最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●マガジン(2-22日号より)

2010-02-22 09:58:24 | Weblog
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   22日号
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの問題

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子ども(小学生)に何か問題を発見したら、
つぎの3つの方面から、分析、観察する。

(1) 生来的なものかどうか(遺伝的な要素、たとえば性質、性格など)
(2) 環境的な問題に起因するものかどうか(育児環境、0歳~2歳期の母子関係)
(3) 機能的な障害によるものかどうか(何らかの情緒障害などが背景にないかどうか)

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●将来的な性質

 生来的なものとして、その子ども自身が親から引き継いだ性質、性格などがある。
過敏傾向が強い、鈍感傾向が強い(頭が「鈍感」という意味ではない)など。
繊細さや、鈍感さ(頭が「鈍感」という意味ではない)も、親の性質を引き継ぐことが多
い。
これらについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。

●環境の問題

 子どもの成育、知的発達、人格的発達、道徳的発達に、重大な影響を与えるのが、「環境」
ということになる。
その環境は、0歳~2歳前後までの環境と、特定してよい。
そのころ子どもの方向性は決まる。
これには、2つの意味が含まれる。

(1) 子どもの方向性が決まる。
(2) 親の育児姿勢が決まる。

 その中でもとくに大きな影響を与えるのは、母親である。
この時期の母子関係の重大さは、それ以後の親子関係のそれとは、比較にならない。

・・・といっても、深刻に考えてはいけない。
子どもというのは、愛情豊かな家庭環境の中で、静かに、穏やかに育てればよい。
ごくふつうの家庭を想定し、自然体で子育てをする。
気負い、心配、不安、過保護、過干渉、過関心は、避ける。
とくに不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、注意する。
このタイプの親は、自然な形での(親像)が脳の中にインプットされていない。
そのため子育ての仕方が、どうしてもぎこちなくなる。
その(ぎこちなさ)が、子育てをゆがめる。

 たとえば最近の研究によれば、青年期になってからの、「うつ」「うつ病」の遠因は、こ
の時期に作られることがわかっている。

●機能的な問題

 脳の機質的な問題はともかくも、機能的な問題で、子どもの心がゆがむことは多い。
「情緒障害」といわれるのは、おおむね、脳の機能的な問題と考える。
もっとわかりやすく言えば、脳の機能的な変調が原因と考える。
子どもは、ささいなことで、その変調を起こしやすい。
そのため脳間伝達物資、ホルモンの分泌などに、変調がもたらされ、それが情緒障害へと
つながっていく。

(これに対して、脳の構造そのものに器質的問題があるばあいを、機質(器質)障害とい
う。
しかしこれは医学的な問題で、教育の問題ではない。)

●J君の例

 J君(小1)という子どもを仮想してみる。
J君は、静かで、ハキがない。
意見も発表しない。
いつもほかの子どものうしろを、ノロノロとついていく。
穏やかで、柔和な笑みを浮かべているが、何を考えているか、つかみにくい。
つまりその分だけ、不満や不平が、心のどこかに抑圧される。
家の中では、親に対して暴言を吐いたり、暴れたりする。

このタイプの子どもを、英語では、「SHY(シャイ)な子ども」と表現する。
アメリカでは、(シャイな子ども)は、問題児と位置づけられている。
アメリカの内科学会では、情緒障害児を診断するときの、重要な診断項目のひとつにして
いる。

●「生まれつきです」

 このタイプの子どもの母親に接すると、たいていの母親は、決まってこう言う。
「この子は、生まれつき、こうです」と。

しかしこれはウソ!

 生まれたばかりの子どもを見て、その子どもの性質、性格をつかめる親はいない。
ドクターでもいない。
専門家でもいない。
母親自身が、そういう目、つまり不安先行型、心配先行型の子育てを、(生まれながらに)
しているにほかならない。
つまり自分だけにしか通用しない、(色眼鏡)で、子どもを見ている。
言い換えると、責任逃れ!

●分析と観察

 が、すべて(環境)だけが原因とは、考えられない。
そこで冒頭にあげた、3つの方面から、J君を分析、観察する。

 J君は、繊細な感覚をもっている。
神経質で、デリケート。
これらは将来的な部分と考えてよいが、母親自身の性質、性格が移植されているケースも
少なくない。
こうした傾向は、遺伝というよりは、代々、世代連鎖しやすい。
とくに、うつ、もしくはうつ病の母親は、注意したほうがよい。

●親の障害 

 ここにも書いたように、親自身に何らかの障害があるときは、とくに警戒を要する。
一時的なマタニティー・ブルーであれば、おおげさに考える必要はない。
しかしそれがときとして、そのまま育児ノイローゼとなって、育児期間にまで残存するこ
とがある。
育児ノイローゼそのものは、うつ、もしくはうつ病と考えてよい。
けっして安易にとらえてはいけない。

 このタイプの母親は、一日中、子どものことばかり考える。
またそれが心から離れない。
ささいなことにこだわり、それをおおげさに考える。
取り越し苦労とヌカ喜び、その2つを繰り返す。
子どもに対しては、こまごまと注意したり、叱ったりする。
この心の余裕のなさが、子どもの心を萎縮させる。

●機能的な障害

 どんな子どもにも、情緒障害的な(芽)はあるという前提で考える。
個人差はあるだろうが、それはささいな(差)に過ぎない。
わかりやすく言えば、どんな子どもでも、不適切な家庭環境に置かれれば、情緒障害児に
なる可能性は、あるということ。
 
 簡単な例で言えば、夜尿症にしても、今では「癖」と考える学者はいない。
脳内ホルモンの変調が原因と考えられている。
睡眠中は、脳内ホルモンの働きによって、尿の生産が止められる。
その脳内ホルモンが、変調する。
睡眠中も、尿が生産されてしまう。
それが夜尿症へとつながっていく。

 もう少し心配なケースでは、かん黙症がある。
幼稚園へ保育園などに入園したようなときに、発症することが多い。
子どもは、かん黙することによって、自分の心を守ろうとする。
心理学の世界では、「防衛機制」という言葉を使って説明する。
家の中では、ふつう児のようによくしゃべる。
が、一歩、集団の世界に飛び込むと、貝殻を閉ざしたかのように、無言を守る。

 が、こうした機能的な障害についても、0~2歳期の環境が大きく影響している。
つまりこの時期の不適切な育児姿勢、育児環境、子どもへの態度が、その(きっかけ)を
作る。

 ここでも重要な鍵を握るのが、母子関係ということになる。

●親の自覚

 だれしも、無知(?)の状態から、子育てを始める。
が、まったくの無知かというと、実はそうではない。
「子育ては、本能ではなく、学習である」というのは、そういう意味である。
つまり親は、無意識のうちにも、自分が受けた子育てを、自分の子どもに再現する。
育児姿勢だけではない。
育児哲学にしても、そうだ。
たとえば権威主義的な家庭環境(悪玉親意識が強い家庭環境など)に、育った親は、自信
も、権威主義的な子育てをしやすい。
これを心理学の世界では、「世代連鎖」とか、「世代伝播」とか、呼んでいる。

 そこで重要なことは、まず、自分の子育てに気づくということ。
そのためには、自分の(過去)、とくに0~2歳期の自分が、どういう子育てを受けていた
かを、知る。

 といっても、そのころの記憶の残っている人はいない。
断片的な記憶はあるかもしれないが、連続性をもった記憶はない。
そこで客観的に、自分が生まれ育った環境を、推察してみる。

「私は、心豊かで、静かな環境で生まれ育ったか」
「私は、母親の愛情をたっぷりと受けて育ったか」
「家庭は円満だったか」

 その中でもとくに重要なのが、母子の間で形成される、基本的信頼関係である。
それについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。

(興味のある人は、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索してみてほしい。)

 もしそういう環境で、あなた自身が生まれ育ったのなら、よし。
そうでなければ、あなたの子育てのどこかに、(ゆがみ)がないか、・・・というより、(ゆ
がみ)があるという前提で、自分が今している子育てを、反省する。

●引き金論

 平たく言えば、子どもの情緒問題、つまり機能的な情緒問題の引き金を引くのも、(環境)
ということになる。

 一部の情緒障害児団体では、「遺伝説」を前面に押し出し、「親には責任がない」という
ようなことを主張している。
「遺伝説」と唱えるなら、先にも書いたように、どんな子どもにも、その(芽)はある。
ない子どもはいない。
この問題は、「引き金を引く・引かない」の問題と考えてよい。

たとえば赤ちゃん返りがある。
重篤な子どもになると、嘔吐、発熱を繰り返すようになる。
しかしそういう子どもでも、(下の子ども)が生まれたからそうなったのであって、もし(下
の子ども)が生まれなかったら、赤ちゃん返りは起こさなかったはずである。
この場合も、不適切な、(上の子指導)が、赤ちゃん返りの引き金を引いたと考える。

●J君のケース

 日本でも、「シャイな子ども」については、(問題のある子ども)と位置づけるべきでは
ないのか。
またそういう前提で、子どもを観察する。
そういう点では、J君は、「問題児」ということになる。
けっして子どもの、本来、あるべき姿ではない。
またそういう子どもを、よい子と誤解してはいけない。
(今でも、そういう誤解が、この日本に蔓延しているのは、驚くべきことである。)

●では、どうすればよいか

 が、希望を捨ててはいけない。
こうした子どもの問題、さらには、自分自身が生まれ育った環境の問題については、それ
に気づくだけでよい。
気づけば、あとは時間が解決してくれる。
「すぐに・・・」というわけには、いかない。

 というのも、子育ては、リズム。
親のリズム。
そのリズムは、子どもを妊娠したときから始まっている。
そのリズムを変えるのは、容易なことではない。
そういう点でも、子どもの指導よりも、親の指導のほうが、むずかしい。
だから時間がかかる。

 それに理想的な環境の中で生まれ育った人など、いない。
私にしても、この文章を読んでいるあなたにしても、過去はボロボロ。
そこで重要なことは、そういう過去があったということではなく、そういう過去の上に(私)
が乗っていることに気づかず、その過去に振り回されること。
同じ失敗を繰り返すこと。

 繰り返すが、それに気づけば、5年とか10年とかいう年月を経て、この問題は解決す
る。
あとは時の流れに、静かに身を任せればよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 育児論 子どもを見る3つの側面 子どもの環境 子供の問題 はや
し浩司 過去)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●ドーピング

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「ドーピング」とは、何か?
JCCのHPには、こうある。

『ドーピングとは競技能力を増幅させる可能性がある手段(薬物あるいは方法)を不正に
使用することであり、スポーツの基本的理念であるフェアプレーに反する行為です』と。

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●受験ドーピング

 この原稿が読者の目の届くころには、入学試験も終盤。
だからよいというわけでもないが、受験競争にも「ドーピング」というのが、ある。

 今のところ合法(?)だから、つまり違法性はないので、ここに書いても問題はないと
思う。
つまり脳みそというのは、機能の集合体のような部位だから、『能力を増幅させる可能性が
ある手段』(JCC)が、ないとは言わない。
ある。
実際には、ある。

 たとえば薬局で売っている、カフェイン入りの眠気覚ましドリンク類。
あれを飲むと、思考力そのものが、ハイになる。
私も、ときどき世話になっている。
何かのことで頭がボーッとしていて、使い物にならないようなとき、ああいったドリンク
剤の世話になる。
とたん頭がスッキリして、思考力が明晰になる。
言葉もスラスラと出てくる。

 だから・・・、というのでもないが、受験生は、こうしたドリンク剤を、効果的に利用
したらよい。
ここにも書いたように、こうしたドリンク剤の使用には、今のところ、違法性はない。
かぎりなくドーピング行為に近いが、スポーツの世界でいうような、制約も制限もない。

 ただし飲み方に注意すること。
子どもによっては、量をまちがえると、精神的にハイになりすぎてしまう子どももいる。
受験中に、はしゃぎ回るようでは、困る。
当然のことながら、幼児や小学生には、避ける。
そういうことにならないよう、事前に一度のませてみて、様子をみるとよい。

●薬物でも・・・

 実はこの原稿を書くには、もうひとつの理由がある。

 現在私は、難聴治療のため、6種類の薬をのんでいる。
その中には、ホルモン剤としてよく知られている、ステロイド剤(副腎皮質ホルモン)も
ある。
「奇跡の薬」と言われているが、長くのんでいると、その分だけ副作用も、大きい。
服用をやめたあとの、反作用も、これまた大きい。

 そのほか、三半規管の働きをよくするために、
(1) MT剤・・・末梢神経障害を改善する薬。
(2) AD剤・・・心臓の働きを回復する薬、ほかを、のんでいる。

 で、この4日間、こういった薬をのんでいるが、明らかな変化が見られる。
動悸がはげしくなったこと。
耳の中を、川が流れるような音がすること。
脈拍数がふえたこと、など。
それに頭脳は、たしかに明晰になった。
テキパキと反応できる。
言葉も豊富。
かつパソコンのキーボードを叩く指が速くなった、など。

 どの薬がどのように作用しているのかは、わからない。
しかし薬効の説明書きを読むと、どうやらこういうことらしい。

「耳の聞こえをよくするため、心臓の働きをよくし、血流を増す。末梢神経の働きをよく
する。その結果として聴力を回復する」と。
あとの薬は、耳の中の炎症を抑えたり、鼻水や痰を排出するためのものらしい。

 で、こうした薬は、脳の神経細胞にも、同じように作用すると考えてよい。
神経細胞といえば、末梢神経のかたまりのようなもの。
(あくまでも素人判断だが・・・。)

 言い換えると、この世界にも、つまり受験競争の世界にも、ドーピングというのが、あ
るのではないかということ。
うまく薬を使えば、脳の神経細胞の働きを倍加できる。
ふだんなら思い出せないような、歴史の年号がスラスラと思い浮かんできたり、計算力が
速くなったりするなど。
もしそうだとするなら、

(1) この分野の研究を、早急に進める。
(2) この種のドーピング検査の態勢をできるだけ早く、整える。

 でないと、そういう薬の知識のある親の子どもは、受験競争に有利ということになる。
堂々とドーピングができる。
パーセントで表示するのは、適切ではないかもしれない。
しかし薬物の使用で、当日、10~20%、神経細胞の活動が活発になれば、その分だけ、
試験ではよい点数を稼ぐことができる。

 が、これはフェアではない。
あるいは水面下では、すでに実行されているかもしれない。
先にも書いたように、市販のドリンク剤でも、かなりの効果がある。
今回、難聴治療のために6種類の薬をのんでみて、私はさらにそれを確信した。

ここに書いたことを、みなさんが、どう判断し、どう利用するかは、みなさんの自己責
任においてしてほしい。
私は責任を取らない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 受験競争 ドーピング問題 薬物使用)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親の人生vs子どもの人生

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原始社会では、基本的には、子どもは、「親の財産」と
考えられていた。
そう言い切るのは危険なことかもしれない。
だれも原始社会の人がどう考えていたかまでは、わからない。
わからないが、しかしこれは常識的な見方と考えてよい。

「財産」という言葉が悪いなら、「一家の働き手」という言い方でもよい。
その「働き手」が、順送りに伝わっていくから、親たちは安心して、
自分の老後を迎えることができた。
そんため、よほどのことがないかぎり、親のほうから子どもを
手放すというようなことはなかったはず。
「よほどのこと」というのは、親自身の生活が崩壊したようなばあいをいう。

で、「あなたの人生はあなたのもの。あなたの好きなように生きなさい」
と子どもに教えるようになったのは、ごく最近のことと考えてよい。
それだけではない。

社会保障制度のない国では、老後の親のめんどうをみるのは、
子どもの役目と考えられていた。
またそうでないと、「家族」としてのしくみを、
維持することができなかった。

+++++++++++++++++++++

●私たちの子ども時代

 私たちが子どものころには、こうした(原始性)は、まだ色濃く残っていた。
結婚のとき交わされる結納制度にしても、もとはと言えば、「人身売買」的な発想から生ま
れたもの。
アフリカのある部族は、娘と家畜を交換しているそうだ。

 一方、子どもは子どもで、老後の親のめんどうをみるのは、当然と考えていた。
「当然」というのは、「疑いもしない」という意味。
また外へ出た子どもたちは、毎月、もしくは毎年、ある程度の金銭的な仕送りをするのが、
常識だった。
私も22、3歳のころから、そうしていた。
もちろん親に対して、である。

●子どもに恩を着せない

 子どもに恩を着せない。
これは子育ての基本。
親の(意思)で子どもをつくる。
そこには子どもの(意思)はない。
つまり子どもを産んでしまった以上、その子どもを、よき家庭人として自立させるのは、
親の義務ということになる。

 が、今でも、恩着せがましい子育てをつづけている人は多い。
「産んでやった」「育ててやった」と。

●親と子

 しかし本当に、「子どもは子ども」と考えてよいのだろうか。
「子どもの人生は、子どもの人生」と、子どもの人生を切り離してしまってよいのだろう
か。

 最近、私は、聴力を完全に失うという病気になった。
幸い、1~2日で、症状は改善したが、そのとき感じた孤立感には、相当なものがある。
「孤独感」ではない。
「孤立感」である。
「だれも助けてくれない」という孤立感。
そこには、もちろん子ども(=息子たち)の姿はない。
仮に生死の境をさまよっても、息子たちが、私のところへ駆けつけてくれるということは
ないだろう。
生活に行き詰ったときも、そうだろう。
そのときふと、子どもたちの視線をどこかに感じた。
冷たい視線だった。
これから先、こうした孤立感は、大きくなることはあっても、小さくなることはない。

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