最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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なおつづく出雲大社の謎

2012-12-21 12:43:12 | Weblog
【2012年12月21日】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

明日、世界は終焉(しゅうえん)するそうだ。
が、明日は、明日。
何も起こらない。

あのノストラダムスの大予言のときも、そうだった。
何も起こらなかった。
が、その一方で、何十冊も本を書いた人がいる。
今回も、何十冊も本を書いた人がいる。

人がもつ、不安心理を巧みに利用して、金儲けにつなげる。
マヤの暦(こよみ)にしても、そうだ。
あの暦を作ったのは、けっして人間ではない。
「人間が作った」と言うのは、ピラミッドや仁徳陵を人間が作ったというのと同じくらい、バカげている。
そんなことは、私の書いている『謎の点と線』を一部でも読んでもらえば、わかるはず。
ピラミッドにしても、仁徳陵にしても、人間の英知をはるかに超えている。

もう謎でも何でもない。
明らかな事実である。

ともあれ、明日は、12月22日。
マヤ暦が、明日で終わる。
そう言えば、我が家のカレンダーも、もうすぐ終わる。
新しいカレンダーを買ってくる。
来年(2013年)も、どうか無事でありますように!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【出雲大社の謎】

○出雲大社

 調べれば調べるほど、不思議な神社。
それが出雲大社ということになる。
今朝は、それについての、追加的ビデオを作った。
「謎の90度」。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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http://www.youtube.com/watch?v=2g5PB-C1lmI&feature=share&list=UU2fHPR-NxuYGd1oMOGXLwFA

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

○だるい

 昨夜(12月19日)の過労がたたった。
朝から、気(け)だるい。
頭も休眠状態。
ぼんやり。
眠い。

 簡単な計算を、何度もまちがえる。
数字を、書きまちがえる。

○ボケ

 ボケ症状?
で、中学生にこう聞いてみた。

私「最近、ぼく、バカになったと思わないか?」
中「……変わんない」
私「つまりね、以前とくらべて、バカになったと思わないか?」
中「……わかんない」と。

 ボケになる。
そのときのこと。
それを自分で気づくことはあるのか。
できるのか。
ボケたと、自分でわかるようなことはあるのか。
できるのか。

脳の中央演算装置が鈍るのだから、理論的には、答は「NO」。
それがわかるためには、かなりの自己評価能力が必要。
メタ認知能力。
つまり自分を客観的に見る目。 
それがあってはじめて、自分で自分がわかる。
ボケたことが、わかる。

○持続力

 その点、肉体の衰えは、わかりやすい。
昨年できたことが、今年はできなくなったりする。
同じ運動をしても、筋肉痛や疲れが、どっと出る。
そういうとき、肉体の衰えを強く感ずる。

 で、脳みそはどうか。

 私のばあい、最近、強く感ずるのは、集中力の減退。
とくに持続力が、なくなった。
2~3時間もすると、スーッと、気力がなえていく。
それが、自分でもよくわかる。

 ほかの部分はだいじょうぶ?
しかしそれとて、自分でそう思っているだけ?

○『謎の点と線』

 今夜は、二等辺三角形について調べてみる。
二等辺三角形である。

 出雲大社の周辺には、いくつかの二等辺三角形がある。
7~9か所の神社がある。
その神社をつなぐと、二等辺三角形が浮かびあがってくる。

同じように、伊勢神宮の周辺にもある。
が、どうして二等辺三角形なのか。

 謎のイチ。

 人間は、5~6キロ先の位置でも、正確に知ることはできない。
どこかの高台からながめれば、それも可能だろう。
しかしそれでも難しい。
いわんや、20キロ、30キロとなると、不可能。
不可能ということは、自分の生活に当てはめてみると、よくわかる。

 が、現実に、寸部ちがわないといってもよい二等辺三角形が存在する。
そこで謎のニ。

 何のために?
どうして?
そこまで謎を解いて、はじめて「解いた」という。

○方向

 考えられるのは、「方向」。
方向を示すために、点在する拠点を、二等辺三角形になるようにした。 

 で、常識的には、(あくまでも人間の常識だが)、頂点の部分が出発点(スタート・ライン)。
その頂点から、それぞれの辺に沿って、旅だった。
あるいは、その中間線に沿って、旅だった。
すでにいくつかの心あたりがある。
今夜は、それについて調べる。

○『テストの花道』

 月曜日(12月17日)に、NHK教育の、『テストの花道』という番組に出演した。
が、私自身は、見ていない。
ちょうど仕事中で、見ることができなかった。
かわりにワイフが、義兄の家で見てくれた。
いわく、「よかったわ」と。

 NHKの番組とは比較にならない。
が、私もこのところ、ビデオの編集で苦労している。
5分たらずのビデオを編集するのに、2~3時間もかかることもある。
簡単ではない。
それを知っているから、テレビ局の人たちには、頭がさがる。
つまり私の立場では、「出演する」。
が、出演するだけ。
簡単な仕事。

 ワイフはこう言った。
「うまく、まとめてあったわ」と。
バラバラな話をしたつもりだったが、番組としては、きちんとまとまっていた、と。

○反響

 反響は、すごかった。
どうすごかったかは、改めてここに書くまでもない。
「さすがテレビだなあ」と。
同時に、「さすがNHKだなあ」と。

 衰えたとはいえ、インターネットには、まだ勝てない。
そういう印象をもった。

○12月21日

 今日は、12月21日。
木曜日。
今日から、映画『ㇾエ・ミゼラブル』が始まった。
楽しみ。
この数日中に、観に行くつもり。

 ほかに大きな予定はない。
一度、葦嶽山(あしたけやま・広島県)に行ってみたい。
しかしこの寒さ。
雪が降るかもしれない。
しかしそうした山に登るのは、今ごろが、いちばんよい。
ハチや毒蛇は、目下、冬眠中。

○選挙

 選挙も終わり、再び、静かに。
今、大きな問題になっているのは、調整インフレ。
意図的にインフレを起こし、景気を刺激しようというもの。
が、古今東西、調整インフレが、うまくいったケースは、ひとつもない。
それが起爆剤になり、国家経済は、破綻に向かう。
「日本だけは、だいじょうぶ」と考えるのは、甘い。

 率としては、2%を考えているよう。
しかし2%で収まるわけがない。
経済というのは、そういうもの。
一度暴走を始めると、止めることができない。
火薬(国家債務が1000兆円)の前で、花火遊びをするようなもの。

 ……というような話は、もうやめよう。
私も年金族になった。
が、その年金では、2人で、東京を往復するのがやっと。
先日、孫たちにゲーム機器を2台、買ってやった。
それだけで、年金額を超えた。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「はやし浩司 レ・ミゼラブル」で、検索をかけてみた。
1作だけ、原稿が見つかった。
ちょうど10年前の原稿だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私の老後

 若いころ、50歳のくらいの人たちが、みな、老人に見えた。しかし私自身が、その50歳になったとき、私は、自分のことを、老人とは、とても思えなかった。この状態は、57歳になった今も、同じである。

 が、それだけではない。若いときは、いつもまわりに友だちがいて、ワイワイと騒いでいた。
が、歳をとるにつれて、友だちは減り、かわって、孤独が身を包むようになった。

 こういうときというのは、どうも、心がセンチメンタルになる。以前、書いた原稿を、読みなおす。

++++++++++++++++++

●マダム・バタフライ(再録)

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。ジャコモ・プッチーニのオペラである。
私はあの曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。
遠い昔、長崎からきた女性に恋をしたことがあるからか。
色の白い、美しい人だった。本当に美しい人だった。
その人が笑うと、一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。
その人はいつも、春の陽光をあびて、まばゆいばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治にかけての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。
そこで海軍士官のピンカートンと知り合い、結婚。
そして男児を出産。
が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。
先の歌は、そのピンカートンを待つマダム・バタフライが歌うもの。
今さら説明など必要ないかもしれない。

 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」もすばらしい。
少しだが、若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。ロメオとジュリエットがはじめてベッドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。
「喜びの日が、モヤのかかった
山の頂上で、つま先で立っている」と。

本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の頂上にモヤにかかっている。
モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はやはりそのシーンになると、たまらないほどの切なさを覚える。

そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」はすばらしい。
私はあの映画を何度も見た。
ビデオももっている。
サウンドトラック版のCDももっている。
その映画の中で、若い男が、こう歌う。
ロメオとジュリエットがはじめて顔をあわせたパーティで歌う歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前、「息子が恋をするとき」というエッセーを書いた
ので、このあとに添付しておく。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。短い曲だが、映画の最後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。

いつか電撃に打たれるような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。
かなわぬ夢だが、しかしそういうロマンスだけは忘れたくない。
いつか……。
(02-10-5)※

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


●息子が恋をするとき(中日新聞投稿済み)

息子が恋をするとき

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。
メールで、「今までの人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。
それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と笑った。
その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。
しかし長くは続かなかった。
しばらく交際していると、相手の女性の母親から私の母に電話があった。
そしてこう言った。

「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。
娘の結婚にキズがつくから、交際をやめさせほしい」と。

相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工場を経営していた。
一方私の家は、自転車屋。
「格が違う」というのだ。
この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。
が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。
ちょっとしたつまずきが、そのまま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く……」と。

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男がそう歌う。
たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つかと言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。年俸が一億円も二億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。
一着数百万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。
暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表する文化人として表彰される。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。
それは人が人生の中で唯一つかむことができる、「真実」なのかもしれない。

そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。
しかしそんなことはありえない。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。
そしてそれを見る観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。
涙をこぼす。
しかしそれは決して、他人の恋をいとおしむ涙ではない。
過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。
あの無限に広く見えた青春時代も、
過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。
歌はこうつづく。

「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。
私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝ていた。
六月のむし暑い日だった。
ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなになってしまいそうだった。
ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしばった。

しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。
そしてそれが今、たまらなくなつかしい。
私は女房にこう言った。
「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。
それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。
私も、また笑った。

++++++++++++++++++++

 「人生は葉巻のようなもの」と言った人がいた。
人生は、葉巻と同じで、吸い始めのときだけが、うまい、と。

 しかし本当にそうだろうか?

 もし今、ここで神様か何かが、私に、「もう一度、お前を、青春時代に戻してやる」と言っても、たぶん、私は、それを断るだろうと思う。
それはウナ丼を二度、つづけて食べる気分に似ている。
一度でたくさん。
こりごり。

 ただ悔やまれるのは、私は、20代、30代のころ、愚にもつかない仕事を仕事と思いこみ、時間をムダにしたこと。
教材制作が、それである。

 私はある時期、毎週のように、ある出版社に顔を出し、教材制作の手伝いをしていた。
結構、お金にはなったが、結局は、何も残らなかった。
利用されただけ。
そんな感じさえする。

 それはそれとして、では青春時代が、今よりまさっているかと言えば、そうとは言えない。
老齢期を迎え、そしてその先に「死」を感ずるようになった今のほうが、若いときより、ずっと、時間を大切にしている。
生きる、密度そのものが、ちがう。

 ヒントを得るために、梶山健氏編集の「世界名言辞典」(明治書院)に目を通す。

★「若い時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて、救いのボートに助けられ、ひと知れず帰ってくる」(シラー「実現と期待」)

★「老人になって耐えがたいのは、肉体や精神の衰えではなく、記憶の重さに耐えかねることである」(モーム「人間の絆」)

★「しわとともに、品位が備わると、敬愛される。幸せな老年には、言い知れない黎明(れいめい)がさす」(ユー・ゴー「レ・ミゼラブル」)

 大切なことは、最後の最後の、そのときまで、前向きに生きるということか。
人は、歳をとってはじめて入ることができる世界に入る。
いわば、老齢は、その世界への入場資格ということになる。

 たとえば若いときというのは、がむしゃらに生きることはできても、その生きることか生まれる「美しさ」までは、わからない。
さらに「生きることのすばらしさ」までは、わからない。

 しかし老齢というチケットを手にして、その世界に入ると、あたかも劇場で映画を見るかのように、自分の過去を見る。
そしてその生きることの美しさや、すばらしさを知ることができる。

 先の「人生は葉巻のようなもの」という言葉に、一言、つけ加えるなら、葉巻のうまさが、本当に理解できるようになるのは、老齢になってからということになる。

 刻々と過ぎゆく人生。たまたま今は、たそがれどき。冬の冷たい曇天が、窓の外を暗くおおい始めている。
こういう時の流れの中に身を置くからこそ、生きることの尊さや価値がわかってくる。

 わかりやすく言えば、人生を味わうのは、これからということ。
これからが、人生の本番ということ。
それにくらべると、今までの人生というのは、まるでカスカスのフ菓子のようなもの。

 まあ、一つだけ願いがかなうとしたら、老齢は老齢として、できるだけ長く、今の状態がつづいてほしいということ。
今のところ、頭も、それほどボケていないようだし、(自分でそう思っているだけかもしれないが……)、そこそこに健康である。
成人病とも無縁。

 もう少しだけ長く、真理の追求をしてみたい。
追求させてほしい。

 で、もし、それでもボケてしまったり、大病にかかってしまったとしたら……。
昨夜も、寝るとき、ワイフにこう言った。

 「ぼくは、そのときがきたら、いさぎよく、死ぬよ。ジタバタしない。みんなに迷惑をかけたくない。だから今、悔いが残らないように、懸命に生きるよ」と。

 本当にそのときがきたら、さみしいと思うが、少しずつだが、その覚悟はできつつあるように思う。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●さみしさ

 ある女性に、幼児の心理について、少し意見を書いたら、こう返事が届いた。

 「そういうことが書いてある本を紹介していただけますか?」と。

 何かのことで、子どもの教育にかかわっている女性である。

 私は、そのメールをもらって、何とも言えないさみしさに包まれた。「私の意見では、だめなのか?」と。

 で、そのさみしい気持ちをこらえながら、「こうした知識は、私が、自分の35年という幼児教育の経験の中からつかんだものです」と、返事を書いた。

 もちろんその人に、悪気があったわけではない。文面やHPから察するに、善良な女性らしい。
それに教育熱心というか、知識欲が旺盛というか……。

 本来なら、つまりもう少しアカデミックな生き方をするなら、公的な場所で論文を発表しながら、自分の主張を通すのがよい。
それがこの世界では、正当な道ということになっている。
今では、数多くの、幼児教育学会がある。

 しかし私は、そういう世界には、若いときから、ほとんど関心がなかった。
「幼児教育は母親教育」と、自分に言って聞かせて活動したこともある。
目が上ばかり向いている人もいるにはいるが、しかし私の目は、いつも下ばかりを向いていた。

 それで、35年になった。

 で、あるときから、私は心に、こう決めた。
「これからは、私を理解してくれる人のために原稿を書こう」と。
名誉や地位などというものには、ハナから興味はなかったし、いわんや権威などというものは、私がもっとも嫌いなもの。

 しかし私ほど、最前線で、しかも下っ端で、幼児と接した教育者もいないだろうということ。
今でもときどき、自分のしていることに自信をなくすことがある。
そういうときでも、私は自分にこう言って聞かせて、自分を励ます。

 「経験の数では、私の右に出るものはいない」と。

 それが私の意見になった。

 だからその女性には、「いい本があったら、また紹介しますよ」と返事は書いたものの、実のところ、そんな本は知らない。
読んだこともない。
ずいぶんといいかげんな返事だなと思いつつ、その女性のことは忘れることにした。(ごめんなさい!)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

2年ほど前に書いた原稿を、
もう一度、ここに載せておきます。

+++++++++++++++++

『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』

●密度の濃い人生

 時間はみな、平等に与えられる。
しかしその時間をどう、使うかは、個人の問題。使い方によっては、濃い人生にも、薄い人生にもなる。

 濃い人生とは、前向きに、いつも新しい分野に挑戦し、ほどよい緊張感のある人生をいう。
薄い人生というのは、毎日無難に、同じことを繰り返しながら、ただその日を生きているだけという人生をいう。
人生が濃ければ濃いほど、記憶に残り、そしてその人に充実感を与える。

 そういう意味で、懸命に、無我夢中で生きている人は、それだけで美しい。
しかし生きる目的も希望もなく、自分のささいな過去にぶらさがり、なくすことだけを恐れて悶々と生きている人は、それだけで見苦しい。こんな人がいる。

 先日、30年ぶりに会ったのだが、しばらく話してみると、私は「?」と思ってしまった。
同じように30年間を生きてきたはずなのに、私の心を打つものが何もない。
話を聞くと、仕事から帰ってくると、毎日見るのは、テレビの野球中継だけ。
休みはたいてい魚釣りかランニング。

「雨の日は?」と聞くと、「パチンコ屋で一日過ごす」と。
「静かに考えることはあるの?」と聞くと、「何、それ?」と。
そういう人生からは、何も生まれない。

 一方、80歳を過ぎても、乳幼児の医療費の無料化運動をすすめている女性がいる。
「あなたをそこまで動かしているものは何ですか」と聞くと、その女性は恥ずかしそうに笑いながら、こう言った。
「ずっと、保育士をしていましたから。乳幼児を守るのは、私の役目です」と。
そういう女性は美しい。輝いている。

 前向きに挑戦するということは、いつも新しい分野を開拓するということ。
同じことを同じように繰り返し、心のどこかでマンネリを感じたら、そのときは自分を変えるとき。
あのマーク・トーウェン(「トム・ソーヤ」の著者、1835~1910)も、こう書いている。「人と同じことをしていると感じたら、自分が変わるとき」と。

 ここまでの話なら、ひょっとしたら、今では常識のようなもの。
そこでここではもう一歩、話を進める。

●どうすればよいのか

 ここで「前向きに挑戦していく」と書いた。
問題は、何に向かって挑戦していくか、だ。
私は「無我夢中で」と書いたが、大切なのは、その中味。

私もある時期、無我夢中で、お金儲けに没頭したときがある。
しかしそういう時代というのは、今、思い返しても、何も残っていない。
私はたしかに新しい分野に挑戦しながら、朝から夜まで、仕事をした。しかし何も残っていない。

 それとは対照的に、私は学生時代、奨学金を得て、オーストラリアへ渡った。あの人口300万人のメルボルン市ですら、日本人の留学生は私一人だけという時代だった。
そんなある日、だれにだったかは忘れたが、私はこんな手紙を書いたことがある。

「ここでの一日は、金沢で学生だったときの一年のように長く感ずる」と。
決してオーバーなことを書いたのではない。
私は本当にそう感じたから、そう書いた。
そういう時期というのは、今、振り返っても、私にとっては、たいへん密度の濃い時代だったということになる。

 となると、密度の濃さを決めるのは、何かということになる。
これについては、私はまだ結論を出せないが、あくまでもひとつの仮説として、こんなことを考えてみた。

(1)懸命に、目標に向かって生きる。無我夢中で没頭する。これは必要条件。
(2)いかに自分らしく生きるかということ。自分をしっかりとつかみながら生きる。
(3)「考える」こと。自分を離れたところに、価値を見出しても意味がない。自分の中に、広い世界を求め、自分の中の未開拓の分野に挑戦していく。

 とくに(3)の部分が重要。
派手な活動や、パフォーマンスをするからといって、密度が濃いということにはならない。
密度の濃い、薄いはあくまでも「心の中」という内面世界の問題。
他人が認めるとか、認めないとかいうことは、関係ない。
認められないからといって、落胆することもないし、認められたからといって、ヌカ喜びをしてはいけない。
あくまでも「私は私」。
そういう生き方を前向きに貫くことこそ、自分の人生を濃くすることになる。

 ここに書いたように、これはまだ仮説。
この問題はテーマとして心の中に残し、これから先、ゆっくりと考え、自分なりの結論を出してみたい。
(02-10-5)

(追記)

 もしあなたが今の人生の密度を、2倍にすれば、あなたはほかの人より、2倍の人生を生きることができる。
10倍にすれば、10倍の人生を生きることができる。
仮にあと1年の人生と宣告されても、その密度を100倍にすれば、ほかのひとの100年分を生きることができる。

極端な例だが、論語の中にも、こんな言葉がある。『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』と。
朝に、人生の真髄を把握したならば、その日の夕方に死んでも、悔いはないということ。
私がここに書いた、「人生の密度」という言葉には、そういう意味も含まれる。

+++++++++++++++++ 

●密度の濃い人生(2)

 私の家の近くに、小さな空き地があって、そこは近くの老人たちの、かっこうの集会場になっている。
風のないうららかな日には、どこからやってくるのかは知らないが、いつも七~八人の老人がいる。

 が、こうした老人を観察してみると、おもしろいことに気づく。
その空き地の一角には、小さな畑があるが、その畑の世話や、ゴミを集めたりしているのは、女性たちのみ。
男性たちはいつも、イスに座って、何やら話し込んでいるだけ。

私はいつもその前を通って仕事に行くが、いまだかって、男性たちが何かの仕事をしている姿をみかけたことがない。
悪しき文化的性差(ジェンダー)が、こんなところにも生きている!

 その老人たちを見ると、つまりはそれは私の近未来の姿でもあるわけだが、「のどかだな」と思う部分と、「これでいいのかな」と思う部分が、複雑に交錯する。
「のどかだな」と思う部分は、「私もそうしていたい」と思う部分だ。
しかし「これでいいのかな」と思う部分は、「私は老人になっても、ああはなりたくない」と思う部分だ。私はこう考える。

 人生の密度ということを考えるなら、毎日、のんびりと、同じことを繰り返しているだけなら、それは「薄い人生」ということになる。
言葉は悪いが、ただ死を待つだけの人生。そういう人生だったら、10年生きても、20年生きても、へたをすれば、たった1日を生きたくらいの価値にしかならない。

しかし「濃い人生」を送れば、1日を、ほかの人の何倍も長く生きることができる。
仮に密度を10倍にすれば、たった1年を、10年分にして生きることができる。
人生の長さというのは、「時間の長さ」では決まらない。

 そういう視点で、あの老人たちのことを考えると、あの老人たちは、何と自分の時間をムダにしていることか、ということになる。

私は今、満55歳になるところだが、そんな私でも、つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことがある。
いわんや、70歳や80歳の老人たちをや! 
私にはまだ知りたいことが山のようにある。
いや、本当のところ、その「山」があるのかないのかということもわからない。が、
あるらしいということだけはわかる。

いつも一つの山を越えると、その向こうにまた別の山があった。
今もある。
だからこれからもそれが繰り返されるだろう。
で、死ぬまでにゴールへたどりつけるという自信はないが、できるだけ先へ進んでみたい。
そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 そう、今、私にとって一番こわいのは、自分の頭がボケること。
頭がボケたら、自分で考えられなくなる。
無責任な人は、ボケれば、気が楽になってよいと言うが、私はそうは思わない。
ボケるということは、思想的には「死」を意味する。
そうなればなったで、私はもう真理に近づくことはできない。
つまり私の人生は、そこで終わる。

 実際、自分が老人になってみないとわからないが、今の私は、こう思う。
あくまでも今の私がこう思うだけだが、つまり「私は年をとっても、最後の最後まで、今の道を歩みつづけたい。
だから空き地に集まって、一日を何かをするでもなし、しないでもなしというふうにして過ごす人生だけは、絶対に、送りたくない」と。
(02-10-5)

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

○2012年12月21日

 再び、今日。
2012年12月21日、金曜日。

 風のない、穏やかな日。
枯れた庭の栗の木の葉が、動きを止めている。
去年もそうだった。
今年も、そうなりそう。
落ち葉にならないまま、栗の木の葉は、このまま越年する。

 ……ところで、10年前に、私はすでにボケの心配をしていた。
驚くというより、あくまでも結果論だが、杞憂(きゆう)に過ぎなかった。
が、この先のことはわからない。
10年後も、同じような文章を書ければ、それでよし。
そういう意味では、文章というのは、ボケのバロメーターになる。
自分の書いた文章を読み、ボケの進行度を知る。
そういうふうにも、利用できる。

 ということで、これから仕事。
我ら無年金族は、死ぬまで働くしかない。
がんばろう。


Hiroshi Hayashi+++++++Dec. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 

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