パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

新城吹奏楽団 第93回定期演奏会

2021年12月13日 09時44分37秒 | 音楽

やはり音を浴びるという感覚はいいものだ

前回は見逃してしまったコストパフォーマンスの極めて良い
新城吹奏楽団の演奏会にでかけた
最近はコロナのせいで宗次ホールにも行けていないし
まして大人数のコンサート等は全くのご無沙汰だ

この演奏会はいつも自分にとっては非常に満足度が高い
それは価格が圧倒的に安いというより
会場にいて何かを感じたり連想したりすることが
非日常的で、それは貴重な時間と思われるからだ

批判的に捉えるのが通っぽい印象があるが
音楽は「楽しんだもの勝ち」だと思う
アラを探すより楽しめる要素を十分に味わう
それが一番だ

演奏会は大きく3つに分かれていて、
いつも驚くのだが、最初には「初演」とプログラムに書かれた現代音楽が演奏される
今回は「深水」と「吹奏楽のための小品11」とタイトルされている
「深水」はまるでメシアンの音楽を彷彿とさせる音響で始まる
メシアンは嫌いではないので自分は抵抗感はないが、他の人はどうなんだろう
と少し余計な心配をしてしまう
だが、この(音響だけの?)極めて奇妙な音楽は
現代人にしかリアリティをもって感じられないと思う
続く「吹奏楽のための小品 11」は演奏が始まるとホッとした
「メロディがある」ということは、これほどまでに安心感を与えるものか
とつくづく感じ入った

二部は、吹奏楽に多大な貢献をしたアルフレッド・リード生誕100年を記念して
彼の作品を集めていた(彼のことはあまり知らない)
と言っても、この季節らしいクリスマス絡みの曲が並べられていて
聴いたことがある賛美歌のフレーズが時々現れて、一部ほどの緊張感はなく楽しめた

そこで大音響で音を浴びるという感覚を覚えたのだが
この大音響の必然性は、聞き手に大きな音ゆえのカタルシスを与えるだけでなく
作曲者の「どうしてもそうしたい」という気持ちとか癖が
現れているような気がしてならない
それは大好きなブルックナーが、ワンパターンの様に神を賛美する音響で終わる
曲作りを連想させられた

聞き慣れた音楽という点では三部が一番だったかも知れない
ムソルグスキーの「禿山の一夜」
ドボルザークの新世界の第2楽章
ヴェルディの「アイーダ」から賛歌
が演奏曲目で、ここで印象に残ったのは作曲者の国とその音色の違いだ

と言っても、はっきり違いがあったというのではなく、明らかに違うな
と思われたのはヴェルディの曲の時で、ヴェルディの曲は光の豊富な国、
日向と日陰のコントラストの際立つ国、母音の多いはっきりした言語の国の人が
作曲した作品だとつくづく実感した(先の二人と比較してわかったことなのだが)

とまあ、聴きながらあれこれ連想したのだが、こうした時間は「いつもと違う」
濃密な時間経過で、それ故に頭の中がスッキリした気持ちになれる

現場にいて楽しめたのは事実だが、いつも思うのはもっと楽しんでいたのは
演奏者たちだろうなということ
彼らの充実感がこちらに空気感染したのだと、つい思ってしまう
(空気感染は今は適切な表現ではない?)


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