チャーリーが逝った。
もちろん、チャーリー浜でも、チャーリー石黒でもなく、ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツだ。
御年80歳の偉大なドラマーだ。
洋楽に目覚めた頃はビートルズ派で、ストーンズは異端のキワモノとして見ていた。
それが今や生ける伝説のバンドだ。
その中にあってチャーリーは、ミックやキースとは一線を画する、紳士然とした、ある意味、浮いた存在だった。
地味なファッションで、派手なアクションをすることもなく、飄々として正確なリズムを刻んでいた。
それがミックやキースのアクの強さを適度に中和し、バンドとしての音楽性を昇華させたのだ。
ロックシーンにおいて、ドラムテクニックでは、彼に優るドラマーは何人もいたが、ジャズの素地から生まれたシンプルでブレのないドラミングは、ちょうどビートルズのリンゴがそうだったように、ストーンズの音楽性になくてはならない味を持っていた。
そのオリジナルメンバーで、屋台骨を支えてきたチャーリーが逝った。
ちょうどビートルズのジョン・レノンが逝った時のような喪失感だ。
ビートルズがビートルズでなくなったように、ストーンズもストーンズでなくなるのだ。
ビートルズを生で聴くことはなかったが、ストーンズは2003年の大阪公演を生で聴いた。
その時からストーンズは何も変わっていない。
もっといえば、1970年代から基本的にはその音楽性や演奏スタイルは不変だ。
その不変の根底には、チャーリーの正確無比なドラミングがあった。
この秋にストーンズはドラムに代役を立てて、アメリカツアーを予定しているが、チャーリーの追悼コンサートになりこそすれ、本来のストーンズのコンサートではなくなるのだ。
フロントマンのミックやキースがいても、チャーリーのいないストーンズはもはやストーンズではない。
ここに、生ける伝説のバンドは、その代名詞から"生ける"が外れ、本当の伝説のバンドになった。
チャーリーよ安らかに。
もちろん、チャーリー浜でも、チャーリー石黒でもなく、ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツだ。
御年80歳の偉大なドラマーだ。
洋楽に目覚めた頃はビートルズ派で、ストーンズは異端のキワモノとして見ていた。
それが今や生ける伝説のバンドだ。
その中にあってチャーリーは、ミックやキースとは一線を画する、紳士然とした、ある意味、浮いた存在だった。
地味なファッションで、派手なアクションをすることもなく、飄々として正確なリズムを刻んでいた。
それがミックやキースのアクの強さを適度に中和し、バンドとしての音楽性を昇華させたのだ。
ロックシーンにおいて、ドラムテクニックでは、彼に優るドラマーは何人もいたが、ジャズの素地から生まれたシンプルでブレのないドラミングは、ちょうどビートルズのリンゴがそうだったように、ストーンズの音楽性になくてはならない味を持っていた。
そのオリジナルメンバーで、屋台骨を支えてきたチャーリーが逝った。
ちょうどビートルズのジョン・レノンが逝った時のような喪失感だ。
ビートルズがビートルズでなくなったように、ストーンズもストーンズでなくなるのだ。
ビートルズを生で聴くことはなかったが、ストーンズは2003年の大阪公演を生で聴いた。
その時からストーンズは何も変わっていない。
もっといえば、1970年代から基本的にはその音楽性や演奏スタイルは不変だ。
その不変の根底には、チャーリーの正確無比なドラミングがあった。
この秋にストーンズはドラムに代役を立てて、アメリカツアーを予定しているが、チャーリーの追悼コンサートになりこそすれ、本来のストーンズのコンサートではなくなるのだ。
フロントマンのミックやキースがいても、チャーリーのいないストーンズはもはやストーンズではない。
ここに、生ける伝説のバンドは、その代名詞から"生ける"が外れ、本当の伝説のバンドになった。
チャーリーよ安らかに。
狙いは読後感。読めばわかる、あるいは読んでもわからないかもしれないが、なんとなく心の片隅に残る奇妙な違和感。ありきたりで普通を装った妙な安心感。 そんな小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます