最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●時間とは何か(2)

2010-03-26 05:41:46 | Weblog


●ハエは、音速の3倍以上!

ときどき家の中を、体長1センチ前後の、大きな
ハエが飛び回ることがある。
私たちが「クソバエ」と呼んでいる、黒いハエである。
あのハエは、7~8メートル四方の部屋を、
ビュンビュンと飛び回る。

そのハエについても、正確に計測したことがないので
わからないが、やはりブ~ンと飛べば、7~8メートルの
部屋を横切るのに、1秒もかからないのではないか。
そこでこれらの数字をもとにして、ハエの速度を計算してみると、
秒速7メートルとして、同じように170倍すると、
秒速1190メートルということになる。
さらにこの数字を、60x60=3600倍すると、
時速になる。

その時速は、何と、4284万000メートル。
キロメートルになおすると、4284キロメートル。
つまりあのハエは、人間の大きさで考えると、
時速4000キロ以上のスピードで、部屋の中を飛び回って
いることになる!
時速4000キロだぞ!

この数字を疑う人は、一度、自分で計算してみるとよい。
つまり音速の約3倍!
こうして考えてみると、スズメにせよ、蚊にせよ、
はたまたあのハエにせよ、私たちとはちがった(時間)を
もっているのがわかる。

前にも書いたが、もしハエが今のまま進化し、
時計を作ったとしたら、秒針のほかに、1秒で1周する
もう一本の針を考えるかもしれない。
つまりスズメにせよ、蚊にせよ、はたまたハエにせよ、
私たち人間がいうところの「1秒」を、10秒とか、
100秒で生きていることになる。

●マウスは、人間の100倍!

・・・というようなことを、今回、大阪バイオサイエンス
研究所というところが、はからずも証明した?
もう一度、新聞記事を読みなおしてみよう。
そこには、こうある。

『(人とマウスに関して)、活動時間
や休息時間について、長いものや短いものが、
どんな頻度で現れるかを分析すると、
パターンはまったく同じで、人の動きを100倍
の速さで早回しすれば、マウスと同じになることが
わかった』と。

もう少し専門的に言えば、「体内のリズムをつくる
時計遺伝子の働きは、マウスのばあい、人間の
それより100倍も速い」ということになる。
だから単純に、「マウスは人間の100倍の
速さで生きている」というふうに考えることは
できないとしても、「少なくともマウスは、
人間とはちがった時間の尺度をもっている」ということだけは
確かである。

同じ1秒を、人間は、それを1秒として生きている。
が、マウスにしてみれば、100秒にして生きている
かもしれない。

だからたとえば、マウスの寿命を仮に1年としても、
それを「短い」と思ってはいけない。
マウス自身が感ずる1年は、ひょっとしたら人間の
100年分に相当するかもしれない。

●幼児の世界でも

実は、私は、このことは幼児を指導している
ときにも、よく感ずる。
私の教室では、常にテンポの速いレッスンに心がけて
いる。
そうでもしないと、子どものほうが、飽きてしまう。
レッスンに乗ってこない。

で、そういうとき、私はよくこう思う。
幼児のもつ体内時計は、おとなのもつ体内時計より、
数倍は速い、と。
わかりやすく言えば、幼児にとっての1分は、
おとなに3~4分に相当する。
おとなが3~4分ですることを、幼児は、1分でする、と
言いかえてもよい。

「アウ~、それでエ~、エ~ト・・・」などというような、
どこか間の抜けたようなレッスンをしていたら、
それだけで教室はザワついてしまう。
収拾がつかなくなってしまう。

反対に、老人ホームにいる老人たちを見てみると、
このことがさらによくわかる。
そこにいる老人たちは、1日中、何かをするでもなし、
しないでもなしといった状態で、その日、その日を
過ごしている。

そこにいる老人たちは、明らかに私たちとは、ちがった
体内時計をもっている。
ひょっとしたら、1日を、私たちがいう、1時間、
あるいはそれよりも短く感じながら生きている
かもしれない。

長い前置きになってしまったが、結論を急ぐと、こういう
ことになる。
私たちが感じている1秒、1分、1時間は、
けっして絶対的なものではないということ。
過ごし方によっては、1秒を1時間にして生きることもできる。
反対に、1日を、1分のようにして過ごしてしまう
かもしれない。

つまり(時の長さ)というのは、時計的にはみな、同じでも、
過ごし方によっては、何倍もにして生きることもできる。
反対に、数分の1にして生きることもあるということ。
もっと言えば(時の長さ)には、絶対的な尺度はないということ。
要は、その人の過ごし方、ということになる。
それにしても、『人の動きを100倍の速さで早回しすれば、
マウスと同じになることがわかった』とは!
100倍だぞ!

この「100倍」という数字を読んだとき、私は
改めて、(時間とは何か)、さらには、(生きるとは何か)、
それを考えさせられた。

余計なことかもしれないが、日々を、野球中継だけを見ながら過ごすのも
人生かもしれない。が、それでは、あまりにももったいない。
日々を、パチンコだけをしながら過ごすのも、
人生かもしれない。が、それでは、あまりにももったいない。
あるいは日々を、魚釣りだけをしながら過ごすのも、
これまた人生かもしれない。が、それではあまりにももったいない。
・・・というのが、このエッセーの結論ということになる。

●脳みそのクロック数

ついでに……。
宇宙には、私たちがいう「1秒」の間に、人間の世界でいう数100年、
あるいは数1000年分の人生を生きる生物がいるかもしれない。
あるいは反対に、私たちがいう「1万年」が、寿命という生物も
いるかもしれない。

そういう生物(?)は、指を1本、動かすのに、20年とか、
30年もかかる。
岩石のようなものでできた生物を想像してみればよい。
・・・という話は、どこか荒唐無稽な感じがしないでもない。
しかしこんなことは言える。

脳みそにも、コンピュータでいうところの「クロック数」の
ようなものがあるのではないか、ということ。
たとえばワイフは、8年前に買ったパソコンを使っている。
私は、昨年(07年)に買ったパソコンを使っている。
ワープロとして使っている間は、それほどの(差)を
感じない。

が、画像を表示したり、ゲームをしたりするときには、
はっきりとした(差)となって、ちがいが出てくる。
情報を処理するための基本的な速度、つまりクロック数そのものが
ちがう。

俗な言い方をすれば、(頭の回転の速さ)ということになる。
子どもにしても、頭の回転の速い子どもは、速い。
そうでない子どもは、そうでない。
反応も鈍い。
仮に脳みそのクロック数が、2倍ちがうとすると、クロック数が
2倍速い子どもは、そうでない子どもの、2倍長く時間を使う
ことができるということになる。

全体に、クロック数が速いから、当然、計算するのも速い。
文章を書くのも、速い。
思考する力も、速い。
だからクロック数が2倍速い子どもにとっては、同じ「1秒」でも、
そうでない子どもの、「2秒分」の時間に相当する。
同じ「1年」でも、「2年分」の時間に相当する。
ただし誤解しないでほしいのは、クロック数が速いからといって、
時間を有効に使っているということにはならないということ。
(時間を長く使う)ということと、(時間を有効に使う)という
ことは、まったく別のことである。

そのことは、冒頭に書いたスズメの話を思い出してもらえば、わかる。
庭に遊ぶスズメたちは、目まぐるしく、活動している。
しかし、それだけのこと。
わかりやすく言えば、(中身のない人生)を、忙しそうに
繰りかえしているだけ。

恩師の田丸謙二先生は、いつも口癖のように、こう言っている。
「せっかく、いい頭をお持ちなのですから・・・」と。
私に対して、そう言っているのではない。

東大という大学に入ってくる学生たちに、いつもそう言っている。
先生がいう、「・・・なのですから・・・」というのは、
「もっと自分の頭で考えなさい」という意味だが、
先生の言葉をもう少し、自分なりに解釈すると、こうなる。
「せっかく速いクロック数の頭をもっているのだから、
脳みそを有効に使いなさい」と。

●最後に・・・

脳梗塞のようなダメージを受けないかぎり、実際には、
脳みそのクロック数などというものは、みな、それほどちがわない。
ちがっても、2倍とか3倍とかいうものではなく、
1・1倍とか、1・2倍とかいう範囲の、わずかなものかもしれない。
しかもそのクロック数というのは、訓練によって、速くすることができる。
このことも、子どもの世界を見れば、よくわかる。

言いかえると、同じ人生でも、それを長くして生きるか、
それとも、短くして生きるかは、その人、個人の問題ということ。
そのためにも、頭は使って使って、使いまくる。
そうでなくても、脳みそのクロック数は、加齢とともに、落ちてくる。
老人ホームにいる老人たちにしても、ある日、突然、ああなったのではない。
ある時期から、徐々に、そして少しずつ、長い時間をかけて、
ああなった。

今の私やあなたがそうかもしれない。
クロック数というのは、そういうもの。
全体に脳みその機能が低下していくため、その人自身が、それに気づくと
いうことは、まずない。

知らぬ間に、クロック数は低下し、また低下しながらも、低下したこともわからない。
だから歳をとったら、なおさら、頭は使う。
使って使って、使いまくる。

それがとりもなおさず、私たちの人生を、より長くすることになる。

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●時間とは……

 改めて書くまでもなく、時間とは生き方の問題ということになる。
「そこに時間がある」ということではなく、「どう生きるか」。
それが時間ということになる。
もし「時間」という概念があるなら、「その時間を、どう使うか」。
それがここでいう「生き方の問題」ということになる。

 怠惰に過ごすのも1年なら、懸命に生きるのも、これまた1年。
「長さ」は、その「密度」によって決まる。
言い替えると、生き様の追求は、密度の追求ということになる。
いかに無駄を省き、密度を濃くしていくか。
それによって1年を10年にすることもできる。
1年を100年にすることもできる。

 もちろん回り道をすることも、よくない。
私たちも「生命」の一部でしかない。
その「生命」という部分には、限界がある。
ちょうど鉄がさび、やがて朽ちていくように、私たちの細胞も、さび、
やがて朽ちていく。
「急ぐ」という言い方は好きではないが、少なくとも、
無駄にする時間はない。
物理的な時間をいうなら、100年でも足りない。
1000年でも足りない。
真理の探究というのは、それほどまでに深淵で、道は遠い。

 「時間とは何か?」。
それを考えていくと、その先に、どう生きるべきかが見えてくる。
そういう意味で、物理学でいう(時間)と、哲学でいう(時間)には、
相互性がある。

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