最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●育児エッセー(6)

2009-06-22 13:26:49 | Weblog
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(69)

●子をもって知る子育ての深さ

 「家のしつけがなっていない」「親がだらしない」などと平気で口にする人は、自分で子育てをしたことがない人とみてよい。自分で子育てをしてみると、この考えが消える。「クレヨンしんちゃん」の中に、こんなシーンがある。

 向こうから二人の高校生が歩いてくる。それを見た母親のみさえが、「何よ、あのかっこうは。親の顔を見てみたい」と。するとその高校生たちが、しんのすけを見て、こう叫ぶ。「何だ、こいつ。親の顔を見てみたい」※と。みさえがその方向を見ると、しんのすけがチンチン丸出しで歩いてくる……。

 思うようにならないのが子育て。もちろん成功する人もいるが、失敗する人のほうがはるかに多い。しかし成功したからといって、それはその人の力というよりは、子ども自身の力によるところが大きい。反対に、失敗したからといって、その人の責任ではない。その人はその人なりに、一生懸命しているのだ。一生懸命しても、あるいは皮肉なことに一生懸命すればするほど、子どもだけがどんどんわき道に入ってしまう……。子育てというのは、もともとそういうもの。

 そこでどうだろう、こう考えたら。失敗を失敗と思うから失敗であって、子育てには失敗などない、と。たとえばこんな教授がいた。それまでは受験雑誌などにエッセイを書いていたし、彼の書いた「受験攻略法」(仮称)は、数10万部を超えるベストセラーになった。が、彼の息子のうち、長男は京大に入ったが、二男は京都のある私立大学に入った。それについてその教授は、「私は二男を、東大もしくは京大へ入れることができなかった。教育に失敗した」と、「失敗」という言葉を使って、「受験攻略法」について書くのをやめてしまった。「失敗」という言葉がそういうふうにも使われることもある。

 自分の子育てにはもちろんのこと、他人の子育てにも謙虚であること。この世界には、こんな鉄則がある。「他人の子育てを笑うものは、いつか自分が笑われる」と。たとえばAさんはいつも、その出身高校でその人を判断していた。「あの親は結構、教育熱心でしたけど、息子さんはC高校ですってねエ」と。

しかしいざ自分の娘(中3)が受験となったときのこと。娘にはその力がなかった。だからAさんは、毎晩のように娘と、「勉強しなさい」「うるさい」の大乱闘を繰り返すことになった。こうした例はあなたのまわりにも、一つや二つは必ずあるはずだ。だから繰り返す。他人の子育てには謙虚であること。








ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(70)

●親は自分の過去を再現する

 子どもが受験期を迎えると、たいていの親は言いようのない不安感に襲われる。自分自身が自分の受験期にいやな思いをした人ほどそうで、記憶というのは、そういうもの。親は子育てをしながら、自分の過去を再現する。

 もっとも親が不安になるのは、親の勝手だが、その不安感を子どもにぶつけてはいけない。ぶつけてもいけない。今はそういう時代ではない。むしろ受験そのものがもつ弊害というか、子どもの心への悪影響のほうが問題にされ始めている。親子関係そのものを破壊することも多い。

しかし親子関係を犠牲にするほどの価値が受験にあるかというと、それは疑わしい。日本人が「何が本当に大切で、何が大切でないか」ということを、少しずつだが考え始めている。その一つの表れとして、一九九九年に文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」として、約40%が「家族」をあげた。さらに1995年ごろを境として、全国の塾数、塾の講師数ともに減少に転じている(通産省資料)。長引く不況と少子化が原因だが、それ以上に、「エリートの凋落(ちょうらく)」が大きな影を落としている。

Y証券会社という日本を代表するような証券会社が倒産したとき、そのときの社長が、「みんな、私が悪いんです」と、子どものように泣いてみせた。そう、あのとき日本のエリート神話が崩壊した!

 もちろん子育てには不安がついてまわる。子どもの将来はだいじょうぶだろうか、と。そして一方、この日本には不公平格差が歴然としてある。そのコースに入った人は、必要以上に得をし、そうでない人は、公的な保護をまったくといってよいほど受けない。こうした不公平感を親たちは日常的に感じているから、ついつい子どもには「勉強しなさい」と言ってしまう。しかしこの時点でも、おかしいのは社会であって、子どもではない。戦うべき相手は社会であって、子どもではない。

 話がそれたが、親は子育てをしながら、結局は、子どもの年齢ごとに自分の子育てを再現する。自分が受けた子育てを繰り返すといってもよい。しかしそれがよいものであれば問題はないが、そうでないものだったら、再現しないほうがよい。

いや、本当の問題はこのことではない。本当の問題は再現しているということにすら気づかないまま、自分の中の「過去」に振りまわされることだ。そしていつも同じような失敗を繰り返す。あなたもそういう視点で、一度あなたの心の中をのぞいてみてほしい。









ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(71)

●さえを伸ばす

 子どもの頭をよくする方法というのは、そんなにないが、その一つが、この「さえを伸ばす」。ここでいう「さえ」というのは、子どものひらめきや直感力、洞察力を言うが、頭のやわらかい子どもは、さえが鋭く、しかも頻繁に現れる。

 たとえば幼児との会話で、「電線にさわると、真っ黒こげになってしまう」と話したときのこと。一人の子ども(年長児)が、すかさずこう言った。「わかった、だからカラスは黒いんだ」と。こういうのをさえという。学習に限らない。

遊びにしても、「ああすればいい」とか、「こうすればいい」とか、つぎつぎとアイディアを出してくる。こういうさえを見せたら、おとなの立場で意見を加えたりしながらも、そのさえを伸ばすようにする。「それはおもしおろいね」「そればすばらしい考えだ」とかなど。こんな子ども(四歳男児)もいた。

 ある日客がきたとき、その子どもがスリッパを出して、その客にほめられたというのだ。それでその子どもはすっかり気をよくしてしまい、それ以来、集金の客がきてもスリッパを出したり、お茶を出したりするようになったという。「うちの子はよく気が回るのです」と母親は笑っていたが、「よく気が回る」というのも、ここでいうさえと考えてよい。

 反対に頭のかたい子どもには、このさえがない。何かの説明をしても、そのワクの中だけで考えようとする。いわゆる融通のきかない子どもといった感じになる。決められたことや、言われたことはきちんとするものの、それ以外のことはしようとしないなど。そしてひとりにしておくと、「退屈だ」「つまらない」と言い出す。

 こうしたさえを伸ばすコツは、子どもの視点で、「あれっ!」と思うような意外性を大切にする。お金をかけろということではない。木の葉をかんで、味を調べさせたり、石を拾ってきてペインティングしてみるなど。おもちゃのトラックにお寿司を並べた母親がいたが、それでもよい。子どもの側から見て、子どもの頭の中でかたまりつつある常識をいつも破るようにする。










ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(72)

●砂糖は白い麻薬

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えるとわかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)である(アメリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。

つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害する、と。

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないものを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10~15グラム。この量はイチゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいはキーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖は白い麻薬と考え、砂糖断ちをしてみるとよい。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落ち着く。

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与えると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。と言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。

たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処する。

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要なことである」と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーなどの原因になっている」とも。







ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(73)

●参観は「動」と「静」を見る

 よい授業かどうかは、「動」と「静」をみる。「動」のときは、子どもたちが活発に意見を言ったり、笑ったりする。「静」のときは、子どもたちが一転して静かに、黙々と作業をする。そういう授業をよい授業という。またそういう指導ができる教師を、すぐれた教師という。

が、そうでない授業はそうでない。そうでない教師はそうでない。「動」と「静」の区別がつかないばかりか、いつもダラダラと時間だけが過ぎていくといった感じになる。

 もっともこういう「動」と「静」がはっきりとした、つまりメリハリのある授業をするということは、教師にとってもかなりたいへんなことで、それだけの準備と労力が必要である。実際、小学校の低学年児を相手に、真剣に授業をしたら若い教師でもヘトヘトになる。子どもたちのもつエネルギーは想像以上のものだし、もともと教育というのは、そういうもの。

 こうした基準は、あなたの子どものおけいこ塾や学習塾を選ぶときにも応用できる。さらに保育園や幼稚園を選ぶときにも応用できる。私はこういう評論活動をしているため、よく「どこの幼稚園がいいですか」と聞かれる。立場上、名前を出すことはできないが、一つの目安はある。つぎのような点を見ると、よい保育園や幼稚園を選ぶことができる。

(1) ピカピカにみがかれたような園、子どものにおいがしない幼稚園は避ける。

(2) 園長がスーツを着て、職員室にふんぞりかえっているような幼稚園は避ける。

(3) やることだけは派手だが、ポリシーを感じない幼稚園は避ける。

 反対によい園は、

(1) 現場の先生たちが生き生きしている園。

(2) 休み時間になると、子どもたちが先生のまわりに集まってワイワイと喜んでいる幼稚園。

(3) いたるところに子どものにおい(落書きや、いたずら、遊具など)がプンプンとする園。

(4) 子どもの視線で見て、どこか楽しさを覚える幼稚園。

(5) 園長が作業服などを着て、率先して指導している園。

 以上あくまでも参考的意見として。









ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(74)

●30分で5分

 子どもの勉強は、30分やって5分と思うこと。つまり30分の間で、5分間だけ勉強らしきことをすればよいとみる。家庭でする勉強というのは、しょせんそういうもの。小学1年生や2年生が、家へ帰ってから、一時間も二時間も、黙々と漢字の書き取りをするほうがおかしい。もしそうなら、心の病気を疑ってみたほうがよい。

 無理や強制が日常化すると、子どもは勉強から逃げるようになる。これは当然のことだが、さらにその症状が進むと、(1)フリ勉、(2)時間つぶしがうまくなる。フリ勉というのは、いかにも勉強していますという様子だけを見せる勉強法をいう。が、その実、何もしていない。

たとえば一時間で、計算問題を数問解くだけ、あるいは英文を数行書くだけなど。つぎに時間つぶし。つめをほじったり、鉛筆をかんだりして、時間ばかりムダにする。先生や親の視線を感ずると、そのときだけ、いそいそと本のページをめくってみせたりする。

 こうしたフリ勉や時間つぶしをするようになったら、家庭教育のあり方をかなり反省したほうがよい。……というより、一度、こういう症状(これを「空回り」という)が身につくと、それをなおすのは容易ではない。たいてい(親が叱る)→(ますますフリ勉、時間つぶしがうまくなる)の悪循環の中で、子どもは勉強から遠ざかっていく。

 要は集中力の問題。ダラダラと時間をかけるよりも、短時間にパッパッと勉強を終えるほうが、子どもの勉強としては望ましい。実際、勉強ができる子どもというのは、そういう勉強のし方をする。私が今知っている子どもに、K君(小4男児)という子どもがいる。彼は中学一年レベルの数学の問題を、自分の解き方で解いてしまう。そのK君だが、「家ではほとんど勉強しない」(母親)とのこと。「学校の宿題も、朝、学校へ行ってからしているようです」とも。

 ついでながら静岡県の小学5、6年生についてみると、家での学習時間が30分から1時間が43%、1時間から1時間30分が31%だそうだ(静岡県出版文化会発行「ファミリス」県内100名について調査・2001年)。
 

 

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