最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●大学の同窓会

2010-02-21 13:05:34 | Weblog


●金沢へ

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私は今、この原稿を、金沢へ向かう
電車の中で書いている。
「しらさぎx号」という電車で、
米原発を、50分遅れ。
何でも一宮(いちのみや)付近で、
人身事故があったとか。

このところ列車事故がよくある。
「そのひとつかな?」と思った。

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●北陸トンネル

 列車は、もうすぐ北陸トンネルに入るはず。
その手前で、北陸トンネルらしき、長いトンネルに入るが、これは北陸トンネルではない。
長さは、13キロ以上ある。
長いトンネルである。
昔は、つまり私が学生時代には、このトンネルが近づくと、急いで窓をしめた。
蒸気機関車の煙が、容赦なく窓の中に飛び込んできた。

 窓の外は低く、重い雲がたれさがっている。
雪雲である。
近くの山々の上部は、白い雪でおおわれている。
寒々とした景色である。

 私は学生時代、この天気が嫌いだった。
米原から北陸線に入ったとたん、ゆううつな気分になった。
今でもその気持ちは変わらない。

●金沢の町

 好きか嫌いかと問われれば、「好きではない」。
私にとって金沢という町は、そういう町だった。
今もそうだ。
また「住みたくない」という意味では、嫌いな町ということになる。
私には、青い空がさんさんと輝くような町のほうがあっている。
が、だからといって、性格が明るいというわけではない。
ひょっとしたら、暗いから、そうなのかもしれない。
ときとして、人は、自分の心と正反対のものを、外の世界に求める。
私のような性格のものが、金沢のようなところに住んだら、ますます暗くなってしまう。
いつもうつ病と紙一重のところで生きている。

 あまり自慢にならないが、当時、つまり今から40年以上も前の話だが、学生の自殺率ナンバーワンの大学といえば、私たちの母校、金沢大学だったという。
とくに戦後直後は、学生の自殺者が後を絶たなかったと聞いている。
(この話は、学生時代、だれかから聞いたもの。)

●雪国

 北陸トンネルを抜けると、「そこは雪国」だった。
見た感じ、40~50センチほど、雪が積もっていた。
寒々とした景色だった。
その間を、大きな瀬を立てて、小さな川が流れていた。
私はしばらくパソコンを打つ手を休めて、窓の外の景色に見とれた。
そこは白と黒の世界。
ほんのりと少し、空に水色の光も見える。

 『♪秋の灯ともしころの、しぐれの長浜の町は・・・』と。
学生時代、合唱団で歌った歌が、頭の中で聞こえてきた。
とたん、懐かしさが、ググーッとこみあげてきた。
切ないというか、さみしさと悲しさの入り交ざった思い。
あれから40年以上にもなるのに、その40年が、どこかへ消えてしまった。
人生という部屋に入ったら、入り口が、そのまま出口だった。

 今はいるはずもない、下宿のおばさんや、友だちの顔々が、つぎつぎと浮かんでは消える。
「みやげはもっているだろうか?」と、ふとそんなことを考える。
・・・列車はたった今、「武生(たけふ)」という駅に止まった。

●列車の中

 ワイフはポータブルビデオを見ている。
長男は、だまって窓の外の景色を見ている。
5、6席前のところでは、4人組みの若い男たちが、大声で話し込んでいる。
先ほど注意したが、効果なし。
相変わらず甲高い声で、ぺちゃぺちゃと話している。

 私の横の席には、若い男女。
男のほうは、ノートパソコンを叩いている。
P社のレッツノート。
高級品である。
私のは、TOSHIBAのミニノート。
言うなら、安物。

 どういうわけか、私はそういうことが気になる。
ほかのことでは競わないが、パソコンだけは、競ってしまう。
「いいのをもっているなあ」と思いつつ、「負けたな」と。

 しかしその男も、かなりパソコンが好きらしい。
私と同じように、楽しそうに文章を叩いている。
指先の動きが大きいので、速く文章を打っているように見えるが、私より遅い(?)。
速く打つ人は、キーボードの上を、指先を左右にすべらすようにして、キーを打つ。
(打つのではなく、すべらす。)
たとえば、「~~ですね」と叩くときも、「D」から「E」へとそのまま指をすべらす。
そのまま「N」を押しながら、ふたたび「E」へすべらす。

 キーの叩き方にも、美しさがある。
隣の男のは、まるでタップダンスでも踊っているかのよう。
指先がポンポンとキーの上ではじける。
一方、私のは、なめらかなワルツのよう。
音もなく、指が左右に揺れる。

●福井

 列車は、福井駅に着いた。
その福井。
少し前まで、1年先輩の、Aさんが、この福井県の副知事をしていた。
今も、していると思う。
卒業してから、20年程は、年賀状を交換していた。
が、今は、音信もない。
すばらしい先輩だった。

 高いビルこそ見えないが、静かで落ち着いた町だ。
・・・たった今、「北陸電力」の看板も見えた。
このあたりは、北陸電力の管轄下。
同窓生の1人は、その社長(当時)の令嬢と結婚した。
「学生時代は、原子力発電所建設反対と言っていたが、今は建設するほうで働いている」と。
いつだったか、一度会ったときに、笑いながらそう話してくれた。
そうそうこの町で、弁護士をしている同窓生もいる。

 みんながんばっている。
そんな思いが、私をふと、小さくする。
「ぼくは、何もできなかった・・・」と。

●北陸新幹線

 芦原温泉に着いた。
窓の外に、「福井県に新幹線の槌音を!」という看板が見える。
福井県に新幹線?

 気持ちはわかるが、こんなところに新幹線は、必要ない。
この電車にしても、特急電車と言いながら、温泉地ごとに止まる、ローカル列車。
新幹線の駅も、そうなるのだろうか?
もしそうなら、新幹線は、不要。

 もし必要性があるとするなら、秋田から新潟、富山経由で、京都へ抜ける新幹線ということになる。
その結果として、金沢→福井→京都と、新幹線がつながる。
それならよい(?)。

しかしそれでも、どれだけの需要が見込まれるというのか。
もし日本にまだ余力が残っているなら、もっとほかの予算に、使うべき。
人口が密集しているところに建設したほうがよい。
東海道新幹線を、複々線化するとか、リニア路線を延長するとか、など。
が、残念ながら、今の日本に、それだけの余力はない。
・・・というより、土木事業は、もうじゅうぶん。
たくさん!
そうでなくても、国の借金は、雪だるま式に、ふえつづけている。

●国の借金

 ついでに・・・。
国の借金という言葉が出てきたので、その国の借金について。

現在、国の借金は、600兆円とも、800兆円とも言われている。
しかしこれはウソ。
実際には、1000兆円を、はるかに超えている。
たとえばあの旧国鉄が清算されたとき、年金債務だけで、17兆円もあったはず。
そうした借金は、どこへ消えたのか。
清算されたという話は聞いていない。
そういう隠れ債務が、山のようにある。

 しかしどういうわけか、日本は、「倒産」しない。
それについては、こう説明されている。

(1) 日本という「国」は、外国には借金をしていない。
(2) 日本という「国」は、1000兆円近い国有財産をかかえている。

 つまり日本という「家」は、身内からの借金でまかなっている。
「家」のおやじは、借金とは別に、同じほどの財産をもっている。

 が、このところ、どうもそれがあやしくなってきた。
つまり「1000兆円」という数字が、あやしくなってきた。
一説によると、この「1000兆円」という金額は、官僚筋から意図的に流されたウソということらしい。
国が保有している国有地にしても、バブル経済時代の実勢価格を、基準にしている(?)。
となると、これは深刻な問題である。
「JALの株を、100万株持っているから、だいじょうぶ」というのに、話が似ている。
(JALは、現在、法的整理され、1株、1円。)

●指定席

 時期的なせいもあるのか、列車内は、がらんとしている。
かえって自由席のほうが、すいている。
先ほど、指定席車両に来た人が、前よりの2号車(自由席車両)へ移っていった。
隣でパソコンを叩いていた男も、途中で下車した。
金沢に近づくにつれて、列車は、私たちの貸し切り車両のようになった。

 ついでに今回の旅行の費用について。

 往復旅費が、3人分で、60000円と少し。
それにホテル代が、3人分で、22000円(朝食のみ)。
同窓会費が、8000円。
あとはもろもろ。
計10万円。
「10万円で同窓会か?」と、切符を買うとき、そう思った。
金沢の町を観光したいという気持ちはあるが、今回は、あきらめた。

 金沢の駅に着いたときには、午後6時を過ぎていた。
すでに同窓会は始まっているはず。
「人身事故ではしかたないな」と言って、あきらめる。

(2010年2月20日記)

●追記

 同窓会は、始まっていた。
私が遅刻で、しんがり。
みな、すでに会食を始めていた。
浅野川沿いにある、「太郎」という由緒ある小料理屋。
鍋料理が、おいしい。
今回で、2度目だが、そのおいしさを、改めて確認した。
星は、5つの、★★★★★。

 みな、それぞれ自分の人生をしっかりと歩んできた連中ばかり。
私だけ、自己紹介で、「いまだに風来坊です」と言った。
が、だれも否定しなかった。
私は、学生時代から、風来坊だった。
そんな雰囲気の満々と漂わせた男だった。

●金沢大学法学部(旧法学科)

 びっくりするような役職を並べた男もいたし、転々と職を替えている男もいた。
今は退職したが、大手企業のトップを経験した男もいた。
が、ああして円陣を描いて鍋料理を囲むと、ただの男。
学生時代のまま。
「コンパを思い出すなあ」と。
そう、あのコンパのままだった。

 飲んで、食って、ただひたすらしゃべりつづける。
が、不思議とだれも、健康の話、病気の話、家族の話をしない。
「しない」というより、「聞かない」。
相手が言い出すばあいはともかくも、そこにはエチケットというブレーキが働く。
みな、その向こうで、いろいろな問題をかかえている。
それをほじくり返すのは、エチケットに違反する。

 みな、自分の仕事の話をした。
私もした。
だれかが、「給料は、28万だ」と言うと、「29万以上は、老人xx控除が受けられないぞ」
というヤジが飛ぶ。
みな、それぞれの道の専門家だ。

 同窓会の最後に、第四高等学校応援歌の『南下軍(なんかぐん)』を歌った。
歌詞は印刷し、私が用意しておいた。
YOUTUBEに載せたい。
が、横にいた男が、こう言った。
「四高記念館へ来れば、いつでも聞けるよ。ぼくが館長をしているよ」と。

 我ら、金沢大学法文学部法学科卒業生。
北陸3県で、唯一の法学部。
しかも100名(1学年)だけ。
我らを除いて、当時は、この地には、「法律」はなかった。
その心意気は、今も、しっかりと胸に残っている。


Hiroshi Hayashi++++++Feb.2010++++++はやし浩司

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