最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●子育てのすばらしさ

2009-06-04 08:02:30 | Weblog
●子育てのすばらしさ



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子育ては、ただの子育てではない。

子どもは、ただの子どもではない。



親は、子育てを通して、その子どもから

貴重なものを学ぶ。



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●子をもって知る至上の愛    



 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を教えられ
ること。ある母親は自分の息子(3歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなっても
いい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命すら惜しくない」という至上
の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。



●自分の中の命の流れ



 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自分
の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、そう感じたこ
とがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見ていると、やはりどこ
かに父の面影があるのを知って驚くことがある。



先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこに死ん
だ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、形だけではない。ものの考え方や感じ方もそう
だ。私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰のものでもない」と思って生きてきた。



しかしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れのような
ものがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育てをしていると、自
分も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流れのようなものだ。



●神の愛と仏の慈悲



 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもない。死
はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死は不条理な
り」とも言う。



そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこにいて、私をあ
ざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私にはそれができない。
しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子どものできの悪さ
を見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返していると、「人を愛することの深さ」
を教えられる。



いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に施すことができるかもしれない。が、私
のような凡人にはできない。できないが、子どもに対してならできる。いわば神の愛、仏の慈悲
を、たとえミニチュア版であるにせよ、子育ての場で実践できる。それが孤独な心をいやしてく
れる。



●神や仏の使者



 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子どもを大
きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きることにまつわ
る、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その人の問題意識の
深さにもよる。が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわか
る。



子どもというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そして
生きる喜びを教えてくれる。いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫にわ
たって、伝えてくれる。つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそういう
意味で、まさに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた
自身も神や仏からの使者だと知る。そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐ
らい、子育てですばらしいことはない。


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