最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●ゴシップ記事

2007-10-24 06:57:38 | Weblog
●今日も、始まった!

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昨日、銀行へ行ってきた。
順番を待った。そこで、
久しぶりに、女性週刊誌に
目を通した。

冒頭は、定番の皇室の話。
つづいて、これまた定番の、
ゴシップ記事。それにつづく、
これまた定番の、ゴシップ記事。

まさにゴシップ記事の洪水。

あとは意味のない、コラムと
エッセー。超能力を売り物に
するタレント占い師が、教育論を
展開していたのには、驚いた!

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 「ゴシップ」……gossip、つまり「うわさ記事」(日本語大辞典)。そのゴシップ記事には、それなりのおもしろさがある。それは認める。が、私の知らない人ばかり。ひとり、羽G何とかというタレントの獄中記が載せてあったが、知っているといえば、その人くらいだけ。「へえ~」とか、「ほ~」とか言って、読んだ。

 『他人の不幸話ほどおもしろいものはない』と、どこかのだれかが言った。私が感じた(おもしろさ)は、そういうおもしろさだったかもしれない。羽G何とかというタレントにしても、現在は、詐欺罪と恐喝罪で、告訴され、拘置所暮らし。「精神的に限界にきている」というようなことが、その記事には書いてあった。

 私のような一般庶民は、有名人が、何かの事件を引き起こして、一般庶民になることを喜ぶ。有名人が、私たち一般庶民と同じ人種であることを知って、喜ぶ。あるいは有名人が、没落して、一般庶民になることを喜ぶ。

 ここで「私のような」と書いたのは、そうとでも書かないと、世の女性たちに袋だたきにあいそうだからである。本当は、「世の女性たちは」と書きたかった。世の女性たちは、日ごろ感じているコンプレックスを、こうした記事を読むことで、解消している(?)。

 ゴシップが悪いというのではない。私たちは、たとえば他人の失敗にしても、それをうまく使えば、それを通して、何かを学ぶことができる。が、それには条件がある。(学ぶ)という姿勢である。それがないと、ゴシップは、いつもただのゴシップで終わってしまう。

 私はそれらの記事を読みながら、「これは書き手の問題」と感じた。つまり記事を書く人が、それなりの問題意識をもっていれば、よし。そうでなければ、ほんとうにただのゴシップ記事で終わってしまう。読む人にしても、「アッ、そう」で終わってしまう。

 実は、私も、20代のころ、S社の女性週刊誌の記者をしていた。「記者」というのも大げさだが、名刺には、そう印刷してあった。その名刺をもって、あちこちを取材して回った。そのとき編集長をしていた、I氏(男性)が、こんなことを教えてくれた。

 「女性というのはね、XXXXXXXXXXXXXXXXX」と。あまりにも過激な言葉なので、この部分は、省略する。しかしその精神は、40年近くたった今も、変わっていない。つまりそれを読む女性の読者たちは、こうした編集長の手の上で、踊らされているだけ。

 まあ、今の私なら、もう少し記事を掘りさげて書く。羽G何とかというタレントの獄中記にしても、精神的にどういう状態なのかを、もう少し詳しく書く。

 そうそう、もう1人いた。あの「騒音おばさん」。あの騒音おばさんだが、刑期を終えて、再び、もとの家にもどり、今度はふつうの生活(?)をしているという。「ふとんとはたく回数が、数百回から、数回程度になった」というようなことが書いてあった。

 その記事を読んだとき、ふと、「私なら、できるだろうか?」と考えた。つまりあれだけ世間で騒がれ、たたかれた人である。近所の人たちにも、嫌われた。そういう人が、もとの家に戻っている!

 私は、そこに、あの女性のもつ悲しさというか、苦しみを見た思いがした。あの女性について、当時、「ある女性の悲劇」と題して、こんな原稿を書いたことがある。

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●ある女性の悲劇

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Xさんには、2人の娘と、1人の
息子がいた。

しかし上の娘2人は、脳の病気で、
ともに32歳という、同じ年齢で、
あいついで、他界。

夫と息子も、同じ脳の病気で、
現在、入院中。

とくに長男は、現在、
予断を許さない状況だという。

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 これは実話である。

 Xさんには、2人の娘(長女、二女)と、1人の息子(長男)がいた。Xさんは、ごくふつうの母親として、3人の子どもを育てた。そのころのことをよく知る近所の人たちは、みな口をそろえて、こう証言している。   

「子どもをかわいがる人で、休みごとに、子どもたちを、あちこちへ連れていった」と。

当時の写真などは、写真週刊誌などで紹介されているが、どこからどう見ても、ごくふつうの、幸福そうな母親といった感じがする。

 そのXさんの家庭に、異変が起きたのは、長女が思春期を迎えたときのことだった。長女が、脳のある病気で、入院した。そしてそのあと、長い闘病生活のあと、その長女は、32歳の若さで、他界。

 が、不幸はつづく。

 同じく二女もまた、長女と同じころに発病。やはり脳のある病気だった。Xさんは、最後の1年間は、二女のそばについて、寝ずの看病をしつづけたという。が、くしくも、その二女が他界したのも、次女が32歳のとき。長女が他界したのと同じ年齢だったという。

 これを「偶然」というには、あまりにもむごい。が、そこで不幸が終わったわけではない。

 現在、Xさんの夫も、そして長男も、同じ脳のある病気で、入院中だという。しかも長男は重症で、余命は、それほど長くないと言われている。

 つまりXさんは、2人の娘を、脳の病気でなくし、さらに今また、夫と長男まで、同じ脳の病気で、なくそうとしている。不幸といえば、これほど、不幸な家族も、そうはない。もし、あなたがそのXさんなら、あなたは、そういう自分の境遇を、どう思うだろうか。あるいは、その苦しみから、どうやって自分を解放するだろうか。

 冒頭に書いたように、この話は、実話である。そしてこれから書く話も、実話である。

 やがてXさんは、どういう理由からか、道をはさんだ隣人のYさんと、トラブルを起こすようになる。Yさんの家から聞こえてくる騒音が、気になったという。そこでXさんは、その腹いせのためか、反対にYさんに対して、攻撃的な姿勢にうってでるようになる。

そうしたトラブルが原因で、Yさんは、何度かにわたってXさんを訴えた。

 Xさんが、「騒音おばさん」と呼ばれるようになったのは、そのあとのことである。テレビでもその様子が紹介されたので、知らない人はいないと思う。大音響のラジカセを鳴らしながら、それに合わせて、フトンをバンバンと叩きつづける。

 あるいは隣人の家の前までやってきて、大声で、怒鳴り散らす。

 Xさんは、騒音条例違反で、やがて警察に逮捕。現在は、拘置所に拘置されたまま、裁判所で裁判を受けている。

 私も最初、その模様をテレビで見たとき、普通でない様子に驚いた。緊張で、ひきつった顔。動物的な怒鳴り声。私は、「これが私たちと同じ人間か」とさえ、思った。いや、個人どうしというレベルでは、似たような行動をする人を知らないわけではない。

 しかしその個人というレベルを超えて、マスコミが取材している、その目前で、そういった行動をする人は少ない。そのためか、当時は、Xさんに同情する人は、まずいなかった。「騒音おばさん」という、どこか親しげなニックネームはつけたものの、それは、Xさんにたいする、激しい嫌悪感を裏がえしにした言い方とも考えられなくもない。

 あえて同情して言うなら、うちつづく不幸の中で、Xさんは、自分を見失ってしまった。もっと言えば、正気をなくしてしまった。そういうふうにも考えられなくもない。

 こうしたXさんの過去を知ったとき、私は、ものごとは、決して一方向だけから見てはいけないことを、改めて、思い知らされた。多分、このエッセーを読んだあなたも、そうではないか。

 だからといって、Xさんがした、あの一連の行為が許されるというのではない。隣人のYさんは、毎日、毎晩、さぞかしつらい思いをしたことだろう。こういう事件が近所で起こると、心底、神経をすり減らす。

 Xさんにしても、またYさんにしても、たいへん悲しい物語であることには、ちがいない。

【教訓】

 よく他人の不幸をのぞいては、あれこれ言ってくる人がいますね。無神経というか、無頓着というか。私も、今まで、そういうことをよくされました。

 しかしこちらには、こちらの、人には言えない事情というものがあります。そういう事情も知らないで、ときに親分風を吹かせて、ズケズケと、あるいはときに、物知り顔に、イヤミを言う。おまけに説教までしてくる!

 そういうことは、たがいに、してはいけません。たとえ相手が、身内でも、です。

 今回、Xさんの過去を知り、私は改めて、それを強く思いました。

 それにもうひとつ。被害者となったYさんにはたいへん申し訳ないのですが、私自身は、Xさんの過去を知り、どこかほっとしたような気持ちになりました。「やはり、根っからの悪人はいないのだ」と。つまりXさんには、Xさんの、人には言えない事情というものがあったのです。もっと言えば、同情すべき点も、多いということ。

 どうか、みなさん、心、安らかに!

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 「もしあなたに3人の子どもがいて……」という話は、もうやめよう。今、大切なことは、そっとしておいてやること。当の本人にとっても、また近所の人にとっても、それが最善。

 そのころ銀行で、私の順番が回ってきたので、私はそのまま窓口に立った。

(補記)

 30~40年前とくらべて、ゴシップ記事が、たいへん多くなったように思う。昔もその類の記事はあるにはあったが、ときどき「特集」とか、そういう形で、載っていた。が、今は、週刊誌そのものが、ゴシップ記事のかたまりといったふう。

 こうしたゴシップ記事でこわいのは、一度読み始めると、いわゆる「ゴシップ中毒(アディクション)」に陥(おちい)りやすいということ。それを知らないと落ち着かない……というより、知ることによって、自分の立場と地位を確保するようになる。

 他人の前で、有名人のゴシップをひけらかすことで、自分の優位性を確保するようになる。

 こうなると重症で、それ以後は、ゴシップ記事ばかりを追いかけるようになる。女性週刊誌は、そのためのバイブルということか? つまり女性週刊誌そのものが、どこかカルト化している? ……これは私の考え過ぎか?


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