最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●子どもの根性、がんこ、わがまま

2007-05-20 08:44:15 | Weblog

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●根性のある子ども

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今、根性のある子どもが
少なくなってきていますね。

どこかナヨナヨしているというか、
ハキがない……?

ときどき、「これでいいのかなあ?」と
思うことがあります。

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 自分の意思を貫こうとする強い自我を、根性という。「私は私」という強い意識を「自我」という。この根性さえあれば、この世の中、何とかなる。反対にこの根性がないと、せっかくよい才能や頭脳をもっていても、ナヨナヨとした人生観の中で、社会に埋もれてしまう。

 ある男の子(年長児)は、レストランで、「もう1枚、ピザを食べる」と言い出した。そこで母親が、「お兄ちゃんと半分ずつにしなさい」と言うと、「どうしても1枚食べる」と。母親はあきらめて、もう1枚注文したが、その子どもは、ヒーヒー言いながら食べたという。あとで母親が、「おとなでも2枚はたいへんなのに」と笑っていた。

 またある幼稚園で先生が一人の男の子(年中児)に、「あんたなんか、もう、おうちに帰りなさい!」と言ったときのこと。先生は軽いおどしのつもりでそう言っただけなのだが、その子どもは先生の目を盗んで教室を抜け出し、家まで歩いて帰ってしまった。

先生も、まさか本当に帰るとは思っていなかった。母親もまた、「おとなの足で歩いても、一時間はかかるのに」と笑っていた。こういう子どもを、根性のある子どもという。

 その自我。育てる、育てないという視点ではなく、引き出す、つぶすという視点で考える。つまりもともとどんな子どもにも、自我は平等に備わっているとみる。それは庭にたむろするスズメのようなものだ。あのスズメたちは、犬の目を盗んでは、ドッグフードをかすめ取っていく。そういうたくましさが人間にもあったからこそ、私たちは、何十万年もの長い年月を、生きのびることができた。

 が、多くの親たちは、その自我をつぶしてしまう。過干渉や過関心、威圧的な子育てや親の完ぺき主義、さらには親の情緒不安が、子どもの自我をつぶす。親が設計図をつくり、その設計図にあてはめるのも、まずい。子どもは小さくなり、その小さくなった分だけ、自我をそがれる。

 反対に自我を引き出すためには、まず子どもは、あるがままを認める。そしてあるがままを受け入れる。できがよくても、悪くても、「これがうちの子だ」と納得する。もっとはっきり言えば、あ・き・ら・め・る。一見いいかげんな子育てに見えるかもしれないが、子どもは、そのいいかげんな部分で、羽を伸ばす。自分の自我を引き出す。

 ただしここでいう自我と、がんこは区別する。自分のカラに閉じこもり、かたくなな様子になるのは、がんこという。たとえばある男の子(年長児)は、幼稚園では同じ席でないと、絶対に座らなかった。また別の男の子(年長児)は、2年間、ただの1度もお迎えにくる先生に、あいさつをしなかった。そういうのは、がんこという。

 また自我は、わがままとも区別する。「この前、お兄ちゃんは、○○を買ってもらったのに、どうしてぼくには買ってくれないのか」と、主張するのは自我。しかし理由もなく、「あれ買って!」「これ買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。

ふつう幼児のばあい、わがままは無視するという方法で対処する。「わがままを言っても、誰も相手にしませんよ」という姿勢を貫く。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 根性 がんこ がんこと根性 根性とがんこ 子どもの自我 子供の自我)


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