最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●マガジン過去版(2003年8月)byはやし浩司

2011-05-13 12:01:12 | Weblog
件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■8-2-2

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さらけ出す

●すなおな心

 人間関係に悩んでいる人は多い。富山県に住んでいるMさん(四〇歳、女性)もそうだ。厳格な祖父母と、形だけの夫婦の両親のもとで育てられた。そのためかどうかはわからないが、(そのためと考えて、ほぼまちがいないようだが……)、Mさんは、他人との信頼関係がうまく結べなくなってしまった。Mさんが訴えるところの症状を並べてみる。

● 同窓会などに出ると、どうしてみなは、ああも楽しそうなのかと思う。それで自分も楽しもうと思うが、どうしても楽しめない。また楽しもうと思えば思うほど、かえって疲れてしまう。

● 何をしても不安で、心配。あとでほかの人が、「じょうずにできたじゃない」などと言ってくれると、かえって不安になってしまう。私自身は、自分では失敗したという思いから、抜けでることができない。

● 子ども(二人の男女)に対しても、何かにつけて完ぺき主義で、ついこまかいことを言ってしまう。子どもを信ずることができない。子どもも、集団の中で、どこかオドオドしているよう。そういう姿を見ると、自分を責めてしまう。

● 実家へ帰っても、心が休まらない。たまに一泊することもあるが、かえって疲れてしまう。父も母も、それなりにいい人だと思うが、どうしても心を許すことができない。親子なのに、たがいに、あれこれ気をつかう。

● 子どものときから、親に「あんたは長女だから」と、いつも言われつづけた。いい子でいるのが、当たり前という環境だった。弟のできがよかったこともあり、いつも弟と比較された。「どうしてあんたはできないの!」と、よく叱られた。

こういうケースでは、まず身近なことから、少しずつ、自己開示をしてみる。自分の心を偽らず、正直に表現してみるということ。私にも、こんな経験がある。

 私は、子どものときから、台風が好きだった。台風が接近してくると、内心では「こっちへくればいい」と願った。あの緊迫感が何とも言えない。しかしそれは悪いことだと思っていた。私は学校や、人前では、優等生(?)だった。だから人前では、「台風がくると被害が出るから、こないほうがいい」などと自分を偽っていた。

 が、ある日のこと。私が三五歳もすぎてからのことだが、一人のアメリカ人の友人が、私にこう言った。「ヒロシ、ぼくは台風が好きだよ。台風の日には、ベランダにイスを置いて、それに座って台風を見ているよ」と。

 この言葉には驚いた。そこで「何が、楽しいか?」と聞くと、「風にのって、ものが飛んでいくのを見るのは、本当に楽しい」と。

 その言葉を聞いて、私は「何だ、そうだったのか」と、へんに感心した。以来、私は、すなおに、「台風が好きだ」と言うようになった。

 これは一例だが、こうして自分の心を少しずつ、開示していく。ただし、簡単にはできない。たいていの人は、本来の心がどういう状態なのかわからないほどまでに、布や糸で、心がぐるぐる巻きになっている。がんじがらめになっている。そういう布や糸を、ひとつずつ、ていねいにほどいていかねばならない。

●さらけ出す 

 自分をさらけ出すのは、むずかしい。今日もワイフと、ラーメン屋でラーメンを食べながら、こんな話をした。

私「自分をさらけ出すというのは、簡単なことではない」
ワ「そう……?」
私「たとえば目の前に、胸のすてきな女性がいたとする。そういう女性に向って、『あなたの胸にさわってみたい』とは言えない」
ワ「当たり前でしょう」
私「しかし、お前の胸やお尻なら、さわりたいとき、さわれる」
ワ「それも当たり前でしょう」
私「そこなんだ。夫婦だったら、たがいにさらけ出しができる。だからそれを基盤として、信頼関係を結ぶことができる。が、他人では、できない」
ワ「それが人間関係というものじゃ、ないの?」
私「そう。そうなると、他人と信頼関係を結ぶためには、どうしたらいいのか。たとえば反対に、夫婦のばあい、言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、もうその夫婦は、危険な状態にあるとみていい。親子でもね」と。

 そこで大切なことは、まず自分に正直に生きること。そのために、自分の心に静かに耳を傾けてみること。その上で、がまんすべきことは、がまんする。妥協すべきことは、妥協する。

 ここにも書いたように、いくら正直といっても、「あなたの胸にさわりたい」と言えば、その時点で、相手を侮辱(ぶじょく)したことになる。セクハラになる。そこでがまんする。同じように、時とばあいによっては、妥協もしなければならない。それが社会生活というもの。

 そこで、もしあなたが、人とうまく人間関係が結べないようなら、こうしたらよい。

(1) 無理をしない。……そういう自分がおかしいとか、まちがっているとか、そんなふうに思ってはいけない。「私は私」と割り切る。この世界には、完ぺきな人間はいない。他人との交際が苦痛だったら、「私は苦痛だ」と言えばよい。避けたかったら、避ければよい。大切なことは、無理をしないこと。

(2) 正直に生きる。……仮面をかぶってはいけない。いい子ぶってはいけない。いい人に見せようと、がんばることもない。それを開示するかどうかは別として、自分の正直な気持ちを大切にすればよい。

(3) 居直る。……あとは、「私はこういう人間だ」と居直ればよい。私も人前で話すことが多くなった。だからどうしても、自分をつくってしまう。飾ってしまう。が、そうすると、そのあと本当に疲れる。今は、ありのままの自分をさらけ出すようにしている。それで人が去っていくようなら、それはそれでよい。しかたのないこと。

(4) そういう自分とうまくつきあう。……どんなばあいも、自分の欠点や欠陥に気づいたら、それをなおそうと思ってはいけない。思う必要もない。それに気づいたときから、それとうまくつきあうようにする。
 
 さあ、あなたも勇気を出して、自分の気持ちを、すなおに、正直に話してみよう。一つのヒントとして、『クレヨンしんちゃん』の母親の、みさえを見習うとよい。(コミック本のほうが、よい。とくにv1~v7、8あたりまでが、参考になる。テレビのアニメは、つくりすぎていて、不自然?)

 みさえは、実にわかりやすい生き方をしている。すがすがしい。それで人との信頼関係が結べるかどうかは別にして、さらけ出しは、人との信頼関係を結ぶためには、必要条件。自分をごまかして生きている人は、他人を信頼することもできないし、他人から信頼されることもない。
 
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自己開示

 自分のことを話すという行為は、相手と親しくなりたいという意思表示にほかならない。これを「自己開示」という。その自己開示の程度によって、相手があなたとどの程度、親しくなりたがっているかが、わかる。

(1) 自分の弱点の開示(私は計算が苦手)
(2) 自分の失敗の開示(私はケースを割ってしまった)
(3) 自分の欠点の開示(私は怒りっぽい人間だ)
(4) 自分の家族の開示(私の母は、おもしろい人だ)
(5) 自分の体のことの開示(私は、足が短いことを気にしている)
(6) 自分の心の問題の開示(私は、よく、うつ状態になる)
(7) 自分の犯罪的事実の開示(二年前に、万引きをしたことがある)

 (1)の軽度な自己開示から、(7)の重大な自己開示まで、段階がある。相手があなたに、どの程度まで自己開示しているかを知れば、あなたとどの程度まで親しくなりたがっているかがわかる。もしあなたと交際している相手が、自分の体の問題点や、病気、さらには心の問題について話したとするなら、その相手は、あなたとかなり親しくなりたいと願っていると考えてよい。

 子どもの心も、この自己開示を利用すると、ぐんとつかみやすくなる。コツは、よき聞き役になること。「そうだね」「そうのとおり」と、前向きなリアクション(反応)を示してやる。批判したり、否定するのは、最小限に抑える。

 反対に、子どもがどの程度まで自己開示するかで、子どもの心の中をのぞくことができる。ときどきレッスンの途中で、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と話し始める子ども(幼児)がいる。私はそういうとき、「そんな話はみんなの前で、してはいけないよ」とたしなめることにしている。それはそれとして、子どもがそういう話をしたいと思う背景には、私と親しくなりたいという願望が隠されているとみる。が、こんな失敗をしたこともある。

あるとき、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と言い出した子ども(年中男児)がいた。「何だ?」と声をかけると、その子どもはこう言った。「寝るとき、裸で、レスリングしていたよ」と。

 さてあなたは、だれに対して、どのレベルまでの自己開示をしているだろうか。それを知ると、あなたの心の中の潜在意識をさぐることができる。

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会話のない父子

Gさん(五六歳・女性)が、こう相談してきた。「夫と、父親が、まったく会話しません。そういう状態が、結婚のときからつづいています。どうしたらいいでしょうか」と。

 Gさん父子(七三歳と四八歳)は、この三〇年間、ほとんど会話をしていない。同居していても、だ。毎日が一触即発。ささいな言い争いが、そのまま大げんかになることも珍しくない。

 原因は、父子の確執(かくしつ)。だれしもそう考える。しかし心理学では、そうは考えない。原因は、息子の側の心の緊張感がとれないこと。息子自身が気がついているかどうかは別にして、息子は、父親を前にしたとたん、心が緊張状態になる。こういう例は多い。

 Aさん(三五歳、女性)は、盆暮れに実家へ帰るのが苦痛でならないという。親を前にすると、ピンとした緊張感が走り、あとは何をしても疲れるだけ、と。

 Bさん(三五歳、女性)もそうだ。ときどき実母が遊びにくるのだが、帰るたびに、はげしい偏頭痛に襲われるという。

 父子だから、信頼しあうなどというのは、もはや幻想でしかない。ざっとみても、約五〇%の父子は、「うまくいっていない」。「うまくいっていない」というのは、「うまくいっていない」ということ。

 問題は、なぜ心の緊張感がとれないかということ。あるいは親を前にすると、子どもが緊張してしまうかということ。さらに悲劇的なことに、そういう状態を、子どもも気がつかないが、それ以上に、親も気がつかないということ。

 この問題の「根」は深い。深いだけに、簡単にはなおらない。

 子どもは、絶対的な安心感のある家庭で、親子の信頼関係を結ぶことができる。「絶対的」というのは、疑いすらもたないという意味。したいことをし、言いたいことを言うという環境である。

 推察するに、Gさん父子には、そうした信頼関係がないとみる。父親のほうはともかくも、子どものほうには、それがない。不信関係というのではない。信頼関係そのものがない。もっとわかりやすくいうと、子どもの側が、安心して父親に心を開くことができない。つまり子どもが、乳幼児のときに、すでにそういう状態になってしまった。

 こういうケースでは、息子は、子どものころ、親の前では仮面をかぶるようになる。いわゆる「いい子ぶる」ということ。だから父親は、ますます子どもの心を見失う。見失ったまま、「私はすばらしい親だ」と錯覚する。あるいは、「うちの息子は、できのいい息子」と誤解する。

 こういう心のズレがやがてキレツとなり、さらには断絶へと発展する。気がついたときには、「会話のない父子」になる。

 では、どうするか。

 こういうケースでは、父親のほうができることは、ほとんど、何もない。母親ができることは、さらにない。また親たちが何かをすればするほど、逆効果。一方、子どもの側は、その緊張感を取りのぞくのは、並大抵の努力ではできない。もしそんなことができれば、この世の中には、情緒が不安定な人はいないということになってしまう。人間関係というのは、そういうもの。人間の心というのは、そういうもの。

 では、どうするか。

 一度、そういう状態になったら、もうあきらめるしかない。皮肉なことに、こういうケースでは、父親が死んだとき、はじめて、問題が解決する。よほどのことがないかぎり、それまでは無理。つまり「私たち父子は、こういうもの」と、割り切るしかない。そしてあとは、たがいに気にせず、それぞれが自分の道を進むしかない。

 ただ、誤解してはいけないのは、たがいの絆(きずな)は、表面的な関係はともかくも、しっかりとあるということ。あるいはふつうの親子よりも、太いかもしれない。いざとなれば、息子は、親子の意識にのっとり、行動する。それを信じて、自分の道を進む。

【追記】

 よく「人と接すると、疲れる」と言うひとがいる。これは対人関係において、緊張感がとれないためにそうなると考えると、わかりやすい。あるいは人と接すると、心が緊張状態になってしまう。

 問題は、なぜ緊張状態になるかということ。一つには、安心できない。一つには、相手に対して、心を開くことができないなどがある。しかしやはり、こういうケースでも、他人と、信頼関係を結ぶことができないのが、基本的な原因と考える。

 つぎのような人は、信頼関係の結び方が、苦手な人とみる。

● 他人と接するのが苦手。近所づきあいをしても、すぐ精神的に疲れてしまう。
● 他人の前に出ると、いい子(人)ぶってしまう。無理をする。自分をかざる。
● 他人に心を許すことができない。いつも警戒してしまう。思ったことも言えない。
● 相手の意見の合わせてしまう。追従的になることが多い。(あるいは攻撃的になることもある。)

さて、あなたはだいじょうぶか?

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 「あなたはすばらしい子」という親の思いが、子どもを伸ばします。心理学でも、これを「好意の返報性」といいます。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとします。そういう子どもの性質をうまく利用すれば、子どもは、前向きに伸びていきます。

 ですから、いろいろな事件が起きても、不安になる必要はまったくありません。あなたはあなたとして、自分の子どもを信じてください。今日があるように、明日も、必ず、あります。あさっても、必ず、あります。そして今日の子どもがいるように、明日の子どもも、必ず、います。あさっても、必ず、います。今すべきことは、今を懸命に生きること。そうすれば、結果は必ず、ついてきます。だから、もう心配はしないこと、ですね。また何かあれば、(できればメールで)、相談してください。力になれると思います。


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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

孤独論

 孤独は、あらゆる人が共通してもつ、人生、最大の問題といってよい。だからもしあなたが今、孤独だからといって、それを恥じることはない。隠すこともない。大切なことは、その孤独と、いかにうまく共存するかということ。さあ、あなたも声を出して叫んでみよう。「私はさみしい」と。マザーテレサは、つぎのように語っている。

 訳はかなりラフにつけたので、必要な方は、原文をもとに、自分で訳してほしい。

When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the hunger for bread and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus himself experienced this loneliness. He came amongst his own and his own received him not, and it hurt him then and it has kept on hurting him. The same hunger, the same loneliness, the same having no one to be accepted by and to be loved and wanted by. Every human being in that case resembles Christ in his loneliness; and that is the hardest part, that's real hunger.

キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼はただ食物としてのパンを求める空腹を意味したのではなかった。彼は、愛されることの空腹を意味した。キリスト自身も、孤独を経験している。つまりだれにも受け入れられず、だれにも愛されず、だれにも求められないという、孤独を、である。彼自身も、孤独になった。そしてそのことが彼をキズつけ、それからもキズつけつづけた。どんな人も孤独という点では、キリストに似ている。孤独は、もっともきびしい、つまりは、真の空腹ということになる。

No one would choose a friendless existence on condition of having all the other things in the world. – Aristotle
世界中のあらゆるものを手に入れたとしても、だれも、孤独(friendless condition)は選ばないだろう。(アリストテレス)

No my friend, darkness is not everywhere, for here and there I find faces illuminated from within; paper lanterns among the dark trees. - Carole Borges
友がいれば、暗闇ばかりとはかぎらない。私は彼らの輝く顔を思い浮かべるが、それが暗い木々にかかる、ちょうちんのようなものだ。(C・ボーグ)

To dare to live alone is the rarest courage; since there are many who had rather meet their bitterest enemy in the field, than their own hearts in their closet. - Charles Caleb Colton
あえてひとりで生きるというのも、勇気のいることだ。なぜならクロゼットに心をしまっておくよりも、戦場で、最悪の敵に会うことを望む人は多い。(C・C・コルトン)

Pray that your loneliness may spur you into finding something to live for, great enough to die for. - Dag Hammarskjold
あなたが孤独であるなら、何かそのために生きることができる目標が見つかるように、できればそのために死ぬことができる目標が見つかるように、祈れ。(D・ハマーショルド)

There is no greater sorrow than to recall in misery the time when we were happy. – Dante
あなたが幸福だったときを、みじめな状態で思い起こすほど、悲しいものはない。(ダンテ)

We're all lonely for something we don't know we're lonely for. How else to explain the curious feeling that goes around feeling like missing somebody we've never even met? - David Foster Wallace
私たちがなぜさみしいか、それがわからないのに、私たちは、みな、さみしい。会ったこともないような人をしのぶような、実におかしな感情を、どうやって説明したらよいのか。(D・F・ウォレス)

The most I ever did for you was to outlive you. But that is much. - Edna St. Vincent Millay
あなたのためにした最大のことといえば、あなたより長生きをしたことです。それだけです。(E・S・V・ミレー)

The end comes when we no longer talk with ourselves. It is the end of genuine thinking and the beginning of the final loneliness. The remarkable thing is that the cessation of the inner dialogue marks also the end of our concern with the world around us. It is as if we noted the world and think about it only when we have to report it to ourselves. - Eric Hoffer
自分と話をすることが、もうないとき、終わりはやってくる。それは純粋な思想の終わりであり、かつ最終的な孤独のはじまりでもある。はっきりわかっていることは、心の対話の終わりは、私たちのまわりの世界に関心をもつことの終わりであるということ。つまり世界というのは、私たちがそれを、自分に問いかけるときのみ、そこにある。(E・ホッファー)

With some people solitariness is an escape not from others but from themselves. For they see in the eyes of others only a reflection of themselves. - Eric Hoffer
他人から逃れるから、孤独になるのではなく、自分から逃れるから孤独になる。なぜなら彼らは、他人に目の中に、自分の姿を見るからである。(E・ホッファー)







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■8-2-1

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