最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●失敗危険度Y

2009-02-08 19:38:37 | Weblog
子育て失敗危険度
あなたは、だいじょうぶ?


                     はやし浩司



「狂騒する子どもの世界」

狂った親たちの世界をえぐりだしながら、新しい教育観を提言。このままでは本当に日本はだめになる。そういう切実な危機感からこの本を書いた。

第一章……常識からはずれる親たち
第二章……子どもをダメにする親たち
第三章……親バカにならないために

はじめに……

この原稿は、2000年ごろ、今から9年前に書いたものです。
ある出版社からの依頼があり、それで書き始めたものです。
が、当時、この原稿を世に発表する勇気がなく(?)、
今日に至ってしまいました。

もう一度、(現在)という視点で、書き直しながら、
子育ては今、どうあるべきかを考え直してみたいと願っています。
なおこの種の原稿の常として、登場する人物、話の内容は、
すべてフィクションです。

他人から聞いた話を、自分のエピソードに仕上げたり、
反対に自分のエピソードを、他人から聞いた話に仕上げたりしています。
あるいは2つの話を1つにまとめたり、1つの話を2つに分けたり
した部分もあります。
親類の話を他人の話にしたり、その逆のこともあります。

そんなわけで、もし読者の方の中に、「これは私の話だ」と思う人がいても、
どうか、それは誤解であることを、ご理解ください。
私はいかなるばあいも、現在、関わりのある人や、交際している人の話を
書くということはしません。

                     はやし浩司


Hiroshi Hayashi++++++++Feb. 09++++++++++++はやし浩司

第一章……常識からはずれる親たち

 子育てはまさに迷いの連続。迷いのない子育てはないし、迷って当たり前。しかし迷っているうち、ふと袋小路に入ってしまうことがある。問題はそのとき。

 迷いながらも、どこかに指針があれば、その方向に出口を見出すことができる。しかしその指針がないと、迷うまま、まっ暗な世界に入ってしまう。そしていつの間にか、とんでもない非常識なことをしながら、それが非常識だとさえわからなくなってしまう。そんな失敗例を集めたのが、第一章、「常識からはずれる親たち」。

 私はそれを皆さんに伝えながらも、こうした非常識な親を笑っているのではない。楽しんでいるのでもない。こうした失敗は(失敗という言葉は好きではないが……)、だれにでもあるもの。まただれにでも起こりえるもの。決して他人のことではない。第一章は、そんなあなたの指針となることを願って書いた。
 

はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

第二章……子どもをダメにする親たち

 放任がよいわけではないが、子どもというのは、親が子どもに向かって何かをすればするほど、別の方向に行く。そこで親は、また子どもに向かって何かをする。あとはこの悪循環。気がついたときには、親も子どももにっちもさっちもいかない状態になる。

 が、問題は、この悪循環ではない。問題は、その途中でそれに気がつく親はまずいないということ。たいていの親は、「まだ何とかなる」「こんなはずはない」「うちの子にかぎって」と無理に無理を重ねる。これが子どもをますます悪い方向においやる。そんな失敗例を集めたのが、第二章、「子どもをダメにする親たち」。

今、あなたの子どもが幼児なら、これから先、失敗しないため。今、何か問題があるなら、これ以上その問題を悪くしないため。そそして今、その問題の最中にあるなら、その問題を解決するため。第二章は、それをあなたに知ってほしくて書いた。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

第三章……親バカにならないために

 ほとんどの親にとっては、子育てははじめて。しかも一人だけ。多くても、二人、あるいは三人。ある母親はこう言った。「やっと親らしくなれたと思ったときには、子育てはもう終わっていた」と。

 そこで私が登場……、というと、何とも手前ミソのような感じがしないでもない。しかし私ほど、子育ての最前線で数を踏んだ人間もいない。私の頭の中には、無数の成功例と、同じ数だけの失敗例が入っている。そういう経験から得た知識をまとめたのが、第三章、「親バカにならないために」。

 本来ならこうした子育て論こそ、私が書きたいところ。私の子育て論というより、私の前を通りすぎた無数の親や子どもの経験といたほうがよいかもしれない。そこには無数の汗と涙が凝縮している。第三章はそれをあなたに伝えたくて書いた。
 
はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

給食もレストラン感覚で!
非常識が常識(失敗危険度★★★)

●「足の裏をみるのですかア」
 「最近の母親たちはバッグを平気でベッドの上に置く」と、ある小児科の医師が怒っていた。が、それだけではない。「子どもをベッドに寝させてください」と言うと、今度はスリッパをはかせたままベッドの上に……! そこで看護婦が、「スリッパをぬがせてください」と言うと、その母親は、「足の裏をみるのですかア」と。

●最近の親たち
 こういう非常識な母親はいくらでもいる。幼稚園へ入園するについても、最近の母親で、「入れていただけますか?」と聞く親はまずいない。当然入園できるという前提で、幼稚園へやってくる。中には幼稚園へやってきて、見学だの、体験学習だの、さらには給食の試食までしていく親がいるという。帰りぎわに主任の教師が、恐る恐る、「入園はどうしますか?」と聞くと、「もう二、三か所、あちこちの幼稚園を回って決めるワ」と。私にもこんな経験がある。

●「一回休みましたから」
 そのころ園長の指示で、希望者だけを集めて特別講座を開いていた。わずかだったが、別に講座費(月額三〇〇〇円)をとっていた。が、それがよくなかった。五月の連休が重なって、その子ども(年中女児)のクラスだけが、月三回になってしまった。それについて、その母親から、「補講してほしい」と。しかしたまたま月三回になったのは、私の責任ではない。そこで「補講はしません」というと、今度はその父親が電話に出てきて、こう言った。「月四回ということで、講座費を払っている。三回しかしないというのは、サギだ。ついては、お前をサギ罪で訴える」と。市内で歯科医師をしている父親からの電話だった。

 あるいは同じころ、たまたま月一回を病気か何かで休んだ子ども(年長男児)がいた。よくあることだが、あとでみると、講座費がちょうど四分の三の、二二五〇円になっていた。いや、そのときはそれに気づかず、「お金が足りませんが……」と言うと、その母親は平然とこう言った。「一回休みましたから」と。

●給食もレストラン感覚で
 もっともこの程度の非常識はこの世界では常識。先日も神奈川県のU幼稚園で講演をさせてもらったのだが、その園長がこっそりとこう教えてくれた。「今では、昼の給食もレストラン感覚で出してやらないと親は納得しないのですよ」と。「子どもに給仕をさせないのですか?」と聞くと、「とんでもない! スープでヤケドでもしようものなら、親が怒鳴り込んできます」と。

 今、子育ての世界では、非常識が常識になってしまっている。しかも何が常識で、何が非常識なのか、それさえわからなくなってきている。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

何をお高くとまってんの!
神経質になる母親たち(失敗危険度★★★★)

●「あなたの教育方針は何か」
 ある日一人の母親が四歳になる息子をつれて音楽教室の見学にやってきた。音楽教室の先生は、三〇歳そこそこの若い先生だった。音大を出たあと、一年間ドイツの音楽学校に留学していたこともある。音楽教室の中では、そこそこに評価の高い先生だった。しかしその母親は、その先生にこう食いさがった。「あなたの教育方針は何か」「子どもの未来像をどう考えているか」「あなたの教育理念をしっかりと話してほしい」と。

●幼児と教育論?
 「たかが……」と言うと叱られるが、「たかが週一回の音楽教室ではないか」と、その音楽教室の先生は思ったという。が、こうした質問にていねいに答えるのも仕事のうち、と考えて、あれこれ説明した。が、最後にその母親はこう言って、その教室をあとにしたという。「これから家に帰って、ゆっくり息子と話しあってきます」と。まさか四歳の息子と教育論?

●「失礼」を知らない母親たち
 私のところにも、こんなことを相談してきた親がいた。「うちの子は今度、E英会話教室に通うことにしましたが、先生がアイルランド人だというではありませんか。ヘンなアクセントが身につくのではないかと心配です」と。さらに中には電話で、私に向かって、「あなたの教室と、K式算数教室とでは、どちらがいいでしょうか?」と聞いてきた母親さえいた。

さらに「うちの子はBW(私の教室の名前)に入れたくないのですが、どうしても入りたいと言うのでよろしく」と言ってきた母親もいた。こういう母親には、「失礼」とか「失敬」という言葉は通じない。で、私は私で、そういう失敬さを感じたときは、入会そのものを断るようにしている。が、それすら口で言うほど簡単なことではない。

●「フン、何をお高くとまってんの!」
 こうした母親に入会を断ろうものなら、デパートで販売拒否にでもあったかのように怒りだす。「どうしてうちの子は入れてもらえないのですか!」と。「紹介? あんたんどこは紹介がないと入れないの? フン、何をお高くとまってんの! そんな偉そうなこと言える教室じゃないでしょ」と悪態をついて電話を切った母親すらいた。つい先日もこんなことがあった。

●初対面のときとは別人
 父親と母親につれられて中学一年生になったばかりの男子がやってきた。見るからにハキのなさそうな子どもだった。いやいや両親につれられてやってきたということがよくわかった。会うと父親は、「どうしてもA高校へ入れてほしい」と言った。ていねいな言い方だったが、どこかインギン無礼な言い方だった。で、一通り話は聞いたが、私は「返事はあとで」とその場は逃げた。親の希望が高すぎるときは、安易に引きうけるわけにはいかない。

で、その数日後、私がファックスで入会を断ると、父親がものすごい剣幕で電話をかけてきた。「貴様は、うちの息子は教えられないというのか。A高校が無理なら無理と、はっきりといったらどうだ!」と。初対面のときとはうって変わった声だった。私が「息子さん能力とは関係ありません」と言うと、さらにボルテージをあげて、「今に見ろ。ちゃんとうちの子をA高校に入れてみせる!」と怒鳴った。もっともこの父親は、それから半年あまりあとに、脳内出血でなくなってしまった。私と女房は、妙にその事実に納得した。「うむ……」と。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

私の考えが絶対に正しい!
自分の世界で子育てをする母親たち(失敗危険度★★)

●「林先生は、ちゃんと指導していない」
 年中児になると、子どもというのは、とくに教えなくても文字を書けるようになる。もちろん我流だが、それはそれとしてこの時期はおお目に見る。で、ある日私が子ども(年中男児)の書いた文字に大きな花丸をつけて返したときのこと。その日の夕方、母親から抗議の電話がかかってきた。「あんなメチャメチャな字に、花丸などつけないでください!」と。そしてその電話のあと園長にまで電話をかけ、「林先生は、ちゃんと指導していない。どうしてくれるのか」と迫った。

●祖父が教師へ飛び込んできた
 これに宗教がからむと、さらにやっかいなことになる。ある日赤ペンで、その子ども(年中女児)の名前を書いたときのこと。あとからその子どもの祖母から抗議の電話があった。いわく、「赤字で名前を書くとはどういうことですか。もし万が一、うちの孫に何かあったら、あなたのせいですからね!」と。何でも赤字で名前を書くのは、不吉なことなのだそうだ。またこんなことも。

 ある日、私が肩が痛いと言うと、「なおしてあげる」と申しでてきた子ども(小五男児)がいた。「ありがたい」と思って頼むと、その子どもは私の肩に手をかざして、何やらを念じ始めた。で、私が「そんなのならいい。どうせなおらないから」と言うと、その子どもは笑いながら手を離した。私も笑った。

が、その翌日、まず祖父が教室へ飛び込んできた。「貴様は、うちの孫に何てことを教えるのだ!」と。つづいて母親までやってきて、「うちの宗教を批判しないでください!」と。その家族はある宗教団体の熱心な信者だった。さらに……。

●「あなたはせっかくのチャンスをムダにした」
 クラスの生徒の家庭に不幸があるたびに、「私なら何とかできます」と申し出てきた女性(四一歳)がいた。私の知人の姉にあたる人だった。話を聞くと、「私なら救うことができます」と。そのときもそうだった。子ども(小二)が、重い小児ガンになっていた。私も何とかしたいと思っていたので、つい気を許して、「お願いします」と言ったが、それからがたいへんだった。

その女性はまず箱いっぱいの書籍をもってきた。みるとその教団の教祖が書いた本だった。が、それで終わらなかった。ついで、そのガンの子どもの家を紹介してほしいと迫ってきた。しかし、それはまずい。相手の人は、相手の人で、毎日壮絶な苦しみと戦っている。そういう家族に、本当に救えるのならまだしも、宗教をすすめるのは、まずい。しかしその女性にはそれがわからない。私はていねい断ったのだが、こう言った。「あの子は私の力で治せる。あなたはせっかくのチャンスをムダにした」と。

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