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あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

新宿が好きな理由ってなんじゃらほい

2021-11-22 | from:sachiaki
友達とパトレイバーの話をしてたんですよ。
突然25年近く前のネタを出してくるぐらいには老人なsachiakiです。
どうも、おはようございます。

いやさ、パトレイバーの世界観って近未来のもので
1998年から2001年の世界観だっていうから
へ〜ってなってからの、
あれ?98年から01年?
その頃って自分も社会人の一歩を踏み出した頃だよな…
って気になって主人公の年齢設定を検索してみたら
ー泉 野明 1978年12月17日生まれー ってあったので
おわーーーー!!!同じ年!!!!!!!
ってめちゃくちゃビビったわけです。
警察予備学校出てすぐに特車二課の配属を希望して
警視庁警備部特車二課第二小隊配属されたってあって
20歳だっていうからさー。
あれ?警察予備学校ってそんな早く出られるんだっけ?
っていう疑問もありつつも、
専門学校出てすぐ社会人になった自分と
同じような年齢で動き回っていたのかと思うと
別の感慨深さが出てきたりしてました。
初めてパトレイバー見た時が小学生か中学生時代で
高校になって漫画をチラ読みしてたから
年上かと思っていたけれど、近未来モノだから
近未来に現代が追いつくとそういうこともあるわね。
大友克洋のAKIRAに出てくる大佐も同じ年だから
2000年頃っていうのがちょうど良い近未来だったんだなぁ。

それはそれとして、パトレイバーって東京が舞台の話なんですけれど
あんまり意識したことがなかったので、
立川だとか八王子だとか、今では当たり前に歓楽施設が立ち並ぶ
観光地であるお台場なんかが聖地だって話になって
そういやそうだったな〜なんて思い出したりしてました。

それで東京が聖地のアニメ・漫画の話になって
シティハンターのことを思い出してたわけです。
そういや私が新宿好きな理由ってこれが原点だわって。
複合的な要素はあるけれど、
子供時代にシティハンターの世界観としてあった新宿は
母がちょっと友達と遊んでくるって話に出てくるところでもあり、
友人がドハマリして読んでいた「魔界都市」も新宿で
なんていうか、憧れの大人の街って感じになっていたんですよね。
「魔界都市」はちょっと違うか……?

鼓笛隊にいた頃の合宿が中野富士見町にあって
キッツイ練習のあと、みんなが寝静まってから
窓から見えるネオンサインに見とれていたものです。
今も疲れがたまったり、ストレスがマックスになると
新宿の夜景とお台場の海辺に行く癖があるけれど
それは当時の憧れを吸い込んでチャージしているのに近いかもしれません。
そういや、あんまり自然のあるところでエネルギーチャージしたことないのよねぇ。
長野の単身赴任でメンタルやられて(原因はいろいろあったけれど)
都内に戻ってきてからしばらくたって同期と都内で遊んでいた時に
「さっちゃんは都会が合うタイプなんだね〜。生き生きしてる」と
長野出身で都会は疲れるという彼女がそういっていたのが
いまだに印象に残っていたりします。
かといって生粋の都会っ子ではないので
武蔵野っ子としては今いる場所ぐらいの都会がちょうど良いなって思います。


閑話休題。


専門学校が代々木にあったこと、
そのあとの長く居座ることになったバイト先が新宿であったこと、
中野の勤務先に3年勤めてから新宿に事務所を構えたことも含め
なんとなく新宿が今も好きで、またいつか新宿に戻りたいな〜
なんてことを思ったりもしています。
と書いている戻りたい新宿は5丁目から東新宿だから
新宿か?って感じはあるけれど。

銀座や六本木なんかのおハイソな欲望はなんか嫌なんだけど
新宿みたいなゲスい欲望は良いなって思うんですよね。
人間らしい感じがする。
ちょっと前のホスト狩り事件とかは心底おっかねーって思ったし
歌舞伎町の一部は苦手エリアだったりするんだけど
でもやっぱ楽しいです。
ロフトがある街ってだけある。

と、どうでも良い話でだいぶ長くなってしまいました。
昨日行って来た展示の人が歌舞伎町と吉原という
濃ゆい空間を行き来してた人だから触発されたのかもね。

そういやパトレイバーの作中に出てくるロボットことイングラムが
実物大でデッキアップしたんだよなぁ。
2014年の吉祥寺で。
ご近所でそんなすごいことしてたのかーって思うけれど
あの時自分はどこにいたんだっけか。
あ、そんな遠くではなかったな。
人が多いんじゃないかって話で面倒だなーって行くのを断念したんだった。
やっぱ行っとけばよかったかなw(ミーハー)
当時の映像がYoutubeにあったので見てきたけれど
実寸で見覚えのある風景だとグッとくるものがありますね。
それはお台場のガンダムを見た時も似たようなことを思ったけれど
実寸になると現実と虚構がクロスして、かなりテンションが上がります。

虚構が現実にアクセスしちゃダメだろって思うけれど
そうはいえど、現実が虚構に反映するのだから
逆もあっていいよなぁと思うし、
なんならその虚構のテクノロジーがリアルになることもあるから
人が思いつくことはだいたい現実になるってものなのかもね。

今日を一日乗り越えたら明日もお休みですね。
なんとなく力の入りにくい一日かもしれませんが
適当にやっていきましょう!
そんじゃまた。モイモイ。
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喋るのって難しい

2021-11-21 | from:sachiaki
昨日の夜、久しぶりのおしゃべりをTwitter上のスペースにてしてみたんですけれど
あれね、クローズドな空間でないとおしゃべりするのはキツいな
なんてことを思ったsachiakiです。

なんちゅかな、誰が聞いてもOKなおしゃべりに特化させてない時は
本当にキツい。
うっかり調子に乗ってしまったり、
曖昧な話をしていたりするのにツッコミもないままで進行しちゃっていることとか
もう滝汗ものだったりしたんですよね。

リアルタイムやりとりの難しさって頭の回転の速さでもあるし、
どれだけ周りの人に気を使えているかってこともあるし
面白い話ができてるってことはさらに一段上の技術となるので
本当に難しいことだなぁってなってしまうんですよね。
私ももっと喋ることができれば、こんな風に悩まずに済むのでしょうけれど。

というわけで、閉じていないところでおしゃべりするのは
やっぱ向いてないなーって感じたので
スペースはこれからもなるたけ使わない方向でいこうって
心に決めたのでありました。

そういうわけで、これからさらにクローズドで喋るには
どうしたら良いのかなーなんて思ったりしてました。
透明性が大事な時代ではあるけれど、
さすがに自分の思惑と違うところへと波及しやすい場で
あれやこれやを聞きかじって帰られたりすると
それこそTwitterでありがちな文脈無視のセンテンスのみ持ち帰られて
あいつはどうかしている…とかって言われるようになってしまう。
それはマジで困るよねってなるんです。

あと今自分自身に揺らぎがあるので
あんまり人前に出たくないっていうのもある。
文字ベースが苦手だけど喋るのはできるっていう人とはすれ違ってしまうけれど
それはそれでっていうのはあるのかもね。

全てを網羅する余裕はないからさ。
動画で喋った方が良いとかあるんだろうけれど、
自分の言葉が拡散されるほどの強さもないのも知ってるし、
また拡散されて耐えられるほどの正確さもないので
文字ベースでチマチマやってるぐらいでちょうど良いなって思うんです。

私の言葉はせいぜい周辺にいる一人か二人に届けば良いもんだと思うし、
そのぐらいの方がその人が違うことを咀嚼して返してくれたりして
お互いブラッシュアップしていけるものになると思うので密度も上がるしね。

そんな感じ。
ともかく昨日のおしゃべりを大反省しているってことです。
アーカイブなどに残らなくってよかった。ガチで。

これからますますリアルタイム重視となるようなら
引きこもる準備をしないとならないかもですね。
こもらないけれど。

とりあえず撮りためている動画(植物観察)の編集とかやろう。
アウトプットしていかなくっちゃね。

それではまた。モイモイ。
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たられば言ってても仕方ないけれど

2021-11-20 | from:sachiaki
たま〜に「あの時に死んでいたら…」って思う時があるsachiakiです。

そんなに九死に一生を得たっていうようなことはないけれど、
一番最初が生まれる時で、へその緒が首に絡みついていた私は
急遽帝王切開になったから助かったとはいえ
母体を取るか、子どもを取るか?という問いを
若き父が諦めずにいたのか、
ただ単に答えるまでの時間がたまたま長くて
搬送先が見つかって無事に手術へと至れたのか
そんなギリギリラインで生まれたそうなので
あの時に死んでいたのなら……
なんてことは時折思ったりします。
壮大な反抗期に「生かしてくれなんて頼んでいない!」という
例のものを言って両親を泣かせるってこともありました。
が、それでも時々思い返すのは
あの時死んでいたなら……ってことです。

まぁ死んでいたとしても次の生があって
それが今だって置き換えれば、
やっていくしかない。って気持ちになるんですけどね。

で、大人になってから顔面骨折をしたりしつつも
それなりに死とは遠い生き方をしてきて
父の田舎である奄美大島に帰省していた時のこと
自転車で島をプラプラしていた帰り道、
なんだかんだでアップダウンが多い上に
湿度も温度も高い気候に体力のほとんどを持っていかれ
もうろうとした意識で坂道を下っていた時に
ブレーキングを失敗して側道を乗り上げて
木々のぶつかるとなく土の上で倒れるってことをしたのですけれど、
うまくブレーキ制御ができたところで
反対側は側溝が穴になってて大惨事、
側道を乗り上げた側はやや崖になっていたので
スピードが乗り切っていれば、これも大惨事。
というようなものだったので
両輪パンクして走れなくなった自転車を回収してもらって
宿泊先となっていた祖母の家に帰っていった時は
「おじいちゃんの生家に近いところだったから守ってもらったのかもね」
なんて言われたものだけど
そもそも守ってくれるなら事故らせないでほしい
なんて思ったりもしたものです。
それはそれとして、やっぱりこの時になんで死ななかったんやろなぁ
なんてなったりも。

普通、九死に一生を得るような体験をすると
生きていることへの肯定感が半端なくなるので
いい感じに吹っ切れと執着が生まれると思うんですけどね。

めずらしくネガティブ全開じゃない?ってドン引かせたらすみません。
ふとこの先の日本での生活を考えたら
ちょっとやってくのシンドイわーってなってただけです(((( ;゚д゚))))

外貨獲得のためのなにかと仮想通貨の併用かぁ……。
ていうかポイントの還元率とか考えると
もう少しデジタルマネーへの移行を考えないとなのかな。

あー、もうー、年末進行と年末調整のことで
頭がクラクラしてきますよーーーーーー。

ほんと、5000兆欲しいw

それはそれとして。
なんとか年末進行の一番しんどい所は超えられたようなので
のんびりしていたら「のんびりする余裕あるの?」
とばかりに催促のメッセージを頂戴したので
ヒェッてなっていたところです。

働けど働けど、じっと我が手を見る。
って気持ちですが
来年はもう少し成果が出るといいな。

さーて働くぞー。そんじゃまた。モイモイ。
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好きな漫画はなんですか?

2021-11-19 | from:sachiaki
どんだけ落ち込んでても
笑えるものっていうものが必要だと思っているんですけれど
私は伊集院光さんの「深夜の馬鹿力」がそれなんですよね。

なんでそんなに笑ってしまうんだろうってぐらい
うんこネタで笑ってしまうのは
たぶん*肛門期がまだ終わってないからだと思います。(適当)

ここのところアホ忙しいのでお疲れ気味だというのもあるけれど
あの徹夜明けのどうかしてるテンションで
深夜のラジオを聞くと頭がバカになっているので
本能的なところで笑えてしまうのが理性の低下を感じ
いたたまれなくもなるけれど
笑えなくなるともっと悲惨なので
ここが心の水際防衛だぞ!って気持ちで笑っています。

ていうかね。
いい年したおじさんのうんこを漏らしてしまう話って
そこに乗っかっている感情が複雑怪奇で
どこにパワーバランスを持っていくかで
面白強度が変わるってところがすごいなって思うんですよ。

噺家なだけあって、聞く側への配慮もしっかりしていて
現代落語のような軽やかなリズムで聞けるのも良い。








と、いうような話をパンダ氏に熱弁していたら
かわいそうな人を見るような目で「寝ろ」と言われました。
やっぱ疲れてると自分がどういう状態にあるのか
把握しにくくなるのかもしれません。
いや、でも、うんこの話って面白いと思うんだけどなー。



そうそう、ちんこうんこの話で思い出したけれど
今期のアニメで一番面白いのは「王様ランキング」であることは
間違いないとして、「吸血鬼すぐ死ぬ」が超ライトで
アホ丸出しで可愛いのでぜひ見て欲しいですw
私は腐女子が入っているので、ついついアニメや漫画を見ると
カップリングを作って見てしまうクセがあるけれど
18禁未満なイチャイチャが好きなのもあって
吸死が別にカップリングするまでもなく
主人公二人が常にアホなのでニコニコしてしまっています。
(っていうことを書くから気持ち悪いんだぞ。昨晩上げた自分の日記を読み返せ)

最近の…というまでもなく、主人公たちのキャラクターのそばに
小さくて可愛い生き物がいると、それだけで売れる要素の一つになるよな
なんて冷静にアルマジロのジョンを見ながら分析したりもしていますけど。

ちょっと前まで「魔入りました入間くん」にハマっていたのもあり、
最近のチャンピオンは私のツボにグイグイくるなー
なんて思ったりしてました。なんていうかコロコロっぽい。

もともとジャンプをあまり読まず、サンデー派で進んできて
大人になってからはチャンピオン、もしくはヤンマガ、
単行本は講談社ものっていうタイプなので
チャンピオンの漫画と相性が良いってこともあるんだと思いますが。
「おまかせ!ピース電気店」や「ゲッチューまごころ便」を読んでいた時のような
子ども心を満足させてもらえる笑いで安心して見られるところが
とくにありがたいです。
ー最近の漫画は物騒で心がついていけない。無理。

と、漫画の話をしていたら漫画読みたくなってきたけれど
まだまだお仕事イパーイあるので片付けてきます。
それではまた!モイモイ。

*肛門期:フロイトが唱えた排便に伴う肛門刺激に快感を覚える時期。
     排泄に対する「しつけ」を行うのもこの時期。
     適切であれば自分を自分でコントロールできる安定した
     性格が形成される。しつけが早すぎたり、厳しすぎたりすると
     我が強く意地っ張りで拒否的な性格が形成されると考えられている。

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乾燥シーズンに突入だ

2021-11-18 | from:sachiaki
11月に入ってまた乾燥する季節に突入したことを感じるsachiakiです。

冬は乾燥に悩まされるのでシンドイですね。
とくに生活リズムが狂いやすいお仕事をしているせいか
肌へのダメージが強いのだろうなぁと想像しています。
保湿しても保湿しても追いつきゃしねぇ……。
よく言われる対策として、
肌に良いもの食べなさいってやつだけど
ナッツ類なんてそうそう食べないじゃん?
あとは魚介類の中でも光りものである「さば」や「さんま」。
どちらも大好物ですが、
これもそんなしょっちゅう食べるものじゃないしなぁなんて。

とりあえず友人が言っていた
お風呂に上がる前、軽くタオルドライした後で
化粧水をこれでもか!ってつけてから乳液でふたをして
肌をふっくらさせてから浴室を出るっていうのが効果ありそうだなぁ
って思ったので、お風呂場に置いておく化粧水でも買ってこよう
なんてことを思ったりです。

と。
なんか他に考えていたことがあって
それについて書こう!って思っていたのに
忘れてしまいました。
たぶんフェミ関連の話だったと思います。
人権意識から出てくるはずのフェミニズムが
女性上位イズムとして誤認されることが多いことへの不満だとか
そんな話です。
炎上仕掛けている側の気持ちもわからんでもないけどね。
やっぱ気持ちよくはないですもの。
女性ってだけで「性的対象として消費して良い」っていうのは。
誰だってそりゃ脳内で「うぁ、いい乳してんなぁ」とか
「あの男性の腕の中に埋もれたい」とか
そういうのはあるんでしょうけれど、
それを表に出すか出さないかっていうのはTPOってものがあって
それはその人を尊重する上でも大事な要素だったりするわけで
脳内で思っていることをSNSなどで書いてしまって
「気持ち悪い」って言われたりしたあとに
「SNSで言うこともできないのか!」って憤慨する人もいるけれど
いや、言ってもいいと思うけれど、気持ち悪いって思われてるだけだよ
っていうすごく当たり前のことだと思うんですね。
だから人様の前で言うことかどうかってことを考えろってだけなんだけど、
なぜか白黒思考的に「思うことさえも許されないのか!」って
いう人がいるんだけど、いや、それは許されてるぞって思う訳。
だけど言うな、表すなってだけなんだってこと。

で、それはそれとして。
表現というものの自由があるわけです。
それはどんだけ人が気持ち悪く思っても表現して良いってもので
時には公序良俗から離れていることもあると思うんです。
ハリウッドに限らず、様々な映画や娯楽表現の中で
現実だったらアウトだって表現はいくらでもあります。
だけど、それを見るのは見る側の選択肢として提示されていて
「見ない自由」ってのもあるんですよね。
その「見ない自由」ってものさえも奪われてしまう
公共の場に不快なものがあるのが耐えられない
っていうのが「表現の自由」に対してのアンチなのだと思います。
それはそれでしかるべき問題だと思うし、
公序良俗とはなんぞや?というテーマに置き換えることもできると思います。

映画などでは「R18」「PG12」など対象をしぼった対策がされているし
本屋さんなどでは ここから先はアダルトです みたいなゾーニングがされていますよね。
そういったものが街に掲げられる広告類にはないってことが
ちょっとした問題なんじゃないか?ってのはあると思います。
例えば一昔前のビールの広告ポスターなんかは
大人が立ち寄るところにしか貼られていなかっただろうし、
それがより大人になることの淫靡さや憧れに通じるものはあったと思います。
今はインターネットを開けば大人も子供も関係なく
それらが衆目の前にさらされることになり
決して気持ちの良いものではないことも理解できます。
 女性下着の看板広告なんかはデカデカと出すなよ……
 っていう気持ちもあったりします。

でもさー、公共というには違う場で
様々な人々が喜びを重ね合うように築いてきたものを
「これが不快だ!」っていうのは公序良俗っていうのとちょっと違うじゃん。
お気持ち一つってやつじゃん。
とくに世俗的な風習などで淫靡なものが重ね合わさっている
裏面的なものがあるのもなかったことにするように
「性が搾取されている!!」っていうのはおかしいじゃん。
誰が搾取されてるんだよって思うじゃん。

いやさ、わからんでもないよ。
可愛い女の子の絵がエロい目で見られるってことは
引いてみると「女性」という概念がエロいって思われてるってことだから
気持ち悪いってのめっちゃわかるよ。
だからこそ「女性」だと自分を受け入れるのに時間がかかったのが私だし、
性自認として色々と揺らいでいたっていうのもあるけれど
大きな理由として立ちはだかっていたものが
「性的に見られたくない」だからわかるよ。
だけど、「自分がそう見られたくない」っていうのと
他人が同じとは限らないじゃない。
もっと自分と他人との境界をちゃんと持とうよ。
そのぐらいの理解度や人と関わるときの解像度ぐらい持っとこうよ
って思う訳です。

他にも色々と思うところはあったんだけど、
なんだかんだでちょっと長くなったので一旦終わり。

むちゃくちゃ眠たいのでこの辺にて。モイモイ。
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働いたら負けかと思ってる的なアレ

2021-11-17 | from:sachiaki
ここ数年メ◎カリだの、ウー◎ーイーツだので
中間マージンのいびつさというか
けっこう市場倫理としてギリギリアウトなんじゃねーの?
って思うことが増えてきたけれど、
おととい準富裕層になったという三十代半ばの人の
これまでの経緯とこれからについての手記を読んだ時に
あぁ、これはヨーロッパ型の「働いたら負け」がすっかり定着したんだな
ってことを感じてしまったsachiakiです。

「せどり」って言葉が定着した時も
目利きが仲介をして良き仕事へとつなげていくことではなくなり、
ただの利ざやを荒稼ぎするものへとなってしまい
本当に嫌ねって思ったりしてるんです。
そもそも転売を生業にする時って古物商の許可がいるんだけどさ
今は個人の範囲のものについては代理店となる
メ◎カリが請け負っているので、「個人」である限り
法律には抵触しないって感じであるけれど、
あきらかに転売目的な「個人」が増えてきて
そろそろどうにかせんといかんのちゃう?
なんて思ったりもしてるんですよ。

っていうのも、今までは「売れる」「人気」らしいっていう物品が、
一応一般市場という中で成立しているものから選ばれており、
どこのメーカーが作ったかなどが一見してわかるものだったけれど
今はデザフェスやらハンドメイドフェス、アーティズム
またはTwitterやInstgramに至るSNS等で人気の作家さん
もしくはこれから人気になるだろう作家さんのものを
大量買いして転売するという輩が出始めたからです。
まだ「個人」の範囲なら、作り手となるクリエイターも
私の作品が好きだったのじゃなくて、
作品の価値が好きだったのね……って泣くぐらいで済んだものの
これからは度をわきまえない個人が大量に買い込んだものを
「店」として構えられる勢いになりつつあるわけです。
最悪なケースではなりすましになっていることもある。
こうなると、もう詐欺とかそういったものに類するものになりませんか?
決して委託販売や代理店、セレクトショップが悪いとは言いません。
だけど、クリエイターたちから純正の値段で買えるものを
大量買いすることで期待していたファン(顧客)への
手元へ届きにくくするだけでなく
クリエイターが手にする利益を”許可なく”上回る利益になったりするのは
それは倫理的にどうなんだ?って思う訳。

もうこうなってくると、クリエイター側も
販売する際に一人一人とやりとりして
大量買いする、もしくはグループ買いするなどの人物が現れた時は
身分証を提示してもらったりするとか
シリアルナンバーを入れるなどのことをして
対策を取るしかなくなるかもしれません。
ていうか、取引をするんだったら、
ちゃんとクリエイターと書類で契約を交わせ。マジで。
利益を得るってそういうことでしょ。

正式な手順を踏めよ。って思う。

さらにいえば、冒頭で書いた淳一富裕層の人の話を読んで思ったのは
お金持ちはお金を使わない。
だからこそその人たちが肥えることがあっても
彼らは社会のことなんてビタ一文も考えていない。
なぜならそれが「賢い」って思っているから。
堅実で必要な分を自分たちのみで賄えること、
お金を出せばお金で動く人がどうにかするから
自分たちで何かをする必要がないことを知ってる。
そのうえ、自分たちがマネーゲームをしているから
株式市場が安定しているって思っていたりするんじゃないかな。
まぁ間違ってはないけど。

そんな中、面白記事として格差社会に警鐘を鳴らす映像作品が
中国から出てきたことは、それなりに思う人が
ワールドワイドで増えてきているってことなのかな?
なんて思ったりしてました。
→東京新聞より
格差の現実か、悪ふざけか…無料サービスに頼り21日間生活 中国で芸術家の映像作品が議論呼ぶ

北京の芸術家、鄒雅琦すうがきさん(23)が、芸術系の名門大学「中央美術学院」の卒業制作として、一銭も使わずに21日間生活する様子を映像にまとめた。頼ったのは、鄒さんが社会の「余剰物質」と呼ぶ無料サービス。北京では富裕層を対象にしたこの種のサービスがあふれる一方、貧困層は日々の暮らしにあえぐ。そんな「貧富の格差」がテーマの作品はネット上で話題となったが、「無銭飲食の悪ふざけだ」と非難も浴びた。(北京・中沢穣)


色々と考えちゃうよね。
実際はお金持ちはお金儲けしてもらって良いと思うんですよ。
笑いが止まらんわーってなってくれても構わない。
欲望むき出しにしてもらってもある程度構わないとも思う。
だから お金を使ってくれ って感じです。
トリクルダウンなんてのは幻想だったんや。。。

お金は貯蓄するだけでは意味がないんじゃ。
貯蓄をするためにも使ってちょうだい。
そんな感じです。

あ、私はいつでもパトロンという名の5000兆円くれる人を募集してます。
リターンなんてないよ?
パトロンってそういうもんじゃないですか?(ゲスい顔)

とりあえず鬼のような進行だったお仕事の山は越えたので
あとは通常進行に切り替えて頑張ります。
なんとか今週を乗り切れればOKだ。

そんなこんなでクタクタなので今夜はそろそろおやすみます。
そんじゃまた。モイモイ。
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日記を書く暇もなかった

2021-11-17 | from:sachiaki
驚きの忙しさでした。やれやれ。
というわけで?めちゃんこ疲れているので
そろそろ寝るます。

あ、明日の夜に依頼されていたイラストが使われる予定の
【ボスから始まる演奏会】も
Youtubeライブで配信される予定だそうなので
ぜひチェックしてみてくださいね♪

【ボスから始まる演奏会】Game Music Live vol.5


こちらのYoutubeチャンネル
「仁詩 Hitoshi Bandoneon Player」さんこと
仁詩さんのアイコンやらヘッダーやらを作らせてもらったりと
ここのところお世話になりまくってます。

バンドネオンの音も素敵なので今年6月に発売されたCDも
聞いてもらいたいのだけど、そのCDのジャケットも担当させてもらいました。
アートディレクションから関われたので
かなり思い入れのある音楽CDとなりましたよ。てひひ。

でもって、上記の演奏会に関しては
ニコニコ動画ではゲーム実況者としても活躍されている
尺八奏者の石垣さんも出演されているし、
パーカッションにはジャズピアニストさんたちから
熱い眼差しを受けまくっている熊本比呂志さんもお出になるので
ゴージャスなゲーム音楽が聴けますよ✨

ってなこったでイラストを仕上げなくちゃなんだけど、
もう眠気であかん感じなのでいったん寝てきます。

それではまた。sachiakiでした。
モイモイ。
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写実と写真

2021-11-15 | from:sachiaki
さっさと寝たいって思っているけれど
まさかの素材データが足りなくって
素材待ちとなって眠れないsachiakiです。

素材待ちしている間も別の作業が詰まっているので
それをやれよって思っているんだけど
ふと思い出したことがあるので
それだけ書きなぐってから作業に戻ります。

先日写真を趣味としている……というか
アマチュアに甘んじつつお仕事も時折しているらしい友人が
「なぜ、写真で撮れるものをスーパーリアルで描こうとするのかしら」
「写真でいいじゃない。絵が描けるなら写真で撮れるもの以外を描けばいいのに」
って書いていたのを見てたまげてしまったんですよね。
そこに直接コメントを残しても良いけれど、
アホほど長くなってしまいそうなのと
思い込み同士の投稿とコメントでは悲しみしか生まないこともあるので
いいやって思って何も残さなかったんですよね。

で、そのことをずっと忘れていたんですけれど
今日「視覚」についての授業ビデオを見ていたので
また「視る」ということに注目したので
先日の「写真と写実」についてのことを思い出したってわけです。

結論を先に言ってしまうと
「写真で表現できるものは絵で表現しなくていい」
っていうのはさすがに傲慢不遜な考え方ではないでしょうかね。
私たちがなにかを表現するのに絵で表現するものは
現実にないものでないといけないのでしょうか?
そんなことはないでしょう。
ポートレートの絵だってたくさんあります。
それらはただ写真のようにリアルに描くことを目的にしているのではなく
「自分の見た」ものを再現するために描かれているんです。
今でこそ写真の解像度もグンと上がり、さらに機材側で
人間が「見ている」ものに近付けるような補正もかけてくれるので
写真家たちは自分の見た素晴らしいものを切り取ったように
表現することに血眼になっているのだと思います。
まぁそういった人はフィルムの時代から、
「見たものをそのまま保存」ってことに躍起になっていたと思いますけれど。
でもだからといって、絵の役割がなくなったことにはならないんです。
もともと写真では表現しきれない「見た」ものの細部
受け取った別のものなどをそこに描きこむことにより
「写真よりもリアル」といったものを追求されてきたわけです。
今だって医療系の本などを開ければキリがないほど
スーパーリアルのイラストに溢れているでしょう?

仕事になるものは表現してヨシで、それ以外は必要ないって?
そんなバカなことがありますかっての。
写真家たちが自分の見た色や空気を再現するのに
カメラというツールを使っただけに過ぎないのであって
絵を描く人は筆と絵の具を選んでいるだけに過ぎないんですよ。

自分が「見た」「感じた」それらをアウトプットしたい。
そういった思いに対してツールを選んだというのに
現実を切り取れる道具が発達したなら
それ以外は認めないっていうのは
さすがに信じられない暴言だと思ってしまいました。
ビデオや仮想現実を実現できる人たちに
カメラで撮る必要ってあるんですか?
って言われることを想定していないのかしら……。

「写実の良さも分からない」で批判したのならまだ仕方ないなぁだけど、
「写実は写真を超えられない」という傲慢さで発言したのなら
さすがにお怒りになる方も枚挙にいとまがないと思います。

いや、超えられなくても良い。
誰かが選んだ表現ツールに対してとやかく言うのは
表現を選んでいる人間がするべきではないとすら思います。

自分の描ける限界が知りたいっていう動機でも、
内在する絵がないから近所を描くって動機でも、
どんなものでも描こうとした人のアウトプットしたものは偉大でしょう。
その人はカメラを扱えば別の表現をするかもしれないし、
カメラで表現できないから筆をとっているのかもしれないし
様々な理由があると思うんです。
それらに思い至るわけでもなく、
ただ「カメラの方が空気を切り取れるから偉い」という理由で
写実の絵画を貶めているのなら、それは絶対に許されるものじゃないと思います。

私たちの中にある「表現したい」「外に出したい」という欲望に
そこにどんな差異があるというのでしょうか。

そんなことを思いました。

と、書いていたら素材メールが届いたのでこの辺にて。
とりあえず私はどんなものであっても
描こうとしたこと、撮影しようとしたこと
感じたことを誰かに伝えようとしたこと
それはどれもこれもかけがえのない美しいものだと思います。

そんじゃまた。モイモイ。
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居場所について考える

2021-11-14 | from:sachiaki
最近よく耳にする「居場所」。
考えることなく「居場所」を持っている人は
なんでそんなことを声高に要求されるのか分からないけれど
ない(と思っている)人には排除されている(と思い込んでいる)恐怖で
どこにも「居場所がない」と思ってるっぽいことに
ふむんとなってしまうsachiakiです。

「居場所」ってそんなに大切ですかね?

って書くと暴力的な感じがする…(;´ω`)

私の思い込みで話を書くと
自分が求めている時っていうのは周りが見えていない時で
持っていたりするのに気づけてない時だと思うんですよね。

お金とか活力とか人脈とか権力とか、
なんかこー、欲しいなって思っても手に入れるのが難しそうな
これらでさえ、手にすることができるもののひとつだと思うんです。
私は常にジリ貧なので「5000兆、誰かくれないかな〜」なんて
アホなことを言ってたりしますけれど
本当に欲しいと思っているわけではないってことが
自分の行動のログを観察すると見えてくるんですよね。
(とはいえ、最近はもうちょっと関心を持っていないと
 ますます負のスパイラルに入ってしまうから
 補償金などの話が大好きな友達に会いに行こうかな〜
 なんてことをかんがえていたりします)

ちょっと話が逸れた。戻します。
「居場所」って作るのはそんなに難しいものでないっていうのは
「欲しい」と言うだけで待つばかりにせず
誰かのためになることを積極的に行った時に
おのずと開かれてくるものだと思うんです。
「欲しい」と思う時にこそ施しなさいっていうのに似てるのかな。
それはよくわかんない。
だけど人に関することに対しては
友達が欲しい、恋人が欲しいという類題も
同じ返しができると思っています。
誰かのために自分の持てるものを差し出す人間力が
魅力となって人を惹きつけるし、
自分が欲しがるまでもなく、
向こうから欲しがられるようになるんだと思います。

というわけで、「居場所」というものにこだわる必要はあまりなくって
自分が社会や人々のために何ができるんだろう
って考える方がはるかに健康的なんじゃないかなーと。

で、「居場所」を溜まり場的なものとして捉えると
とたんに質の悪いものになるんじゃないかな〜って思ったりもするんです。
私が考える「居場所」っていうのは

1、人と人が繋がり合うところ
2、情報を交換できるところ
3、次の誰かのために出かける前の
  ホッとできる母艦のようなところ

っていうものなんじゃないかな。
で、大方の人が求めている「居場所」っていうのは
1と2ばかり注目されてしまっているけれど
本来は3の要素の方が大切なんじゃないかなって思うんです。

ホッとできること。
これがとても大切。

発達の段階で幼児期に獲得しているはずの
「愛着」がうまく形成されていないと
人をうまく信じることができない、
世界を信じることができない、
ゆえに不安である。

だからこそ安心を求めて様々なものに求めるけれど
欲しがるだけではなかなか手に入らないんじゃないかな……。

安心というものは手に入らない。
なぜなら安心なんてものは錯覚に過ぎないというか
思い込みでしかないから、だと思うんです。
だから「信じる」ってことを駆使して
自分を騙しながら動くんじゃないかしらん。
「愛着行動」で社会を信頼する術を覚えることができなかったからといって
ずっと信頼できないわけじゃないでしょう。
漫然と明日があると信じ、
交通事故や強盗に遭遇するとは思っていないわけだから
自分の持っている不安っていうものも
そんな自分への騙しに対して疑っている態度でしかないわけで
いったん「信じる」って方に歩んでも良いんじゃないかな
って思ったりします。
頭良かったりすると、「騙される」ってことに
やたらと批判的になってしまうけれど、
生きるっておおむね「騙し騙し」みたいなところが多いんじゃないですかね。
だからといって生きやすさを優先するあまりに
人を騙したり、解決した方が楽になるはずのことを
ないことにしたりするような騙しでは
いつか詰んじゃうんだろうけれど。

ポジティブ・イリュージョンはやっぱり必要だし、
ポジティブな人であれば
「居場所」を躍起になって探したり
執着する必要はないんじゃないかな。

気付いたらいくつもの「居場所」があって
その「居場所」を繋いで行って
またさらに新しい「居場所」を作っていく。
そういうものの繰り返しなんだと思います。

と、日記書いてる場合じゃないっての。
お仕事に戻ルンバ。
そんじゃまたね。モイモイ。
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理由なんて後からついてくる

2021-11-13 | from:sachiaki
Twitterで見かけた話かラジオで聞いた話だったかは
忘れてしまっているんですけれど、
旅行やライブによく行く人に
「どうしてそんなに旅行(ライブ)に行けるんですか?」
と質問者が聞いたところ
「行きたい!って思った飛行機(ライブ)の
 チケットをポチってから後のことを考える」
っていうのがあって、
後先を考えずにまず結果部分を決めちゃうのか!
って衝撃を受けたことがあるんだけれど、
そういやビジネス系の啓発とかで
「できません」を封じてみるって話があることを思い出し
自分の経験から言っても「無理」って断ったり諦めない限りは
割とどうとでもなるんだよなぁ……って
そんなことをボンヤリと考えていたsachiakiです。

色々と無理なことってたくさんあるんだけど、
「◯◯しないと出られない部屋」みたいなことってけっこうあって、
できるとかできないとかじゃなくって、「やる」って決める。
そしたら叶うっていう方法を自ら探し始めるんですよね。

それと似たような話で、伊集院光さんが落語をやめるきっかけについて
立川談志師匠に報告に行った時に
「師匠が今の自分と同じく若いころの落語を聞いて
 ここに追いつける気がしないから落語を諦めました(意訳)」
と報告してみたら、談志師匠に
「うまい言い訳が出来たじゃないか。お前は落語をやめたかったんだ。
 だけど理由がないとカッコつかなかったからやめられなかった。
 今良い言い訳ができたら止められるってわけだ(意訳)」
と伊集院さんでさえ気づかなかった本音を引き出されたって話があったけれど
なにかを「実行する」と決めたら、
それに対して「理由」があとからついてくるんですよね。

真面目な人ほど理性が働いて後先を考えるから
「理由」や「方法」なんかを先にシミュレートしちゃって
結果を予想して「無理」って諦めていることって多いんじゃないかしらん。
ぶっちゃけ迷惑をかけることもあるけれど
なんか意外とどうにかなることって多いので
無茶設定を作ってみて実行してみると
それが血肉となる経験値となって一皮も二皮も剥けたりするよね
なんて思ったりしてました。
あんまり好きな言葉じゃないけれど
”死ぬこと以外はかすり傷”的なことって多いんだろうね。
これを自分に対して使う分には良いと思うし、
興奮することばかりに自分のポジションを置きすぎて
ブレーキがバカになって人に優しくできなくなるのは論外だけど
なにか叶えたいことがある時は
”死ぬこと以外はかすり傷”っていうのは
すごく勇気をくれる言葉だと思います。
使わないけど。
うっかりすれば死ぬし。

というわけで、うっかりになりかねない仕事量と
予定を入れてしまって絶賛ヒィヒィ言っているところなのですが
なんとかなるって信じて頑張ってきます。

そんじゃまた!モイモイ。
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