夕霧の烏帽子

クラシックバレエと
仕事と宝塚を生きがいにしている
50代の徒然を書いてます。

徒然です

2006年12月08日 | 日常
同窓会の時に友人達が子育て・・と、言うよりも、もう中高生となる
子供達の受験の話しを仁義に聞いていた。
それを私は他人事として「へぇ~~~」とか「大変だねぇ」なんて
言いながら笑っていた。
「ウチは子供がいなくて良かったねぇ」なんて、何時も一緒に遊んでいる
Kちゃんと話していた。

仁義は仁義で孫の話し。
とにかく可愛くて仕方が無い孫達のお話しのオンパレードでありました。

皆の話しが一段落したところで、仁義に言われた。
「おまえはどうするんだ。子供も産まないでそんな風にチャラチャラして」
・・・・・
確かにねぇ、傍から見れば好きな事して生活している私はチャラチャラして
見えるだろうねぇ。
少しお酒が入っていたその時の私。
「普通に結婚をして、普通に生活をしているつもりだったのに、
普通に子供が生めなかったの。
その時に普通の自分になる為にどれだけ辛い思いをしたか・・分らないだろうね」
なんて、仁義に話していました。

仁義、黙ってしまってね


先日のレッスンの時にも自分が不妊治療をしていた話しをしたら、
周りの人が黙ってしまった。

・・・・やっぱり周りを黙らせる力が不妊と言う言葉にはあるのだろうか??
きっと、それは「普通」とは違う・・「可哀相な人」だからなのかもしれない。


ボランティアって・・なんだろうか??
普通じゃない障害があったり、お年寄りだったり・・そう言う人達に
何かをしてあげる・・・のがボランティア??
それって、普通と普通じゃないと区別している事にならないのかな?
みんな、人間は一緒なんだから・・憐れみなんていうのを同じ人間に
向けるのっておかしくないだろうか??それって自分が特別な人間だと
思う為の自慰行為じゃないだろうか??ってちと思ったりもする。
出来ない事を手助けするのは当たり前の事・・それを無償でするかしないか?
う~~~ん、難しい。
そうすると私も障害のあるKに何かをしてあげたいと思う気持ちも
自慰行為になるのだろうか・・・。


こんな風に考えている自分の意見を人には押し付けないようにしないと
いけないとは思っています。


これから先、自分はどうして行けば良いだろうか・・。
軸を決めていれば人間迷わないじゃないの・・と、話してくれた先生の
言葉を考えています。




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