最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●従順な子ども

2009-01-30 06:04:37 | Weblog
● 従順な子ども(Obedient Children)
(Has the Japanese education changed a lot since the end og the WW2? The answer should be “No”. Still now most of the teachers want more obedient children, so-called “obedient children without mouths”. The biggest problem we have is that there is only one course provided for children in Japan.

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日本の学校、つまり日本の教育は、基本的に、
「もの言わぬ、従順な子ども」ほど、いい子と考える。
またそういう子どもにすることを、教育の(柱)に
している。

(少し過激かな?
しかしこれくらい過激に書かないと、みな、
目を覚まさない。)

明治以来、国策としてつづけられてきた、こうした
教育観は、ほとんど変わっていない。
代々、教師から生徒、さらにつぎの生徒へと、
受け継がれている。

こう書くと、「私はちがう」と反発する教師も
いるかもしれない。
しかし反発する前に、外国の学校と、比較して
みたらよい。
あるいはあなたが入学試験の試験官だったら、
どういう生徒を望むか、それをほんの少しだけ、
考えてみたらよい。
直接、日本人を、外国の子どもたちと比較してみるのも
よいかもしれない。
私がここに書いていることが、大筋ではまちがっていない
ことを、あなたは知るはずだ。

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●一定のワク

幼稚園教育には、「6領域」という言葉がある。
「健康」「社会」「自然」「言語」「音楽リズム」「絵画制作」の
6つを、「6領域と」いう。
「6つの分野にわたって子どもを指導する」というものだが、
要するに、何を教えてもよいということ。

が、この「6領域」という言葉は、日本人が考えたものではない。
アメリカの学校にも、同じ言葉がある。
しかも小学校で、それを使っている。

アメリカが日本の教育のまねをした形跡はないから、
日本がアメリカのまねをした。
あるいは戦後、GHQとともに、日本へもたらされた。
そう考えてよい。

要するに、アメリカの小学校では、何を教えてもよい
ということになっている。
「州政府の指導はきわめて緩やかなものです」と、
ある小学校の校長が、私に、話してくれた(アメリカ・A州S小学校)。
(念のため申し添えると、その校長の部屋の前には。
鯉のぼりが飾ってあった。
日本の学校を視察したこともあるという。
そういう立場、つまり日本の教育がどういうものであるかを
知った上で、そう言った。)

言うなれば、日本の教育には、メニューはひとつしかない。
一方、アメリカの小学校には、メニューがいくつもある。
入学年度すら、それぞれの小学校が、自由に決められる。

だから教師にしても、日本では、与えられたワクの中に、
子どもに押し込めようとする。
またそれからはずれる子どもは、嫌われる(?)。
嫌われるという言葉がきついなら、敬遠される。
アメリカには、最初から、そのワクそのものがない。
だったら、どうするか?

教育を自由化する。
自由化に始まって、自由化で終わる。
「それでは国がバラバラになってしまう」と考える人が
いるかもしれない。
もしそうなら、それこそ全体主義。
中国やK国の指導者がそう言うなら、まだわかる。
が、どうしてこの日本が、そんなことを心配するのか。

あるいは、以前、私にこう反論した教師がいた。
「日本は、まだそのレベルに達していない」と。
「自由化してよいほど、日本人の教育観は熟成していない」と。

しかし本当にそうだろうか?
あるいは、そう思い込んでいるだけではないのか?
もしそうなら、文部科学省が、率先して、教育の
自由化を推し進めたらよい。
それでこそ、「教育」である。

アメリカでは、学校の設立そのものが、自由化されている。
さらに進んで、カナダでは学校で使う言語すら、自由。
(アメリカの学校は、英語で教えるが基本になっている。)

カリキュラムにしても、「6領域」※を定める程度にする。
もちろん教科書の検定などというものは、廃止。
もとからあのようなバカげた制度があるほうが、おかしい。
もうやめたらよい。
現在、教科書の検定制度をもっている国は、欧米先進国
の中では、この日本だけ。
どうしてそういう事実に、日本人は、もっと目を向けないのか。

子どもたちが学校で使うテキストにまちがいがあるなら、
そのつど、教師がそれを正せば、それですむこと。
それに今は、インターネットという、すばらしい文明の
利器がある。
やがてコンピュータも、ノート大になり、ノートの
ように気軽に使える時代がやってくる。
言うなれば、巨大な図書館が、ノートの中に、
収まることになる。
教科書に書いてあることが正しいかどうかは、瞬時に、
自分で判断できるようになる。
そういう時代も想定して、では教育はどうあるべきかを、
考えたらよい。

人間の生き方は、けっして、ひとつではない。
同じように、子どもの教育も、けっして、ひとつで
あってはいけない。
多様な道を用意することこそ、教育者の義務では
ないのか。

たまたま今も、窓の外に、学校の校舎が見える。
真四角の箱にしか見えない校舎である。
あの箱の中で、今、どんな教育がなされているのか。
またなされていないのか。

ふと手を休めて、私はそんなことを考えた。
かなり過激な書き方をしたが、しかしこれくらい
過激に書かないと、みな、目を覚まさない。
私自身も、一足飛びに自由化せよと考えているわけではない。
ひとつの努力目標として、前にかかげるべきではないかと、
考えている。

(補記※)「幼稚園教育の六領域」(以下、文部科学省HPより抜粋・転載)
●幼稚園教育要領の制定
文部省は保育要領実施後の経験と、研究の結果に基づき、また現場の要望にこたえて、昭和三十一年度に「幼稚園教育要領」を作成した。幼稚園教育要領においては、教育内容を「健康」、「社会」、「自然」、「言語」、「音楽リズム」、「絵画制作」の六領域に分類し、さらにその領域区分ごとに「幼児の発達上の特質」およびそれぞれの内容領域において予想される「望ましい経験」とを示した。さらに、三十九年度には、それまでの経験や研究の結果を生かして、教育課程の編成や指導計画の作成をよりいっそう適切にするために「幼稚園教育要領」の改訂を行ない、小・中・高校と同様、文部省告示をもってこれを公示し現在に至っている。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
幼稚園教育 幼児教育 六領域 6領域 教育の自由化 教育自由論)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司


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