ここ数日、新入社員に対してホラーな忠告を
報告しあうものに混じって
実はその忠告にはこういう裏があるよっていう
怪異を科学的に紐解くみたいなのが入ってきて
それはそれでニコニコして読んでいるものの
それとは別で紐解けない部分もあるのが
やはり怪異の怪異たるところなので
あまり幽霊は柳がそう見えるだけなのだ
っていうような言葉に肯定しすぎない方が
きっと良いんだろうと思っているsachiakiです。
例として、森の中で「おーい」っておじさんの声が聞こえたら
そっちに行ってはいけない、それは子熊の鳴き声で
母熊が近くにいるから死に近づくことだ、みたいなの。
また、滝や水辺の音が重なるところは
女性の声にも聞こえるので、これも近づき過ぎると
足を踏み外して溺れたりするので
水辺で女性の声がしたら気をつけろ
みたいなことがあったり、
それがもののけの類に物語化したりしているし、
今まで伝え聞いているもののけの類は
そういった自然現象を由来とするもので
警告を促した方が良いものを
物語として怪異にしているんだとも思います。
まぁ古い時代はそれが自然現象というようなものでなく
自然=神みたいな捉え方だったと思うので
物語になっているのは当然とも言えるんだけど……。
で、そういった敬う気持ち、
または畏れる気持ちで伝えてきたものを
科学的に分解できたからといって
恐るるに足りないと過信するのは
なんか違うと思うんですよね。
注意喚起として科学的に紐解かれている方が
現代的にわかりやすいってことはあるだろうけれど、
わかりやすいことと、理解することは違うし、
そもそも舐めてかかるってのは
色々な物事に対して良くないって思ってる訳です。
私はね。
神事とかって、人間の存在を小さく捉え直し
大いなるものを畏れ敬う儀式だと思ってるし、
自然現象の起こす巨大な力っていうのは
それこそ地震や津波、火事、などで十分に感じているけれど、
それだけじゃなく身近なところにも
至る所にあるんだと思うんです。
私の祖母が神事を取り扱う人だったから
そういう気持ちを持ちやすいとか
そういうのもあるのかもしれないけれど、
「この時期のこの時間は山に入ってはいけない」とか
そういうのってウッカリ入ってしまいかけた時に
なんとも言えないゾクッとしたものを感じたりしないと
わからないものなんだろうし。
(私は怖い思いをしたので反省している)
もっともっっと科学が進んでいった時に
ゾクッとした理由なども説明できるようになるのかもだけど、
そういった感覚センサー的なものが
逆に不思議道具のようなものになっているかもしれません。
そんな感じ。
書いてる途中で別の作業に追われてしまって
書きたかったことを忘れてしまったのでこの辺にて。モイモイ。