最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●ゴミ情報

2007-11-06 10:25:15 | Weblog
●今日・あれこれ(11月5日)

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昨日、今日、ほとんど原稿を書かなかった。

講演会のレジュメの作成とか、いろいろ
仕事が重なった。

で、今、やっとヒマになった。
11月5日、午後11時。ワイフは、先ほど
床に入った。

私は書斎に入り、パソコンに電源を入れる。
いつものようにメールを開く。何人かの人たちに、
返事を書く。

雑紙に目を通す。このところ毎日のように
雑紙を買ってくる。昨日も、経済誌を1冊、
買ってきた。『週刊エコノミスト』(11・6)。

雑紙代だけでも、月に2~3万円になる。
バカにならない。しかしこれもボケ防止のため?
そう思えば、安い。

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●インチキ、またインチキ

 中国人というのは、本をほとんど読まないそうだ。読んでも新聞。が、夕刊まで読む人は少ないとか。また本といっても、ハウツー本がほとんど。

「北京、上海などの大都市の平均的家庭が1年間に支出する文化的消費は、(テレビ・ラジオ・新聞)の購読のみである。少しましな家庭は、夕刊紙も購読している。読書する人は、非常に少ないし、読むとしても、金儲けや説得術、ナントカ速成術など、ノウハウものが圧倒的に多い」と。西安生まれの周勍(しゅうけい)氏という、中国人のコラムニストがそう書いているから、まちがいない。

 こうして得た情報を、周勍氏は、「ゴミ情報」と断罪する。中国そのものが、ゴミ情報に埋もれてしまっている!

 私はこの「ゴミ」という言葉に、新鮮な驚きを覚えた。ナルホド! この言葉を応用すると、「ゴミ知識」「ゴミ伝統」「ゴミ文化」というふうにも使える。これらゴミ情報に埋もれて生きている人は、ゴミ人間(失礼!)?

 その中国だが、7歳半ですでに月経があり、乳房がピンポン玉大になるような、性的早熟児がふえているという。原因は、言わずと知れた、成長促進剤。従来なら2~3年かけて大きくなるスッポンが、成長促進剤を使うと、わずか数か月で、同じ大きさになるという。

 中国の農民たちは、「養魚池の底に、抗生物質や避妊薬を敷き詰めると同時に、魚のエサに大量のホルモンを混ぜる。それは伝染病を予防すると同時に、魚の成長を早める効果がある」と。

 スッポンやうなぎだけではない。中国の養鰻業者たちは、こう言っているそうだ。「自分で育てた魚は、食べない」(同氏)と。

 その記事を読んでいたとき、背筋がゾーッとするのを覚えた。詳しくは、週刊「エコノミスト」(11・9・中国人ジャーナリストの警告)に書いてあるから、興味のある人は、そちらを読んでみたらよい。

 で、なぜこういうデタラメが中国では平気でなされているかということ。そのコラムニストが言うには、「金銭と権力が癒着し、暴利が権力者の懐にころがりこんでいるため」(要約)ということらしい。中国ではへたに正義感を燃やすと、かえって社会そのものから、排斥されてしまう。つまり国中が、デタラメということ。(あるいは国そのものが、デタラメ?)

 ときどき日本に漏れ伝わってくる情報は、氷山の一角の、そのまた一角ということになる。

 しかし……。日本とて、偉そうなことは、言えない。雪印、ミートホープにつづいて、赤福餅などなど。ここ1週間だけでも、香川県丸亀市の学校給食材料の産地偽装事のほか、鹿児島産たくあんが、実は中国産であったり(鹿児島漬け物)、国内産と売っていた三輪そうめんも、これまた中国製であったという事件が発覚している(ライスGT社)。さらに愛知県の地鶏の、名古屋コーチンにも、疑いがかけられている。

また宮崎県の業者が、台湾から輸入したうなぎを、国内産と偽っていたケース。「コシヒカリ100%」「山田錦100%」と歌ってる米を、DNA鑑定を使って調べてみたら、どうもそうでないという結果が出た(通産省)、というようなケースも報道されている。

 食物だけにはかぎらない。Tゴム工業は、断熱パネルの材料に水酸化アルミニウムを混ぜて燃えにくくした上で不燃性試験を受けて、国土交通大臣認定を不正に得ていたという。さらに建材大手Nアスが、」耐火性能を偽った住宅建材を販売していたという(日経07・11・5)。

 あえて言うなら、これもまた、氷山の一角。日本中が、偽装だらけ。本質的には、中国人も、日本人も、それほど、変わらない。つまりは、ゴミ情報だけで生きる、ゴミ人間?(失礼!)


●ゴミ情報vs良質な情報
 
 入ってくる情報は、常に選択する。まさに世は、情報だらけ。選択しなければ、そのままその人は、情報の洪水の中で、溺れてしまう。

 そこで問題は、どうやってその中から、良質な情報を選択していくかということ。そのためには、まず、身のまわりから、ゴミ情報を削っていく。

 たとえばこれはあくまでも私のばあいだが、バラエティ番組は、見ない。ゴシップ週刊誌は、読まない、など。そうでなくとも、脳みそは、いつも満杯状態。ゴミ情報を格納するだけの余裕は、ほとんど、ない。それに時間も、ない。

が、しかしそれ以上に大切なことは、常に自分で考えること。情報を得ても、自分で判断し、取捨選択すること。さらにそのためには、できるだけ自分のまわりに、静かな時間を用意すること。

 この問題は、脳みそ自体がもつ欠陥と、直結している。脳みそ自体がもつ欠陥を、箇条書きにしてみる。

(1) 情報の整理ができない。

いまだに記憶のメカニズムは、はっきりしていない。つまり脳に届いた情報は、それぞれの質と内容に応じて、脳の中の別々の場所に、格納される。わかりやすく言えば、バラバラの状態であちこちに格納される。

そこで本棚の中の本を整理するように、情報を整理できればよいのだが、それができない。だからときに、たとえば何か問題が起きたようなとき、参考となる情報を適確に引き出せないまま、ムダにしてしまうことが多い。

(2) 過去、現在の記憶が、時系列的に格納できない。

社会科の年表のように脳の中に入った情報が、過去から現在に至るまで、順に並んでいれば、わかりやすい。あるいは、地層のようでもよい。過去の情報の上に、新しい情報が塗り固められていくとか。

しかし実際には、脳の中にある記憶には、距離感がない。50年前の記憶も、1週間前の記憶も、(想起)する段階では、等距離にある。距離感がないから、ときに、古いキズがそのまま、あたかもつい昨日のようにことのように顔を出したりする。私たちが「トラウマ」と呼んでいるのも、そのひとつ。

(3) 情報の重大性を客観的に判断できない。

そのため、たとえば、身のまわりで、ささいな問題が起きたとすると、そのささいなことに振り回されてしまう。そのすぐ外では、環境問題、地球温暖化問題と、それにつづく食糧危機問題が起きている。ことの重大性という視点からは、かりに考えるとしても、ささいな問題は、マイナーな問題。が、脳みそは、その判断ができない。

(4) 情報と思考で得た知識を区別できない。

ほとんどの人は、情報の多さをもって、思考力があると錯覚している。しかしもの知りイコール、賢いという意味ではない。一方、思考することには、ある種の苦痛が伴う。難解な数学の問題を前にして、四苦八苦している自分を想像してみればよい。

そのためほとんどの人は、できるなら思考を、しないですませようとする。数学の問題でいうなら、解答を丸写しにして、すませようとする。が、脳みそ自身は、情報で得た知識と、思考で得た知識を区別できない。できないまま、数学の解答を丸写しにしながら、自分は、賢くなったと錯覚する。

(5) 情報、知識の漏出

せっかく得た情報や知識にしても、内容にもよるが、時間の経過とともに、薄れていく。消えていく。よい例が、学生時代学んだ英語の単語。そののち、使っているかどうかによってもちがうが、ほとんどの人は、学生時代に知っていた単語すら、10年、20年とたつうちに、忘れていく。

この私も、高校生を教えなくなったとたん、頭の中の単語の数が、ぐんと少なくなったように感ずる。この傾向が、加齢とともに、加速する。脳みその底に、まるで穴があいたような状態になる。

 つまりこうして、人は、情報のゴミの中で、ゴミ人間になっていく。(「ゴミ」といっても、価値のない人とか、そういう意味ではない。ゴミ情報で頭の中が、いっぱいという意味で、「ゴミ人間」という。誤解のないように!)

 が、現在、思考の前提となる、(静かな時間)そのものが、ない。(静かに考える時間)といってもよい。しかもその時間というのは、1日のうちで、1時間や2時間では足りない。できれば、3時間とか4時間。長ければ長いほど、よい。それはちょうど健康論に似ている。

 週に1、2時間程度の運動では、健康は維持できない。できれば3、4時間はほしい。長ければ長いほど、よい。

 賢くなる……つまりは考える人間になるということだが、賢い人からは、そうでない人がよくわかる。が、だからといって、何も、私が賢い人間というわけではない。賢いかそうでないかということは、あくまでも相対的な問題でしかない。より賢い人から見れば、私は、そうでない人ということになる。

 それはたとえて言うと、山登りのようなもの。低いと思って登った山でも、意外と遠くまで見えるもの。その山の高さには、限界がない。1000メートルの山の向こうには、2000メートルの山がある。さらにその先には、3000メートルの山もある。

 さらに悲劇的なことに、賢い人からは、そうでない人がよくわかる。しかしそうでない人からは、賢い人がわからない。わからないから、えてしてそうでない人は、その段階で、「私は賢い」と錯覚してしまう。進歩するのを、やめてしまう。

 いろいろ脱線したが、要するに、自ら考えるということ。それがこうしたゴミ情報から、自分を守るための、ゆいいつの方法ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ゴミ情報 ゴミ知識 思考と情報 情報と思考)

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