させてもらう。
川島真一郎氏は、こう書いている。


『メタ認知はルーティンワークでない困難な問題を解決するときに、力を発揮すると考え
られる。そして、メタ認知能力は使うことで訓練をしなければ、その能力は向上しないと
考えられる』と。


 日常的な行動を同じように繰り返すようなときには、メタ認知能力は、力を発揮しない。
つまり難解で、より高度な知識と経験を必要とするような問題に直面したとき、
メタ認知能力は力を発揮する、と。


 そしてそのメタ認知能力は、訓練しなければ、向上しない、ともある。


●因数分解


 川島真一郎氏は、因数分解を例にあげて、メタ認知能力がどういうものであるかを
説明している。
そのまま印象させてもらう。


++++++++++以下、川島真一郎氏の論文より+++++++++++++


7。 <題>求めるもの(答え)と、与えられた条件の関係を発見せよ。[関係は直接的に見
えるときもあれば、仲介物を通して初めて見えて来るときもある。例えば、中間的な目標
を設定せよ。(例)(a + b + c)(bc + ca + ab) − abc を因数分解せよ。]
8。 <眼><針>関係の有りそうな公式は何か。
9。 <経><予>似た問題を思い出せ。
10。 <経><眼><針>似た問題の方法や結論を利用できないか。[(例)x、 y の対称式
はx + y とxy で表せる。]
11。 <眼><針>求めるもの(答え)の形を考え、それを具体的に(例えば式に)できな
いか。[また、その形のどの部分を求めればよいか。それを求めるのに、条件をどのように
使えるか。]
12。 <眼><針>与えられた条件や式を、解答で使い易いように変形できないか。[場合
によっては、結論の式から解答を進めて、後で比較するのが有効なときも有る。]
13。 <助><検>(方針の選択や解答の進め方について)解法の大筋を捉える。[大まか
な見通しを持つことが、解答への着手を促し、右往左往したり、袋小路に入ったりするの
を防ぐ。(例)増減表を書けば解けそう。判別式を利用できそう。等々]
14。 <経><眼><針>前に使った方法が直接使えないとき、補助的な工夫を加えること
で使えるようにならないか。[(例)角度の問題で、補助線を引く事で三角形の問題と捉
える。]
15。 <眼><針>求める結果が得られたと仮定して、逆向きに解けないか。[求める結果
を明確にイメージすることで、必要となる道筋が見えてくることが有る。]
16。 <眼><針>定義に帰ることで、手掛かりが得られることが有る。[2 次関数関連の
問題と判別式の関係。微分係数の定義。等々]
17。 <困><眼><針>問題を言い換えることで、容易になったり、既習の解法が使えた
りしないか。(そのとき、与えられた条件はどう変わるか。)[問題を違った視点から見る。
(例)sin θ+ cos θ の最大値を求めるのに、単位円周上の点P(x、 y) を利用する。]
18。 <困><眼><針>問題を一般化することで、容易になることがある。[(例)具体的
な数値の問題を、一般的な文字に置き換えることで見通しが良くなることが有る。]
19。 <困><眼><針>問題を特殊化することで、解決の糸口がつかめるときがある。
[(例)直方体の対角線の長さを求める問題で、高さが0 の場合を解いてみる。]
20。 <困><分><眼><針>条件の一部からどんなことが分かるか。[条件を幾つかの
部分に分けられないか。全体の解答とどう関係するか。]
21。 <困><眼><針>解き易い類題を考えることが、元の問題の手掛かりになることが
ある。[問題の一部は解けるか。どういう条件が付加されていれば解き易いか。等々]
22。 <補><検><助>条件の使い忘れはないか。
(CP)
23。 <題><検>方針に従い解答を進め、適当な段階で検討を加え、必要に応じて方針を
見直す。
24。 <補>自信の持てるる解き方から試みよ。[大抵の問題は、何通りか解き方がある。
(例)基本的な公式だけを使う。図形を利用する。微分を利用する。等々]
(LB)
25。 <題>結果の検討。[少しの検討が、長い目で見ると大きな効果をもたらす。]
26。 <検><眼>別の解法はないか。得られた答えが別の簡単な解法や、答えの意味を示
しているときが有る。
4。4 体系化された問題解決方略の適用
27。 <検><眼>使った方法や結果を総括する。他の問題に応用できないか。


++++++++++以下、川島真一郎氏の論文より+++++++++++++


●因数分解(例)


 高校生たちに因数分解を教えるとき、私自身は、半ばルーティンワーク的に解いて
みせている。
(因数分解そのものは、解法公式はほぼ確立していて、簡単な問題に属する。)
しかしこのように内容を秩序だてて分析されると、「なるほど、そうだったのか」と、
改めて、驚かされる。


私はそれほど意識せず、メタ認知能力を、応用かつ利用していたことになる。
率直に言えば、「メタ認知能力というのは、こういうものだったのか」と納得する
と同時に、「奥が深いぞ」と驚く部分が、頭の中で交錯する。
 ちなみに、先の(a + b + c)(bc + ca + ab) – abcを、別の紙で、因数分解してみた。
因数分解の問題としては、見慣れない問題である。


(1)見ただけでは、瞬間、頭の中で公式が浮かんでこない。
(2)直感的に、「いつものやり方ではできない」ということがわかる。
 が、こういうときの鉄則は、(3)「ひとつの文字に着目しろ」である。
この問題では、(a)なら(a)に着目し、(a)について式をまとめる。


 しかしこの場合、一度、式をバラバラにしなければならない。
結構、めんどうな作業である。


が、ここで「こんなめんどうな問題を出題者が出すはずがないぞ」というブレーキが働く。
「時間さえかければ、だれでもできる」というような問題は、数学本来の問題ではない。
ただの作業問題ということになる。


 そこで私は、(4)もっと簡単な方法はないかをさがす。
(bc + ca + ab)という部分に着目する。
(a)でくくれば、(b+c)という因数を導くことができる。
(b+c)を、(B)と一度置き換えてから、因数分解できないかを考える。
しかしもう一つの項、(abc)が残る。


つぎの瞬間、「この方法ではだめだ」と直感する……。
 ……というように、認知の目標設定(goal setting)、認知の計画(planning)、認知の
修正(revision)を繰り返す。


●高度な知的活動


 小学1年生が訓練するような、足し算の練習のような問題は、ただの訓練。
メタ認知能力など、必要としない。
 そこで昨日(8月21日)、メタ認知能力を確かめるため、私は小学2、3年生クラス
で、ツルカメ算の問題を出してみた。
あらかじめ、「ツルが2羽、カメが4匹で、足は合計で何本?」というような練習
問題を5~6問、練習させる。


そのとき「できるだけ掛け算を使って、答を出すように」と指示する。
 それが一通りすんだところで、「ツルとカメが、合わせて、10匹います。
足の数は、全部で、28本です。
ツルとカメは、それぞれ何匹ずついますか?」という問題を出す。
 で、このとき子どもたちを観察してみると、いろいろな反応を示すのがわかる。
(私の教室の子供たちは、幼児期から訓練を受けている子どもたちだから、こうした
問題を出すと、みな「やってやる!」「やりたい!」と言って、食いついてくる。)


 絵を描き始める子ども。
足を描き始める子ども。
意味のわからない記号を書き始める子ども。
2+2+2……と、式を書き始める子どもなどなど。
 こうした指導で大切なことは、(解き方)を教えることではない。
(子ども自身に考えさせること)である。
だから私は、待つ。
ただひたすら、静かに待つ。


 が、やがて1人、表を書き始める子どもが出てきた。
私はすかさず、「ほう、表で解くのか。それはすばらしい」と声をかける。
するとみな、いっせいに、表を描き始める。
表の形などは、みな、ちがう。
しかしそれは構わない……。


 (こうした様子は、YOUTUBEのほうに動画として、収録済み。)


●メタ認知能力の応用


 こうして書いたことからもわかるように、メタ認知能力というのは、もともとは、
数学の問題を解法技法のひとつとして、発見された能力ということになる。
しかしその奥は、先にも書いたように、「深い」。
日常的な思考の、あらゆる分野にそのまま応用できる。
ひとつの例で考えてみよう。