Boise on my mind

ウェブサイト「Boise on the Web アイダホ州ボイジー地域情報」の作者短信、運営裏話など

個人ウェブサイト運営と「文楽の人形遣い」

2005-06-23 | ウェブサイト運営論
情報提供を目的とする個人ウェブサイトの運営論について、「キマグレ ヒトリゴト」のchaiさんの記事「Web更新作業」の内容に触発されて、コメント欄で議論を試みたのですが、どうも、chaiさんと私の問題意識にズレがあるようで、議論がかみ合わないまま立ち消えになってしまいました。
ここでは、chaiさんの真意からはさらに離れていくかもしれませんが、私自身の意見として書いていきます。

発端は、chaiさんご自身が運営するウェブサイト「シンシナティの風」について記した次の記述です。

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その反面、サイトも私も「有名人化」しすぎて、私が一個人でないと思っている人も割と多いらしい。もはや本人を知る人がほとんどいないため、偶像化してしまったんだろうと思う。
サイト作成も掲示板の運営も、どこかの会社や雑誌社などの担当者がメルマガを書いたり雑誌の投稿欄で返事をしたり…みたいな感じに捉えている人が結構いると聞いた。
個人がやっているとは理解していても、どこかから何がしかの収入やアドバンテージがあるはずだと固く信じている人もいるという。
これらを耳にして、正直私はかなりガクッと来た。
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これを読んだ当初、私はchaiさんがなぜ「ガクッと来た」のか、わかりませんでした。
いや、心情的にはわかるんです。個人が限られた時間と労力の範囲でウェブサイトを維持することの苦労を知ってほしい、それを知ったうえでウェブサイトの情報に接してほしい、という気持ちは、運営者の本音として、理解できます。
でも、それを読者に期待するのは、「間違っている」とまでは言わないものの、「無理」というか「無意味」ではないかな、という気がするのです。

アメリカ在住日本人のウェブサイトに思う」で、私は「ウェブサイト作者は『文楽の人形遣い』を目指すべし」という持論を述べました。「シンシナティの風」に対する読者の評価というのは、まさに、その目標を達成したことを意味する、名誉なことだと思うのです。
「名誉」という見方については、chaiさん自身も
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これについてのウチの夫のコメントがいい。
「個人レベルじゃないと思わせるほど出来がいいって思えば良いじゃん。」
これで全てがすっきりしてしまった。
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と記して、肯定しています。でも、私の意見はこれとも微妙に違います。私は、情報提供を目的とするウェブサイトは、そもそも作者が個人とか団体とか、利益があるとかないとか、そういうことを読者が意識(詮索?)すること自体が「無意味」になるような状態を目指すべきであって、「シンシナティの風」はそれをも達成している、と思うのです。

念のため繰り返しますが、心情的にはわかるんです。たいていの人は、そう簡単に「人形遣い」になりきれるものではありません。自分自身が観客の意識から消えてしまうことに「むなしさ」「孤独感」を感じるのが普通だと思います。
でも、あえてそれを目指すのが、情報提供ウェブサイト運営者の宿命ではないかと感じています。

私はずっと、「Boise on the Webを『嘉田さんのホームページ』とは呼んでほしくない」と思ってきました(私の本業を詮索されて「嘉田先生の…」なんて呼ばれるのは、なおさら忌避したいです)。それじゃ、何と呼ばれたいか? そりゃ、当然「ボイジーのウェブサイト」です!

このテーマについては、まだまだ書き足りませんし、私の考えも十分に煮詰まってはいません。そのうちに、さらに考えをまとめて、続きを記します。

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4 コメント

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個人生活体験記サイトと、生活情報サイト (よしみ)
2005-06-28 12:04:22
嘉田さんこんにちは~

コメントさせていただくのは初めてですね。私も、子ども達がサマーキャンプに行くようになったのと、幼稚園の仕事がしばらく夏休みに入るので、だいぶやる気になってきて、嘉田さんのご意見にコメントしたい余裕も出てきました(^^)



シンシナティの風のwebサイトは、嘉田さんがリンク集で推薦されていたのを記憶はしていたのですが、ちゃんと見ていませんでした。それで、今回初めてじっくり拝見しました。たった1年間の滞在で、しかも今から4年以上も昔の滞在で、ここまでの仕上がりは、確かに素晴らしいと思いますね。でも、この方は、タイトルにも書かれているように、あくまでも「初めてのシンシナティ生活体験記」のスタンスなんですよね。the Plivate Cincinnati Guideとも書かれています。私は、この時点で、嘉田さんとのスタンスと微妙にずれているんじゃないかと思います。



タイトルにプライベートと書かれている以上、あるいは自らの生活の「体験」を主体に構成されているからこそ、そのwebサイトには主体である「私」を感じてほしいんだと思います。なのに、すでに「私」を知らないwebサイトの読者からの「一個人で運営していない」という反応に「ガッカリきた」、それは結構、わかるんですよね。私から見れば、これは立派に「一個人」で運営されている作りです。管理人のNoriさんの個性が、十分に出ていますよね。私も、自分のプライベートサイトでこういう反応されたら、ガクッと来るんじゃないかな。



私は、読者のこういう反応をしてほしくなかったから、つまり扱う情報を「私」という一個人から切り離したかったから、別館という形にしました。だから、ある意味ストイックに情報を扱えるし、個人だとか団体だとかいう範疇で捕らえないようにやってこれました。嘉田さんも同じような感じではないですか?「私」的な部分と、「情報」的な部分を、分けて作られていますよね?



ところでシンシナティの風の中の、「HP作りのきっかけ」の中で、私がとても共感したのは、次の部分です。



「ちゃんとしたことを書くために、英語のガイドブックや資料を読むことが必然となりました。おかげで、結果的には何よりも自分の英語の勉強になりました。(知識という意味でも、もちろんです。)

 そして、サイトに書くネタになりそう、と思うと、テレビでも新聞でもコミュニティペーパーでもチラシでも人の話でも、はたまた、スーパー、銀行、自分の住むアパートの中など、日常生活全てにおいて何にでも好奇心を持って接することができました。

昼間一人でスーパーやファストフードに行った時も、周りのアメリカ人の他愛無い会話に耳がダンボになっていることもたびたびでした。…もっとも、そういう時に内容がちゃんとわかるのは半分もないかもしれませんけれど(笑)。

そんな様子は、ほんの少しだけ記者やライターの真似事ができたような気持ちです。(もちろん及びもしませんが…。)

そのため、ともすれば慣れない生活の中で消極的になりがちなことにも、あえてトライしてみるという、前向きな過ごし方がちょっとだけできたかもしれません。 」



私は、この記述がものすごく好きです。ちょっとした気持ちの持ちようで、たとえ英語が苦手でも情報を集めることができ、こつこつとまとめたその蓄積があのwebサイトなわけです。私も、同じような道をたどってきています。ご存知のように、何を思ったか今はそれ以上のことをしようともしています。それはともかく、「自分の海外生活をまとめる」ということを、もっと多くの人がやったら、きっと海外生活を何倍も楽しめるのに、と思います。その意味で、シンシナティの風は、多くの人が閲覧すべきじゃないかな、と思います。



それとは別に、生活情報webサイトと冠するものについては、私は嘉田さんの言われるような哲学が必要だと、思っています。まあそこに関しては、私の意見は嘉田さんもよくご存知でしょうし、私も嘉田さんのご意見を理解しているつもりですから、ここでは詳しく議論しませんが(もしお望みならば、続けてコメントしてください(^^))。



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「ガクッと来た」がわかったような… (boiseweb)
2005-07-01 09:34:51
よしみさん、コメントありがとうございます!



実は、「ガクッと来た」については、その後私の考えが変わって、その気持ちがわかったような気になりました。というのも、私自身も「ガクッと来た」ことを経験したからです。これについては、あらためて別記事で論じます。

プライベートサイト云々については、よしみさんのおっしゃることはよくわかります。もしかしたら、当初の私の見方はあまりにも冷徹に過ぎたのかもしれません。

情報提供ウェブサイトにおける「作者個人へのsympathy」については、まだまだ論じたいことがあり、今後の記事で取り上げていくつもりです。



ところで、よしみさんは文楽をご覧になったことはありますか? 私は、20年近く前になりますが、高校の文化鑑賞行事として、大阪日本橋の国立文楽劇場でレクチャーつき公演を観ました。「人形遣い」のたとえ話は、そのときの印象をもとに書いたものです。

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Unknown (よしみ)
2005-07-06 23:53:56
July 4thでばたばたしておりました。

文楽、たぶん昔に見たことがあります。小学生くらいじゃないでしょうか。かなり記憶が薄れていますね・・・。日本橋は小さいころよく連れて行ってもらった場所なので、馴染み深いのですが。

それはともかく、文楽は、人形遣いは顔を黒い布で覆い隠していますね。完璧に人形遣いの気配を消しています。それをおっしゃりたかったのでしょうか?
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主遣いは顔を見せます (boiseweb)
2005-07-07 22:06:43
文楽の人形遣いについて補足。文楽では1体の人形を3人で操りますが、3人のうちメインの「主遣い」は紋付袴で顔を出したまま舞台に立ちます。左遣いと足遣い、それと端役の人形遣いは黒子になります(時代や流派によって違いがあるようですが)。私が人形遣いのたとえで言いたかったのは、もちろん、顔を出している主遣いのことです。

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