あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

聞きたくなる音楽って時によって違うもんだけど

2020-08-04 | from:sachiaki
この曲を聞きたくなる時の精神状態ってこういう時、
みたいなのってありますよね。
私だけかな?
むちゃくちゃ元気な時は新しい音楽を色々と聞けたりして、
それも流行の曲とか、そういう自分の心情とはかけ離れたものでも
全然問題なかったりするんだけど
その中でも特別引っかかる曲があったら
実は今の気分とぴったりだった。
みたいなこともあったりしますよね。

で、私はちょっと前まではずっと80'sシティポップばかり聞いていたんですけれど、
昨日spotifyから「*あなたむけ」というmixiを聞いていた時に
ミドリカワ書房さんの「誰か」が入ってきて
うっわ、相変わらず心を抉ってくる歌を作ってるなぁ
って思ったら気になってしまって、思わず調べてみたところ
2019年のアルバムで、あら!新しい盤が出てたんだ。って思ったので
アルバムも聞いてみたわけですよ。
2004年に出た整形をしたい女の子の気持ちを歌った「顔」でも衝撃を受けたけれど
2005年に出た隣の部屋に住んでいた女の子がかわいいという「顔2005」もヒドイってなったし
いつもいつもよくもここまで人の皮膚の下にあるドロッとしたものを
飾るわけでもなくそのまま出せることができるもんだなぁって
感心しつつ、やっぱ好きってなっていたところ。

ちなみに先述した「誰か」はいっけん幸せな不自由のない家庭を作っている”母・妻”が
退屈な日常から抜け出すための”誰か”を求めながら
夫に内緒で貯金をしている歌で、ヒュッて息を飲んでしまいました。
そしてアルバム名が「屁のような」としているところにニンマリするところ。

いつでも心の中に「ここではないどこかへ」という
幸せの青い鳥現象を引きずりながら生きているものですけれど
「やっぱり家が一番」ってホッとするところまでがワンセットなので
どんなものも結局「屁のようなもの」なのだよな。
なんてことを思ったりしていたのでした。

それにしてもフォークがこんなにハマるのは日本人だからなんですかね。
EDMが好きな私でも時折こういったものにハマってしまうます。
古くは吉田拓郎さんや井上陽水さんたちが歌っていた
やりきれないどうしようもない日常を歌たち。
アフリカアメリカンミュージック(ブラックミュージックと言われてた)をルーツとする
ブルースとも違う、地続きの日常にある窮屈さなどを歌っているという意味では
現代はあいみょんさんもフォークの側にいる人なのだろうなぁ
なんてことを思ってみたり。

フォークは古いって思われがちだけど、
紅白にも出演された「ゆず」はフォークだからな。
演歌じゃない人はきっと日本的な心、ポピュラーさを感じたいってなると
フォークに帰ってくるんじゃないかしら?とか思ってみたりするけれど
どうなんでしょうね。(適当

底辺からの日常。
こういうのがグッとくるそんな年齢です。

書くこと見つからなかったから
なんとなくで文字を埋めてみるテスト終了。
先月がエグいお盆進行だったので今月はゆったりめ。
と、言いたいとこだけど、なんとなくやることは溜まっているのでこの辺にて!
そんじゃまた。sachiakiでした。モイモイ
コメント
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