やっぱり半端じゃない音楽であることを
今日バーンスタインの指揮のトリスタンのレコードをかけて
つくづく感じてしまったのが
あの有名なフルトヴェングラーの
トリスタンとイゾルデ全曲
同じ高さの音、同じ楽器類での演奏、同じスコアでの演奏
なのに何かが違う
感情のこもったというのともなにか違う
とにかく濃厚な濃密な、しかしくどくない超ロマンチックな演奏
まるで別世界、そして実際そこにある世界が存在するような
とにかくすごい
演奏は比較することによって
その特徴が際立つが、このフルトヴェングラーの演奏は
もう現代では決して再現できないタイプの演奏
そして余りにもすごいために気楽に聴くことが出来ない
いいかげんに聴いてあの感動が薄れるのが怖くて仕方ないからだ
あの2幕の愛の2重唱のところ
テンポが徐々に遅くなって音量は感情の高まりと同時に大きくなる
そしてその音色
ホント信じられないくらいの音だ
この指揮界で最高の才人フルトヴェングラー
彼のお墓参りをすることにした
30数年ぶりにドイツ・オーストリーに旅することを決めたのだ
終活ではないが残された時間も少なくなってきて
それでも動けるうちに行けるところは
と決心して、若いころの無茶な旅を振り返りながらの
フリータイムの旅
そこにハイデルベルクのフルトヴェングラーのお墓参りを行程に入れた
このお墓参りは信心深いためでも極めて彼を尊敬しているためでもない
実はある確認のため
その確認とは、、、
実は30数年前、そのお墓の前に立った時、急に頭のなかで音がした
それはベートーヴェンの5番の1楽章だったか終楽章だったか
とにかく楽器群がすごい合奏で盛り上がってライブ感たっぷりの演奏
それが突如として頭のなかに響いたのだ
これは少しオカルトっぽいので人にはあまり言えないが
同じような経験をしたことのあるほともあるようだ
で確かめたいということは、今度も同じように音が聞こえるか?
という点
その結果が聞こえなくてもショックはない
むしろそうなんだろうな!
と納得してしまうかもしれない
だが聴こえてしまったら
それは一体どういう意味があるのだろうかと
考えてしまう
辻邦生の小説に「夏の砦」というのがある
グスタフ公のタペストリーに非常な感銘を受けた女性が
その後同じ物を見てもなんの感銘を受けない
変わったのは自分、一体何を失ってしまったのか?
を追求したロマン的な小説だが
自分にも同じ事が言えるだろう
聞こえなかったら、自分は変わった
そして何かを失った
しかし、その反面何かを手にした
そう、結果はどちらでもいいのだ
ただ確かめたいだけ
フルトヴェングラー
若い時はハンサムで空想癖のような目をして
ちょっとジョン・レノンに似てて
何よりも親近感を感じるのは
彼も見えない何かを求めていた人物であるということ
彼も、そう自分も
と言っても、一体何を求めているか
ホントは分からないでいるけれど