最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●2月27日(2)

2009-02-27 06:20:30 | Weblog


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

【ザ・ムーン】(In the shadow of the Moon)

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昨夜、仕事の帰りに、深夜劇場へ寄った。
封切りになったばかりの、「ザ・ムーン」を見た。
星は、2~3個の、★★。

ドキュメンタリー映画としての価値は認める。
が、そこまで。
あとは元宇宙飛行士たちの回顧また回顧。
何割かが、おしゃべり。
それぞれに深みのある言葉だったが、娯楽映画
として見るには、もの足りない。
だから星は、2つ。

圧倒されるような地球の風景もなかった。
月の風景もなかった。
ザラザラした古い画像ばかり……。

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●アポロ11号

アポロ7号は、地球軌道を周回。
アポロ8号は、月軌道を周回。
アポロ9号は、地球軌道を周回。
アポロ10号は、月軌道を周回。
アポロ11号で、アメリカは、人間を月に着陸させることに成功した。
……ということになっているが、アポロ11号は、やらせだったという
疑惑がある。
(ついでに、あのガガーリンも着陸時に、死亡しているという説もあり、
こちらのほうは、半ば常識化している。)
当時は、そういう時代だった。

もちろん映画の中では、元宇宙飛行士たちは、それを強く否定している。
「やらせと言っている人もいるが、そんなに多くの人をだませるはずがない」
というようなセリフも、終わりのほうにあった。

事実、アポロ11号については、世界中の天文台が追跡していたし、
持ち帰った岩石には、地球上にはない鉱物も含まれていた。

で、私の関心は、その一点に集中した。
そのあたりを、目を凝らして見た。
アポロ11号は、果たしてやらせだったのか。
それとも本当に、乗組員たちは、月に行ったのか。
しかしフィルムは古く、また目新しい証拠も写真もなかった。
つまり、つまらなかった!

アポロ11号のニール・アームストロング船長の言葉、
"That's one small step for a man, one giant leap for mankind."
(これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ)は、
あまりにも有名である(ウィキペディア百科事典)。

で、このとき『記念すべき第一歩を記したのは左足である。
アポロ11号が着陸した「静かの海」には、鏡100枚で作られた
一辺が約46cmのレーザー反射鏡が設置された。この反射鏡は
地球から発射されたレーザーを反射させて、地球と月の距離を
測定するために利用されている。地球と月の距離は約38万kmであり、
年に3・8cmずつ距離が増えているという』(同)と。

「反射板があるから、それが行ったという証拠だ」と説く人もいる。
しかしここにも書いたように、その後、アポロ計画は、アポロ17号まで
つづく。
反射板を設置するだけなら、月を周回しているとき、それをそこへ落とすことによっても、
可能である。
それをしたのは、アポロ8号か10号、あるいは12号か、14号、15号かもしれない。
私は、こういうことには、たいへん疑り深い。
もし本当に、アポロ11号が月へ行っていたのなら、やらせ疑惑が出るような
スキはなかったはず。

もし事実であれば、調べれば調べるほど、(事実)の深遠へと、吸い込まれていくはず。
が、それがない(?)。

疑惑の根拠となった事実は、いろいろある。

星条旗が、はためいていた。
影が複数本あった。(あるいはなぜか、修正され、消されていた。)
しかも光源の方向がちがっていた。
飛行士が何かを落としたが、それが地球上でのように、速く落ちた。
たまたま写り込んだ岩石の表面に、きれいな「C」の文字が書いてあった、などなど。

映画なのだから、そういう疑惑に、しっかりと答えてほしかった。
つまりわざわざお金を払って見にいってやったのだから、しっかりと答えてほしかった。

むしろ私は映画を見て、新たな疑問をもった。
それは、こんな疑問だ。

月着陸船から2人の宇宙飛行士が、月の軌道を周回する母船に向かって飛び立つ。
このシーンは有名だから、知っている人も多いことと思う。

一方、今度は母船のほうからの映像。
月の表面から、まるで氷の上をすべる石のように、宇宙船が近づいてくる。
なめらかで、寸部の狂いもない。
それがやがてすぐ、母船とドッキングする。

しかし、だ。
今から40年前に、そんな技術があったのだろうか。
それが新たな疑問。
映画の中にも出てきたが、月着陸船にしても、やっと完成した(?)ばかりの乗り物。
フラフラと飛び回って、墜落するシーンもあった。

月の軌道を回る母船(=地球帰還船)が、時速どれくらいの速さだったかは知らないが、
地球の軌道を回っているときは、秒速10キロ前後だったという。
(秒速10キロだぞ!)
それを手動で発射させた月着陸船が、うまく母船をとらえるということ自体、
不可能と考えてよい。

最近になってやっとミサイル迎撃ミサイルが、実践配備されるようになった。
が、地球上ですら、それは難しい。
何十人、(あるいは何百人もの)、要員がいて、高性能のレーダーで追跡してやっと、
可能なのである。
もちろん高性能のコンピュータも必要だが……。

何か、おかしい?
へん?
謎?
それがあのアポロ11号である。

ついでながら、ウィキペディア百科事典に出てきた、2つの数字に
注目してみた。

38万キロを3・8センチで割ると……

38000000000÷3・8=10000000000年
               =100億年

単純に考えれば、分離説(月は地球から分離したという説)に従えば、
毎年3・8センチずつ月は、100億年をかけて、現在の位置にやって
きたことになる。

しかし地球の歴史は、60~70億年。
どこかに矛盾を感ずるが、この話はここまで。

つぎは、『007・慰めの報酬』が楽しみ!
必ず、見るぞ!

(付記)
地球の大気は、卵にたとえるなら、外の硬い殻(から)どころか、その内側の薄い膜の
ようなものである。
計算上、そうなる。
その薄い膜の中に大気があり、その下のほうに、人間を含めて、いろいろな動物が
へばりついている。
だから大気もモノも、そして人間も、全体として、分子が姿を変えただけ。
そういう解釈も成り立つ。
しかしそういう発想は、地球を宇宙からながめたことがある人だけにできる。
だれだったかは忘れたが、(映画館の中では、メモを取ることができないので)、
そのようなことを言った宇宙飛行士がいた。
私はその言葉を聞いたとき、心底、その宇宙飛行士がうらやましかった。
そういう発想は、残念ながら、私には、ない。
劇場から出るとき、「なるほど、そうだろうな」と、何度も自分にそう言って聞かせた。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●歯磨き一考

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歯をみがくとき、ほとんどの人は、チューブに
入った、「練り歯磨き粉」(以下、歯磨き粉)を使う。
古風な言い方に聞こえるかもしれないが、それが
正式の呼び名である。

私も、子どものときから、ずっとそれを使っていた。
欠かさず、使っていた。
しかし、この半年ほど、使うのをやめている。
で、その報告。

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●不要?

歯磨き粉をいつも使っている人は、一度、使わないで、歯を磨いてみるとよい。
しばらく磨いていると、口の中に唾液がたまってくる。
その唾液を吐き出してみる。
そのとき、あなたはギョッとするはず。

歯というのは、驚くほど、食べ物のカスだらけ。
それが汚物のように、(汚物なのだが)、歯にくっついている。
歯を磨くと、そのカスが、ドロドロとはがれてくる。

しかしこのとき、歯磨き粉を使っていると、それがわからない。
わからないまま、歯がきれいになったと思い、それ以上、歯を磨くのをやめてしまう。
つまり汚れが、かえってそのまま残ってしまう。

通っている歯科医のアドバイスもあって、私はこの半年ほど、歯磨き粉の使用を
やめている。
そのかわり、カスが出なくなるまで、歯を磨くようにしている。
時間にすれば、それ以前の2~3倍にもなっただろうか。
つまりそれくらい長く磨かないと、カスは取りきれない。

もし、どうしても……ということであれば、塩でよい。
塩をつけて磨く。
逆に言うと、なぜ私たちは、歯を磨くとき、歯磨き粉を使うのかということになる。
本来必要もないものを、必要であると思い込まされているだけ(?)。
子どものころ、歯磨き粉を使うと、白い歯になるとかなんとか、そんなコマーシャルも
よく耳にした。

中には、歯磨き粉イコール、(歯の石鹸)のように考えている人がいるかもしれない。
私も、そうだった。
あるいは、歯磨き粉の中には、歯をガードする物質、たとえばフッ素などが
含まれているから、有効と考えている人がいるかもしれない。

どうであるにせよ、汚れが残ったまま、歯磨きをやめてしまったら、意味がない。
そういうことも考えながら、一度、歯磨き粉なしで、歯を磨いてみるとよい。

で、半年たった今、私は、こんな結論を出している。
「歯磨き粉は、必要ない」と。

で、それ以上に大切なことは、歯ブラシを複数本、用意すること。
小さくめで、歯先の短いもの。
長くて、歯先が硬いもの。
ふつうのもの。
それにローリング・ブラシ。
そういった歯ブラシを、そのつど取り替えて使う。

いつも同じ歯ブラシを使っていると、その歯ブラシのクセに応じてでしか、
歯を磨けなくなる。
死角ができる。
しかしそのつど歯ブラシを取り替え、歯の磨き方を変えると、いろいろなし方で、
歯を磨くことができる。
死角ができるのを防ぐことができる。
ついでに歯間ブラシも使うとよいそうだ。
これは先の歯科医の先生が、そう言った。

で、ここではもう一歩、話を先に進める。

歯の重要さは、老人を見れば、わかる。
「歯がなくなれば、入れ歯にすればいい」と思っている人がいるかもしれない。
しかしこれは、とんでもない誤解。

老人になると、入れ歯そのものが、作れなくなる。
入れ歯というのは、そのあとの調整が大切。
その調整ができなくなる。
だから実際には、80歳とか85歳以上になると、入れ歯を作るのは、むずかしい
そうだ(あるケアマネの人の言葉)。

さらに高齢になると、入れ歯をはめたまま眠ってしまったりして、それで命を
落とす人もいるという。
ある女性は、入れ歯を口に入れたまま眠ってしまい、それが喉の奥に入り、
窒息して死んでしまったという。
あるいは舌が、入れ歯を巻き込んでしまい、救急車で病院へ運ばれた人もいる。
入れ歯の事故は、多い。

だからやはり、歯は大切にしたほうがよい。
「たとえ数本でも残っていれば、長生きできます」(ある介護士の言葉)とのこと。
その数本が、目標。
……ということで、このところ、歯の磨き方に神経を使っている。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家 
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Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●「赤」という漢字

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「赤」という漢字は、もともとは、
人が火にあぶられている様子を示したものだ
そうだ(「本当は怖ろしい漢字」・彩図社)。

「赤」の上半分は、人間。
下半分は、炎(ほのお)を示しているそうだ。

つまり火にあぶられると、皮膚は赤くめくりあがり、
血管が破れて血が噴き出す……。
そこから「赤」という意味が生まれたという(?)。

残念ながら、にわかには信じがたい話である。
というのも、漢字にまつわるこの種の話は、多い。
私もかつて、何度か、子ども向けの漢字字典の編集に
携わったことがある。
が、それぞれの漢字には、いろいろな説があって、
定説がないことを知った。

「フ~~ン」と感心したところで、この話はおしまい。
私も知らなかった。

で、こんなこともある。
私の名前は、「林」。
私は子どものころから、「林」は、「林」と思っていた。
それについて、小4のA君が、「林は、木へんだね」と
言った。

なるほど!
「林」という漢字は、「木へんに、木がくっついたもの」だ。
満61歳になって、はじめて、それに気がついた。

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●「ドンマイ」

数日前、中日新聞のコラムを読んでいたら、こんなことが書いてあった。
「ドンマイ」というのは、「Don’t mind(気にするな)」を短くしたものだ、と。
そこでその編集者は、つづけて、こう書いている。

「英語では、Never mindとは言うが、Don’t mindとは言わない」と。

本当かな?

こういうとき私は、自分の耳の中をさがす。
すると、いつかだれかが言った言葉が、よみがえってくる。
もちろん英語国の人の言った言葉である。

「Don’t mind.」……ちゃんとした英語である。
よく使う。
たぶん、そのコラムを書いた編集者は、外国に住んだ経験がないのだろう。
だからそういうトンチンカンなコラムを平気で書く。

ほかにも、以前、こんなことを書いている人もいた。
英語雑誌の編集を手伝っているときである。

「アメリカでは、I am....とは、言いません。I’m....と言います」と。

私はその原稿を読んで、編集長氏に、「これはおかしい」と言ったが、
取り合ってもらえなかった。
どこかの教授の原稿だったので、遠慮したのだろう。

つまり英語というのは、元来、自由な言葉である。
おととい見た映画、『ザ・ムーン』の中でも、月のことを、
「the Heavenly Body(神聖なボディ)」と呼んでいた宇宙飛行士
がいた。
シェークスピアの時代から、いかに豊かな表現力があるか、それでその人の
英語力が決まる。
知的能力のレベルが決まる。
だから英語で話すときは、思い切って、学校で習ったような表現方法は忘れてしまう
とよい。

たとえば「お会いできてうれしいです」は、「Nice to meet you」だが、
「Nice」の部分を、その場の雰囲気で、いろいろに変えてよい。
またそのほうが、相手に好感をもたれる。

「Great」「Wonderful」「Super」、あるいは品位のある席では、
「It’s my privilage」でもよい。

一方、日本語ほど、「型」にこだわる言葉は、ない。
型にはまった言い方をするのが、正しい言い方と、信じて疑わない人も多い。
言いかえると、日本語という言葉は、表現力においては、貧弱。
つまりこの問題は、「Don’t mind」と言うかいわないか、という問題ではない。
そういった発想そのものが、実に日本的ということになる。

繰り返す。
「Don’t mind」は、立派な英語である。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

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