パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

おばあちゃん子

2019年12月20日 18時44分03秒 | 子どもたちのこと

昨日の木曜日(12月19日)は今年最後の勉強の手伝いだった(外国人を親に持つ子供の)
このボランティアの仕切り屋さんが、この時期にふさわしく年賀状を書くようにと
子どもたちに葉書を手渡した

実は火曜日の低学年にも同じことをしたのだが、このときは大変だった
年賀状が何かわからない、、挨拶文は当然わからない
住所という言葉もわからない
宛名の先生の名前もちょいと怪しい
そしてなによりも、最初から騒いで言われたことをするのが難しい

この学年の子の落ち着きの無さは、一般的にどのくらいか判らないので対応に困る
学校で先生に何と言われるか、、と聞いてみると
「うるさい!静かにしろ」と言われるようだ
彼のその言い方で少し心配になった(何が?)

結局、「あけまして おめでとう ございます」
と書いて空きスペースは好き勝手な絵を書きなぐった

これと比べると6年生はいろいろ解っている
宛名も挨拶文も(言われたことをしているだけだが)とりあえずこなしていく
(口が動く時間が多いので時間はかかっている)
いつもケンカばかりしている男の子と女の子と先日相談に乗ってくれた少し太めの男の子が
自分の係で、最初の二人は葉書をもらって気に入ったところから書き始める
でももう一人の彼は自分の膝の上にのって彼らの様子を見ている

「あれ、Gくん、年賀状は?もらってない?書かないの?」
その刹那だった
「おばあちゃんが死んだので、、、」
眼の前の彼は急に耐えきれないように表情が崩れ、目はいきなり赤くなり、瞳が潤み始めた
そして机に顔を伏せて泣き始めた
彼の表情が崩れていく瞬間、それはほんの僅かな時間だったが、彼の表情の変化と同じくらいの速さで
自分の感情が震え、涙が出そうになった

「あっ、ごめん」
声をかけた人は謝った
自分は彼に掛ける言葉がなくて見守るだけとなった

彼はきっとおばあちゃんに大事にされたのだろう
彼もそこに応えて、おばあちゃんが大好きだったんだろう
でもその大好きな人と会えなくなってしまった
彼の中では、死という理屈は解ってもまだ感情が受け入れられない、、

しばらくの間、彼は机に顔を伏せて泣いていた
でもそれはおばあちゃんへの最高の贈り物のような気もした
彼は「おばあちゃん子」だったに違いない

自分もおばあちゃん子だった
無条件に(愛という言葉を日本人が使うのは抵抗感があるが)自分を愛していてくれた
ずっと小さな時は、おばあちゃんと一緒に寝たし、いつも見守られているような気がした
やがて体力的に逆転して自分が見守る時になっても、その存在だけで見守られているような気がしたものだった
そして今でも時々、祖母の夢を見る

こうして勉強風景だけでなく少しづつ彼らの内面を知っていくと
彼らが可愛くて仕方なくなる
そして将来幸せな生活が送れるようにと切に思う(おばあちゃんの代わりはできないが)




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