夕霧の烏帽子

クラシックバレエと
仕事と宝塚を生きがいにしている
50代の徒然を書いてます。

泣かないで行くぞ!!

2007年11月01日 | Weblog
母の入院が決まった。

う~~~~ん、母の入院には慣れていたつもりだったのだけれど、
今回は参ったかも・・。

一番最初は26年前の肺がんでの入院。
やはり、あの頃の「癌」は怖いものだった。
高校生だった私は不安で、不安で・・母の入院初日に母の
ベッドで大泣きした事を覚えている。
左肺の切除の術後、母の個室に入った時は、心配で
ずっと母の手を握っていたなぁ・・・。
手術と抗がん剤の治療で母の肺がんは5年後には完治と言われた。

そうそう、煙草を吸わない母が肺がんになったもんだから、
「肺がんと煙草は関係無いじゃん、だったら私は吸うわ」と、
喫煙をしていた私だったりしています
(今は煙草は辞めました)



その後、腱鞘炎での手術での入院を何回か経験しているのだけれど、
その時は「腱鞘炎だし~」みたいな部分もあって、あまり
心配もせずに入院先にお見舞いに行く程度でありました。


今回はねぇ・・・参ったな。
声帯が潰れて、声が出なくなってしまってね。
一ヶ月近くの検査で分かったのが、
26年前の肺がんとは関係の無い、肺腺癌。

再度、書きます。
母は煙草は吸いません。
父は凄かったけれどね


まだ余命宣告されるには早い年齢じゃないか??と、思う70歳前。
もっと一緒に過ごす時間を持っていれば、
私は気が付いていたのでは無いか??と、後悔をしている自分も居る。
その反面、発表会前なんだけど・・どうしようか??と、自分の
事しか考えない私も居る。

手術は無理なので抗がん剤の治療と言うことになっている。
毎日のプールで鍛え上げている人で本人が元気なだけに、
抗がん剤の治療が彼女の元気を奪って行くのでは無いか??と、
不安にもなる。

「私、治らないみたいだね」なんて、
先生からの話しを聞いているのに、
皆の前では元気に飄々としている母を見た。
皆が深刻になっている中、母は暗くならないでいた。

母と一緒に笑い飛ばそうって・・・思った私。
夫からも、
「お前が深刻にしていたら、お母さんが可哀想だよ」って、
言われた。
母の前では、今回は絶対に泣かないぞ!!って、思ってます。


子供だった、あの頃とは私は違うからね。

母のサポートはしっかりとする。
だけど、発表会も頑張るからね

ブログ書きながら、
泣いている「泣き虫」な奴であります