パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

キム・ダミ ヴァイオリンリサイタル (宗次ホール)

2016年06月13日 08時25分55秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

コンサートに行くきっかけはプログラムか
それとも演奏家か?といえば自分の場合は
圧倒的にプログラムへの興味による

まずは演奏される曲が良いか、悪いかが 問題となって
いくら興味深い演奏家でも好みに合わないプログラムだと
それだけでパスしてしまう
(ゲルギエフは興味あっても苦手なチャイコフスキーでは
行く気になれない)

昨日、宗次ホールで行われたキム・ダミのヴァイオリンリサイタル

でかけたのは、このプログラム

2番目のヴィターリのシャコンヌが聴きたかったためだ

バッハと並ぶこのシャコンヌの名曲は、以前やはり宗次ホールで聴いた
この時は演奏者のヴィターリ愛にあふれ、感情のこもった演奏が
とても良かった

数カ月前からこのリサイタル(プログラム)は知っていて楽しみにしていた

ここからは完全に個人的な独断と感想
単なる思い込みに過ぎないかもしれないし、たまたま自分のコンディションに
よって不安定な感じ方だったかもしれないが
とりあえず何か残しておくことに

最初のヴィヴァルディ
その出だしの音でこの人の音の傾向・その日の方向性は
決まってしまうが、少し残念だったのが、その音は自分の好みの音ではなかった
楽器はストラディバリウスだそうだが何故かそんなにきれいな音とは思われなかった
特にフォルテというか大きな音量の時、もう少し吹っ切れたすっきりした音がでないものか
と感じて、実はこの時からヴィターリのシャコンヌの演奏にも少し不安がよぎった

ヴィヴァルディは職人的な音楽家で、内的欲求から作り出スタイプの作曲家ではないので
曲自体の必然性はあまり感じなかったが、ゆったりした楽章は四季の緩徐楽章を思い起こされて
この部分は心地よかった

さてお目当てのヴィターリのシャコンヌ
ピアノのゆっくりしたテーマの音形が奏されて
思い入れたっぷりのメロディーが奏されたが先ほど感じた不安を
吹っ切るものではなかった
何か空回りしている感じ(自分の中だけなのかもしれないが)

演奏は知らない曲の場合はその曲自体の訴えるものに集中できるが
聞き慣れている曲になるとつい比較という行為をしてしまう
ヴィターリのシャコンヌの比較対象はオイストラフ
この演奏が素晴らしい 濃厚な感情表現に富んでいてとてもドラマティック
他にYoutube でハイフェッツやサラ・チャンを聴いても
オイストラフを越える印象を持つことがない

こんな名演と比べることが可哀想なことだが、それでもライブだから
その時しか感じることの出来ない瞬間があるのではと期待したのだが
キム・ダミさんのこの曲に対する共感が本物ではないのでは!と思ったりする
いや、彼女はまだ若すぎるのかもしれない
この濃厚な感情の名曲はもう少しいろんな経験を積まないと
駄目なのかもしれない(と勝手に思い込んだ)

この曲に比べるとタルティーニの「悪魔のトリル」は良かった
音も無理なく鳴り始めて曲に感情が入っていく奏者の様子も見られた
(シャコンヌは感情の面が強すぎる曲なのかもしれない) 

後半のプログラムは概ね満足のいくものだった
ドビッシーのソナタは生で聴くのはラ・フォル・ジュルネの時以来
才気ばしったとっつきにくい曲だが、2回目のせいか
今回は結構面白く感じられた
(でも、やっぱり奇妙な曲の印象は残る) 

カルメン幻想曲は難しい聴き方をするより楽しむための曲
その意味ではリサイタルの最後を締めるには良い曲だ
なにか残るということはないが、その刹那は楽しむことができる

ということで、楽しみにしていたヴィターリについては少し残念だったが
こちらのコンディションもあるから仕方ないか
これが(お互い)一発勝負の生演奏というものか

ところで、席は指定となっていて前から4番目
本当はもう少し後ろのほうが良かったのかもしれない
演奏者と近すぎたために 生々しすぎた?

 


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