最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●失敗危険度W

2009-02-08 19:34:51 | Weblog
昔は子殺しというのも、あったからねえ!
女性の三悪(失敗危険度★★★★)

●人間そのものを狂わす
嫉妬、虚栄心、母性本能を、女性の三悪という。ここで母性本能を悪と決めつけるのは正しくないかもしれないが、性欲や食欲と同じように考えてよい。この本脳があるからこそ、親は子を育てるが、使い方をまちがえると、人間そのものを狂わす。そういう意味で、三悪のひとつに加えた。

(1)まず嫉妬……こういう話は、プライバシーの問題がからむため、ふつうは正確には書かない。しかしそれにも限度がある。あまりにもふつうでない話のため、あえて事実を正確に書かねばならないときもある。こんな話だ。

●ライバルの子どもを足蹴り
 H市の郊外にU幼稚園という小さな幼稚園がある。あたりは高級団地で、そのレベルの家の子どもたちがその幼稚園に通っていた。そこでのこと。その母親は自分がPTAの会長であることをよいことに、いつもその幼稚園に出入りしていた。そして自分のライバルの子ども(年中女児)を見つけると、執拗ないじめを繰り返していた。手口はこうだ。まずその女の子の横をそれとなく通り過ぎながら、足でその女の子を蹴飛ばす。その勢いで倒れた女の子を、「どうしたの?」と言いながら抱くフリをしながら、またカベに投げつける……。年中児なら、かなり詳しくそのときの状況を話すことができる。

 その女の子は、その母親の姿を見ただけで、まっさおになっておびえるようになったという。当然だ。そこでその女の子の母親が「どうしたらいいか」と相談してきた。いや、その前に、その母親は相手の母親に、それとなく抗議したというが、相手の母親は、とぼけるだけで、話にならなかったという。しかも相手の母親の夫というのは、ある総合病院の外科部長。自分の夫は、同じ病院でもヒラの外科医。夫の上司の妻ということで、強く言うこともできなかったという。

●珍しい話ではない
 こういう話は、この世界では珍しくない。嫉妬がからむと、人間はとんでもないことをする。脳のCPU(中央演算装置)そのものが、狂うときがある。これも実話だが、ある母親は同じ団地に住む別の母親の子ども(四歳児)を、エレベータの中で見つけると、いつも足蹴りにしていじめていた。そのためその子どもは、エレベータを見るだけでおびえるようになったという。

問題は、なぜ、そこまで母親というのは狂うかということ。先にあげた母親は、幼稚園でもPTAの会長をしていた。多分会合の席なのでは、それらしい人物として振舞っていたのだろう。考えるだけでもぞっとするが、しかし人には、その人でない部分がある。この話を叔母にすると、叔母はこう言った。「昔は子殺しというのもあったからねえ」と。母親も嫉妬に狂うと、相手の子どもを殺すことまでする……?

 つぎに(2)虚栄心。「世間」という言葉を日常的に使う人ほど、虚栄心の強い人とみる。いつも他人の目の中で、自分を判断する。価値観というのが、いつも相対的なもので、他人より財産があれば、豊かと感じ、そうでなければ貧しいと考える。子どもにしても、このタイプの母親には、「飾り」でしかない。もともと自己中心性が強いため、親意識も強い。「私は親だ」と。そしてその返す刀で、子どもに向っては、「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せる。

●他人の不幸を喜ぶ親
 このタイプの母親には、他人の不幸ほど、楽しい話はない。ここに書いたように価値観が相対的であるため、他人が不幸であればあるほど、自分がより幸福ということになる。Tさん(三五歳女性)がそうだった。幼稚園へはいつも、ものすごい着物でやってきた。そして若い先生に会ったりすると、その場できどった言い方で、こう言った。「アーラ、先生、お元気そうザーますね。まあ、すてきな香り、よいご趣味ザーますわね」と。私はてっきりすごい家柄の母親だとばかり思っていた。そしてこんなこともあった。

 幼稚園で遠足に行くことになったときのこと。母親たちの間で、昼の弁当はどうするかという話がもちあがった。二、三人の親が、サンドイッチはどうかしらと提案したそのとき、Tさんはあたりをおさえるようにして、こう言った。「ア~ら、(幼稚園生活で)最後の遠足ザーますから、皆さんで仕出し弁当か何かを頼んだら、いかがザーますかしら」と。

 で、どういうわけだかそのときは反対する人もなく、その仕出し弁当になってしまった。何でもTさんの知人がそのお弁当を作ってくれるという。値段は「割安」とは言ったものの、当時の平均的な弁当の二倍以上の値段だった。私はそのとき三〇歳少し前。年上の母親には何も言えなかった。

●豪華な着物
 そのTさんだが、子どもへの執念にも、ものすごいものがあった。たとえば誕生会は、市内のレストランで開いていた。しかも招待するのは、そのレベルの人たちばかり。私にも招待の声がかかったが、何を着ていこうかと迷ったほどである。そしてさらに秋の遊戯会でのこと。そのクラスで、浦島太郎をすることになった。が、Tさんは、「どうしてもうちの息子に、乙姫様をやらせたい」と申し出てきた。男の子が乙姫様というのもおかしいという声もあったが、結局Tさんに押し切られてしまった。が、驚いたのは最後のリハーサルの日のこと。Tさんがもちこんだ着物は、日本舞踊で使うような、これまた豪華な着物だった。これには担任の若い先生も驚いて、「そこまではしない」ということになったが、Tさんは悪びれる様子もなく、こう言った。「うちには昔からのこういった着物がありますザーますの。皆さんにもお貸ししましょうかしら、ホホホ」と。Tさんは、ただ着物をみせびらかしたかっただけだった。

●私はわが目を疑った!
 私は少なからずTさんに興味をもった。大会社の社長の夫人か。それとも大病院の院長の夫人かと思った。が、ある日のことだった。それは偶然だった。私が何かの用事で、ふらりとある大型スーパーの、そのまたある売り場へ行ったときのこと。そこで私はわが目を疑った。(こう書くからといって、そういう人がザーます言葉を使ってはだめだと言っているのではない。誤解がないように!)何とそのTさんが、頭にタオルを巻いて、その店で裏方の仕事をしていたのだ。髪の毛も、幼稚園へくるときとは、まったく違っていた。それに目がねまでかけていた。それを見て、私は声をかけることもできなかった。何か悪いものをみたように感じ、その場をそそくさと離れた。

 そして(3)母性本能……前にも書いたが、母性本能があるから悪いといっているのではない。この本脳というのは、扱い方が本当にむずかしい。母親自身もそうなのだろうが、まわりのものにとっても、である。この母性本能が狂い始めると、親と子が一体化する。これがこわい。

●子どもは芸術品
 母親にとっては、子どもは芸術品。それはわかる。だから子どもを批評したり、けなしたりすると、子ども以上に、母親はそれを不愉快に思う。それもわかる。が、それにも限度がある。こんなことがあった。

 M君(年中男児)は、かん黙症の子どもだった。かん黙症といっても、全かん黙と、場面かん黙がある。私はこのほか、条件かん黙というのも考えている。ある特定の条件下になると、かん黙してしまうのである。M君もそんなタイプの子どもだった。何かの拍子に、ふとかん黙の世界に入ってしまった。そのときもそうだった。順に何かの発表をさせていたのだが、M君の番になったとたん、M君はだまりこくってしまった。視線をこちらに合わせようともしない。やさしく促せば促すほど、逆効果で、柔和な笑みを一方で浮かべながら、ますますかたくなに口を結んでしまった。

●M君の問題点
 実はそのとき私はM君の母親に、それとなくM君の問題点を見てもらうつもりでいた。教育の世界では、ドクターが患者を診断して診断名をくだすような行為はタブー。こういうケースでも、「あなたの子どもはかん黙児です」などとは、言ってはならない。わかっていても、知らぬフリをする。フリをしながら、それとなく親に悟ってもらうという方法をとる。M君のケースでも、私はそう考えた。で、その少し前、M君の母親に会ったとき、そのことについて話すと、M君の母親はそのまま激怒してこう言った。「うちではふつうです。うちの子は、新しい環境になじまないだけです!」と。それで私はその日は母親に参観に来てもらうことにした。が、その日にかぎって、ほかに三、四人の母親も参観に来ていた。それがまずかった。

 じりじりとした時間が流れていくのが、私にはわかった。ふつうならそこで隣の子にバトンタッチして、その場を逃げるのだが、そういう問題点を母親にも見てほしかった。それでいつもより時間をかけた。私「あなたの番だよ、どうかな?」、M「……」、私「こちらを見てくれないかな?」、M「……」、私「もう一度言うから、よく聞いてね?」、M「……」と。

●激怒したM君の母親
こういうとき親のほうから、「どうしてでしょう?」という問いかけがあれば、そのときから指導ができる。問いかけがなければそれもできない。少し時間はかかるが、親自身が子どもの問題点に気づくのを待つしかない。私はM君の母親の心の中を思いやりながら、時間が過ぎるのを待った……。が、そのときだった。

M君の母親がものすごい勢いで子どもたちのほうの席へやってきた。そしていきなりM君の腕をつかむと、M君をそのままひきずるようにして、部屋の外へ出て行ってしまった。本当にあっという間のできごとだった。ただ最後に、M君の母親が、「M! 行くのよ!」と言ったのだけは、よく覚えている。

 が、それですんだわけではない。M君の母親からその夜、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「あなたの指導方法はうちの子にあっていません」と。私は平謝りに謝るしかなかった。M君の母親は、こう言った。「うちの子をあんな子にしたのは、あなたの責任です。ちゃんと話せていたのに、話せなくなってしまった。どうしてくれるんですか! 明日園長に話して、責任をとってもらいます」と。いろいろあって、私にも微妙な時期だったので、私は「それだけは勘弁してください」としか、言いようがなかった。

●自分で行き着くところまで行くしかない
 しかし今でもときどきあのM君を思いだすときがある。そしてこう思う。親というのは、結局自分で行き着くところまで行って、はじめて、自分に気がつくしかない、と。またその途中で、それに気づく親はいない。いても、「まだ何とかなる」「そんなはずはない」と無理をする。「うちの子に限って、問題はない」と思う親もいる。子育てにはそういう面がいつもついて回る。それは子育ての宿命のようなものかもしれない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

あんたはそれでも日本人ですかア!
アルツハイマー病(失敗危険度★)

●アルツハイマー病という病気
 アルツハイマー病(アルツハイマー型痴呆症)という恐ろしい病気がある。近年、急速にその原因が究明されてきて、その治療薬もどんどん進歩している。だから以前ほど深刻に考える人は少ないかもしれない。しかし恐ろしい病気であることには違いない。

 そのアルツハイマー病の初期症状は、記憶力低下、被害妄想、短気、人格の変化などだそうだ(東京慈恵会医科大学・笠原洋勇氏)。が、その初期症状の、そのまた初期症状というのもあるそうだ。たとえばがんこになる、自己中心性が強くなる、繊細さが消えて、ズケズケとものを言うなど。アルツハイマー病になる人はともかくも、(案外、本人はハッピーな気持ちかもしれないが)、その周囲の人が迷惑をする。いや、家族はそれなりに納得してつきあうが、そのまた周囲というか、親しくもないが、他人とも言えない人たちが迷惑をする。たとえば学校の先生。ふつうの迷惑ではない。ズケズケとものを言うのは、本人の勝手だが、言われたほうはキズつく。Jさん(四五歳)という母親がいた。

●飛躍する論理
 ある日Jさん(四〇歳女性)が、血相を変えて私の事務所へやってきた。そしてこう言った。「私、頭にきたから、三〇年来の友人と今度、絶交した」と。よほどのことがあったのだろうと思って理由を聞くと、こう言った。「Uさんは日本人のくせに、エトロフ島はロシアの領土だと言うのよ。許せない」と。私はとっさに「そんなことで!」と思ったが、つづけてJさんは、「エトロフ島には、アイヌ民族の墓があるのよ。日本人の祖先でしょ」と。

 論理がどんどんと飛躍していって、つかみどころがない。が、私が「まあ、どうでもいい問題ですね」と言うと、今度は私に向かって、「先生、あんたはあちこちで講演なさっているということですが、それでも日本人ですかア!」と食ってかかってきた。私は「人にはそれぞれ違った考え方があるから、それはそれとして尊重してあげればいい」という意味でそう言っただけなのだが……。

●発症率は五%
 問題は発症率だが、四〇歳前後で発症し始め、五%前後というのが通説になっている。五%といえば、二〇人に一人ということになる。それに四〇歳前後といえば、ちょうど子どもが中学生くらいになった年齢に相当する。ということは、仮に三〇人クラスで計算すると、親の数は六〇人。何と一クラスに、三人はそういう症状をもった親がいるということになる。

実際、このタイプの親にかかわると、かなりタフな神経をもっている教師でも、かなり痛めつけられる。ある中学教師は、父母懇談会の席で、ある母親に、「あんたのような教師が教師をしていると、日本が滅ぶ」と言われた。あるいは「最近の子どもたちが荒れるのは、先祖を粗末にする教師がふえたからだ。学力がさがったのも、そこに原因がある。あなたにも責任をとってほしい」とも。

●私の経験から
 このタイプの母親は(父親もそうだが、私は職業上、圧倒的に母親に接する機会のほうが多いので、父親のケースは、ほとんど知らない。またことアルツハイマー病についていうなら、女性の発症率は男性の三~四倍だそうだ)、どこか心がかよいあわないといった感じになる。こちらが親密な話をしようとしても、うわの空。何か質問をしても、不自然で、ぶっきらぼうな反応しかない。

 私「夏休みには、どこかへ行くのですか?」、母「主人の稼ぎしだいですわ」、私「計画は……?」、母「計画なんてものはね、破るためにつくるものでしょ。あんた先生なのに、そんなこともわからないの!」、私「……」と。

●突然解雇!
 そんなある日、一人の女性教師から電話がかかってきた。何でも突然クビを切られたというのだ。話を聞くと、庭で園児を指導していると、園長が突然やってきて、「あんたは来週から、もうこの園にはこなくていい」と言ったという。その教師は興奮してそのときの状況を話してくれた。よほど悔しかったのだろう。自分のほうから過去の業績をあれこれ話してくれた。

しかしこういう解雇のし方は、労働基準法に照らすまでもなく不当である。で、私もそのことが気になって、別の幼稚園の園長に電話をかけ、その女性教師の勤める幼稚園の園長の様子を聞くことにした。が、電話をかけると、その園長はこう教えてくれた。「あの、D幼稚園のD園長ね、あの園長、最近少し様子がおかしいですよ。まともに相手にしてはいけません」と。そういうこともある。

●それでもやけどする
 もっともこういう仕事を三〇年以上もしていると、問題のある母親は、直感的にかぎ分けることができる。昔から『さわらぬ神にたたりなし』というが、かかわらないことこそ賢明。ただ淡々と、事務的に会って別れる。へたに首をつっこむと、それこそおおやけどをする。……と言いつつ、そのおおやけどをすることが多い。

●印象に残ったSさん
 私がSさん(四二歳女性)をおかしいと最初に思ったのは、私がトイレから出たときのことだ。Sさんはトイレのドアの外で立って私を待っていた。まだ洗った手から水がポタポタと落ちるような状態だったし、トイレの中の臭いが体にまとわりついているような状態だった。私なら人を待つとしても、そういうところでは待たない。相手が当惑することが、簡単に予想できるからだ。が、Sさんは、そのトイレのドアのところで私を待っていた。そして「このワークでいいか」と聞いてきた。「子どもに与えるワークは、これでいいか」ということだった。私はSさんをすぐ別の部屋に招いたが、そのとき感じた不快感は、Sさんと別れるまでずっと消えなかった。

●奇怪な行動
 そのSさん。大病院の精神科の医師を夫にもっていたが、それ以後、信じられないような奇異な行動が目だった。あとでこの話を別の友人に話すと、「まさかア」と絶句してしまったが、たとえば……。

事務所でひとりで待たせておいたりすると、インスタントコーヒーなどを盗んでもって帰ってしまうのである。それも封を切ったようなコーヒーをである。あるいは懇談会の席で、「Gさんのダンナさんは、この前飲酒運転をして、警察に逮捕されたんですってね」とか言ったりしたこともある。この事件のときは、さすがのGさんも堪忍袋の緒が切れて、裁判ザタになる寸前まで、話がこじれた。
 
が、こういうSさんのような母親が、父母会などに出てくると、それこそ話がめちゃめちゃになってしまう。いろいろなことがあった。

●Sさん語録
そのSさんは無数の「Sさん語録」を私に残してくれた。

○子どもは一人。多くて二人。三人以上はダ作。日本人の平均的給与でカバーできるのは、二人まで。三人以上は、国が預かるようにすればよい。
○コンピュータ教育は人間をダメにする。コンピュータに頼れば頼るほど、人間の思考と記憶は退化する。
○幼児期からしっかり教育すれば、どんな子どもでも東大へ入れる。入れないのは、幼児期の教育がまちがっているから。
○サッカーは、人間をダメにする。ボールと能力はよく似ている。能力を左右に動かしても、人間の能力は向上しない。
また政治問題にも詳しく(?)、こんなことも言った。
○韓国や中国の現在の繁栄は、日本のおかげだ。日本が指導したから、今のように繁栄できるようになった。韓国や中国は日本の占領に感謝すべきだ。
○アメリカは日本を植民地化しようとしている。一方、日本政府は、アメリカの六〇番目の州に立候補している。
○日本は満州を占領したが、もともとあの土地には人は住んでいなかった。だから占領しただけ。だれも文句を言うべきではない。
○太平洋の半分は日本のものだ。アメリカと日本で半分ずつ分けるべきだ。太平洋の中央に境界線を引けばよい、ほか。

●人格障害
ある時期Sさんは、毎日のように私のところへやってきて、とっぴもない議論をふっかけてきた。が、そのうち私のほうが疲れてしまい、逃げ腰になった。が、そういう私の姿勢を敏感に察知して、こなくなったと同時に、今度は私の悪口を言いふらすようになった。Sさんの友人のTさん(三七歳)はこう言った。

 「Sさんに反論すると、Sさんは苦り虫をつぶしたような顔をして、怒りだします。だからこわくて反論できません。機嫌をそこねないように、こちらも『そうです、そうです』とだけしか言いようがないです」と。

 それからほぼ一五年。聞くところによると、Sさんは自宅のマンションに閉じこもったまま、一歩も外へ出てこないという。あれこれトラブルを引き起こすので、夫が外へ出したがらないとのこと。どういう病気であるかは断定できないが、しかしおおよその推察はつく。

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