★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

僕たちの社交場

2024年06月26日 07時13分09秒 | 徒然(つれづれ)
 懐かしい昭和の想い出を書いてみた。
 私は九州の辺境の片田舎で生まれ育った。

 漁村だったので、家の軒先には干し魚が並んでいたり、季節になると、家の前でオバちゃん連中が牡蠣の殻むきをしていた。

 道路は舗装されてなくて、車もほとんど通らない道路を、たまにロバのパン屋やアイスキャンデー売りが来ていた。
 当時の田舎では、傷痍軍人やゼンモンさんと呼ばれるホームレスもよく見かけたな。

 そんな原風景の中で印象に残っているのが、家の近所の駄菓子屋だ。
 保育園に通っていた頃から、小学校の1、2年まで、放課後や休日はほとんどそこを拠点に過ごした。

 その駄菓子屋は近所の子供の溜まり場、さながら僕たちの社交場、情報の発信基地だったんだよね。
 10円玉や5円玉を握り締め、毎日通っていたものさ。
 それでも、ガムやキャラメルを1個単位で買って、お釣りが来たんだよね。

 店は繁盛していて、その店の年上の息子は、僕ら垂涎のプラモデルをいくつも持っていた。

 夕方近くなると、店内のラジオから大相撲中継が流れていた。
 栃若時代の末期で、昭和の大横綱大鵬はまだ関脇から大関くらいだったかな。

 店の前は観音様で、その境内には土俵があり、僕たちはいつも相撲を取っていた。
 
 週イチの頻度で紙芝居屋が来て、僕たちは観音様の石段に座って、水飴や酢こんぶを食べながら夢中で観ていた。
 保育園で見る紙芝居とは違って、ヒーロー物だったので、まだテレビが普及していない時代の最大の娯楽だったんだよね。

 僕たちが中学生になった頃には、その店もいつの間にかなくなり、紙芝居屋もいなくなっていた。
 昔の人たちは、どこへ行ってしまったんだろう。

 僕たちは、子供時代から青春時代への狭間、いわゆる思春期に入っていた。


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