入試のためのおべんきょ(
不定期戯事)
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「欲ばり過ぎるニッポンの教育」(苅谷剛彦・増田ユリヤ著,講談社,URN:ISBN:4-06-149866-5)では,「お受験」のための幼児教室の様子を説明した後で
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お受験で人気の私立小学校の先生に話を聞くと,「困るんですよね。一年生に入ってきたときに,幼児教室で同じように教育されちゃってるから,型にはまっていて。とにかくほぐすのに一年かかります」と言っていました。
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と書いている。たぶん同じようなことはあちこちにあって,大学は高校に,高校は中学に,同じ思いを持っているんじゃないのかな。
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「私立小学校の先生」さんは控えめに「ほぐす」という言葉を使っていますが,私は大学1年生対象の数学基礎科目で「冷や水を浴びせる」ことに躍起になっています.
受験勉強の弊害はさまざまなところで語られていて,屋上屋を架すのそしりを免れないでしょうが,私が数学の講義・演習を実施していて困るのは次のことです.
-- 式を見るなり反射的に(というより「盲目的に」「やみくもに」)「計算」を始めてしまう.
-- 意味を考えればすぐにわかることを,計算で解こうとするために,極端に複雑なことをしてしまう.そして間違う,あるいは解けない.
-- 答の正しさ(妥当性)を確かめようとしない.明らかに矛盾した結果が出ても平気で解答する.
-- 答案の書き方(模範解答の文言)を覚えようとする.見本がないと自力で解答を書けない.
ところで,
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だったら入試問題を工夫して上手に選抜すればいいというのは正論なのだけど,一部の学校だけがそれをやると受験生に嫌われてしまう罠。
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という指摘に対して,大学入試に関与する立場からひとこと弁明.
「入試問題を工夫」することが困難な理由は,受験生に嫌われることより,むしろ「全体の出来が悪くなって選抜試験として機能しなくなる」ことです.
資格試験や高校・大学の期末試験と違い,大学入試の本質は「競争選抜」です.入試が選抜の手段として有効に機能するためには,成績がばらつく必要があります.全員が満点をとってしまう問題や全員が0点をとってしまう問題は,入試に出す意味がありません.
入試問題を「工夫」すると,型にはまった勉強をしてきた受験生にとっては「難しい」問題になり,「全員が0点」になる危険があります.出題者はそれを最も恐れます.
たとえば,ある問題で10%の受験生だけが満点,ほかの受験生は0点という成績分布になったとします.合格率が10%なら,この問題は選抜の基準としてうまく機能したといえます.しかし,合格率が50%なら,選抜という視点では,この問題を出題した効果はほとんどなかったことになります.そして,凝った問題を出題すると,白紙答案が続出してこういう結果になる可能性があるのです.
もちろん,公開されている過去の入試問題は,受験生に対するメッセージとして重要な意味を持つので,出題者としては(たとえ受験生に嫌われても)問題を工夫したいのが本音だと思います.しかし,上述の事情によって,凝った問題を出したくても出せないジレンマがあるのです.