パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

パパゲーノが好きだ!

2012年02月09日 20時50分00秒 | Weblog

バッハのマタイ受難曲
ベートーヴェンの第9交響曲
それらは確かに人類が産み出した素晴らしい
精神の高みを表現するもの

真面目で、完成度が高くて、
感情を揺さぶるは迫力に満ちている

でも、自分はパパゲーノとパパゲーノが活躍する音楽
モーツァルトの「魔笛」が好きだ
正直 他愛もない話で真面目に論ずる事自体が
憚られる位だけれども考え様によっては
これこそが人間をより表現しているのでは?
と思わざるをえない

魔笛は話自体はとんでもなくハチャメチャだけれど
音楽が晩年の透明感、精妙さ、そして活き活きとした感情表現が
なんとも素晴らしい

特にパミーナは生きているからグロッケンシュピールが活躍するあたり
乗りに乗ってる感じで本当にワクワクする
パパゲーノのいい加減さも憎めない

ゲーテが魔笛の第2部の台本を書こうとした気持ちも分かる気がする

話は飛んで(何時ものことだけれど)
正しい話、素晴らしい話は公には批判しようがないけれども
付き合うのは人としてちょっと辛い

目標を定めて真剣に生きて
努力を怠らずに、人には謙虚に分け隔たりなく、、、
確かに、その通り、人はそうすべきでしょう
でも、それを何とか理由をつけてできないのが人間
上記の「すべき」話の多くは実は「できない」ことの裏返し
できないからこそ「すべき」としているのでしょう

寅さん、パンダ、落語の見栄っ張り知ったかぶりの大家さん
エラーい政治家や経済人より自分はこういう人が好きだな

と言うことは、自分がダメな人間であることを
自覚しているのかもしれないが、、、

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目の疲れには金柑がいいみたい

2012年02月06日 20時57分25秒 | Weblog

人間リトマス試験紙
と言うほど大げさなものではないけれど
自分の体は食物・飲み物に対して
かなり正直に反応する

発汗作用のあるもの、唐辛子・ニンニク・ビール等を
体に入れると直ぐに汗が吹き出すし
睡眠薬の入った薬などを飲もうものなら
駅まで歩いていくうちに眠くなったりする

そんな中、疲れ目にはアントシアニンの多く含まれる
ブルーベリーが良いとされているので
試してみると確かに自分の体は
いいかもしれない!と反応する

それはもしかしたらプラシーボ効果なのかもしれない
だが網膜剥離の手術をして疲れやすい左目は
ブルーベリーを食べた翌日の朝
明らかに食べない日よりずっと調子がいい

ところがこのブルーベリーよりも
自分にとってはもっと効果的なのでないか
と思われるものが現れた
それは金柑

シーズンになって店頭に並ぶ金柑を
子供の頃食べた思い出を懐かしみ
その甘いような酸っぱいような
味を楽しむと、発汗作用程ではないが
目の辺りが疲れが引いて行くような気がした

そして翌朝はもっとその傾向が強い
ブルーベリーを食べた翌日よりももっと
目の疲れはとれているみたいだ

これが錯覚か思い込みかは問わないことにする
自分にとって都合のいい話は
自分のうちだけでなら誰にも迷惑はかからない

それにしても、これが本当に他人様にとっても
効果があると分かったら貴重な情報かも
ただ自分としてはいろいろ分析して
金柑のこの成分が効く
と言う答えを出すよりは金柑全体でバランスを取って
この効果を導き出すと考えたい

分析的は確かに考えを整理したり
深く考えるに都合の良い思考方法だけれど
この分析万能主義はちょっと行き詰まっているんじゃないか
そんな気がする

トータルで考える
細部の和が全体にはならない
生物の不思議さ
おそらく食物の体への影響も
全体で初めて機能するものじゃないのか

目には金柑から
例のごとく話は脱線して変なところに落ち着いてしまった
(らしいといえば、らしいかな?)




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自分より他人様の方がよく知っている

2012年02月04日 21時48分25秒 | Weblog

この間は農協から
今日は郵便局から手紙が届いた
内容は年金の受取口座を
それぞれの窓口にして欲しいというもの

改めて感じるのは自分の年令のこと
もうそんな歳なんだ
常々意識的に(?)忘れるようにしている年齢

確かに体力面・記憶力の面の衰えは如何ともしがたい
しかし、精神年齢はこんなもんでいいのかしらん?
と言った具合

ところで、その年齢の実態を自分より
よく知っているように思えるのがこれらの金融機関
彼らにとって仕事で、自分にとっても良い情報かもしれないが
なんとなく自分の人生が終盤にかかったことを
伝えられたようで、少しばかりおせっかいな感じ

それにしても、もうじき一回りか!

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恵方巻きと節分行事

2012年02月03日 21時03分18秒 | Weblog

少し驚いた
ケーキには似顔絵や文字の入ったものがあるけれど
恵方巻きに文字や鬼の絵が入っているとは
取り組んだ業者の人、よくやった!

で節分の今日は恵方巻きを頂いた
黙って北北西の方角を見てかぶりつく
なんてことはしなくて
喋りながら、カットして、こちらの都合にあわせて
楽しませてもらった

この恵方巻き、主婦にとってもありがたいのは
今晩の献立を考えなくてもいいこと
つくる手間を省けるより
メニューを考えなくて良い気楽さは
ありがたいものなんだろう

節分といえば、さすがに最近はしていないが
子供の頃は部屋を暗くして豆まきを行った
子供全員がおみせに集まって
母だったか父が豆とお菓子を撒くやいなや
電気を消して部屋を真っ暗にして
子供達はその中で豆・お菓子を競って奪い合った

たいしたものが撒かれたわけではなかったが
何か楽しい思い出として残っていて
時々兄弟でその話が話題になったりする

多分幸せというのは、こうした記憶の中にあるのだろう
いや記憶そのものなのかもしれない
そしてこの記憶は、自分たちは親たちに愛されていたという
実感につながる

子供は何を覚えているか
実際には当人しかわからないけれど
後になっても覚えているのは子供の頃のことばかり?

子供時代の記憶はバカにならない
節分・お雛様・お彼岸行事・五月の節句・七夕・七五三・クリスマス・餅つき
家族共通の記憶
宝物は宝石やお金よりもこれに尽きるのではないだろうか

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休みとインターネット

2012年02月01日 20時23分10秒 | Weblog

休みになるとインターネットの時間が短くなる
といった話ではなく
自分のペースでの時間の使い方について

休日の効用は体・精神を休めることができることなのだけれど
体は当たり前として、何故精神が休められるか
体の休息の副産物としての余裕ある気持ちになれる
のには疑いようがないが
もう一つ、自分のペースで時間を費やすことのできることによって
心が休むことができるのではないか

仕事の日々は少なからず、
~ねばならない、~までに、などといった
言わば自分のペースとは関係ないところで時間を配分しなければならない

ところが休みになると、例え何もしないでダラーッとしているだけでも
それは自分の選択した時間の使い方で、誰かに強制されるわけでもない
この自分勝手に時間を使えるところが心が休まる秘密の一つのような気がする
(もっとも家庭で何かねばならない時間が存在すると
それは普段の生活と大差なく本当の休日にはならないかもしれないが)

同様に自分勝手に時間を使えるのがインターネット
テレビの様に時刻に拘束されるわけでもない
(録画と言う手もあるが、録画したものは見ないことが多いみたい)
好きな分野だけに集中して時間を費やすことができる
しかも時間の長さも好き勝手に
だからこそ満足感は大きい

自分の思い通りになる
この感覚はあまり気にかけることはないかもしれない
そして普段は思い通りにならないことが多くて
そんな事すら忘れているかもしれないが
例えささやかでも休日が思い通りになるという
体験をすることは
窮屈な生活の中で時には必要な事柄なのでは

しかし、休日についてそんなに理屈を付ける必要が
あるかどうかはおおいに疑問だけれど

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