最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●2012年01月01日、朝記

2012-01-01 12:50:00 | Weblog
【運命と自由について】(はやし浩司 2012-01-01)

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硬い話をする前に……。

昨夜寝る前に、宝くじの当選番号を調べた。
毎年、10枚だけ、買うようにしている。
その番号、何と、2等と、たったの30番ちがい!
2等は、1億円。

(2等は、37組101799番。
私がもっていたのは、101760~101769番!)

ハズレはハズレ。
が、宝くじというのは、当たって喜ぶ人より、
わずかにハズれ、悔しがる人のほうが、はるかに多い。
だったら、買わないほうがよい。

ワイフは、「だいぶ、近づいたわね」と喜んでいる。
「次回は、当たるわよ」と。
私は「二度と接近遭遇はないだろう」と。

こうして新春の夢は、フワ~ッと消えた。

では、硬い話……。

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●運命論

 2004年12月24日に、運命論について書いた。
今からちょうど7年前になる。
それをそのまま掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●運命論

 ある文学者は、こう言った。
『幸福な家庭は、みな、よく似ている。
しかし不幸な家庭は、みな、ちがう。
一つとて、同じものはない』※と。
どこかの文学者だったが、名前は忘れた。

(※トルストイの「アンナ・カレーニナ」冒頭の言葉。)

 その不幸な家庭。
こんな話がある。

両親は、その女性が3歳のときに、離婚。
原因は、父親の酒乱と借金。
が、そのあとまもなく、父親は、自殺。
その女性が23歳になったとき、実の兄(当時、30歳)も自宅に放火、そして自殺。
言い忘れたが、その女性が叔母のところに引き取られたのが、彼女が、6歳のとき。
しかし叔母の夫(叔父)に、性的虐待を受け、それが理由で、今度は、別の叔母の家に預けられた。
彼女が10歳のときのことだった。

 現在は、浜松市の東にあるT町という町に住んでいる。
この話は、控えめに書いたが、事実である。
今は、無数の心のキズと戦いながらも、その女性は、2人の子どもをもち、幸福な家庭を築いている。

 私は「運命」を否定しない。
その人とは関係のないところで、無数の糸がからんで、その人の人生を決めてしまう。
そういうことは、よくある。
それを「運命」というなら、運命は、ある。

 しかも不幸がつづくときには、不幸は、その人に、つぎつぎと襲いかかってくる。
容赦なく、襲いかかってくる。
いくらそれを払いのけようとしてしても、その人の力には、限界がある。
不安と心配。
悲しみと苦しみ。
それらがこん然一体となって、その人に襲いかかってくる。

 しかしいくら運命があったとしても、最後の最後で、ふんばるのは、その人。
そのふんばるところに、人が生きる美しさがある。
生きる意味がある。

 今、絶望の渕に立たされて、その運命と戦っている人は、ゴマン(5万)といる。
5万どころか、50万、500万といる。
世界という規模でみれば、反対に「私は幸福だ」と自信をもって言える人のほうが、はるかに少ない。

 だから大切なことは、決して、「私だけ」と、思わないこと。
「私だけが不幸だ」と、思わないこと。
みなが、みな、そうだ。
そしてつぎに大切なことは、不幸は不幸として、それを笑い飛ばしながら、生きていくということ。
運命に負けてはいけない。逃げてもいけない。

 悪いことばかりではない。

 運命に向かってふんばればふんばるほど、その人は、より真理に近づく。
不幸は、それ自体は、ありがたくないものだが、しかし、その人に、真理への道を教えてくれる。
何が大切で、何が大切でないか。
そしてなぜ、私たちはここにいて、なぜ生きているか。
それを教えてくれる。

 さあ、恐れることはない。

 あなたも勇気を出して、自分の運命と戦ってみよう。
前に向かって一歩、踏み出してみよう。
明るく、さわやかに! クヨクヨしないで、生きてみよう。
(2012年12月31日夜、一部、改変)

 冒頭にあげた女性だが、たびたび私に手紙をくれた。その手紙の中に、こんなことが書いてあった。

 「私の家庭づくりは、ぎこちないものです。しかし私は、幸福というものがどういうものか、よく知っています。私はその幸福を、毎日、かみしめながら生きています」と。
(以上、2004年記)

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●7年前

 7年前に、今と同じことを考えていたというのは、興味深い(?)。
あるいは私は、この7年間、何も進歩しなかったということか(?)。
基本的な部分では、7年たった現在も、同じ。
同じ運命論をもっている。
ただ誤解しないでほしいのは、運命論といっても、今、流行(はや)りのスピリチュアル風のものではない。
また運命といっても、自分の過去を振り返ってみたとき、そこに残っている足跡をいう。
未来に向かって、あるのではない。
もちろんもろもろの「糸」をていねいに総合すれば、ある程度の未来は予測できる。
しかしあくまでも「予測できる」という範囲のもの。

 仮にある程度、未来が決まっていたとしても、最後の最後ではふんばる。
そのふんばるところに、生きる意味がある。
生きる美しさも、そこから生まれる。 

●死後の世界

 死後の世界については、よく考える。
原稿もたくさん書いてきた。
で、原稿をさがしてみると、ちょうど去年の今ごろ、それについて書いていたことがわかった。
日付は、2010年11月16日になっている。
書いた場所は、昼神温泉にある、ホテル阿智川。
そのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●あの世

 何度も書くが、あの世などというものは、存在しない。
釈迦だって、そんなことは、一言も言っていない(法句経)。
それを言い出したのは、つまり当時それを主張していたのは、バラモン教の連中。
仏教はやがてヒンズー教の中に組み入れられていく。
輪廻転生思想は、まさにヒンズー教のそれ。

 その上さらに、中国、日本へと伝わるうちに、偽経典が積み重ねられた。
盆供養にしても、もとはと言えば、アフガニスタンの「ウラバン」という
祭りに由来する。
それが中国に入り、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」となった。

 日本でもつぎつぎと偽経典が作られた。
私たちが現在、「法事」と呼んでいる行事は、そのほとんどが偽経をもとに作られた。
もちろん寺の経営的な収入をふやすために、である。
『如是我聞(これが私が(釈迦から)聞いたことである)』で始まる経典は、まず疑ってかかったほうがよい。

●宝くじと同じ

 話はそれたが、あの世はない。
あるとも、ないとも断言できないが、少なくとも私は「ない」という前提で生きている。
死んでみて、あればもうけもの。
宝くじと同じ。
当たるかもしれない。
しかし当たらない確率のほうが、はるかに高い。
その宝くじが当たるのを前提に、土地を買ったり、家を建てたりする人はいない。

 同じようにあるかないかわからないものをアテにして、今を生きる人はいない。
それにもしあの世があるなら、この世で生きている意味を失う。
だから私はよく生徒たちに冗談ぽく、こう言う。

 「あの世があるなら、早く行きたいよ。
あの世では働かなくてもいいし、それに食事もしなくていい。
空を自由に舞うことだってできる」と。

●「もうこりごり」

 そんなわけで、人生は1回ぽっきりの、1回勝負。
2度目はない。
この先、どうなるかわからない。
しかし1回で、じゅうぶん。
1回で、たくさん。
「こりごり」とまでは言わないが、それに近い。
「同じ人生を2度生きろ」と言われても、私にはできない。

 たとえば定年退職をした人に、こう聞いてみるとよい。
「あなたはもう一度、会社に入って、出世してみたいと思いますか」と。
ほとんどの人は、「NO!」と答えるはず。
あるいは、「会社人間はもうこりごり」と言うかもしれない。

●別れ

 たださみしいのは、今のワイフと別れること。
息子たちと別れること。
友人たちと別れること。
ひとりぼっちになること。
 
 そのうち足腰も弱り、満足に歩けなくなるかもしれない。
そうなったら、私はどう生きていけばよいのか。
それを支えるだけの気力は、たぶん、私にはない。
だったら今、生きて生きて、生き抜く。
今の私には、それしかない。

 さあ、もうすぐこのパソコンの寿命は切れる。
何度もコントロールキーと「S」キーを押す。
文章を保存する。
いよいよ晩年になったら、私は同じようなことをするだろう。
ていねいに保存を繰り返しながら、やがて「死」を迎える。

 繰り返しになるが、あの世はない。
……と、今は思うが、少なくとも私は「ない」という前提で生きている。
死んでみてからのお楽しみ。
あればもうけもの。
(以上、2010年11月16日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●あの世論

 先の原稿の中で、私は「あの世はない」と、断定的に書いた。
が、最近の私は、ときどきこう考える。
仮にあの世があるとするなら、今住んでいるこの世こそが、あの世ではないか、と。

 つまりどこか別の世界に、本元となる世界がある。
その世界から、私たちは、現在のこの世界に、ときどきやってくる。
ときどきやってきて、極楽や、(天国でもよいが)、地獄を経験する。

 それは別として、ともかくも今は、「ない」という前提で生きる。
もう一度、核心部分を、ここに掲載する。

『……死んでみてからのお楽しみ。
あればもうけもの。
宝くじと同じ。
当たるかもしれない。
しかし当たらない確率のほうが、はるかに高い。
その宝くじが当たるのを前提に、土地を買ったり、家を建てたりする人はいない。

 同じようにあるかないかわからないものをアテにして、今を生きる人はいない。
それにもしあの世があるなら、この世で生きている意味を失う……』

 この考え方は、現在の今も、まったく揺らいでいない。

★Time takes it all, whether you want it to or not. Time takes it all, time bears it away, and in the end there is only darkness. Sometimes we find others in that darkness, and
sometimes we lose them there again. ―Stephen King, "The Green Mile"

時は、すべてを奪う。あなたがそれを望むと、望まないとにかかわらず。時は、すべてを奪い、運び去る。そして最後には、暗闇のみ。ときに私たちはその暗闇の中に、人を見る。そしてときに私たちは、その人すら再び見失う。(S・キング・「グリーンマイル」)

●死の恐怖

 なぜ私たちは、死を恐れるか?
それについては、どこかの国の独裁者を思い浮かべれば、わかる。
ある賢人はこう言った。

『すべてをもつものは、すべてを失うのを恐れる』と。

 仏教でも、一貫して、死の恐怖が大きなテーマになっている。
もう少し掘り下げて言えば、死の恐怖は、どのようにすれば克服できるか。
死の恐怖と対比させながら、生きる意味を教える。
それが仏教ということになる。

 そこで仏教では、やがて「空」の概念にたどり着く。
それについては、私があえてここで説明するまでもない。
が、たいへん興味深いことは、あのサルトルもまた、同じ結論に達している点である。

仏教という観念論。
実存主義という唯物論。
この両者が、同じ結論に達している。
サルトルは、最終的に、「無の概念」という言葉を引き出している。

 それについて書いた原稿がある。
書いた日付は、2009年11月24日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「無の概念」(サルトル)について

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【自由であること】

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自由であることは、よいことばかりで
はない。

自由であるということは、まさに自ら
に由(よ)って、生きること。

その(生きること)にすべての責任を
負わねばならない。

それは、「刑」というに、ふさわしい。
あのサルトルも、「自由刑」という言葉
を使って、それを説明した。

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 私は私らしく生きる。……結構。
 あるがままの私を、あるがままにさらけ出して、あるがままに生きる。……結構。

 しかしその自由には、いつも代償がともなう。
「苦しみ」という代償である。
自由とは、『自らに由(よ)る』という意味。
わかりやすく言えば、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとるという意味。

 毎日が、難解な数学の問題を解きながら、生きるようなもの。

 話はそれるが、そういう意味では、K国の人たちは、気が楽だろうなと思う。
明けても暮れても、「将軍様」「将軍様」と、それだけを考えていればよい。
「自由がないから、さぞかし、つらいだろうな」と心配するのは、日本人だけ。
自由の国に住んでいる、私たち日本人だけ。
(日本人も、本当に自由かと問われれば、そうでないような気もするが……。)

 そういう「苦しみ」を、サルトル(ジャン・ポール・サルトル、ノーベル文学賞受賞者・1905~1980)は、「自由刑」という言葉を使って、説明した。

 そう、それはまさに「刑」というにふさわしい。
人間が人間になったとき、その瞬間から、人間は、その「苦しみ」を背負ったことになる。

 そこで、サルトルは、「自由からの逃走」という言葉まで、考えた。
わかりやすく言えば、自ら自由を放棄して、自由でない世界に身を寄せることをいう。よい例として、何かの狂信的なカルト教団に身を寄せることがある。

 ある日、突然、それまで平凡な暮らしをしていた家庭の主婦が、カルト教団に入信するという例は、少なくない。
そしてその教団の指示に従って、修行をしたり、布教活動に出歩くようになる。

 傍(はた)から見ると、「たいへんな世界だな」と思うが、結構、本人たちは、それでハッピー。
ウソだと思うなら、布教活動をしながら通りをあるく人たちを見ればよい。
みな、それぞれ、結構楽しそうである。

 が、何といっても、「自由」であることの最大の代償と言えば、「死への恐怖」である。
「私」をつきつめていくと、最後の最後のところでは、その「私」が、私でなくなってしまう。

 つまり、「私」は、「死」によって、すべてを奪われてしまう。
いくら「私は私だ」と叫んだところで、死を前にしては、なすすべも、ない。わかりやすく言えば、その時点で、私たちは、死刑を宣告され、死刑を執行される。

 そこで「自由」を考えたら、同時に、「いかにすれば、その死の恐怖から、自らを解放させることができるか」を考えなければならない。
しかしそれこそ、超難解な数学の問題を解くようなもの。

 こうしたたとえは正しくないかもしれないが、それは幼稚園児が、三角関数の微積分の問題を解くようなものではないか。
少なくとも、今の私には、それくらい、むずかしい問題のように思える。

 決して不可能ではないのだろうが、つまりいつか、人間はこの問題に決着をつけるときがくるだろが、それには、まだ、気が遠くなるほどの時間がかかるのではないか。
個人の立場でいうなら、200年や300年、寿命が延びたところで、どうしようもない。

 そこで多くの人たちは、宗教に身を寄せることで、つまりわかりやすく言えば、手っ取り早く(失礼!)、この問題を解決しようとする。
自由であることによる苦しみを考えたら、布教活動のために、朝から夜まで歩きつづけることなど、なんでもない。

 が、だからといって、決して、あきらめてはいけない。
サルトルは、最後には、「無の概念」をもって、この問題を解決しようとした。
しかし「無の概念」とは何か? 私はこの問題を、学生時代から、ずっと考えつづけてきたように思う。
そしてそれが、私の「自由論」の、最大のネックになっていた。

 が、あるとき、そのヒントを手に入れた。

 それについて書いたのが、つぎの原稿(中日新聞投稿済み)です。字数を限られていたため、どこかぶっきらぼうな感じがする原稿ですが、読んでいただければ、うれしいです。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●真の自由を子どもに教えられるとき(2000年ごろ、中日新聞で発表)

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。

「私は自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。
が、もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか……? その方法はあるのか……? 

一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。
自分の子育ての中で、私はこんな経験をした。

●無条件の愛

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。
息子とこんな会話をした。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる習わしになっている。結婚式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺さなければならなかった。
苦しかった。つらかった。
しかし次の会話のときは、さすがに私も声が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」
私「……日本人をやめる、ということか……」
息子「そう……」
私「……いいだろ」と。
 
私は息子に妥協したのではない。
息子をあきらめたのでもない。
息子を信じ、愛するがゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。

英語には『無条件の愛』という言葉がある。
私が感じたのは、まさにその愛だった。
しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。

●二男に教えられたこと

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。
生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け入れるということ。

「私」があるから、死がこわい。
が、「私」がなければ、死をこわがる理由などない。
一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。

死がやってきたとき、「ああ、おいでになりましたか。
では一緒に参りましょう」と言うことができる。
そしてそれができれば、私は死を克服したことになる。
真の自由を手に入れたことになる。

その境地に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。
ないが、しかし一つの目標にはなる。
息子がそれを、私に教えてくれた。
(以上、2000年ごろ、中日新聞で発表)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 くだらないことだが、この日本には、どうでもよいことについて、ギャーギャーと騒ぐ自由はある。
またそういう自由をもって、「自由」と誤解している。
そういう人は多い。
しかしそれはここでいう「自由」ではない。

 自由とは、(私はこうあるべきだ)という(自己概念)と、(私はこうだ)という(現実自己)を一致させながら、冒頭に書いたように、『私らしく、あるがままの私を、あるがままにさらけ出して、あるがままに生きる』ことをいう。

 だれにも命令されず、だれにも命令を受けず、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとることをいう。
どこまでも研(と)ぎすまされた「私」だけを見つめながら生きることをいう。

 しかしそれがいかにむずかしいことであるかは、今さら、ここに書くまでもない。
(以上、2009年11月24日)

 さて、あの独裁者。
最近、亡くなった。
恐らく死の直前まで、安穏たる日々は、1日とてなかっただろう。
不安で不安でならなかったはず。
だから病身を奮い立たせ、各地を回った。
「軍事指導」というのは、あくまでも口実。
失うことを、何よりも恐れていた。
(2012年01月01日記)

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●2012年01月01日の朝に

 年越しは、ワイフと長男の、3人で過ごした。
2011年から2012年。
現在、時刻は午前9時。
先ほどまで、自分の書いた原稿を読んでいた。
起きたのは、午前8時ごろではなかったか。
寝室から出ると、まばゆいばかりの朝の陽光が、障子戸を通して居間に注いでいた。
「初日の出は、今年は拝めない」と聞いていたので、「?」と。

 昨年(2011年)は、相良海岸の民宿に一泊し、初日の出を拝んだ。

●運命と自由

 昨夜、こう書いた。

 『……書き忘れたが、あなたにはあなたを取り巻く、無数の糸がある。
家族の糸、地域の糸、生い立ちの糸、仕事の糸、才能や能力の糸……。
そういった糸が、ときとして、あなたの進むべき道を決めてしまう。
それを私は、「運命」という』と。

 振り返ってみると、私はいつもその運命に翻弄されてきた。
いくら声高(こわだか)に、「私は自由だ」と叫んでも、そこにはいつも運命があった。
どうしようもない運命。
その糸の中で、もがいた。
苦しんだ。

 だから……こう書くからといって、どうか誤解しないでほしい。
決して兄や母の死を喜んだわけではない。
しかし兄が他界し、母が他界し、つづいてちょうど母の1周忌に、実家を売却したとき、私は生まれてはじめて、「家」から解放された。
生まれてはじめて、心底、ほっとした。

「家」という「糸」がもつ呪縛感には、ものすごいものがあった。
40代のころは、郷里へ入るときにはいつも、経文の一節を唱えなければならなかった。
『怨憎会苦(おんぞうえく)』という言葉を知ったのも、そのころだった。

 怨憎会苦について書いた原稿があるはず。
さがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2008年08月19日に、こんな原稿を
書いた。
知人の家庭騒動を聞き、書いた原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●魔性との闘い(怨憎会苦※)
(To meet with someone whom you feel hatred is a matter of pain.
In often cases it becomes a heavy burden to torture you.)

 仏教には、「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉がある。
生老病死の四苦に並んで、八苦のひとつになっている。
「いやな人と会う苦しみ」という意味である。

が、ここでいう「怨憎」とは、「魔性をもった人」とも解釈できる。
会うだけで、相手の魔性が、そのままこちらへ伝わってきてしまう。
自分の理性や知性が、こなごなに破壊されてしまう。
そんな危機感すら、覚える。

 で、こちらは会いたくないと思うのだが、相手のほうからからんでくる。
からんできては、自分勝手なことを、一方的に言う。

そこで「無視」という方法を選ぶが、それにはものすごいエネルギーを消耗する。
相手が身内であれば、なおさらである。
こんな話を聞いた。

 A氏の父親が、2年前に他界した。
数億円の財産(主に土地)を残した。
その財産をめぐって、A氏(長男)と、ほかの3人の姉妹が、争った。
毎月のように、ときに毎週のように、言い争う声が近所中に聞こえたという。

 A氏夫婦が父親のめんどうをみてきたのだが、それについて姉妹たちは、「じゅうぶんな介護をしなかった」「親を施設に入れようとした」などと、言いがかりをつけた。
A氏の父親は、死ぬ直前、かなり認知症が進んでいた。
そういうこともあって、そのつど娘たちに、「この家は、お前にやる」とか、「あの土地は、お前にやる」とか言った。
娘たちは、その言葉を理由に、「この家は、私のもの」とか、「あの土地は、私のもの」と騒いだ。

 A氏は、美術雑誌に評論を書くような知的な人物である。
一方、娘たちは、そのレベルの女性たちではなかった。
あとになってA氏は、こう言う。

 「途中から妹たちの夫まで騒動に加わってきて、『テメエ』『このヤロー』という話になってしまいました。
で、私が、この問題は、私たち兄弟のもので、あなたには遺産相続権はありません。つまり部外者ですと説明するのですが、そういう道理すら、通じませんでした」と。

 娘の夫の1人は、こう言ったという。
「(義父が)、オレの女房(=妹)に、『あの土地をお前(=妹)にやる』と言った話は、オレもちゃんと横で聞いた。オレが証人だ」と。

 A氏は、姉妹たちに会うたびに、神経をすり減らした。
・・・と書くと、「どこにでもあるような話」と思う人もいるかもしれない。
が、当事者であるA氏が受けた心的な苦痛は、言葉では説明しがたい。

 A氏の妻もこう言った。
「(妹の1人から)、嫁(=A氏の妻)が、父親のめんどうをちゃんとみていなかったと言われたときには、怒れるよりも先に、涙が出てきました」と。

 まさに怨憎会苦。
魔性をもった人と関わることの苦しみ。
その苦しみは、経験したものでないとわからない。
「家事が何も手につかなくなってしまいました」とも。

 「妹たちは、金の亡者になった餓鬼、そのものでした。
そばにいるだけで、自分がつくりあげた文化性が、こなごなに破壊されていくように感じました。
気がついてみると、自分もその餓鬼になっていました。
とくに次女夫婦がひどかったです。
ペラペラと一方的に自分の意見をまくしたて、こちらの言い分には、まったく耳を貸そうとさえしませんでした。
次女も、認知症が始まっていたのかもしれません」と。

 A氏の経験は、何も特別なものではない。
今の今も、親の遺産相続問題がこじれて、兄弟姉妹が争っているケースとなると、ゴマンとある。
かりに片づいたとしても、それをきっかけに、兄弟姉妹が絶縁してしまったケースとなると、もっと多い。
さらに最近では、離婚問題がこじれ、財産分与でもめる元夫婦もふえている。
みな、怨憎会苦の苦しみを、味わっている。

恐らく釈迦の時代にはなかったタイプの「怨憎会苦」と考えてよい。
経典の中には、金銭(マネー)にからんだ話が出ているところもあるが、釈迦の時代には、貨幣はなかった。
この日本でも、貨幣が一般世間に流通するようになったのは、江戸時代の中ごろと言われている。
(このあたりについては、私はかつてかなり詳しく、自分で調べた。)

 今では、マネーが、怨憎会苦の原因になることが多い。
つまり人間そのものが、マネーの奴隷になりながら、それにすら気がついていない。

 では、どうするか?

 釈迦は、「精進」という言葉を使った。
日々に精進あるのみ。

つまり常に心の準備を整えておくということ。
そういう場に落とされても、その場に翻弄されないように、自分を強くしておくしかない。
が、それはけっして、むずかしいことではない。

 音楽を聴いたり、映画を楽しんだり、文化、芸術に親しんだり・・・。
もちろん本を読んだり、文を書いたり・・・。
自分の世界を、できるだけ広くしておく。
その努力だけは、怠ってはいけない。

そういう素養が基礎としてしっかりしていれば、こうした騒動に巻きこまれても、
「餓鬼」になることはない。
自分を最後のところで、守ることができる。
(これは私の努力目標でもある。)

(注※、「怨憎会苦」について)

【補記】怨憎会苦について

●生・老・病・死

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私たちは、日々に、なぜ苦しむのか。
なぜ悩むのか。

それについて、東洋哲学と西洋哲学は、
同じような結論を出している。

たとえば……

生・老・病・死の4つを、原始仏教では、
四苦と位置づける。

四苦八苦の「四苦」である。

では、あとの4つは、何か?

+++++++++++++++++

 生・老・病・死の4つを、原始仏教では、四苦と位置づける。四苦八苦の「四苦」である。では、あとの4つは何か。

(1) 愛別離苦(あいべつりく)
(2) 怨憎会苦(おんぞうえく)
(3) 求不得苦(ぐふとっく)
(4) 五蘊盛苦(ごうんじょうく)の、4つと教える。


(1) 愛別離苦(あいべつりく)というのは、愛する人と別れたり、死別したりすることによる苦しみをいう。
(2) 怨憎会苦(おんぞうえく)というのは、憎しみをいだいた人と会うことによる苦しみをいう。
(3) 求不得苦(ぐふとっく)というのは、求めても求められないことによる苦しみをいう。
(4) 五蘊盛苦(ごうんじょうく)というのは、少しわかりにくい。簡単に言えば、人間の心身を構成する5つの要素(色=肉体、受=感受、想=表象の構成、行=意思、識=認識)の働きが盛んになりすぎることから生まれる、苦しみをいう。

 こうした苦しみから逃れるためには、では、私たちは、どうすればよいのか。話は少し前後するが、原始仏教では、「4つの諦(たい)」という言葉を使って、(苦しみのないよう)→(苦しみの原因)→(苦しみのない世界)→(苦しみのない世界へ入る方法)を、順に、説明する。

(1) 苦諦(くたい)
(2) 集諦(しゅうたい)
(3) 滅諦(めったい)
(4) 道諦(どうたい)の、4つである。

(1) 苦諦(くたい)というのは、ここに書いた、「四苦八苦」のこと。
(2) 集諦(しゅうたい)というのは、苦しみとなる原因のこと。つまりなぜ私たちが苦しむかといえば、かぎりない欲望と、かぎりない生への執着があるからということになる。無知、無学が、その原因となることもある。
(3) 滅諦(めったい)というのは、そうした欲望や執着を捨てた、理想の境地、つまり涅槃(ねはん)の世界へ入ることをいう。
(4) 道諦(どうたい)というのは、涅槃の世界へ入るための、具体的な方法ということになる。原始仏教では、涅槃の世界へ入るための修道法として、「八正道」を教える。
(以上、2007年07月03日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自由とは何か

 自由とは何か。
一言で表せば、「欲望からの解放」ということになる。

「私」には、無数の「しがらみ」が、まとわりついている。
「私の財産」「私の名誉」「私の家族」「私のお金」「私のモノ」「私の地位」と。
そういったものに縛られている間は、自由など、求むべくもない。

 つまりそうした(しがらみ)をひとつずつ、糸をほぐすようにして、自分から解きほどいていく。
わかりやすく言えば、自分を飾っている衣服を一枚ずつ、脱いでいく。
その結果として、つまり丸裸になったとき、人は、自らを解放させることができる。

 「私」がある間は、魂に、安穏たる日々はやってこない。
仏教では、それを『執着(しょうじゃく)』という言葉を使って、説明する。
その執着を、自ら解き放つ。
わかりやすい例で説明すれば、こうなる。
私の講演などでは、こんなふうに言って、説明する。

 「……こうして私の講演を聞きにきてくださっている方の中には、こんな人もいるでしょう。
家の中に、多額のタンス預金をしている人です。
そういう人は、こういう場にいても、家のことが心配でならないはずです。
『うちの子は、ちゃんと戸締りをして、友だちの家に行っているか』とです。
 
 しかし無一文の人は、そうでない。
家のことは、何も心配しなくていい。

 『私』を簡単に説明すれば、そういうことになります。
へたに『私』があるから、死ぬのが怖いのです。
私の財産、私の名誉、私の家族、私のお金、私のモノ、私の地位と。
が、自分から『私』を取ってしまえば、もうこわいものはない。

 そのときがきても、『ああ、おいでなさったか』と、平穏な気持ちで、それを迎えることができる。
つまり死を克服することができる。
サルトルという哲学者は、それこそが、『真の自由』と説いたわけです。
『無の概念』という言葉も、そこから生まれました……」と。

●真の自由

 大切なことは、そこに苦しみや悲しみがあるなら、(孤独でもよいが)、それから逃げないこと。
真正面から、立ち向かうこと。
それができる人のことを、『真の勇者』という。
(剣を振り回したり、暴力を振るう人は、ただの馬鹿という。)

 運命というのは、(あくまでも私の運命論によるものだが)、それから逃げようとすると、キバをむいて、襲いかかってくる。
が、真正面から立ち向かうと、運命のほうからシッポを巻いて、逃げていく。
臆病で卑怯。
それが運命。

 そして身が燃え尽きるまで、悩み、悲しむ。
とことん、身を燃やし尽くす。
あなたが「もう、だめだ」と思ったその瞬間、あなたは自らを解放することができる。
『真の自由』を手にすることができる。

●2012年1月1日

 さて、今日も1日、始まった。
 
 寒い朝だ。
衣服を着替えるとき、何度も身震いした。
これを(現実)という。
(現実)は(現実)。
私たちはその現実世界の中で生きている。
その現実世界を無視することはできない。

 ……庭にたまった落ち葉を、掃除しなければならない。
帰り道、どこかで朝食をとらねばならない。
家に帰れば、年賀状が待っている。
生徒たちからのものについては、みな、今日中に返事を書く。

 そうそう、楽しみもある。

 1月X日、西浦温泉のA旅館に1泊することになっている。
その旅館の最上階のペントハウスに予約できた。
1日1組だけの、露天風呂付きペントハウスである。
ずいぶんとぜいたくな話に聞こえるかもしれない。

が、これはワイフへの感謝の念をこめた、私からのプレゼント。
この10年近く、モノは買っていない。
ワイフも、いらないと言う。
だからこういう形で、ワイフに感謝している。

 ……つまり私たちはこうした(現実世界)の中で生きている。
またその中でこそ、無数のドラマが生まれる。
無数の人たちが織りなす、無数のドラマ。
そのドラマの中にこそ、生きる意味があり、価値があり、美しさがある。
(現実世界)の中で、たくましく、力強く生きていく。

 その現実感だけは、どんな人生観をもっても、けっして見失ってはいけない。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 2012-01-01 現実世界 運命論 現実社会 運命と自由 解放と運命 はやし浩司 真の勇者 真の自由 魂の解放)

(以上、2012年01月01日、整理、記)

Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司




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