私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。雨の日は、ただひたすらパチンコ。
読む新聞はスポーツ新聞だけ。唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという人がい
る。しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。いくら釣りがうまくなっても、
いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗記しても、それがどうだ
というのか。そういう人は、まさに死んだも同然。
しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。昨年、私はある会で講演を
させてもらったが、その会を主宰している女性が、80歳を過ぎた女性だった。乳幼児の医療
費の無料化運動を推し進めている女性だった。私はその女性の、生き生きした顔色を見て驚
いた。
「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑いながら、こう言った。「長い
間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だったという。そういうすばらしい女
性も、少ないが、いるにはいる。
のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。しかしそうい
う航海からは、ドラマは生まれない。人間が人間である価値は、そこにドラマがあるからだ。そ
してそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。人生の大波小波は、できれば
少ないほうがよい。そんなことはだれにもわかっている。しかしそれ以上に大切なのは、その
波を越えて生きる前向きな姿勢だ。その姿勢が、その人を輝かせる。
●神の矛盾
冒頭の話にもどる。
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがうしろ向き
になる。そこで信仰論ということになるが……。
人は何かの救いを求めて、信仰する。信仰があるから、人は信仰するのではない。あくまで
も信仰を求める人がいるから、信仰がある。よく神が人を創(つく)ったというが、人がいなけれ
ば、神など生まれなかった。もし神が人間を創ったというのなら、つぎのような矛盾をどうやって
説明するのだろうか。これは私が若いころからもっていた疑問でもある。
人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。ひょっとした
ら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。しかし嘆くことはない。そのあと、また別
の生物が進化して、この地上を支配することになる。たとえば昆虫が進化して、昆虫人間にな
るということも考えられる。その可能性はきわめて大きい。となると、その昆虫人間の神は、
今、どこにいるのかということになる。
反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。一説によると、隕石の衝突が恐竜の絶滅をもた
らしたという。となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。そのときの恐竜には神はいなか
ったのかということになる。
数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数10万年など、マバタキのよ
うなものだ。お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビルが建つ。しかし数10万円で
は、パソコン1台しか買えない。数億年と数10万年の違いは大きい。モーゼがシナイ山で十戒
を授かったとされる時代にしても、たかだか5000年~6000年ほど前のこと。たったの6000
年である。それ以前の数10万年の間、私たちがいう神はいったい、どこで、何をしていたとい
うのか。
……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定しているので
はない。この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることより、はるかに多
い。だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているのかもしれない。そしてそ
の論理に従って、人間を創ったのかもしれない。そういう意味もふくめて、ここに書いたのは、
あくまでも私の疑問ということにしておく。
●ふんばるところに生きる価値がある
つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。(だからといっ
て、神や仏を否定しているのではない。念のため。)仮に百歩譲って、神や仏に、奇跡を起こす
ようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待してするものではな
い。ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(スッタニパーダ「ダンマパ
ダ」)、つまり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。キリスト教のことはよくわからな
いが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えているのでは……。
生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きるかどう
かを決めるのは、私たち自身である。仏や神の意思ではない。またそのふんばるからこそ、そ
こに人間の生きる尊さや価値がある。ドラマもそこから生まれる。
が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。毎日、毎
晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性70歳)も、その1人と言ってもよい。同じようなことは
子どもたちの世界でも、よく経験する。
たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもがいる。そう
いうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。いわんや、「林先生、林先生」と毎日、毎
晩、私に向かって祈られたら、(そういう人はいないが……)、さらに困る。もしそういう人がい
れば、多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。不合格なら不合格で、その時点からさ
らに前向きに生きなさい」と。
●私の意見への反論
……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人がいる。
「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。そう言っ
たのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性(75歳くらい)だった。が、何も私は、そういう女
性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。またその女性に向かって、「そうい
う生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。その女性の生きザマは生きザマとして、
尊重してあげねばならない。
この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。言っては
ならない。まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、ハシゴをはずす
ようなもの。ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してあげねばならない。何ら
かのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、人として、してはいけないことと言
ってもよい。
が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことである。どう
すれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。そしてどうすれば、うしろ向きに生き
なくてすむかということ。
●今、どうしたらよいのか?
少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、
人生はおしまいと思っている。そういう人生は敗北だと思っている。が、いつか私はそういう人
生を送ることになるかもしれない。そうならないという自信はどこにもない。保証もない。毎日、
毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れるようになるかもしれない。私
とその女性は、本質的には、それほど違わない。
しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にたとえて言うな
ら、土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふんばっている。歯をくいし
ばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、おしまい。あっという間に闇の世
界に、吹き飛ばされてしまう。
しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。生きる価値もそこから生まれる。もっと言
えば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれる。……つまり、
そういう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。
●老人が気になる年齢
私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のことが、よく
気になる。電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあれこれ観察す
る。先日も、そうだ。
「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どんな生きがいや、生きる目的をもっているの
だろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているのだろう」「今、どんなことを考えているのだろう」
と。そのためか、このところは、見た瞬間、その人の中身というか、深さまでわかるようになっ
た。
で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実の問題か
ら逃げようとしているのではないか。その日、その日を、ただ無事に過ごせればそれでよいと
考えている人も多い。中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もいる。クシャクシャに
なったボートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老人もいる。
人は年齢とともに、より賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。愚かにな
るだけならまだしも、古い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽をつんでしまうこと
もある。
私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。しかしふと油断すると、いつの間か
自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。それは実に甘美な世
界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということになる。何も考えなけ
れば、それだけ人生も楽?
●前向きに生きるのは、たいへん
前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。それは体の健康と同じで、日々
に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。ゴータマ・ブッダは、それを「精進
(しょうじん)」という言葉を使って表現した。精進を怠ったとたん、心と精神はブヨブヨに太り始
める。そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。つまりいつも前向きに進んでこそ、
その人はその人でありつづけるということになる。
改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念場だ」と。
(030613)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
そして昨年(05年)の1月に、つぎのような原稿を書いた。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●心に残る人たち
個性的な生き方をした人というのは、それなりに強く印象に残る。そしてそれを思い出す私た
ちに、何か、生きるためのヒントのようなものを与えてくれる。
たとえば定年で退職をしたあと、山の中に山小屋を建てて、そこに移り住んだ人がいた。姉
が中学校のときに世話になった、Nという名前の学校の先生である。その人が、ことさら印象に
強く残っているのは、郷里へ帰るたびに、姉が、N先生の話をしたからではないか。
「N先生が、畑を作って、自給自足の生活をしている」
「半地下の貯蔵庫を作って、そこできのこの栽培をしている」
「教え子たちを集めて、パーティを開いた」など。
ここまで書いたところで、つぎつぎと、いろいろな人が頭の中に浮かんでは消えた。
G社という出版社で編集長をしていた、S氏という名前の人は、がんの手術を受けたあと、一
度、元気になった。その元気になったとき、60歳になる少し前だったが、自動車の運転免許証
を手に入れた。車を買った。そしてこれは、あとから奥さんから聞いた話だが、毎週、ドライブ
を繰りかえし、なくなるまでの数年間、1年で、10万キロ近く、日本中を走りまわったという。
またS社という、女性雑誌社に勤めていた、I氏という名前の人は、妻を病気でなくしたあと、
丸1年、南太平洋の小さな島に移り住み、そこで暮らしたという。一時は、行方不明になってし
まったということで、周囲の人たちはかなり心配した。が、1年後に、ひょっこりと、その島から
戻ってきた。そしてそのあとは、何ごともなかったかのような顔をして、10年近くも、S社の子会
社で、また、健康雑誌の編集長として活躍した。
で、それからもう20年近くも過ぎた。山の中に山小屋を建てて住んだNという先生は、とっく
の昔に、なくなった。G社の編集長をしていたS氏も、なくなった。女性雑誌社に勤めていたI氏
は、私が知りあったとき、すでに50歳を過ぎていた。私が、25歳のときのことだった。だから
今、生きているとしても、80歳以上になっていると思う。
I氏からは、あるときまでは、毎年、年賀状が届いた。が、それ以後、音信が途絶えた。住所
も変わった。
そうそうG社という出版社に、Tさんという女性がいた。たいへん世話になった人である。その
Tさんは、G社を定年で退職したあとまもなく、大腸がんで、なくなってしまった。
その葬式に出たときのこと。こんな話を聞いた。
そのとき、私は、そのTさんにある仕事を頼んでいた。その仕事について、ある日の昼すぎ
に、電話がかかってきた。Tさんが病気だということは知っていた。が、意外と、明るい声だっ
た。Tさんは、いつものていねいな言い方で、私の頼んだ仕事ができなくなったということをわび
た。そして何度も何度も、「すみません」と言った。
そのことを葬儀の席で、Tさんをよく知る人に話すと、その人は、こう言った。「そんなはずは
ない。Tさんが、あなたに電話をしたというときには、Tさんは、すでに昏睡状態だった。電話な
ど、できるような状態ではなかった」と。
おかしな話だなと、そのときは、そう思った。あるいはそういう状態のときでも、ふと、意識が
戻ることもあるそうだ。Tさんは、そういうとき、私に電話をかけてくれたのかもしれない。
親類の人たちや、友人は別として、その生きザマが、印象に残る人もいれば、そうでない人も
いる。言うなれば、平凡は美徳だが、平凡な生活をした人は、あとに、何も残さない。だからと
いって、平凡な生活をすることが悪いというのではない。「私らしい生きザマ」とは言うが、しかし
それができる人は、幸せな人だ。
たいていの人は、世間や家族、さらには親類などのしがらみに、がんじがらめになって、身動
きがとれないでいる。いまだに「家」を引きずっている人も、少なくない。そういう状況の中で、そ
の日、その日を、懸命に生きている。
それにこうした個性的な生きザマを残した人にしても、私たちに何かを(残す)ために、そうし
たわけではない。私たちに何かを教えるために、そうしたわけでもない。結果として、私たち
が、勝手にそう思うだけである。
ただ、こういうことは言える。
それぞれの人は、それぞれの人生を懸命に生きているということ。悲しみや苦しみと戦いな
がら、懸命に生きているということ。その懸命に生きているという事実が、無数のドラマを生
み、そのドラマが、そのあとにつづく私たちに、ときに、大きな感動を残してくれるということ。
で、かく言う私はどうなのかという問題が残る。
ここ数か月以上、私は、「老人観察」なるものをしてきた。その結論というか、中間報告とし
て、ここで言えることは、私は、最後の最後まで、年齢など忘れて、がんばって生きてみようと
いうこと。
ときに、「生活をコンパクトにしよう」とか、「老後や、死後に備えよう」などと考えたこともある
が、それはまちがっていた。エッセーの中で、そう書いたこともある。まだ、その迷いから完全
に抜けきったわけではないが、私は、そういう考え方を捨てた。……捨てようとしている。
つまりそういう生きザマを、こうした人たちが、私に教えてくれているように思う。私たちはそ
の気にさえなれば、最後の最後まで、何かができる。それを教えてくれているように思う。
N先生……私自身は一面識もないが、心の中では、いつも尊敬していた。
S氏……そのS氏が、私にエッセーの書き方を教えてくれた。
I氏……いっしょに健康雑誌を書いた。……I氏の実名を出してもよいだろう。I氏は、主婦と生
活社の編集長をしていた、井上清氏をいう。健康雑誌の名前は、『健康家族』という雑誌だっ
た。その名前を覚えている人も、中にはいると思う。
そしてTさん。電話では、自分の病状のことは、何も言わなかった。それが今になって、私の
胸を熱くする。私は、そのTさんの葬儀には、最後の最後まで、つきあった。藤沢市の会館で葬
儀をし、そのあと、どこかの火葬場で、火葬にふされた。アメリカ軍の基地の近くで、ひっきりな
しに、飛行機の爆音が聞こえていた。私は、Tさんが火葬されている間、何度も何度も、その飛
行機を見送った。
遠い昔のことのようでもあるし、つい先日のことのようにも思う。みなさん、私に生きる力を与
えてくれてありがとう。私も、あとにつづきます!
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●終わりに……
老後の敵、それはここに書いた「回顧性」ということになる。その回顧性を感じたら、すでにあ
なたも、老人の仲間入りをしたということになる。
もし、それがいやなら、つまりジジ臭くなったり、ババ臭くなるのがいやだったら、回顧性とは、
戦うしかない。
私は死ぬまで、現役。あなたも、死ぬまで、現役。いつまでも、若々しく、前向きに生きてい
く。
繰りかえすが、毎日、過去をなつかしみながら、仏壇の金具を磨きながら日を過ごすようにな
ったら、その人も、おしまい。そういうこと。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 回顧
性と展望性 展望性と回顧性 老後 老後の問題)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
【付記】0608月06日
生き様の問題は、どこまでいっても、その人個人の問題。仮にその人の生き様が、あなたの
意見とはちがったものであったとしても、私たちは、それについて、何も言ってはいけない。干
渉してはいけない。
同じように、それぞれの老人が、それぞれの生き方をしていたとしても、私たちは、それにつ
いて、何も言ってはいけない。干渉してはいけない。
人は、みな、それぞれ。
ここで私は、「人は、老後を、どう生きるべきか」というテーマで、エッセーを書いた。しかしこ
のエッセーは、決して、他人のために書いたのではない。あくまでも、自分のために書いた。
そして最初から読んでくれた人には、わかってもらえたと思うが、私はこの数年間だけでも、
自分の考え方が、大きく変化したのを知っている。
(老後に備えて、コンパクトに生きよう)という考え方から、(それに疑問をもつ考え方)。そして
今は、(老後になっても、前向きに生きることこそ、大切という考え方)に変わってきた。
が、ここで結論が出たわけではない。
この問題だけは、そのウラで年齢がからんでくるだけに、今、ここで結論を出すことができな
い。この先、年齢とともに、考え方が、変わってくることもありえる。事実、この原稿を読んでくれ
た恩師のT先生は、こう言った。
「(私の意見は)、若い人の考え方で、老人向きではありませんね」と。
尊敬する先生の意見だけに、その言葉は、私の胸に、ズシリと響いた。
これからもこの問題については、考えつづけてみたいと考えている。