最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●雑感・あれこれ

2008-12-08 09:57:23 | Weblog
● 12月7日

【心豊かな人生】

●時を追わない(Don’t chase up with Time, or don’t haste to live.)

65歳になると、国民年金が、手に入るようになる。
「あと4年かア?」と思ったところで、思考停止。
何も急いで65歳になることはない。
今は今。
そのときは、そのとき。
年金をアテにしてはいけない。
アテにして、急いではいけない。
大切なことは、そのときも、そして70歳になっても、75歳になっても、
健康で、元気に働けること。
それで年金がもらえないというのであれば、それこそ御(おん)の字。
年金を手にするために、仕事をやめるのは、バカげている。
生きがいにブレーキをかけるのは、バカげている。

だからあわてて65歳になる必要はない。
今の(この時)を、懸命に生きる。

♪もういくつ歳取ると、
 年金もらえるの?
 年金もらったら、孫の世話。
 庭をいじって、遊びましょう。
 早く来い、来い、65歳!
(「お正月」のメロディーで。)

そんな人生など、まっぴら、ごめん。


●ゴルゴ13(Our Prime Minister of Japan prefers to read Comics.)

このところコンビニへ行くたびに、コミック『ゴルゴ13』が気になる。
我が国、総理大臣閣下のご愛読書である。
今、驚いたことにどこへ行っても、10~20冊はそれが並んでいる。
AS首相のおかげで(?)、人気が急上昇している。……らしい。

で、私も若いころは、少しは読んだ。
殺しと女、それに国際政治(?)、プラス、陰謀。
この4つが複雑にからみあいながら、物語は展開する。

おもしろいコミックとは思うが、そこまで。
愛読書にするような本ではない。
テーマがテーマであるだけに、つまり殺人がテーマであるだけに、
いくら読んでも、得るものは何もない(失礼!)。

元総理大臣のNS氏は、そういうAS首相をさして、「AS君はバカだな」と
言ったと伝えられている(中日新聞)。
まったく同感である。

そのせいか、AS首相の国会答弁は、言葉(=日本語という言語)に
なっていない。
なさけないほど、だらしない。
美しい日本語は、どこへ消えたのか?

それについては、何度も書いてきたので、ここではここまで。


●兄弟の確執問題(Troubles between Brothers & Sisters)

++++++++++++++++++++++

このところ、兄弟の確執問題について書くことが
多くなった。
そのせいか、BLOGへの書き込みも多くなった。
相談も、いくつか届いている。
しかし私は、この問題については、詳しくない。
それにそれぞれの家庭には、複雑な事情がある。
そこ至るまでに、これまた複雑な経緯(いきさつ)がある。
表面的な部分だけを見て、あるいは一方的な意見だけを
聞いて、あれこれ判断するのは、慎みたい。

+++++++++++++++++++++

先日、「ぼくは兄弟の縁を切った」という人に出会った。
名前をX氏としておく。
理由をたずねると、「兄貴が、ぼくの妻に手を出したから」と。

しかしこんな話は、身内の人にもできるものではない。
知っているのは、その人だけということになる。
が、その周囲の人たちは、それを知らない。
知らないから、勝手なことを言う。
そういう例も、ある。

前にも書いたが、『兄弟は、他人の始まり』。
兄弟姉妹であるがゆえに、他人以上の他人になることも珍しくない。
たがいに憎しみあっている兄弟姉妹さえ、いる。
X氏にしても、「兄貴を殺してやりたい」と言っている。
が、事情を知らない親類縁者たちは、表面的な部分だけを見て、
「離婚するのは、一家の恥」とか、「兄弟の仲が悪いのはおかしい」とか言って、
X氏を責める。
「何があっても、兄を立てて、家を守るのは、お前の義務」と言ってきた、
叔父もいるとか。

いろいろある。
とにかく、いろいろある。
そこへ両親の介護問題、さらには遺産問題がからんでくると、さらにこじれる。
葬儀場で、兄弟どうしで怒鳴りあいの喧嘩をした人もいる。
兄のほうが、神妙な顔をして参列者に礼の言葉を述べたとき、弟のほうが、
こう言って叫んだという。
「そんなウソは、やめろ!」と。
それでその場で大喧嘩になってしまった。

そこで私やあなたの問題。

仮に今、私やあなたが、兄弟姉妹との仲が悪いといっても、気にすることはない。
悪いのが当たり前という前提で考える。
そのことは、子どもの世界をのぞいてみるとわかる。

たとえば1人の男の子がいる。
生まれたときは、皆が、「蝶よ、花よ」と手をかける。
愛情をかける。
が、つぎの子が生まれると、今度は、そちらに手をかける。
愛情をかける。
こうして上の子どもは、慢性的な飢餓状態に置かれる。
親は、「平等」という言葉を使う。
「兄も弟も平等にかわいがっています」と。
しかし兄にしてみれば、その平等という言葉が許せない。
今まで100あった愛情が、半分の50に減らされたことが不満なのだ。

そこで兄のほうは、仮面をかぶるようになる。
心理学の世界でも、これを「反動形成」という。
弟思いの、よい兄を演ずることによって、親の愛情を自分に寄せようとする。
あるいは反対に、赤ちゃん返りを起こして、情緒そのものが不安定になる
こともある。

こうして兄は、(姉もそうだが……)、生活態度が防衛的になる。
わかりやすく言えば、ケチになる※。
「自分のものは、自分のもの」「弟のものも、自分のもの」と考えるようになる。
ふつうのケチではない。
「1円すらも、損をしたくない」というケチになる。
さらにそれが進むと、生活態度そのものまで防衛的になる。
他人が自分の家の前に車を止めただけで、警察に通報し、パトカーを
呼んでいた人もいた。

が、表面的には仲がよくても、それはあくまでも(表面)。
こうしてたがいに、(他人)になっていく。
長い時間をかけて、(他人)になっていく。

冒頭に書いたX氏にしても、兄のほうは、「弟の妻は、オレのもの」と
考えていたかもしれない。
(もちろんその反対のケース、つまり弟のほうが、兄の妻と関係をもつ
ようなケースもあるが……。)
ふつうなら、そういうふうには考えない。
つまりふつうなら、「弟の妻は、オレのもの」とは考えない。
しかしその(ふつう)が通じなくなるところが、兄弟姉妹の確執の
こわいところでもある。
「他人以上の他人になる」というのは、そういう意味である。

繰り返しになるが、兄弟姉妹だからといって、仲よくしなければならないとか、
そういうふうには考えないほうがよい。
万事、自然体。
あとは居直って生きていく。

(注※)……長男、長女がケチになりやすいことについて、フロイトは、
「肛門期」における発達段階に問題があると説く。
「糞をためる快感」が、「お金を貯める快感」につながっているという。
つまりケチな人は、それだけ精神的に未完成とみてよい。


●午前6時起き(I woke up at 6 o’clock this morning)

今朝は、なんと午前6時に起きた。
窓の外を見ると、うっすらと水色の空が見えた。
今日も快晴。

ストーブにスイッチを入れるとき、気温計を見ると、寝室で6度。
居間で4度。
寒いはず。
分厚い半纏(はんてん)をあおると、コタツに電源を入れた。
今朝(12月7日、日曜日)はここで原稿を書く。

で、こういうときミニパソコンが、大活躍。
何しろ場所を選ばない。
トイレの中でも、(実際、まだトイレの中では使ったことはないが)、
文章を書くこともできる。
あっちへもっていっては、パチパチ。
こっちへもってきては、パチパチ。
そんなことができる。

が、おかしな現象も起きつつある。
ミニパソコンのキーボードは、小さい。
キー幅が、17ミリ前後しかない。
そのミニパソコンをずっと使っていると、ふつうのキーボード(19~
20ミリ幅)が、
とても広く感じられる。
とくにノートパソコンのが、広く感じられる。
広すぎて、かえって文字が打ちにくい。
数日前だが、そんなふうに感じたこともある。

脳みそのほうに、別の回路ができてしまったためらしい。


●思考回路(Thinking Process)

+++++++++++++++++

同じ動作を繰り返していると、脳みその中に、
ある一定の思考回路ができる。
「思考プロセス」ともいう。

たとえば茶碗を手に取って、茶を飲むときも、
どんなふうに茶碗を手で取るか、それを
いちいち考えてする人はいない。
思考回路ができあがっているからである。

この思考回路には、2種類ある。

(1) 運動用の思考回路
(2) 思想用の思考回路、である。

++++++++++++++++++

茶碗をどう手に取るかを決めるのは、(1)の
運動用思考回路ということになる。
が、もうひとつ、(2)思想用の思考回路もある。

たとえば小ずるい人は、何をしても小ずるい。
誠実な人は、何をしても誠実。
あるいは私は何か問題が起きると、必ずそれを一度、文章にしてみる。
「文章にする」という思想回路ができあがっているためである。

一方、暴力団の男たちは、(多分?)、何か問題が起きると、
暴力によって、それを解決しようとする。
「暴力によって、問題を解決する」という思考回路ができあがっているためである。


●小ずるい人(Sneaky People)

私の近くにも、小ずるい人がいる。
一事が万事というか、万事が一事というか、何をしても、小ずるい。
こまかいウソを日常的に並べながら、怖しいことに、ウソをついている
という自覚さえない。

「私はあの人に、こう言ってウソを言ってやった」などと、それを自慢げに
話したりする。

そういう人はそういう人。
とくにその人が50歳を過ぎているなら、相手にしないほうがよい。
脳みそそのものが硬直しているため、私やあなたが説教したくらいでは、
どうにもならない。
さらにこの先、そういう人が、自分の愚かさに気がついて、自分で改める
などということは、まずありえない。
ますます脳みそは硬直していく。
つまりますます小ずるくなっていく。

が、ここで注意しなければならないことが、2つある。

(1) 小ずるい人とは、つきあわない。
(2) 小ずるい人には、小ずるい人たちが集まる。

小ずるい人とつきあっていると、こちらの心まで見苦しくなる。
見苦しくなるだけならまだしも、自分まで同じようなことをするようになる。
とくに「やられたから、やり返す」などということは、してはいけない。
とたん、その相手の魔力に引き込まれてしまう。

つぎに小ずるい人を観察してみるとよい。
たいていその周囲には、小ずるい人たちが集まっている。
『類は友を呼ぶ』の諺(ことわざ)どおり、そのほうが居心地がよいからである。

要するに、そういう人たちとは、遠ざかること。
が、問題は、親子。

私はそういう小ずるい親をもった子どもは、かわいそうと思う。
仮に親とうまくいっても、かわいそう。
親に反発しても、これまたかわいそう。
生き様を示すべき親が、小ずるいとき、子は、自分の生き様をどこに、
どう求めたらよいのか。

こんな例がある。

その母親(当時60歳くらい)は、若いころから、小ずるい人だった。
そのときは、さらに小ずるい人になっていた。

その母親には、1人の娘と1人の息子がいた。
娘とは、たいへん仲がよい。
買い物に行くにも、旅行に行くにも、いつもいっしょに行く。
一方、息子とは、仲が悪い。
息子が結婚をするころから、断絶状態。

そこでその親子をよく観察してみると、娘のほうは、母親以上に
小ずるい女性であることがわかる。
一方、息子のほうは、母親とは正反対なほど、誠実な男性である
ことがわかる。

母親と娘は、たがいに居心地がよい世界に生きていた。
が、息子のほうは、それに反発した。
もちろん2人の姉(娘)と弟(息子)は、たいへん仲が悪い。
そのときですら、10年以上、たがいの連絡はなかったという。

で、その母親は、やがてだれにも相手にされなくなっていった。
見栄とメンツ、それに世間体にこだわった。
かわいそうなくらい、こだわった。
とくに自分と息子の関係を、人によく見せようとこだわった。

……というような例は、多い。
あなたの周辺にも、似たような人が、かならず1人や2人はいるはず。

だから……親である私やあなたは、常に誠実でなければならない。
それは私たち自身が、心豊かで、すがすがしい人生を送るためのみならず、
子どもたちに、その生き様を示すためでもある。

ルールは簡単。

(1) ウソはつかない。(つきたいときは黙っていればよい。)
(2) 約束は守る。(できないことは約束しない。)

この2つだけを、守る。
人が見ていても、また見ていなくても、守る。
そのあとのことは、(時間)が判断してくれる。


●世間体という人生観(Those who care about other people)

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世間体を気にする人というのは、
それだけ自分の人生観がないことを
意味する。

つまり世間体に生きる人の脳みその
中は、カラッポ。
だから世間体を気にする。

+++++++++++++++++

21世紀を10年も過ぎたというのに、いまだに世間体を気にしながら
生きている人は、少なくない。
それに見栄、メンツがからむ。
一度そうなると、あとは、底なしのアリ地獄。
ズルズルと、世間体のワナに身を落としてしまう。
いつも他人の目の中で、生きるようになる。

が、一見哲学があるようで、どこにもない。
脳みその中は、カラッポ。
一本、筋が通った生き様、そのものがない。
ないから、そのつど右往左往を繰り返す。
何かあるたびに、あたふたする。
こんな話をワイフから聞いた。

その母親と息子氏は、とっくの昔に断絶状態にあった。
息子氏は当時、すでに30歳を超えていたと思う。
が、冠婚葬祭のときになると、決まって母親から息子氏のところに
電話がかかってきたという。
「いっしょに、行ってくれ」と。
つまり親類縁者の手前、飾りとして、その息子氏を利用していた(?)。

その話をワイフがしながら、ワイフはこう言った。
「そこまで世間体を気にするなんて、おかしいわよ。断絶しているなら
断絶しているで、かまわないと思うは……」と。

さらにこんな悲劇的な話を聞いたこともある。

その家の1人息子が、離婚してしまった。
そのことを気にして、その息子氏の母親は、そのまま精神を病んでしまったという。
その母親もまた、世間体をかまう人だった。
「近所の人に恥ずかしい」という思いが、(これはその母親の勝手な思い込みに
よるものだが……)、そういう結果を呼び込んでしまった。
今どき、離婚など、珍しくもなんともない。
日本人の20~25%が離婚を経験している。

「私の息子なんか、もう10年間、音信がないのよ」
「私の息子も、今度、離婚しましてね」と。
どうしてそういう話が、ハハハと、明るく笑いながらできないのか?

つまるところ、その人の哲学の問題ということになる。
言い換えると、いかにしてその哲学を自分の中でつくりあげていくか。
それが親としての最大の問題ということになる。
「私は私」「あなたはあなた」という哲学。
簡単そうで、それがむずかしい。


●ミカンジュースとお茶(Orange Juice with Japanese Green Tea)

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たった今、ワイフがいつものように
お茶を届けてくれた。
が、一口飲んで、ゲーッ!
「何、これ?」と言うと、ワイフは
こう言った。

「オレンジジュースにお茶を混ぜたの」と。

私はいつも、オレンジジュースをお湯で
3倍くらいに薄めて、飲んでいる。
しかしお茶で薄めたことはない。

私「これこそ、まさに静岡県の飲み物!」
ワ「そうね、その通り!」と。

静岡県民のみなさん、
オレンジジュースをお茶で割って飲もう!
まずくて、とても飲めるようなものでは
ないが、それを飲まない人は、静岡県民
ではない!

ハハハ、それにしても、まずい!
ジュースの甘みと、お茶の苦味が、
口の中で戦争しているよう。

++++++++++++++++++

●嫁・姑戦争(Wars between Step-Mothers and Wives)

+++++++++++++++++++

ワイフがこう言った。
「兄弟姉妹の仲が悪いのは、まだいいほうよ。
離れて暮らしているから……。
嫁・姑戦争となると、もっと悲惨よ。
離婚も別居もできないとなると、嫁のほうは、
死ぬしかないのよ。
実際、それで自殺してしまった嫁だって
いるのよ」と。

自殺……?

私の知人の中にも、そういう人がいる。
近所では事故を装っているが、だれも事故などと
は思っていない。

もっとも嫁・姑戦争が原因というのではない。
直接的な原因は、(心の病気)ということになる。
その(心の病気)になる過程は、それぞれみな、
ちがう。
夫との確執があったかもしれない。
子育てで悩んでいたかもしれない。
金銭的な問題がからんでいたのかもしれない。
それは私たちが知るところではない。
ないが、夫との関係がよければ、妻は自殺など
考えない。

嫁・姑戦争にしても、よほどのマザコンで
ないかぎり、夫は妻のほうを選ぶ。
離婚を避け、母親(姑)と別居する。

+++++++++++++++++++

私たち夫婦は、よく喧嘩する。……した。
(最近は、ぐんと減ったが……。)
そのたびに、「離婚してやる!」「離婚しましょう!」となる。
しかし夜、寝る前までには、仲なおりする。
ともにひとりでは、寝られない。
そういう習慣が身についてしまった。

そういう経験から、「離婚」という言葉を口にする夫婦は、離婚などしない。
男も女も、本気で離婚を考えるときは、だまって考える。
それまでに心の整理をして、準備する。
じっとがまんにがまんを重ねて、ある日、突然、爆発させる。
「定年離婚」を例にあげるまでもない。

が、こんな例もある。

姑が死んだとき、その嫁は、天にも昇るような気分で、それを喜んだ。
しかし葬儀の場では、始終、悲しそうな顔をして見せた。
必死の演技だったと思う。
棺おけに蓋(ふた)をするときなどは、オーオーと大声で泣いて見せた。

ワイフが言うように、毎日が接近戦であるだけに、どちらかが倒れるまで、
戦争はつづく。
さらにこんな例もある。

老人虐待、である。

姑が腰の骨を折り、寝たきりになってから、嫁の逆襲が始まった。
食事を与えない、世話をしない、おむつを替えないなど。
加えて無視、冷淡。
今で言う「老人虐待」である。

その嫁が何よりも恐れたことは、自分の虐待が、姑の息子(=小舅)や、
娘(=小姑)にバレること。
そのため姑の息子や娘が見舞いに来たりすると、片時も離れず、姑の介抱を
してみせたりしていた。
そのときだけ、姑の背中をさすってみせるなど。

姑は嫁の悪口など、まちがっても言えなかっただろう。
言えば、その仕返しに何をされるか、わかったものではない。

……ということで、兄弟姉妹関係はもちろんのこと、その妻や夫とも、
よい関係をつくっておかねばならない。

フ~~~ッと、ため息をついたところで、この話はおしまい。
人間関係って、むずかしい!
ほんとうに、むずかしい!


●墓穴を掘る(His or her own Destiny, made by him or herself)

小ずるい人の話を、先に書いた。
で、そういった小ずるい人は、やがて自分で墓穴を掘っていく。
最後には、みじめで孤独な人生が、そこに待っている。

というのも、その人の人生は、日々の積み重ねで決まる。
それが週となり、月となり、やがて人格となっていく。
小悪だからといって、それをけっして、あなどってはいけない。
小悪が積もりに積もって、その人は悪人になっていく。

そしてその結果は、その人自身がつくりあげていく。
俗にいう『自ら墓穴を掘る』ということになる。
だから昔の人は、こう言った。
「ちゃんと、お天道(てんとう)様が、見ていらっしゃる」と。

だから何も、私やあなたが相手にする必要はない。
大切なことは、そういう人たちとは、つきあわないこと。
つきあっても、得るものは何もない。
ないばかりか、かえってその人の邪気に染まってしまう。
とくに50歳を過ぎたら、人を選ぶ。
選んでつきあう。

これは、心豊かな老後を送るためにも、とても大切なことだと思う。

これから庭に除草剤をまかねばならない。
風はないし、絶好の焚き火日和(びより)。

おはようございます。
ただ今、時刻は、午前8時半。


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