最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●欲望と知覚

2009-02-05 08:54:02 | Weblog
【欲望と知覚】

●お金と「知覚」

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こんな興味深い実験がある。
子どもたちにコイン(1、5、10、25、50セント)を見せ、
それを子どもたちに、紙に描かせてみたという。
すると貧しい家庭の子どもたちは、コインを実際よりも大きく描き、
裕福な家庭の子どもたちは、実際よりも小さく描いたという。
(アメリカ・心理学者のブルーナーとグッドマンの研究、出典
「心理学のすべて」(日本実業出版社))

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●「感覚」→「知覚」→「認知」

目から入ってきた情報は、一度、大脳後頭部にある視覚野に映し出される。
言うなれば、ここがモニター画面ということになる。
が、それだけではただの映像。
心理学の世界では、これを「感覚」と呼ぶ。

その映像の中から、意味のあるものと、そうでないものを、まずよりわける。
これを心理学の世界では、「知覚」と呼ぶ。
その知覚がどういうものであるかを知りたかったら、ぼんやりと外の景色を
ながめてみればよい。

庭が見える。
木々が見える。
畑の一部も見える。
全体の景色が意味もなく、目に飛び込んでくる。

が、その庭の中で、今動くものが見えた。
鳥だ。
野生のドバトだ。

つまりこうして私たちは、ぼんやりとした映像の中から、ハトを選び出す。
そしてそれがドバトと知る。
これが「知覚」である。

が、そこで終わるわけではない。
知覚したあと、それにさまざまな思考を加える。
たとえば私はふと我に返り、庭に餌をまいてないことを知る。
2~3月は、野生の鳥たちにとっては、もっともきびしい時期。
昨日までは雨が降っていた。
私はドバトに餌をあげるのを忘れていた。
ドバトはどこか心配そうな顔をして、枝の上から庭を見つめている。
……とまあ、あれこれと考える。
これが「認知」ということになる。

文字で考えると、さらにわかりやすい。

たとえば今、私は自分の書いた文章を、パソコンのモニター上でながめている。
ぼんやりとながめれば、ただの線。
無数の線が、いろいろと交差している。
これが「感覚」。

その中から、私は「文字」を選び、順にそれを目で追っていく。
これが「知覚」。
が、そのままでは意味をもたない。
大脳の側頭部や頭頂部が、それを解読する。
意味のある文として理解しようとする。
これが「認知」。

●知覚は影響を受ける

そこで最初の実験。

同書(「心理学のすべて」)によれば、「貧しい家庭の子どものほうが、コインが大きく
見えるのは、お金に対する欲求が強いためと考えられます」(P43)とある。

知覚は欲求に左右される例として、同書は、ブルーナーとグッドマンによる実験をあげた。

で、同じような経験を、私もしている。

たとえば年中児(4~5歳児)に、「お父さんとお母さんの顔を描いてごらん」と言って、
白い紙を渡す。
私が「お父さんとお母さん」と言ったにもかかわらず、半分以上の子どもたちは、
母親のほうから描き始める。
しかもたいてい母親のほうが、父親よりも大きい。
つまり子どもにとっては、それだけ母親の存在感が大きいということになる。
このばあいは、知覚が、印象に左右されたということになる。

さらにこんなこともある……。

●性欲からの解放

話はぐんと生臭くなるが、許してほしい。

私が55歳前後のときのことだった。
(正確には年齢を覚えていない。)
あとでいろいろな人に話を聞くと、それが男の更年期症候群のひとつと知った。
つまりそのころ、私は、男性と女性の区別がつかなくなってしまった。
だからある日、ふとこう思った。
「今なら、女性と混浴風呂に入っても、平気で入れるだろうな」と。
それをワイフに告げると、ワイフはこう言って笑った。
「相手がいやがるわよ」と。

それを喜んでよいのか悪いのかは、わからない。
が、そのとき生れてはじめて、私は、「性欲からの解放」を味わった。
というのも、フロイト学説を借りるまでもなく、私たち人間は、性欲の奴隷と
いっても過言ではない。
ありとあらゆる行動や心理が、心の奥底で、性欲と結びついている。

つまり感覚として得た情報を、つぎの知覚というレベルで判断するとき、
どうしても(性欲)というものが、そこに混入してくる。
たとえば同じ母親と呼ばれる人たちでも、その美貌や雰囲気、年齢やスタイルで、
おおまかな判断をくだしてしまう。
ときに色気を感ずることもあるし、反対に、「この人は私のタイプではないな」と
思ってしまうこともある。
(居直るわけではないが、健康な男性なら、みなそうだ。)

が、そのとき、つまり性欲からの解放を味わったとき、母親たちを、女性として
ではなく、それぞれを1人の人間として見ることができるようになった。
心理学的に言えば、冷静に感覚を判断し、それを知覚につなげることができる
ようになった。
(少し、大げさかな?)

ともかくも、性欲からの解放は、悪いものではない。
そのころの私は、参観に来ている母親を、女性として意識しなくなった。
子どもたちを教えながらも、好き勝手なことを言ったり、したりすることが
できるようになった。

●体制化

さらに同書(「心理学のすべて」)によれば、感覚で得た情報は、さまざまな形で、
脳の中で処理されるという。
そのひとつが、「体制化」。
つまり「感覚が得た情報の中から、自分にとって重要な意味をもつものと、
さして意味のもたないものに選択する『体制化』も行われています」(P42)
と。

このことも、子どもの世界に当てはめてみると、理解しやすい。

たとえば小学3年生くらいに、角度というものを教えてみる。
しかし大半の子どもは、最初の段階で、すでにほとんど興味を示さない。
分度器の使い方を教えても、どこ吹く風といった感じになる。
つまりこの段階では、子どもにとって、角度などという話は、どうでもよい
ことということになる。

心理学的に言えば、子ども自身が、「さして意味のもたないもの」と判断している
ということになる。

そこで私のばあい、プラスチック(下敷き)で、10~15枚の三角形をつくり、
その三角形を見せながら、子どもたちにこう問いかける。

「この中で、一番角がツクンツクンとして、痛いところはどこかな?」と。
自分のてのひらを、その先で突き刺すしぐさをして見せる。
するととたん、子どもたちの目が輝き始める。
(痛いところ)→(角がとがっているところ)→(角)→(角度)と、頭の中で、
情報をつなげていく。
つまりそれを「自分にとって重要な情報」と位置づける。

●知覚

何気なく見ている情報だが、常に私たちは、それを脳の中で、加工している。
加工しながら、自分というものを、その中でつくりあげている。
が、それは本当に「私」によるものかというと、それは疑わしい。
冒頭にあげた実験を例にあげるまでもなく、私たちはそのつど、欲望という
エネルギーによって影響を受ける。
性欲もそのひとつだし、金銭欲もそのひとつということになる。

さてあなたも、ひとつの実験として、ここで1000万円の札束を、
紙に描いてみてはどうだろうか。
(男性であれば、女体、女性であれば、男体でもよい。)
そしてそのあと、実際の札束よりも大きく描けば、あなたは慢性的に貧困状態にある
ということになる。
そうでなければ、お金に困らない生活をしていることになる。
(男性であれば、その描いた絵で、どこにどのような不満を妻に感じているかが、
わかるかも?)

実験結果については、ブルーナとグッドマンに、責任を取ってもらう。

なお性欲からの解放について、一言。
現在私は満61歳だが、そのあと少しずつだが、再び、性差意識が呼び戻されて
きたように思う。
美しい母親を前にしたりすると、ドキッとすることが、このところよくある。
正常に戻ったというべきか、それとも再び、性の奴隷になったというべきか。
現在の私なら、たとえば混浴風呂などには、とても平然としては入れないだろう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 感覚 知覚 認知 体制化 ブルーナー グッドマン 性の奴隷)


Hiroshi Hayashi++++++++Feb. 09++++++++++++はやし浩司

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