あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

自分のコミュニケーションスタイルについて考える

2020-08-14 | from:sachiaki
あまりコミュニケーションで困ったことはないんだけど、
困らなかった理由の一つに
”深入りをしない”
という浅い表層に止めておく癖があるからなんだろうな
なんてことを思ったりしていたsachiakiです。

よくよく表現をするものに関しても
別の他の人が出しているなら自分じゃなくても良い、とか
人を押しのけてまで出したいものじゃないとか、
そういうのって、たんなる人間不信なのではないか?
なんてことを思ったりしてました。

毎週やっているおしゃべり企画も
私がしゃべるまでもないなーってなると
ずっとダンマリになって喋らせ続けていたり、
こういうのがやりたい!っていう人のものを
サポートする側では考えるけれど
主体的には考えずに「この画像を使いたい!」とか言われれば
いいね!それでいきましょう!と自分の提案はしないとか、
そういう姿勢というのは、もしかしたら
ガプリ四つで一緒にやりたい!っていう人にとって

「いつも言うことを聞いてくれるし、なんでもしてくれるけれど
 もしかしたら嫌だったりしないだろうか?
 なぜ私に提案をしないのだろうか。
 もしかしたら私の押しが強すぎるのではないだろうか?」

とか、そういったことを考えさせてしまって負担にさせていたりするのかしら。
なんてね。
そんなことを考えていました。
なんていうか、暖簾に腕押し感のある手応えのないコミュニケーション、
まさに吹き抜ける風的なコミュニケーション。
その場を軽やかに抜けていくし、嫌な気持ちにはならないけれど何も残らない。
そういうやつ。

うーん、まさに西洋占星術でいうところのふたご座っぽいね!

今一緒にやってくれている人が揃いも揃ってなぜか蠍座という、
私とは接点がない深く重たいものを好む人たちなので
彼や彼女たちに「あの人は本当はどう思っているんだろう」
とか思われていたり、手応えがないからいいやって思われたり、
そういうところがあるんだろうな〜とか
ボンヤリと考えたりしてました。

まぁ、たんに「お姉ちゃんだから我慢しなさい。ゆずってあげなさい」で
育ってきたので、主張する人には譲るものという性質が塗り込められていたり、
誰かにフックするようなものを言ったりしたりするっていうのは
別の誰かを傷つけたり嫌な気落ちにさせたりするから
それなら黙っていよう、という逃避なんだろうなし、
受け入れてくれる人などいない、という不信でしかないわけで
そんな人がなにを言ってもやっても無駄なのでは?
とかそんなことまで考えてしまったり。

あれあれ、よくないですね。

実際はそんなことを考えつつも
人は人だし、重いコミュニケーションを好む人もいれば
軽いコミュニケーションを好む人もいる、
それだけのことなのよねぇ。

Twitterで作品を発表したりしないのは
ガチの人間不信だと思うけどw

いやいやそんなことを言ってる場合か。
ていうか、仕事終わらせないとw

頑張ってきますわー。
そんじゃまた!モイモイ
コメント
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