あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

自分の問題は棚に上げがち

2020-08-03 | from:sachiaki
自分の問題を棚に上げててでも言わなくてはならない時というのもあるけれど、
往々にして自分の問題から目を逸らしたいがために
人の問題をあげ連ねてみたり、大仰に心配したりしてしまう、
人間ってそういうものよね。
今日も主語がでかいsachiakiです。

人間だもの。

と、往年のテンプレートで言い訳をしてみたところで
ちょっと話を戻しますと、
自分がやらなくてはならない物事を前にして
それが一向に進む気配を見せないとき、
もしくはそれに手をつけるのは面倒臭いとき、
その問題から逃げるために別のことへ目を向けて
自分がその問題に取り組むのはできないのは
別の問題があるからだ、という言い訳をしてしまったりします。

嫌な勉強を始めると部屋の掃除をしたくなる、
そう、この状態です。
勉強という問題に取り組みたくないので
勉強すrための環境が整っていないと言い訳をして
別のことを始めてしまうわけです。

別にそれ自体は悪いことじゃないですし、
それはそれ。
一つは解決したねって感じで「いいことした!」という
自分へのご褒美を与えてもいいと思います。

けれど、自分の問題を他人がしてくれない、
他人の問題の方が優先されるべきだとすり替えてしまうのは
目くらましとしてはいいと思うのですけれど、
依然としてその問題は自分の中にあり続けるので
目を逸らさないで頑張って解決の道へと踏み出してみるのが
良いんじゃないかな〜と個人的には思います。

なんの話や。

なんていうか、相談を受けることがあるけれど、
相談めっちゃ大事なんだけれど
他人のことばかり気にしてるの
時間がもったいないなーって思っただけなのです。
私もついつい人のことを考えていて時間が通り過ぎてしまったりするので
人のことなんかにかまっている場合かと、
自分に残されている活動時間はそろそろ限られてきてるんだぞと、
自分に言い聞かせて解決できそうにない
ていうか、そもそもそれは私の問題ではないと
境界線を引いてドライに対応していく方針に切り替えたのです。
私のできることにも限界がありますからなー。

あと、自分の人生のゴールはどこや。
なんてことをふと考えたりしていました。
ずいぶん前に「死の体験」というお寺さんのイベントに行ってきて
自分が死ぬ時まで手放せない信念はなにかとか
そういったことを考えてきたのに
もうその時の気持ちが薄れてしまって
自分がどこを目指し、どう進めばいいのか雲散霧消してしまったようで
イカンイカンってなっていました。

人生五十年〜と詠われた時代からは考えられないほど
活動年齢も引き伸ばされてきたし、
これからさらに健康寿命も伸びるのでしょうけれど、
やり遂げたいことの時間はそんなに待ってくれないんじゃないの?
ってことを考えると
人のことで思い煩っている場合じゃなくなっていくのですよね。

とはいえ、日曜日に聞いていた公開講義の内容を振り返ると
はたして個人の欲求をどこまで社会に求めていいものなのか?
などと考えてしまったりもします。

とにもかくにも一歩ずつ。
頼まれていること、やらなくてはならないこと
それらをこなしていこうと思います。

そんじゃ今週も生き延びましょうね!モイモイ

*日曜日に聞いていた公開講座*
【第4回】出口康夫教授「⾃⼰とは何か:「われわれとしての⾃⼰」とアフターコロナ」#哲学
コメント
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