あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

危機に対しての恐怖の尺度が違うと対人関係は難しい

2022-01-22 | from:sachiaki
この新型コロナの危機に全世界が陥って
そろそろ2年が過ぎようとしているのですが
このウィルスの真の厄介さは情報更新速度が速く
しかもヒットする層とヒットしない層がてんでバラバラなことで
一つの対応では攻略不可だってことなのだろうな
なんてことを考えているsachiakiです。

たぶんかかりにくい、重症化しない人にとって
これほど厄介なものはないでしょう。
とくに「人権」が高々と掲げられる現代において
どこの層を犠牲にするかって話は
もはやタブーに近いことになっていると思うので。

とはいえ、じゃぁ現在どこの層も犠牲になっていないのか?
といえばまったくそうではなく、
「犠牲」には見えない形で犠牲になっているのが
若年層ってことなのだと思います。
まぁこの辺のことを書き出すとおっかない人たちが出てきそうなので
ここで新型コロナについての話は置いておきます。





いやいやいや、タイトルと話がちゃうやんけ。
ってことになってしまうので、もう少しだけ関連付けた話を書くと
この新型ウィルス感染症が流行だした頃
この対応についての危機感の尺度の違いで
数多の家族、仕事仲間、交際中のカップルなどに
亀裂が入ったと聞きます。
私は当初からマスクをすること、手はなるべく洗うこと、
お外に出る時は人が少なめの時間、
ものに触る前はアルコール消毒ってぐらいで
家の中に引きこもってろっていう立場じゃなくて
できる限りの対応をして、それなりの生活をしていきましょう
という緩い立場だったのですが、
もうね、「外出るやつ頭おかしいんじゃないの?」って人もいれば
「こんな風邪と変わらないものをなにを怖がっているんだ?」って人もいて
そしてどちらも(おそらく)正解という難しさに
話を合わせるのが難しかったなぁと振り返ってしまうのです。
話を合わせるのが難しいって意味では今も……か。

どれだけの恐怖を持っているかっていうのは
その個体の体力や免疫力や生活によって尺度が違うと思うんです。
スペランカーや、吸血鬼すぐ死ぬのドラルクばりに
転んだだけで死ぬような個体だったら
外に出るだけでも危険がいっぱいなので
警戒度はマックスで生活をしないとならないのでしょうけれど、
クマムシや超人ハルクのような死ぬってなんぞ?
ってぐらいの強強ボディなら警戒度はほぼほぼ0になりますわな。

こういう時に危険度の高い人に合わせていたら
生産性が落ちる時ってのがあって、
まさに今そういう感じなんだと思うのだけど
危険度が高い人だけが生産/消費という社会から外されるなんて
絶対に許せない!というような恨みエネルギーで
危険度の低い人たちの生産/消費をする社会から締め出しているわけで
そう遠くない時期に激落ちした社会のエネルギーを取り戻すには
どんだけの時間が必要なんだろうなぁ
なんてことを思ったりもするし、
きっとトカゲの尻尾切りのように恨みに付き合わされて
社会と繋がる力を激落とされた層がたくさん危機に陥るし
それを救うこともないんだろうなぁ
なんてことも思ったりしています。
なんせ、失われた30年(そもそも失われた10年ってぐらいだったのに対応が後手に回され、
気付いたら30年。これはもう切り捨てているんでしょうね)

重症化はしないけれど、後遺症がヤバイから〜
高齢者のいる家族に伝染させないため〜
云々カンヌン。
そうやって体験が必要な時代の子供たちから
体験を2年も奪ったツケは私たちが高齢になった時に払わされるのでしょう。
情を育む時代に人と人のつながりを奪われた若年層が
どれだけドライに高齢層をジャッジするかは目に見えるかのようですね。

と。
つい暗くなってしまった。
実際はどうかわかりません。
戦後は若い人も少なかったろうし、色々とものも少なく
相当な危機に瀕していたことには違い無いのに
瞬く間に右肩上りで回復していって戦後バブルを作り上げていったわけですからね。
あの頃は「24時間戦えますか」がまかり通っていた時代で
その生産力と消費力たるや……だったけれど、
これからの時代にそんなドロ臭いことが再燃するとも思えないけれど
なにかしら別の手段もあるのかもしれない。

なんにしても、人の恐怖の度合いは個人差に幅があり、
同じ話をしているのに話が通じないというのは
バベルの塔を作ったのちの神様の意地悪でされた
言葉の乱れのようなものですね。
人間というものが言葉の世界で生きていることを改めて実感いたします。

そんなわけなので最近はすっかりTwitterを見る頻度も減り
話が通じない人というのもいるし、
自分と同じ尺度の危機感でない人とは
どうしたって話を合わせるのは難しいのだ、ってことで
静観している次第です。

最近は私たちがVIPやら祭りで楽しんでいた壺の創造神たる
たらこ唇のあの人が手のひら返ししたことで
多少動きが出てくるのかもしれませんが
そのせいで分断はますます深くなるのかもしれないですね。
こわやこわや。

とりあえず私はいつもどおりの生活を粛々と。
支給されたiPadさんで絵を描くのが楽しい今日この頃です。

それではまた明日。モイモイ。
コメント
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