●10月10日
+++++++++++++++++++
ここ数日、外出は、ほとんどなし。
いつ何どき、センターから電話が入るか
わからない。
携帯電話を、いつも肌身離さず、もちあるく。
が、それでも心配なときは、センターへ足を運ぶ。
自分の目で、母の様子を確かめる。
今のところ状態は安定している。
しかしいつ急変するか、わからない。
こういうときこそ、パソコンに向かって
文章でも書けばよいと、自分ではそう思う。
が、心がザワザワした状態で、何が書けるというのか。
電話のベルが鳴るたびに、そのつど、心臓が
ピンと、凍(こお)りつく。
+++++++++++++++++++
●DVD
そんなこともあって、ワイフが、DVDを3本も借りてきてくれた。
『クリミナル・マインド』、『シューテム・アップ』、『王妃の紋章』。
最近、とくに見たいDVDというのはない。
したいこともない。
が、あえて言うなら、パソコンをいじること。
いじるといっても、ただいじるだけ。
指先で感触を楽しんだり、汚れを拭いたり……。
先週、ハードディスクのコピーをしようとして、(する必要もなかった
のだが……)、失敗した。
もとに戻すのに、12時間もかかった。
そのトラウマがまだ残っている。
『クリミナル・マインド』は、犯罪捜査映画。星は2つの★★。
ちょっとできすぎかな(?)と思えるような映画。
『王妃の紋章』は、一言で言えば、スゴイ! 星は4つの★★★★。
中国も、スゴイ映画を作るようになった。ホント!
●安楽死
ワイフと顔を合わせると、母の話になる。
先ほども、こんな話をした。
私「いくら母が安楽死させてくれと言っても、ぼくにはできないね」
ワ「そうね」と。
こういう極限状態に追いつめられてみると、それまでぼんやりとしていた
(考え)が、はっきりとした輪郭をともなって現れてくる。
私「ほら、よく安楽死が問題になるだろ。家族のだれかが、見るに見かねてと、ね。
で、今、自分がその立場に立たされてみて、はっきりわかったことがある。
どんな状況であるにせよ、ぼくには、母を安楽死させるなんてことはできない」
ワ「そうね。やはりできないわね。いくらあなたのお母さんが望んだとしても、
できないわね」
私「……やはり、できない。できるものじゃ、ない」と。
もちろんその人の状態にもよる。
何か別の大病を患い、苦しんでいるようなばあいには、ひょっとしたら安楽死を
考えるかもしれない。
しかし母のばあい、呼吸は少し荒いが、ふだんは眠ったように穏やかな表情を
している。
「かわいそうだ」とは思うが、そこまで。
そこで思考が停止してしまう。
庭を見ると、鉛色の空気が、動きをとめてそこでじっとしていた。
先ほどまでは小雨がパラついていた。
どこか肌寒い。
●ターミナル・ケア(末期介護)
老人のケア・センターは、学校のように、学年別のようになっている。
1階が軽症者
見た感じ、要介護度3~4前後の人たちが集まっている。
2階が重症者。
見た感じ、要介護度5~6前後の人たちが集まっている。
母は、その2階にいる。
南側と北側の2つに分かれているが、南側のほうが、重症といった感じ。
3階へは行ったことがないので、どういう人たちがいるのか知らない。
しかし3階へ通ずる階段などには、太いパイプで柵がしてあるので、
そういうレベルの老人たちがいるにちがいない。
いちばん軽い人たちは、玄関を入ってすぐのところにある広間にいる。
デイサービスでやってくる老人たちである。
音楽に合わせて、遊戯をしたり、体操をしたりしている。
つまり順に見ながら追っていくと、それはそのまま私たちの老後の姿と
いうことになる。
70歳前後でデイサービスを受けるようになり、75歳前後で、1階の奥の
部屋に入り、85歳くらいで、2階の部屋に入る。
が、こういうサービスを受けられる人は、まだラッキーなほうだ。
このあたりでも1年~1年半程度の順番待ちは、常識。
「重度の老人から入居できる」ということにはなっているが、実際には、
糖尿病などの持病をもっている老人や、性格がよくない老人は、敬遠される(?)。
一方、大病院では、このところ老人ベッドの削減が始まっている。
そのこともあって、このところ病院を追い出される老人がふえているという。
また入院できたとしても、1か月前後をめどに、追い出されているという。
しかし追い出された老人は、どこへ行けばよいというのか。
それにあくまでもこれは、義姉の意見だが、ケア・センターでは、手厚く
介護してもらえるが、病院では、「ほったらかし」(義姉談)という。
県や地域によって、ターミナル・ケア(末期介護)の仕方はちがうらしい。
概して言えば、ここ静岡県は、私の印象では、ほかの県と比べて冷たいのでは?
実兄のケースと比べても、そう感ずる。
私は子どもたちと、よくこんな会話をする。
私「ぼくは、もうすぐヨーシエン(要支援)へ入るよ」
子「ヨーシエンではないよ、幼稚園だよ」
私「そうかア……。それが終わると、今度は、ヨーカイ(要介)学校だよ」
子「ぼくは、小学校だよ」
私「いいなあ、小学校かア」
子「先生の学校は、ヨーカイ(妖怪)がいるの?」
私「いる、いる、いっぱいいる。ヨーカイ学校は、1年から5年まであるんだよ」
子「5年が終わると、どうなるの?」
私「ハハハ、あの世へ行くよ」と。
●自宅介護
自分自身で経験してみて、要介護度が3とか4になったばあい、自宅で
老人介護するのは、不可能と考えてよい。
第一に、食事の問題がある。
「問題」というより、私たちは苦労した。
老人用の介護食というものもあるが、それにしても、そばで口まで運んで
やらねばならない。
が、何よりもこわいのが、「事故」。
老人介護の世界では、よかれと思ってすることが、多くのばあい、裏目、裏目に出る。
私の母にしても、6か月、私の自宅にいたが、その間、3回も、あわやというような
事故を経験している。
さらに要介護度が、4とか5になると、たいてい寝たきりの状態になる人が多い。
ワイフの友人の母親は、床ずれがひどくなり、そこが腐ってしまったという。
その(悪臭)が、たまたま夏場ということもあり、近所の家にまで漂ったという。
が、ではケア・センターでは、幸せなのかというと、それは言えない。
ケア・センターにいれば、たしかに長生きはできる。
「至れり尽くせり」というよりは、「ここまでやってもらえるのか」と感心するほど、
ていねいに介護してくれる。
もちろん年中、室温は一定に保たれている。
24時間、介護士と看護士が交代で、介護してくれる。
食事にしても、老人ごとに調理したものを、一度すべてミキサーにかけて、スプーンで
与えてくれる。
それも難しくなると、ゼリー食にかわり、さらに必要であれば、随時、点滴で栄養を
補給してくれる。
家庭では、そこまではできない。
が、それがその老人にとって最善かといえば、やはりそうとは言えない。
(長生き)そのものに、「?」がつきまとう。
中には、大声で叫んでばかりいる老人もいる。
暴力を振るう老人もいる。
そういった老人が、加齢とともに、不可逆的に、症状を悪化させていく。
で、そういうとき私は、いつも、「私なら……」と考える。
「私なら、そういう形でなら、長生きしたくない」と。
が、実際には、生きるのもたいへんだが、死ぬのは、もっとたいへん(?)。
首をつるといっても、ベッドから起きあがることさえできない私が、
どうやって首をつればよいのか。
……何か怖ろしいことを書いているような気がしてきたので、この話は、
ここまで。
今のところ、センターからの電話はない。
ほっとしながら、夕食の準備にとりかかる。
今夜のおかずは、焼きソバ一品。
私が料理する。
(補記)
ケア・センターのみなさん、本当にありがとうございます。
みなさんは、今ままで、母に、本当によくしてくださいました。
これからもよろしくお願いします。
●生きる
「息(いき)る」、「生きる」、「活(い)きる」
++++++++++++++++++++++
古い日本語には、「いきる」しかなかったのでは?
それに中国から入ってきた、漢字を当てた。
「生きる」「活きる」と書くようになった。
が、もともとは、「息(いき)る」ではなかったのか?
つまり日本語では、息をすることを、「いきる」と言った?
++++++++++++++++++++++
同じような例は多い。
たとえば、「臭い」がある。
もともとは、「草(くさ)い」ではなかったのか?
草のようなにおいがすることを、「くさい」といった。
それにやはり中国から入ってきた、漢字の「臭い」を当てた?
これはあくまでも私の推理によるものなので、まちがっている
と考えてもらったほうがよい。
しかし「息る」→「生きる」→「活る」を並べてみると、
生き様の基本がわかるようで、興味深い。
「人間は、息るだけでは、足りない。生きるだけでも足りない。
活きなければならない」と。
その「活きる」には、「すべきことをする」という意味が含まれる。
つまり私たちは、活きるために生き、そして息をする。
またまた老人の話に戻ってしまうが、ケア・センターにいる老人たちは、
まさに息をしているだけ、ということになる。
ただ誤解してはいけないのは、だからといって、それが無駄であるとか、
老人たちの命には価値がないとか、そんなことを言っているのではない。
私やあなたも、やがてそうなるということも考え合わせるなら、私が
ここに書きたいのは、その逆。
息るためだけの老人にならないようにするには、どうしたらよいかということ。
もちろん肉体や精神の健康も大切だが、それ以上に大切なのは、やはり(生き様)
ということになる。
私もこの年齢になってみて驚いたが、老人は老人になるのではなく、老人に
させられるのだということがわかった。
それはものすごいプレッシャーである。
いくら私が、「私はちがう!」と叫んでも、そのプレッシャーは、怒涛のごとく、
襲いかかってくる。
どこへ行っても、「老人はこうあるべき」式の「形」が、向こうからやってくる。
だからたいはんの老人たちは、それらしい老人になっていく。
自ら、そうなっていく。
そして過去の古い話を大切にし、その思い出にふけるようになる。
自らの思想を磨いたり、前に向かって進むことさえ、やめてしまう。
何か新しいことを提案しても、「私は歳だから」とか、そんな言い方をして、
逃げてしまう。
しかし、どうして老人は、老人らしくならなければならないのか。
ひとつには、そのほうが居心地がよいということもある。
他人とちがった生き方をするというのは、この日本では、なにかにつけて難しい。
あちらでガツン、こちらでガツンと、みなに叩かれる。
話は少しそれるが、ある人(新聞社の記者)は、私にこう言った。
「林さん、あなたのような人に、成功してもらっては困るのです。
あなたのような人が、この世界で成功すると、では私たちはいったい何だったのか
ということになってしまうのです」と。
わかりやすく言えば、私のようなフリーターは、「静かに生きるのがいい」
ということらしい。
「活きてもらっては、困る」と。
しかし私は、活きる。
活きて、活きて、最後まで活きてやる。
老人の話にもどる。
若い人たちは、老人に対して、偏見をもっている。
たとえばこの年齢になっても、性欲というのは、ある。
相手がかがんだようなとき、若い女性の白い胸がボロッと見えたりすると、
ハッと息をのむ。
そういう私を「変態」と若い人たちは思うかもしれない。
しかし基本的には、私たちは、若い人たちとはちがわない。
ちがうと考えるほうが、おかしい。
生活力についても、加齢とともに、劣ってくると考える人もいる。
しかし実際には、劣っていない。
周囲がそういう目で見るから、何となく、それに合わせているだけである。
つまり無意識のうちにも、若いときに見た老人像を、自分の中で作っていく。
言いかえると、今、現在若いと思っている人たちも、勝手に老人像を頭の中に描かないほ
うがよい。
「老人というのは、こういうもの」「こうあるべき」「老人は、こんなことをしない」と。
そういう老人像を勝手に作れば作るほど、いつか、あなた自身も、その老人像に
しばられてしまう。
なぜなら、あなた自身も、まちがいなく、その老人になる。
「老人」といっても、それはただの「数字の問題」。
年齢というただの「数字の問題」。
そんな数字にしばられて、老人になったから、活きるのをやめると考えるのは、
バカげている。
ほんとうにバカげている。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct・08++++++++++++++はやし浩司
●テロ支援国家指定解除?
++++++++++++++++
アメリカ時間で、今日、10日、K国の
テロ支援国家指定が、暫定的であるにせよ、
解除されるという。
どうしてあのC・ヒルは、こうまでおめでたいのか。
テロ支援国家指定解除うんぬんの問題は、
もともとK国にとっては、どうでもよい問題。
時間稼ぎのための、難グセにすぎない。
暴力団の男が、理由にもならない理由をこじつけて、
からんでくるのと同じ。
よい例が、BDA銀行問題。
アメリカはマカオのBDA銀行に凍結された、K国資金について、
その資金を解除した。
が、いまだに、その資金は、BDA銀行に残ったまま。
あれほど大騒ぎしたくせに、「そのまま」というのは、おかしい。
同じように、指定が解除されたからといって、世界がそれに
応じて動き出すわけではない。
(指定されているからといって、今のK国にとっては、たいした
被害はない。
被害が出るような国際取引そのものをしていない。
あるいはどこかで、それを理由に、取引が拒否されたことがあるとでもいうのだろうか。)
つまり難グセ。
どうしてあのC・ヒルには、それがわからないのだろう?
ここでテロ支援国家の指定解除をしたところで、K国は動かない。
動くはずもない。
またつぎの難グセをもちだして、時間稼ぎをする。
あるいは核兵器開発用の関連施設を、こま切れにして、出してくるはず。
既存の核兵器を放棄するのは最後の最後ということになるが、その(最後)は、ない。
K国は、すでに「核保有国」としての自国の立場を表明しつつある。
報道によれば、今回の指定解除について、アメリカ側は、食糧援助のプレゼントまで
つけるという。
中国がプレゼントをつけるというのなら、まだ話がわかる。
しかしどうしてアメリカなのか?
私には、どうしても理解できない。
(2008年10月10日記)
+++++++++++++++++++
ここ数日、外出は、ほとんどなし。
いつ何どき、センターから電話が入るか
わからない。
携帯電話を、いつも肌身離さず、もちあるく。
が、それでも心配なときは、センターへ足を運ぶ。
自分の目で、母の様子を確かめる。
今のところ状態は安定している。
しかしいつ急変するか、わからない。
こういうときこそ、パソコンに向かって
文章でも書けばよいと、自分ではそう思う。
が、心がザワザワした状態で、何が書けるというのか。
電話のベルが鳴るたびに、そのつど、心臓が
ピンと、凍(こお)りつく。
+++++++++++++++++++
●DVD
そんなこともあって、ワイフが、DVDを3本も借りてきてくれた。
『クリミナル・マインド』、『シューテム・アップ』、『王妃の紋章』。
最近、とくに見たいDVDというのはない。
したいこともない。
が、あえて言うなら、パソコンをいじること。
いじるといっても、ただいじるだけ。
指先で感触を楽しんだり、汚れを拭いたり……。
先週、ハードディスクのコピーをしようとして、(する必要もなかった
のだが……)、失敗した。
もとに戻すのに、12時間もかかった。
そのトラウマがまだ残っている。
『クリミナル・マインド』は、犯罪捜査映画。星は2つの★★。
ちょっとできすぎかな(?)と思えるような映画。
『王妃の紋章』は、一言で言えば、スゴイ! 星は4つの★★★★。
中国も、スゴイ映画を作るようになった。ホント!
●安楽死
ワイフと顔を合わせると、母の話になる。
先ほども、こんな話をした。
私「いくら母が安楽死させてくれと言っても、ぼくにはできないね」
ワ「そうね」と。
こういう極限状態に追いつめられてみると、それまでぼんやりとしていた
(考え)が、はっきりとした輪郭をともなって現れてくる。
私「ほら、よく安楽死が問題になるだろ。家族のだれかが、見るに見かねてと、ね。
で、今、自分がその立場に立たされてみて、はっきりわかったことがある。
どんな状況であるにせよ、ぼくには、母を安楽死させるなんてことはできない」
ワ「そうね。やはりできないわね。いくらあなたのお母さんが望んだとしても、
できないわね」
私「……やはり、できない。できるものじゃ、ない」と。
もちろんその人の状態にもよる。
何か別の大病を患い、苦しんでいるようなばあいには、ひょっとしたら安楽死を
考えるかもしれない。
しかし母のばあい、呼吸は少し荒いが、ふだんは眠ったように穏やかな表情を
している。
「かわいそうだ」とは思うが、そこまで。
そこで思考が停止してしまう。
庭を見ると、鉛色の空気が、動きをとめてそこでじっとしていた。
先ほどまでは小雨がパラついていた。
どこか肌寒い。
●ターミナル・ケア(末期介護)
老人のケア・センターは、学校のように、学年別のようになっている。
1階が軽症者
見た感じ、要介護度3~4前後の人たちが集まっている。
2階が重症者。
見た感じ、要介護度5~6前後の人たちが集まっている。
母は、その2階にいる。
南側と北側の2つに分かれているが、南側のほうが、重症といった感じ。
3階へは行ったことがないので、どういう人たちがいるのか知らない。
しかし3階へ通ずる階段などには、太いパイプで柵がしてあるので、
そういうレベルの老人たちがいるにちがいない。
いちばん軽い人たちは、玄関を入ってすぐのところにある広間にいる。
デイサービスでやってくる老人たちである。
音楽に合わせて、遊戯をしたり、体操をしたりしている。
つまり順に見ながら追っていくと、それはそのまま私たちの老後の姿と
いうことになる。
70歳前後でデイサービスを受けるようになり、75歳前後で、1階の奥の
部屋に入り、85歳くらいで、2階の部屋に入る。
が、こういうサービスを受けられる人は、まだラッキーなほうだ。
このあたりでも1年~1年半程度の順番待ちは、常識。
「重度の老人から入居できる」ということにはなっているが、実際には、
糖尿病などの持病をもっている老人や、性格がよくない老人は、敬遠される(?)。
一方、大病院では、このところ老人ベッドの削減が始まっている。
そのこともあって、このところ病院を追い出される老人がふえているという。
また入院できたとしても、1か月前後をめどに、追い出されているという。
しかし追い出された老人は、どこへ行けばよいというのか。
それにあくまでもこれは、義姉の意見だが、ケア・センターでは、手厚く
介護してもらえるが、病院では、「ほったらかし」(義姉談)という。
県や地域によって、ターミナル・ケア(末期介護)の仕方はちがうらしい。
概して言えば、ここ静岡県は、私の印象では、ほかの県と比べて冷たいのでは?
実兄のケースと比べても、そう感ずる。
私は子どもたちと、よくこんな会話をする。
私「ぼくは、もうすぐヨーシエン(要支援)へ入るよ」
子「ヨーシエンではないよ、幼稚園だよ」
私「そうかア……。それが終わると、今度は、ヨーカイ(要介)学校だよ」
子「ぼくは、小学校だよ」
私「いいなあ、小学校かア」
子「先生の学校は、ヨーカイ(妖怪)がいるの?」
私「いる、いる、いっぱいいる。ヨーカイ学校は、1年から5年まであるんだよ」
子「5年が終わると、どうなるの?」
私「ハハハ、あの世へ行くよ」と。
●自宅介護
自分自身で経験してみて、要介護度が3とか4になったばあい、自宅で
老人介護するのは、不可能と考えてよい。
第一に、食事の問題がある。
「問題」というより、私たちは苦労した。
老人用の介護食というものもあるが、それにしても、そばで口まで運んで
やらねばならない。
が、何よりもこわいのが、「事故」。
老人介護の世界では、よかれと思ってすることが、多くのばあい、裏目、裏目に出る。
私の母にしても、6か月、私の自宅にいたが、その間、3回も、あわやというような
事故を経験している。
さらに要介護度が、4とか5になると、たいてい寝たきりの状態になる人が多い。
ワイフの友人の母親は、床ずれがひどくなり、そこが腐ってしまったという。
その(悪臭)が、たまたま夏場ということもあり、近所の家にまで漂ったという。
が、ではケア・センターでは、幸せなのかというと、それは言えない。
ケア・センターにいれば、たしかに長生きはできる。
「至れり尽くせり」というよりは、「ここまでやってもらえるのか」と感心するほど、
ていねいに介護してくれる。
もちろん年中、室温は一定に保たれている。
24時間、介護士と看護士が交代で、介護してくれる。
食事にしても、老人ごとに調理したものを、一度すべてミキサーにかけて、スプーンで
与えてくれる。
それも難しくなると、ゼリー食にかわり、さらに必要であれば、随時、点滴で栄養を
補給してくれる。
家庭では、そこまではできない。
が、それがその老人にとって最善かといえば、やはりそうとは言えない。
(長生き)そのものに、「?」がつきまとう。
中には、大声で叫んでばかりいる老人もいる。
暴力を振るう老人もいる。
そういった老人が、加齢とともに、不可逆的に、症状を悪化させていく。
で、そういうとき私は、いつも、「私なら……」と考える。
「私なら、そういう形でなら、長生きしたくない」と。
が、実際には、生きるのもたいへんだが、死ぬのは、もっとたいへん(?)。
首をつるといっても、ベッドから起きあがることさえできない私が、
どうやって首をつればよいのか。
……何か怖ろしいことを書いているような気がしてきたので、この話は、
ここまで。
今のところ、センターからの電話はない。
ほっとしながら、夕食の準備にとりかかる。
今夜のおかずは、焼きソバ一品。
私が料理する。
(補記)
ケア・センターのみなさん、本当にありがとうございます。
みなさんは、今ままで、母に、本当によくしてくださいました。
これからもよろしくお願いします。
●生きる
「息(いき)る」、「生きる」、「活(い)きる」
++++++++++++++++++++++
古い日本語には、「いきる」しかなかったのでは?
それに中国から入ってきた、漢字を当てた。
「生きる」「活きる」と書くようになった。
が、もともとは、「息(いき)る」ではなかったのか?
つまり日本語では、息をすることを、「いきる」と言った?
++++++++++++++++++++++
同じような例は多い。
たとえば、「臭い」がある。
もともとは、「草(くさ)い」ではなかったのか?
草のようなにおいがすることを、「くさい」といった。
それにやはり中国から入ってきた、漢字の「臭い」を当てた?
これはあくまでも私の推理によるものなので、まちがっている
と考えてもらったほうがよい。
しかし「息る」→「生きる」→「活る」を並べてみると、
生き様の基本がわかるようで、興味深い。
「人間は、息るだけでは、足りない。生きるだけでも足りない。
活きなければならない」と。
その「活きる」には、「すべきことをする」という意味が含まれる。
つまり私たちは、活きるために生き、そして息をする。
またまた老人の話に戻ってしまうが、ケア・センターにいる老人たちは、
まさに息をしているだけ、ということになる。
ただ誤解してはいけないのは、だからといって、それが無駄であるとか、
老人たちの命には価値がないとか、そんなことを言っているのではない。
私やあなたも、やがてそうなるということも考え合わせるなら、私が
ここに書きたいのは、その逆。
息るためだけの老人にならないようにするには、どうしたらよいかということ。
もちろん肉体や精神の健康も大切だが、それ以上に大切なのは、やはり(生き様)
ということになる。
私もこの年齢になってみて驚いたが、老人は老人になるのではなく、老人に
させられるのだということがわかった。
それはものすごいプレッシャーである。
いくら私が、「私はちがう!」と叫んでも、そのプレッシャーは、怒涛のごとく、
襲いかかってくる。
どこへ行っても、「老人はこうあるべき」式の「形」が、向こうからやってくる。
だからたいはんの老人たちは、それらしい老人になっていく。
自ら、そうなっていく。
そして過去の古い話を大切にし、その思い出にふけるようになる。
自らの思想を磨いたり、前に向かって進むことさえ、やめてしまう。
何か新しいことを提案しても、「私は歳だから」とか、そんな言い方をして、
逃げてしまう。
しかし、どうして老人は、老人らしくならなければならないのか。
ひとつには、そのほうが居心地がよいということもある。
他人とちがった生き方をするというのは、この日本では、なにかにつけて難しい。
あちらでガツン、こちらでガツンと、みなに叩かれる。
話は少しそれるが、ある人(新聞社の記者)は、私にこう言った。
「林さん、あなたのような人に、成功してもらっては困るのです。
あなたのような人が、この世界で成功すると、では私たちはいったい何だったのか
ということになってしまうのです」と。
わかりやすく言えば、私のようなフリーターは、「静かに生きるのがいい」
ということらしい。
「活きてもらっては、困る」と。
しかし私は、活きる。
活きて、活きて、最後まで活きてやる。
老人の話にもどる。
若い人たちは、老人に対して、偏見をもっている。
たとえばこの年齢になっても、性欲というのは、ある。
相手がかがんだようなとき、若い女性の白い胸がボロッと見えたりすると、
ハッと息をのむ。
そういう私を「変態」と若い人たちは思うかもしれない。
しかし基本的には、私たちは、若い人たちとはちがわない。
ちがうと考えるほうが、おかしい。
生活力についても、加齢とともに、劣ってくると考える人もいる。
しかし実際には、劣っていない。
周囲がそういう目で見るから、何となく、それに合わせているだけである。
つまり無意識のうちにも、若いときに見た老人像を、自分の中で作っていく。
言いかえると、今、現在若いと思っている人たちも、勝手に老人像を頭の中に描かないほ
うがよい。
「老人というのは、こういうもの」「こうあるべき」「老人は、こんなことをしない」と。
そういう老人像を勝手に作れば作るほど、いつか、あなた自身も、その老人像に
しばられてしまう。
なぜなら、あなた自身も、まちがいなく、その老人になる。
「老人」といっても、それはただの「数字の問題」。
年齢というただの「数字の問題」。
そんな数字にしばられて、老人になったから、活きるのをやめると考えるのは、
バカげている。
ほんとうにバカげている。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct・08++++++++++++++はやし浩司
●テロ支援国家指定解除?
++++++++++++++++
アメリカ時間で、今日、10日、K国の
テロ支援国家指定が、暫定的であるにせよ、
解除されるという。
どうしてあのC・ヒルは、こうまでおめでたいのか。
テロ支援国家指定解除うんぬんの問題は、
もともとK国にとっては、どうでもよい問題。
時間稼ぎのための、難グセにすぎない。
暴力団の男が、理由にもならない理由をこじつけて、
からんでくるのと同じ。
よい例が、BDA銀行問題。
アメリカはマカオのBDA銀行に凍結された、K国資金について、
その資金を解除した。
が、いまだに、その資金は、BDA銀行に残ったまま。
あれほど大騒ぎしたくせに、「そのまま」というのは、おかしい。
同じように、指定が解除されたからといって、世界がそれに
応じて動き出すわけではない。
(指定されているからといって、今のK国にとっては、たいした
被害はない。
被害が出るような国際取引そのものをしていない。
あるいはどこかで、それを理由に、取引が拒否されたことがあるとでもいうのだろうか。)
つまり難グセ。
どうしてあのC・ヒルには、それがわからないのだろう?
ここでテロ支援国家の指定解除をしたところで、K国は動かない。
動くはずもない。
またつぎの難グセをもちだして、時間稼ぎをする。
あるいは核兵器開発用の関連施設を、こま切れにして、出してくるはず。
既存の核兵器を放棄するのは最後の最後ということになるが、その(最後)は、ない。
K国は、すでに「核保有国」としての自国の立場を表明しつつある。
報道によれば、今回の指定解除について、アメリカ側は、食糧援助のプレゼントまで
つけるという。
中国がプレゼントをつけるというのなら、まだ話がわかる。
しかしどうしてアメリカなのか?
私には、どうしても理解できない。
(2008年10月10日記)