パンセ(みたいなものを目指して)

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判決に、一般人の感覚を活かしてほしい行政訴訟

2024年01月27日 08時05分12秒 | あれこれ考えること

無理矢理にでも別のことを考えないと涙が出てきてしまう
誰もがいつか来る運命で仕方ないとしても
気持ちがまだ受け入れられない
その時間が間近に迫ってきている

無理矢理考えようとして、頭の片隅に残っているのは
例の養鶏場の裁判のこと(気持ちを無理矢理そっちに持っていった)

テレビ、新聞の報道では京都アニメーションスタジオの事件を
起こした人物の判決が死刑と出たことを伝えている
この裁判は、裁判員制度が活用されていて、全くの素人が
重要な判断をしなければならなかった

人の死を決めかねない判断は、猛烈な心理的な負担を覚えるだろう
被害者の立場への心情、自分の判断で人の命を奪う恐怖
誰かが判断しなければならないとしても、素人にそれを任せるのは酷な気がする

裁判員制度は一般人の感覚を裁判に活かす目的で採用されたと聞く
ある人は、裁判員制度をいきなり刑事事件で採用したが
これは民事から進めるべきだったと指摘している

そうだ、そのとおりだ、一般人の感覚とか常識を裁判に活用するのはそちらの方だ!
自分がずっとしつこく取り上げている行政訴訟の件、その不安と不満は
一般人の感覚が生かされないのではないか?という点で
自分が説明した人は(少し偏っているとしても)大概の人が
どこか疑わしいところがあると口にする

この庶民の感覚が裁判官という専門職の高度な(?)知識故に
軽く扱われてしまうのではないか、、という不安が拭い去ることができない
だからこそ、こうした裁判こそ一般人の意見を取り入れてほしいと思う

今日は、このあとホスピスに行く予定
埼玉の妹も朝一番の列車でやってくる
つらい、、、




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