前回の最後で、あかねに対して、かなに挑むぞ、とか確か、アクアは言っていたはずだけど、
おいおい、結局、かなを助勢するのかw
でも、その結果輝くかなを見て、あかねもヒートアップしてるから、それが最善手ってことかw
アクア、人間関係、よく見てるよね。
しかし、このときは気が付かなかったけど、どうやら原作終盤のほうの雰囲気からすると、アクアが、演技が楽しいと思う時に罪悪感を覚えるのって、どういう理由かわからないけど、吾郎の意識が浮上して、演技を楽しもうとするアクアに難癖つけてくるからだったみたい。
じゃ、なんで吾郎の意識が浮上するの?というと、もともとアクアの意識があったところに吾郎の意識が組み込まれたから説が、最も有力みたいだよね。
つまり、アクアとルビーの双子が生まれる時、実は、ルビーは死産で、アクアだけがちゃんと生まれるところだった、なので、ルビーの方には、ちゃんとさりなの意識だけが定着したけど、アクアのほうは、アクアの意識もあるところに吾郎の意識が間借りするしかなかった・・・ってことみたい。
まぁ、超説明なのだが、そういえば『呪術廻戦』でも宿儺が実は双子で、その片割れの魂を喰らってうまれてきた、とかいう話もあったから、意外と双子のうちの一人が死産というケースは、物語のネタになるのかもしれない。
ともあれ、この2.5次元編は、演技を通じて演者の心理に食い込んでいくのが主題だったんだな、と改めて思った。
なので、その点では、こんなに舞台演技に尺を使うのは、実は、原作の意図をゆがめてることになるなぁ、と思ってきた。
要するに舞台演出が無駄に作り込まれていて、長すぎる。
あくまで2.5次元は、アクアやあかね、かなの心理を深堀りするための、文字通りの舞台装置に過ぎなかったはずなのに。。。
さすがに長過ぎて飽きてきたし、演出もしつこくて辛くなってきた。
もっと淡白にサクサク舞台は進めてくれればよかったのに。。。
まぁ、次回には完結するはずだけど、そこはマイナスだったんじゃないかなぁ。。。
おいおい、結局、かなを助勢するのかw
でも、その結果輝くかなを見て、あかねもヒートアップしてるから、それが最善手ってことかw
アクア、人間関係、よく見てるよね。
しかし、このときは気が付かなかったけど、どうやら原作終盤のほうの雰囲気からすると、アクアが、演技が楽しいと思う時に罪悪感を覚えるのって、どういう理由かわからないけど、吾郎の意識が浮上して、演技を楽しもうとするアクアに難癖つけてくるからだったみたい。
じゃ、なんで吾郎の意識が浮上するの?というと、もともとアクアの意識があったところに吾郎の意識が組み込まれたから説が、最も有力みたいだよね。
つまり、アクアとルビーの双子が生まれる時、実は、ルビーは死産で、アクアだけがちゃんと生まれるところだった、なので、ルビーの方には、ちゃんとさりなの意識だけが定着したけど、アクアのほうは、アクアの意識もあるところに吾郎の意識が間借りするしかなかった・・・ってことみたい。
まぁ、超説明なのだが、そういえば『呪術廻戦』でも宿儺が実は双子で、その片割れの魂を喰らってうまれてきた、とかいう話もあったから、意外と双子のうちの一人が死産というケースは、物語のネタになるのかもしれない。
ともあれ、この2.5次元編は、演技を通じて演者の心理に食い込んでいくのが主題だったんだな、と改めて思った。
なので、その点では、こんなに舞台演技に尺を使うのは、実は、原作の意図をゆがめてることになるなぁ、と思ってきた。
要するに舞台演出が無駄に作り込まれていて、長すぎる。
あくまで2.5次元は、アクアやあかね、かなの心理を深堀りするための、文字通りの舞台装置に過ぎなかったはずなのに。。。
さすがに長過ぎて飽きてきたし、演出もしつこくて辛くなってきた。
もっと淡白にサクサク舞台は進めてくれればよかったのに。。。
まぁ、次回には完結するはずだけど、そこはマイナスだったんじゃないかなぁ。。。