最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●溺愛(1)

2010-07-01 11:45:40 | Weblog
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●やるせない虚脱感

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多くの教師たちが今、ある種の
虚脱感に襲われている。

何かがおかしい。何かがへん。
しかしそれを声に出して言うこと
すら、許されない。

そんな虚脱感である。

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 少し前、ある小学校で、一人の子どもが、学校で飼っていたうさぎを、二階のベランダ
から落として殺すという事件があった。この事件は、新聞にも報道された。そのため、教
育者のみならず、親たちにも、大きな衝撃を与えるところとなった。

 こういう事件が起きると、現場の教師たちは、最初は、はげしい怒りに襲われる。しか
しつぎの瞬間、今度は、一転して、同じくはげしい無力感に襲われる。「やるせなさ」と言
ったらよいかもしれない。その事件を直接見聞きた、ある先生も、そう言っていた。

 怒り……それは当然だ。問題は、無力感。私にも、何度か、経験がある。

 もう三〇年ほど前になるだろうか。こんな事件があった。そのとき、私はある予備校で、
講師のアルバイトをしていた。そこでのこと。控え室へ戻って、飲みかけたお茶を飲もう
と思って、席に座った。気がつくと、三、四人の中学生が、ニヤニヤ笑いながら、私を見
つめているではないか。「どうしたの?」と聞いても、ただ笑っているだけ。

 で、一気に、お茶をぐいと飲んだ。おかしな臭(にお)いはしたが、私は、割とそうい
うことには無頓着。で、飲んでしまって、茶碗を下に置くと、一人の中学生が、こう言っ
た。

 「先生、へんな味はしなかった?」と。

 とたん、ピンときた。「君たち、ぼくのお茶の中に……」と。そこまで言いかけて、もう
一人の中学生の手を見ると、彼は殺虫剤のスプレー缶をにぎっていた。私は、カーッとな
って、こう叫んだ。

 「バカヤロー。冗談でしていいことと悪いことがある。お前たちには、それを判断する
能力もないのか。出て行け!」と。

 あとでマネージャーになだめられたが、私の腹のムシは収まらなかった。「即刻、退塾さ
せてほしい」と私は迫ったが、「それは待ってほしい」と。

で、そのあとである。私を、はげしい無力感が襲った。それは虚脱感と言ってもよかっ
た。そういうバカ(脳ミソのできふできを言うのではない。常識に欠ける行為をする人
間を、バカという)を相手に、知恵をつけなければならない虚(むな)しさ。相手にし
なければならない虚しさ。教えなければならない虚しさ。そういうものが、どっと私を
襲った。

 恐らく、その虚しさは、この世界の外にいる人には、理解できないものだろう。「教育を
否定されたかのような虚しさではありませんか?」とわかったようなことを言う人もいる
が、そんなものではない。それは自分のしていることを、のろいたくなるような虚しさで
ある。

 で、それでこの種の事件は終わったわけではない。それからも、つぎつぎと起きた。最
近でも起きた。それもその回数が、以前より、多くなった? 子どもたちの「質」が、明
らかに変化している。ものの考え方が、ギャグ化し、言動が、ゲーム化している? うさ
ぎを二階のベランダから落として殺したというのも、その一つにすぎない? まじめに考
えることを、今の子どもたちは、「ダサイ」と言う。そういう子どもたちに、いちいち腹を
たてていたら、仕事そのものが成りたたない。

 で、なぜ、こういう非常識な子どもが、ふえつつあるか、である。常識がないというか、
道理がわかっていない。自分で考える力さえ、ない。そのときの気分と、はずみで、メチ
ャメチャなことをしてしまう。頭のよし、あしには、関係ない。勉強ができる、できない
にも、関係ない。

 えてして親は、教師は、そして世間一般は、勉強がよくできる子どもイコール、人格者
と考える。学歴のある人イコール、人格者と考える。しかしこれはまったくの誤解。ウソ。
デタラメ。はっきり言えば、幻想。むしろ頭がよい分だけ、タチ(性質)が悪い。有名進
学高校ほど、陰湿ないじめが多いというのは、そういう理由による。

 最近の子どもたちは、何かを見落としたまま、知識や知恵を身につけている。親たちも、
その知識や知恵だけをみて、子どもを判断しようとする。こうしたイビツな教育観が、お
かしな子どもを、どんどんと生産している。

 で、私のばあい、腹を立てることは、少なくなったが、虚しさだけは、どんどんとふく
らんでいる。それはたとえて言うなら、小さな苗を植えたところから、巨大なブルドーザ
ーで、踏み荒らされるような虚しさである。ときどき、この世界から足を洗いたくなるこ
ともある。私一人の力では、どうにもならない。いや、もし私に、それなりの退職金と年
金が入るなら、明日にでも足を洗うかもしれない。

 こうした現象を防ぐために、子どもには、静かに考える場所と、時間を提供すること。
一日、一時間や二時間では足りない。数時間単位で、ひとりで考えられるようにすること。
そのためには、テレビ、ゲームなどは避ける。少なくとも夕食後は、ひかえる。そしてあ
とは、自分で行動させ、自分で責任をとらせる。こうした積み重ねが、子どもを常識豊か
な子どもにする。

 そう、今、その常識豊かな子どもが、減ってきている。それは事実だ。
(030923)

【ギャグ化現象】

 日本語でも、昔から、「茶化す」「はぐらかす」「おちょくる」「からかう」「とぼける」「ご
まかす」などという表現がある。要するに、ものの本質から逃げて、相手を煙に巻くこと
をいう。

●逃避……たとえば「環境汚染が進んで、空気が汚染されたらどうする?」と問いかける
と、「パソコンで、青い空をつくればいい」と答えるのが、それ。
●仰天……相手の言っていることに対して、突飛もないことを言って、その場を、はぐら
かす。「地震がやってくるかもしれないね」と言ったことに対して、「巨大隕石が落ちて
くると、地球はこなごなになる」と言うのが、それ。
●飛来……思いついたことだけを、ペラペラと言う。「ラーメン、食べたい」「Xメンだ」
「からし明太子(めんたいこ)」と。前後の脈絡がない話を、つぎつぎとつなげていく。
●奇声……「どひゃー」「ウエウエ」「ドギドギ」というような、意味のわからない言葉で、
その場をごまかしてしまう。「明日の遠足のしたくはできているの?」と聞くと、「ジャ
ジャ~ン」と答えるなど。

 こうしたギャク化現象は、三〇年前には、なかった。こうしたギャクを口にすれば、そ
れだけで軽薄な人間と思われた。英語にも似たような現象はあるが、質が違う。オースト
ラリアの友人に、このことを話すと、その友人は、こう言った。

 「オーストラリア人は、ジョークを言うのが好きだ。しかし日本人は、ジョークを言わ
ない。その分だけ、ギャク化するのではないか」と。この問題は、また別の機会にほりさ
げて、考えてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
虚脱感 教師の虚脱感5105)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【溺愛】

●母親の溺愛

 溺愛する親にせよ、ストーカー行為を繰りかえす人にせよ、それは「愛」によるもので
はない。「代償的愛」による。代償的愛というのは、いわば、愛もどきの愛。身勝手で、自
分本位の愛。自分の心のすき間を埋めるための愛。子どもや、その相手を、そのために利
用しているにすぎない。

 この代償的愛は、共通のものと考えてよい。私はこのことを、一人の母親に出会って、
知った。

 その母親(五五歳くらい)は、娘(現在、二八歳)を、溺愛した。それは恐ろしいほど
の溺愛だった。娘が幼稚園児のときは、遠足先まで、見え隠れしながら、自分で車を運転
して、ついてきたという。

 が、その娘は、あるときから、そういう母親の溺愛をうるさく思うようになった。そし
て事件は起きた。

 娘が母親の反対を押し切って、一人の男と結婚して、家を出てしまった。母親は、娘夫
婦といっしょに暮らすことを考えていた。が、その夢は、こなごなに、こわれた。とたん、
その母親は、ストーカーに変身した。

 その話を、その女性(娘)から聞いたままを、ドキュメンタリー風に、書いてみる。あ
まりにも生々しい話なので、事実だけを、そのまま書く。

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●娘をストーカーする母親

 ある夕方、H(女性、二八歳)が、食事のしたくをしていると、そこへ電話がかかって
きた。そこに住むようになって、数日目のことだった。受話器を取ると、母親からだった。
母親は、こう言った。

 「あんた、今日はダサイ服を着てたわね。何よ、あの赤いスカート!」と。驚いてHが、
「どうして知ってるの?」と聞くと、「スーパーで見かけたからよ」と。

 しかしその娘が行くスーパーには、母親は行かないはず。それに実家からは、距離も離
れている。母親は、ネチネチとした言い方で、あれこれ話し始めた。

 「あんた、インスタント食品ばかり買ってたでしょ。それにスパゲッティに、ウーロン
茶? いったい、どういう取り合わせをしてるの? 体によくないわよね。それとも、あ
んたのダンナを早く、殺したいの? ちゃんと、料理してあげなさいよ」と。

 Hは、母が自分のことを怒っていることを知っていた。母の反対を押し切って、結婚し
た。実際には、結婚式は、できなかった。今の夫とは、駈け落ちするかのようにして、家
を出た。あとで父に聞くと、その夜、母は、狂乱状態になって暴れたという。そんな負い
目があった。Hは、母親の話をだまって聞くしかなかった。

 が、それは、それからつづく、いやがらせの、ほんのはじめに過ぎなかった。

 電話は、翌日もかかってきた。そして今度は、こう言った。

 「この親不孝者め。親を捨てて家を出るということが、どういうことなのか、あんたに
はわかっているの。あのね、親を捨てる者は、地獄へ落ちるのよ。そう、あんたなんか、
地獄へ落ちればいいのよ」と。

 それは前日と同じように、ネチネチした言い方だった。Hは、電話にとまどいながらも、
反発することすらできなかった。相手は親だ。しかも自分は、その親に、かわいがっても
らった。ほしいものは、たいてい何でも買ってもらった。

 大学は家から通ったが、家では、一番日当たりのよい、二階の三部屋を自由に使うこと
ができた。学費のほか、毎月一〇万円の小づかいをもらっていたが、そのほとんどは遊興
費に使うことができた。しかし親は、何も文句は言わなかった。

H「お母さん、ごめんなさい。親不孝者だということは、自分でもわかっているわ」
母「そうよ。あんたなんか、地獄へ落ちるのよ。私が先に死ぬからね。あの世で、あんた
が地獄へ落ちるのを、楽しみに見ていてあげるからね」
H「でも、そんなつもりはないの」
母「そんなつもりって、何だい? 親を捨てたことかい?」
H「捨ててなんか、いないわ。いつもお母さんのことを、大切に思っているわ」
母「ああ、私はね、足が痛いんだよ。年齢も年齢だからね。だれが、病院へ連れていって
くれるのかね」と。

 こうした電話が、ほとんど、毎日、かかってきた。ときには、朝早い時刻に。ときには、
真夜中に。Hは、電話のベルが鳴るたびに、不安感を覚えるようになった。「心の底をえぐ
られるような不安感」と、Hは言った。

 しかしHは、母からの電話については、夫には言わなかった。ときどき夫が電話に出る
ことはあったが、母は、夫には、別人のように、やさしくていねいな言い方をした。夫は、
いつも、Hに、「おまえの母さんは、いい母さんだな」と言っていた。

 そう、母親は、近所では、「仏様」というニックネームをつけられていた。穏やかな顔立
ち、それに低い、物腰。何かと小うるさい女性ではあったが、嫌われるということは、な
かった。しかし娘のHには、違った。

 その日は、夫がいない夜に、電話がかかってきた。母は、夫が泊りがけの出張で、家に
いないことを知っていた。

母「あんたの手料理が食べたいよオ~」
H「何を?」
母「昨日は、ダンナと、スキヤキを食べたんだろ?」
H「どうして、それを知っているの?」
母「母さんは、何でも知ってるんだよ」

H「どうしてスキヤキって、知っているの? 見てたの? どこで?」
母「そんなのは、私の勝手だろ。私はね、あんたが家を出てからというもの、毎晩、泣い
て過ごしているんだよ」
H「そんな……」
母「あんたも、もうすぐ母親になるんだろ。子どもが生まれるんだろ。だったら、そんな
狭いアパートなんかにいないでさ、うちへ戻っておいでよ。あんな風采のあがらないダン
ナなんかとは、別れなさいよ」

H[それは、できないわ]
母「どうしてだい。親よりも、ダンナのほうが大切だと言うのかい?」
H「そうではないけど、私には、私の生活があるのよ」
母「じゃあ聞くけど、私の人生は何だったのよ。私の人生を返してよ。あんたには、いく
らお金をかけたか、わからない。あんたがピアノをひけるようになったのも、私が毎週、
毎週、高い月謝を払って、ピアノ教室へ連れていってあげたからでしょ。その恩を忘れた
の?」
H「忘れてはいないわ。でも、私は私の生活をしたいの」
母「この親不孝者めが!」(ガチャン)と。

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