●生まれながらの悪人はいるのか?(Are there born-bad men?)
Mr. U used to be a “Special Policeman”, or “Gestapo” in German, during the ex-war. People were very much afraid of him. In those days in case when you say the name of Emperor of Japan without the title of honor, you were arrested and put into the Jail without any questioning and answering. These sort of things were done by these policemen called “Special Policeman”. But as far as I know him, he was a very kind and gentle man and sometimes he invited me to his house for dinner. I couldn’t believe what other people said about him. There is a saying in Japan, “Uniforms makes the Man.” I mean there are not born-bad man nor born-good man. People are made to be a good man or a bad man in his or her environment where he or she has been raised up. It is quite so, too, about young boys and girls. I remember a boy whose name was G. Here I write about him. By the way Mr. U died quite recently, so did I hear.
++++++++++++++++
U氏……先日、そのU氏が亡くなったという話を聞いた。
私がU氏を知ったのは、私がこの浜松へ来て、まもなくのころのことだった。
U氏はそのころ、すでに50歳に近かった。
戦時中は、「Uさんの顔を見ただけで、みな、顔が青ざめました」と。
「特高」と呼ばれる警察官で、情け容赦ない、冷酷な人として知られていたという。
そんな話を、しばらくしてから、別の男性(当時、60歳くらい)から、聞いた。
「特高」……ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
「特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)は、大日本帝国憲法下の日本で、共産主義のほか、すべての反政府的言論・思想・運動を弾圧した秘密警察。通称は「特高警察」(とっこうけいさつ)・「特高」(とっこう)。自らの公務の残虐性に疑問を持たない、異常体質を有していた」と。
この中にも、「異常体質」という言葉が見られる。
戦時中は、「特高」という言葉を聞いただけで、みな、震えあがったという。
「天皇」と呼び捨てにしただけで、逮捕、投獄された。
そんな話を、私も、子どものころ、よく聞いた。
が、そのU氏は、私が知っている範囲では、おだやかで、やさしい人だった。
何度か、自宅に招かれ、食事をごちそうになったこともある。
『人は、制服によって作られる』と、よく言われる。
制服を着たとたん、その人はその人でなくなり、反対に、制服をぬいだとたん、もとの人に戻る。
U氏も、そんな人ではなかったか。
つまり根っからの悪人はいないし、同時に、根っからの善人もいない。
言いかえると、人の善悪を決めるのは、その人内部の、神性と悪魔性のバランスでしかない。
神性がより強ければ、善人になり、悪魔性がより強ければ、悪人になる。
その神性や悪魔性を引き出すのは、「環境」ということになる。
U氏のばあいは、「制服」だったということになる。
あるいは「戦争」という異常な環境だったかもしれない。
このことは、子どもの世界を見ていると、わかる。
少し話がそれる。
この40年近いという長い年月、私は幼稚園の年中児から高校3年生まで、教えてきた。
年中児から、高校3年生までの、18年間、である。
ほとんどの生徒は、そのまま(まっとうな道)を進んだが、しかし数は少ないが、犯罪者の道を歩むようになったのもいる。
印象に残っている子ども(男児)に、G君(小2)という子どもがいた。
学校でも、どうしようもないほどの暴れ者で、ほかの子どもや先生にまで、よくけがをさせた。
そのため、クラスどころか、学校でも嫌われた。
小4になるとき、「よりきめのこまかい指導ができるように」という、理由にもならないような理由をつけられ、隣の大規模校へ転校させられた。
G君は、その学校でも、暴れた。つっぱった。みなに、嫌われた。
が、母親には、その認識がなかった。
ないばかりか、いつも「学校が悪い」「先生が悪い」「友だちが悪い」と言っていた。
そう言いながら、その一方で、母親は、はげしい体罰をG君に繰りかえしていた。
父親はいたが、週に、1、2度しか、家に帰ってこなかった。
こうしてG君は6年生になったが、そのころになると、体格は、母親より大きくなり、母親の手に負えなくなった。
G君は、ますます学校で暴れた。
授業中にバスケットボールを、壁に当てて遊ぶ。
友だちの机をつぎつぎと、ひっくり返して逃げる。
授業中に、自分だけうしろの通路にすわって、マンガの本を読む、などなど。
しかし家では、つまり母親の前では、母親が言うには、「ふつうの子ども」だった。
また父親の前では、借りてきたネコの子のように、おとなしかったという。
G君は、私の教室には、中学2年まで来た。
私はG君のために、2人だけのクラスを用意して、対峙した。
が、毎回、とっくみあいのレスリングばかりしていた。
ほかにも、いろいろなことはしたのだろうが、記憶の中では、それしか残っていない。
こんなことがあった。
いつものように母親が、G君の前で、G君の悪口を言い始めた。
私は、それを聞いて、こう言った。
「G君は、今は、そういう状態かもしれませんが、かならず大物になりますよ。あのバイタリティは、かならず、いい方向に向かいますよ」「大切なことは、G君を信ずることです」「お母さんが、見放したら、G君は、どこへ行けばいいのですか」と。
その翌週のこと。教室の掃除をしていると、そこにG君が立っていた。
「何だ?」と声をかけると、G君は、こう言った。
「先生、オレ、肩もみ、うまいんだ。先生の肩、もんでやるよ」と。
私はだまって、G君に肩をもんでもらった。
それからもG君は、ワルはワルのままだった。
教室でのレスリングも、それで終わったわけではない。
ただ、残念なことに、その直後、学校で大きな傷害事件を起こしてしまった。
同時に、私のところを去った。
そのG君のうわさを聞いたのは、それから10年もしてからだ。
どこかの飲み屋で傷害事件を起こして、警察に逮捕されたという。
今にして思えば、起こすべきして、G君は、そういう事件を起こしたようにも、思える。
が、同時に、G君は、環境の中で、もがきつづけるうちに、そうなったようにも、思える。
どこかで歯車が狂った。
最初は、ほんの小さな狂いだった。
その狂いが、時間とともに増幅され、やがて悪循環の鎖の中に入っていった。
(乱暴をする)→(嫌われる)→(ますます乱暴をする)と。
その悪循環に悪循環を重ねて、おとなになった。
G君をワルと決めてかかる環境。
無責任で、無知な、父親。
感情的で、現実を直視しようとしない、わがままな母親。
そうそう言い忘れたが、何でもG君の言いなりになってしまう、甘い、祖父母。
そんなG君だったから、G君は、いつも嫌われた。
孤独だった。
自分の顔すら、もてなかった。
だから攻撃的に出た。
その攻撃性が、悪循環に悪循環を重ね、ますますG君は、社会のスミへと追いやられていった。
冒頭のU氏の話に、もどる。
U氏は環境の中で、U氏になっていった。
そして戦争が終わると、U氏は、またもとのU氏に戻った。
同じことが、G君についても、言えないだろうか。
G君は環境の中で、G君になっていった。
ほんとうのG君は、もっと別のところにいた。
ただ環境が変わるということは、G君のばあいには、なかった。
それでG君は、G君のまま、おとなになってしまった。
繰りかえすが、根っからの悪人は、いない。
同じように、根っからの善人は、いない。
悪人か、善人かは、その人内部の、神性と悪魔性のバランスによって決まる。
あるいは、今、「私は善人」を自称している人の中で、「ほんとうに私は善人である」と自信をもって言える人は、何人いるだろうか。
私はいないと思う。
もちろん精神的に病んでいる人も、悪人(?)になることがある。
新聞をにぎわす凶悪事件のほとんどは、こうした人たちによって、引き起こされる。
しかしそれは精神的に病んだからそうなっただけで、根っからの悪人というわけではない。
それにもしそうなら、その人が悪いのではなく、それは病気が悪いということになる。
だから……。
冒頭のタイトルに話が、さらに戻る。
この世の中に、生まれながらの悪人はいるのか?、と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 悪人論 神性 悪魔性)
Mr. U used to be a “Special Policeman”, or “Gestapo” in German, during the ex-war. People were very much afraid of him. In those days in case when you say the name of Emperor of Japan without the title of honor, you were arrested and put into the Jail without any questioning and answering. These sort of things were done by these policemen called “Special Policeman”. But as far as I know him, he was a very kind and gentle man and sometimes he invited me to his house for dinner. I couldn’t believe what other people said about him. There is a saying in Japan, “Uniforms makes the Man.” I mean there are not born-bad man nor born-good man. People are made to be a good man or a bad man in his or her environment where he or she has been raised up. It is quite so, too, about young boys and girls. I remember a boy whose name was G. Here I write about him. By the way Mr. U died quite recently, so did I hear.
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U氏……先日、そのU氏が亡くなったという話を聞いた。
私がU氏を知ったのは、私がこの浜松へ来て、まもなくのころのことだった。
U氏はそのころ、すでに50歳に近かった。
戦時中は、「Uさんの顔を見ただけで、みな、顔が青ざめました」と。
「特高」と呼ばれる警察官で、情け容赦ない、冷酷な人として知られていたという。
そんな話を、しばらくしてから、別の男性(当時、60歳くらい)から、聞いた。
「特高」……ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
「特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)は、大日本帝国憲法下の日本で、共産主義のほか、すべての反政府的言論・思想・運動を弾圧した秘密警察。通称は「特高警察」(とっこうけいさつ)・「特高」(とっこう)。自らの公務の残虐性に疑問を持たない、異常体質を有していた」と。
この中にも、「異常体質」という言葉が見られる。
戦時中は、「特高」という言葉を聞いただけで、みな、震えあがったという。
「天皇」と呼び捨てにしただけで、逮捕、投獄された。
そんな話を、私も、子どものころ、よく聞いた。
が、そのU氏は、私が知っている範囲では、おだやかで、やさしい人だった。
何度か、自宅に招かれ、食事をごちそうになったこともある。
『人は、制服によって作られる』と、よく言われる。
制服を着たとたん、その人はその人でなくなり、反対に、制服をぬいだとたん、もとの人に戻る。
U氏も、そんな人ではなかったか。
つまり根っからの悪人はいないし、同時に、根っからの善人もいない。
言いかえると、人の善悪を決めるのは、その人内部の、神性と悪魔性のバランスでしかない。
神性がより強ければ、善人になり、悪魔性がより強ければ、悪人になる。
その神性や悪魔性を引き出すのは、「環境」ということになる。
U氏のばあいは、「制服」だったということになる。
あるいは「戦争」という異常な環境だったかもしれない。
このことは、子どもの世界を見ていると、わかる。
少し話がそれる。
この40年近いという長い年月、私は幼稚園の年中児から高校3年生まで、教えてきた。
年中児から、高校3年生までの、18年間、である。
ほとんどの生徒は、そのまま(まっとうな道)を進んだが、しかし数は少ないが、犯罪者の道を歩むようになったのもいる。
印象に残っている子ども(男児)に、G君(小2)という子どもがいた。
学校でも、どうしようもないほどの暴れ者で、ほかの子どもや先生にまで、よくけがをさせた。
そのため、クラスどころか、学校でも嫌われた。
小4になるとき、「よりきめのこまかい指導ができるように」という、理由にもならないような理由をつけられ、隣の大規模校へ転校させられた。
G君は、その学校でも、暴れた。つっぱった。みなに、嫌われた。
が、母親には、その認識がなかった。
ないばかりか、いつも「学校が悪い」「先生が悪い」「友だちが悪い」と言っていた。
そう言いながら、その一方で、母親は、はげしい体罰をG君に繰りかえしていた。
父親はいたが、週に、1、2度しか、家に帰ってこなかった。
こうしてG君は6年生になったが、そのころになると、体格は、母親より大きくなり、母親の手に負えなくなった。
G君は、ますます学校で暴れた。
授業中にバスケットボールを、壁に当てて遊ぶ。
友だちの机をつぎつぎと、ひっくり返して逃げる。
授業中に、自分だけうしろの通路にすわって、マンガの本を読む、などなど。
しかし家では、つまり母親の前では、母親が言うには、「ふつうの子ども」だった。
また父親の前では、借りてきたネコの子のように、おとなしかったという。
G君は、私の教室には、中学2年まで来た。
私はG君のために、2人だけのクラスを用意して、対峙した。
が、毎回、とっくみあいのレスリングばかりしていた。
ほかにも、いろいろなことはしたのだろうが、記憶の中では、それしか残っていない。
こんなことがあった。
いつものように母親が、G君の前で、G君の悪口を言い始めた。
私は、それを聞いて、こう言った。
「G君は、今は、そういう状態かもしれませんが、かならず大物になりますよ。あのバイタリティは、かならず、いい方向に向かいますよ」「大切なことは、G君を信ずることです」「お母さんが、見放したら、G君は、どこへ行けばいいのですか」と。
その翌週のこと。教室の掃除をしていると、そこにG君が立っていた。
「何だ?」と声をかけると、G君は、こう言った。
「先生、オレ、肩もみ、うまいんだ。先生の肩、もんでやるよ」と。
私はだまって、G君に肩をもんでもらった。
それからもG君は、ワルはワルのままだった。
教室でのレスリングも、それで終わったわけではない。
ただ、残念なことに、その直後、学校で大きな傷害事件を起こしてしまった。
同時に、私のところを去った。
そのG君のうわさを聞いたのは、それから10年もしてからだ。
どこかの飲み屋で傷害事件を起こして、警察に逮捕されたという。
今にして思えば、起こすべきして、G君は、そういう事件を起こしたようにも、思える。
が、同時に、G君は、環境の中で、もがきつづけるうちに、そうなったようにも、思える。
どこかで歯車が狂った。
最初は、ほんの小さな狂いだった。
その狂いが、時間とともに増幅され、やがて悪循環の鎖の中に入っていった。
(乱暴をする)→(嫌われる)→(ますます乱暴をする)と。
その悪循環に悪循環を重ねて、おとなになった。
G君をワルと決めてかかる環境。
無責任で、無知な、父親。
感情的で、現実を直視しようとしない、わがままな母親。
そうそう言い忘れたが、何でもG君の言いなりになってしまう、甘い、祖父母。
そんなG君だったから、G君は、いつも嫌われた。
孤独だった。
自分の顔すら、もてなかった。
だから攻撃的に出た。
その攻撃性が、悪循環に悪循環を重ね、ますますG君は、社会のスミへと追いやられていった。
冒頭のU氏の話に、もどる。
U氏は環境の中で、U氏になっていった。
そして戦争が終わると、U氏は、またもとのU氏に戻った。
同じことが、G君についても、言えないだろうか。
G君は環境の中で、G君になっていった。
ほんとうのG君は、もっと別のところにいた。
ただ環境が変わるということは、G君のばあいには、なかった。
それでG君は、G君のまま、おとなになってしまった。
繰りかえすが、根っからの悪人は、いない。
同じように、根っからの善人は、いない。
悪人か、善人かは、その人内部の、神性と悪魔性のバランスによって決まる。
あるいは、今、「私は善人」を自称している人の中で、「ほんとうに私は善人である」と自信をもって言える人は、何人いるだろうか。
私はいないと思う。
もちろん精神的に病んでいる人も、悪人(?)になることがある。
新聞をにぎわす凶悪事件のほとんどは、こうした人たちによって、引き起こされる。
しかしそれは精神的に病んだからそうなっただけで、根っからの悪人というわけではない。
それにもしそうなら、その人が悪いのではなく、それは病気が悪いということになる。
だから……。
冒頭のタイトルに話が、さらに戻る。
この世の中に、生まれながらの悪人はいるのか?、と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 悪人論 神性 悪魔性)